第七話 心に残った一刺し
「――――よし、今日はここまでだ!」
声を張り上げてクリアが両手を叩く。
闘技場の真ん中で目を瞑った状態のまま石の剣を構えていたレットは驚いて目を見開いた。
「え、もう終わりですか?」
「ああ、終わりだ。…………レット。今日はお前、大分力が入っていたな?」
クリアの指摘を受けて、レットは項垂れながら呟いた。
「……湿地帯で、ミナさんとクリアさんの戦いを観てよ~くわかったんです。オレはやっぱり、ただの凡人なんだって。だから、今は少しでも時間をかけて強くならなきゃって――そう思ったんです」
レットは自分を指導していたクリアに対して、ねだるように上目遣いで見つめた。
「だからオレ……あの……そのォ――今日はまだ少し、“時間が残っている”んですけど……」
「――今日の特訓はこれで終わりで良いじゃないか。技術の面の基礎は前々からやっているから、大体はレットの身についている。新しいスキルを覚えても、今のお前なら直感的に使えるさ。今やるべきことは実戦の積み重ねと“装備品”やキャラクターのレベル”を初めとする基礎能力の強化だ。住宅街に集合する時間まで、城下町で新しい装備の購入でもしてみたらどうだ?」
「余った時間で、“攻撃の仕方”を教えて貰うわけにはいかないんですか?」
「最初に言ったろう? オレが教えるのはあくまで“身を守るための戦い方”だ。今後の冒険で、PKを好き好んでしたいわけでもないお前が、相手を必要以上に叩きのめす必要なんて無いんだよ」
「確かに、最初はそれでいいと思っていましたけど……でも――――――」
そこでクリアは突如――穴の開いたボロボロの羽のような物を背中に展開し走り出した。
「スイーーーーーッ!」
クリアはそう言いつつ、地面スレスレを滑空する。
あっという間に高度が下がってその腹部が闘技場の地面を擦り――停止した。
「……何やっているんです?」
「グライダーだよ、グライダー。特定のフィールドで、一定以上の高さから滑空するのに使えるのさ――見たことないか?」
(そういえば、ターコイズビーチで飛んでいる人がいたな……)
「このサイズの物は多人数がしがみついても使えるけれど消耗が激しくてな。最近ボロボロだったから大枚はたいて新調したんだ」
「オレには、クタクタになった段ボールを背負っているようにしか見えないんですけどォ……。そんなボロボロの羽にお金を払う価値なんてあるように見えないや」
「あるさ! このゲームの空は綺麗だからな。どこまでも高く、それこそ何千メートルの高さまで作られていて、際限がない。無限の広がりを持っている。そこをあえて、このボロボロの羽で飛ぶのがいいんじゃないか!」
(相変わらず、この人のセンスはよくわからないな……)
「ずっとWiki読んでいるから、このゲームで“空を飛べる”とか、“飛空艇がある”とか、“空から地上を見下ろせるエリアがある”ってことは知っていたけど――“空の高さに際限がない”だなんて、オレ初めて知りましたよ」
「そりゃそうだろう。このゲームで“本当の空の高さ”を知っているのは、せいぜい俺くらいだろうだからな。ワハハハハハ!」
笑いながらクリアは天を仰ぎ、レットはそれに釣られるように黒雲に覆われた空を見上げる。
この日は、雨期のハイダニアにしては珍しく曇りの空模様。
しかし、今にも雨が降ってきそうな不安定な天候だった。
(――今は、こんなふざけたやり取りしている気分じゃないんだけどな……)
拗ねているレットの表情をクリアが見つめて、そして突然、声を張り上げた。
「――――――――“世間は浮き足立っていると僕に言う”!」
「――――――――へ?」
「“ならばいっそ、僕はこの国で、誰も見たことの無いを高みを目指します! ――雲を超えた天の上へ!”ってな。――そぉれ飛べ!」
クリアが大きくジャンプし羽を広げる。
今度は一瞬高度が上がったが、角度が急すぎたのか上昇直後に急落下。
再び地面に体を擦りながら闘技場の壁面にクリアが激突した。
「空を目指すどころか、地に落ちてるじゃないですか!」
「“そういうこと”だ。高い目標があるのは良い。だけど、こんな風に――焦っても無理しても、良いことは何もない。お前はお前なりのペースでゲームを遊べばいいってことだよ」
「何なんですか、そのしっくりこない例え。さっきの格言っぽい言葉も、聞いたことないし……」
「ありゃ、このネタ通じないのか。――そりゃあレットの世代は知らないか」
――――――――――――――――――――――――――――――――
闘技場から退出したレットとクリアは、駄弁りながら城下町へと歩いていく。
「実はアスフォーの対人戦闘はとあるゲームと“親戚”なんだ。さっきの言葉はそのゲームのプレイヤーの格言なんだよ」
「えぇ!? どういう意味ですそれ?」
「E-sportsの競技で使われるゲームで、アスフォーの対人戦闘と似たような雰囲気のゲームタイトルがあってな。“RoVal”っていう有名なゲームタイトルなんだが……。レットは流石にE-sporsの大会くらいは知っているよな?」
「直接見に行ったことがあるわけじゃ無いけど、流石に知ってますよ。規模の大きいゲームの大会みたいなものですよね? 学校でもたまに話題になってますよ」
少年は、学友が休み時間にゲームの大会動画を視聴して盛り上がっている光景を思い返した。
「――で、そのRoValってゲームのコピーがアスフォーNWってことなんですか?」
「いや、厳密にはちょっと違う。この二つの大元にはEaEっていう有名なオンラインゲームがあってな。このEaEの戦闘システムの一部を継承したのがアスフォー。EaEに非公式の不正改造を行って大会を行ったのがRoValの前身なわけだ」
「不正改造したゲームで大会をするって……なんかすごいな」
「当たり前といえば当たり前だけど、EaEは改造したユーザーと、運営会社の間で相当揉めたらしい。その改造ゲームの良いところを抽出して作り出されたオリジナル作品が“RoVal”なわけだな」
「うーん。なんか複雑だなあ……。そのRoValの大元であるオンラインゲームの“EaE”の戦闘を流用しているのが、アスフォーNWってことなんですね」
「アスフォーNWは他のオンラインゲームからも良いところを貰っているけどな。“対人戦闘だけでみたらRoValと親戚”みたいな物なんだ。大元のEaEに対して、片やRoValは“非公式改造のリニューアル”。片やアスフォーはリスペクトオマージュって名目の、悪い言い方をすると“EaEのパクリ”だな」
(アスフォーの対人システムとRoValの戦闘システムは両方ともEaEの子どもみたいな物で、“腹違いの兄弟”ってことか。ってことはつまり――――)
「そのRoValのことを深く知れば、アスフォーの対人技術も上がるってことですね!!」
「やめとけよ。遠回りになるだけだ」
クリアの身もふたもない発言に、レットは思わずズッコケた。
「例えるなら、“チェスの技術を上げるために将棋を猛練習するようなもの”だ。RoValのプレイヤーはアスフォーでも強いだろうけど、アスフォーで強くなるためにRoValを練習するのは効率が悪いし、時間が勿体ない」
(妙にしっくりくるたとえ話だな……。ちぇー、残念)
クリアの例え話に、レットは肩を落としつつも渋々納得する。
「RoValで得たいものがあるというなら話は別だけどな。滅茶苦茶厳しい世界だけど、優勝チームには何億円ものお金が入るし」
「うええっ!? E-Sportsが海外で流行っているっていうのは知っていたけど、そこまで規模が大きいなんて思ってなかったですよ! ……何でオレ達の“現実世界の国”じゃ全然流行っていないんだろう。なんかオレの中で、マイナーっていうか、目立たない場所で昔からひっそり続けているようなイメージあるなあ……」
「昔は俺達の国家でも、多くの若者達がゲームに夢を託したものさ。一応俺たちの国にもRoValの代表がいるといえばいるんだが、今や見る影もない」
「何かあったんです?」
「……色々あったのさ。――色々な。もう全部終わった話さ。それじゃ、俺は俺でやらないといけないことがあるからここでお別れだな。“俺からの任務”頼んだぞレット!」
クリアがレットの肩を叩いて、レットの向かうべき目的地とは別方向に歩き始めた。
(色々あったって――何があったんだろう?)
話を打ち切られたレットは、釈然としないままクリアの背中を見つめる。歩き去るクリアは、大きな欠伸をしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「――パ! ……パ、パ~~……」
「お待たせしましたレットさん。おやおや、これは――」
デモンを連れてチームの家から出たタナカは、住宅街に立っているレットの恰好をまじまじと見つめた。
「――装備品を一新されたのですね。素敵ですよ」
「ようやくお金が溜まったから、付呪の効果が何もついていないまっさらな武器と防具の新品をAHで買ってみたんだ」
レットが購入した新しい片手剣を掲げる。それは、ごつごつした鋼鉄製の武骨な物だった。
「これは、頑丈そうな剣ですね」
「銅の剣は卒業して、二本とも実用性重視にしてみたんだ。本当はもっと格好つけたいけれど、そんな余裕は今のオレにはないから。格好もちょっとちぐはぐになっちゃった」
レットの新しい防具は動きやすそうな茶色の上着に深いグレーのズボン、そして白のシャツ。
まるで野蛮な海賊の船長のような見た目となっていた。
「成る程。防具は一式を揃えて購入された――というわけではないのですね」
レットの頭には、海賊の船長が被っているような三角帽子ではなく、水夫が被っていそうなオレンジ色のバンダナが巻かれている。
それは、以前洞窟の決戦で装備した“巻きつけるタイプのバンダナ”ではなく、頭部をすっぽりと覆うような形状だった。
「この頭装備のせいで荒くれ者みたいな見た目になっちゃったけど、“レベルの割りには防御の高い頭装備”だって聞いていたから買ってみたんだよね」
「しかし、明るいオレンジ色の頭装備ですか……フフ。ややレットさんの方が明るい色合いですが、クリアさんの頭の色とお揃いですね」
「やめてよォタナカさん。別に意識しているわけじゃないよ。デフォルトの色がオレンジなんだってば! オレが大切にしているのは、人から貰ったものだけだって」
そういってレットは首元に巻かれている水色のスカーフを右手で弄る。
(言われてみれば、スカーフと頭のバンダナの色合いがクリアさんの目とか頭のカラーと被るな……。こっちのほうが全体的に色が明るいけど)
「私の……その腕装備は……外される予定はないのですか?」
タナカがレットの右手をじっと見つめる。
レットの右手の装備は相も変わらず緑色のままであった。
「インベントリーを圧迫してしまうのは何というか――申し訳ない気分になります。売るなり捨てるなりしていただいて構わないのですが」
「気にしてない気にしてない。上から被せているだけなんだから強さに関係ないし、な~んか腕にしっくりくるんだよね。この装備」
「そう――ですか……。それではせめて、件の大量の石の剣をお預かりしましょう。新しい武器作成の目途が立ちましたので」
「お、来た来た~パワーアップ友情イベント! ありがとうタナカさん!」
レットは『死闘を掻い潜った相棒である、何の変哲もない大量の石の剣』を全てタナカに渡す。
それからインベントリーに空きができたことを確認して、チームの家の前の宅配ポストを調べた。
「必要なものはAHで全部買って、ここに送っておいたんだ。早速試そうよ。“一番高いレベルの装備から、一つずつ”」
ポストの中身をタナカと二人で確認しながら、レットはクリアに託された“任務”を思い返した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『オレが“あの娘のキャラクターの情報を集める”役を?』
『あの娘に信頼されているタナカさんと二人でだ。これはテツヲさん伝手に聞いた話だが、“新メンバーのロックさん”曰く、あの娘――デモンの捜査だけが、他の人質と比べて難航している可能性が高いらしい』
『“可能性が高いらしい”って、どういうことです? 運営が警察から直接言われたわけじゃないんですか?』
『例え通報したのが法人でも、あくまで“善意の第三者”だからな。運営側の人間でも詳しい捜査状況は分からないってことさ』
『それって……まだ警察も、あの娘のことを何もわかっていない可能性があるってことなんじゃ!』
『落ち着けよ……。あんまり気負わなくて大丈夫だ。最悪、他の人質――お年寄り達よりちょっとだけ難航しているって程度だろう。詳しい経緯は不明だが、他の人質達と違って唯一、“警察から情報提供を二回打診された”――という噂が社内の片隅で流れたんだとさ』
『噂……あくまで噂かあ……。クリアさんは不安にならないんですか?』
『“このゲームにはサーバーに接続した時点で、プレイヤーの所在地がわかるようにアクセス情報が記録されている。有事の際には運営はそれを警察を初めとする法執行機関に提出する決まりがある”――という内容の文言がこのゲームの利用規約にきちんと書いてあったから、あまり心配してはいない』
(ゲームを登録するときに流れたあの長い規約文か……全然読んでなかったなオレ……)
『それなら確かに安心できるかもですけどォ……そもそもキャラクターの情報なら、それこそ直接ロクゴーさんがオレ達に教えてくれればいいのに、不親切じゃないですか~』
『ヒラのGMより権限は上だろうけど、ロクゴーさんはデモンのキャラクター情報を“偶然知り得る立場にはいない”。もしくは“既に知っているが教えられない”ってところだろう。彼女は今の段階でもかなりギリギリのことをやっているが、あの奥歯に物が挟まったような物言いで流せるのは、具体的な単語を避けた事件に関するあやふやな情報だけだ。GMがキャラの情報を個人的に調べてプレイヤーに流出させるっていう行為は、“それ単体の事実”が明らかになっただけで事件とは無関係にヤバいことになるからな』
『確かに……万が一にもバレたらクビどころか、それだけで会社全体が大騒ぎになるかもですね。リスクがあるのにオレ達を信用してそこまで教えるのは難しいのかなあ……チームがチームだし』
『そういうことだな。とりあえず、お前がデモンを調べる理由はあくまで俺達の保険としてだ。素人が動くことになるなんてもう二度と無いだろうけれど、念のためにってこと! 俺達が自由に泳がされている間にあの娘のゲーム内情報から、現実の情報を知れたら“超ラッキー”くらいに思っておけば良い』
『そう――ですね。キャラクターの名前から、現実の情報を知れちゃう可能性はありますもんね……。――――――――――――実際にそんなことも、ありましたしね……』
『……………………………………………………………………ああ』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
(オレにやれることをきちんとやらなきゃ……。もしも何もわからなくても、オレがこの娘と向き合って“心を取り戻す”ことが出来れば、この娘を少しでも早く救えるかもしれない!)
かくして、クリアから受けた任務であるデモンのキャラクターの調査が始まる。
レットとタナカが最初に調べるのは――“キャラクターのレベル”である。
レットは住宅街に設置されている石で出来たベンチにデモンを座らせる。
現在デモンが装備している防具は、ゲーム内の冬の季節イベントで手に入る頭巾のついた厚手の白いワンピースである。
これは、岩窟で救出された時からずっとつけていたもので装備可能なレベルは“1”。
対して、タナカが宅配ポストの中から取り出した仰々しい意匠の手甲は“最も装備レベルの高い手装備”だった。
[それにしても、良いのかな。こんな値段の高そうな高レベルの装備品をまとめて買っちゃってさ。これってチームのお金なんだよね?]
開かれっぱなしのベンチの上に並んでいる様々なレベル帯の“手装備”を見てレットが顔を顰める。
「テツヲさんは、『メンバーの頼みならばこの程度の出費は、はした金』だと仰っていました。それに、もしもデモンさんが装備できないようなら、そのまま競売に出品してゴールドを回収すれば良いだけのお話ですから――お互い気にしないようにしましょう。これなら失うのは装備品を出品したときに発生する“出品手数料”だけですしね」
(その出品手数料も高くて、それだけでオレの装備一式買えちゃうくらいするんだけどなあ。一つずつ売り買いして“装備できるかチェックする”のは時間が掛かるし。他のプレイヤーに怪しまれるからAHの前でやるわけにもいかないんだけど……)
「うぇ~……あ――う、に~…………?」
当のデモンはボーッとした表情で脱力しているのか、首が据わっていない。タナカがデモンの腕に装備品をつけようとしても、特に反発するようなするような素振りは見せなかった。
しかし――手甲は反発し合う磁石のように強い力で阻まれて、装備することは叶わない。
「――まあ、当たり前だよね」
「わかりきっていたことですが、万が一ということもありますからね……しかしこれで、デモンさんは“この手甲を装備できるレベルではない”ということがわかりました。このまま継続しても問題はなさそうですね」
その後も、二人はデモンに対して様々な手装備の装着を試みる。
(レベル70は駄目…………レベル60…………50…………40…………25…………)
しかし、最終的にはレベル5の装備品も――3の装備品も――2の装備品すらもデモンのキャラクターには装着できない。
「うーん。やっぱり、デモンのレベルは1かぁ……」
「そうですね。やはり現実のデモンさんそっくりの見た目のレベル1のキャラクターを作り、入手難度の低い装備品だけを集めてそこに現実のデモンさんを“封印するようにログインさせた”という可能性が高いですね……。予想通りではありますが、一歩前進したと前向きに捉えるべきかと思われます」
タナカの推理を聞いて、レットは自分のインベントリーから装備品とは別種のアイテムを取り出した。
それはゲーム内のモンスターをさらにデフォルメしたようなデザインの、可愛らしいぬいぐるみのようなアイテムだった。
「そのアイテム……ぬいぐるみですか?」
「うん。一種のアクセサリーみたいなアイテムなんだって。クリアさんからデモンに“渡せ”って言われたんだよね」
クリアにどういう意図があるのかはさっぱりだったが、レットはぬいぐるみをデモンに近づける。
ぬいぐるみの腕が曲がって、デモンの腕にしがみつくようにひっついた。
「――う? あぅ――…………あぅ!」
(良かった……ちゃんと受け取ってくれたみたいだ)
レットが安心したのも束の間、デモンがぼうっとした表情のままぬいぐるみを自分の腕から引き剥がす。
拒絶されたのではとレットは一瞬焦ったが、デモンはそれを改めて両腕で抱えて体を左右に振るだけだった。
「痛く、気に入られたようですね。しかし、クリアさんの意図を測りかねますね」
「教えてくれなかったけど。オレの経験からすると、五割の確率でフザけているだけだと思うよ」
「残りの五割は――何でしょうか?」
「……“びっくりするような、もの凄く意外な理由がある”――かな。あの人は、いつもそうだから」
レットは過去を思い返しながら、真剣な表情でつぶやいた。
「タナカさん。ここから先は万が一ってことがあるから、先にこの娘の“安全の確保”をしよう」
レット達は住宅街の中央に浮かんでいる“光の玉”の近くに移動する。
今作ではNPCに話しかけたり、チームの家そのものを設定したり、住宅街や国を出入りした時に“戦闘不能になった際のリスポーン地点”を設定できる。
しかし、NPC相手には長々と話を聞いたうえで同意を示さなければならない。住宅街の本の場合は選ぶ項目を間違えると別の番地に飛んだり、ハイダニアの城下町のどこかに誤選択で転送されてしまう危険性がある。
レット達がこの光球を選んだ理由は、リスポーン地点を設定する手間とリスクが全ての選択肢の中で一番少なかったためであった。
(リスポーン地点としての設定か。難しくは無いけど――この娘にできるのかな?)
「あう! ――あう~!」
「良いですかデモンさん。落ち着いて、私の真似をしてください」
タナカが光の玉を調べてデモンに具体的な手順を見せる。
開いたメニューに対して指で決定の項目を押す――若しくは同意を示す。そうすることでタナカの身体が緑色に光る――リスポーン地点が新しく設定される。
「うぃ――……う……ぃ~…………」
しかし当のデモンは無表情のままタナカが光るのを見つめてしばらくの間燥ぐだけであった。
「やはり……難しいようですね」
「うーん。やっぱり、駄目かぁ……」
レットがそう独り言ちてどうしようかと思案した瞬間――――――――デモンの体が緑色に輝いた。
「タナカさん。――今の見た?」
「は、はい。デモンさんが、間違いなくリスポーン地点の設定をされました」
「……う! ――あう~!」
デモンが光の玉の前で、何度も何度も緑色に光る。
見間違えようがない事実に、レットは歓喜した。
「や――やった!」
(良かった……これで万が一この娘が戦闘不能になってしまっても行方不明にはならなくなる! もちろん死なないのが一番だけど、安心してやれることが増えるぞ! クリアさん的に言えば“これで、心置きなく死ねるってところなのかなあ……)
「う――う?」
喜ぶレットの顔を見て、デモンは無表情のままだった。
その首は座っておらず――曲がったまま。
「あ~……パ――パ。パ……パ――……うー…………?」
「………………………………」
「レットさん。僅かながら雨が降ってきました。今日はここまでにして、そろそろお家に戻りましょう。――レットさん?」
いつの間にか、レットは思考に耽っていた。
タナカの声は、聞こえなくなっていた。
(本当に、このままで大丈夫なのかな? こんな程度じゃ。まだ全然この娘のことがわからない。この娘に、オレの言葉はまだ全然届いていないような気がする……)
少年の中に焦りがあった。
今置かれている状況をなんとかしたいという想いがあった。
未だに目の前の少女の表情は動かない。
自分の感情を顕わにしない。
何も話そうとはしない。
タナカと同じように気に入られているような自覚はあった。
今日だけでもわかったことがあった。事態の進展しているのかもしれない。
それでも、彼女が目覚めてから少女の心には一切の動きを感じられない。
だから、少年は焦ってしまった。
少年は、目の前の少女を見つめる。
二人の距離はとても近い。
しかし、少年には目の前の少女が全く違う世界に居るような違和感と不自然さがあった。
そして、それは現実世界での二人の居る世界の違いを否応なく少年に感じさせてくる。
焦りは不安となって――その言葉がつい、少年の口から出てしまった。
「――ほら、笑って」
少女は無意識に出されたレットの指示で“作られた笑み”を浮かべてしまう。
(今……オレはこの娘に“何を言った”? 命令――したのか?)
屈託の無い少女の笑顔の上に、空から大粒の雨が降って――垂れた。
頭頂部から雨粒が少女の両目を伝って流れていく。
まるで少女が無表情のまま、涙を流しているようだった。
レットの頭の中で、シャッターを切ったような光と共に過去の記憶が強制的に思い起こされる。
『大して強くも無いのに、この娘を自分の物にしようと躍起になっているキミの姿はボクそっくりだった』
ほんの一瞬、目の前の少女の姿がかつて自らを苦しめた“少年”の姿になったように少年は錯覚した。
(オレ……この娘の気持ちを、本当は何も考えていないんじゃ……。今だってそうだよ…………オレが不安だからって……歪めたのか? オレが……この娘を……思うままに――笑わせようとして……この娘を無理矢理笑わせようとして――)
レットの焦りに、容赦なくかつての恐怖が思考となって、声となって、頭の中で襲い掛かってくる。
『……キミとボクは似ているんじゃないかな?』
(だめだ……わからない…………今のオレとアイツ、一体――何が違うんだ?)
「――――――ットさん。レットさん。どうかされたのですか? 大丈夫ですか?」
どこかに飛んでいた意識が戻ってくる。
タナカが近づいて来るのを感じて、少年は背を伸ばした。
「ご……ごめんタナカさん。オレ――ちょっとだけ、出かけてくる」
タナカに対して後ろを向いて俯いたまま、少年は呟いた。
「は……し、しかし雨脚が強くなってきました。一先ず、雨具を付けられた方が――」
「すぐ戻るから! すぐ戻るから大丈夫。オレは、大丈夫。――――――大丈夫」
少年は、駆け足でその場から離れる。
震えた手で住宅街の本を調べる。
「う――うう。うう……うう――――」
住宅街を出て、叫びそうになるのを堪えて、少年はあてもなく――自らの思考を振り払うように城下町を走り出す。
その背中に、容赦なく雨が降り注いだ。




