第三十六話 全てを失うとき
とてつもない量の矢が、レット達に襲いかかる。
矢が馬車に到達するまでの間、放物線を描いているようには見えなかった。
つまり、それほどに――その速度は圧倒的だった。
咄嗟にテツヲがレット達の前に出て、自分の体を覆うように盾を構えてそれを受け止めようとするが――“取りこぼし”があった。
テツヲのガードを抜けた矢が、人質を移動させ終わったばかりのタナカの背中に突き刺さる。
その体力ゲージがごっそりと減ってしまい、タナカは瞬く間に瀕死の状態に陥ってしまう。
「タ……タナカさんッ!」
そのダメージの大きさに驚き、少女を抱き上げて避難しようとしていたレットが叫んだ。
[おい。俺以外。全員。下がっとれ!]
テツヲの言葉と同時にベルシーが馬車の中央に躍り出て、タナカの体を運転席側に乱暴に蹴っ飛ばす。
クリアは少女を運んでいる途中のレットの首根っこを掴んで、その体ごと引きずり込むように馬車の一番奥に隠れた。
[あ、ありがとうございま――]
レットの謝辞の言葉を、激しい金属音が遮る。
テツヲが矢を受け止める音だった。
その音の大きさから、先ほどよりも激しい攻撃が馬車に向けられているのだとレットは認識した。
[う――わ! あ……あの! この馬車が壊れたりすることってあるんですか!?]
[心配はいらないわ! 過剰な火力が集中しなければ馬車自体がぶっとぶなんてことは滅多に無いの! この状態が続けば、ハイダニアまで逃げ切れるかもしれない!]
[どちらかと言えば、攻撃を耐えているテツヲさんが持つかどうかが問題だ! さっきの敵の狙いはあくまで手前側だった。向こうも人質を狙わないようにしているのかもしれない! 現に、前に立っているのがテツヲさんだけになった途端に敵の殺意が上がってきている!]
[おいテツヲ! お前――大丈夫なのかよ!]
[……チームのリーダーとして“矢面に立っている”。って。感じやな。ヤバすぎて。盾から顔も出せん]
[まんまじゃねえか! 面白くねえし笑えねえよ馬鹿!!]
ベルシーの暴言に対してクリアが深いため息をつこうとして――やはりそれどころではないからか、息を吸ったままの状態でまくし立てた。
[おそらく、相手はこの状態を維持するつもりはないはずだ! ――――速度はヤツらが乗っている馬の方が速い!]
[ほむ。矢が邪魔で。よう見えんが。何人か。ここに近づいて。来てるようやで]
レットが恐る恐る頭を上げて、馬車の入り口の先に広がる闇を一瞬だけ見つめる。
テツヲが大盾を構えて立ち塞がっていたためか、遙か背後に居る敵の集団まで見ることは叶わなかったが、二頭の馬が、真っ直ぐ馬車に近づいてきていることが確認できた。
――というのも、馬に乗っている二人の敵は派手なエフェクトをまき散らして大声で叫んでいたためである。
そして馬車の出入り口を護っているテツヲの両側や足元に向かって、馬上から長槍で攻撃を繰り出し始めた。
真正面からの矢。両側下側からの槍。
全ての攻撃を受け止めようとしているためか、テツヲの防御がおぼつかなくなる。矢と槍でその体力がみるみる減っていく。
[アカンな。俺のこの状態からじゃ。一方的に。やられっぱなしや]
[どうすんだよ!! いっそ、そこの年寄り共や雌餓鬼を縛り上げて晒し者にしてよ! “馬車を守る盾にする”っていうのはどうだ!? 名案だぜ!]
放たれたベルシーの言葉に、レットは耳を疑った。
[ふ……ふざけないでよベルシー! そんなこと、冗談でも――]
[割と冗談でも無いだろうな。……これが“日常”だったら――“普段のゲームプレイ”だったらとっくにやっていたさ!! ベルシーも俺も、聖人君子ってわけじゃあ無いからな]
[そりゃあまあ……二人はそうかもしれないですけどォ……]
[……心配するなよレット]
そう言ってから、クリアが項垂れて動かない人々を一瞥して、最後にベルシーを見つめる。
[――“いつもと状況が違う”のは、お前にもよくわかっているはずだろ、ベルシー!!]
[チッ……………………しょうがねえなオイ。テツヲ! さっさとオレと交代しろ!!]
[そんなん言うても。ベルシは大丈夫。なんか?]
[お前、防御捨ててる半裸ビルドのせいで体力が持たねーだろ。それに前に“二人居る”んだろ? だったら問題ねえ!]
伏せていたベルシーが立ち上がり、テツヲに向かってゆっくりと近づいていく。
しかし、馬車の真ん中まで行ったところで足を止めた。
[おいクリア。ちょっと待てよ! 後続の連中……なんか様子が変じゃねえか!?]
[ど……どういうことだベルシー!? 馬車の奥からじゃそこまで見えないんだ! もっとわかりやすく説明してくれ!]
[わかりやすくって言ってもよォ! オレにもよくわかんねえんだよ! 最初に見たときより後ろに居る敵の人数が減ってるんだよ!]
「何だって⁉︎ それは一体…………」
クリアが黙り込み、耳に手を当てる。
様子がおかしいと警戒したレットの耳にも違和感があった。
矢の音は気がつけば止んでいて、逆に自分達を運んでいる馬の走る音が不自然に大きくなってきている。
次の瞬間、馬の足音が一瞬“ズレ”た。
[まさか――全員、伏せろッ!!]
クリアの叫びと同時に、レットは少女を抱えて馬車の床に倒れ込む。
ほとんど同時に、左右から槍や大剣といった長物の武器が左右から――馬車の覆いを貫通して飛び出してきた。
[いつの間にか、近づかれていたのか……。矢はあくまで横からの接近を隠すための制圧射撃! スキルの連発は“意識をそっちに向けさせて油断させるためのブラフ”だった!!]
地に伏したままの状態のままクリアが呻き、敵の真意を理解したレットが周囲の状況を確認しようと顔を上げる。
伏せるまでもなく、馬車の前側にいたメンバーは全員無事だったが――
[これは……。アカンな……]
――立ち上がった状態のまま馬車の後部側に寄っていたテツヲとベルシーの体に、大量の武具――長身の剣や槍が突き刺さり貫通していた。
ありとあらゆる方向から突き刺され磔の状態になっているその様は、まるで蜘蛛の巣に引っかかった虫のようだった。
ベルシーは瀕死。
テツヲに至っては完全に戦闘不能状態となってしまい、その体が張り巡らされた“武器の針山”からぬるりと抜け落ちて馬車の地面を滑っていく。
[オイ! テツヲの奴もう死んだぞ! ――この役立たずが!!]
[あ……ああ……テツヲさん! テツヲさん!!]
レットが慌てて立ち上がりそうになるが、その頭をクリアが抑えつけた。
[諦めろレット! 馬車は船なんかと仕様が違うんだ!! テツヲさんの“死体の座標”は既に平原の戦闘不能になった地点に定まってしまっている!! 蘇生をする意味がない!]
[そうやで。やられまった俺の心配なんか。せんでええ!]
クリアの言うとおり、テツヲの死体は馬車から高速で放り出されようとしていた。
しかし――死体は馬車の出入り口で視界を覆うように引っかかってしまう。
そして、馬車内のクリア達の視界を覆うように、まるで強風に煽られた洗濯物のようにバタバタと揺れ始めた。
[テツヲの死体がスタックしやがったぞ! 後ろの敵が見えねえ! 死んでまで迷惑かけんじゃねえよカス!!]
[いよいよもって。こりゃ。アカンな]
戦闘不能になったことで当たり判定のなくなったテツヲの死体を透過して、再び馬車の後ろの闇から矢が飛んでくる。
その中の一本がベルシーの肩をかすめて、レットの足元の床に突き刺さった。
[こうなったら――死体を馬車から放り出すしか無いッ!]
クリアが匍匐前進で馬車の後部に向かうが、その間も敵の攻撃が一切止まない。
目立つ位置――馬車の中央に取り残されてしまったが故か、何本かの矢があっというまにベルシーの体に突き刺さる。
手応えが無くなった故か、テツヲを戦闘不能に追い込んだ分の武具が引き抜かれ、再び馬車の左右から飛び出す。
ついに、磔にされていたベルシーの体が浮き上がった。
[クリアさん! テツヲさんの死体よりも先に、ベルシーをなんとかしてあげないとやられちゃいますよ!!]
[い……いえ、レットさん。その点に関してはその……ご心配には及ばないかと……]
[タナカの言うとおりだぜ――ビビってんじゃねえよ“劣徒”。このオレの状態に関してはよ。真下を這いずっているクリアも最初っから気にしちゃいねえのさ]
危機的な状況下だと焦るレットを尻目に、ベルシーは自由に動く片手で後頭部をささえて空中でくつろぐような姿勢を取っている。
[オレからすれば――“この状況は逆に都合が良い”んだぜ!]
ベルシーが魔導書を掲げる。
レットは目を疑った。
怪しげな光と共に真っ赤な霧のようなエフェクトが四方八方からベルシーに集まっていき、瀕死に陥った体力が一瞬で回復したためである。
[ザマアみやがれ気分がいいぜ! 包囲されたこの位置からならオレのスキルでいくらでも“周囲の敵から体力を吸える”! こいつらはオレを串刺しにしてご満悦だったみたいだがな――“ぶっささった”のはオレのビルドの方だッ!!]
磔になっている状態を維持するように敵は交互に武器を抜き差しするが、しかしベルシーは決して戦闘不能に陥らない。
そうして、ついにクリアはテツヲの死体の位置まで到着する。
死体の方には決して触れずに、伏せた状態のままテツヲが引っかかっている馬車の覆いを肘打ちで力強く何度も叩く。
少しずつ馬車の覆いに挟まったテツヲの死体がズレて、抜けていく。
[落ち着け……あと少しなんだ! あと少し……]
[こんな時にわけわかんねスタックしやがって……いい加減邪魔だっつーんだよクソが!!]
その上半身にありとあらゆる武器が突き刺さった状態のまま、ベルシーが敵の武器で体を支えつつ、左足を伸ばして乱暴に、テツヲの死体ごと馬車の覆いを蹴っ飛ばす。
スタックが完全に抜けたのか、その体が馬車からすっぽ抜けるように転がり、戦闘不能になった地点までテツヲの死体がすっ飛んでいく。
[先に。チームの家に戻っとるで]
酷いことをするものだ――とレットが思う暇も無い。
匍匐状態のままクリアが馬車の中央に向かって手を伸ばす。
そして、串刺しのまま浮いているベルシーの片足を掴み引っ張ることで、地面を滑るように移動してレットの元に戻ってきた。
クリア目がけて放たれたであろう矢がベルシーの足に突き刺さった。
[よーし、いい盾だ! ナイスベルシー!]
[……な~んか釈然としねえが、実際コイツは意外と余裕なんじゃねえの? 完璧な布陣ってヤツだぜ! どんなに寄りつかれようと、オレが連中の集中砲火を受け続けていればハイダニアまで充分に耐えきれる!! その上こっちには“人質”もいる。無茶な攻撃もできねえだろうしよ!]
[そして、お前が連続で攻撃を受けてくれているおかげで“見晴らしが良くなった”。馬車の覆いに空いた穴から、敵の出方も見れるようになったはずだ。早速――]
しかし、そこで……既に“しゃがみながら、覆いに空けられた穴から外の様子を見ていた”タナカが突然大声で叫んだ。
[――待ってください。これは……いけない!!]
直後――レットの視界が真っ白になった。
衝撃で体が揺れる。平衡感覚を失って上も下もわからなくなる。
大きな爆発が周囲で起きている。
地面が揺れている。
なのに、自分の耳には破裂音ではなく、耳鳴りのような反響音が聞こえてくるだけ。
他に聞こえてくるのは自分の体を直接伝わってくるような、くぐもったような音だけだった。
[なんてことだ……信じられない!! 連中、魔法で馬車ごと攻撃をしてきた……! 皆、大丈夫か!?]
[馬車が傾いたわ! 今ので多分……左の前輪がぶっ飛んだわよ!!]
他の音はほとんど聞こえてこないのに、メンバーの声だけが鮮明に聞こえてくる違和感。
光と爆音に包まれたレットの視力と聴力が徐々に回復してくる。
馬車の覆いには、火がついていた。
目の前の床と壁面が一部吹き飛んでおり、外から平原の強風が吹き込んできている。
そして――
[タナカさん……タナカさん!!]
――それはおそらく、咄嗟の判断だったのだろう。
人質達の前に、防御のスキルを全て使って覆い被さるように身を挺していたのはタナカだった。
攻撃魔法の破壊力をその身に一手に引き受けて、その体は炎に包まれていた。
あっという間に減っていく体力と、体に纏い付く違和感を払おうとしているのか、タナカは体をバタつかせていたが、足を滑らせて馬車に空いた穴から地面に転落しそうになる。
[こ――の!]
死に物狂いで身を乗り出して、レットは右腕を伸ばしてタナカの腕を掴んだ。
[オイ! 馬車の前側で何が起きたんだよ! 体が動かねえんだ説明しろ!!]
[タナカさんがやられた……皆の身代わりになったんだ! 諦めろレット! そのまま握っていたらお前も落ちる! とにかく、急いで人質達の場所を替えるんだ!]
[……手を離してください。レットさん]
[でも……でも、だって――]
[落ち着いてください!! 今、ここで本当に護らなければならない物を、見失ってはなりません!]
タナカの大声で、レットは沈黙する。
[ここからでは、よく見えませんね……。虐げられていた方々は……全員無事ですか?]
レットは背後を振り返り、見たままの事実を伝える。
[――大丈夫。みんな無事だよ]
[それはよかった。……後は、おまかせします。お役に立てず、申し訳ありません]
タナカとレットの手が離れた。
その体が穴に落ちて見えなくなり、直後に馬車がその体を踏んだのか大きく跳ねた。
「………………」
レットは無言で立ち上がる。
動揺している暇は無いと自らを奮い立たせて、クリアと共に人質達を引きずるように移動させながら運転席のケッコに問いかけた。
[教えてくださいケッコさん! この馬車は、まだ走れるんですか!?]
[心配いらないわ少年! このくらいどうってことないから! 最悪片側の二輪が飛んだって、私なら最後まで走らせられるから心配しないで! そんなことより気になるのは……どうしてあいつらは、この人達を直接狙うようなことをしてきたのかってことよ!]
[…………………………おそらく、諦めたんだ]
クリアが唇を噛みながら呟く。
[――諦めたんだ、ついに! 連中は人質ごと俺達全員を戦闘不能にする方向に作戦を切り替えたんだ!! この人達は蘇生の意思表示すら明確にできるか怪しい! 『時間経過で強制的にリスポーン地点に戻る』ことを期待して、事件そのものを隠蔽するつもりだ!!]
[フザけやがって! ……だけど待てよ? そりゃ連中も、相当焦っているってことじゃねえのか!?]
人質達を引きずっていたレットの体が止まる。
馬車にできた大きな穴から、敵の一人が魔法を詠唱しているのが見えたためであった。
[アイツ……また魔法を唱えてます――クリアさんッ!!]
[お前の目線と入れ違いだよ。壁に開いた穴からとっくに投げたさ!]
レットが再び逆側を見つめると四本か五本、殺傷力の高そうな石のナイフが馬ごと術師の体に突き刺さっていた。
[やった!]
[いいや、駄目だ!]
はしゃぐレットをクリアが諫める。
[乗り手を倒すつもりで投げたのに……俺の装備品が壊れていて火力が出ない……落馬もさせられなかった! よろめかせて詠唱を中断させるのが精一杯だ!!]
そこで不意に、覆いを貫通していた長物が全て引き抜かれてベルシーが床に尻餅をついた。
[オイ! 中央側の連中、諦めて離れていきやがるぞ!!]
[まずいな……敵が手段を選ばないというのなら……今度は両サイドから一斉に矢が飛んでくるかもしれない――ケッコさん!]
[あと少し……あと少しでハイダニアに到着よ!! 振り向く余裕も無いけれど、全員で伏せていれば耐えきれるかもしれないわ!]
[そうですね。敵のデカイ魔法は、俺がナイフで可能な限り詠唱を止めてみせる! レットは――]
[……心配しないでください。もし、こっちに攻撃が飛んできたら、オレもタナカさんと“同じことをやります”! 少しでも持ちこたえて見せますから!!]
[――よし、“いい覚悟”だ!]
レットは戦いを経て折れずに残った――唯一の剣を再び取り出す。
弓矢の受け流しなど練習はできていなかったが、少しでも食い下がろうと少年は覚悟を決める。
しかし、敵は速度を上げて――馬車内に居るレット達の真横を通り過ぎていく。
[……そんな、オレ達の前に……オレ達の“前”に行ったってことは……クリアさん]
[……………………冷静だ。相手側は死ぬほど冷静だ……]
クリアの呟きの直後。
敵が矢を発射する異音が再び鳴り始めた。
[俺達の馬車を止めようと――御者のケッコさんを倒すつもりだ! 方針転換をしたなら当然だ。相手からすればこっちが“全殺しのための確実な本命”だった!!]
慌てて、レット達は荷台から馬車の最前部の運転席に向かう。
その絶望的な状況は近づいて見るまでも無かった。
ケッコは手綱を握ったまま、左右から凄まじい数の弓矢を打ち込まれている。
受けた攻撃をマナでガードしているのか、ケッコのマナはじわじわと減ってきていた。
[クリアさん! どうすればいいですか!! このままじゃケッコさんが――馬車が――]
[――どうにもできない……。この馬車には、運転中の御者が身を隠せる場所がない……あまりにも無防備だ……]
[もたねえだろうなこりゃ。残念だが、マナが切れたらあのデブがやられて速攻で馬車が止まるぜ。ここまで躊躇無くやられちゃ、ゲームオーバーだ]
[でも――だって――オレ達ここまで来たのに……あと少しなのに………………]
[……………………ベルシー!]
後ろを決して向かず、マナによるシールドで矢を弾き続けながら、ケッコが声を荒げる。
[……何だよ?]
[――私はアンタのことが、心底嫌い!]
[……知っているっつーの]
[――だけど、私はアンタに託すわ!]
[ハァ!? 何を意味わかんねえことを――]
[黙って聞いて!! 私が戦闘不能になって馬車から放り出されたら、アンタがここに座って馬車をまっすぐ走らせ続けるの。そのくらいのことはアンタにもできるはずよ!]
[おい! 何でオレなんだよ!!]
[少年はマウントの操作ができないし、瀕死のクリアさんが座っても数秒ともたない! だから、もうアンタがやるしかないのよ!]
[無理に決まってんだろ! オレのビルド的に“遠距離攻撃の集中砲火は駄目”なんだっつーの! 連中にもそれがわかっているから、テメエは距離を置かれて左右から今針のムシロになってんだよ! オレが出たところで敵の血(体力)も吸えねえからハイダニアまではもたねえんだよ! こんなもん詰みだ詰み!!]
[――――やかましいのよ!!]
[あ……あぁ!?]
そこで初めて――ケッコがベルシーに対して、フェアリーの女性キャラクターとは思えないほどの鬼気迫る表情で振り返った。
[何よアンタ根性無いわね! この人数相手にここまで来れたのよ!? 諦めずに最後の最後まで、自分の仕事を最後まできちんとやれッ!!]
[クソが………………]
ケッコの挑発を受けたためだろうか、ベルシーの歯ぎしりの音がレットの耳に聞こえてきた。
[――やりゃあいいんだろやりゃあ!! 将来の展望もねえコンビニバイトが、このオレにエラそーに指図するくらいのやる気出しやがって! “らしくねえんだよ!”]
[それで!? やってくれるの? やらないの!?]
[どうせ全滅だろうがな――やってやるよ! その代わり、後でテメーのその不気味なやる気の“理由”をオレに教えやがれ!!]
[……仕方ないわね、それなら――]
そこで前を向いたケッコは“何かに驚いた”ように身を乗り出したが――同時にそのマナが完全に尽きる。
マナによるガードが解けて、目の前に座っていたケッコに大量の矢が突き刺さり、小さな体が跳ねた。
あっという間にメイジの少ない体力がゼロになり――矢が刺さったケッコの体が針鼠のようになって浮き上がる。
その時レットは、時間が圧縮されたように感じた。
それはまるで目の前にサッカーのボールが迫ってきているかのように、危機的な状況が訪れたときに起きる脳の錯覚。
前方を、進行方向を指さしながら――ゆっくりと、ケッコの死体が宙に放りだされて荷台にいるレットの真横を流れていく。
[大丈夫……大丈夫よ。“目的はもう……達成できたから――”]
圧縮された時間が戻っていく。
馬車の出入り口の縁でケッコの死体が跳ねて平原の闇に消えていった。
[クソッタレが!!]
ベルシーが飛び出して、馬車の速度が落ちる前に矢に撃たれながら手綱を握る。
[おいデブ! テメエ、その言葉は一体どういう意味――――――――――――マジかよ。信じられねえ……]
前方を見据えたベルシーの体が驚きからか完全に動かなくなる。
その目線につられて、レットは馬車の中から遙か前方を見つめた。
遙か遠くで、空と小川に写る星の光が――小さな橋の手前に立つ一人の、長身の男の姿を照らしていた。
前方から迫ってくる喧噪などどこ吹く風と行った様子で、男は平原に生えていたのだろうか――花を一つ左手で持って、それをじっと見つめているようだった。
そのまま視線を一切動かさず、おもむろに小さな光が右手に灯される。
レットにとって、見覚えのある光だった。
それは――“マッチの火”。
男の右手が開かれて、火は地面に向かって落とされる。
しかし、男はそれを空中で“尻尾”を使って掴んだ。
マッチの火は尻尾ごと、ゆらりと動いて――
――男の真横に設置されていた、【巨大な大砲】の影で見えなくなった。
尻尾から放り投げられた火は消えて、そのまま男はこちらに向かって歩みを進めてくる。
男は顔を伏したまま、左手を掲げる。
花びらが、平原に散っていく。
最後に、手首をスナップさせることで、残った花の茎を宙に放り投げて――
――同時に、大砲が轟音を上げる。
地が揺れて、間を開けずに砲弾が風を裂く音が聞こえてくる。
大砲の一撃は片側の敵集団の、ど真ん中に直撃したようで、土がはじけ飛び馬達が慄く声が鳴り響いた。
砲弾が直撃した同胞の身を案じたのか、あるいは他方向からの不意打ちを警戒したのか――隣接していた敵の攻撃が止んで、馬車の背後に下がっていく。
その間に、男は腰に刺さっている長身の銃を取り出した。
何も持っていなかったはずの握り拳から、手品のように弾を取り出すと、長銃に丁寧に装填していく。
そして、メンバーの乗る馬車と、男がすれ違うその瞬間――レットには男の体が“真っ黒な影”になったように見えた。
あまりの速さに、残像となった影が伸びていく。
急加速のあまり、レットには男を構えた男の体が真正面から敵集団に突き刺さったかのように見えた。
少年は、目の前の光景が信じられなかった。
男は敵の体を蹴り飛ばしながら発砲の勢いを利用して、敵と敵の間を――宙を飛び回っていた。
――その軌道は海中を四方八方に泳ぎまわる蛸のようであり、その速度は風を全力で受けた凧のようだった。
撃鉄を背に飛び回る影となった男と、圧倒され統制が取れなくなった敵の集団が、あっという間にレット達から離れていく。
そして――小川の橋を抜けて、ついに目の前に切望した目的地が見えてきた。
[クリアさん……これって……ひょっとして……もしかして本当に…………]
[ああ……やったぞレット――]
隣にいたクリアは、後ろを見つめながら満面の笑みを浮かべている。
[――“俺達”はやったんだ!!]
レット達がハイダニアに到着し、城門に馬車が飛び込む。
半壊した馬車ごと――――――――レット達の体が光に包まれた。
【今回のリュクスの“本体”の基本戦術】
今作の対人戦における遠隔攻撃の命中ステータスは狙った際のロックオンの自動補正率に影響する。しかし現在の環境ではそこにリソースを割くと全体の火力が大きく低下してしまい、むしろ激しく動く敵に対してはロックオンの補正による銃口の動きの機微がプレイヤーのスムーズな動きを阻害する。
故に、リュクスは命中ステータスだけでなく防御の面すらかなぐり捨て元来持っているプレイヤー自身の射撃のセンスと最上級の装備によって上昇したキャラクターの速度に関するステータスで無理矢理接射して当てるという変態的な戦法を確立している。
職業の致命的な欠点を個人の才能と圧倒的なプレイ時間で補う試作品のようなビルドであり、後述のスキルと相まって再現性の敷居はとてつもなく高い。
そもそもありとあらゆる要素から不安定な調整がされやすいハンターという職業にのみ没頭している時点でその熱意と努力は狂気染みていると言える。
攻撃を受けることをほとんど許されないその戦い方は、異端のハンターが自らの覚悟で死地に赴き、打ち倒す敵を狩る時のみ見ることが出来るだろう。
【影の舞踏】
使用者が登録した複数の“発射姿勢”を装備品ごと“影の分身”として自分のキャラクターの座標に重ねるように呼び出し攻撃させるスキル。(分身は射撃終了後に残心した後、消滅する)
連続で使用することで残像を出しながら移動しているように見える。
このスキルの特徴は“影は使用者から見て決まった角度にしか弾を放たない(プレイヤーを基準点に、登録した姿勢通りにしか弾を放たない)”という点。
つまりこのスキルの基本的な使い方は“バランス良く様々な角度で射撃する影を予め登録”し我武者羅に影を呼び続けることで“四方八方を乱射する”という物。(対モンスターでは連続ヒットさせやすいためか威力が低下するよう調整されている)
しかし、リュクスの恐ろしいところは対人で運用し、尚且つ咄嗟の判断で“呼び出す影を個別に指定しつつ本体も高速戦闘を行っている”という点。
つまりリュクスは①高速で移動しながら対象を接射しつつ、②最適な影を瞬時に判断、③影を呼び出して確実に攻撃を当てる――という動作を同時に行うことで元来ありえないDPSを出している。
酷い時はリュクス本体の方が妥協して、無茶な姿勢で射撃を行うことで影の射撃を当てやすいように調整していたりする。
――しかも、事前に登録した物だけでなく当該戦闘中に“使えそうだ”と判断した発射動作を咄嗟に上書きし登録して使役することもある。
上級者でありゲームに精通しているはずのClear・Allが一方的に気圧されるのも納得の強さであると言える。




