第3話 消えてしまう人
今回に限り、鞍馬は非常に気乗りがしないようだ。
いや、ミスターみたいにいつでも「いぇーい! やってやろうぜ!」とノリノリって訳ではない人物なのだが。
けれど、前回は「私にも危ない橋を渡らせて頂けますか?」とまで言ってのけたほどの度胸のあるヤツなのに。
「私は日曜日の夜しか来られませんので」
「次の日に差し支えますので」
いや、タイムマシンなんだから、日曜日の夜に出て、日曜日の夜に帰ってこられるって。
次の日が心配なら、日曜日の朝に帰ってきて休憩すればいいんじゃない?
そんな感じに誰もが何度お誘いをしても、「いえ」と、否定の言葉しか返ってこないのだ。
大人たちはそこまで否定するなら、と、無理強いはしないつもりだったが、1名だけ、どうしてもあきらめきれない者がいた。
「ねえ、どうして? きっと楽しいよ、タイムトベラベル。ぼくね、すごーく嬉しいんだ、皆で2000年も昔に行けるんだよ? どうして? 鞍馬さん、一緒に行こうよ」
「玄武、もうやめなさい」
やめなさいとは言うものの、龍古もあきらめきれないのはその口調に感じられる。
「玄武くん、ごめんね」
最後は泣き顔になって言う玄武から視線を外して、頭を下げる鞍馬。
たいていの子どもなら、ここで泣き叫んででも連れて行こうとするのだろうが、玄武はなんとか自分を抑えて納得しようとする。
そんな気持ちが誰よりもわかってしまう鞍馬は、ある日、こっそりと東西南北荘に連絡を入れた。
「トラさんとおふたりだけで話しがしたいのですが」
快く了解したトラばあさんは、土曜日の夜、「桜子の所へ行ってくる」と言い残して……、実際に桜子のお屋敷にいた。
「お待たせしました。遅くなって申し訳ありませんでした」
時間はもう深夜である。鞍馬は店が終わってから、車を飛ばしてやって来たのだという。
「お前さん、大丈夫かの?」
「はい、ご心配には及びません」
そこへ桜子もやって来て、興味津々と言う感じで話しに加わった。
「桜子、邪魔邪魔」
「いえ、私がお呼びしました」
「はあ?」
桜子は「そう、直々のお呼び出しよ」とかなんとか言いながら、嬉しそうに深夜の会談に参加したのだった。
翌日、夕食を作りに現れた鞍馬は、いつもなら飛んで出てくる玄武がいないことに少し寂しそうな顔をする。
「あの、鞍馬さん、ごめんなさい」
やって来た龍古が変わって謝るが、そのあと、鞍馬に手招きされて何かを耳打ちされた龍古は、「ホント?!」と言いながら、風のように自分の部屋へと駆け上がっていった。
しばらくして。
「鞍馬さん!」
玄武が猛烈な勢いで掛けてきて、鞍馬に飛びついた。
「一緒に行ってくれるって、ホント? ほんと? 本当に?」
「はい」
「やったあー!」
玄武は鞍馬に抱っこされながら、バンバン弾みだした。
「こら、鞍馬さんがつぶれちゃう。ミスターじゃないんだから」
「あ、ごめん。でもさ、でも、嬉しいんだもん」
そこへやって来た雀も心なしか嬉しそうだ。
「そうよねえ、鞍馬っていざって時に頼りになるってかんじ」
「はは、まあ、わしの甥っ子よりはるかにな」
その日の夕食は、興奮した玄武のひとり舞台だったのだが。
実は、なんと今回の主役が、タイムマシンに乗るのを断固拒否している。元はと言えば、彼の夢から始まった騒動にもかかわらず。
「鞍馬が乗るって言ったって、俺は断じて嫌だからな! だったら俺だけまた夢で行く。そうだよ、それがいいよな、うん!」
「ばかもん。そんな都合良く、行こうと思って行けるもんかね。それにお前さんが行かなくてどうするんだい」
「そうだよ、せっかくだから一緒に行こうよ、バンちゃん」
万象だった。
彼は完全なる文系の人で、時間空間を飛び越える装置なんて絶対にあり得ないと思っているガチガチ頭だ。若いくせに珍しい絶滅危惧種だ。
「バンちゃんてば、自分は寝てる間にあっちへ行ってたじゃない。それとおんなじよ」
「同じじゃない!」
こっちは玄武が泣こうが何しようが、首を縦に振る気はないらしい。けれどやはり玄武に泣かれるのは辛いらしくて、涙目になる玄武から逃げるように、プイ、と外へ出て行ってしまった。
「バンちゃん」
追いかけようとする龍古を止めて、「私が」と、鞍馬が後に続いて外へ出て行った。
「万象くん」
トラばあさんのガラクタの上で体育座りしている万象を見つけた鞍馬は、微笑みながらガラクタの山を登り、同じようにそこへ腰掛けた。
「鞍馬が説得してもダメだぜ。それに鞍馬だって最初は渋ってたじゃないか。玄武はちょっと、……かなり可哀想だけど」
「そうだね」
しばらくすると、鞍馬は静かに聞いた。
「夢で行くならいいけど、機械はダメなの?」
「俺はさ、完全に文系なんだ。そんなわけのわかんない機械、怖くて怖くて仕方がない。だったらもう今回のこと解決しなくても、我慢するよ。俺は鞍馬みたいに、きちんと理論だかなんだかを理解してないもん」
「私だって全部わかってるわけじゃないよ。私もどちらかと言えば文系だから」
「へえ? じゃあタイムマシンの原理、どれくらいわかる?」
「7割から8割? くらいかな」
「そんだけわかんのかよ」
万象は、またすねてプイ、と横を向く。苦笑いした鞍馬は、少し気を引き締めると話しを続ける。
「だけど、2割もわからないことがあるというのは、やはり怖いね」
「だったらなんで」
「機械の事はよくわからないけど、トラさんの事は信頼してる」
キッパリと言い切った鞍馬の顔を、ハッとして見る万象。
「万象くんはトラさんの事を信用してないの?」
「い、いえ……」
じっと見つめてくる鞍馬の目は、万象の心を試しているようだ。いや、俺だって、俺だって、トラばあさんは信頼してるよ。
「だったらなんで?」
心を読んだように、さっきの万象と同じ問いをしてくる鞍馬。
「なんで、だろ」
考え込む万象を優しく見つめたあと、鞍馬はすっと立ち上がった。
「じゃあ私は片付けに戻るよ」
鞍馬が去った後、膝の上で交差した腕に顎を乗せて、万象は長いこと考えにふけっていた。
「俺も、乗せてって下さい」
翌日、かなり意を決したように言う万象の姿があった。玄武は、違う意味で涙を流して喜んでいる。
ふんふん、と納得した様子のトラばあさんは、にんまり笑うと今後の予定を次のように発表した。
「えーと、まず、出発は今度の日曜日。これは鞍馬の予定に合わせてだ。で、あっちの事情がわかったら、一度こちらへ帰ってくるかもしれないと思っておいてくれ」
「何度も乗るのかよ」
ゲッという顔をして、思わずつぶやく万象。
「当たり前だろ。行ったっきりになるつもりだったのかい?」
「いえ、さすがにそれはちょっと」
思わず手を振る万象を見て、微笑み合う龍古と玄武。
「ミスターは? ちゃんと日曜までに帰ってくるの?」
雀の疑問に答えるように、ミスターは次の日、「変わった知り合い」を何人か連れて帰ってきた。
彼らはその道のプロ。タイムマシンの最終調整に力を貸してくれる者たちだ。
「オオー! 〔ナントカカントトカ!〕」
「〔ナーントトカー、カーントトカー)〕
カッコの中は、万象が聞いたそのまんま。彼らは万象が聞いたことのない言語で喋っている。
「〔ナントトカカントカ?〕」
ミスターが同じ言葉で喋るのは、まあわかる。
けど!
「〔カントカ〕」
トラばあさん! あんた何者?
「〔ナントカ〕」
そ、そうか! 玄武も各国語ペラペラだった。
「ちょっと聞いて良い? 玄武。今の、何語?」
「うん? ポーランド語」
「へえー、そっか」
さすがに雀おばさんはわからないらしい。
鞍馬も、「ポーランド語ですか、さすがに私のでは古すぎますかね」と謎の発言のあと少し考えて、
「Excuse me」
と、流ちょうな英語で喋り出した。
みんなすげえ。
やっぱり勉強しようかな、とか、真剣に考えた万象だった。絶対しないけど。
彼らは、しきりに自分たちも乗っていきたいと言っていたのだが、皆、超過密スケジュールの合間をぬってやって来た人ばかり。調整を終えると、全員がその日を待たずに、名残惜しそうに元の仕事へと戻っていった。
そしてとうとう日曜日がやって来た。
「皆、準備はいいかい? では、2000年地球の旅、行くよー」
トラばあさんの操縦で、時空間移動装置は稼働を始めると、あっけなく時間をさかのぼりだした。
「バンちゃん、大丈夫?」
装置の中はかなり広くて、椅子やソファも設置されている。どう考えてもタイムマシンではなく、どこかのモデルルームのリビングにいるようだ。ただし、稼働してから続く微妙な揺れと、モニターに表示されている西暦の数字が少しずつ減っていくのが、これがタイムマシンだとわからせてくれている。
万象は稼働するまで青い顔をしていたのだが、モニターが動き始めると、嘘のように落ち着きを取り戻した。
「大丈夫です。あれ、なーんだ、こんなに快適なもんなんだな。今までの俺は何だったんだろ?」
その変わりっぷりに苦笑する面々。けれど、数字が1700年代に入ると、今度はなぜかトラばあさんが落ち着かなくなった。
「どうしたんだい、伯母さん」
「え、いや、何でもないよ」
「も、もしかして、機械に異変が……」
また青くなる万象をトラばあさんがなだめる。
「いや、順調過ぎるくらい順調じゃよ」
と言いつつ、なぜか落ち着かないトラばあさんだったのだが。
それは唐突にやって来た。
「あれ、鞍馬さん、なんか変、じゃない?」
最初に気づいたのは龍古だった。
モニターが1600年に近づくと、なんと! 鞍馬の身体がうっすらとすけはじめたのだ!
けれど、なにも言わずにただ微笑むだけの鞍馬。
「え? ちょっと、なに?」
「鞍馬さん?」
「あれれ、鞍馬?」
「鞍馬! どうしたんだよ!」
万象がどんどん薄くなる鞍馬をつかもうとして、思わず席を立つ。
けれど、モニターが1589を示したところで。
ほんの少しのお辞儀姿を残して、鞍馬はタイムマシンから完全に姿を消してしまったのだった。
「くらま!」
呼んでも返事は帰ってこなかった。
玄武がしゃくり上げている。
「……僕が、僕がいけなかったんだ。無理矢理鞍馬さんに、タイムマシンに乗ってなんて言ったから。う、ヒック、鞍馬さん」
「いや、だから、違うと言っておるじゃろう。鞍馬は身体の構造上、でじゃな」
「うわあん」
その何日か前、深夜の会談で鞍馬は、トラと桜子に自分の事を打ち明けていた。
「千年人?」
「千年生きるの?」
「はい」
鞍馬は地球に住むほとんどの人とは、人生のスパンがまったく違う人種なのだ。その寿命はおよそ千年。
どうやって現れるのかは彼ら自身にもわからない。けれど、あるとき突然現れて、千年後には消えてしまうのだ。跡形もなく。
「ですから、たぶん2000年前の世界に、私は存在できないはずです」
「な、どうして? さすがにタイムマシンに乗ってれば、大丈夫なんじゃない?」
「私たちは皆さんのように、連綿と命を繋いでいく訳ではありません。私単体で存在して、その幅は今現在を前後にほぼ千年。ですから、私が現れた1600年頃以前の時代には、私はいないはず、です」
訳がわからない、と言うようにトラを見る桜子。
だが、トラにはぼんやりとだが、鞍馬の言うことがわかるような気がする。
「で、そんな大事な事をわしらなんかに打ち明けるって言うのは、よほどの事かいな?」
「よほどと言うわけでもありませんが。ただ、私が消えてしまうと、玄武くんが責任を感じてしまうと思うので、どうか心配しないように説明して頂きたいのです」
「玄武のため、か」
「はい」
鞍馬は玄武に納得してもらうためにタイムマシンに乗る決意をしたのだが、自分が消えればそれもまた玄武には負担になるだろう。自分は死んだりいなくなるわけではなく、ただ単にそれ以上昔には行けないと言うだけなのだ。
かなり考え込んでいたトラだったが、ならば当日までそのことは伏せておく事と、消えたあとの対策を話し合った。
「今言うと、また混乱だらけじゃからな」
「はい」
と言う経過だったのだが、泣きじゃくる玄武を見て、やっぱり言っておけば良かったかなー、とほんの少し反省し始めた所で。
「?」
玄武がふっと顔を上げた。
「鞍馬さん?」
まわりの皆が、えっと言う顔をする。
「玄武、お前とうとう幻聴が……」
と言って玄武を抱きしめようとした万象の耳にも、「幻聴ではありませんよ」と言う鞍馬の声が聞こえてきた。
「おわ! 鞍馬! お前生きてたのか」
万象の言いぐさに、フッと苦笑するような声が漏れる。トラばあさんはホッと息をついて言った。
「遅かったぞ。どうしようかと思っておった」
「申し訳ありません。機械の扱いに少し手間取りました」
「そうか」
すると、ほけっと話を聞いていた玄武が、勢い込んで話しに割って入った。
「鞍馬さん! どうなっちゃったの! どこにいるの!」
「玄武くん、ごめんね。私はトラさんが話してくれたと思うのだけど、あなたたちとは少し違う身体で生きているんだよ。だから2000年前の世界には行けないんだ。それで途中で消えてしまって、でもこの通り、無事に東西南北荘に帰っているよ」
「そうだったんだ」
「だけどね」
と、少し言葉を切ってから、鞍馬はまた話し始める。
「途中までだったけど、タイムマシンの旅は楽しかったよ。貴重な体験をありがとう、玄武くん」
玄武はそれを聞いて、満面の笑みを取り戻した。
「うん!」
「あ、それと、ミスター」
「お、今度は俺か?」
呼ばれたミスターは、なんだろうと音声に耳を傾ける。
「そんなわけですので、残念ながら、たぶん私には、後の世代に情報を伝える、遺伝子というものはないと思います」
「!」
「鞍馬、お前」
最後に、ふっと空気が緩んだような感じが伝わってきた。
「それでは皆さん、良い旅を。美味しい夕食を準備して帰りをお待ちしております」
「へっへえ。振られちまったぜ」
「だな」
遺伝子のエキスパートもその遺伝子がなくては調べようがない。ただ、転んでもただでは起きないのがミスターだ。
「だが! 遺伝子がなくて、あいつの身体、構造はどうなってるんだあ? 帰ったらぜえーったいに血液採取してやる! 待ってろよ、鞍馬~」
燃えたぎるミスターの言葉を聞いて、この間、鞍馬の遺伝子とか言ってたのはこのことだったのか、と納得する万象と、血液採取って注射するんだよな? 絶対させないよ、鞍馬さん、安心して! と固く誓う玄武がいた。