ガチムチと豹柄
「っていうことがあったわけよ」
「いや待って、最後のセリフなんなの? なに悲劇のヒーロー気取ってんのよあんた」
告白を受けた翌日の放課後、俺は同い年の幼馴染である卯月卵に昨日起こったことをありのまま伝えた。
いや、若干盛って伝えた。
あんまりにあの一年女子が濃いキャラしてたもんだからつい。
「まったく君というヤツは、女の子の扱いというものがわかっていないね。今頃その子、泣いてるかもよ? ああ、僕が慰めに行きたいくらいさ」
横で話を聞いていた金髪の男が声を掛けてきた。
キザッたらしいその口調、仕草に若干イラッとくる。
「あー、いいじゃん。ついでにこんがり焼かれてこいよ、クロワッサン」
「その名で僕のことを呼ぶんじゃない!」
バンと机を叩いて立ち上がるこいつはクロワッサン=ピエール・池森。日本人の父親とフランス人の母親を持つハーフだ。父親は某外食企業の社長らしい。
生意気な口を叩いているが一年生で、自分の名前にコンプレックスを抱いているらしく、冗談でもクロワッサンと呼ぶと激怒する。
「まあまあ、落ち着きなさいよ」
「……フン」
卵がなだめると、池森は不機嫌そうな顔をしながらもパイプ椅子に座り直した。
「んじゃ気を取り直して話すか。今日の活動はだな」
「どうせまたグダグダして終わりなんでしょ? 私さ、今日帰りにスーパーで食材買ってかなきゃいけないんだ。中、あんたも手伝ってよ」
「なんでもいいが早く終わらせてくれたまえ。僕はこの後デートなんだ」
「……相変わらず連帯感のねえやつらだ。一応同志みたいなもんじゃねえか、俺ら」
そう。全くもってまとまりはないが、俺を含むこの三人には深い繋がりがあった。
まず同じ部活動だ。
今いるのだって、部室棟一階奥の狭苦しい一室だ。ただでさえ狭いというのにこげ茶色の長机を三つコの字にくっつけ、一人一卓ずつ使っている。
右側に卵、左側に池森、それに挟まれる形で俺がいた。
「同志、ねえ……ふっ」
「ふん、君と一緒にしないでくれたまえ」
二人揃って鼻で笑いやがった。
「なんだよ。同じ部活、同じ境遇だろうが」
「まあ同じ部活なのはそうなんだけど」
「同じ境遇、というのは同意できないね。僕と君じゃ背負うものの重みが違う」
池森はこれでもかというほどのドヤ顔を決めて言った。
「そう、僕に与えられた試練は……君のものとは比べ物にならないほどに……重い」
うわぁうぜぇ。なんだよその間の取り方。
「まあ重い軽いは置いといて、私も中と一緒にされるのはイヤ」
池森に対してどう言い返してやろうか考えていると、卵までそんなことを言い出した。
「私と中とじゃ、やっぱり違うわよ。中のはなんかアレだし」
「おい、さっきから黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって」
同じ部活動ということ以外の、俺達のもう一つの繋がり。
それは一般の人々には絶対に理解されない苦しみ。興味本位で触れようとするものの、結局誰もそれを信じようとはしない。
人が当たり前のように過ごす日常、そのすぐそばにそれは存在しているというのに。
「いかにも自分の呪いの方がきついみたいな言い方してんじゃねえ!」
「少なくともあんたのよりはきついわよ!」
「そうだそうだ!」
俺達はそれぞれが呪いに掛かっている。
他人に理解されない息苦しさの中でもがくうちに、仲間を見つけた。
そして寄り合った。
それがこの部活――オカルト研究部だ。
最近じゃ学校のお悩み相談所とかいろいろ言われてるが、メインの活動は各所に散らばる数少ない情報を集めて呪いを解くこと。
お祓いなどには当然行った。大枚を叩いてお経なんかも唱えてもらったりした。
全部効かなかった。
もう自分らで解決するしかない。そう、言わば俺達は運命共同体なのだ。それを踏まえた上で、俺はこのわからず屋二人に苦言を呈したい。
「ふっざけんなよカスども! 俺の――」
思いを余さず吐き出すべく、俺は叫ぶ。
「俺の――《ありとあらゆる人間がガチムチのオッサンに見える呪い》をバカにするなよ!?」
「バカにするわよそんなもん! ってかむしろあんたがバカよ!」
「ミス卯月の言うとおり! というかどうやったらそんなわけのわからない呪いに掛かれるんだ!」
総ツッコミだ。
俺だって真剣に悩んでるんだぞちくしょう!
「前も言ったろうが! 縁結びで有名な神社の石碑に立ち小便したんだよ! そしたら次の日から周りにおっさんしかいねえの! ハッハッハ! こいつぁ傑作だ!」
「何回聞いてもしょうもないわよバカ!」
「何一人で大笑いしてるんだ君は!?」
二人の言葉を無視し、俺は手を叩きながら笑い続けた。
いや、おどけてはいるけど本当につらいんだよ? これ。
俺の呪いは非常にシンプル。
男女問わず三次元の人間が皆ガチムチ……筋骨隆々のおっさんにしか見えなくなる、というもの。だから現在進行形で目の前の二人もおっさんに見えている。
卵の方は黒髪ポニーテールでセーラー服を着た女装おっさん。なんか知らないが胸筋がすごい。足元はニーソックス。
池森の方は金髪ミディアムヘアのさわやか系おっさん。まあ顔は皆一緒なんだけども……ってか池森よ、うちの学校の制服は男子は学ランのはずだぞ? なんでお前だけブレザーなの? 今考えるとおかしい。
卵は本当はパッチリ二重でFカップの美女〔友達から聞いた〕で、池森は高身長で鼻の高いイケメン〔本人談〕らしいが、ともかく皆こんなんだからよっぽど髪型か服装に特徴がないと見ただけじゃ誰が誰だかわからない。
これが問題その一。
問題その二は……
「笑ってなきゃやってられねえよ! 人生つまんねえんだよぉおおおお!!」
目の保養が全く無い。ゼロ。ナッシング。
どこを見てもちゃんとした女の子はいない。写真でも、映像でも、鏡越しでも、皆ムッキムキだ。そのせいで恋の一つもまともにできないままだった。
人は見た目じゃない。
そう思っていたピュアな時期は僕にもありましたとも。なんだったら今でもそう信じたいくらいだ。
でもそれは違う。
いくら中身女の子でも、いくら気立てが良くても、見た目がおっさんだったら恋はできん!
「昨日のあの子だってさぁーキャラ濃かったけど本当は可愛い子だったかも知れないのにさー! くそっ、俺がきちんとあの子の中身じゃなくて見た目を見てあげることができたら……」
「普通逆よね、それ」
「だいたい、これで今月に入って告白されたの三度目だぞ!? なんでこんなタイミングでモテ期来ちゃうかなぁ! あーもうやる気無くなった! 帰る!」
「君も大概連帯感ないじゃないか」
俺は机の上に置いていた鞄をひったくるように掴み、部室から飛び出た。
背後から卵の「あ、ちょっと待ちなさい中! スーパーの買い物!」という声が聞こえたが、面倒だったのでそのまま廊下を駆け抜け、おさらばする。
「あー、帰ったらゲームでもやろっかなー」
無事に卵を撒いた俺は、手に持った鞄をぶらぶらさせながらいつもの帰り道を歩いていた。しかし今さらながらに買い物付き合ってやるべきだったかな、と思う。
今の千葉家は両親が長い長い旅行の最中なので、いるのは俺一人。
そして俺は料理ができない。壊滅的にできない。どんな調理器具と食材を渡しても木炭を練成するため、卵から錬金術師と呼ばれているくらいだ。
ゆえに、俺の食事はご近所さんである卯月家からのおすそ分けで成り立っている。その食材の買出しに行く、というのだから、やっぱり手伝うべきだったんじゃないか。
いや、うん。なんか流れで飛び出しちゃったけど絶対そうだ。
「ま、いっか」
今からでも戻った方がいいかな? とも思ったが、もうだいぶ歩いてきてしまったのでやめておく。
気持ちを切り替え、俺は空を仰いだ。
今日は部室に長居しなかったため、日もまだ高い。そして暑くも寒くもないちょうど良い気温だ。
今すぐ帰ってゲーム、という選択肢も捨てがたいが、このまま散歩するのもいいかも知れない。
……そうだな。たまにはそういうのも悪くない。
となれば、できるだけ人のいない所に行きたい。
たとえどんなに綺麗な場所でも、そこにムキムキのおっさんが大挙しているともうぶち壊しだ。
俺は適当な通路を曲がり、できるだけ裏の方へ、裏の方へと進んでいった。見知らぬ橋を渡り、寂れた公園を横切る。
この町に住んでかれこれ十七年になるが、こうやって探索してみると知らない道などが意外にたくさんある。
俺って普段、行動範囲狭いんだなぁ。
そんなことを感じながら、また一つ角を曲がった。と、そこでは、
「おとなしくしろや!」
「ふざ、けんな! 離せ! 離せよクソ!」
なんだかめんどくさそうなことになっていた。
「レイ、あんま暴れんじゃねえよ。服脱がせらんねえだろ?」
「やめろ! 触んな!」
あれだ。
髪色が派手な数人のガチムチの集団に、茶髪ショートカットのガチムチが襲われている最中だった。絵面だけでもう汗臭い。
いくら場所がひと気のない裏路地とは言え、こんなこと本当にあるんだなぁ。
俺はすかさず物陰に隠れて様子を窺った。
レイと呼ばれていた茶髪ショートのガチムチは、手首の辺りまで隠れている袖の長い薄紫色のシャツに、デニムのショートパンツを履いている……パツパツなのがだいぶいただけない。
そして、周りの連中と比べると背丈が首一つ小さい。若干ハスキーではあるが声も高いし、まあ女だろう。
女の子が不良に襲われている。そんな状況か。
「チッ、めんどくせえ!」
「あ、やっ!」
女の正面に立っている逆立った金髪のガチムチが、苛立った様子で声を上げた。そして女のシャツを引き裂く。それにともなって短い悲鳴が上がった。
「お前、ブラ豹柄じゃん。誰に見せるつもりだったんだよ、ええ?」
お前らは興奮してるかも知れないが俺は絶賛ドン引き中だよちくしょう。なんてもん見せてくれてんの?
「ちがっ、これはたまたまで……」
「んじゃこっちはどうなのかなー?」
ショートパンツに手が掛けられた。女は必死に抵抗するが、手足を周りの連中に抑えられ、このままでは犯されるのも時間の問題だ。
助けに行くんだったら今なんだろう。
「んー、でもなぁ」
しかし俺の気は進まなかった。
俺は別にアニメや漫画の熱血系主人公じゃない。殴られるの嫌だし、見知らぬ人を助けたいとは思わない。
相手が美少女だったらともかく、おっさんだし。メリットないし。
「まあ、触らぬ神に祟りなしってことで」
俺がそう呟くのと同時、女のショートパンツがずり下ろされた。上とお揃いの、豹柄の紐パンがまる見えになっている。
周りの連中から「おおー!」という歓声が上がる。しかししつこいようだが、こっちのテンションはだだ下がりだ。何が悲しくておっさんの紐パン姿なんて見なきゃいけないのか。
もういい、帰ろう。
俺は踵を返した。しかしそこで考えてしまった。
……この後ってどうなんの?
想像したくもないのに、頭が勝手に働いてしまう。
きっとこのままの勢いで、女は全裸にされる。いや、まあブラはずらされるだけかも知れないが、ショーツは脱がされるだろうな。
そんでもって周りの連中も服を脱ぎ出すわけだ。
それで後はこう……カーニバルなわけだ。ガチムチのおっさん達のアレがガチムチのおっさんのアレにアレしてアレで――
「やめろやクソどもがぁあああああああ!!」
そんな濃厚なラブシーンが頭に浮かぶと同時、俺は走り出していた。己の想像力が憎いぜ。
「はぁ? なん――ぶへっ!」
自分でも驚くほどに体は軽かった。何事かと目を見開いている不良の一人に、俺は渾身のドロップキックをお見舞いした。
胸の辺りに綺麗に決まり、相手は吹っ飛んでいく。そして鈍い音を立て、壁に頭を打ちつけた。
俺はと言うと、蹴った後の反動を使って上手く着地していた。
「ケンジ!? しっかりしろケンジィイイ!!」
ケンジと呼ばれたそいつはそのまま泡を吹いて気絶。
不良達の殺気立った視線が俺に注がれる。しかしもうそんなことはどうでもよかった。
「ただでさえ華のない俺の世界になんてもんぶち込もうとしとんじゃ貴様ら!! 夢に出てきそうだわ!! トラウマもんだわ!!」
我ながらものすごい早口で捲くし立ててやった。するとそんな俺の気迫に圧されたのか、不良達は引き気味に後ずさり始めた。
これは……気迫云々関係なしに引かれてるだけだな、うん。
「ん?」
そこで俺は気付く。
「お前ら……凪高のヤツらか?」
連中の着ている制服は凪高こと聖園凪叉高等学校のものだ。頑張って気崩してはいるが、この芋っぽい小豆色のブレザーは間違いない。
凪高と言えば、年に何人もの有名大学合格者を出している私立のエリート校としてここらでは有名だ。
校風はわりと緩いみたいだが……こんな連中が在籍してたとは。まあこういうヤツらは頭の良い悪いに関係なくどこにでもいるのだろう。
頭の良い不良。もっともタチが悪いタイプだ。なんか殺意が湧いてきた。中間テスト赤点五つの俺に謝れ。
「なあ凪高のおぼっちゃんどもよ……いいのかなぁ、こんなことが学校にバレたらお前ら間違いなく退学だぞ? 写メでも撮ってチクっちゃおっかなぁー」
試しに、無謀ながらそんな脅しを掛けてみた。
勢い良く出てきたものの、この人数に勝てる自信はちょっとない。むしろ冷静になったら怖くなってきた。
「ナ、ナメんなよてめぇ! そんなもん、今ここでてめぇをぶっ殺して……」
「……あ? やれんのか?」
思い切り睨みつけてやると、不良達は揃って口を閉じた。
さすが目つきの悪いことで有名な俺だ。中身はともかくとして、見た目の貫禄だけはそこら辺のやつに負けちゃいない。
しかし内心はガクブルである。
「チッ、なんか冷めちまった。行くぞお前ら」
先ほど女の服を脱がしていた逆立った金髪の男が言った。こいつが集団のリーダーなのだろう。周りの不良達はそれに黙って従い、その場から離れていった。
「おいレイ。またな」
金髪の男はそんな言葉を残していく。
しかし当然っちゃあ当然ながら、女がそれに返答することはなかった。女は涙ぐみながら荒く息を吐き、その場にただへたり込んでいる。
不良連中の後ろ姿はだんだん遠ざかっていき、やがて見えなくなった。その瞬間に俺の体から冷や汗が噴き出す。
殴られなくてよかった。いや、マジで。
俺が相手の高校を特定できたのが大きかったかもしれない。
「あ、そういやぁ」
穏便に事が済み、ホッと息を吐いていると気付いた。
女のシャツはビリビリに引き裂かれ、もう着られる状態じゃなくなっていた。乗りかかった船だし、このまま放置はなんだか少し気が引ける。
何より豹柄下着姿のおっさんをこれ以上見続けるのは精神衛生上良くな……あれ? 股間の部分もっこりしてるけどどうなってんのそれ。
え? 女だよね? そこら辺もリアルに再現されてんの?
と、ともかく良くない。
俺は学ランを脱ぎ、そっと女の肩に掛けた。そして「これ着て帰れ」とだけ言ってから、その場を走って去った。
制服は家に予備でもう一着あったはず。問題はない。
「……良い匂い」
なんだか気持ち悪い言葉が背後から聞こえたような気がしたが、俺は足を止めなかった。むしろ速度を上げた。
「ま、まあもう二度と関わることはねえだろ」
そんなフラグにもなりかねない言葉を吐いて、俺は思考を切り替える。
なんかもう疲れちまった。帰ったらゲームやろっと。