第一話『少年の朝は早い』
愛を謳った歌を熱唱した後に「リア充爆ぜろぉぉおおおお!!!」って言うのにハマっている今日この頃。
ベーコンを二枚並べ、その上に卵で綺麗な月を出現させる。蓋を閉めてその場を離れ、先ほど沸いたポットのお湯をコップの中に注げば、コーヒーのあの渋い香りがまだ寝起きの俺の鼻腔を擽った。
「……おはよー兄ちゃん」
「おはよ。あ、お前今日弁当要らないよな?」
「うんー要らない」
ペタペタと足音を鳴らしながら、まだ半分寝ている妹がリビングに姿を現した。
俺のジャージを着ているせいで、ぶかぶかな服は彼女の色気を最大まで強化する。その上、なぜかズボンを履いていない。
パッと見ればただの痴女である。しかしまぁ、妹と言うものはおかしな事に、なぜかアレやコレやと言った感情は湧き出てこない。思う所があるとすれば「コイツ、学校で卑猥な事をしていないだろうか……」と言った母ちゃん目線しかない。その母ちゃん目線もそろそろ仕事を放棄し始めたのが今日この頃。
放って置くと、彼女は起きて来るなりソファーへとダイブし、二度目の睡眠の準備を進めようとしていた。猫のように丸くなり、枕を体で覆い掛け布団のように仕立てる。
が、さすがにそんな状況は俺の死にかけの母ちゃん魂が黙っていない。
「できたぞ朝ごはん」
目玉焼きと買い置きのクロワッサンを皿に乗せ、コーヒーを隣に置けばウチの手抜き朝ごはんの完成である。
彼女は意識をどこか遠くに飛ばしながら、テーブルに座り朝食を食べ始めた。
それを見て俺はコーヒーを口に含んだ。
まったく……。こんな家庭的長男がこの世界にどれだけいるのだろうか。もしや俺って、専業主夫の才能ハンパじゃないのでは?
そろそろ黙っておこう。お母さん部隊がマシンガン持って追いかけて来そうだ。
寝起きテンションで馬鹿な事を考えながら、俺はいつもよりゆっくり朝食を食べ始めた。
これが黒垣家の朝である。
のんびりぐだぐだと、亀のように進む朝だ。
ーー
「じゃあ行ってくる」
「おう。行ってらっしゃい」
地下鉄の中で軽く挨拶を済ませ、妹━━━━黒垣菜乃花はスタスタとエスカレーターの方へと向かって行った。
近所の駅から二つ先の駅で彼女は降り、五分ほどの場所にある私立の中学校へと毎日通っている。
一方、俺の方はもう二駅先だ。朝は一緒の時間でも間に合うし、帰りも稀に一緒になったりするので不便ではない。
完全に母性丸出しじゃねぇか。俺もしや主夫力高め?
電車はそんな俺の気すら知れず、ガタゴトと終点を目指し突っ走る。
一度止まり、軽くシャッフルタイムを行なってまた走り出す。今度は俺が電車から降ろされ、走って行く電車を横目にエスカレーターの方へと向かった。
改札を出て、同じ服を着た生徒が同じ方向を向いて歩いている。今日は新年度の始業式、新しいクラスが発表されるので皆期待半分不安半分って所だろう。
無論、俺も少しばかり期待しているのは認めよう。可愛い子いないかな……。
「一緒のクラスだったらいいね♡」
「あぁ、俺も桜と一緒がいいな♡」
前から聞こえてくるイチャイチャカップルのクソしょうもない会話に聞き耳を立てながら、俺はトボトボと学校へと向かって行く。
あんなでっかい声で一緒になりたいとか言うなよ。新手の精神攻撃か。
ホントもう違うクラスになれ、永遠に!そして離れ離れとなって別れるがいい!!
暗黒神にでもなれそうな高笑いを内心で全力で演じるが、数分で賢者モードに戻りさっきまでの自分が恥ずかしく感じる。
かれこれ十八年間生きているのに、全く学習していない。ま、青春を謳歌していない男子高校生なんてこんなもんだろ。
ーー
二年間も同じ道を歩き、今年でもう三年目。
この桜を始めて見た俺はどれだけ初々しかったのだろうか。
校舎の前に咲き誇る満開の桜を見ながら、懐かしいあの頃の情景を思い出す。
今年でこの学校ともお別れ、今度はどこか遠くの大学へと行きたいモノだ。
クラス発表までまだ少し時間があるので、校舎裏にある自販機でホットの缶コーヒーを一つ買う。
いつもならうるさいヤンキー共がこの辺で溜まっているのだが、今日は珍しく誰もいない。始業式だからか、クラス発表だからか。どちらにせよ、最近のヤンキーは中々子供っぽいな。
逆説的に言うと、今ここにいる俺は大人っぽいということになる。ブラックを飲んでるから尚深みがある。
屋根の所に付いているスピーカーがジジジっと音を立てた。もうすぐチャイムが鳴る合図だ。
俺は勢いよくコーヒーを飲み干し、ゴミ箱の中に缶を突っ込んでから体育館の方へと足を向けた。
さて、知っている人はクラスにいるのだろうか。
「━━━━━━━誰だコイツら……」
体育館の中に張り出されている『3-4』のクラス名簿を見ながら、俺は深く低くそう零した。
右から13番目に俺の名前が載っている。しかし、俺の左右、いや横一列全て名前を見た瞬間に顔が思い浮かぶ人がいない。
三年生だから。もう今年で最後だから。
なんて頭の中まで花畑だった俺が悪かった。
現実を見ろ、俺。
お前はボッチだろ。
「忘れてた。現実は残酷だったな……」
そう。現実とは残酷極まったモノである。
「夢に逃げるな!」「努力で戦え!」なんて暴論、無茶振りだ。
青春?恋?ンなもん他所でやれ。
アレらは誰かが作った『夢』であって、現実であんなピンク色に輝いた物語は存在しない。
あんな全てが幸せに進み、最後がハッピーエンドで終わると決まっている夢物語など存在しない。そっちの方こそ現実逃避に近いものではないか。
隣や後ろ、前で聞こえて来る歓声やら泣き言やらは俺の耳には入らない。
俺は鞄を背負いながら、指定されたクラスへと向かう。騒ぎ声で一杯の体育館とは打って変わり、校舎の中は至って静かである。
職員室の前を通り、階段に足を掛けゆっくり二階へと登る。
こちらも静寂に満ちていた。
一人でクラスにいると変な噂を立てられるに違いない。時間を見計らってトイレにでも行くかと、クルッと足の向きを変えた瞬間。
ギャーギャーと喧しいJK数グループが階段を登って此方へと歩いて来ていた。
本当に俺は運が無い。
彼女達を見つけてから次の行動に移すまでの数秒間で、俺はそれを何百回と嘆いた。
コレもボッチ故の結果である。
無意識の内に踵は返り、俺は『3-4』と書かれた教室へと静かに向かう。
少しばかり、今後の展開で俺の青春物語の一ページ目が刻まれるか、と期待した自分がいた。
その期待は、現実と言う名のラスボスにスライムの如く抹殺される。期待、希望。そんな淡い夢のような願いが、この世界で通じるわけがないのだ。現実なんてそんなもの。
一瞬は、遠くでは綺麗に見えたとしても、実際に足を運び近くまで来た瞬間、さっきまで美しく綺麗に見えた宝石はただの石ころだと気づくのだ。
それをもう何千回と繰り返しても、遠くに見える石ころはなぜかダイヤモンドのように綺麗に見えた。