第六話 紅の花開くとき
『――ただいま。ずっとずっと、あなたに会いたかった』
『そんな……まさか本当に!? もう二度と、君とは会えないと思っていた……』
(………………………………………………)
『あなたのおかげよ。私のことを、ずっと忘れないで居てくれたから――私はここに戻って来れたの』
『そっか……よかった……本当に良かった……。オレの願いは……無駄じゃなかったんだね……』
「〔嫌よォン! 無視しないでェエン王子様ぁぁん! 私のことはぁ、忘れちゃったのぉ~おん!?〕」
(………………………………………………)
『あなたに伝えたかったの。――愛している』
『ああ。――オレもだよ』
「〔やめなさいよッ! この浮気女あァアアア! 私の愛した王子様から離れて頂戴ぁぁぁいっ! 何よ王族の遙か昔の先祖だからって、ドでかい城建てちゃって!! これがあの女《王妃》のハウス《宮殿》ねッ!〕」
「〔………………クリアさん。人がクエストのイベントシーン見ているときに、タイミング計って変な台詞を割り込ませるのやめてくださいよォ!! 別の登場人物がもう一人画面の外に居るみたいで、話の本筋がわけわかんなくなるじゃないですか!!〕」
ここはハイダニア王国の巨大な王城の前。
レットは本日、ハイダニアのクエストのイベント――NPCのやり取りを見ていた。
本作は国別に大規模なクエスト――メインストーリーが設定されており、これをクリアすると多くのプレイヤーにとって必須レベルの様々な要素が解除されるようになっている。
故にこれを避けるわけにも行かず、レットは以前から時間の合間を縫ってはイベントを見て、アイテムを集めて、国周辺のモンスターを倒してこの“メインストーリー”を進めていたのであった。
「〔そうは言ってもなあレット。こうでもしないとお前、またイベントムービー飛ばすだろ? ハイダニアのメインストーリーは名作なんだ。俺としてはちゃんと観てもらいたいんだって!〕」
「〔だったら、尚更黙っていてくださいよォ!! クリアさんが演じる“オネエキャラ”おかげで、1000年を超えた運命の再会が、ただの痴話喧嘩に成り下がってるんですってば!!〕」
「〔しょうがないな。じゃあ、設定を変えるか……。あらやだぁん~。白昼堂々見せつけちゃってぇ~ワタシタチもキスしましょうよ“レッちん”!〕」
「〔マジで気持ち悪いからやめろ!!!!!!!! ああもう終わり終わり!〕」
レットがキレ気味にゲームメニューを乱暴に弄る。
イベントはスキップされてレットの視界が暗転する。
キャラクターの体が転送され、“イベント視聴用に用意されたハイダニア”の城前から、一瞬でプレイヤー達が居る“いつものハイダニア”の城前に戻ってきた。
「〔おいおい。お前もしかして――〕」
「〔イベントムービーを飛ばしちゃいました。別にいいじゃないですか、どこの国でもいいとはいえ、メインストーリーをかなり先まで進めないとマウントにすらろくに乗れないんだもん。速度優先ってやつですよ!〕」
「〔しかし、何もそんなに焦らなくてもいいだろう。もっとゆっくり遊べばいいのに〕」
「〔そうも言ってられないですよ。今日だけでもやらないといけないことが山積みなんだから。もうすぐリュクスさんと集合する時間ですしね。もしも無事に解決したら、そのままいつも通り闘技場で稽古つけてください。その後にデモンやタナカさんとハイダニアの中を散歩して、後は――――――〕」
「〔散歩はまだしも、前半の二つは無理にやろうとしなくていいんだぞ? 特訓に至っては始めてからほとんど毎日続けっぱなしだろ。肉体に疲労が無いとはいえ、多少休んだってバチは当たらないさ〕」
「〔嫌ですよ。俺はもっと強くなりたいんです。対人でちゃんと戦えるようにしてくれるって言ったのクリアさんじゃ無いですか! とにかく、パーティに誘ってください〕」
「〔………………………………………………わかった〕」
レットは素早くメニューを開いてクリアからのパーティ勧誘を承認する。
それからマップを開いて、クリアの居る座標――ハイダニアからメレム平原への出入り口への最短距離を把握すると同時に、足早に駆けていく。
(何か、オレ達が抱えている事件と関わりがあればいいんだけどな……。今までだって、小さな気づきが大きな問題を解決してきたんだ。少しでも役に立てるように、色々観察しておかなきゃ……)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[『現在の時刻は20時45分。場所はラ・サング湿地帯の北西の沼付近。座標は【B-4】天候は霧。周辺を行き交うプレイヤー多し。おそらく付近の沼に向かう釣り人だろう。現在、“自分の名前入りの銘”をリュクスに渡し待機させているところである。この場に居るチームメンバーの誰もが“謎の追跡者”の正体を想像しているが、皆目見当がつかない』――と]
隣に座り込んでいたクリアさんが、パーティ会話でそう呟きながら持っている本に何かを書き込んでいる。
[何をやっているんです?]
[日記を書いているんだよ。ここ最近起きた出来事をまとめているんだ]
眼前の広場に一人佇んでいるリュクスさんを、大きな岩の陰からずっと見つめていたオレは一旦視線を外した。
そこから改めて、真横に座っているクリアさんの日記を覗き込んだんだけど――モザイクのようなエフェクトが掛かっていて中身がさっぱり読めない。
[申し訳ないが、システムの設定で俺の日記を読めるのはこの世に二人だけしかいない。俺を抜いたらたった一人だけだな]
[意外ですにゃー。クリアさんが日記なんてマメなことするなんて思ってなかったですにゃ]
[俺からすれば意外なのは、ネコニャンさんがこんなところをとぼとぼ一人で歩いていたってことです。できればこの場から、離れてもらいたいんですけどね……]
オレが逆側を見ると、少し離れた場所の別の岩の裏側に隠れているネコニャンさんがこちらに向かって手を振った。
[そんなんいうても、出先で不審なことやってる知り合いに出会ったら気にもなりますにゃ。自分の心配はいらんにゃ。“クリアさんのおかげで”、自分だって多少の揉め事には慣れっこですからにゃ。PKはヤダけどーー]
[嫌だなあ、褒めても何も出ませんよ。俺が心配しているのはネコニャンさんの安全じゃ無くて――臭いで俺達の監視がバレないかってことです]
ネコニャンさんの皮肉を当たり前のように受け流しつつ、クリアさんが辛辣な言葉を投げかける。
座り込んでいたネコニャンさんは大きく溜息をついて岩に背中をつけて“液状化”した。
チームの家にいる人質のお年寄り達(※ネコニャンさん曰く、『爺ちゃん婆ちゃん』)がゲーム内で現実の“とある魚”を食べたいと譫言のように訴えたらしい。
ネコニャンさんは――
『似た食感の魚はいるけど、滅多に釣れないから諦めてくださいにゃ……。魚売っているNPCも居るけどこっから遠いし……』
――と伝えたらしいんだけど、ゴネられてしまった所にワサビさんにお願いまでされてしまって、結局確実に手に入るこの場所まで買いに来ることになってしまったんだとか。
確実に手に入れるために得意の釣りに走らないで“頼まれて遠方まで渋々買いに来た”という辺りがなんというか――ネコニャンさんらしいなあと思った。
[――時は来た。貴公ら、気をつけたまえよ……取引の対象が迫ってきている]
リュクスさんの指示通りに気を引き締めて岩の影から広場を見渡すと、反対側から一人のプレイヤーが歩いてきているのがわかる。
(――来た!)
リュクスさんから聞いた話では、依頼人にはハイダニアからまっすぐこの座標に来るように伝えてしてあるらしい。
だから、逆側に隠れているオレ達と鉢合わせになることは無い。
クリアさんが打ち立てた作戦は『不意をついて相手を戦闘不能にする。可能なら生け捕りにする』というとても乱暴かつシンプルな物だった。
攻撃を仕掛けるタイミングは目当ての銘を“受け取った直後”。
不意打ちということで相変わらず一番手に仕掛けるのはクリアさんだ。
(オレはあんまり役に立てなそうだけど、もしクリアさんが取り逃しそうになったらタックルして組み付くくらいのことはしてみせなきゃ……!)
歩いてきたターゲットは、紫色の毒々しいレインコートを全身を覆い隠すように装備しているので種族や性別が分からない。
何らかのスキルを発動しているのか、周囲から空気が引き寄せられている。
効果範囲が広いスキルなのか自分達の背後の霧が引き寄せられて、地面を伝ってターゲットの体から上空に上がっていっている。
一瞬だけ監視を気づかれているのかと焦ったけど、そういうわけではないらしい。
ここからでは会話の内容までは聞こえないけれど、普通にリュクスさんとやり取りをしている。
ゴールドをターゲットから受け取った後に、リュクスさんがクリアさんの銘の入った革袋を手渡そうとした。
[さて、一気に行くぞ]
そうクリアさんが呟いて飛び出すまさにその瞬間、突然リュクスさんから革袋を受け取ったターゲットがその場から飛び退いた。
[あ――アイツ、ネコニャンさんの居る方向を見つめてますよ! 一体どうして!?]
[まずい……。周囲から引き寄せられた空気の臭いを嗅がれて先に動かれた。かなり敏感なヤツだぞ!]
[もう! 何をやっているんですかネコニャンさん! 隠れているのバレちゃったじゃ無いですか!! やっぱり臭いんじゃないですか!]
[そ、そんにゃー……。この前レットさんに抱きつかれたとき饐えた臭いがするって言われてから、結構気にして消臭剤を毎日ぶっかるようにしてたのにぃ……]
[いやどう見ても原因それじゃねえか! 汗臭いところに消臭剤かけ過ぎて、逆に匂うパターンですよォ! 臭いって言ったオレも悪かったと思うけど、もうちょっと緊張感持ってくださいって!]
オレがネコニャンさんと言い合っている間にクリアさんが飛び出した。
既に、リュクスさんは長銃を凄まじい速さでホルスターから取り出している。
ターゲットは、装備していたレインコートをリュクスさんに放り投げてその視界を覆い隠した。
飛び退いて顕わになったターゲットの姿を見て、オレは思わず声を上げてしまった。
[あっ――!!]
そこに居たのは意外な人物だった。
亜麻色の髪を長くまとめたヒューマンの女性。
ショート丈のドレスのような装備にハイヒール。
それに加えて、“今回”は首に白いチョーカーを巻いていた。
オレの声で何かを察したのか、リュクスさんは銃を構えたままの姿勢で動かなくなる。
クリアさんも驚いたのか、足を止めた。
[この娘は――――――――――――――なんて名前だったっけか?]
[何でクリアさんが忘れているんですか! ミナさんですよ! 初心者プレイヤーのミナ・ルージュさん! ビーチの横のヴォラーシュ段丘でクリアさん自身がオレとタナカさんに紹介してくれたじゃないですか!]
[そうだ! 確かそんな名前の初心者プレイヤーさんだったな。フォルゲンスに居た頃から何度も出会ってた。どうして、彼女がこんな場所に居るんだ?]
女性プレイヤーのミナさんは、不気味なくらい大きく目を見開いた。
「あらあら……これは、クリア“様”じゃありませんの。お久しぶり――ですわよね?」
(――――――――――――ん?)
――何だろう。クリアさんに対する呼び方に違和感があるような……。
「あ――ああ。久しぶりだな。それで、その――君。これは一体、どういうことなのか、説明をしてくれないか?」
ミナさんは微動だにしない。
ただ“ぐるり”とその眼球だけが動いて、岩の影から顔を出していたオレと目が合った。
(ヒエッ!)
「あら――まあまあ! ……久しぶりの懐かしい顔ぶれではございませ“んべろっん!!”」
話しながらいきなりミナさんが何かを地面に“吐き出した。
突然のことに誰も何も言えない。
吐き出した何かが地面に転がり落ちて、ばちゃりと湿地帯の泥を跳ね飛ばした。
「ごめんなさいね。私ったら――失礼いたしました」
ミナさんが、再び地面に落ちていたソレを回収して、泥をハンカチで丁寧に拭き取ると、何の躊躇も無く再び口の中に放り込む。
それからゆっくりと咀嚼すると、金属音が鳴った。
[う…………うわ…………クリアさん。今のアレって――!!]
[ああ、“投げナイフ”だ。いつの間に習得したのかは定かじゃ無いが、あのサイズの物を口の中に入れているというのは不思議だ。口の中に忍ばせておくのに最適なアイテムは投げナイフではなく――]
「ち……違いますって、気づかないんですか!! 前あの人を助けるためにヴォラーシュ段丘で“クリアさんが投げたナイフ”ですよ! 捨てた扱いになってあの時去り際に抱えるように持って行かれたじゃ無いですか!」
[――え。どういうことだ?]
ここまで来てクリアさんも、ようやく何かがおかしいと気づいたらしい。
ミナさんは平然とした表情で、革袋から銀色のプレート――銘を取り出して、首につけられている白いチョーカーにクリアさんの名前を刻んだ。
――クリアさんの名前を刻んだァ!?
「おい! 君は一体、何をやっているんだ!?」
「何をやっている――って、どういう意味かしら? おかしなことを仰いますのね。あなたって動物を飼ったことございませんの?」
「い、いや……俺は無いけど……」
『あら――そうなのですね』と呟いてミナさんが涼しい顔で突然、胸元からメモを一枚取り出して何かを書き込む。それから大切そうににインベントリーにしまった。
「愛玩動物を飼うなら、名前付きの首輪をつけるものですわ。――頭を撫でたり。抱きしめたりするために」
[あのォ、もしかして――クリアさん……この人に“好かれている”んじゃ無いですか?]
オレの指摘にクリアさんは理解が追いつかないのか口をあんぐり開けた。
[駄目だ。意味がわからないレット! どういうことなんだ!?]
[段丘でのクリアさんに対する接し方とか、投げナイフを持ち帰っていたところから、オレひょっとしたらとは思っていたんです。でも――]
[俺は何も好かれるようなことをしていないぞ!? 最初は見殺しにしたし、何度も襲いかかって来たのを返り討ちにしていただけだ!]
[そ、そうなんですよ! オレもそれが変だなって思って、クリアさんみたいな屑行動ばっかやってる人が、こんな可愛い女の子にこんな好かれ方するなんて、あるわけないっていうか、ムカつくから信じたくないんですよねオレ!]
[レットさん。さりげなく酷い言いようですにゃ……]
[いや、俺自身もレットに同感です!]
[アンタ自覚があるなら尚更、普段の素行直せよ!!]
仕方ない――と呟いて、クリアさんは腕を組みながら“仰け反り気味”に、実に訝しげな表情で、ミナさんを見つめながら質問をぶつけた。
「なあ君。……ひょっとして俺のことが好きなのか?」
(いきなりかよ! デリカシーの欠片もねえ聞き方したぞこの人!?)
質問を受け取ったミナさんも、腕を組みながら、“前屈み気味”に、実に楽しそうな表情で、頬に手を当てて考え込むような仕草をした。
「あぁら何のことかしら? 私、“少ぉ~し”だけアナタ様のことを評価しているだけですわ。チームで傀儡のように祭り上げられていた私に懇切丁寧に“親身になって”ポルスカの森で指導してくださったんですのよね? 実際にチームで揉めに揉めて脱退した時に、そのことに私初めて気づいたんですのよ?」
「い、いやあれはただの気紛れみたいなもので……。――チームで踊らされていたのはやっぱり事実だったんだな。脱退していたのか……」
[ははぁ~なるほど。そんな原因一つで、クリアさんを好きになったってことなんですかね? ――――――――――――ありえねえだろクソ!! 許せんクリア貴様ああああああああああああああ!]
[ちょちょちょ落ち着いてくださいにゃレットさん。この娘確かに思わせぶりだけど、クリアさんのことが好きだなんて、まだ直接的には一言も言ってませんにゃ……]
パーティでのオレ達の会話を聞きながら、再びクリアさんが質問を投げかける。
「改めて聞くが――どうして俺の銘を首のチョーカーにつけたんだ?」
「――さぁ? どうしてでしょうね? 私、別にアナタ様のこと“嫌いじゃない”くらいにしか思っていませんのよ。せいぜいアナタ様と戦っている内に、どんどん気になって気になって仕方なくなってしまったくらい――私にとってその程度の優先度しかありませんのよ」
「いや――それはつまり、君にとって凄く重要なことなんじゃ無いのか? もっとはっきり物を言ってくれ。君は俺のことをどう思っているんだ!?」
「ア・タ・ク・シ・からは~……“言い憚られること”ですけど。私にはわかっていることがありますわ。クリア様が本当は根が心優しいお方で、お強いってことが。――要するに“そこの部分だけ”は、素敵な方だと思っているというだけのことです。クリア様の方こそ、“何か言いたいこと”はないのかしら?」
ミナさんは、三日月みたいに口を歪めて作った怪しく意地の悪そうな笑顔のまま、腕を後ろに組んで前屈みになって、クリアさんの顔を左右からまるで様子を伺うように見つめてくる。
「ん~――……ないのかしら? ん~――…………ないのかしら? ウフフ………………」
なんだろう――“要領を得ない”っていう表現が凄くしっくりくる。
[だ、駄目だ……。気分が悪くなってきた……。ありえない……ありえないぞこんなことは……。理解できなくて調子が出ない!]
[なんか、変ですよね……。前よりもはっきりクリアさんのこと、どう見ても間接的に“好きです気に入ってます”ってバレバレの態度見せつけているのに、質問をはぐらかして話してくるのって変じゃないですか?]
そこで、二人のやり取りを腕を組みながら観察していたリュクスさんが呟いた。
[フム――吾輩の推測では、これはおそらく――乙女心を“察しろ”ということなのではないのかね? “お互いが愛し合っているのだ”と思い込んだ上で“告白は男性側がするのが筋”という……]
うわ……め……め……――
(――めんどっくせえええええええええええええ何それェ!?)
[ええ……ってことは要するに、“相思相愛だと思い込んだ上で恋の駆け引きをしてきている異常者”ってとこですかにゃ? 相当ヤバいタイプのプレイヤーさんですにゃ……]
[何なんですかそれェ!? 思い込みが激しいってレベルじゃないですよ!]
[いやあ、たまにこういう人いますにゃ……日常で抑圧されたストレスや欲求が、ゲームの中で悪い形で爆発する危ないタイプぅ……]
(う……………………………………)
ネコニャンさんのその言葉は、思い当たる節が沢山有るから正直全く笑えない。
「さぁて……せっかくここで出会えたのだから。そろそろ久しぶりに始めましょうか?」
前回とは違う、小さな鋏のような武器を抜いてミナさんがクリアさんに歩み寄ってくる。
エモートの一種なのかも――ミナさんの瞳がピンク色のハートマークに光った。
ほんの一瞬だけ、可愛いと思ったけど――本当に一瞬だけだった。
目の中のハートがブツブツブツブツと、どんどんどんどんどんどん増えていく。
ハートマークがひしめき合って縮小して、ついに抑えきれなくなったのか眼球全体にあふれ出してきた!
(うえええええええ!? き、気持ち悪ッ!!)
目の中で小さくなったハートが“穴みたいにビッシリしき詰まっている”ように見える。
オレは身の危険を感じて、気分が悪くなって背筋がゾワっとした。
その目を直接向けられているクリアさんに至っては両足が震えている。
(あのクリアさんをここまでビビらせるって相当だぞ……)
[――フム。中で増殖を続けるあの不気味な瞳を例えるならば、“分裂を高速で続ける受精卵”といったところか……。吾輩、集合体恐怖症に陥りそうだよ……]
「いや怖いぞ! 気持ち悪いッ! 一体何なんだ君のその表情は……どういうつもりなんだ!?」
「何でも――“何でもない”んですの。――なぁんでもありませんのよ?」
ミナさんはその状態のまま目を潤ませて、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ウッフッフ……アッハッ――――ハァアアアアアアアアアアア!!」
ミナさんが前と同じように、クリアさんに飛びかかっていった。
両目のハートが、夜の道を走る車の赤いブレーキランプみたいに伸びていってクリアさん体に向かって吸い込まれていく。
唖然としていたクリアさんは攻撃を曲剣で何とか受け止めたけどラッシュが止まらない。
金属がぶつかる音と一緒に、ピンクの光が霧の中で八の字に行ったり来たりしていた。
(い、いつの間にかもの凄く強くなっている!!)
[えぇ……クリアさん。この人、本当に初心者なんですかにゃ!?]
[……フォルゲンスに居た頃は何度か追いかけられて、この娘とはその度に手合わせしていたんです!! その時から、結構センスはあると思っていたんですが――まさかここまでとは……天才だ!]
(――えぇ!? マンツーマンでクリアさんにずっと教えて貰っているオレの立場無くない!?)
「私、わかっていますのよ! 毎回毎回クリア様が私に“練習”を施してくださっているってことを! 実際にクリア様自身の動きをその都度全て記憶して学習してどんな時も常に脳内で反復することで私こうやって強くなれたんですもの!]
「ちょちょちょちょちょっと待てって! アドバイスはしていたけど、俺は本格的に教えようとしていたわけじゃ無いぞ!]
[いえいえ、私にはわかっていますわ! アナタ様って――私のこと心配なんでしょう? 全く、素直じゃないお方ですわね! でもおかげで、もっともっと強くぶつかれて――もっともっと強い“アナタ様の反応”を感じられますの!」
(何をどうやったらそういう解釈になるんだよォ…………)
あまりにもぶっ飛んだ解釈のされ方しているからか、クリアさんの動きが目に見えて鈍っていく。
「いいか良く聞け! 俺は君に何かを教えようとして付きまとった覚えは無い! それは君と偶然何度も会うからであって……待てよ……? ひょっとして…………………………君はずっと前から俺を追いかけてきていたのか?」
「あぁら――何を仰るのかしら、毎回毎回“ 偶 然 ”出会っているだけですの。普段クリア様って警戒されてますから“偶然”を起こすのって大変なのですけれど……。遠目で追いかけても住宅街に入られてしまうとご住所がわからずその都度見失いますし……。既に別に“二人組の追っかけ”がいたりして――退散したこともありました――しぃい!」
その言葉と一種に突き出される小さな鋏の一撃を受け流しながら、クリアさんが冷や汗を流した。
「二人組の追っかけって――まさか記者か!?」
“二人の記者”、つまり――オレとクリアさんが二人で出かけたあの日だ。
そして――
――“オレ”が“あの人”と初めて出会った日。
それまで鈍っていたクリアさんの動きが突然早くなって、いきなりミナさんを圧倒した。
一瞬で持っていた二本の短剣を素手ではたき落として――
「あら――あらら? ――――――がうッ……!」
――その首を片手で掴んで岩に軽く叩きつけてから、大きく溜息をついた。
[びっくりだ。まさか、あの時点から俺をストーキングしようとしていたなんて……気づきもしなかった。参ったな。これから、この娘をどうしたものか――]
考え込む余裕を与えずミナさんが、クリアさんの腕を掴んでくる。
それから手を這わせて、まるでネクタイを締めるように――クリアさんの手を自分の両手で激しく掴んで“自分の首”を締め付けた。
「ああ、なんてこと……こんなに締め付けを強くしても、ちっとも苦しくないのがとても心苦しい――心苦しいの! んっはあああああああああああああああああああん!」
それからさらに足を自分から少し浮かせて、締め付けを強くして体が痙攣を始めた。
慌てたクリアさんが拘束を解こうとして躍起になっている。
「ちょっと待て――お、落ち着け! いやいやいやいや怖い怖い怖い怖い怖い怖い! ――なるほど。確かに……“敏感なヤツ”だ!]
クリアさんは真剣なんだろうけど、その言葉を聞いて思わず吹き出しそうになる。
拘束が解除されて、ミナさんが再び起き上がって、何事も無かったようにぶつかり合いが再スタートしてしまう。
[横で見てみた限りでは、ガチのストーカーの思考と言動ですにゃ。多分この娘、クリアさんから受ける“マイナスの感情や行動を全部前向きに受けとる”ようになっちゃってますにゃ……。だから、何言っても通じないタイプですにゃ。自分も前、似たような感じでストーカーされたことありますからよくわかりますにゃ……]
[う、嘘でしょォ!? 怖すぎますよソレェ!!]
[本当に怖かったですにゃ……]
[全くですよォ!! ネコニャンさんをストーカーする人が存在しているっていうのが普通じゃ無いですって、絶対にヤバい人ですって!!]
[レットさん今日キレッキレですにゃ…………]
オレは戦っている二人をじっと見つめる。
ミナさんは息を荒くして、顔を赤らめながら引き攣った笑い声を上げていてなんか――楽しそうだ。
クリアさんは白い顔が青くなっているけど……。
[でも――なんかいいなあ。ストーカーって確かに怖いかもけど、オレもあんな風に病まれるくらい誰かに愛されてみたいですよォ…………]
[うぅ……レットさん、なんかちょっと流石に哀れですにゃ……。慰めにもならんけど、自分の“にくきゅー”でも触りますかにゃ?]
そう言って、しょげているオレの前にネコニャンさんが手のひらを差し出してくるけど――
[――いや、遠慮しておきます]
――と、断ったらネコニャンさんは再び液体化した。
[羨ましがっているところ申し訳ないがなレット! 実はこの娘、何度か会う内に“中身”がわからなくなってきている! 最初は20代前後の女性だと思っていたんだが……会う度に何か変なんだ! どんどん動きに“演技が混ざって”きている! いや、最初が演技だったのかもしれない! 今の俺は、目の前のこのプレイヤーの年齢や性別に自信が全く無い状態なんだ!]
[ってことはつまり――どういうことです?]
[つまり最悪、“相思相愛だと思い込んだ上で恋の駆け引きをしてくる”“自分のことを少女だと思い込んでいるハゲのマッチョおっさんという可能性もある”ってことだよ!]
その言葉を聞いて、オレは親指を立てて、満面の笑みで戦闘中のクリアさんに向かって叫んだ。
[クリアさん――お幸せに!!]
[お前――鬼畜かレット! 誰に似たんだ一体!?]
[多分、クリアさんですにゃ~]
ふ~んだ。
いつもいつも散々悪戯されている仕返しだ。
[ネコニャンさんも――ふざけている場合じゃないですよ。言動も不安定で、好意を抱いた理由の不透明さも相まって、俺はこのプレイヤーのことが全く信用できないんです! 俺自身が撒いた種とはいえ、割とこれは問題だ! これ以上自分に付き纏われてチームの家にでも来られたら大変ですよ! “あの事件”のことを信用できない第三者に知られるのは不味い!]
(――確かにそうだ。このままずっとクリアさんに付き纏われるのも、クリアさんこの人にかまけてチームから距離を置いてしまうのも良くない)
このタイミングでよくわからないプレイヤーにつきまとわれるのは最悪だ。
情報を漏らさないようにしている所に、GMですらない正体不明のメンバーをチームに入れるわけにもいかないし……。
[フム――致し方有るまい]
突然、リュクスさんが流れるような動きで二人の間に割り込んだ。
長銃と二本の指で、ぶつかり合うはずだった二人の刃を華麗に受け止める。
(す……すっげ……)
「この勝負――吾輩が預からせて貰おう。美しき淑女よ。貴公にはまだ“ぶつかり合う力”が足りない。吾輩の元で貴公の力を磨く気には――ならんかね? 吾輩が指導をすれば、もっともっと貴公が愛する者に強くぶつかり、感じることが出来るだろう……」
笑顔を浮かべたまま、顔を一切動かさずに目を見開いて、クリアさんとリュクスさんを交互に見つめる。
[……この“淑女”の管理と分析は当面、吾輩が個人で行おう。吾輩が“知識と技術を伝授する”という名目で、貴公《Clear・All》の名が刻まれた首輪に吾輩が鎖をつけ事件が円満解決するまでの間、貴公らの邪魔にならぬように調査、制御する――というわけだ]
捲し立てるようにパーティ会話で放たれたその言葉を聞いて、クリアさんが慌ててミナさんに話しかけた。
「あ~その……そうだ。この男は……………………とても……信用に――足る男だ……淑女にも“優しい”し……。その……君はまだ……色々“足りていない”。強さも…………落ち着きも……知性も……常識もな……うん」
鋏を受け止められている姿勢のまま、ミナさんが上を向いて考え込む。
嫌な沈黙が続いた。
「素っっっっっっっっっっっ敵な提案ですわ!! 私納得です!! 確かにまだまだ少々――照れ屋のクリア様の“本心”を引き出す力が及んでいませんわ! それにしてもクリア様がご信頼されている方から、直接教えを請えるなんて――本当によろしいのかしら?」
「アア――良いとも――吾輩にも好意を持った対象に、“せめて負の感情の一つでも吐き出して欲しい”という気持ちは実によくわかる故……そう――よくわかる所以だ……クックックックックッ……」
再び背筋がゾッとして、同時にクリアさんが青ざめて少しよろめいた。
「〔あの、クリアさん。なんか“選択肢を間違えた感”ありません?〕」
「〔その例えはよくわからないけど、確かに“人選を間違えた”ような気がするな……〕」
何でこの人は変態に好かれるんだろう?
流石に、ちょっと可哀想になってきた……。
「……いずれにせよ。心配は要らんよ。――真に愛に狂う乙女というものは“静かな狂気”を孕む物なのだからな。少なくとも彼女には“狂気”を感じられん」
どういう意味なのだろう?
リュクスさんはそうポツリと呟いてミナさんを連れて去っていく。
クリアさんも言葉の意味を理解できず、怪訝な表情で首を傾げていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
リュクスさんに“厄介ごと”を押しつけることに無事成功して、オレ達は湿地帯を三人で歩いていく。
「あ~……もうお魚の露店がしまっちゃったにゃ……。チームの家で待っている爺ちゃん婆ちゃんに申し訳ないにゃ。これからどうしましょうかにゃ……」
嘆くネコニャンさんを見つめながら、オレはクリアさんにこっそりアドバイスをした。
「〔とにかく、気をつけた方がいいですよクリアさん。オレの知識から言わせてもらうとですね。ヤンデレに対して問題の先延ばしをすると――最悪死んじゃいますからね!〕」
「〔お前――それは一体どこで覚えた知識だよ! とにかく、今はこれが一番良い。リュクスは他のチームメンバーとの関わりも薄いし適任だ。事件解決まで待ってもらって、対処はそれからで良いさ。親密になるつもりは欠片もないが、あの正体不明のプレイヤーが“ただの熱烈なストーカー”であることを祈ろうぜ〕」
確かにそうだ。ゲームの中でのストーカーなんてたいしたことじゃない。
いや……ストーカーも充分危ないはずなんだけど……オレの中の感覚が麻痺してきている気がする……。
それにしても――
「〔クリアさんを見つめていた視線って、一体誰だったんでしょうね?〕」
「……………………どういうことだ、レット」
「〔だってそうでしょ? あの人はクリアさんの住宅の場所を知らなかったんですよ。つまり、クリアさんを住宅街で見つめていたのは“別の人間”ってことですよね〕」
「〔お前……気づいていたのか。確かに――――――――――そうだな〕」
クリアさんは怪訝そうな表情をして視線をそらした。
まるで、オレに対してその事実を隠し通そうとしていたような――そんな風に見えた。
あとがき
※感想欄でご指摘を頂いたので間違いを修正しました。
このプレイヤーがストーキングしている描写があるのは記者に張り込みをされていた『一章の九話』です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「〔ん……んめぇう!? 今、そこの奥の茂みに誰かいたような気がするんだけどぉ……〕」
「〔は? 誰もいないぞ? 何かの見間違えなんじゃ無いのか?〕」
「〔あまい色の何かが通り過ぎたような気がしたのよぉ……〕」
あまい色――亜麻色の事か?
モンスターか何かかと思ったが、ここら辺りにそんな目立つ色のモンスターはいないはずだ。
……………………………………。
周囲を見回したが、何も見当たらない。
俺が気づかなかったくらいだ。おそらく気のせいだろう。
そろそろミズテンの疲労も限界のようだな。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本人の発言の通り、この時は断念して撤退していることがわかります。後から見るとかなり怖い。
今回本性を現にした“超絶思い込みストーキング告白誘導少女”であるミナ・ルージュですが、現段階では話の本筋に直接的には関わってきません。(少なくともこの章のおまけ以外の本編登場はここまでです)
本編に登場するタイミングもだいたい同じになっており、現段階では“全ての章の序盤”に必ず一度出てくるようにストーリーが進むように執筆されています。
二章に登場した時の八話のタイトルは『三歩遅れてついてきた』ですが、クリアについてきたのはワサビさんだけではなかったみたいです。




