第十四話 少女の太陽
オレはデモンと並んでトンネルの中に座って、外の景色を見つめている。
壁伝いに右側を見つめると、温泉の湯気と、立ち上がる光の柱が少しだけ見えた。
[いや、ホント悪ぃな。自分達だけ先に入っちまってさ。この温泉のサイズだとイートロの身体がデカいから、体を伸ばすと二人で入るのが限界なんだよな~]
一足先に温泉に浸かっているトヴさんの声が、パーティ会話伝手に聞こえてくる。
[ううん。気にしなくて良いよ。二人ともそろそろ、ログアウトしなくちゃいけないんでしょ?]
[そうなんだよ。イートロが早めのログアウをトしないといけねぇから、自分もそれに合わせてるんだ。色々あるだろ? その――門限とか家庭の――“寝る時間”とか、生活環境を守るための、規則とかルールとか……色々さ。んで、この光の柱が見れるのは朝方限定みたいなもんだからさ。ログアウト直前にどうしてもここの温泉に入りたくてな~。いや~効くぜぇ~……]
逆側を見つめると、遠くにタナカさんの小さな背中が見える。
クリアさんとやり取りをしているのか、先ほどまでオレたちが居た吹き抜けの近くに立ってずっと囁いていた。
クリアさんが流された場所は意外に近場だったみたいで、すぐ戻ってこられるらしい。
外から、光と一緒ににトンネルの中に吹き込んでくる風に、オレは思わず首を竦める。
現実ほど寒さは酷くはないけれど、流石にちょっとだけ冷える。
隣に座っていたデモンが、黙ってオレの身体に身を寄せてきた。
(……寒いのかな?)
座ったインベントリーのウィンドウを中を覗く。
ずっと、ずっと預かりっぱなしになっていたアイテムが目についた。
(…………………………オレはこんな時に、一体何を迷っているんだろう)
迷いを断ち切るように唇を噛んでから、勢いよくそれを取り出した。
ずっと前に、この山を初めて見上げた時にクリアさんから受け取って、そのままになっていた――大きめの外套。
この外套をどう着れば一番暖かくなるのか、オレにはよくわかっている。
「ほら……これで、もう寒くないよ」
デモンと一緒に、外套を羽織った瞬間――自分でもびっくりするくらい、昔の鮮やかな映像が思い浮かんだ。
とっても……胸が、苦しい。
「――レット」
唐突に、デモンはオレの耳元で小さく、小さく呟いた。
「私ね…………嬉しかった」
「――え?」
「私が滑り落ちていった時に……レットが私の手を――最後まで握ってくれた……隣にいてくれたこと。とっても嬉しかった」
デモンが、オレの身体に寄りかかってくる。
オレはほんの少しだけ、ドキリとした。
ドキリと、してしまった。
(………………一体、“何に対して”?)
そうだ。自分で決めたことじゃないか。
こんな気持ちは……ここで絶対に沸いていい感情じゃない。
自分の言い訳するように心の中で呟いた。
(――違うんだ。違う……)
押し殺さなきゃいけない感情なんだ。あって良いわけがない。
(違うんだ違うんだ違うんだ違う、違う、違う! 思い返しちゃダメなんだ!! デモンは“あの娘”じゃない……! オレは……今――デモンの“父親”なんだ!! だから……だから――)
心の中がぐちゃぐちゃになってしまいそうで、眉間に皺が寄ってくる。
もしも今、一人でいられるならトンネルの壁に自分の頭を思いっきり、何回でも……何回だってぶつけてやりたい。
『冷静になれ』って、頭の中で自分自身が何度も何度も叫んでいる。
「――レット。…………どうしたの?」
顔を上げたデモンの声で、自分の感情が、ふっと消えたような気がした。
穏やかな表情が自分に戻ってくる。
「……大丈夫だよ。何でもない」
「レット――さっきも、寂しい顔をしていた」
「そ、そうかな?」
「うん――外の光を見た時に。とっても辛そうな顔――してた」
(オレは、何をやってるんだ。オレが心配されてどうするんだよ……。取り乱している場合じゃないんだ。……しっかりしなきゃ!)
深呼吸してから、デモンから顔を反らして誤魔化すように呟いた。
「心配しないで、オレは大丈夫!」
しばらく、沈黙が続いた。
外から吹き込んでくる風と一緒に、温泉に入っている二人の話す声が聞こえてくる。
オレ達が座っているから、ここから二人の姿は見えなかった。
「イートロ。どうだ? たまには長風呂ってのも中々良いもんだろ?」
「……本当二。トヴト、ココマデ来テ良カッタ」
「――イートロよぉ。ここからこうやって見るとさ。とっても――いい山だよな。本当に……。一番頂上を目指したくなる……良い山だよな………………本当にな……」
「トヴ…………ソレハ――ドウイウ意味……」
何かを心配するようなイートロさんの声。
それに返事をするかのようにトヴさんはけらけらと笑い声を上げた。
……どうしてだろう? そのトヴの笑い声は、今日聞いた笑い声とは何かが違う。
何故かわからないけれど……オレは、どこか“寂しさ”みたいなものを感じた。
トヴがひとしきり笑い終えてから、温泉に入っている二人はしばらく何も話さなくった。
僅かな沈黙の後、オレの耳に温泉でくつろいでいるであろうトヴの歌う声が聞こえてきた。
テンポの良い英語の歌だった。
歌詞はわからないけど……どこかで聞いたことがあるような気がする。
「……レット。レットは――歌は……好き?」
左側からデモンに話しかけられて、オレはデモンに振り向く。
「どうだろう。歌うのは得意じゃなくて、あんまり好きじゃないかな。地声でだら~っと歌うのが精いっぱいだし……。あ、でも。人の歌を聞くのは好きだよ」
「――そう。“わかった”」
その言葉がどういう意味なのか、理解できなくてオレは首を傾げた。
「いやーいい風呂だった。わりぃな。先に入っちまって」
装備品をきちんとつけた状態で、二人が温泉から戻ってきた。
温泉はそういう仕様があるのかな? トヴさんの濡れている金色の髪が、みるみる内に乾いていく。
[じゃあ、自分達。ここでログアウトするわ]
[そうですか。短い時間でしたが、お世話になりました]
タナカさんが二人に対して深々と頭を下げて、釣られてオレも会釈する。
[そりゃこっちのセリフさ。縁があったら、またどこかで会おうぜ? ホラ、イートロ!]
[……世話ニナッタ。――幸運ヲ、祈ッテル]
[二人とも……――頑張って。私――――応援している]
デモンの声援を受けて、トヴさんが天井を見上げて呟く。
[あ~。応援されるのは慣れていなくてあんまり好きじゃあないんだが――“全力で頑張る”さ。ここから先、何があってもな]
[二人とも、また――いつかどこかで会ったらよろしくね。あの、クリアさん?]
[ああ――そうだな! ああ……うん…………うわ! まずい、油断した!!]
オレの呼びかけに反応した直後に、パーティメンバーリストに表示されているクリアさんのHPがごっそり減った。
この人……今度は一体、何をやらかしたんだろう……。
トヴさんは笑いつつもやや引き攣った表情で、イートロさんはやれやれと言わんばかりに首を軽く振ってゲームからログアウトしていった。
「温泉が空きましたね。レットさん。お一人で先に入ってきてください」
「………………タナカとレットと――私の三人で入りたい」
そう言ってデモンが頬を膨らませる。
『一緒に入るって大丈夫なのか』って一瞬思ったけれど――何も問題はないんだった。
どうやっても下着以上脱ぐことはできないし、女性キャラクターが装備品を外しても、露出は水着よりも少なかったはずだ。
(あの時は、そんなことも知らなくって。オレ、舞い上がって真っ赤になってたっけ?)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『どのくらい先のことになるかわからないけど――今度、私と一緒に入ってみない?』
『いやあ~~行きたいなあ。もう今すぐにでも行きたいくらいだあ~~! 絶対行こうね、うん!』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
(……駄目だ。駄目だ。これ以上は、ここで思い返しちゃいけない)
「だから……レットも一緒に入る」
「デモンさん、そうはいきません。こちらに来られるクリアさんのことをお迎えしないわけにはいきませんからね。それに、折角の休憩です。三人で同時に入っては窮屈でゆっくりできません。デモンさんは後で、私と一緒に入りましょう」
タナカさんの提案に、デモンは渋々頷いた。
「〔大丈夫なのタナカさん? オレがデモンと入るよ。クリアさんの誘導をしないといけないんじゃ……〕」
「〔ご心配には及びません。事情はわかりませんが、クリアさんが“レットさんをお一人で入浴させてあげるように”――と〕」
「――――――――――あ」
思わず自分の口から声が零れた。
あの人には、わかっているんだ。
運悪く山の反対側に出てしまって、オレが昔のことを思い出して辛い思いをしていることを。
オレがデモンの前で冷静でいられなくて……今頃、苦しい思いをしているだろうって――
(――わかって……くれているんだ。気を使ってくれてるんだ……あの人……いっつも、いっつもいい加減なのに……こんな時だけは、絶対に………………)
「じゃあ……オレだけ――先に入ってくる。すぐ戻るからね」
声が震えているからか、デモンに首を傾げられている。
オレは慌てて立ち上がって、二人に背を向けた。
――今だけは、これ以上顔を見られたくなかった。
外に出ると、雪と一緒に風がいろんな方向から四方八方に吹いていた。
目の前に温泉があって、その先は絶壁。
左側には広場があって、右側は崖になっている。
落ちたら戻ってこれないようになっているみたいだった。
(ここら周辺は、安全な場所になっているのかな?)
装備品を外してから、滑りこむように温泉に入る。
「――っ……うぅ~………………………………」
不思議と一瞬だけ、身体がぶるぶると震える。
ゆっくりと伸ばした全身に、自然と力が入る。
温泉は浅すぎず深すぎず、丁度良い熱さだった。
降ってくる雪が当たって、顔だけが冷たい。
大きくため息をついてひと段落してから、ゆっくりと温泉の淵に近づいていく。
視界の先に、とっても懐かしいオーメルドの丘陵が広がっている。
ここから、懐かしい祠が見えた。
あの時と違って、よく見ると一つだけ、“遥か遠くの結晶の岩が壊れたままになっていた”。
「………………………………」
……どうしてだろう。
あれから大して時間は経っていないはずなのに……山の下側に居たのが、もう、何年も前のことのように思えてしまう。
首の装備品だけをインベントリーから取り出して、片手で僅かに掲げた。
水色のスカーフが冷たい風に強く煽られて、濡れた手に張り付いている。
まるで――
(このスカーフが……山の下から吹く風に強く押し流されて、長い時間をかけてここまで飛んで来たみたいだ)
――不思議とそう思った。
「――あれからさ。……色んなことがあったんだよ」
誰に聞こえているわけでもないのに、気が付けば呟いていた。
「何があったのか、君が聞いたらビックリするかもね…………」
風が吹く音だけが聞こえる。
「あれから……ずっと遠回りして、こんなところまで来ちゃったけど……オレは変わらず元気だから――」
だから――
「――君も……元気で…………居てくれたら………………」
返事なんて、返ってくるわけがない。
俯いた頭に雪が降るだけだった。
それから、しばらくの間。ずっとオレは下を向いていたけれど、思い切って大きく深呼吸して、お湯で顔を乱暴に拭った。
(昔のことを思い出して、いつまでも落ち込んでちゃだめだ。あんまり、皆を待たせちゃ悪いし……そろそろ――出なきゃ……)
温泉を出て、装備品を元通り着る。
最後に、もう一度だけ景色を見ようと絶壁に立った時に――足音が聞こえた。
(――デモン?)
オレのことを遠くからずっと見ていたのかもしれない。
見合わせたかのようなタイミングで、デモンがトンネルから歩み出てきて、広場に向かって、ゆっくりと歩き出す。
「……………………………………………………」
デモンはこちらを一度も見ようとしないで、絶壁の淵に立って、オレから離れつつも並ぶように、景色をじっと見つめている。
それからゆっくりと、空気を掬い上げるように両手を伸ばした。
「――――――――――――――」
透き通った歌声が響いて、オレは唖然とした。
デモンが、流れているフィールドの音楽のリズムにあわせて、目の前の景色に向かって歌い始めた。
山の上から、どこまでも遠くへ届いて行ってしまいそうな歌声と共に、デモンはゆっくりとした動きで踊り始めた。
「――――――――、――――――」
赤いドレスのような装備が風に揺られている。
踊り方を、思い返しているような素振りは全くなくて、思うがままの流れるような優しい舞まいだった。
デモンの足跡が地面に綺麗な円をいくつも作った。
「――――――――――――――、――――」
強い風を受けて、温泉から出ている湯気が、踊っているデモンの足元に向かって流れていく。
歌声と一緒に差し出されたデモンの片腕、それにまるで魅入られたみたいに、彼女の周囲を降る雪が同じ方向に流れていく。
「――――――――――――――……………………」
しばらくして、歌い終えたデモンはゆっくりと両腕を下ろして、再び景色を見たままじっと動かなくなった。
オレは、咄嗟にデモンに歩み寄った、……だけど、何を言えばいいのかわからない。
言葉にできなかった。
何を言っても――言葉を出すこと自体が勿体無いと思うくらいに、デモンの纏っていた――冷たいのにどこか暖かい雰囲気を――壊してしまいそうだった。
デモンがこちらに向き直って、顔を伏せたままゆっくりと近づいてくる。
それから無言のまま、オレに抱き着いてきた。
「レット…………私ね――――――聞こえてたよ」
「………………“聞こえていた?”」
「あの暗い岩窟に居た時にね……レットが…………私のために叫んでくれた言葉……聞こえてたの」
――――忘れもしない。
『現実とゲームは――繋がってるんだよ……切っても切れないんだ! その娘は人形なんかじゃ無いんだぞ! 今、そこに居るのは――生きている一人の人間なんだよ!! なのになんで…………なんで…………』
忘れるわけがない。
『なんでそんな当たり前のことが――わからないのさッ!!!!!!!!!!!!』
……オレ自身が、必死になって叫んだ言葉。
「私、レットの言葉で……初めて目が覚めたのよ。それまでね――ずっと、ずっと真っ暗なところに居た私に――レットは私がここにいるって、ちゃんと、言ってくれたから……」
「…………………………………………」
「目覚めて、私が初めて見たのは……私の為に、必死になって戦ってくれている――レットの姿だった」
その言葉に、オレは少しだけ気恥ずかしくなった。
「……あんまり、オレ――格好良くなかったでしょ? 弱っちかったし……パッとしなくってさ……」
「そんなこと、関係ない。……レットは私にとって――暖かい太陽なのよ……。朝になって……夢から覚める時に……私を照らしてくれる優しいお日様みたいな……安心できる……とっても大切な人なの」
デモンが、オレの身体に顔を埋めた。
「だから私ね……大切なレットに元気になって欲しくて……私の覚えている歌――ほとんどないけれど……レットの為に歌えてよかった……」
「デモン――」
身体の中から、不思議と力が沸き上がってきた。
気が付けば日の出の時間になっている。
オレは自分より少しだけ背の低いデモンの背中に手を回して、頭を撫でる。
あの時と違って、空は曇ったままで、雲の隙間から、朝日は差し込まなかったけれど……今は、それで良いと思った。
ひょっとすると、これは空元気かもしれない。
だけど、わかっているんだ。
この娘の前では、俺は元気でいなきゃいけない。
だから、これ以上ここで――立ち止まってちゃいけない。
「――ありがとう。――おかげで、元気になれたよ」
【光が照らす世界(A world lit by light)】
OST.Vol1「世界」収録。時間帯限定のBGMだが、プレイヤー達の人気が高いが故か、後から歌詞とボーカルがつけられたという経緯がある。
ゲーム内の大長編ストーリーのエンディングでもモノローグと共に流れるようになっている。
この歌は、世界の全てと、そこに生きる全ての人々と――その人生の旅路を優しく祝福している。
「ありがとう。本当によい作詞をしてくれました。とても感謝しています」




