ガチムチと恋のデンプシーロール
「鳴海君」
ホームルーム後、田中とともに職員室横の応接室に行くと、そこには青い顔の詩音さんがいた。丸まった背中とこけた頬は疲れを感じさせる。
俺と田中は詩音さんの対面のソファに腰掛けた。
「詩音さん、玲音は……」
「玲音は、あの日君と一緒にコンビニに行った、あの時から帰ってきていない」
「そんな……」
よりにもよってあの時か……。
「すいません先生、少し鳴海君と二人で話を」
「え? あー、でもー」
「お願いします」
「あー……わかり、ました。千葉、話が終わり次第、授業に戻るようにー」
俺が頷くと、田中はそそくさと席を外した。元よりことなかれ主義の教師だ。深く関わるつもりはないのだろう。
二人きりになり、詩音さんは再び口を開く。
「捜索願はとっくに出した。私も私で、仕事の合間を縫って町を探し回ったさ。でもまだ手がかりも見つかっていないんだ。本当はもっと早くこうして君と話し合いたかった」
「……すいません」
「勘違いしないでくれ。責める気でここに来たんじゃない。君が玲音と最後に会ったのはあの時だよね? 玲音は……どんな様子だった? 行き先に心当たりはないか?」
どこか縋るような目で、詩音さんは俺を見据えてきた。
どんな様子だったか。
強いて言うなら悲しそうだった……主に俺のせいで。これは言えない。
行き先に心当たりはないか。
これは正直な話――あった。厳密には行き先ではなく、連れて行かれた先だったが。
「実は……」
「っ! なんだい?」
行方不明、という言葉を聞いてからずっとあの男の名前が頭に浮かんでいた。
管原、信悟。
もちろん不関与な可能性もある。が、俺にはあいつが絡んでいるようにしか思えなかった。
玲音は秘密にしたがっていたが、もうこれ以上あいつの存在を隠してはおけない。俺は詩音さんに、これまでのことをかいつまみながら話した。
玲音がレイプされかけていたこと。それを俺が助け、護衛の役割を兼ねて恋人のフリをしていたこと。管原が玲音に執着していること。
それらを話した時、詩音さんは暗い表情で俯いた。その体はわずかに震えている。
「そうか、信悟君か……あの子が……」
「あ、でもまだ決まったわけじゃ」
「いや、言われてみればわかる気がするよ」
「わかる、というと?」
俺が尋ねると、詩音さんは頭を抱えながら話し始める。
「あそこの家はね、ある日、母親が他に男を作って出て行ってしまったんだ。それから父親の方も荒れてしまって……当時の信悟君は外にも出してもらえなかったみたいだよ? それからしばらくして私達家族が引っ越すことになって……お別れ言えなかったって、玲音は落ち込んでたなぁ」
「……なるほど、そんな事情が」
母親、そして仲の良かった女の子との唐突な別れ……俺の中で、何かが繋がったような気がした。
「ともかく、私はこれから管原さんの家に行こうと思う」
詩音さんは立ち上がり、俺に背を向ける。
「情報ありがとう。もう会うことは無いかも知れないけど、元気でね」
その言葉に、何も返すことができなかった。詩音さんはそのまま応接室を出て行った。
「……くそ」
娘を頼む――そうまで言った相手が、実は恋人なんかじゃなかった。
娘が攫われた――攫った相手が、よく知る人物かも知れない。
いろいろなことが重なっていた。その心の内は俺には測れなかった。
「これで後は待つだけ、なのか?」
誰もいなくなった部屋で、ぽつりと呟く。
警察も動き始めていることだし、これはもう立派な事件だ。俺達オカルト部が深入りするべきことじゃない……かも知れない。
でも、
「さすがにつれねえよな、それは。なぁ? 玲音」
俺は動き出すことにした。
恋人役はまだ続いているんだから。
悶々としたまま一日を過ごし、放課後、オカルト部の部室にて。
「卵にはもう情報行ってるかもしれないけど、玲音が行方不明になった。探しに行こう」
俺が言うと、卵と池森はそれぞれ違った反応を見せた。
「ハ、ハニーが!? たったたったた、大変じゃないか! すぐ行こう! ナウ! ハリーアップ! オウシット!」
慌てまくる池森。なんで後半英語なの? お前喋れねえじゃん。
それに対して……
「警察に任せときなさいよ。私達の出る幕じゃないでしょ」
やはり卵は冷静だった。そして冷たかった。
「いや、それはそうなんだけどさ」
「そうなんだけどなに? 私達にどうにかできると思うの? 今までみたいな、学生のちょっとしたお悩みを解決するのとは訳が違うのよ?」
「でもさ、今回のこの件には管原が絡んでる可能性が高いんだ。つまり俺らが受けた依頼の範疇だ。一回引き受けたからには最後まで責任を持ちたい」
「ダメよ。この依頼はここで終了。はい解散」
「……んー」
いつもの二割増で棘があるような気がする。やっぱり玲音絡みだからだろうか。
もっとも、最初から卵には引き受けてもらえると思っていなかった。こいつの気持ちは知っている。ライバルなんて助けたくもないだろう。
余計なことはしたくない。こいつはそういうやつだ。こいつが掛かっているのは、そう思ってしまうような呪いだ。
「んじゃ池森、二人で回るか。……あれ?」
気が付いた時、池森は既にいなくなっていた。見れば、部室のドアが開きっぱなしになっている。
いつ出てったんだ? 全然わからなかった。
「あいつの無駄な隠密スキルなんなんだよ……まぁいいや、俺も探しに行ってくるから。また明日な」
俺も池森に続き、部室を出ようとした。
「なんでよ」
そこで卵が口を開く。その声は怒気をはらんでいた。
「なんでそうまでするわけ? 意味わかんない。あんたとあの子って、依頼ありきの関係よね? あくまで恋人のフリをしているだけなのよね?」
「そうだよ。それ以上でもそれ以下でもない。だけどさっき言っただろ? 俺は最後まで責任を持ちたいんだよ」
「嘘ね。あんたみたいなチャランポランが責任を持つ? 笑わせないで」
えええ、そんなはっきり言わなくても……。
「気になるんでしょ」
若干へこんでいると、卵はたたみ掛けるように言葉を紡いだ。
「恋人のフリなんかしてるうちに、あの子のことが気になり始めたんでしょ、違う? じゃないとあんたなんかがこんな真面目に動くはずがない。結局は私情で私達のこと動かそうとしてるだけなんでしょ? 違う?」
「そうかも」
「だいたい――は?」
呆気に取られている卵に、俺は続けていった。
「これは恋愛感情じゃない。違う、断じて違う。けど……あいついないと、なんかつまんねえからさ。だからあいつのこと探すよ。ごめんな、巻き込もうとして。卵はこのまま家に帰って……」
「バカァアアアアアアアアアアア!!」
「へぶっ!!」
突如として俺に突き刺さったボディブロー。
「アホォオオオオオオオオオオオオ!!」
「ガフッ!!」
アッパー。……いや、今のパンチは……体を大きく屈め、伸び上がるのと同時に放たれていた。
ガ、ガゼルパンチだ。
「死ぃいいねえええええええええええ!!」
そのまま卵は上体を左右に振り、∞の軌道を描く。
これは、某ボクシング漫画の主人公が使う、必殺コンボ。
「デンプシー、ロール……!」
連撃が叩き込まれる。さすが卵だ。良いパンチ、持って、る――。
俺の意識はそこで刈り取られた。




