ガチムチと転校生
翌日。
眠い目を擦りながら、俺は自分の教室のドアを開いた。登校時間ギリギリに来たためか、教室には俺意外の生徒達がほぼ全員集まり、談笑している。
みんな……今日もムキムキだなぁ。
「おー中、おはよっすー」
「おう。ん?」
後ろの席の坊主頭の男子、石田と挨拶を交わし、俺は鞄を自分の机の上に放り投げた。そこで不自然なものを目にする。
「なんだよこの机」
俺の席は教室中央付近なのだが、隣になぜか空きの机が一つ追加されていた。昨日までその位置に座っていたおさげの女子生徒――佐藤さんは、一つずれる形で後ろの席に座っている。
「今日転校生が来るらしいぜ」
そわそわしながら石田が言った。
「転校生? こんな中途半端な時期に?」
「噂じゃ前の学校で問題を起こして、拾ってくれたのがうちしかなかった、って話だ」
「つまりやべえやつが来るってことか?」
「んー、まあどうなんだろ。ただ! もう一個噂があってさ! すっげえ可愛い女子らしいんだよそいつ!」
だからお前はテンション高いのか。
しかしまあ、俺には関係ない。どんなに美少女だろうとも、俺にはどうせ……。
「あれ、中? なんでお前そんな悲しい目してんの?」
「なんでもない。それにしても、なんでここの席なんだ? わざわざ他の人に席移動させてさ。別に端っことかでもよかったんじゃねえか?」
「まあ俺はそこら辺の事情知らないけど、少しでも早くクラスに溶け込めるように、って配慮で真ん中の席にしたんじゃないか?」
「あー、なるほど」
と、そこでチャイムが鳴り響いた。教室前方のドアから、担任が中に入ってくる。頭髪の薄い四十代の男性教員だ。苗字は田中、名前は覚えていない。
「ええー、今日はー、朝のーホームルームを始める前にー、皆さんにーお知らせがありますー」
独特の間延びした喋り方で、田中は言う。
「このクラスにー、転入生が来ましたー」
途端に、クラスメイト達から歓声が上がった。事情を知らない連中は「男かな? 女かな?」、「イケメン来い!」などと口々に囁いている。
一方、俺は嫌な予感しかしなかった。
「それじゃー、入ってきてー」
田中が呼び込むと、その生徒は教室内に姿を現した。賑わっていた教室が波を打ったように静まり返る。
「えー、それではー紹介しますー。鳴海玲音さんですー。皆ー、仲良くするようにー」
鳴海とかいうそいつはあからさまに不機嫌そうな顔をしながら教室中を見渡していた。
それに対し皆は、目を合わすまいと視線を下げている。
鳴海玲音……一言で言えばヤンキー、というかギャルだった。
茶色に染められた頭髪、これでもかというほど短いスカート、足元はなんとルーズソックスだ。今はもう消滅したかと思っていた。
あと、こいつも池森と同じようになぜかブレザーを着ている。しかもだいぶ着崩した形で。
校則なんてお構いなしってか。
とにかく俺としては見苦しいからその短いスカートだけはなんとかしてほしい。一般の男子にとって喜ぶべきポイントは、俺にとっては大概マイナスだ。
そんな風に顔をしかめていると、転入生と目が合った。
「お前!」
その瞬間に転入生は目を見開き、そう口にする。
はて?
「お、おお、おま、おま!」
今度はぷるぷると震え始めた。
いったいなんだってんだ?
「あー、もしかしてー千葉と鳴海は知り合いなのかー? そりゃーちょうどよかったー。鳴海ー、お前の席は千葉の隣だー。仲良くやれよー」
転入生……鳴海は、それを聞くなりこちらの方に向けて歩き出した。
ただ、おそらくこいつは自分の席を目指しているわけじゃない。俺の方に近づいて来ている。その証拠にすげえ見られていた。ガン見だ。
「お前、名前は?」
鳴海は俺の目の前に立つと、ぶっきらぼうにそう尋ねてきた。
この感じ、正直あんまり関わり合いになりたくない。でもギャル怖いしなぁ。無視するわけにもいかないか。
わずかな逡巡の後、俺は答えた。
「千葉中」
「ふーん」
そんな必要最低限のやり取りを終えると、鳴海は自分の席へ着いた。
「さて、それじゃーまず出欠を取るぞー」
教室内はどことなく気まずい雰囲気に包まれたままだったが、田中はそのまま何食わぬ顔でホームルームを始めた。
「えー、であるからして、ここの値は――」
なんやかんやで時間は過ぎ、今は六限目の数学の授業中。これと帰りのホームルームが終われば晴れて放課後だ。
いやぁ今日もなんら代わり映えしない一日だった。
……こいつの存在を除いて。
「おい鳴海」
「…………」
小声で話しかけるが反応はない。ただ、さっきからめっちゃ見られてるんだよなぁ。この鳴海玲音に。
思えばこいつは一限目の時からチラチラとこちらに視線を送ってきていた。その時はまださほど気にならなかった。
でも昼休みを過ぎた辺りからもうチラ見どころじゃなくなっていた。しかも鳴海は授業の終わりが近づくにつれて心なしかそわそわし始めている。
気になる。というか気が散る。授業に全然集中できないじゃないか。まあ集中したことなんてないんだけども。
悶々としているとやがて終了の時刻が来て、チャイムが鳴った。
「ん? おー、もうこんな時間か。それじゃ今日はここまで」
数学の教師がそう言って教室を出ていくのと、ほぼ同時。
「おい千葉!」
鳴海が勢い良く立ち上がり、叫ぶように声を上げた。
「放課後、体育館裏に来い!」
「はい?」
「いいか、絶対来いよ! 来ないと殺す! じゃ!」
「いや、行かな……あれ? おい、鳴海?」
こちらの返事も待たずに、鳴海は走って教室の外に消えていった。
まだホームルームが残ってるんだが……どこまでも自由なやつだ。
「中」
そこでポン、と背後から肩を叩かれた。俺は振り返って、なにやら沈痛な面持ちの石田に尋ねる。
「なんだよ。どうかしたか?」
「いや、お前鳴海さんに体育館裏に呼び出されただろ?」
「ああ、たった今な」
「……気をつけて行ってこいよ」
「……やっぱこれって喧嘩の申し込み? 女から?」
「あの様子はそうだろ。お前、なんか鳴海さんに恨まれるようなことでもしたのか?」
「えええ?」
言われて考えてみるが、全くもって心当たりはなかった。
そもそも鳴海とは今日が初対面なんだからあるはずがない。今日一日の間に何かやらかしてなければ、の話だが。
「んー、わかんねえな。変なことはしてないはずだけど」
「本当かよー? お前はちょっと人の心の機微に疎いからなぁ」
失敬な。呪いのせいでちょっと他人に興味が沸かないだけだ。
「はぁ、とにかく終わったら行ってみますか。ここで無視したら後が怖そうだしな」
ため息とともに前を向く。担任の田中が教室に入ってきた。
帰りのホームルームが始まる。
俺は放課後になるとすぐに体育館裏に向かった。
相手は女一人。たとえ勝負を挑まれてもどうってことはないはず。そう思っていたのだが、途中で嫌なことに気付いてしまったために若干緊張している。
なんで鳴海はホームルームをサボって、先に体育館裏に移動したのか。その理由は無数に考えられる。ひょっとしたら特に意味なんてないのかも知れない。
が、俺の中で今最も有力な説は――俺をボコボコにするための人員の確保、凶器の調達、などなど……自分に有利な条件、環境を整えるため。
これだ。
行った途端、釘バットを構えた集団が襲い掛かって来たらどうしよう。さすがにどうしようもないぞ。
「……さて」
自分の中の緊張が少しずつ恐怖に変わり始めた頃、俺は体育館前に到着した。ここから裏に回ってしまえば、もう後戻りはできない。
「よし!」
ま、なんとかなるだろ。俺は覚悟を決め、足を進めた。
さあ何人待ってる? 五人か? 十人か?
「さあ来い! って、あれ?」
「よ、よお……待ちくたびれたぞ、千葉」
威勢良く飛び込んだものの、裏手に待っていたのは鳴海一人だけ。しかも、見たところ凶器などは持っていない。
ははぁん、なるほど。
「油断させといて、ってパターンか!」
「は? 油断?」
「とぼけても無駄だぞ鳴海! どうせ物陰とかに何人か隠れてんだろ? そんでお前が合図すると一斉に飛び出てくるわけだ!」
間違いない。俺がこいつならそうする。
俺はどこから襲われてもいいように、全身の神経を研ぎ澄ませた。
「いや、何言ってんだよお前……?」
しかし、当の鳴海はきょとんと首を傾げていた。闘争心のようなものが一切感じられない。これから殴り合おうというのにおかしい。
あれ? これも俺を油断させるための芝居か? だとしたらこいつ、できる。
「お前をここに呼んだのはさ、話があるからなんだ」
「っ! よし聞こう」
いよいよ話されるわけだ。こいつが俺を恨んでいるその理由が。
俺は警戒を解かずに話に耳を傾けた。すると、鳴海はなにやらもじもじし始める。
「よし、大丈夫。大丈夫……行け、あたし」
小声で、自分に言い聞かせるかのように鳴海は言った。加えて、両手を胸の前でギュッと握り締め、気合を入れている。
まるで告白前の女の子みたいだ。そんなバカな考えが俺の頭に浮か――
「あたし、お前のことが好きだ! 付き合ってくれ!」
んだのだが、その通りだった。
……あるぇ?
「えええ!? お前俺のこと恨んでたんじゃないの!?」
「はぁ? なんであたしがお前のこと恨まなくちゃいけないんだよ?」
「あぁー……冷静に考えてみれば確かに……」
別に俺なんにもしてないし。
でもそうなってくると今度は別の疑問が浮かび上がってくる。
こいつは今、俺のことを好きだと言った。昨日のあの子といい、こいつといい、いったいなんなのだろう?
一目惚れか? こんな俺に?
身長百六十八センチ、体重五十七キロ、千円カットで切ってもらってる黒髪の短髪、人殺しとまではいかないけど詐欺くらいはやってそうと評される目つき。
うわぁ惚れる要素ねえ。泣きたい。
「だ、大丈夫か千葉。なんかお前、すごく悲しそうだぞ?」
「こっちの問題だ。気にするな……はぁ」
「気になるよ! ……そんなに、あたしに告白されたのが嫌だったか?」
「え?」
あ、やべえ。むしろ鳴海が泣きそうになってる。
「別にそういうわけじゃないさ」
「ホ、ホントか?」
「ああ、今のは考え込んでただけだ。それで聞きたいんだけど……なんで俺に告白を? 初対面だよな? 俺ら」
俺がそう言うと、鳴海の肩がピクッと跳ねた。次いで、その表情が一気に曇る。
地雷を踏んだかもしれない。
案の定、低い声で鳴海は言った。
「……あたしのこと、覚えてねえのか?」
怒ってるよこれ間違いなく怒ってる。
「ちょ、ちょっと時間いいっすか」
俺は鳴海に断りを入れてから、頭を回転させた。
どこだ。どこで会ってるんだ。こんなやつ俺の知り合いにいたか?
そもそも、俺は人のことを判別するのがすこぶる苦手だ。理由はもちろん、呪いのせいで皆ほとんど同じ容姿に見えるから。
差が出るのは髪形、服装、体格、声ぐらいなものだが……街に出ればこいつみたいに茶髪の女なんていくらでもいるし、服装に関しては着替えられてしまったらそこで終わりだ。
鳴海は体格も標準的だし……あとは、声。
「鳴海」
「ん?」
「ちょっと考えてる間歌っててくんない?」
「ぶっ飛ばすぞ?」
「すいません」
いや、でもなんか聞いたことあるぞこいつの声。しかも聞いたのはわりと最近な気がする。
喉元まで出掛かってるんだが……と葛藤していると、鳴海は深くため息をついた。
「あたし、お前に下着まで見られたのに」
「ええ!?」
「嬉しかったのに」
「えええ!?」
こいつまさかの痴女か?
「って違う違う! 嬉しかったってのは下着を見られたからじゃなくて!」
意識していたわけじゃないが、俺の顔は引きつっていたのだろう。鳴海は慌てて弁解を始めた。
「お前助けてくれたじゃねえかよ……あたしのこと」
「俺が? お前のこと?」
「そうだよ。しかも昨日」
「昨日?」
それじゃ下着ってまさか…、
「お前昨日の豹柄か!」
「それを言うんじゃねえよ! まあそうだけど!」
怒鳴りながらも顔を赤くする鳴海。
なるほどね、やっとピースがはまった。
「ちょっと助けられたくらいで惚れるとか、お前なかなかチョロいな」
「う、うっせえ! こちとらレイプされそうだったんだぞ!? そこをあんな風に助けられたら……ほ、惚れんだろ、バカ……」
「そんなビッチっぽいナリして意外と乙女なのな」
「ビッチってなんだよ! あたしはキスもまだ……あっ……何言わせてんだよてめぇ!」
「え? なんだって?」
「絶対聞こえてただろ! なかったことにしようとしてんじゃねえ!」
「アッハッハ! お前面白いな! でも――」
俺は申しわけなさそうな顔を作り、頭を下げた。
「ごめん。お前とは付き合えない」
そして、いつものように丁重にお断りする。今月はこれで四度目。なんだかもう慣れてしまった。我ながら嫌なやつだなぁと思う。
「っ、なんで、だよ……他に好きなやつでもいんのか?」
顔を上げると、鳴海は唇を噛み締めていた。泣くのを我慢しているように見えた。そして震える声でそう言った。
「そうなんだよ、うん」
俺は適当に鳴海の言葉に同調し、頷く。
まあ噂によればこいつは美少女らしいし、意外と良いやつそうだし、もっと良い男を捕まえてもらおう。
そんなことを考えていると、鳴海はボソッと呟いた。
「誰だ」
「ん?」
「誰なんだよ、お前の好きなやつ」
けっこう食い下がってくるなぁ、こいつ。
「それが誰なのかは教えられない」
「じゃあどんなタイプなんだよ? それくらいは教えてくれてもいいだろ?」
「えええ? どんな?」
実在しないんだから答えようがない。なので俺は適当に好みのタイプを並べ立てることにした。
「ショートカットで」
「あたしもショートだぞ」
「料理が上手くて」
「あたし、煮物が得意だ」
「普段男勝りなんだけど実は乙女、みたいな?」
「うっ……それに関してはわかんねえ……あたし、女の子っぽくはないと思うし……」
いや、その感じ完璧乙女だから。好きな人の好みに自分が当てはまるかどうか不安、みたいなその感じ。
なんてこった。こいつ、よく考えたら俺の好みドストライクじゃねえか。
これで見た目がムキムキのおっさんじゃなかったら――最終的にはやっぱりそこに帰結するんだが。
「ま、まあとにかく俺はその人のことが好きだからお前とは付き合えない」
「……だ」
「ん?」
聞き取れるか聞き取れないかの微妙な大きさの声で、鳴海は言った。
「や、だ」
「鳴海?」
「い・や・だ!」
鳴海が急に俺の胸倉を掴んで来る。息が掛かる距離まで顔が近づく。
「ちょ、鳴海!?」
「あたしは諦めねえからな!」
「いやそこは諦めようぜ! お前にはもっと良い相手いるって!」
「いやだ! こんな気持ちになったのは初めてなんだよ……だから、諦めたくない。お前、別にまだそいつと付き合ってるわけじゃないんだろ?」
「まあ、そうだけど……」
戸惑いを隠せなかった。こんなに粘ってきたやつは今までいなかったから。
「なら、振り向かせてみせる。お前に、あたしのことを好きにさせてみせる」
鳴海はそう宣言すると、俺から手を離した。
「明日から全力でアタックしてくから、覚悟しとけよ!」
そのまま鳴海は走り去っていく。
残された俺は一人、ただその場に立ち尽くした。
あれが巷で噂の肉食系女子ってやつなんだろうか。なんでこう、俺に告白してくる女はクセのあるやつばっかなんだ。
「……帰ろ」
俺は明日からの学校生活を憂いながら、家に向けてトボトボと歩き出した。