ガチムチと空白
夕食後。
「さて、それじゃ君、鳴海君だっけ。うちの玲音とどんな関係なのかな?」
「クラスメイト、じゃなかった、恋人っす」
勢いなんかではごまかせるはずもなく、俺は玲音の父、詩音さんに話し合いという名の尋問を受けていた。
玲音は詩音さんの指示で自分の部屋に行っている。
「いやー、でもあれですね。詩音ってハイカラな名前ですよねー! あっはっは!」
我ながらふざけた態度を取っていると思う。
しかし開口一番でおちゃらけてしまったため、今さらキャラを変えるわけにもいかなくなってしまったのだ。
なんかもう引き下がれないんだ。
「……まあ娘も年頃だしな。恋人くらいできてもおかしくない、か。まさか転校してこんなすぐだとは思わなかったけどね。そしていきなりあんな現場に出くわすとも思わなかったよ、私は」
耳の痛い話だ……!
「あ、あははは。ちょ、ちょっとほとばしるリビドーがエクスプロージョンでして……」
何言ってんだ俺。
「鳴海君」
詩音さんは俺のふざけた言葉には耳も貸さずに、まっすぐこちらを見据えてくる。とうとう怒らせてしまったか、と俺は肝を冷やした。
とりあえず、ありったけの謝罪文句を準備しておく。
が、次に出てきたのは予想外の言葉。
「娘を、よろしく頼む」
「すいませんごめんなさい申し訳……あ、はい」
思わぬ流れに、俺はつい首を縦に振ってしまう。
「君も気付いてはいると思うが、うちは私と玲音の二人暮らしだ。母親はあの子が小学生の頃に事故で亡くなった」
外堀がまた一つ埋められてしまったことに落ち込んでいると、詩音さんは俯きがちに語り始めた。
ふざけていい内容じゃないことはわかったので、俺は黙って聞き入る。
「……それ以来、家のことは任せっきり。なんとも情けない話だ。これは言い訳なんだが、仕事の方が忙しくてね。構ってやることも、満足に遊ばせてやることもできなかった。だからなのかはわからないけど、玲音はとても不器用に育ったんだ」
「不器用?」
「ああ。小さい時はあの子、周りの子達からそれはそれは人気があったんだよ。頼れる姉御って感じで、男女問わずね。でもいつからか素直な感情を表に出すのが苦手になってしまったようで、だんだん孤立していって……家でも笑わなくなっていった。それでも私は何もしてやれなくてね」
そう話す詩音さんは悲しげだった。威圧感に溢れていた先ほどまでの姿は、もうそこにはなかった。
「だからあの子は、誰かに手を差し伸べられることに慣れてないんだ。まあ見た目はアレだから、下心で近づく輩はいたみたいだけどね」
不意に思い浮かんだのはあの男――管原。
しかしあいつのあれは下心だったんだろうか……?
「……玲音がなぜ君に惚れたのか、その理由は聞いていない。鳴海君がどういう人間なのか、私はよく知らない。それでも、娘が選んだ男だ。君ならあの子を幸せにできる気がするんだ」
「っ! ちょっと待ってください!」
「頼む! 私はあの子を経済的に支えることしかできない! 君はあの子の精神的な支えになってあげてくれ! あの子に手を……差し伸べてやってくれ!」
詩音さんはそう言って頭を下げた。
一方の俺は、ただひたすら戸惑っていた。
娘の選んだ男だから――そんな理由でこれほどまでに信用されるとは。
「と、とりあえず頭を上げてください」
俺の口から自然にため息がこぼれる。ここまでの信頼に足る人物じゃない。そんなことは自分自身が一番わかっていたから。
それに恋人だなんて嘘をついたが、俺は玲音のことなんて好きじゃ――
「……あれ?」
な、い、はずだ。
俺には恋なんかできない。これは……ちょっとばかり長く一緒にいすぎて、情が移ってるだけだ。
そうに違いない。
「中、今日は悪かったな……」
「いや、いいよ。ビーフシチュー、美味かったぞ」
「そ、そっか。へへっ」
結局、俺と詩音さんの話し合いはうやむやなままに終わった。途中で退屈になった玲音が割り込んできたためだ。俺ともっと喋っていたかったらしい。
楽しげにゲームのことなどを語る玲音を見て、詩音さんはどこか満足げだった。
「それじゃ」
「おう、またな、中」
「レイー」
玄関先で玲音と別れの挨拶を交わし、俺は帰ろうとした。すると、リビングの方から詩音さんが顔を出してくる。
「ちょっと近くのコンビニ行ってつまみになりそうなもん買ってきれくれ」
「はぁ? そんなもんあたしがちゃちゃっと作るよ」
「いや、今日はちょっとジャンクなものが食べたい気分なんだ。頼んだ」
「……しょうがねえなぁ」
玲音はそう言うと、靴箱を漁り始めた。玲音の視線が逸れたのを確認するや、詩音さんはこちらに向けて親指を立ててくる。どうやら俺達を二人きりにする算段らしい。
余計な気を利かせやがって。
「ほら、じゃあ行こうぜ、中」
つっかけのサンダルに足を通した玲音が声を掛けてくる。俺は軽く詩音さんに頭を下げ、そんな玲音とともに外に出た。
階段を下り、すっかり人通りの少なくなった夜の街へと繰り出す。
「なあ中、そういやさ、今日親父と二人で何喋ってたんだよ?」
マンションのオートロックの入り口を抜けるや、玲音が尋ねてきた。
これは言ってもいいものか。
「……ちょっとした世間話を」
「えー、なんだよそれ。その世間話の内容を聞いてるんですけど?」
「絶対教えねえ」
「むぅ……ケチ」
親公認! とか騒がれても面倒だからな。
「いやぁ、でもさ……ふふふっ」
「ん? どうした?」
「親父、お前のこと気に入ってたみたいだな」
「そ、そうか?」
さすが親子だ。言わなくてもわかるもんか。
「あたしは嬉しいよ。これで親公認みたいなもんだしな!」
「結局そうなるのか」
「ん?」
「こっちの話だから気にすんな」
まさかこの件に親まで絡んでこようとは、厄介だ……俺がビーフシチューに釣られたばっかりに。
管原達の件が片付いた時、きちんとこいつと離れられるだろうか?
あんなことを言われてしまった手前、そう簡単に行かないんじゃないか。
俺の頭に浮かぶのはそんなことばかり。
「……ここでその目、するんだな」
玲音が不意に呟く。
その言葉で俺は我に返った。知らぬ間にだいぶ考え込んでいたようだ。
「なーんか、傷ついちまうなー」
「この前から気になってたんだけど、その目、って何のことだ?」
全く無意識のため、わからない。
表情を変えているつもりもなかったし。
俺が疑問をぶつけると、玲音は悲しげな表情で言葉を紡いでいった。
「お前さ、たまーにすごく冷たい目をするんだよ。誰かに対して、ってわけじゃないんだけどさ……人を拒絶するような目をしてる」
「人を拒絶するって点はお互い様だろ」
「あははっ、それはそうかも。じゃあ言い換えるよ。お前は人の好意を拒絶するような目をしてる」
「どんな目だよそれ」
「んー、感覚的なものだから上手く説明はできないけどさ」
馬鹿馬鹿しい。
そう思いながらも俺は玲音から視線を外していた。これ以上、見透かされたくなかったのかもしれない。
だが、
「怖いか? 人と深く繋がるのが」
玲音は堂々と踏み込んでくる。
「お前そういうとこ、あたしと逆だよな。あたしは浅く広い付き合いが苦手だ。上っ面だけのものなら、初めからいらない。でもお前は深く狭い付き合いが苦手だ。ってか本当はあたし以上に人が苦手なんじゃねえの? 普段おちゃらけてんのも、そういう部分を隠すためだ。違うか?」
……やめろよ。
「なぁ中……やっぱりダメかな? 恋人になりたいってのは、それはそうなんだけど……そうじゃなくてもさ、あたしはお前ともっと深い関係になりたいんだよ。でもそれは叶わない、のかな? あたしじゃ――」
「着いたぞ、コンビニ」
俺は玲音の言葉を遮るように口を開く。実際にはコンビニに辿り着くまで残り十メートルほどあったが、待っていられなかった。
「それじゃ」
短く別れを告げ、俺は足早にその場から立ち去ろうとした。その背中に声が掛けられる。
「それがお前の答えか?」
俺は一瞬だけ立ち止まり、答えた。
「そうだ」
気付いた時、俺は駆け出していた。玲音から再び声を掛けられることも無ければ、俺が振り返ることも無い。
街の静寂を掻き乱すのは、足音と呼吸の音。加えて心臓の鼓動が俺の耳にやかましく鳴り響いていた。
なんでこんなに胸が痛い。
言いようのない感情を抱えたまま、俺は自宅へと飛び込んだ。
次の日、玲音は学校に来なかった。