第十一話 或る旅人の話
『【ワグザスの町】黒い屋根と白い壁。モノトーンで統一された白木と黒鉄でできた建物に囲まれている、落ち着いた雰囲気の町。
かつて山脈を越えてきたフォルゲンス共和国とハイダニア王国の戦場となったことがある。
その際にこの町は火を放たれ全焼してしまったが、イントシュア帝国の機械技術による“善意”の復興が成され、それまでは真っ白だった家屋に半分“黒”が混ざるようになった。
イントシュアの“機械的なディテール”と、ハイダニアの“自然の優美さ”が半分ずつ混ざり合った街並みは、今や観光スポットの一つとなっており、同じ寒冷地でもフォルゲンス側にある“荒涼かつ寂寥感溢れるアロウル”とは対照的なデザインをしている。(それを象徴するかのように、この町の家屋の煙突から揺らぐことなく真っ直ぐ天に上がっているのは、煙ではなく蒸気である)。
主産業は観光であり、作中で起きた戦乱の歴史を知ることのできる博物館が設置されている』
宿屋のテーブルの上に開かれた本の頁を、俺は呆けた表情で読んでいる。
隣の部屋に居るレットにこの頁の内容を話した後に、観光でもさせてやろうと考えていたのにとても残念だ。
今の俺達に、そんな余裕は全く無い。
《馬車の中でも聞いたけど――チームの会話で改めて、君に質問をしても良いかな?》
隣の部屋で聞き込みをしているレットの声が、チームの会話を通して聞こえてくる。
《――何? どうか――――したの――――レット》
少女の雰囲気は、あの戦いを経て変わった。
彼女の精神はもう、乳児や幼児のそれではない。
《本当にさ。なんでも良いんだ。君が何か、思い出せることって――ないかな?》
《――何かって……どういう――意味? 私には――》
彼女の話し方は以前よりもはっきりしている。意思疎通もできる。
しかし――
《何も――――思い出せない。――――……何も――何もわからない。わかるのは――――――――――自分の……身体の動かし方だけ》
《身体の動かし方って、“現実の方”?》
《…………現――実? 現実……って“何”?》
隣の部屋の低い位置から深呼吸のように、大きく吐く音が聞こえて来た。
それはおそらくタナカさんが誤魔化すように吐き出した溜息だろう。
それが深呼吸のように聞こえたのは、“湧いてきた失意の念”を彼女に伝播させないために、彼が咄嗟に気配りをしたからに違いない。
《――君は定期的に、ログアウトをしていたよね?》
《ログアウト……お休みをする時――のこと?》
《そ……そうだよ。ゲームをログアウトした後。その時に、君は身体を動かしたりするでしょ?》
《その後のことは……わからない“真っ暗”。身動き…………取れない。何もわからないまま――ここで目が覚める》
何度質問しても、帰ってくるのは同じ答えばかりだ。
空腹は感じないようだが、本人曰く食事をした記憶以前に、現実世界のほとんどを認識できていないようだ。
ここに到着する前に馬車の中でレットとも話し合ったが、彼女が現実世界で“良くない状況”に置かれている――と推測せざるを得ない。
《お休みする時にわかるのは“さされている腕が、ちょっと痒い”って……ことだけ……》
……“腕が痒い”。
もしかすると、現実世界のデモンの腕には点滴等を目的とした管がついている可能性があるのではないか――と俺は推測した。
《……いつも、君は現実の夜の決まった時間に眠っているよね? ゲームにいる時も、居ない時も》
《急に……眠くなるの。後は――そのまま……夢を見る……それだけ》
彼女にとって定期的な眠りを阻害することは難しいことらしい。
――やはりおかしい。
現実の話もある程度出来る年寄り達と比較して、明らかに彼女の陥っている状況だけが異常だ。
何か、外部からの強い干渉を受けている可能性がある。
「あと……その……ちょっと、聞きづらいことがあるんだ」
レットが“チームでの会話”を辞めた。
「嫌だったらもちろん。黙ってくれて良いんだけど……」
「――――――何?」
「あ……えっと……」
黙り込んでしまったレットに俺が“囁き”を入れた。
「〔――レット。その件は大丈夫だ。この場で聞く必要はない。後でタナカさんに再確認してもらえば良い。あの娘と二人っきりの時にな〕」
「……ごめん。なんでもないんだ」
レットが問いかけようとした内容は、トイレや風呂と言ったデリケートな部分の質問だった。
「〔その話を馬車の中でされたのって、タナカさんだけなんですよね? オレって……信用されていないのかな……〕」
「〔あの娘にも恥じらいってものがあるようだな。お前にも、人によっては言えないことってあるだろ? その娘にとってのお前が“父親”で、タナカさんが“お母さん”なら、しっくり来る話だ〕」
しかし、申し訳ないが、彼女の安全保全のため俺とレットには情報が筒抜けになっている。
トイレや風呂などはどうしているのか――詳しくは本人にもよくわからないらしい。
フルダイブのゲームプレイ中には緊急時の事故が――特に女性に多いらしく、性別問わず廃人プレイヤーがオムツをつけたまま遊んでいたという笑えないような都市伝説も聞く。
――とはいえ、生理現象を放置したまま遊び続けるプレイヤーは当然非常識だ。
そういう遊び方が本当に実在するかはどうかは定かではないが、流石に、俺の知り合いの中にそこまで行ってしまっているようなプレイヤーは居ない。
タナカさんはここに至る前――馬車の中で、彼女に対して身体が感じる不快感などがないか等の聞き込みをしていた。
そして、その結果“普通のやり方ではないだろうが、おそらく酷いことにはなっていない”という推測を立てていた。
今は、“タナカさんのこの推理”を信じようと思う。
――――――“信じられる理由が、今の俺にはあるからだ”。
それにしても、話を聞けば聞くほどに、まるでデモンはゲームの中だけで生きているNPCのような奇妙な存在のようだった。
自分のことを何も知らない彼女はゲームの世界で生きている。
システムの中が全てで、複雑なUIに囲まれているのが当たり前になっている。
だからこそ、自分をある程度取り戻した彼女は、テツヲさんから権限を譲渡されたレットによってすんなりチームに入れることができたわけだが……。
《それと……さっき、馬車の中で君の所持品を見せてもらった時なんだけど――》
《ん………………――》
少女が黙り込む。
俺は、馬車の中で彼女の所持品を見ようと近づいて酷く怯えられたことを思い返した。
なんとも情けないが、ああも怯えられてはレットを通して謝る他に手段がない。
《ごめんね。君を怖がらせちゃって。――オレ、まだこのゲームにそこまで詳しいわけじゃないから。どうしても“詳しい人”に君の所持品を見てもらう必要があったんだ》
そして残念なことに、収穫はほぼゼロだった。
結論から言うと、彼女は他プレイヤーの名前や存在を臭わせるアイテムを一切所持していない。
つまり、今の彼女の所持品から知り合いや知人の情報を得ることは出来ないというわけだ。
《……君は、クリアさんのことが怖いの?》
《………………ごめん――なさい》
《あ、謝らなくていいんだよ! そりゃそうだよ! 頭もなんか変だし、装備品の色もめちゃくちゃだし肌は白いし気味悪いもん。怖いのは当たり前だって! 実際やることなすことめちゃくちゃだし、俺だって不気味に思うことがあるから、そんなの普通だよ!》
声に悪意が全く籠っていないとはいえ――畜生コイツ、本人が聞いているのに思い切ったことを言いやがる。
そして、その辛辣な批評に対して俺というプレイヤーは何一つ言い返せない。
……“頭が変”というのは頭髪のことについて言及しているのだと信じたい。
《そ……そうです。普通のことですよ》
……タナカさんも、お願いだから俺に対して追撃しないでほしい。
《あの人は……怖い。けど――――特別、嫌いなわけじゃない。怖いのは――ほとんどの……誰に対しても――そう》
《私とレットさんは、怖くないのですか?》
《タナカとレットは別。一緒にいると、とても……ほっとする。特にレットは――――私の“パパ”みたい》
《う、うーん。お父さんと居るとほっとするってこと?》
《お父さんは――――子どもに優しいでしょ? だからレットは……私のパパ》
《あ、う……うん》
何とも言えない沈黙が続く。
チームの会話を聞いているのは誰なのか――それは定かではないが、俺を含めて茶々を入れるものは誰もいない。
《それと…………レット》
《な……何?》
《“君”じゃなくて――たまには……名前で、ちゃんと呼んで欲しい……》
《な――名前っていうのはつまり……その……》
レットが口ごもっている。
俺はどうするべきか迷った。
いずれにせよ何らかの形でレットにフォローを入れなければならない。
《……オイ。餓鬼》
《――――――にぃ?》
俺は焦った。完全に想定外だった。
こいつまでチームの会話にいたとは思っていなかったからだ。
ひょっとすると、奴隷扱いしているタナカさんの動向が気になっていたのかもしれない。
《…………オレはテメエの兄貴になった覚えはねえよ》
《私にも……わからない――なんとなくで……“にぃ”》
ベルシーの舌打ちが聞こえてくる。
《実はな。テメエがチームに入る前に、ここのチームメンバーの間で“裏の会話”があった。テメエがパーティに入ったから、パーティで大っぴらに話せねえようなことをクリアやらタナカがこの場で色々話していたわけだ》
《……おいベルシー。それ以上はよせ》
嫌な予感がして俺は咄嗟に制止したが、ベルシーの会話は止めらない。
《そこで知ったんだけどよ。テメエのキャラクターの本名は【My princess】らしいな》
レットが彼女の名前を呼ばなかった……“呼べなかった理由”がこれだ。どういう表情で彼女の名前を呼べば良かったのか、わからなかったのだろう。
《『私のお姫様』ってか? その割には随分とロクでもねえ扱い受けてんじゃねえか? もしもテメエに名づけ親が居るなら、ソイツは皮肉が得意な、残酷で悪辣な人間なんだろうなぁオイ》
《ベルシー!》
レットが声を張り上げる。
声に僅かに、怒りが混ざり始めている。
このままではまずい。収拾がつかなくなる――
《だからこそ。テメエはデモンだぜ》
《――――にぃ?》
《……最初に決まった時のままだ。一種の“厄除け”みたいなもんだぜ。テメエの名前はデモンだ。その名前なら、きっと悪魔以上に悪いモンは何にも寄り付かねえだろ。……おい、餓鬼。テメエ自身は周りからどう呼ばれたいんだよ》
《……デモンが良い。私も――この名前が――好き……だから》
《決まりだな。この餓鬼の名前はデモンだ。……それで良いじゃねえか》
《ベ……ベルシー……――》
感極まったのか。
レットが言葉を詰まらせ――
《――本物だよね? プレイヤーの中身が入れ替わったりしてないよね?》
――たわけではなかったようだ。
隣の部屋から、タナカさんが噴き出した音が聞こえてきた。
《うるッせえなァ! 言っておくが善意じゃねえぞ勘違いすんなよ! その餓鬼がいつまでもこのチームに居られると心底ウゼエんだよ! 今タナカがいねえと、こっちの稼ぎに影響が出るんだ。さっさとこの世界から現実に帰れっつーことだよ! ったく――》
愚痴が途中で切れた。
どうやら、チームの会話から退出したようだ。
「にぃ……やっぱり…………優しい」
「う、うーん。実はツンデレってヤツなのかなぁ?」
レットが独り言ちるが、果たして……どうだろうか。
付き合いが長い自分から言えば、アイツは本当に“心底出て行ってもらいたい”と思っているような気もする。
そのためにデモンの精神安定を図ったのかもしれない。
《それじゃあ、改めて……デモン。もう一つ、聞きたいことがあるんだ》
《――何?》
《デモンは馬車の中で、“ハイダニアに家を持っている”ってことを教えてくれたよね。住所はメニューで確認できるはずだから、教えてくれるかな?》
《……わかった。43丁目……北区。Nエリアの……5番地》
情報と同時に、瞬時に考えを馳せる。
(丁目の数字がかなり“若い”な。その辺りの丁目の土地は住宅街というコンテンツが無印の頃“初実装された直後”にゲームをやり込んでいるプレイヤー達に買い占められていたはずだ……。もしも、空き地を後から購入していなかった場合、デモンはかなり昔からゲームを遊んでいたということになる。しかし、後に地価が高騰して奪い合いになった4番地(今の俺達のチームの家の場所)“ではなく”その隣の5番地か……当時のデモンに、4番地を買う慧眼は流石に無かったか――それとも……)
《デモンさん。そのお家に、今鍵はかかっているのですか?》
自分から囁きを入れるまでもない。
タナカさんが自分の今最も聞きたかった質問をデモンにぶつけてくれた。
住宅街には“専用のアイテム保管庫”がある。家探しすることができれば、デモンの現実を知れるようなアイテム――ヒントが隠されているかもしれない。
《……わからない。でも、行けば――思い出せる。この世界のことだから……》
(わからない――か。参ったな。このタイミングで、ここに居る俺達の中の誰かがすぐにハイダニアに戻るのが正しい選択肢だとは思えない。しかし、今すぐ自由に動けて、手の空いている人員は――)
《フム……話は聞かせてもらった。――折を見て、吾輩が調べておこう。その程度のことなら、何も知らぬ暴れる猛獣を随伴させても問題はあるまい》
こちらもチームの会話に居るとは思っていなかったため、突然聞こえてきたその男の声に俺は驚いた。
《あ、ああ。そうか……。なら、お前がその――》
《ありがとうございます。リュクスさん!》
《アア――任せてくれたまえよ》
俺の代わりにレットが躊躇なく感謝の意を述べ、リュクスがそれに答えた。
レットはアイツに妙に気に入られている。
……それがちょっと気にくわない。
《それにしても、“行けば思い出す”……ですか。馬車でのあの出来事は、戦いに直接触れることでデモンさんが戦っていた頃のことを“思い出した”ということなのでしょうか?》
《私……戦うときは――――前に出て――――守る。そうするのが――自然だと思った。そういう風に、教わったから……》
《誰に教わったの?》
《――――――ごめんなさい。それがわからない……。でも――この宿なら覚えている。――来たことが……ある》
《本当!? 一体いつ?》
《――大分前から、何度も来た。近くに出かける時に使ったの。でも……それがどこかは――》
《“わからない”だよね? しょうがないよ。ここから“どこかに”出かけてたってことは次は、その“どこか”に行けば、また何かを思い出すんだろうけどォ……》
《それが――どこだったかは思い出せない……でも、“これ”と関係している場所……だったような気がする》
重々しい音が響いて、床が軽く揺れる。
(インベントリーに何本か入っていた“あの剣”だ。――やっぱりか!)
同時に、俺は次の目的地を確信してレットに囁きを入れた。
「〔レット。次の目的地の候補が絞れた〕」
「〔……本当ですか!?〕」
「〔ああ。ただ――ここからは長話になる。一旦、席を外してくれ〕」
俺の指示を受けて、レットがデモンとの話を切り上げる。
《……ありがとう。ごめんね。オレはこれからちょっと――外に出てくる。すぐ戻るから》
《わかった。私――ここで待っている》
《……そうですね。その間。デモンさんは私と二人っきりで、お話しでもしましょう》
レットの足音が俺の居る部屋に近づいてくるのが聞こえてきた。
《――レット》
唐突にデモンに呼び止められて、レットの足音が止まる。
《私ね――どこに行っても平気よ。レットと一緒に居ると……ほっとするから――怖くないの。戻ってきてね――必ず》
《うん――ありがとう! ……大丈夫だよ。オレ、絶対居なくなったりしないから!》
扉が開いてレットが入ってくる。俺は顔を上げなかった。
どんな表情になっているのか、なんとなくわかったからだ。
「すみません……クリアさん――」
「ここでじゃなく、外で話がしたい。だけど俺はタナカさんと話すことがある。――“先に行って待っていてくれ”」
「――はい」
レットはそのまま、宿の外に飛び出すように出て行った。
俺は隣の部屋に入ることなく、タナカさんに対して囁きを飛ばす。
「〔――タナカさん〕」
「〔わかっております。これから、デモンさんに“込み入ったご質問”をさせていただく所存です。それと、私ここでのお話は一言一句漏らさず覚えておりますので、後でチームチャットを通じて、不在のメンバーさんに私から情報を選別し、共有をしてもよろしいでしょうか?〕」
タナカさんはこうやって囁いている間にも、デモンと自然に会話をしていた。
この人は本当に頼りになる。
「〔そこまでやってくれるなら、願ったり叶ったりだ。――一つ、聞きたいことがある〕」
「〔はい……何でしょうか?〕」
「〔今までの情報を鑑みた上で、デモンの現実の状況について――“タナカさん”はどう思う?〕」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
タナカさんとの話を終えて、俺は人気の無い薄暗い宿の廊下を歩く。
宿の受付から外に出る間、ずっと考え込んでいた。
彼女の目の前にはエールゲルムという光が広がりつつある。
しかし――その先に待っている物は、果たして光なのか?
彼女の心に映る景色に、光が差し込むと同時に、彼女を包む闇が無限に広がっていくように見える。
わからない。
俺達はどこに立っていて、どこに向かっているのだろう。
彼女の過去に、一体何があったのだ?
この世界の中で、こんなお話がある。
『ある旅人が道に迷い。暗闇の中で松明に小さな火をつけた。
しかし、地面も壁も――何も見えない。
旅人は慌てて、持っている火を大きくした。
しかし、いつまで経っても闇の果てが見えない。
旅人は恐怖し、血眼になって火を大きくする。
果ての見えない闇だけが広がり続ける。終わりが見えない。
「火を大きくしても、絶望だけが広がり続ける」
旅人は項垂れ。そして――火は消えた』
……本を読むのはいつもこの世界の中でだけだ。
しかし、この話がどこの民家の本棚に置いてあったかはもう覚えてはいない。
そうだ。
あの少女の現実を知れば知るほど、事態が深刻さが明らかになっていく。
――――――終わりが見えてこない。
宿の扉を開けると外から大量の雪が吹き込んできた。
宿の中に立っている受付NPCの、張り付いたような笑顔が白くなる。
現実世界ほどではないが、それなりの寒さが全身を襲った。
外は既に陽が落ち始めていて、レットは宿の前の階段を降りた先で深呼吸をしていた。
「駄目だ……。もっと落ち着かなきゃ……冷静になれ……チクショウ……チクショウ……」
自分に言い聞かせるように呟いてから、ゆっくりと俺の方に向き直る。
しかし、レットは俯いたままだ。
俺は何も言えない。かける言葉が思いつかない。
視線を逸らすように、レットの背後に広がる大きな雪山を見つめた。
「〔……あの娘の戦いを見て――オレ。本当にショックだったんです〕」
「〔…………〕」
「〔教えてくださいクリアさん。あの娘の強さって、どのくらいのものなんですか?〕」
レットに事実を伝えるべきか、俺は一瞬だけ逡巡したが、しかし“残酷な現実を受け止めてもらう他に道はない”と結論づけた。
「〔……はっきり言ってしまうと。デモンのキャラクターは“俺よりも強い”〕」
「〔そう――ですよね。……パーティを組んでHP見たら……オレにもわかりますよ……文字通り桁が……違うんだもの……〕」
「〔先の“大暴れ”も機械のような殺意と冷徹さがあった。あの戦いっぷり、おそらく技量もゲームの中でトップクラスだ。総合的に見て、デモンの強さに対抗しうるのは俺たちのチームの中でもせいぜい一人か二人だ。あれと真正面からやりあって“勝つ”可能性があるのは、まさにあの男くらいだろうな。それもおそらく、然程高い確率じゃない〕」
自分自身が無意識に話をはぐらかしているのがわかる。
レットが知りたいのは、おそらくそんなことではない。
「〔リュクスさんって、いつも――どのくらいゲームをやっているんですか?〕」
覚悟はしていたとはいえ。
予想していた通りの話の流れになってしまって、思わず俺は黙り込んだ。
「〔クリアさん…………教えてくださいッ!〕」
「〔………………多少プレイスタイルに“遊び”が入っているとはいえ……聞いた話ではリュクスは寝るのを避けていて、無印の頃から一日に二時間程度しか寝ていないらしい。そんな生活を何年も続けていてあの強さだ。つまり――“普通じゃない”。少なくとも、お前と同年齢の人間が普通に生活して得られるような強さじゃない。だから、リュクスと同等かそれ以上の強さのデモンは――〕」
『超効率的かつ、恐ろしいほどの時間をゲームにかけてしまっている』
おそらく継続するだけで、まともな生活はまず営めなくなるだろう。
つまり、彼女は“若くして異常な環境に長期間身を置いている”ということになる。
デモンの中身がキャラクターの見た目と同じ年齢ではない――と信じていたかったが、残念ながら自分が“観る”限り、おそらく彼女の“中身”は確実にレットよりも若い少女だ。
そんな少女が、人生を捨てているかのような強さを行使している。
だから、つまり――
「〔――“普通じゃない”です。名前のつけ方だって……自分で決めたような名前じゃない! わざとなら残酷すぎる……。あの娘に馬車の中で教えてもらって、装備品をここに来る前に調べたんです。そしたら……そしたら――〕」
まさか、レットがそこまで感づいているとは思わなかった。
彼女がつけていた防具は“良くない逸話がついているもの”だ。あんなモノをデモンが装備しているのは……“異常”だ。
「〔――何にせよ。おそらく、この事件にデモンの家族か親族は確実に関わっているだろうな。タナカさんの意見を聞く限り、そいつらは医学的知識がない素人の可能性が高い。普通の医者なら、医学的な処置にVR技術ならまだしもVRMMOを直接使おうなんて発想はしないだろうからな。そして、医療従事者が本格的に関わっていないのなら、彼女に対する栄養摂取は胃ろうではなく栄養点滴などで行われている可能性が高い〕」
「〔点滴……点滴ってことは――〕」
「〔そうだ。点滴だと、接種できる栄養には限りがある。それがいつまでかはわからないが、彼女には“時間的な制限”がある〕」
レットは空を見上げて、目を瞑って大きく深呼吸した。
釣られて俺も空を見上げる。
降り注ぐ雪がゴーグルに当たって視界を覆った。
「〔――なんか、本当に……オレって無力で……何もできない〕」
そのレットの呟きは小さいものだった。
まるで、降り注ぐ雪がレットの元気を吸い取って、そのまま地面に溶けていってしまったかのようだった。
「〔オレはずっと、自分のできることを探して――せめて、あの娘を守ろうって思っていたけど……実際は、この世界の中でも……あの娘の強さに手も足も出ないんだ……。守るって言っておいて、あの娘に守られていたんじゃ、世話無いや……〕」
「〔………………………………確かにそうだな。この世界で彼女は強い。俺達のチームの中で、誰よりもだ〕」
沈黙の中、前を見つめる。
スモークの掛かったゴーグル越しに、レットと目が合った。
「〔そして――この世界の中で“誰よりも弱い”〕」
俺はレットに歩み寄って、その右肩に手を置いた。
「〔……だからこそ、“今のあの娘にはお前が必要”なんだ。お前が傍にいてやらなきゃいけない〕」
短い言葉だったが、それだけで充分だった。
俺の言葉の意味が伝わったのか、レットは自らを納得させるように何度も頷いた。
「〔そうですね――そうだよな………………〕」
俺達の体に冷たい風が当たる。
俺は思わず身を竦んだが、レットは寒がるような素振りを一切見せなかった。
自分がやるべきことを、改めて覚悟したかのようだった。
「〔……オレは、絶対逃げたりしません。――間違っても、居なくなったりもしません。ついさっきあの娘と約束したし。何があってもあの娘の傍に居ます。だから――〕」
レットの目つきが鋭くなる。
言わなくてもわかる。
レットの覚悟がこちらにも伝わってきた。
「〔――このまま、行けるところまで行きましょうクリアさん! いつも通り、悩むし怖いままだけど、今辛い思いをしているあの娘に比べれば――オレの感じている恐怖なんて…………どうってことないはずだ!〕」
「〔まったくもって――〕」
俺はレットを見つめる。
よく見ると、その両足だけが小刻みに震えている。おそらく、寒さが原因ではないだろう。
「〔――――――その通りだな。一番辛いのは“助けを求めている当人”だ〕」
そう。当人だ。
レットが彼女を助けようとしているのと同じように、俺は目の前のレットを助けなければいけない。
「〔………………絶対に何とかする。……何とかして見せるさ〕」
俺は自分に言い聞かせるようにそう囁いて、両頬を強く叩く。
それからユーザーwikiを取り出し開いた。
「〔よし! 地方の地図を見てくれレット。俺は当初、あの連中がこの【ワグザスの街】に寄ってから南下して湿地帯に来たのだと思っていた。しかし、この推理は間違っていた。“前提がおかしかった”んだ。あの連中は全く違う道を通ってハイダニアを目指していた。つまり、【夕日の丘】を通過して、その真横を通って湿地帯に向かったんだろう〕」
「〔【夕日の丘】か……『荒涼とした土地で――湿地帯のはるか西側に位置するフィールド』……ですね〕」
気がつけば、レットもwikiを取り出して自分で読み耽っている。
レットに自分で調べる癖がついたのは、色々教えている身としては喜ばしいことだ。
「〔そうだ。奴らは西側の【夕日の丘】から湿地帯に入り、そのまま北上する予定だったんだろうな。そこで俺達と戦ったわけだ〕」
「〔じゃあ、デモンがこの場所に来ていたのはそれとは全くの別件なんですね? 『あの娘はかつて……何らかの形でこのゲームをずっとプレイしていた。その時にこの辺りを頻繁に行き来していたからこの場所に覚えがあった』ってことですか?〕」
「〔その通りだ。そして、デモンが持っているあの巨大な剣が俺達の行く先を教えてくれている〕」
「〔あの剣――あの剣の名前は――〕」
「〔落ち着けよレット。そこから先は調べなくてもわかっていることだ〕」
レットを諫めて、wikiをインベントリーに仕舞わせる。
「〔目的地は、まさにお前の真後ろに並んでいる。雪の積もったあの山々だ。急場だが、一刻も早く登っていく必要があるな〕」
「〔え……? ……雪…………山?〕」
「〔そう――ハイダニアとフォルゲンスを隔てる自然要塞……ハイゴウル山脈だ〕」
何に驚いたのか、レットは目を見開き振り返る。
首に巻かれた水色のスカーフが、山から吹き降りる冷たい風に揺れていた。
次回『かつて見上げたあの山の頂へ』
【敄ノ鳥シリーズ一式】
デモンが装備していた防具。DLC【Curse of Heaven】で追加された装備。
敄ノ鳥一族は人間と敵対している"獣人”にカテゴライズされているが、その見た目は美しく巨大な羽が生えている以外は人と大差ない。
これは文字通り”彼らによって作られた装備”である。
多数ある『プレイヤーの性別によって見た目が変わる装備』のうちの一つ。
女性が着ると赤と黒のドレスとなりその見た目自体は美しい。
呪われている設定であり、特定のアイテムを使って呪いを解くまでは装備することが出来ない。
本作では”ゲームの設定上曰くつき”の装備品は多数存在するが、この敄ノ鳥シリーズは他のトップクラスの装備品と比べると強さの割に低い入手難易度の低さが魅力とされている。
しかし、この防具一式を好き好んで装備するプレイヤーはいない。
この装備品には『敄ノ鳥の民の生皮と骨を加工し繋ぎ合わせた上に、生えた先から丁寧に毟り取り続けた姫君の美しい羽を装飾することで作られた装備品であり、生き残った難民たちに上から被せ、衆目の晒しものにする目的で大量に作られた』という恐ろしい説明文が添えられている。
流石にその惨劇をゲーム内で目の当たりにすることはないが、そのあまりにも暗いゲーム内設定は本作の世界観を著しく傷つけるものであると、コミュニティボードで専用のスレッドが立てられ炎上したほどだった。
また、同時期にこの装備品のデザインを行った担当者がSNS『Bleeter』で精神を病んでいたと思われる発言を繰り返しており、別口の内部告発からその労働環境の過酷さが明らかになり非難が殺到している。
VRフルダイブ技術のブレイクスルーに伴い、ゲーム開発に於いて、現場の個人に求められる労力が限界を超えてしまっていることが浮き彫りとなった一件である。
担当者は運営会社を自主退社したようだが、その後の足取りは不明。
この暗い説明文はデザイン担当者の壊された精神からあふれ出た怨嗟の声がゲームの中で具現化した結果だとプレイヤー達に噂された結果、この敄ノ鳥シリーズはゲーム内外で最も忌むべき文字通り呪われた装備品となってしまった。
まるでその呪いが取り憑いているかのように、曰くつき装備の中でも、なぜかこの装備だけは上から別の装備を被せることが出来ないようになっている。
しかし“事件と装備品との因果関係を必死に否定している”と糾弾されたくないが故か。これらの仕様や説明文は未だにゲーム内で修正されていない。
「おやおやおやおや――似合っているよ。似合っているじゃないか。……“お姫様”」




