第十二話 かつて見上げたあの山の頂(いただき)へ
『現在デ・フューレ平野から湿地帯東側でPVP大会開催中。参加者集う。この戦いは二大勢力に分かれた大規模なものです。装備のないプレイヤーも公式からPVP限定の装備品貸し出しを行っています。集え、兵たち! 【スミシィフ地方紙】』
「フィールドを使った期間限定の大規模PVPか。そういうイベントもやっているんだなあ……」
黄ばんだ羊皮紙を折り畳み、左手で持った状態で、レットは魔法の光で照らされた路地を歩きながら呟く。
今、少年が逆側の手に持っているのは【七面鳥の香草包み焼】である。
これはワグザスの町の特産品の七面鳥の唐草焼を手で持ち運べるサイズに切り分け紙に包んだものだった。
(チームの家にいるメンバー達は、今頃何やっているんだろう……)
クリアとの会話の後に登山の準備をしようと息巻いたレットであったが、そこでクリアから『現段階で焦る必要はない。下調べなしに登ると万が一身動きが取れなくなる可能性もある。今は情報を集めてくれ』という指示を受けデモンと二人でワグザスの町を散策することとなった。
情報収集と言っても、何をすれば良いのかいまいちしっくりこないレット。
一先ず、新聞を購読して周囲の現状を把握しようとしたわけである。
(ハイダニアに戻るのはいつ頃になるんだろう。……今から心配しても仕方のないことではあるんだけど……)
「レット……。リスポーンポイントの設定――終わった」
黒鉄で作られ、木製の滑り止めのついた小奇麗な階段の下で待機していたデモンがレットを呼ぶ。
「よーし、準備が整ってきた!」
階段を降りて、デモンと並んでベンチに座るレット。
「これで、もしまた全滅してしまっても、皆でここに戻ってこれるね」
レットのその言葉を聞いて、デモンが悲しそうに呟いた。
「レットが設定する必要は――なかった。ワグザスに設定したら……私が……ハイダニア王国に帰るまで、ずっと付き合ってもらうことになる……ごめんなさい」
本来レットの復活地点はハイダニアの住宅街であり、戦闘不能になることでそこまで戻ることが可能だったが、レットは躊躇なくデモンと足並みをそろえた。
タナカと話を終えたデモンを落ち着いてここまで先導したのも、何を隠そう彼である。
「気にしなくて良いって。約束したじゃないか、傍にいるってさ。そんなことより、はい――これ。暖まるよ」
レットは右手に持っている包み紙をデモンに差し出す。
未だに首の座っていないデモンは紙包みを受け取りつつ、ぼーっとした表情でレットの手を見つめる。
「ずっと……気になってた。その装備……初心者用の手甲……」
「ああ。これ? タナカさんから貰った物なんだ」
「そう……。色がタナカと同じ」
デモンがレットの手を握る。
「優しい手……“暖かい手”」
「さっきまで料理を持っていたからね。冷めちゃう前に一緒に食べようよ」
「……“食べる”? アイテムとして――“使う”……じゃなくて?」
「そうだよ。だって、その方が楽しいしね」
屋根付きの石造りのベンチに二人で座り込む。
周囲は白い雪景色となっていたが、ゲーム故かそこまで寒さは感じなかった。
「〔レット。新聞が出ているみたいなんだが、買ったか?〕」
「〔はい。山登りするにあたって周囲の状況が気になったんで買いました。まだ全部は読めていないけど、クリアさんは読んだんですか?〕」
「〔ああ。概ね内容は確認した。麓の町はともかく、本日の天気は予報通りなら“山頂近くまでは曇り”で良好。そして、悪戯好きな妖精の姿も見当たらない……と〕」
「〔妖精って――一体、誰のことですそれ?〕」
「〔………………何でもない。気にするな。そんなことより、俺たちの登山には大きな問題が一つある〕」
「〔“例の視線”ですか?〕」
「〔いや、心配は無い。視線は、何故かハイダニアを出てから感じなくなった。――新聞を出してみてくれ〕」
レットが親指に残った飯粒を舐めとりながら、再び黄色の羊皮紙をインベントリーから取り出す。
「〔今の問題は、サーバー別情報欄の右下部分に書いてある“こいつら”だ〕」
レットは、クリアに指定された新聞の隅の項目に目を通す。
『本サーバーでは日常的なことではあるが、凶悪なPKが暴れている。ハイゴウル山脈の登山経路の斜面である【死壊層】で少数の登山者のみが狙われ壊滅させる“二人組”を名乗ったPKプレイヤーが出没している。4人以下の少人数で移動する場合、登山者は注意されたし』
「〔うーん。なんていうか……あんまり読んだことのないタイプの記事ですよね。オレが読んだときは全然気にしていなかったけど、そんなに危ない連中なんですか?〕」
「〔あっさりとした書かれ方だが、実際は相当酷いみたいだな。一定人数以下で行動するとほぼ確実に襲撃されて、何もわからないままいきなり斃されるらしい。あまりにも一方的に理不尽に殺されているからこのPKは『チート野郎』呼ばわりされている。GMに通報したプレイヤーもいたようだな〕」
「〔でも、その情報って――――………………〕」
料理を噛み始めて無表情のまま静かに、しかし一心不乱に食べ始めたデモンを見てレットは思わず微笑んだ。
「〔――レット。どうした?〕」
「〔ああ――ごめんなさい。ちょっと取り込み中でした。その情報ってどこから仕入れたんです? 記事に書いてある内容なんて、情報どころかただの警告文止まりじゃないですか〕」
「〔“便所に書かれた落書き“で暴れているプレイヤーがいたからだ〕」
「〔え~……それって匿名掲示板のことですか? というか、クリアさんは『気分を害するから見る物じゃない』って、オレに前言ってたじゃないですか! なのに自分はちゃっかり見てるってどういうことなんです!?〕」
「〔メンタルを害したくないのなら見ないのが一番だがな。俺も俺で“色々探さないといけないモノ”があるんだよ〕」
〔〔――へ?〕」
“色々探さないといけないモノ”という言葉を聞いてレットは小さく首を傾げる。
「〔探さないといけないって――クリアさんは匿名掲示板で一体何を調べているんです?〕」
「〔お前が今、気にするようなことじゃないさ。……今、気にするべきことは――〕」
レットの質問を打ち切るように、クリアは話を続けた。
「〔――そのPK共が掲示板では相当有名になっているくらい暴れているって事実についてだ〕」
「〔……それだけ裏で大騒ぎになっているのに、新聞では大したこと書いていないんですね〕」
「〔ハイダニア周辺のプレイヤーコミュニティを管轄する新聞社は運営の犬だから、運営に忖度して情報を隠しているんだろう。だから、新聞の情報は絞られている。PKの度を越した暴走はシステム、ひいてはゲーム全体の批判に繋がりかねない〕」
(このゲームの運営って、そういう汚い話多いな……)
ちらちらと見え隠れしてしまう大人の事情を知り、レットは内心で辟易する。
「〔とにかく、この“二人組”とは正直戦いたくない。視界の悪くなりがちな雪山で待ち伏せされたらひとたまりもない。この二人組を狩るために、有名なPKK達が単独で何人も登山したようだが、やり返され続けて掲示板で煽られて何人も失踪しているな。そいつらは全員、真正面でやりあったらおそらく俺よりも強いだろう〕」
「〔うぐ……。じゃあ、このまま登っても最悪全滅しちゃうってことですか……〕」
「〔抜け道はある。このPKは二人組故か、3人から4人までの少人数のプレイヤー集団のみを狙っている。つまり、俺達も一時的な同行者を増やせば良い〕」
「〔でも、下山までずっと同行するメンバーが増えるといろいろめんどくさいことになりません?〕」
「〔短時間の登山に限定するなら、俺達の事情を知らない人間が混ざっても問題は無いはずだ。デモンの事態解決について必要な会話はパーティ会話ではなく、チーム会話を使って話せば良い。山を下りる時は、登りとは違う一方通行のルートがいくつかあるし、最悪“死んで戻れば良い”からな〕」
「〔うーん。クリアさんの言っていることは、理解できなくはないですけどォ――〕」
レットは再び隣に座っている少女を見つめる。
デモンは料理を食べながら、鼻歌を歌っていた。
「〔――状態がよくなったとはいえ。デモンを必要以上に怖がらせないプレイヤーじゃないと短い時間一緒に登山するのも、難しいと思いますけどォ……〕」
「〔だからこそお前に頼みたいんだ。PKが邪魔で、山登りがしたくてもできない人間が他にもいるだろうから、この町の募集掲示板を見て同行者となりうるメンバーを探してみてくれ〕」
(他に手が無いなら、仕方ないか……)
「〔……わかりました。やれるだけやってみます〕」
「〔あまり気負わなくて良い。タナカさんが一足先に行って、募集状況を調べてくれているはずだ〕」
タナカが同伴することを知って、心底安堵するレット。
(そっか、タナカさん――山登りにもついてきてくれるんだ。……何故だろう。クリアさんが同伴するより遥かに安心するな……)
「……あむ…………………………お肉――はみ出た」
包み焼きの包みの肉を噛み切れなかったのか、デモンの口から鳥肉が垂れている。
デモンはそれを、口をもぞもぞと動かして吸い取るように食べていく。
その表情は乏しかったが、しかしレットには不思議と穏やかさのようなものが見て取れた。
『あるあるなのよね。ちゃんと噛み切って食べないと、包み焼きに入っているお肉がはみ出ちゃうのよ! ちなみに言うと、私のお腹のお肉がはみ出ちゃったのも、“ちゃんと噛まないで食べ続けた結果”なのよね~♪』
(あの人がこの場に居たら、こんなこと言いそうだよなぁ……)
レットは一瞬苦笑して、この世界からログアウトしていった仲間に思いを馳せる。
(山登りに必要なメンバーは、あと一人か二人ってところか。ケッコさんは……駄目だったんだよな)
レットはワグザスの町の厩舎でログアウトしたケッコとの会話を思い返した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『話はずっと聞いていたし、登山をするっていうのも個人的には賛成。だけど、私はそこまでの長居はできないわ。もう夜勤のために寝ておかないといけないの……ごめんなさいね』
馬車のメンテナンスをしていたケッコは、レットの方に向き直らずに小さな声で謝った。
『あ――いえ! 謝らなくたっていいんですよ。ここまで連れてきてもらって、オレ感謝してますし……』
『正直登山は愚か、出発まで待っていられないわ。天気予報では雨季の影響で、もうすぐワグザスの雪も――――――雨に変わるみたいだしね』
なぜかレットには、そう呟くケッコの背中がいつもよりも小さく見えた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
(気のせいかな。ケッコさん、デモンと直接顔を合わせるのを避けているような――――――――“雨”か……)
レットは座っている状態のまま僅かに身を乗り出し、ぼうっと空を見つめた。
先ほどまで降っていた雪は気がつけば小雨に変わっていた。
(あの人……雨が嫌いなのかな?)
「――レット。食べ終わった。時間がかかってごめんなさい……」
「オレこそ、食べ終わった直後にごめんね。ちょっと呼び出しを受けていてさ。一緒に山を登るメンバーを募集掲示板で見てきてほしいって、クリアさんに言われているんだ。雨が大降りになっちゃう前に、一緒に行こう」
レットの言葉を聞いて、デモンはボーっと表情のまま僅かに頬を膨らませる。
「……レットとタナカと私の三人だけで――登りたい」
「でも、悪いPKが居るみたいなんだ。皆で登らないと、襲われちゃうからさ」
「心配……ない。レットが守れと命令してくれれば私は絶対に守る……。倒せと言えば――誰だって倒してみせる。殺せと言えば――どんな相手でも絶対に殺す」
レットにはその言葉にだけ、一切の感情が籠っていないように感じられた。
「び、びっくりするなあ……。どうして突然、そんな物騒なことを言うのさ?」
「……そうするのが私にとって――普通だから。どうしてそう思うのかは――わからない」
困惑したレットは、頭を掻きながら思案する。
(――馬車の時、デモンはオレを守るために必死になってくれたのかもしれない。でも、あんな滅茶苦茶な戦い方をデモンがしなくても大丈夫なんだって……オレがきっちり言えたら――良いんだろうけど………………)
言えるわけが無い。
レットは“自分自身の弱さ”を嫌という程理解していた。
「うーん……なんていうかな……デモンには、手伝ってほしいんだ。その――『デモンを助けられない非力なオレを、手伝ってほしい』!」
デモンはレットの言葉を理解できなかったのか、不思議そうに首を傾げる。
「オレは……まだ弱い。それはよくわかるんだ。だけど、今、オレにとって大事なのはオレじゃなくてデモン自身なんだよ。だからデモンが確実に山に登るために、オレができることは全部やりたいんだ」
「……それは……よくわかる。レットが――私なんかのために頑張ってくれているの……私にはわかってる……」
「『私なんか』なんて……自分を自分で悪く言っちゃ駄目だよ!」
(人のこと言えないけど……)
「……ごめんなさい」
「謝らなくても良いよ。ただデモンには一つ、良ければオレのお願いを聞いてほしい」
「……お願い? 命令――じゃなくて?」
「そう――"お願い"。オレは、君に降りかかる危険を少しでも減らすことを望んでいる。だから、さっき言ったように『デモンを助けるオレを手伝ってほしい』んだ」
デモンは首を傾けて、ボーっとした表情で空を見つめる。
考えごとをしているのか、何度か目が動いた。
「…………わかった……私――『私と一緒に居てくれるレットを手伝う』」
「――ありがとう。それじゃあ、募集掲示板に行こう」
レットは左手でデモンの右手を握る。
二人はゆっくりと立ち上がった。
「やっぱり――レットの手……温かい……」
「……ずっと握っていれば、デモンの手も――そのうちきっと暖かくなるよ」
(“ずっと握っていれば”……か……)
レットは自分の言葉に悔しさを感じて唇を噛む。
山登りでは“それが叶わない”と予感していたからだった。
『余程の大所帯にもならない限り、多少なりともデモンが戦闘に参加することは避けられない』
そういう予感があった。
(それにしても……二人で手をつないで“募集掲示板に行く”っていうのは――――…………)
歩き始めた直後にレットは足を止めて、目の前にある自分が下りてきたばかりの階段を見つめた。
「――どうか……したの?」
「いや……何か、既視感っていうのかな? 前にもこんなことがあったような……」
「私もたまに感じる……。レット、それ――」
デモンがレットの左手をじっと見つめる。
「――食べないのなら……………………貰って良い?」
「ひょっとして、気に入った?」
「……………………うん」
手をつないだまま、二人はワグザスの街の中をゆっくりと歩く。
レットは、道行くプレイヤーから僅かながら奇異の目で見られているような気がした。
(デモンの職業はオレと同じ『ソードマスター』だけど、防具の雰囲気が全然違う……デモンの恰好はやっぱり少し目立つのかも……)
しかしレット自身は、曰くのある彼女の装備品よりも、彼女の背中に磁石で固定されている巨大な剣が気になっていた。
レットはクリアから、それが『登山を決定づけさせたアイテム』であるということ以外の情報を教えてもらっていなかった。
(あの剣についての細かい情報は……後でクリアさんがチームで確認を取るって言ってたな)
デモンに気づかれないように、レットはこっそりとチームの会話に入ると――
《ふーむ。本人に覚えのない“でっかい剣”ですかにゃ? 名前を聞いたらすぐわかりますにゃ。それは間違いなくハイゴウル山脈で手に入る物ですよにゃ》
――そこでやり取りしているクリアとネコニャンのタイムリーな会話が、レットの脳内に聞こえてくる。
デモン自身が『レットやタナカがいない時はチームの会話には入らない』と断言していたためか、そこではデモンについての話し合いが躊躇なく行われていた。
《そうです。それは俺でも間違えません。あの少女が何本も持っていた剣はハイゴウル山脈で“あのモンスター”が落とすアイテムです。そう――ハイゴウル山脈で一番デカい龍…………ネコニャンさん。なんて名前でしたっけ?》
《……【北峰のヨォウム】ですにゃ! このゲームの上級者なら誰でも知っているような情報なのに、そこだけうろ覚えって本当にいい加減ですにゃ……》
レットは会話に参加しようかと思案する。
しかし今、初めて歩く町の中で進む道を選んでいるのは自分自身であり、会話に集中して迷ってしまっては元も子もない。
何より、自分が発言しているとデモンに気づかれるとチームの会話に彼女が参加してしまい会話が滞る。
結局レットは、自分で調べたこととクリアに教わったことを思い返しながらチーム会話を聞くだけに留めておくことに決めた。
《そうそう、それです! デモンが何本も持っていたのは、そのヨォウムが高確率で落とす“ハズレ枠の剣”だったはずです。そこも俺はちゃんと覚えています。似たような見た目の“アタリ枠の剣”も存在しているはずですが、そっちは複数本持てないし、他人にも譲渡できないし――何よりアタリは光りますからね》
《ま、装備的にもほぼ間違いなく“アタリ剣”狙いであの娘はヨォウムと何度も戦ったことがあるんじゃないですかにゃ? さらにもう一段階上位の超レア武器もあるんでそっち狙いかもしれないけどー》
《なるほど。いずれにせよデモンは、この周辺の土地でドラゴン狩りを生業にしていた……。まるで、この土地に“魂を縛られているような遊び方”をしていたってことになる……》
チームの会話を聞いてレットは自分で調べたことと、クリアに教わったことを思い返す。
デモンが何本も持っている特大剣は、非常に凶暴な竜が落とすアイテムであり、間違いなくハイゴウルで手に入る物である。
――それは間違いないのだが、同名のモンスターは専用のレイドでも登場するためそこで手に入れることも可能なのである。
ハイゴウルのヨォウムと比べるとレイドに登場するヨォウムの方が倒しやすいのだが、アイテムを落とす確率も低く再挑戦にも時間がかかる――要するにレイドは『とても時間はかかるが楽な道』ということになる。
逆に、難易度が高い反面入手確率が高いのがハイゴウルのヨォウムなのである。
つまり、山を何度も上り下りしてヨォウムと戦うルートは上級者が選ぶことの多い『効率重視だが険しい道』ということであった。
《何を狙っていたとしても、山を登ってヨォウムと何度か戦っていたってことはよっぽど廃人な遊び方をしていたってことですにゃ。その場所まで行くことができれば、あの娘が新しい何かを思い出せるかもしれんのは理解できるんですけどお~……。でも、うーん……急を要する上に自由に動けるメンバーが少ないとはいえ、クリアさんがその“山登り”に同伴するってところがものすっごく不安なんですよにゃ……》
《安心してくださいよ。タナカさんが、道中の道やモンスターの弱点、特性まで完全に予習して記憶くれました。迷うことはないと思います!》
《他力本願じゃないですかにゃ! 自分で言っていて情けないと思わんのですかにゃ!? 本当にクリアさんは運が良かったですにゃ。超有能なタナカさんが同伴してくれて感謝感激ですにゃ。というわけで、クリアさんは自分にも感謝ですにゃ。どれもこれも、自分が『ゆーきゅーぶーすと』使ってお年寄り達の面倒をタナカさんの代わりに片手間に見るからこそ成立するんですにゃ! ドニャッ!》
《どうだか……。どうせ“お年寄りたちの面倒を見る”って大義名分があったから会社の休みを取れたんでしょ? きっと『調子の悪い親族のお見舞い』とか嘘ついて通らない有給休暇を通したに違いない。ネコニャンさんがノリノリで手伝いをするときは、“自分自身に益があるときだけ”ですからね》
《ぐぬぬぬ……。そんなんいうたって、会社に嘘ついたら何故かすぐバレちゃうんだからしょうがないじゃないですかにゃ……》
(否定しないってことはネコニャンさん、図星なのか。自分に益があるときだけ手伝いに乗り気って、結構がめついんだな……。会社も会社でお休みくらいすぐ取らせてあげればいいのに……)
《言っておきますけど~、こう見えて自分はちゃんとワサビさんの指導の元、お手伝いをしてるんですにゃ! 最近はじっちゃんばっちゃんの細かな変化も見逃しませんにゃ。例えばー、今日はいつも色々注文がうるさい“〇〇〇 △△”さんも、まるで憑き物が落ちたかのように凄く静かでじっとしてますにゃ。おひげも引っ張らんしー。これは“あにまるせらぴー”ってヤツが効いたに違いませんにゃ!》
《……単純に、飽きられちゃっただけなんじゃないですか?》
《クリアさんはああ言えばこう言う……。それにしても、あの娘が“パーティ外部からの回復やバフを拒絶する設定”になっていたのは納得ですよにゃ。ヨォウムは占有権が存在するモンスターで、戦闘する権利を奪い合うのは日常茶飯事ですからにゃ。ヨォウムと戦えなかった外部の人間が『戦闘中のプレイヤーに回復魔法をかけた上で、ヘイトを自分だけで高める行動を繰り返した後に戦いの場から遠ざかろうとする』からにゃ》
《実際、それをやるとモンスターが占有権の無いはずの自分を追いかけてきて大騒ぎになってかなり面白いことになりますからね。自分も昔は業者相手にモンスターを“引っぺがして強奪”するためによくやってました。ヨォウムとかつて日常的に戦い、ワグザスとハイゴウルを行き来していたデモンは、悪人から身を守るために外部からの干渉拒絶を設定していた――というわけか》
《………………神妙なトーンで話してるけどクリアさんは本当に屑ですよにゃ……何さりげなく過去の悪行を語ってるんですにゃ……。そんなんだから、ちょっと話すとドッと疲れるんですよにゃ。自分はもう会話から一旦抜けますにゃ……》
「〔レット。ちょっと良いか? 登山を決定づけた、デモンに持っていた武器についていくつか新しくわかったことがある――〕」
チームでの会話が終わると同時に突然クリアから囁かれて、レットはドキリとした。
「〔あ、いや! スミマセン――今の会話こっそり聞いてました……〕」
「〔なんだ……聞いていたのか? それなら、その前に話していたロックやテツヲさんとの会話も割愛して良いな〕」
「〔その話は初耳です。聞かせてください。あ、でも――話し込むと道に迷いそうなんで情報だけ教えてくれればそれで良いです〕」
「〔わかったわかった。俺が一人で勝手に話すぞ。デモンについて、テツヲさんと一緒に改めてチームに居た“ロック”に質問を飛ばしてみたんだが――〕」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『アンタも今やチームメンバーの一員だからな。タナカさんから話は聞いていたはずだ。あの娘に関して、何か新しく分かったことは無いのか?』
『私が何かを知っていたとしても、それを伝える権限は存在しません』
『“答えられない”か。知りたいことは他にもあるんだがな。例えば……果たして運営は“俺達を一体いつまで泳がせてくれるのか?”とかな』
『私はあくまで一個人として、状況を観察している身ですので――』
『それなら、“一個人としての見解”を教えてくれ』
『――時間的な猶予は“あまり無い”のでは』
『……なあ、ロックさん』
『何でしょうか』
『俺はこのゲームをずーっとやって、何度も運営の対応にイライラしてきた。だけど今回こそは、上からのきちんとした報告を期待してる。何せ――――――人の命が掛かっているからな』
『………………期待するのは自由です。私はこれで失礼します。楽しい冒険を』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
クリア伝手に二人のやり取りを聞いて、レットは思案する。
「〔あまり時間がない――かぁ……どういう意味なんだろう?〕」
「〔状況が悪転しているのか好転しているのかのどっちかだな。結局のところ何もわからない。情報源として、彼女はあまり頼りにしない方が良いかもしれない。
「〔その場に居たテツヲさんは何か言ってなかったんですか?〕」
「〔『板挟みになっているあいつにもあいつの事情がある。話したくても話せないこともあるんだろう。わかってやれ』だとさ。『冷たいように見えるが、ロックは他のGMと比べれば格段に善いヤツ』なんだと。確かに、一人のプレイヤーとして事態に介入してくれているだけありがたいといえばありがたいが……………………。一応、デモンのプロフィール画面に書いてあった情報はロックに伝えてあるが、事態が好転するとは思えないな〕」
「〔キャラクターの【プロフィール画面】って、名前とか自分が所属する国とか自分の――――キャラクターの誕生日とかが載っているアレですよね?〕」
「〔そうだ。“キャラクターの誕生日”だ。現実の情報に合致しているかもしれないと思ってな――待てよ? レット、お前はキャラクターのプロフィール画面の情報は変えてないよな?〕」
「〔な、何ですか急に? ちょっと前にフォルゲンスでクリアさんに見せた時があったじゃないですか。その時から何一つ変えてませんよ〕」
「〔そうか……。いや、テツヲさんの“ロックは善いヤツ”という情報……それを“何か”に使えそうだと思ってな〕」
「〔――え? その話とオレのプロフィール画面になんの関係があるんです?〕」
「〔……話し込み過ぎたな。いずれにせよ俺達は当初の予定通り、可能な限り早く山を登る――少なくとも今日のうちに中腹までは登ってしまうべきだろう。例え、途中でデモンの強制的な就寝時間を挟むことになったとしてもだ〕」
「〔ゲーム内の明日以降は、『山の麓の天気が激烈に悪くなる』って新聞にも書いてましたね。吹雪くと登れなくなっちゃうんです?〕」
「〔さすがにゲームだから絶対に登れない日があるわけではないんだが、山の登りやすさは天気によってまるで違う。今日を逃すとゲームのシステム的な意味で手間がグーンと増えるぞ。――俺が運営にキレたくなるくらいにはな〕」
「〔うわぁー……それはすぐにでも登った方が良さそうですね〕」
「〔だからこそ、メンバー集めをなるべく早く頼む。掲示板に行き着くまでに、道に迷わないように気をつけろよレット〕」
改めてクリアに話を打ち切られつつも釘を刺されて、レットは自分の進んでいる道に不安を覚えた。
しかし直後に、その心配は杞憂となる。
レットの目の前には――大量の紙が貼られた黒色の混じった木製の看板がいくつも並んで立てられていた。
それらの看板には雪を鑑みてか廂のような物が設置されており、疎らながら他のプレイヤーの姿があった。
レットは一番右端の人気の少ない看板の下を見つめる。
そこには身長の低い緑色の何かが看板を見上げるように立っていた。
(あ、タナカさんだ)
どうやらタナカは、システム経由で募集の内容を吟味しているようだった。
「おや――これは、レットさんにデモンさん。お待たせしてしまい申し訳ありません。クリアさんとお話しすることが多かったもので……」
「大丈夫だよ。ここに来るまで何も問題は起きなかったし。そんなことよりタナカさん――」
レットの言葉をデモンが遮る。
「タナカも……私と一緒に――山に登ってくれるの?」
「ええ、勿論ですよ」
「……タナカがとっても忙しいの……私、知っている。なのに――――ごめんなさい」
「謝らなくても大丈夫ですよ。さぁ、デモンさんも私と一緒に山を登るお仲間を探しましょう」
タナカの指示で、デモンが看板に張り付くように近づいて、表示される情報を調べ始める。
タナカの背中からレットが囁く。
「〔タナカさん。本当にデモンと一緒に居て大丈夫なの? オレなんかよりも、他にやらないといけないことが他に沢山あるはずなのに……〕」
「〔お気になさらないでください。結果的に自由に動けるのが私になってしまったというだけの話です。ネコニャンさんのおかげです。ここまで来れば一蓮托生。このタナカマコト、最後の最後までお付き合いいたしますよ〕」
「〔――ありがとう〕」
感謝しながらレットが掲示板の一つに近づく。
眼前に、募集掲示板のウィンドウが表示された。
「えっとォ……山登り……山登り……。結構募集の流れが早いみたいだけど。山を登りたいって人は居たの?」
「正直な所、ほとんどいらっしゃらないようです。『特定の目的のために山を登る』募集はあるのですが、それらの目的地は件のモンスターの出現場所とは全く違った場所となっていまして……。目的が一致していても『一気に登頂し、下山まで全員で行動する』前提であったりと"ただただ山を登るだけ"の募集となると中々、見つからないのです」
レットは腕を組んで考え込む。
(オレ達は、『ただ山を登る』だけのメンツを集められればそれで良いんだけど……)
「うーん……単なる山登り……山登り……」
呟きながらレットは募集を調べる。
「山登り……山登り……」
「山登りぃ~……山登りぃ~……」
「山登り……山登り……」
「山登りぃ~……山登りぃ~……」
「山登り……山登……あれ?」
いつの間にか自分自身と誰かの声が被っていることに気づき、レットは咄嗟に黙り込んだ。
「山登りぃ~……山登りぃ~……いっつもそうだぜ。自分達の合致する募集ってなっかなかねぇんだよな~。世間的にも肩身が狭いからなのかねえ……。なあ、なんかいい案ねえかな?」
その透き通るような中性的な声の主は、自分たちのすぐ横の看板の前に居た。
白いローブを来た金髪のヒューマンの少年のキャラクターでまるで羽の無い天使のような外見をしている。身長はレットより僅かに小さい。
彼はその端正な外見にやや反した砕けた立ち振る舞いで、背後にいる巨大な何かに気さくに話しかけていた。
「周囲ニ……聞コエル声デ……喋ラナイデ欲シイ……。何時モ言ッテル……」
巨大な何かから野太い声が聞こえる。
声の主を見て、レットは驚愕した。
(うわ……デッカ!! この人の種族は、ケパトゥルスか! オレが見てきたプレイヤーの中で一番デカい!)
そのキャラクターの身長の高さはレットの二倍近い。
物々しい重鎧の隙間から見える緑色の肌から、彼の種族がタナカと同じ、希少なケパトゥルスであることが伺える。
おそらく“彼にとっての中サイズ”である大剣を背負っていたが、使用者のサイズに併せているのか――デモンの持っている特大剣とそのサイズが大差ない。
こちらは厳つい外見に反して、どこか自信なさげな立ち振る舞いだった。
「やぁれやれ、シャイなのは結構だけどよぉ。一時的にパーティを組むっていうならその人見知りはいい加減治さなきゃいけねぇだろ?」
「モウ……治ス必要ナイ……。死壊層ヲ超エラレレバ……僕ハ、ソレデ良イ……」
「死壊層!」
叫ぶほどではなかったが、レットは反射的に大きな声を出してしまう。
唐突に自分たちの会話の内容を復唱されて驚いたのか、金髪の少年はレットに振り向いて、ケパトゥルスの男性キャラクターはゆっくりとその背後に回り込んだ。
「なんだ!? アンタら、山登りが目的なのか!? ひょっとして例のやべえPKから狙われないようにしたいとか?」
「あ、はい。そ、そうです……。死壊層さえ超えられれば後は何でも良いんですけどォ……」
「かしこまるなよ! もっと気楽に話そうぜ! いやはや~似た目的の仲間が見つかって良かった! ――おいおい、小さくて気づかなかったけどお前の“同類”も居たじゃねぇか!」
タナカを見つけたことで金髪の少年は嬉しそうに大男の腹部を叩くと、居心地が悪そうに大男が縮こまった。
「ハハハハ……。これはこれは、珍しいお仲間ですね。しかし、私たちは――」
「そ、そうだ! ――オレ達、まだ一緒に登ると言ったわけじゃ………………」
弁解しながらレットは振り返ってデモンの様子を見遣る。
デモンは驚いていたのか、珍しく両目を見開いてぱちくりと瞬きをしていた。
(オレはいいけど、この二人じゃデモンが駄目だろうな……)
――しかし、レットの予想に反してデモンは小さく頷く。
驚きながら、レットはデモンに身を寄せ耳元で直接囁いた。
「(――え? この二人で良いの?)」
「(うん……大丈夫……。私、この二人なら……良い。怖くない――平気)」
「おいおい~。内緒話はやめてくれ~。はっきり言ってくれよ。自分達じゃ、駄目な理由でもあるのか?」
迷っている間も少年はぐいぐいと迫ってくる。
今のレットに逡巡している余裕はない。
「う、だ、大丈夫みたい……です」
「もっと砕けろって! そこは“大丈夫!”だろ」
「――だ、大丈夫。オレ達と一緒に山に登ろう!」
「よっしよし! 話が早くて嬉しいぜ。決まりだな!」
けらけらと笑って少年はレット達に自己紹介をした。
「自分の名前は“Tovu”! んでこのデカイのが“Ihtro”だ。呼び捨てで構わねえぜ! しばらくの間よろしく頼む!」
【七面鳥の香草包み焼】
下味を施した七面鳥の肉にポケットサイズの空間を多数作り、そこに糖質を確保するためのライスと寒冷地特有の短いサイズの薬効の高い香草をたっぷりと入れてイントシュアから提供された鋼鉄製の蒸気式圧力釜で加熱することで旨味を凝縮――熟成させ、さらにその上に似たような製法で作られた高カロリーのタレをこれでもかと浸透させた料理。
パンチが効いていながらも不思議と塩分を少なくできているこの肉料理は、多量のカロリーを含む料理が好まれているという設定のワグザスの寒冷地下で、必要なエネルギーを摂取できる。
味の濃さは、登山で忘れがちな水分の摂取を食した人間にわかりやすく意識させるという目的もあった。
一度作ってしまえば冷めても美味しく食べれるように(温度によって味が変わる)なっていて、不思議なことに液性もなく携帯性に優れているので登山での行動食にも使われていた。。雪山に登った際にはシンプルな味付けの野菜スープや暖かいコーヒーとの相性が抜群に人気。それとは別にゲーム的な効果として一定時間寒さを感じづらくする効果があるようだ。
――とはいえ、実際にプレイヤーがゲーム内で低体温症になったり栄養失調を起こしたりするわけでは無い。これはあくまでエールゲルムの世界設定の中のお話である。
【ハイ・ハイ合戦】
かつてワグザスを奪還したハイダニア王国が自国を守るために、後のハイゴウル山脈を頂上を踏破しつつフォルゲンスに進軍しようとした結果――戦うことなく全滅してしまった"戦い"のこと。
山脈に"ハイ"ゴウルと名付けられたのはその戦いの後である。
しかも名づけたのはフォルゲンス側であり、ゴウルとはフォルゲンスの民謡で【愚か者】を意味している言葉である。この合戦の名前は山脈の命名と共につけられた。
この世界でハイハイという単語は存在しないが、結果的に現実世界からのメタ視点でハイダニア王国に対する蔑称になってしまっている。
フォルゲンス共和国の国民はひょっとすると、陰湿なのかもしれない。
歴史的に大敗を喫した愚かな進軍ではあったが、このハイダニア軍の無謀な挑戦のおかげで山脈の地図が作られ、現在の(比較的安全な)登山ルートが定められているという設定がある。
『例え愚か者だと誹られても、最後までやり切ったその姿勢は嫌いじゃない。僕の“行くべき道”もいつもたった一本だけだったし――行き先はいつも頂上だった』
【雪玉を投げる】
エモートの一種。
足元の雪を固めて対象のキャラクターに向かって投げつける。
ダメージなどは一切ない。
特徴として、命中率がほぼ100%なことが挙げられる。
つまり、どれほど対象が高速で移動していようとターゲット範囲内でこのエモートが発動してしまえば避けることができなくなる。
(以下は、デモンとレットの和気藹々とした投げ合いの一例)
「……えい――てい」
「うわ! この~……やったな~! ――そ~れっ!」
連打したり移動するとエモートの後隙をキャンセルできる。
この仕様を悪用して、高速で雪玉をぶつけ続けたり、即座に居直る等の悪戯に使われることも多い。
(以下は、かつてのクリアによるネコニャンに対する一方的な投げつけの一例)
「ぐぇーっ! 人ごみの中から雪玉をバシバシバシバシバシバシ連続でぶつけ続けるのやめてくださいにゃ! ちょちょちょ……冷た……冷たっ! これ絶対クリアさんですにゃ!」
「ネコニャンさん。もうちょっと気づかないでいてくださいよ! 投げつけた後に、どれだけすっとぼけられるか試していたのに……」
使用者の性格の違いがよく出る名エモート――なのかもしれない。




