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倫太郎とみちこ

作者: ななめー

教室社会が生んだ小さな軋轢が、やがて壮大な骨肉の争いへと発展していくかもしれないお話。



倫太郎のクラスは戦場と化していた。

それは何も、人と見ればすぐさま攻撃し合うような、むやみやたらと敵対心剥き出しで突っかかっていく戦いの場というような意味ではない。

言うなれば水面下で静かに互いを牽制し合う、狡猾なかつ非常に緊迫したやり取りだ。その目的は何かって?勿論決まっている。

こんな一世一代の戦いが巻き起こる原因なんて唯一つしかない。

みちこちゃんの取り合いだ。


みちこちゃんとは、とても小柄な可愛い女の子だ。

大人しく静かで、仕草も一々可愛らしい。

また人懐っこいところもあって誰とでもすぐに打ち解ける。

その茶色っぽいカールした髪の毛もポイントが高い、と倫太郎は思っている。


朝学校に着くと、みちこちゃんの周りにはもう既に何人かの取り巻きが出来ていた。

割り合いとしては女の子の方が多いが、その中に数人男子も混ざっている。

小学五年生という多感な時期の男子が、女子の輪に加わるということは相当な強者である。

顔を確認できたのは、図書委員の田中君と生活係の山田君。


「あ、おはよう、高橋君」


高橋というのは倫太郎のことだ。

倫太郎に逸早く気がついたのは里中さんだった。

クラスの女子の中でも一番はきはきした元気な子で、そのさっぱりした性格は男女ともに好感を抱かれている。所謂このクラスのリーダー的存在だ。

輪の中にいた田中君と山田君は倫太郎に気付くと、すぐにも火花が散りそうな視線を倫太郎に向けた。

それは倫太郎にはよく分かっている。

宣戦布告というやつだ。

ちなみに、宣戦布告という言葉は昨日のテレビで覚えたばかりだった。


「おはよう、里中さん。みんな」


倫太郎は平静を装うため、いつも以上に気をつけて挨拶をした。

輪に妨害される形となってみちこちゃんの顔は見えなかったが、そこにいることだけは確かに分かる。

倫太郎にはみちこの存在が手に取るように分かるのだ。

こうして人壁に隔てられた光景を目の当たりにすると、それは正しくロミオとジュリエット。


(そうだ。僕らは引き裂かれた悲劇の恋人同士なんだ)


こうやって盛り上がっているところを見ると分かって頂けるかと思うが、それは倫太郎一人の考えであって、みちこにその気があるのかどうかは今のところ分かっていない。

確かにみちこが倫太郎に心を開いているようなときも垣間見られる。

しかし、それは倫太郎がみちこにとって特別な存在だから、という根拠になるかどうかは甚だ疑問だ。

穏やかな性格の子だから、他の人に対しても平等に振る舞っている可能性は極めて高いし、倫太郎が好意以上の感情を持って接していると気づいていない気もする。


ふと見ると、みんなはもう倫太郎に背を向けていた。

田中君と山田君も例外じゃない。

既に二人は先刻以上に輪の中心に移動して、みちこちゃんと交流を図っているように見えた。


(わかったぞ。先手必勝だって言いたいんだな)


先手必勝も昨日覚えた言葉だ。

昨日は日曜日で、倫太郎のおじいちゃんが毎週楽しみにしている時代劇が放送されるのだが、倫太郎は決まっておじいちゃんとそれを見るのだ。

宣戦布告も先手必勝も、昨日ちょうど悪役のセリフであった言葉だった。


(よし!そっちがその気なら僕だって!)


こういう障害の多い時は頭脳プレーがモノを言うのだ、と倫太郎は十才ながらによく分かっている。

家族皆のお風呂上りの楽しみのアイスクリームも残りが少なくなってくると、倫太郎は必ず大人にはビールを用意して風呂上がりを待つのだ。

そうすると大人は大抵アイスのことは忘れてしまうし、お前は気が利く子だなと褒められるし、と一石二鳥なのである。


何故アイスが少なくなる前からやらないのかって?

それを最初からやってしまうと、お風呂上がりの楽しみイコールビールという形が定着してしまい、アイスクリームを買ってくれなくなるかもしれないからだ。

そこまでちゃんと計算していることからも、倫太郎が相当賢い子であると分かる。


倫太郎は田中君や山田君のことは気にもしていない風を装って、いつも通りに自分の席に着く。

そしていつも通りに鞄の中身の整理を始めた。すぐに使うものは机の中にしまい、残りは教室後ろのロッカーへとしまいに行く。

ロッカーの上には、虫かごでカナヘビが飼育されている。

まだ倫太郎たちのクラスにやってきて三日四日と日は浅いが、かなこと命名され大切に飼育されている。

ただクラスの大半はカナヘビを見たことがないせいか、まだかなこに対する余所余所しさが何処となく雰囲気で漂っていた。


倫太郎は虫かごにそっと近づくと、心の中でかなこごめん、と謝ってかなこのしっぽを持ってぷらぷらさせた。

すると予想通りかなこのしっぽはプチっと取れて、かなこは虫かごの底にぽとりと落っこちた。


「あ、かなこのしっぽが切れたー」


「えっウソウソ、見たーい」


倫太郎の声に真っ先に反応したのは里中さんだった。里中さんにつられて、里中さんと仲良しの二、三人の女の子も倫太郎の方へとやってきた。


(よし、計画通りだ)


里中さんが移動すれば何人かの興味を逸らすことが出来るのは、何ヶ月間もこのクラスメイト達の観察を重ねに重ねてきた倫太郎にとっては、もはやわかりきったことだった。

もちろん、そんな里中さんが好奇心旺盛で大の生き物好きだということもリサーチ済みなので、カナヘビのかなこに協力してもらい陽動作戦を決行したのだ。


自分の願望のためにカナヘビを出汁に使うようなマネ、本来の倫太郎なら決してしたくはないのだが、状況が状況だ。

ライバルが多すぎる。

ここはかなこには申し訳ないが、


(みちこちゃんと僕の未来のためなんだ。許してくれ、かなこ)


と、倫太郎は泣く泣くこうするしかなかったのだ。


前に、自分一人の力ではどうにもならない壁にぶち当たった時には、人に頼ることも必要だぞ、と父に言われたことがあった。

その時は、漠然としすぎていてその言葉の意味がわからなかった。

しかし、今の倫太郎には分かる。

今がその時なのだ、と。


カナヘビの協力を得られなければ倫太郎の恋路は開けていかない状況だったのだ。

そして今、みちこちゃんの周りの鉄壁、人の輪が崩れかけている。

苦肉の策、陽動作戦が功を奏した瞬間だった。だがまだ壁は壁の役割を果たしている。

今突撃してもなかなか有利な戦況に持ち込むことは難しそうだ。


ちらちらとみちこちゃんの方を確認する倫太郎の横では、里中さんと数人の女子がかなこのしっぽを見てきゃっきゃしている。

倫太郎は、かなこのしっぽは無駄にしないう心持ちで更に鉄壁を崩す行動に出た。


「触るとまだ動くんだよ」


倫太郎は千切れたかなこのしっぽを人差し指でつついた。


「わっ。えー、倫太郎君、すごーい」


女子数人が勇者を見るような視線を倫太郎に向ける。


「私も触りたいな」


里中さんだ。

流石は里中さん、好奇心旺盛だ。

里中さんは倫太郎の返事を待たずにかなこのしっぽを右手に持った。

一際楽しそうな声が辺りに広がる。

するとそうこうする内に、またちらほらと人が集まりだした。

その中には生活係の山田君の姿もあった。

山田君は実は里中さんの隠れファンだ。

隠れ、というのはみちこちゃんの手前言い出せないというのもあるのだろうけれども、倫太郎の予想では、隣のクラスからもかなりの人気を得ているみちこちゃんでは競争率が高いので、みちこちゃんと並ぶ人気者、里中さんとも付かず離れずでいることで、どちらか有利な方を狙うという一種の二股をかけているんだろう。


だが倫太郎からしてみれば、ろくすっぽ取柄もなく話も面白くない山田君が、里中さんならイケる...かもしれないと考えることが淡い幻想のような気がしてならない。

里中さんに釣り合う人間になるには相当な努力が必要だろう。

勿論それは、みちこちゃんと釣り合う男を目指す自分にも当てはまることだと倫太郎は重々承知している。


だから日々の努力は怠らない。

毎日寝る前に腹筋背筋腕立て伏せはかかさないし、嫌いなピーマンも五回食卓に出されれば、一回は食べるようにしている。

これを五回中五回食べられるようにするのが今後の課題だ。


(みちこちゃんみたいにか弱い女の子を守るためにはやはり筋肉をつけないとな)


そのためには嫌いなものも食べなくてはいけないしトレーニングも欠かせない。

倫太郎は割と小柄なので、人一倍の努力が必要だ。

また男には知的な面も必要不可欠なので、勉強も頑張らなくてはならない。


みちこちゃんと出会う前、四年生までは、こんなこと考えたこともなかったので、宿題を出されてもやっていかないこともあった。

しかし五年生になってからは宿題を忘れたことは一度もない。

確かに勉強は得意な方ではないが、こんな試練みちこちゃんのためならなんのそのだ。

これぞ愛の力だ。


(僕には取柄もないしな)


倫太郎の家はお世辞にも裕福とは言えないが、それでも何不自由なく暮らしている。

それは確かに満たされた生活と呼べるものなのだけれど、そこに慣れ、平平凡凡と生きてきた(と倫太郎は感じている)自分には、これだけは誰にも負けないと、胸を張って、目を輝かせ、凛とした声で断言できるような、いわゆる一芸といったものが、ない。


この際、贅沢は言わない。

単なる特技、ちょっと得意、どちらかといえば得意、程度のものでもいい。

それさえも、ない。

自分では得意とは思っていないのだけれど、意外と上手なんだね、と他人から言われるようなことなら、と考えを巡らせてみるものの、それもどうかな、やはり思いつかない。


だからこそ倫太郎は、自分の努力で改善できることは、とにかく何でも努力しようと心に誓ったのだ。

とはいえ、倫太郎くらいの年で才能を開花させ、一芸に秀でた人間も、めったにいないと思うのだが、倫太郎はとにかく気真面目で深刻になりやすい性質なので、その事実に気づかない。


(みちこちゃん、僕、みちこちゃんに相応しい男になるために頑張るから、それまで待っててね!)


倫太郎がみちこちゃんへの熱い思いを胸に闘志を燃やしているうちに、人の輪はかなこの方へと移ってきていた。

みんな取れたしっぽにも興味津々だが、しっぽの再生がどのように行われるのかを見たいようだ。

山田君も里中さんとかなこのしっぽについて熱く語っている。

山田君も里中さんも好奇心旺盛なところは似ているので、意外と良いコンビかもしれないな、とも思いつつ、倫太郎はそっとその輪を離れてみちこちゃんの方へと移動した。


(かなこ! 本当にありがとう!)


ちゃんとかなこへの感謝も忘れない。

みちこちゃんの近くに残っていたのは、図書委員の田中君と女子二人だけだった。


「おはよう、みんな、それにみちこちゃん」


と、倫太郎。

みんなはそれぞればらばらにおはようと返す。

みちこちゃんも倫太郎を見てにこっと笑う。

倫太郎には、このみちこちゃんの微笑み以上に愛しいものはない。


(今日もホントにかわいいな、みちこちゃんは)


口に出せたら良かったのだけど、さすがにこんなキザな台詞を恥ずかしげもなく言えるほど倫太郎は擦れていない。

みちこちゃんに微笑まれただけで耳まで真っ赤になる。


「あ、倫太郎君、顔赤い。かわいい」


からかう言葉にも返す言葉がない。

横にいる田中君の顔は見えなかったが、明らかにむっとする気配が感じられる。

女子にかわいいと言われて赤くなっていると思ったのだろうか。

思えば田中君は事ある毎に倫太郎をライバル視してきたような気がする。

五年生になったばかりの頃は、氏名順に席が決められていたため、田名君の前がちょうど倫太郎だった。

席が前後だと何かと話し掛けやすく、倫太郎の方はよく田中君に話し掛けており、二人はすぐに仲良くなった。


しかしそれも束の間、倫太郎が足も速くサッカーが得意で宿題もしっかりやってくる優秀な男子で、先生からも女子からも高評価であることがわかってくると、次第に田中君は倫太郎を目の敵にするようになった。

ただ倫太郎自身は、どうして田中君が自分に敵意を抱くようになったのか、気づいていない。

また、倫太郎のこれらの努力は全てみちこちゃんに相応しい男になるという目的で行っているので、本人は周りからかなりの好感を抱かれていることにも全く気が付いていない。


今の彼は、みちこちゃんと風呂上がりのアイス以外興味がないのだ。

誰に好かれようと、嫌われようと、どうでもいいのだ。


「わたし、倫太郎君のそういう純粋なところ、かわいくて好き、だな」


と小さな声で、これは田中君の横にいる池内さん。

池内さんの声はか細かったが、周囲に人が少なかったため倫太郎にも聞こえた。

その発言に驚いて、皆して彼女の方に目をやると、すぐに倫太郎よりも頬を赤らめて、持っていた本で顔を隠してしまった。

池内さんは引っ込み思案で大人しい女の子だが、倫太郎や田中君とは比較的よく話している。

殊に倫太郎には打ち解けやすいのか、親近感を持っていて、事ある毎に倫太郎の方に寄って来る。

倫太郎自身大人しい方なので、池内さんとは気が合って話しやすかったりする。

すると、田中君が口を開いた。


「おい、倫太郎!お前なんでそんなに俺と張り合おうとするんだよ」


「え?」


それは予想外の問いだった。

そして何より唐突だ。

倫太郎にそのつもりはさらさらなかったからだ。

ただ間違いなく、先刻の池内さんの発言を受けて田中君は気分を害したのか、眉間にしわを寄せて、はっきりと嫌悪の感情を露わにしている。

今まで和やかだったその場の雰囲気もさーっと曇っていく。


「僕はそんなつもりないんだけど・・・」


「だったらなんでいっつも俺にくっついてくるんだよ。体育の時なんかそうじゃないか。ドッチボールでもそうだし、サッカーでも。美術の写生大会の時だってそうだ。・・・い、池内さんと俺が話してる時も、すぐ割って入ってくるしさ。そんなに俺と張り合いたいのかよ!」


強い口調に少し焦りを感じ、倫太郎も焦って口を開く。


「ご、誤解だよ。体育のはたまたまだし、写生大会の時だって僕以外にも田中君の近くで描いてる人、いっぱいいたよ」


「いや、嘘だ! 体育も美術もどっちも僕の苦手な教科だから、僕に自分との差を見せつけてやろうって魂胆なんだろ! そんなことまでして、い、池内さんにいいとこ見せたいのかよ!」


「え? ち、違うよ」


山田君があまりに大きい声を出すので、カナヘビのかなこの周りにいた人達までこちらを振り返りだした。

今まさに登校してきた人たちも、クラス内の不穏な空気を瞬時に察しとり、ドアの辺りでおろおろしている。


(ど、どうしよう・・・。朝からこんな話になるなんて。それに、田中君はもしかしてみちこちゃんじゃなくて池内さんのことを・・・? だから怒ってるのかな?)


みちこちゃんの方を見るとみちこちゃんもすっかり笑顔を失って、心配そうにこちらと田中君を交互に窺っている。


(もうすぐ先生も来ちゃうし、ここは何とか誤解を解いてみちこちゃんを安心させないと)


「今だってわざわざ池内さんと俺のとこに割り込んできて、かわいさアピールだろ? そんなの、見え見えなんだからな!」


「違うったら!」


誤解を解いて不穏な雰囲気を和ませたいという焦りに田中君の大声が加わって、ついつい倫太郎の声も荒らいでしまう。


「僕はただ、みちこちゃんと一緒にいたかったからここに来ただけで、池内さんのことなんてどうとも思ってないよ! 体育も美術も僕だって苦手だけど、少しでもみちこちゃんに相応しい男になるためにがんばってやってるんだ! 池内さんのこと意識してやったことなんて、これっぽっちもないもん!」


「!」


言ってから二重の意味でハッとする。

この言い方では池内さんなんて眼中にありませんと言っているようなものだ。

それにみちこちゃんの前で、この発言はまずい。

これでは完全に愛の告白だ。

それもクラス全員が注目する中、こんな大声を上げたらみちこちゃんも気まずいだろう。


(あー・・・僕はなんて馬鹿なんだ)


言ってしまってから悔やんでももう遅い。

田中君もぽかんとしている。

こんなにもはっきりと池内さんに興味がないことを言われて呆気にとられているのか、はたまたみちこちゃんへの愛の告白をクラス全員の前で行う倫太郎の勇気を称賛し、尊敬の眼差しを向けているのか、もしくは倫太郎の負けん気の強さに愕然としているのか、そこは倫太郎には区別がつかない。

当の池内さんはというと俯いて押し黙っているようだが、怖くて池内さんを直視できない。


(うあ~・・・どうしよう)


「そんな・・・」


池内さんの言葉に被さるように、チャイムが鳴る。

ちょうどチャイムにかき消されて池内さんの言葉は聞き取れなかった。

皆はおろおろしながらも、席にぽつりぽつりとつき始めた。遠くから先生の足音も近付いてくる。

かなりの早足で上履きをきゅっきゅっと鳴らして歩くあの音は、倫太郎のクラスの担任江島先生に違いない。

皆もその音を聞いて徐々にかなこやみちこちゃんの周りから去っていく。

田中君と倫太郎、そして池内さんの三人を除いて。


「よーし、みんな。席についてー」


明るい声が教室を席巻する。江島先生だ。

男っぽい喋り方と豪快な性格は、まさに日本男児そのものだ。

決断力もあり、行動力もある。

これだけ包容力ある先生なら後輩からもよく慕われているだろう。

ただ、どういう訳か(あるいはそのせいか)恋人は出来ない。江島先生曰く、今の日本の男どもの器では私のような完全無欠の鉄の女は手に負えないのよ、ということらしい。

なるほど、確かに先生の恋人を想像しようとしても、なかなか出来ないものな、と倫太郎は妙に納得した覚えがあった。


「あれ? どうしたの、田中君、倫太郎君。それと、池内さん・・・?」


「えっと・・・」


「・・・う」


池内さんは俯いて返事もしない。

田中君は悔しそうな、また恥ずかしそうにも見える表情で沈黙し、倫太郎は茫然と立ち尽くす。

みちこちゃんもしゅんと頭をもたげ、彼女の視線は床の辺りを何度もなぞっている。

江島先生も朝から生々しい四角関係を目の当たりにして、どうしたものかと田中君と倫太郎を交互に見ている。

この恐ろしい状況を、泥沼と呼ばずして何と呼んだらいいのか。


確かに田中君とは臨戦態勢にあったことは既知の事実だ。

しかしそこに予想外の池内さんが加わって、状況はもはや倫太郎の手に負える範囲を超えてしまっている。


(うあーん、どうしたらいいんだ・・・。うーん・・・、お父さん! この問題は“びやんど・みー”だよ!)


倫太郎が言いたいのは、This problem is beyond meである。

倫太郎の父はこのフレーズをよく使う。

よほど気に入っているのか、自分が窮地に追いつめられる度に、この言葉を嬉々として使っている。

そのためこれを言いたいがためにわざと自分を追いつめているんじゃないかと思うほどだ。


と、突然、


「う・・・」


「・・・う?」


「うさぎに負けるなんてー!」


池内さんは大声を上げて教室から出て行った。


「え? い、池内さん?」


「せんせーい。高橋が池内さんをこっぴどくフリましたー」


「えぇ?!」


席についている生活係の山田君が声を上げる。


「ありゃー。なんだ、どうしたの、倫太郎君。女の子を泣かせるのは良くないぞ」


先生が教壇を下りてこちらへ近づいてくる。

ふわふわ栗毛のみちこちゃんの首根っこを掴んで抱き上げる。


「池内さんが言ってた、うさぎに負けたって、この、うさぎのみちこちゃんのことかな?」


「そうでーす」


だんだんと教室内がざわついてきた。

周りの声が大きくなるのに反比例して、倫太郎の顔は青ざめていく。

倫太郎としては、自分の恋心は露呈するわ、何故か自分が池内さんをフったことになっているわで、朝からヤマ場を迎えている訳だが、周りからしてみるとこんな恰好の話のネタはない。


「そうか、倫太郎はみちこが大好きなんだな」


「・・・は、はい」


見れば横に立つ田中君も、似たような表情を浮かべている。

僕は先生の腕の中で丸くなるみちこちゃんをちらっと窺う。

江島先生の腕の中は相当居心地がいいのか、みちこちゃんは気持ちよさそうに目を閉じていた。


「まぁ、倫太郎がみちこのことを好きなのはよくわかったけど、池内さんを泣かせたのはまずかったかな?」


「・・・は、はい」


返す言葉もない。


「よし。じゃあ、迎えに行って来なさい」


「はい・・・」


倫太郎は返事をしてから、一人で池内さんを迎えに行くことに不安を覚え、ひょっとしたら田中君が助け船を出してくれるかもしれない、とほんのちょっとの淡い期待を持って田中君の方をちらりと見やった。


「田中君は関係ないから一人で行くんだよ」


笑顔で先手を打たれてしまう。

田中君はというと先生のその言葉に救われて、そそくさと自分の席に戻っていく。

今日ほどその後ろ姿を羨ましく思ったことはない。


「倫太郎君、返事は?」


「・・・はい」


小さく返事をすると、クラスメイトの、冷やかしなんだか応援なんだかよくわからない声に押されて倫太郎は教室を後にした。


読んでいただきありがとうございました(*´ω`)

倫太郎の学年を間違えてたので、修正しました(´ω`)

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