ガチムチと偽装カップル
「ぬぁああぁあああ」
俺は教室に辿り着くなり、机に突っ伏した。体が重い。来たばかりだが、もう帰ってベッドにダイブしたい気分だ。
「どうしたんだ? なんか妙に疲れてるみたいだけど」
背後から石田が声を掛けてくる。俺は起き上がって、体を後ろに向けた。
「うおっ、すごい隈」
俺の顔を見ると、石田は驚いたようにそう口にする。
「なんせ徹夜明けだからな……」
「徹夜って? なんか課題とかあったっけ?」
「電話してた」
「電話? 一晩中?」
「おう」
「何してんだよ……」
呆れたような視線を送ってくる石田。それに対し、俺は目を逸らしながら返した。
「不可抗力だったんだよ」
俺だって望んで徹夜したわけじゃない。
「……例によってあいつか?」
「ああ」
石田の言うあいつ、とは――
「千葉! よっす!」
こいつ……鳴海玲音のことだ。
鳴海は俺と同じく徹夜明けなはず。なのにも関わらず、教室に入ってくるなり異様なハイテンションで俺の所に駆け寄ってくる。
「千葉! お前から勧められたゲームなんだけどさ、あれすっげえ面白えな! あたし今までゲームなんてほとんどやったことなかったから新鮮でさー!」
「ああーうんよかったね」
ここのところずっとこんな感じだ。しかもこの前、押しに負けて連絡先を教えてしまったもんだから、家にいる時もこいつとコミュニケーションを取らねばならなくなった。
無視すればいいだけの話だが、その分のツケは後で回ってくる。一回無視したら次の日の言葉数が二倍になった。
「ところで三面のボスがなかなか倒せないんだけどあいつの弱点ってさー」
「んー」
最近のもっぱらの話題は、ゲームについて。俺がゲームが趣味だって言ったら、こいつはすぐさまハードもソフトも一式買ったらしい。
俺の好きなシリーズを揃えるとなると、けっこうな金額が掛かる。どこからそんな金が? と尋ねたら、小遣いの貯金を崩したとかなんとか。
「なーなー千葉ー」
「んー」
「聞いてんのかー?」
「いや、眠いんだよ。お前むしろなんでそんな元気なの?」
「あたしも眠かったけどさ……お前の顔見たらふっとんじまった。えへへ……」
その顔ではにかむんじゃないよ!
「まあとにかく俺は眠いんだ。ホームルームが始まるまで寝かせてくれ」
「あ、じゃ、じゃあさ」
鳴海は鞄を床に置き、俺の机の上に座り出した。
「あたしの膝、使うか……?」
「起きてるわ」
結局寝かせてもらえませんでした。
放課後。
「おっす……」
汗を垂らし、全身に倦怠感を滲ませながら俺はオカルト研究部の扉を開いた。
部室に入ると、既に定位置に着いていた残りの二人がそんな俺に冷ややかな眼差しを向けてくる。
「遅い」
「もう帰ろうかと思ったよ」
二人して冷てえなぁ、おい。
「悪い悪い。今日は特にしつこくてな」
「まーたあの転入生? 助けたら好かれちゃったんだっけ?」
「ああ」
「ここのところ毎日じゃないか。放課後に女の子と追いかけっこなんて、なんと羨ま……じゃなかった。ほどほどにしておきたまえ」
池森のうっとうしい言葉を聞き流し、俺はパイプ椅子に腰掛けた。そして買っておいたスポーツドリンクを鞄から取り出し、口に含む。運動した後の体に水分が染み渡っていく。
「ぷはぁっ!」
鳴海には部活のことを一切話していない。
間違いなくあいつは入部を希望してくるからだ。そうなると少しめんどくさい。活動がしにくくなる。呪いのことなんて話しても信じちゃくれないだろうし。
ゆえに、用事があると断りを入れてから鳴海を撒く。これが俺の放課後の恒例行事になりつつあった。
まあ俺がオカルト部だってことは友人達からすると周知の事実なので、いつ他の人から聞きだされてもおかしくはない。でもそれまでは抵抗を続けてみようと思っている。
「それで、今日はどうするの? 最近まともに活動してないけど」
「何も無いなら僕はこれで失礼するよ。今日こそ会いに行くと花屋のアンナさんに約束してるんだ」
「まあ待て待て! 今日はちゃんと仕入れてきてるんだ」
俺がそう言うと、途端に二人は表情を変えた。言葉は発さないが、真剣な面持ちで俺に続きを促してくる。
普段は不真面目な池森と卵も、やはり心の底では呪いを解きたいと強く思っているに違いない。この食いつきを見れば一目瞭然だ。
気を良くした俺は、そんな二人にとっておきの情報を披露した。
「ここから二つ隣の町の山奥に、大地の気が集束しているエネルギースポット、龍穴があるらしいんだ。しかもそこの龍穴は特に聖なる気が強いらしい。そこに行けば俺らの呪いも解けるかも知れない」
「へえ、あんたにしてはそれらしいじゃないの」
「ああ、驚いた。明日辺り嵐でも来るかもね」
「ふふん、そうだろそうだろ」
クセ者二人が俺の持ってきた情報に感心している。俺は腕を組み、ふんぞり返った。
「ちなみにそれ、ソースはどこなの?」
「ネット掲示板だ!」
「…………」
「…………」
「ちなみにそこは私有地でセキュリティが厳しいらしんだけど、実は抜け道があって……あれ? 二人とも?」
場の空気が一気に白けた。なんだったら二人の目も白い。
「はい、解散ー」
卵が手を叩いて立ち上がると、池森もため息を漏らしながら後に続いた。そのまま二人は部屋の出口の方に歩いていく。
「おい待てよお前ら! 何が不満だったんだ!」
「強いて言うならあんたのバカさにかしら」
「何をネットの情報に踊らされてるんだ君は。ガセに決まってるじゃないかそんなもの」
「はぁ!? お前らオカルト板なめんなよ!?」
憤慨していたその時だった。
不意に、部室のドアが開かれた。俺を含む三人の視線が一斉にそちらの方に集まる。
「オカルト研究部ってのはここで合ってるのか?」
そこには、もはや見慣れた茶髪ショートヘアのガチムチが。
鳴海だ! とうとう俺の存在を嗅ぎつけてきやがったか!
「って、あれ? 千葉?」
と、思ったが、当の本人は俺を見つけて驚いた表情をしていた。どうやら俺目当てでここに来たわけではなかったらしい。
「鳴海、お前なんでここに……?」
おそるおそる俺が尋ねると、鳴海は部員全員の顔を交互に見回しながら答えた。
「ここのオカルト部は少し特殊で、悩み事とかを相談したら解決してくれるって……さっき廊下で女子が話してるのを聞いてさ」
なるほど、評判を聞きつけてきたわけか。
「……ちなみにさ、相談しに来といてこう言うのもあれだけど、なんでお前らそんなことやってんの? オカルト一切関係ないじゃん」
「やっぱり入ったかそのツッコミ」
よく言われるのだが、最初は関係あったのだ。
少しでも呪いに関係する情報を集めようと心霊的な相談を受けていたら、いつの間にかストーカーを撃退してくれとかそんなのばっかりになってただけだ。
本当は望んでないのだが、あまりに解決率が高いので今や学校中で話題になってしまっている。
これらのことを説明すると、鳴海は「へぇー」と納得したように頷いた。
「それで? お前も悩み事を打ち明けに来たわけか? 言っとくけど俺らはパワープレイしかできないんだ。恋愛相談みたいな繊細な問題は願い下げだぞ?」
たとえ解決できる能力があっても今回に至っては願い下げだ。
「まあまあ、どうせ暇なんだから話聞いてあげてもいいんじゃない?」
「暇じゃないだろ卵! これから皆で龍穴に」
「行かないから。絶対行かないから」
「なんてこった……おい池森、お前からもなんとか言って……あれ?」
見れば池森は完全に固まっていた。それも鳴海にガッチリと視線を合わせたまま。不審に思っていると、金髪のチャラ男は口を開く。
「う、美しい」
えええ……。
「お嬢さん、貴方の悩みは必ず僕達、いえ、僕が解決します。さあ中に入って。君達! 何をしているんだ! お茶とお菓子でも出さないか! 全く気の利かない連中だ!」
そういやこいつは学年が違うから鳴海のことを見るのは初めてなんだっけか。即行で口説きモードに入りやがった。俺達と鳴海の扱いの差がひどい。
「あ、お茶はあるけどお菓子は無いからねー」
卵は全く気にしてない様子で、事務的に作業を進めている。
コの字に並べられた机の中央にパイプ椅子を置き、部室の隅にある小さめの冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して鳴海に渡した。
「はいこれ。それじゃそこ座ってねー」
「え? あ、おう」
鳴海は戸惑いながらも、指示された通りにその椅子に座る。
俺は俺で、なおも「ああ、美しい……モノにしたい」などとのたまう池森の首根っこを捕まえ、いつもの位置に座らせた。
ってかこいつがそんなに言うってことは鳴海って本当にかわいいんだな。まあどうでもいいけど。
「はぁ、しょうがねえ。龍穴探しは明日に回すか」
「永遠に後回しよ、そんなもん」
俺と卵も定位置につき、いつもの隊形ができあがった。
「いいか鳴海、まず説明しておくと、俺らは無償でこんなことをやってるわけじゃない。毎度きちんと報酬を貰ってるんだ」
「報酬? って、どんな?」
「それは相談の中身による。あと実際動いてみてどれだけ大変だったかによる。つまり、報酬内容は最後の最後まで未定。ちなみに失敗する場合もあるし、途中でこっちが断る場合もある。それでもいいってやつの話だけ、俺らは聞いてる」
「……けっこうムチャな条件だよな、それ」
「あんまり軽い悩みでちょくちょく来られても面倒なだけだからな。本当に切羽詰まってるやつはこれでも平気で頼んでくるし、ちゃんと解決してさえやれば報酬の踏み倒しも少ないんだ」
「そっか……」
鳴海は少しばかり悩むような仕草を見せたが、すぐに覚悟を決めた表情で言った。
「報酬はきちんと払う。だから話を聞いてほしい」
どうやらこいつの悩みもまた、軽いものではないらしい。
「あー、ならしゃあねえな」
オカルト部のシステムについて、一通りの説明は終わった。ここからはこっちが話を聞く番だ。
「おほん。あーあーあー、よし」
その前に、俺は恒例のセリフを、渾身の良い声で今回の相談者にぶつける。
「我らがオカルト研きゅ、究部へようこそ。さあ、望みを言うがいい」
……噛んでねえし。
「へ? ……ぷっ」
鳴海はきょとんとした後、大口を開いて笑い始めた。
「アッハッハッハ! なんだよお前そのキャラ! に、似合わねー! ってか噛んだ! 思いっきり噛んだ!」
「う、うるっさい! この部をちょっとでもオカルト部っぽくしようとした結果がこれなんだよ! あと噛んでねえし!」
そう。他の二人は全く協力してくれないが、俺は一応そういう方面でも頑張っているのだ。今ではこのセリフは決まり文句。毎度相談者が来た時には言うようにしている。
あと噛みましたすいません。
「それより、お前の相談ってなんなんだ?」
「あはは……おっと、そっか」
俺が切り出すと、ようやく鳴海は本題について語り始めた。
「実は……あたし、不良に付きまとわれてるんだ」
話し始めはまだ半笑いであったが、次第にその表情は真面目なものに変わっていく。
「帰る時も学校来る時も、人通りの多い道を通らないと危なくてさ。さすがに家に来たりとか、そういうことまではまだないんだけど」
「不良って言うと、あいつらか?」
「中、知ってるの?」
「ああ。この前俺が撃退した」
「くっ、粗暴な連中め! 僕のハニーになんてことを……許せない! ついでにそれを助け出して株を上げた千葉氏も許せない!」
「話がよじれるからお前は黙っててくんない?」
俺と卵の二人掛かりで池森の口周りにガムテープを巻きつける。池森は最初は抵抗していたが、卵が「暴れたら肋骨折るよー」と言ったらおとなしくなった。
話を再開させる。
「でもそれって本当にストーカーじゃねえか。警察とか相談したか?」
「いや、あんまり大事にはしたくないんだ。親父に心配かけちまうからな」
「心配かけちまうって……お前、レイプされる寸前までいってたんだぞ? このまま放っておいて何か起きたら、それこそ心配するんじゃねえか?」
「うん……そうなんだけど、さ」
それから鳴海はしばらく言葉を濁していた。他に特別な事情があるのは明白。俺は次の言葉を待った。
するとやがて、鳴海はぽつりと呟く。
「逆立った金髪のヤツ、いただろ?」
言われて俺は思い返す。リーダー格のあの男だ。
「おお、あいつがどうした?」
「あいつさ……あたしの、幼馴染なんだよ。管原信悟っていうんだ」
「うわぁ、話がややこしくなってきた」
俺はストレートな感想をそのまま口に出す。
だってめんどくさいんだもの。
「ん? ということはお前、昔この辺に住んでたってことか?」
あの金髪不良が通っている凪高は、小中高の一貫校だ。大半の生徒が小学校からエスカレーター式に進学しているため、あいつも昔からここら辺の地域に住んでるはず。それと幼馴染ってことは、そういうことだ。
「ああ、あたしの親、転勤族だからさ。今回こんな時期に引っ越してきたのも、全部親父の仕事の都合なんだ」
おい誰だよ前の学校で問題起こしたとか言ってたやつ。
「まあ話を戻すと……お前はあの管原ってやつが幼馴染だから、警察に行くのをためらってるんだな?」
「そういうことに、なるかな」
「うーん、これは厄介だ」
俺は頭を抱えた。
管原と鳴海の間柄はわかったが、幼馴染と言ってもその距離感はさまざまだ。
あの日、どういう意図で管原は鳴海に襲い掛かったんだろうか? しかもあんな大勢で囲むようなマネして。
「お前が引っ越してきたのはいつだ?」
「ちょうどあの襲われてた日だ。懐かしいなーと思って町中を歩き回ってたら、たまたま管原に会って、それで……」
「ひと気のない場所に連れ込まれた、と」
管原に関するパーソナルな情報が少ない以上、なぜそんなことをしたのかは本人に直接聞いてみないことにはわからない。それゆえ面倒だ。
あいつは話し合いに応じてくれるタイプだろうか? そんな知性があったらあんなことはしてないんじゃないか?
「昔は、あんなやつじゃなかったんだよ」
俺が頭を悩ませていると、鳴海は悲しげに俯いた。
「昔のあいつはさ、あたしの弟みたいなもんだったんだ。どこに行くにもくっついてきてさ。そのくせ弱っちくて、泣き虫で、あたしがよくイジメっ子とかから守ってやってた」
こいつは当時からこのままだったんだろうな。などと余計な想像が膨らむ。
俺が相槌を打つように頷くと、鳴海は言葉を続けた。
「でもあの時のあいつは優しかった。花が好きなやつでさ……家の近所にコスモス畑があるんだけど、秋になるとよくそこに一緒に行ったりしてた」
「コスモス畑? あー、ここら辺の名所じゃねえか。お前あの近くに住んでたのか」
「そうなんだよ! 今度一緒に行こう!」
そこでなぜか卵が舌打ちをした。これは話題を逸らすなということだろうか。
「まあとにかく、お前は管原とその取り巻きをできるだけ穏便な方法で追っ払いたいわけだ。そんでもって、あわよくば管原を昔のように戻したい。こんな感じか?」
「……信悟に昔みたいになってほしいとは思わない。人って変わるもんだし、今のあいつもあいつなんだと思うし」
「なるほどねー、わかった。でも実際どうやって動いていいやら」
唸りながら、その方法について考えた。
いつも通りパワープレイでなんとかできそうな案件なのだが、大事にしないように、という条件がつくと途端に難しくなる。
良い作戦が全く思いつかない。
普段どんだけゴリ押しなんだよ俺。
「あのな、あたしに考えがあるんだ」
そろそろ他の部員に意見を求めようかと思い始めていたその時、若干前のめりになりながら鳴海が口を開いた。
なので、
「あ、間に合ってまーす」
とりあえず却下しておく。
「はあ!? なんでだよ!?」
語気を強め、不満そうに立ち上がる鳴海。なんでと聞かれても、理由はもはや言うまでもなかった。
「お前がすげえワクワクしたような顔してたからだ」
絶対ロクなこと言い出さない。俺の第六感が警鐘を鳴らしていた。
鳴海は慌てたように手を目の前でバタつかせる。
「いや、でもこれが一番効果的なんだよ!」
「……参考までに聞いとこう。その考えって?」
俺が尋ねると、鳴海は一つ咳払いをしてから言った。
「あたしと千葉が恋人になればいいんだよ!」
「ぶふっ!」
「モゴ!?」
その表情は輝きに満ちている。
鳴海の発言を耳にして、卵は思い切り吹き出し、池森はぐるぐる巻きのガムテープの下からくぐもった声を上げた。
ほら、だから嫌だったんだ。
「つっても、相談にかこつけて千葉とそういう関係になるのはあたしとしても不本意だ。千葉のことは正々堂々、正面から振り向かせたい。だからとりあえず恋人のフリってことで」
「ちょ、ちょっと待って! なんで中があなたと恋人のフリをすれば問題が解決するわけ!?」
「モゴゴ!」
卵が血相を変えて問いかけた。池森はそれに同調するように何度も頷いている。
「千葉はこの前、あいつらのこと追っ払ったんだ。しかも無傷で。一緒にいれば優秀なボディガードになるし、それにあいつらもあたしが彼氏持ちと知ればそのうち変な気起こすこともなくなるだろ。なにより……こうすればずっと千葉のそばに居れるしな……へへ」
「明らかに最後の理由がメインじゃないの! そんな不純な作戦、認めるわけにはいかないわよ!」
「モゴ……ぷはぁっ! そうですよお嬢さん! 恋人のフリならばこの僕が引き受けましょう! この男は貴方にはふさわしくない!」
あ、池森がとうとうガムテープの呪縛から解放された。勝手に外しやがって……こりゃ騒がしくなるな。
「お嬢さん」
池森は長机を飛び越えて鳴海の近くまで移動、そして目の前でひざまずく。
「まるで花のように愛らしく、可憐な人。僕が貴方の盾となり、剣となり、身をお守りします。今この瞬間から僕は、貴方だけの騎士。さあ、誓いを……」
鳴海の手を取り、その甲に口付けしようと顔を近づけていく金髪のチャラ男。
よくもまあそんなスラスラと歯の浮くようなセリフが出てくるものだ。ハッキリ言って俺はドン引きしていた。
貴方だけの騎士って……。
鳴海の反応を窺ってみる。なにやらプルプルと震えていた。
「ふふ、喜びに打ち震えているのですね。なんなら手の甲などではなく、その唇に直接――」
池森がその先の言葉を紡ぐことはなかった。
なぜなら鳴海のショートアッパーが炸裂していたから。
「きしょいんだよ……ぶち殺すぞキモブロンド野郎」
恐ろしく冷たい目と声色だ。こんな鳴海を俺は見たことがない。
一方の池森は、空中で半回転した後に頭から床に落ちた。ピクリともしていない。
あれ、これ死んだんじゃない?
「……ドンマイ」
池森ことキモブロンド野郎に憐れみの視線を送った後、俺は鳴海に声を掛けた。
「とにかくその案は……」
「とにかくその案は却下よ!」
卵がそれを遮ってくる。
「ボディガードをつけるってところはいいわ。ただしそれは私達三人が交互に受け持ちます。中にだけやらせる理由がないもの」
「はあ? だから、あたしが彼氏持ちってことをあいつらにアピールすれば」
「そんなことで引き下がるとは思えないわね。むしろ彼氏いた方が燃え上がっちゃうんじゃないかしら、そういう手合いは」
「チッ、さっきからお前、やたら突っかかってくんじゃねえか。だいたい千葉はともかくとして、お前とそこのキモブロンドがボディガード? 務まんのかよ? あたしの方が強えんじゃねえの?」
「……私、これでもずっと空手をやってたの。もちろん黒帯よ。確かめてみる?」
「上等」
なにやら不穏な空気になってきた。女同士のいがみ合いってなんでこう胃がキリキリするんだろうか。
俺が止めに入ろうとした時だった。
「っていうかさ、お前も千葉のこと好きなの?」
鳴海が突如そんなことを言い出した。やべえなこいつ……殺されるぞ。俺は慌てて卵をなだめようとした。
「は、はぁ!? なな、何言ってんの!? バッカじゃないの!?」
しかし卵は慌てながら否定するのみで、手を出そうとはしなかった。
顔がびっくりするぐらい赤くなってるが……え? 何その反応?
「おいおいなんだよその反応。図星かよー! アハハハ!」
「ふ、ふざけないで! 私がこんなやつを好きになるはずがないじゃない! それに言っておくけど、中って女の子に興味ないから!」
「おい待てゴラァアア! この上無く好きだわ! 何を勝手なイメージつけようとしてんだ!」
俺は猛抗議するが、こちらの声はどうやら卵には届いていないようだった。
「誰がこんなせんべい布団と……誰がこんな人面犬と……誰がこんな壊れかけのレイディオと……」
ワードのチョイスおかしくない? いや罵倒されてるのはなんとなくわかったけども。
「とにかく! 中のことなんか心底どうでもいいわよ!」
「ふーん? ならあたしが千葉を恋人として借りても文句は一切ないわけだ」
「ええ! どうぞご自由に!」
「あれ? 俺の意思は?」
「じゃあ決まりだな! 千葉……あ、そうだ。恋人のフリするんなら苗字呼びじゃおかしいよな。あたしもお前のことこれから中って呼ぶから、お前はあたしのことレーちゃんって呼べ!」
「レーちゃんは照れるなぁ。普通に玲音でいいか?」
「わかった! それでもいい!」
鳴海改め玲音は満面の笑みで頷いた。
ったく、やれやれだぜ――こういう時、俺はこう言っておけばいいのだろうか。
「ん?」
ふと視線を感じ、元を辿ってみれば、卵がジトッとした目つきでこちらを見ていた。
「どうした?」
「……あんた、ずいぶんあっさりと受け入れるのね」
「雰囲気的に断れない感じだったからな。ちょっと空気読んでみました」
「死ねばいいのに」
「えええ!? 元はと言えばお前のせいだからな!」
俺がそう言うと、卵はフンと鼻を鳴らして顔を背けた。
この野郎……ムカついた。今日の晩飯はいつもより良いもんを食わせてもらおう。牛肉たっぷりのビーフシチューだ。
さっそく交渉に入ろうとしたが、それは遮られる。
「ってわけで中! 一緒に帰ろうぜ!」
玲音が俺の腕を掴み、部室の出口に向けて引っ張ってきていた。
やたら力が強い。
逆らえないこともないが、これ以上ここに留まっている理由はなかった。晩飯のリクエストはあとでメールすればいい。なのでおとなしく流れに身を任せることにする。
「んじゃ俺はしばらくこいつと恋人のフリするから、お前と池森は管原とその取り巻き連中のことでも調べといてくれ。よろしく」
なおもそっぽを向いたままの卵に言い残し、俺は玲音とともにその場を後にした。