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ガチムチとパレード

「ごふっ……げほっ……」


 どれくらい時間が経ったのかわからない。感覚は完全に麻痺していた。口の中に広がる鉄の味を噛み締めながら、俺はとうとうその場に崩れ落ちる。


「中っ! 中っ!!」


 さっきから玲音は叫びっぱなしだ。声がかすれてきていた。


「やめてくれ……もう、こんな、こと……」


 玲音が懇願するように言った矢先、追撃で俺の頭に蹴りが入る。脳が揺れ、視界が黒く染まりかけた。

 俺は既に切れている口の端を力の限り噛み、意識の混濁をなんとか抑える。


「ケンジ、一回止めろ」

「ん? まあだいぶ気は済んだから……わかった」


 管原の指示によってケンジは手を止め、離れていった。

 助かった、という気分にはならない。依然として管原は卵にナイフを突きつけたまま。池森は使い物にならない。

 状況は最悪だ。ま、現時点では、だが。


「おい、どうだよレイ? こいつの無様な姿」


 管原がニヤニヤとしながら玲音に語りかける。


「お前が信じてた王子様ってのはこんなもんだよ。幻滅しただろ? お前にはこんなやつより俺の方が相応しいんだ。だからよ、さっさとこいつとは別れろ。今だったらまだ許してやるよ」


 勝手なこと言いやがって。っていうかこいつ、暴走してやがるな? 

 なんとなくわかる。管原は周りの連中と違ってバカじゃない。自分でもわかってるはずだ――こんなやり方じゃ、欲しいもんが手に入らないことくらい。  


「そんな、こと……中、は……」


 玲音と目が合う。短い悲鳴が上がった。俺の顔を直視したからだろう。きっとひどいことになってんだろうな。

 わずかな逡巡の後、玲音は答えた。


「っ……わかっ、た」

「はははは! だとよ、破局おめでとさん。千葉、だったっけ?」


 余計な気ぃ使いやがって玲音のやつ。

 このままじゃ誰も幸せにならねえぞ。 


「そんじゃお前は明日にでも家帰してやるよ。親父には上手くごまかしとけ」

「……ああ」

「こいつらはしばらくここに閉じ込めとく。……言っとくけど、バラそうなんて思うんじゃねえぞ?」

「……わかった」

「よし、そんじゃ――」


 管原はナイフを仕舞い、玲音の下へ歩み寄った。この隙を突けるような機動力は、散々ボコボコにされた俺には残っていない。


「恋人になった記念だ」


 玲音の顎に手を掛け、無理やり視線を合わせる管原。


「見せつけてやろうぜ」

「や……やっ!」


 二人の唇が少しずつ近づいていく。

 なんて大胆な。若者の性の乱れを感じるばかりだ。

 ……イヤになっちゃうなぁホントに。その濃厚な絵面、見せられる俺の身にもなってくれ。


「おらおとなしくしろよ」

「ぁ、ぅ……」


 玲音が覚悟を決めたように目を閉じる。その頬には一際大きな滴が伝い、落ちていった。

 おいおい、初めてなんだろ? もうちょい粘れよ。

 お前のファーストキスとか別にどうでもいいけども。心底興味ないけども。むしろファーストキス奪われるくらいで何をそんな泣いてんの? って感じだけども。

 だけども、


「ムカつくんじゃ!!」


 俺は気付いたら叫んでいた。


「だいたいなぁ、卵! 何してんだよお前! お前はこんなやつらに捕まっちゃうようなマヌケじゃねえだろうが!」


 ああ、言ってしまった。時間が来るまでの間、なるべく連中の神経を逆撫でしないように振舞うつもりだったのに。

 こうなったらもう後戻りできない。


「だって」


 それまで無言だった卵が、そこでとうとう口を開く。


「だって、もう中には私は必要ないでしょ? そうよ……私は誰からも必要とされない人間なのよそうよ死にたい死にたい死にたい」


 出たぁー! 卵の卑屈モード!

 こいつは昔からこうだ。普段はわりと強気なのに、落ち込む時はとことん落ち込む。というか病む。

 気丈な仮面の裏に隠されたその実体は、重度の依存体質。卵は人の世話を焼くことで自分の存在価値を確かめるタイプの人間である。

 呪いに掛かってからはそれがますますエスカレートしていた。特に俺に対する依存がかなりひどい。……まさかそれが恋愛感情によるものとは思わなかったが。

 とにかく、こうなった卵はかなり精神的に不安定だ。すぐに立ち直る可能性もあれば、より落ち込む可能性もある。

 上手く転ぶか否かは五分と五分。


「チッ、うっせえな。おい、もうちょっと痛めつけとけ」

「おうよ」


 指示を受けたケンジが拳を鳴らしながら近づいてくる。さすがにもう一度殴られて意識を保っていられる自信はない。

 一言二言で決める。とは言っても、俺には池森みたいな洒落た口説き文句なんかは吐けないし、吐くつもりもなかった。

 卵は俺の幼馴染だ。今のところそれ以上でもそれ以下でもなかったから。


「何言ってんだよ、バカ卵」


 だから俺は自分の素直な気持ちを伝えることにした。


「なによ……どうせあんたは、私のことなんて……」

「腹減った!」

「……は?」


 必要ない? 

 ――そんなわけがない。


「お前の朝飯食わねえと一日が始まらねえだろうが」

「っ!」

「お前がいないと始まらねえだろうが!」


 今の俺の暮らしにはやっぱり卵が必要だった。なんたって俺は錬金術師だからな。

 さて、やれることはやった。


「おいてめぇ、ギャーギャーうるせえんだよ」


 ケンジが真上から俺を睨みつけてくる。


「寝てろ!」


 胸倉を掴まれた。拳が振り上げられる。

 ダメだったか。

 諦めかけたその時、


「そっか、そうよね!」


 勝利の女神は俺に微笑んだ。


「そっかそっか中はやっぱり私がいないとダメかそうよねだって私がいないと中はなんにもできないんだから仕方無いわねこれから私がお世話してあげないとねうふふふふふふふふふふ」


 怖ぇよ! 勝利の女神超怖えよ!


「んじゃさっさと帰ろっか」


 卵はそう言うと、何事もなかったかのように手足のロープを解いて立ち上がった。


「はぁ!?」


 周りの不良達の目が点になる。


「お、おいてめぇ! いったい、どうやってロープを……」

「へ? あんたら逆によくこれで私のこと拘束できると思ったわね? こんな素人のグルグル巻き、抜けれないわけないじゃない」


 普通の人間はそれでも抜けれないけどな。


「おい! 何してんだお前ら! さっさと取り押さえろ!」


 管原に指示を飛ばされ、周りのやつらが一斉に卵に襲い掛かった。ケンジはまだ呆気に取られたままだった。こいつやっぱり無能か。


「ふんふふーん」


上機嫌で鼻歌を歌いながら、卵は軽やかなステップを踏み始めた。


「なっ!?」


 誰も手を触れられない。誰も卵の動きを追うことができない。

 見ていて面白いほどに。


「な、なんだ? あの女……まるで全員の動きを先読みしてるみたいじゃねえか!」


 ケンジがなぜかワザとらしい驚き方でそう言った。バトルシーンにおける引き立て役のザコキャラみたいな。

 こいつもまぁキャラが掴めないな。


「ま、相手が悪いよ」


 俺は楽しげに舞う卵の姿を見つめながら呟く。

 そもそもレベルが違いすぎる。卵はそれこそ昔、空手の全国大会をぶっちぎりの実力で優勝した猛者。男女間ではあるが、体力差はほぼ無いに等しいだろう。

 それに加え、卵には痛みと引き換えに手に入れた力がある。


「あははっ! ――遅すぎよ、あんたら」


 卵の呪い、それは……精神の加速だ。

 脳の処理能力が異常なまでに高まってしまい、全てがゆっくりに感じられる。

 本人の談によると、三十倍は遅いらしい。

 いつも三十倍の世界で生きているのだ。それゆえに、呪いに掛かったばかりの頃のこいつはひどかった。精神的におかしくなって病院に叩き込まれたりはザラだった。そう考えると、逆によくここまで持ち直したものだ。


「……ん? ああ、そろそろかな」


 俺はそこで、外がだいぶ暗くなっていることに気が付いた。差し込んでくる光も夕陽の赤ではなく、月の白い輝きに変わりつつある。


「おい池森ー!」


 なおも虚ろな目をしている池森に呼びかけた。


「いつまでそうしてんだよ」


 もうすぐ始まる。


「……夜だぜ?」


 こいつのフィーバータイムだ。


「っ! ……ああ、あああ、あああああああ」

「思い出せ池森! 今までこいつらにされたことを!」


 池森の体に変化が見られ始めた。


「ああ、アア、アアアア、ああ」

「思い出せ池森! 憎しみを爆発させろ!」


 その白い肌から徐々に、くすんだ銀色の毛が生え出す。目の色が澄んだ碧から毒々しい赤に変わる。


「思い出せ池森! ……童貞捨てる前に処女奪われたんだぞお前!」

「あ、ああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 絶叫とともに変身は完了した。

 鋭い牙に爪。体毛に覆われた巨体。興奮を抑えられない、といった様子で、荒く息と涎を吐き出し続ける。

 ファンタジー世界だけの、空想の生き物――ワーウルフだ。


「ブッ殺ス!!」


 さて……始めよう。


「イッツアショータイム……パレードの時間だ!」




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