雨を望む
「あと、えっと……、その……高校でも、これからもずっと、希実といっしょに居たいし……」
そう言った律花の顔は、夕焼けの中でも分かる程真っ赤に染まっていた。
あの日から何度も思い返したその表情で、これが夢だと気付く。
「大丈夫、大丈夫、心配しすぎだって」
「それに、私が受験落ちないように律花がしっかり教えてくれるんでしょ?」
「……はぁ。……まあそうなんだけど。明日も勉強会やるから、忘れないでね?」
「大丈夫。ちゃんと覚えてるよ」
「それじゃあ、また明日」
「またね」
「うん、またね」
律花はそう言うと、笑顔で小さく手を振ってきて、夢の中の私が手を振り返す。
律花は、最後に一段と弾けるような笑顔を浮かべて、夕暮れの街に溶け込んでいって──
──その『またね』は叶わなかったけど。
そう思うと同時に、無機質なアラームの音に現実へと引き戻された。
あれから、何回この夢を見たんだろう。
あの時の……律花と最後に話したときの夢だ。
スマートフォンから流れる耳障りなアラームを止めると、画面にあの日と同じ日付が映し出された。
……あれから、本当に一年経ったんだ。
その日付を見ても、律花がもう居ないって実感は湧いてこなかった。
私にとって、律花は一番の友達で。
……初恋の相手でもあった。
律花は、月に一回は小学生だと間違われてたぐらい小さくて、子供っぽいままの顔立ちに、顎の下辺りまで伸びた少しウェーブのかかった薄茶色の髪がよく似合っていて。
人形みたいで可愛いって表現があるけど、まさにそんな感じの見た目。
けど、そんな見た目と違ってしっかり者で、優柔不断でよく迷ってしまう私の代わりにどれにするか決めてくれたり、私の勉強をいつも手伝ってくれたり、色々なことを助けてくれて。いつも、本当に頼りになって。
──私はいつの間にか、そんな律花のことが好きになっていた。
そして、律花と初めて出会ったのは幼稚園の時。どんな風に会って、どんな風に話して、どんな風に友達になったのか。今となってはほとんど思い出せないけど、その時から律花が私にとって一番大切な友達になったことは確かだ。
友達になってから、私たちの仲はとんとん拍子に深まっていって。卒園する頃には、暇さえあれば二人で一緒に過ごすようになっていた。
それは、小学生になっても中学生になっても同じで、学校だと少しでも話す時間があれば集まって駄弁っていたし、休みの日もほとんど一緒。用事とかで会えない時も隙を見つけて電話したりして。
そんなだから『付き合ってるの?』なんて、周囲にからかわれたことだってあった。
──私は、本当にそうなりたかった。律花と特別な関係になりたかった。律花に好きだってこと、ちゃんと伝えたかった。
でも、『律花に頼ってばっかりな私じゃ釣り合わない』とか、『女同士だし、断られたら友達でも居られなくなる』とか、『別に今じゃなくても、覚悟出来てからでも遅くない』とか、本当に余計なことばっかり考えて、どんどんどんどん先延ばしにしていって。
結局、最後まで気持ちを伝えなかった。伝えられなかった。
今日からちょうど一年前。律花は私の家から帰る途中、交通事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。
あまりにも突然の出来事で、そうやって聞いても本当のことだって理解できなかったのを覚えている。いや、今もまだ理解できないままだ。
お葬式に行っても、なんだか夢を見ているみたいに現実感が無くて。
悲しさも、寂しさも、感じるはずの物を感じられなかった。
棺の中で、花に埋もれて横たわっている律花を見ても、何も。
それから、両親やクラスのみんなに何回も慰められたり気を遣われたりして。ああ、これは夢じゃなくて、本当に起こった事なんだ。ってその時ようやく理解できた。
だけど、それはピントがずれた写真を見ているみたいに、何があるかはなんとなく分かる程度のものでしかなくて。
感じられたのは、大切なものが抜け落ちてしまったような。
それでいて、まだ隣には律花がいて、いつも通りの毎日は続いているような。
そんな、漠然としたうえ中途半端な喪失感だけで、実感とは程遠いものだった。
それに、『またね』とか、『これからもずっと希実といたい』とか。あったはずのこれからのことを話していた律花を、夢でも現実でも何回も思い返して。その度にまだ次があるんじゃないか、なんてそんな風に思ってしまう。
それから、なんとか受験に受かって、卒業して、進学して。高校生になってからも半年以上が経って。けど、結局感じられたのはこれだけで、悲しさも寂しさも感じられないままだ。
……今日は律花の一周忌があるからそろそろ起きないと……。
包みこむような心地よい温かさの布団を嫌々ながらもどけると、今まで布団に防がれていた秋の寒さが、体に残った温もりを奪っていく。
ベッドから立ち上がり、身を震わせながらカーテンを開けると、昨日と同じように町は厚い雲に覆われていた。
そんな精彩を欠いた景色を見ていると、律花が居ないことを受け入れられないままの、曇り続きの自分の心を覗いているみたい。なんて、柄にも無くそんなことを思ってしまう。
……止まない雨はない、なんてことよく言うけど、降っていない雨を降り止ませることはどう頑張っても出来ない。
律花がもう居ないってことに、私はどうすれば実感を持てるんだろう……。
そんな、自分の中で生まれたはずの不安なのに、どこか他人事のように感じてしまう。
「本日は、お集まり頂きありがとうございました」
厳かな雰囲気の中、律花のお父さんが締めの言葉を言い終えて律花の一周忌は終わった。それと同時に静かで堅苦しかった場所に、ザワザワと声が広がっていく。
ここに居た人は、どんなことを思って参列していたんだろう。他の人の考えていることなんて、鈍感な私にはさっぱり分からない。
けど、私なんかよりずっと辛かっただろう律花の家族も、みんな律花の死を受け入れているみたいだった。
私はというと、お寺という場所にも、お坊さんが唱えるお経にも、会食にした律花の思い出話にも、認識が実感の上を滑って行くだけで、やっぱり何も感じられないままだった。
そのことへの落胆ももちろんある。けど、どちらかというと、何も感じられなかったことにホッとしてしまっている。
受け入れたいのは本当だ。隣に律花が居るように思いながら感じる中途半端な喪失感だけじゃなくて、起こったことを全て受け止めて、それから前を向いて生きていたい。
けど受け入れてしまえば、自分の中でなんとなく続いているだけの、律花が居るまがい物の毎日すらも終わって、律花は完全に居なくなってしまう。
それがどうしようもなく不安で怖くて堪らなくなって、いつも受け入れることを拒んでしまう。
受け入れたいけど、受け入れたくない。
どっちにするべきかは、ハッキリと分かっている。でも、なかなか一歩が踏み出せなくて、前みたいに先送りにしてしまいそうになる。
……私は、どうすればいいんだろう。
覚悟を決められないまま、無意味に考えていくうちに、段々と頭の中が真っ白に染まっていって……。
ふと我に返った時には、ザワザワとした声も落ち着いて、いつの間にか人がまばらになっていた。
……私もそろそろ帰らないと。
すっかりしびれてしまった足に、無理無理力を入れて少しふらつきながらも立ち上がる。
その直後、「希実ちゃん、ちょっとでいいんだけど今って時間ある?」と、聞きおぼえのある柔らかい声が耳に入ってくる。
声のした方を向くと、肩の下で切り揃えられた、律花と同じ少しウェーブがかった薄茶色の髪に、柔らかい笑顔を浮かべている。穏やかな雰囲気を纏った女の人が立っていた。律花のお母さんだ。
一年前までは律花の家に遊びに行った時によく顔を合わせていたけど、今では買い物に行ったとき、たまに鉢合わせるくらいになってしまった。
そんなだから呼び止められるような心当たりが何もなくて少し身構えてしまう。
「……はい。全然大丈夫です」
「良かった、これを渡そうと思って」
そう言うと、おばさんは黒いハンドバッグから、見覚えのある薄ピンクのノートを取り出して渡してくる。
去年、律花の誕生日プレゼントに渡したノートだ。
ノートはあまり使われなかったみたいでぱっと見だと新品と区別が付かない。けど、表紙にはしっかりと『日記』ってタイトルが付けてあって。律花、このノート使ってくれたんだ。なんて思って、少し嬉しくなる。
「……律花の日記、ですよね」
そして、そう確認すると、おばさんは軽く頷いて、それから話を続けてくれた。
「もうそろそろあれから一年だから、って律花の部屋を整理してたら見つけてね。それで、読んでみたら、ほとんど希実ちゃんのことだったから、その本人に読んでもらいたくて」
「私のこと……」
律花が日記を付けてたって全く知らなかったし、その内容のほとんどが私についてだった。なんて、そんなこといきなり言われて正直頭が追いついてない。さっきまで考えがごちゃごちゃした状態だったから余計に。
嬉しいような、恥ずかしいような、なんとなく寂しいような。そんな感情が入り乱れて、私の頭は再びごちゃごちゃとしてきて。
「……けど、本当に貰っていいんですか?」
そんな状態でも少し気になってしまうことがある。
当たり前のことだけど、この日記は律花の遺品で、律花の家族にとっても大切なものなはずだ。
律花のお母さんは渡すつもりだって言っていたし、貰いたい気持ちも当然ある。だけど、どうしても受け取ってしまうことに抵抗を感じてしまう。
「うん。受け取ってほしい。……律花が希実ちゃんのことどんな風に思ってたか、それだけでも知って欲しい」
──こんなに真剣な顔したおばさん、初めて見た。
いつもの柔和な笑顔とは違う初めて見せた表情に、さっき感じた抵抗感は跡形も無く消え去って。代わりに、この日記は受け取らないといけない、私にそう感じさせた。
「分かりました。日記、大切にします」
そう答えるとおばさんは、再び柔らかい笑顔を浮かべて「ありがとう。それじゃあ、気をつけて帰ってね」そう言って見送ってくれた。
自分の部屋に帰ってきた私は、勉強机に日記を置いて向き合っている。
実を言うと、この日記を読むのが少し怖い。
この一年、色々なことをやったけど実感は持てないままだった。けど、律花が書いた日記なら、読めば何か変わるんじゃないか。なんて、そんな風に思っている。
そして優柔不断な私は、別に今読まなくてもいい。時間が経って、受け入れる覚悟が出来てから読んでも遅くない。そうやっていつものように、先送りにしようと考えてしまう。
──けど、もう前みたいに後悔したくない。
ゆっくりと三回深呼吸をして無理矢理にでも覚悟を決める。
そして、慎重にノートの表紙をめくって、日記を読み始めた。
最初の日付は十一月十四日、律花の誕生日だった。
11月14日(日)
今年の誕生日に希実がくれたのはピンクの可愛いノートだった! わたしに似合いそうだからこのノートにしてくれたんだって! すごくうれしい!
いつもだけど、希実から貰ったものは、使っちゃうのが勿体なくて、ずっと大切に仕舞っておきたくなる。でも折角のプレゼントなのに使わないっていうのも勿体ないから、このノートは日記帳としてちゃんと使っていくつもりだ。
でも、誰か(特に希実)に見られたら本当に恥ずかしいから、引き出しの奥に隠しておこう。
11月15日(月)
昨日は本当にうれしくてつい勢いで日記を書き始めちゃったけど、改めて考えるとどんなことを書けばいいかあんまり分からない。二日目にして早くも壁にぶつかってしまった気がする。どうしよう。
まあ、そこまでガチガチに書くものでもないし適当にやればいいか。取りあえず、今日は希実が授業で先生に当てられてあたふたしてたのが面白かった。
11月16日(火)
二十三日が祝日だったことに今さら気付いたから、その日は二人でモールに遊びに行くことにした。
ここは田舎だからしょうが無いけど、この辺りで気軽に遊びに行ける所はモールしかなくて、お金も掛かるし、最近ちょっと飽きてきた。
希実と一緒だから、つまらないなんてことは無いんだけど。
冬休みとか春休みになったら、二人でどこか別の所に行きたいな。
11月17日(水)
今日は体育祭以来の体育があって、バスケをやった。
わたしは運動音痴だからあんまり出来なかったけど、希実は何回もシュートを決めて大活躍してた。
最後のスリーポイントシュート、カッコ良かったな。
11月18日(木)
明日は中間テスト……なのはいいんだけど。希実のやつ、またテスト前日になってから『勉強教えて』って泣きついてきた。いつものことだけど、せめて一週間前には言ってくれないと教えられるものも教えられない。こんな調子で受験は大丈夫なのかな? 明日のテストはまあダメだろうな~。
11月19日(金)
案の定ダメだった。『ぜんっぜん分からなかった』って言う前に自分が受験生だってこと自覚して欲しい。このままじゃダメそうだから、明日から定期的に勉強会を開くことにした。
希実と通う学校がバラバラになって、離ればなれになるとか絶対いやだ。
11月20日(土)
今日は勉強会をした。希実は飲み込みが早いから、すんなり勉強を教えられた。やれば出来るんだよ。やれば。
勉強会してると、いつもよりも希実の顔が近くなるから、ちょっとドキドキしちゃった。
希実もドキドキしてくれてたらいいな。
11月21日(日)
今日も希実と勉強会だ。
昨日の勉強会の時は気付かなかったけど、希実の顔がいつもより赤かった気がする、顔が近づいた時は特に。
……前々からそうかもとは思ってたけど、希実もわたしと同じ気持ちかもしれない。思い込みだったら怖いから、ちょっとアプローチして反応をみてみる。
11月22日(月)
昨日のわたし、そんな簡単にアプローチ出来たら苦労しないぞ。
でも、明日なら希実と二人で出掛けるからやりやすい……かもしれない。
今から明日のシミュレーションしとこう。
11月23日(火)
ちゃんとアプローチ出来た!
モールから帰るときに希実と恋人つなぎした!
恋人つなぎとは言っても、やることは手をつないで指を絡ませる。それだけの筈なのに、すごく勇気が必要だった。
でも、そのそれだけに、希実も顔を真っ赤にしながらすごくあたふたしてた!
やっぱり希実もわたしと同じ気持ちみたい!
すっごくうれしい!
希実が分かりやすくて本当に良かった。
今日はうれしすぎて眠れないかもしれない。
11月24日(水)
昨日は落ち着かなくてやっぱり眠れなかった。
希実はまだ落ち着かないみたいで、話してる時もちょっとそわそわしてたし、時々わたしの手を見てきた。
やっぱり、昨日の恋人つなぎをいい意味で意識してくれてるみたい。
恥ずかしいけど、もう一回恋人つなぎして再確認するのもいいかもしれない。二回目だから昨日よりは緊張しないと思うし。
後もっと恋人つなぎしたい。
11月25日(木)
希実ともう一回恋人つなぎしてみた。一昨日はいきなりやって困らせちゃったから、今日は寒いからって理由付き。
それでも希実は恥ずかしかったみたいで、一昨日よりは控えめだけど、顔を赤くして、そわそわしてた。
反応がかわいかったから、ちょっとからかってやろうと思って、なんでそんなにそわそわしてるのか聞いてみたら『なんのこと?』ってすました顔で言ってきた。
声が震えてたし、『なんのこと?』は流石に無理があると思う。
でも、そんなポンコツな所も好き。
11月26日(金)
今日も登下校の時に恋人つなぎしてた。
恋人つなぎしてると、なんだか本当に付き合ってるみたいでドキドキする。
多分、告白すればすぐに付き合えちゃうと思うけど、付き合うときは希実からして欲しい。
希実って、見かけによらず優柔不断だし、ちょっとネガティブな所もあるから、悪いように考えちゃって、なかなか一歩踏み出せないでいるんだと思う。
だからこそ、そんな希実から告白されるってことは、わたしのことを本当に大切に想ってくれてるって証だから。
……書いていて思ったけど、これって面倒くさい人の考え方……なのかな?
ちょっと面倒くさいこと書いてるかもだけど、ちょっと面倒くさくなっちゃうぐらい、希実のことが好きなんだからしょうがない。
これからもずっと一緒にいられるように、まずは明日の勉強会で頑張って教えよう。
──なんとなくは、分かってた。
勉強会で顔が近づいた時、私だけじゃなくて律花も顔が赤くなっていたこと。
手をつないで指を絡ませてきた時、やけに嬉しそうにしていたこと。
ずっと一緒にいたいって、顔を真っ赤にして言ってくれたこと。
他にも、律花が私に向けてくれた好意は、日常の色々な所に表れていて。
どれもその時には分からなかったけど、何回も夢で見て、現実でも何回も思い返していたから、鈍感な私でもなんとなくは気付いていた。
けど、本当に。
「……律花、私のこと、好きだったんだ……」
それだけで、私の頭はいっぱいになって、他のことが考えられなくなって。それでも次のページを読もうと、手は勝手にノートをめくっていて。
──次のページには、何も書かれていなかった。
当たり前だ。だって、次の日……十一月二十七日は律花の命日だから。あの日律花は、私の家から帰る途中、事故に遭って死んでしまったんだから。
「ああ……そっか……」
この日記の続きはもう書かれないんだ。
それに、律花とこれからもずっと一緒に居たいって願いも、律花に好きって自分の口から伝えることも、律花と最後に交わした『またね』って約束も、──もう叶わないんだ。
今までぼやけるようだった現実が、途端に細部までハッキリとしていく。
「律花は……もう、居ないんだ」
そんな当たり前のことに、一年経ってようやく実感を持てた。
律花が居ない現実なんかじゃなくて、私が大好きな律花が書いた日記だったから、目をそらさないで、起こってしまったことを受け入れられた。
……私は、どれだけ律花のことが好きだったんだろう。
自然と涙がこぼれて、私の頬を伝い落ちる。
今まで溜め込んでいた思いが奔流のように押し寄せて、嗚咽となって部屋中に広がって。
そして、抑えきれなくなった思いが、言葉になって溢れ出る。
「……私も! 私も律花のことが好きだった! 小さくて可愛いところも、可愛い物が好きな所も、いつも私を引っ張ってくれた優しくて強い所も、全部まとめて大好きだった!」
「どんな時もずっと一緒に居たかった! モールに出掛けたときも、学校にいたときも、登下校中のどうでもいい話も、やることが無くて家で一緒にごろごろしてたときも、嫌いな勉強をしてたときも律花と一緒にいた時は全部楽しかった!」
「律花ともっといろんなことがしたかった! 遊園地行ったり、映画見たり、動物園とか水族館に行ったり、ゲームしたり、どこかいろんな場所に旅行に行ったりしてもっと思い出を作りたかった!」
「高校生の今も、大人になってからも、会社で働くようになってからも、何十年も経っておばあちゃんになってからも、ずっと隣に居て欲しかった!」
「それに、自分の口から好きだって、ちゃんと伝えたかった……!」
感情の奔流が落ち着いてくると、その分を埋めるかのように悲しさが湧き出てくる。
そして、考えれば考えるほど、悲しさはどんどん膨らんで心を満たしていって、溢れた思いは涙に形を変えて流れていく。
それでも、私はもうこない『またね』を待ち続けるんじゃなくて。
前を向くために、きちんと受け入れるって決めたから。
だから、最後に言うのは別れの言葉。
溢れ出る涙を、今だけでもぐっとこらえて。
ちょっとぎこちないけど、律花と一緒に居たときみたいな、笑顔で。
「……律花、大好きだよ」
「バイバイ」
──あれから曇り続きだった心に、ようやく雨が降り始めた。