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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第二章 闇に蠢く
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第二十九話 少年と“少年” 

「「…………ウェア、ア~――ユウウウウウウウウウウウウウウ~……オオオオオオオオオオオオオオオオオオ~♪」」




遥か彼方からレットの耳に男の声が聞こえてくる。


高所から滑り落ちて、床に尻餅をついてから果たしてどのくらいの時間が経ったのか。

その間もレットの視界は闇に包まれていた。


(大丈夫……大丈夫。落ち着くんだ……とにかく、冷静にならなきゃ)


耳を澄ますと、頭上から仲間たちの戦っている音が僅かながらに聞こえてきた。


レットは前かがみになって、周囲の地形を把握しようと両手を地面に這わせる。

小さな音が出て、岩窟の中を反響した。


(駄目だ……ちょっとでも動いたら音が響いちゃう。これじゃ下手に動けない……)


そう考えた結果、レットは身を伏せた状態から動けなくなってしまった。


(ここから先の道は、オレにとって未知の場所だったはずだ。相手が道を知ってたら、このまま逃げられてしまうのか?)


しかし、相手が逃げる可能性は無いだろうという結論をレットはすぐに出した。


エルフの少年はレットに対して“同伴を強制した”。

そんな折に、レットが足を滑らせて転落したのは彼自身の不注意が原因であり――つまり、レットがこの場で動けなくなることを敵が事前に予期していたわけではない。

なので当初の予定通り“この後も、敵が自分に対して引き続き何らかのアクションを取ってくるに違いない”とレットは考えたのである。


そして、敵が自分に同伴を強制した意図についても考える。


(敵は暗所であることを生かして、一人ぼっちになったオレを倒しに来るに違いない! でも、待てよ……それはひょっとして、オレにとって都合がいいんじゃないか? 攻撃を仕掛けてくるなら、アイツはあの娘を抱えてはいない――んじゃないか?)


人質がいないということは即ち、襲いかかってくる相手に対して躊躇無く攻撃を仕掛けられるということ。


(こうなったら、やるしかない! 来るなら来い。返り討ちにしてやるぞ!)


レットはその自分の考えに賭けて、覚悟を決めた。

その直後に懐かしい音が鳴って、目の前に突然――











――『フレンド申請』の文字が光る。


(う――あ……し…………しまった!!)


現れたそのウィンドウは“周囲を照らしている”。

予想外の出来事にレットは焦る。敵のフレンドになるわけにもいかないと、慌てて目の前のウィンドウを弄り回す。

しかし、かつてクリアに申請を押し付けられた時のように申請を断る選択肢がなかなか出てこない。

申請を保留にすることには成功したが――自分の視界の右下に最小化されたウィンドウが依然としてぼんやりと点灯していた。


(ああもう……消えろ……消えろよッ!)


少し離れた場所から、何かが動く音が響いてきた。

位置がバレて、敵に攻撃を受ける――もう考えている時間は無い。

レットは仕方なしにウィンドウを弄ってフレンドの申請を受け付ける。

“フレンドになった敵”の名前が一瞬、眼前に表示されてからウィンドウは完全に消滅し、自身の周囲は再び暗闇と静寂に包まれた。


(……キャラクターネーム……ファ……フェ……FeatherフェザーTouchタッチ?。これが、アイツの名前か!?)
























「〔改めて、始めまして。“フェザー”とでも呼んでくれると嬉しいね〕」


(――――!!!!)


突然、レットの頭の中に聞き覚えのある幼い声が鳴り響く。


「〔キミもボクもまだ戦闘を始めていないようだから、こういうアプローチが出来たわけだけど。思ったより焦っていたよね? その『フレンド申請』は慣れていないと消しづらいんだよ。――面白い小技だと思わない? これね。ボクの師匠に教えてもらったんだ〕」


レットは何も言い返せない。


『暗所の中、位置も定かでない敵の声だけが聞こえてくる』


異常な事態を前にして、緊張でその体が強張っていく。


「〔……キミの名前、面白い割に反応がないなぁ。――いいのかな? いつまでもそこでじっとしていて。なんなら、ボクの方から近づいてあげようか?〕」


その言葉で、レットは息を呑む。反射的に手が動いて、懐から取り出された松明に火がつけられる。

うずくまっている状態から片膝立ちをして自分の体を固定し。レットは松明を眼前に掲げて周囲の様子を伺う。


(………………………………)


レットは、自分自身の顔に滝のような汗が流れていたことに気づいた。

松明の熱さを知っていた少年にとって、この汗がどういった理由で流れているのかはわかりきっていることだった。

周囲を見回すと、先ほど自分が踏み外した道が頭上に見える。

どうやらこの場所に至る道は螺旋状の階段になっており、そのてっぺんから足を滑らせてここまで落下したようである。


それから、レットは右を見て、左を見て――











「――後ろだよ」


「うわあああッ!!」


レットは慌てて振り返って、腰に差していた片手剣を取り出そうとした。

しかし、右手に大きな松明を持っているためか、取り出した剣をうまく握ることができない。立ち上がれぬまま思わず剣を地面に落としてしまう。

レットは松明を地面に放り投げ、取り替えるかのように落ちていた剣を拾い上げて眼前の敵に向かって突きつける。

エルフの少年――フェザーは涼しい表情で、少女を両腕で横抱きしたまま、唯一の行く道である通路の脇の岩に座っていた。


「アンタ……一体――何の真似だッ!」


「それは、ボクがキミをフレンドに誘ったことに対してかな? ……もちろん“攻撃のつもり”だよ。平穏無事に、キミに対して優しく語りかけようという“攻撃”。ここから先はキミとボクの二人きりの時間だ。フレンドからの“囁き”は、システムの方で拒絶してもらえると助かる」


パーティを抜けた時と同じように、今のレットに選択肢などあるわけも無い。

レットは仕方なしにシステムメニューを開く。

ウィンドウの中身を敵――フェザーに見えるようにコンフィグを弄って、フレンドからの囁きが来ないように設定しなおした。


レットがウィンドウを閉じると、フェザーは少女を抱えたまま腰掛けていた岩から立ち上がる。

それから、明かりもつけずに奥の通路に消えていく。


「……と、止まれ!」


「〔ううん。“止まらない”。ボクはこれから移動する。ついてこれるものなら――ついてくると良い。その間、ゆっくりと歩きながらお話でもしようよ。怖いカオしないでさ〕」


レットに考えている時間は無い。

ここで見失えば最後だと、大きく息を吐いてから松明を掲げ、エルフの少年を追いかける為にレットは通路を進んでいく。

進むべき道は細く、迷う要素は全く無かったが、先行しているはずの敵の姿がさっぱり見えてこなかった。


(敵の姿が見えないけど……戦わないで済んでいるのはラッキーだ。コイツとこのままだらだら会話していれば――クリアさん達が来るまでの時間稼ぎになるかもしれない!)


レットは焦りを感じ始めたが、自分を勇気付けるためか――必死になって前向きに事態を受け入れようとしていた。


「〔……キミをあの部屋で初めて見て、一度話がしたいなと思ったんだよね〕」


そこに再び、幼いフェザーの声がレットの頭の中で容赦なく鳴り響いた。


「〔少し、気になったんだよ。この計画を止めにくる人間がいるとすれば“それは誰なのか”? 前々から考えていたんだけど――予想外だったなあ。キミみたいな年端もいかない、物事を何も知らなそうな少年が……彼女を助けに来るとはね。キミの仲間達への興味も尽きないけど、やはり一番気になったのはキミなんだ。――だから、ここまで来てもらったんだ〕」


幼い声色の――しかし妙に落ち着いた口調。その話し方に少年特有のあどけなさというものは欠片もなく――ひどく理性的だった。

レットは確信する。


(……見た目と声は子どもだけど……。やっぱり、このフェザーってキャラクターの中身は――間違いない。“少年なんかじゃない!”)


「〔ど、どうして。何で“オレ”なんだ?〕」


思考しながらも、レットはフェザーに対して質問を投げかける。

ひょっとすると、敵の計画の全容を知れるかもしれないという期待もあった。


「〔だって、一番必死そうだったから。大して強くも無いのに、この娘を自分の物にしようと躍起になっているキミの姿はボクそっくりだった。――もしかしたら……キミとボクは似ているんじゃないかな? そうだったら、ちょっと嬉しいかもなあ〕」


「〔お、同じに……するな!〕」


少女の身を案じて、語気が強くなるのを必死に抑えてレットは反論する。


「〔隠すことなんてないじゃないか、性の対象として女を求めるのは自然なことだ。そのやり方が、直接的か間接的なだけだよ。――――――――キミも、そういうの好きなんだろ?〕」


レットは何故か――そのフェザーの言葉に自らの心臓を掴まれたかのように感じていた。

正体不明の、奇妙な嫌悪感と不快感があった。


「〔……ち、違う! オレは、捕まっている人達を助けに来ただけだ!〕」


レットは、必死になって敵の言葉を否定する。


「〔へぇ――――――――――“人達”?〕」


囁いてくるフェザーの声のトーンが急に落ちて、レットは敵の不興を買ってしまったと思い息を呑む。

その息を呑む音も囁きとして届いてしまったようで、フェザーはレットに対して弁解をしてくる。


「〔心配をしないでくれよ。彼女を傷つけるっていうのはただの嘘だ。キミが何を言ってもボクは気にしないと約束しよう。“怖がられたら会話が終わっちゃう”からね。それにしても“人達”っていうのは――あの連中のことも知っているのかい?〕」


レットはその言葉に少しだけ安心して、敵に聞こえないように小さく息を吐く。

しかし、『少女に危害を加えない』というフェザーの言葉を信用しきることは決してしない。努めて冷静に話を続けようとした。


「〔そ……そうだよ。あのお年寄り達のことも――全部知っているさ〕」


「〔あ~あ。少し気を抜きすぎたのかなあ。しかし、“アレ”に関してボクは全く話したくないね。そもそも必要ないのさ。あんな連中の話はね。ほとんど意味を成さない。簡単に言ってしまうと、あんな物はボクの中ではただの“運ぶべき荷物”だ〕」


『荷物』


その言葉を何度か呟いてからフェザーは楽しそうに嗤う。


「〔荷物――お荷物――“文字通り”の。うん、面白いな、フッフッフッフッフッ――あ、いや。失礼〕」


(何が……何がおかしいんだ!!)


レットは雁字搦めにされている人達の姿を思い返してしまった。

それによって湧き上がる怒りを必死になって押さえ込む。


「〔どうして――あんなとんでもないことを……しようと思ったんだ!〕」


「〔――“ボクの『ゲーム』”の達成条件だったから〕」


その返事はほとんどノータイムで返ってきた。

『ゲーム』という言葉を聞いて、レットは考え込む。

それは以前、岩窟で盗み聞きしていたときに聞いていた言葉だった。


「〔アンタの『ゲーム』って、それはつまり――〕」


「〔今回ボクが起こしたこのイベントそのものさ。“少女一人を救い出し、人形として我が物にするのに、年寄り共五人の運搬が必要になった”。これが今のキミの生きている現実から編み出された少女を救い出し我が物にするための交換のレートだった。それを【あの人】に提示され、言われたのさ――これはキミの『ゲーム』だってね〕」


クリアが推理していた実行犯以外の首謀者の存在。

その正体と、ひいては事件の全貌を知るチャンスだと考えて、レットは言葉を選んでフェザーに問いかけた。


「〔【あの人】っていうのは、誰のことだ?〕」


「〔――名前は、教えられない〕」


「〔もしかして、あの大声出していた男がそうなのか?〕」


「〔違う違う。彼とは結局、ビジネスの関係さ。個人的に相性がいいんでね。人としての理性、枷がボク以上に外れているのが実に良いんだよ。そして、彼は決して中途半端じゃない。この世界でなら間違いなく英雄の如き強さを持った男だ。時代が違えば戦争で何百人も殺して、現実でも間違いなく一角の人間になれていたような人間さ〕」


(やっぱり、アイツが一番強いのか……)


レットは先の広間の戦闘を思い出し、一番の強敵と相対しているであろうクリアの身を案じた。

しかし、今の自分に何かできることがあるわけでもない。

そして何より、事件の本筋とは無関係な話なような気がして先の会話を思い出しながら、別の質問を投げかける。


「〔じゃあ……アンタの言う【あの人】がその人質の交換レートっていうものを決めたのか!? 一体、何を基準に――〕」















「〔“キミのような子どもが語るべき話”じゃあない〕」


フェザーの――少年の声のトーンが、不気味なくらいに下がった。


「〔これは責ある大人達が頭を抱えながら、意味有りげに進展も無く大袈裟に話すべき社会問題の一つにすぎない。――キミには関係の無い話だ。そして、ボクの求める世界にも“老い”なんて物も必要ない。必要なのは少女の美しさだけで良い。だから、もうあの荷物に対して話をするのはやめてくれ。――今後一切話さないと約束してね〕」


レットの質問に対して、フェザーは明らかに気分を害しているようだった。





(駄目だ……これ以上は踏み込めそうにない……)


「〔――じゃあ……ええと、その……アンタの求める世界って、一体何なんだ?〕」


「〔ボクの望む世界について――か。これを答える前に、一つ質問をキミにしよう。――キミは一体何のためにこのゲームを始めたんだい?〕」


(オレが……ゲームを……始めた理由?)


「〔何か、深い理由があるかもしれないよね。例えば――くだらない英雄ごっこがしたいとか、現実世界の痛み辛みを忘れたいとか〕」


自分のことをピタリと言い当てられたと感じて、レットはぎくりとした。


「〔当たりか……そういう答えが僅かにでもキミの脳裏に浮かんだのなら、ボクのやっていることが少しでも理解できるとはずだ〕」


「〔り……理解なんて、理解なんて……できるものか!〕」


「〔そうか――わからないか。じゃあ一から説明しよう。あー……〕」


間延びした声が聞こえてくる。

まるで、頭の中の考えを整理しているようだった。


「〔……中途半端っていう物はね。ボクは、とても辛いモノだと思っている。半端に食い意地があれば食費だけが(かさ)んで、体を壊す。中途半端な睡眠時間は生活の質を落とし続ける。中途半端な良心は自身の行動を制限する。趣味や遊びもそうだよ。半端なヤツらは無駄に時間を浪費し続けるだけで、何も得られはしないだろ? そして、ボクもそんな半端者の一人なんだ〕」


「〔……何が言いたいんだ〕」


「〔ボクはね……美しい人形のような少女が大好きなんだ。しかし、“半端者”だ。眺め続けていることができない。触らずにはいられない。その美しい聖域を侵さずにはいられない。もう我慢の限界だったというわけさ。これでもね。回り道はしたんだよ。カウンセリングだって受けたし、注射も痕が残るくらい沢山した。だけど治りもしないし、止まらなかった。だから自分の人生で稼いだ僅かな金の残りは、ボク自身の為に使おうと思った。その結果がこれなんだよ〕」


「〔だ……だ……だから、こんなことをしようとしたのか! そんなの――イカレてる!〕」


「〔これでもむしろ、妥協しているんだよ。僕はまだ現実の世界では誰も傷つけてはいない。少なくとも――今はまだ。でも、この娘のおかげで、後一歩の所で踏みとどまれているのさ〕」


「〔そんなの……そんなことって――〕」


『自分にとって都合の良い言い訳にすぎない』と言い切る前に、フェザーがレットの頭の中で話を続ける。


「〔彼女の精神を我が物にするのに必要なものは沢山あった。オンラインゲームには詳しくないから大変だったよ。ボクの好みに合致していて尚且つそれなりの強さのキャラクターを手に入れるのはね〕」


「〔ま……まさか。まさか“お金で買った”のか? キャラクターのデータそのものを……〕」


「〔うん。そうだよ。あえて最強じゃないキャラクターをね。未熟な少年になりたいボクのロールプレイってやつさ。ボクの髪色が抜けて、こんな銀髪になった理由は――そうだな。両親の常軌を逸した性行為を覗いてしまったとか――幼少期に親族に性的な悪戯を受け続けたとか。そんな設定があると……………………妙にしっくり来ないかな? まあ、実際にはそんな理由では髪の色は抜けたりしないんだけどね。ある意味、これはボクの幼年期を再現した理想の姿なんだよ〕」


つらつらと、つらつらと。

楽しそうに自分自身を語り続けるフェザーを、レットは“怖い”と思った。

それは原始的な感情だったが、今の状況を分かりやすく説明するならそれでもう充分だった。

今まで十数年生きてきた中で、得体の知れない邪悪に対する恐怖を抱いていた。


「〔……く……く……狂ってる! アンタ……頭がおかしいよ……〕」


「〔狂人なんて在り来たりの枠にはめてボクを見ないでくれると助かるね。キミが周囲を見ていないだけだよ。世の中にはいるのさ。存在を許されていない人間が――沢山居る。時代や時勢が悪く世の中の価値観にどう足掻いても適合できない人間がいっぱい。それこそいっぱいね〕」


「〔存在を――許されていない人間だって!?〕」


「〔そう――そして、これがその内の一人であるボクの望み。ボクは動かぬ彼女の体を楽しみながら、彼女の眠った精神と過ごす時間をこの世界の中で楽しみたいのさ〕」


「〔一人でやれよ……そんなの一人でやれよッ! 別のところで、一人で他人を巻き込まないで勝手にやればいいじゃないか……なんでこのゲームで他の人を巻き込んだんだよ!!〕


「〔このゲームがあまりにも幻想的で夢のような理想の世界だったから。そして、人形を愛でるにしても――少女の心が入っているという事実はそれだけで興奮する。最後に、ボクにとっては“具体的な過程”を飛ばせる点を再現できるというのが実に良いんだ。体を撫でつつ――接吻をするだけで子ができるなんて、純真だった幼少期を思い出すなあ。懐かしい思い出だと思わないかな?〕」


レットの視界が歪む。世界が回転しているような錯覚に陥る。

到底理解が及ばず――だからこそその状態からさらに、質問を投げかけずにはいられなかった。


「〔子ができる……? 子って……子どもってこと? い……意味が――〕」








「〔きっと、楽しいよ。物語の主人公として、英雄ヒーローのように少女を救い出した後に、彼女の体のありとあらゆるところをボクが触れるんだ。触れ続けるんだ。そうして十月十日後に、ボクは彼女の息子として生まれ変わる。胎内回帰願望というやつだねえ。――といっても、あまりにも若いキャラクターはこのゲームでは作れないようだから妖精族のキャラクターを別に作って再スタートするつもりだけど――ね。演出が凝っていると思わないかい? そして湖畔の豪邸で光る湖を二人で眺めながら、彼女に抱かれながら、この世界に終わりが来るまで、ずーっと過ごすのさ。それがボクの人生の当面のささやかな望みだ〕」









(――――――――ウゥッ!)


レットは吐き気がこみ上げてくるのを感じた。

しかし、ここで吐き出すことはできない。

不快感は取り払えず、喉元につっかえたまま。












なぜならこれはゲームだから。









レットは、ここまでの異常性に触れたことなどなかった。

少なくともこのフェザーという少年は、レットには理解しえない存在だった。

自分の日常には絶対にいないような――スポットライトが絶対に当たってはいけない禁忌のような存在。それが頭の中で語り続けてくる。

松明を持っていた右手が震える。


それをどんなに高く掲げても、少年の目の前には深い闇が開かれていた。

触れてはいけないものに触れてしまっていることに気がついたが既に遅かった。

吐き気を伴う歪な感情がレットの中に、冷たい砂のように大量に流れ込んでくる。


「〔そして、そんなボク達に理解を示して手伝ってくれた人間がいたってことさ〕」


フェザーの“ボク達”という言葉がガンガンとレットの頭の中で鳴り響く。

こんな歪で邪悪な存在が他にもいるという事実に、少年の精神は磨耗していく。


「〔そんなわけで、ボクは彼女に恋している。遥か昔の人々は、霊魂の存在というものを信じていたらしくてね。女の魂を己のものとして乞うことが――即ち恋という行いだったそうだ。ボクはこの娘の魂を閉じ込めて、この世界が終わるまで独り占めしたいのさ〕」








ざわつく心を落ち着かせる暇もないまま、レットの視界が大きく開ける。



レットが辿り着いたのは巨大な広間で、天井からは月の光が差し込んでいた。

先程の広間と違って湿地帯の泥まで零れ落ちていたためか、地面全体がぬかるんでいた。


中央には巨大な岩が設置されており、フェザーは少女を抱きかかえながらその上に座って、冠についていた赤い羽根を片手で摘んで、その頬を優しく撫でている。

レットは松明を消して目を凝らす。

その背後には布で隠された蠢く“荷物”――否、捕らえ存在を隠された人々の姿があった。










「というわけで……ご対面だね。すごい表情をしているよ――キミ」


指摘されるまでも無いことだった。

汗で冷えきったレットの顔は強張り、さらにそこに冷たい岩窟の空気が刺すように張り付いている。

足の力が抜けそうになっていて、平衡感覚が失われつつある。

ぬかるんだ地面にそのまま自分自身も体が飲み込まれていくような最悪の気分だった。


「ごめんね――ちょっと“攻撃”しすぎちゃったのかも。残念だけど、どうしてもボクは少年でいることは難しいみたいだ。……ボクの心はいつまでも子供でいたいのだけれど、やはりどうしても蓄積された年月が歪な人格の形成をしてしまっているようでね」


レットは無反応だった。

目は開きっぱなしで、瞬きという概念をもはや忘れつつあった。


この会話の間。

レットは自らの心臓を掴まれたかのように感じていた。

それは、耳元で囁く存在が放っている嫌悪感と不快感の正体に心の奥底で気づいてしまったからだった。


(ひょっとして……似ている……のか? コイツは……オレと似ている?)


当然、否定したかった。自分と“少年”が似ていると欠片も思いたくはなかった。

考えたくはなかったが、それでも思考してしまう。


(でも――何が違うんだ? オレと、コイツの何が違う!?)















『物語の主人公として、英雄ヒーローのように少女を助ける』


違いがあるとすれば、ただその在り方が歪になっただけ。


しかしレットは悩んだ。

――“少年”を歪だと断じて、自分自身が歪ではないとなぜ言い切れるのか?










かつて、少年はこの世界の中の別の場所で、とある少女を救おうと駆け出したことがある。


その時少年が戦った理由は単純明快で、少年の『物語の中の英雄像』が“そういうもの”だったからだった。

少年の中では、少女を救うという行為はが自分が憧れる『物語の主人公』がやるべき当たり前のことで、だから一人で無謀にも駆け出した。


しかし、少年は戦いを経て知った。

現実では自分は無力で。少年が憧れていた英雄像は、もの悲しくひたすらに醜いものだったのだと。


『物語の主人公として、英雄ヒーローのように少女を助ける』


少年の中で、この世界に求めた憧れと願いは、幼稚な願望としてここで一度、粉々に砕け散った。


しかし、それでもその願望の中に“捨てきれていない部分”があった。


今日ここに至るまで、少年の首元には水色のスカーフがずっと巻かれている。

それは、この世界の中で手に入れた少年の思い出だった。


水色のスカーフが、少年にはこの瞬間――自分自身の首を絞めつけているように息苦しかった。


少年が今日、出会ったばかりの“少女”を助けようとしたのは、少女が“かつての彼女と同じ”だったからだった。

そして、“かつての彼女”を助けようとした動機とは一体何だったのだろうか?










『物語の主人公として、英雄ヒーローのように少女を助ける』


『……英雄ヒーローのように少女を助ける』


『……のように少女を助ける』


『……少女を助ける』










『“少女”を助ける』








結局、今日レットが少女を救おうとしたのは理由の根底に存在する部分は“それ”だった。

少年は英雄ヒーローになることを諦めて捨てていたはずなのに、少女を救うという一点には未だに拘っていたのだ。


そんな少年は、囁いてくる“少年”の声を聞いて思った。






――ひょっとすると“少女”という存在に拘っている自分はとても醜いのではないか? ――と。

自分の都合だけで“少女を救おう”という。自分の願望自体が、とても卑しく醜い欲望なのではないのか? ――と。








その願望が心の奥底にあったが故に、少年はここまでやってきたというのに。

耳元で囁く醜い存在が、少年の抱えている願望を否定しているかのようにその醜さをありありと主張し続けた。


自分の抱えている願望の醜い面を見せられて――少年には最早自分が戦う理由が、よくわからなかっていた。

自分自身の正しさを主張できなくなっていて、果たしてなんのためにここに立っているのか。

立っていられるのか、よくわからなくなっていた。


「大丈夫だよ。キミにボクを止める理由なんてない。回れ右して戻りなよ。そうして明日から何事もなかったように毎日を過ごすと良い。もしくは戦うかい? 到底、かなわないのはわかるはずだ。それはキャラクターの強さとかプレイヤーの力量がどうとかじゃあない。キミのような子供にはね。『ボクのような残虐な大人は手に余る』んだよ。なぜなら――キミと違って、ボクにはもう『帰れる現実なんてものはないから』だ」


立ちはだかるエルフの“少年”は少年が普段読んでいる、観ているフィクションの中の悪役ではなかった。

それまで、少年の中で悪というものは、何らかの形で、明確に打ち倒し打ち破れるものだと思っていた。


しかし、現実で――目の前に立っている存在はまるで別物だった。

目の前の敵は、わかりやすい悪意を発露して堂々と敵対しているわけでもなく。

異常な思考回路で優しく優しく少年を諭していた。


たとえ戦いに勝利したとしても、きっと目の前の敵のこの歪みは直らない。

そしてきっと、排除することも叶わない。この世界に存在し続ける。


レットは呆けた表情で背後を見つめる。

そこには、今通ってきたばかり真っ暗な道が広がっていた。

それから肩を落として俯いて――











「――逃げられない………」







――そう呟いた。


「逃げられないんだ……オレェ……逃げられないんだよ……」


レットは俯いたまま、再び前を向く。


「――どうして?」


「違うよ……オレは、ここに……ヒーローに成りに来たんじゃない。わかっているんだよ……ここに立っているのはオレなんかじゃなくても――別にいいんだ。任せられるのなら、他の人に任せたいよ! だけど……今ここにはオレしかいないから――ここまで来たらもうオレが…………オレがやるしかないじゃないか……」


「へぇ……逃げないのかい?」


フェザーは据わった状態のまま項垂れているレットを見つめる。


「これ以上……どこに逃げればいいのさ……だって……もう既に……“逃げているみたいなもの”なんだ……逃げた先が“ここ”なんだ。ここで逃げたら……明日から――学校に行けなくなっちゃうんだ。笑顔で毎日を過ごせなくなっちゃうんだ。だから――だから――オレ逃げられないよ……」


それは、搾り出すような声だった。

そして、フェザーを見上げるその顔は真っ青だった。


「学校……。――学校だって?」


フェザーが驚いたように目を見開いて――






「フッ――――――アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!」







――大きな笑い声を上げてから首を傾げてレットを楽しそうに見つめる。


「……面白いなあ。キミ、“普通すぎる”よ! ボクとキミの外見はよく似ているけれど、どうやら……物事に対する感性の在り方は常識的みたいだ!」


「ああ……普通だよ。そうだよ――普通だよ。普通で――普通で何が悪いんだ!! オレはアンタみたいに歪じゃ――……歪じゃなければ……」


レットは自分の言葉に一瞬詰まった。


「他の人と比べて秀でている物なんて何もない。だから、オレは当たり前のことしか言えないしできないんだよ!」


レットが片手で首元を強く締め付ける。

少年の脳裏に、昔の出来事がフラッシュバックする。

確かに、目の前の敵と自分は似通っているかもしれない。

それでも、その全てが同じだとレットは信じていたくなかった。


「オレには言える。アンタがやっていることが明らかに間違っているってことを――オレは――オレは間違いなく言える!! 今そこに“居る”アンタだって心の底でちゃんとわかってるはずだ! こ、ここは夢の世界なんかじゃない……」



もちろん、少年の中で明確な線引きができていたわけではない。

それでも、『少女だから』という理由だけに、少年は拘っていたくなかった。


確かに根底には歪んだ願望があったかもしれない。

それでもレットには、この戦いに身を投じると決意した“別の理由”、“別の想い”があった。

そう、『少女だから』という理由だけに――拘っていたくなかった。












「現実とゲームは――繋がってるんだよ……切っても切れないんだ! その娘は人形なんかじゃ無いんだぞ! 今、そこに居るのは――生きている一人の人間だろ!! なのになんで…………なんで…………」














レットの脳裏に『人の心にナイフを突き立てる』ということへの、残酷さが蘇っていた。


立場の弱い一人の人間が苛め抜かれ。苦しんでいて。泣いていた。

少年の中で、その悲しい光景がずっとずっと残っていた。


冒険の最中でもずっと心残りだった。

辛い時に、辛い思いをしている人の隣に、居られなかったことが少年にとってずっと心残りだった。







だからこそ尚の事、同じことを繰り返してはならないと――止めなければならないと、少年は既に覚悟を決めていた。








「なんでそんな当たり前のことが――わからないのさッ!!!!!!!!!!!!」












レットの絞り出すような叫びが、部屋に鳴り響いた。

いつの間にか、少年は泣いていた。

伝えたい想いが――言葉がうまくまとまらなくて思わず涙が流れていた。

格好なんて、これっぽっちもつかなかった。

両足は震えていて、心が折れてしまいそうで、地面に膝をついてしまいそうだった。







しかし、それでも少年は決して逃げ出さない。






エルフの少年は驚いたように目を見開いた。

それから岩から飛び降り、レットと同じ地表に立った。


「――そんなことはボクにもわかっているさ。何処まで行っても現実と理想は“切っても切れない”。だからこそボクも、今“ここ”に居るんだ。――自分自身が落ち着くための居場所を見つけるためにね。ボクにだって、もちろん良心の呵責が全くないというわけでは無い。そこが形式上の師である“あの男”とボクの違いなのだろうな……」


目を瞑り、悲しむような表情をして――


「だから――これに関してはもう……倫理的な背徳感を得られる――と、前向きに捉えるしか無いだろうね」


再び笑顔でレットを見つめてくる。

レットの叫びは、やはり男には通じていない。

いや、通じてはいるが――おそらく頭で理解しているだけ。

譲るつもりは微塵も無い。


「いやあ、スッキリしたよね。カウンセリングの時に学んだことだったよ。自分の重く辛い思考や悩み事というものは打ち明けてしまえば、多少は気楽になるし、我慢もできるようになるんだものね。目の前の事態が何も解決していなかったとしても……」


フェザーは振り返って、背後の岩に寝かされた少女を再び見つめる。


「……少なくとも、別の場所に移動して――彼女を“堪能する”までなら何とか我慢できそうだ」


「――――――――させない……そんなことさせるものかよッ!!」 


譲り合えないのならば――後はぶつかるだけ。


少年と“少年”の目が合う。

片方は鬼の形相で、影の中で涙を流しながら。

片方は天使のような笑顔で、月の光を浴びながら。


「そうか……なら、仕方ない。ボクにはね、“返ってくる童心”なんてものは……全く無いんだ。でも少年というものは本来、同世代の少年と無邪気に、思うがままに遊ぶ物なんだろう? ボクの言葉を聞いて、尚もキミがやる気だというのなら――『ボクと遊んでよ』」


フェザーが取り出した透き通った短剣が、月の光を不自然なまでに乱反射する。


「師の言葉を借りさせてもらうかな。……さらに優しく丁寧に撫でてあげよう――――キミの心が、粉々に砕けるまで」


レットはクリアに渡された無骨な二本のナイフを取り出す。

少年が見つめるそれは――光の当たらぬ闇の中で、鈍く光っている。




(……クリアさん……非力なオレに――オレに……力を貸してください!!!!!!)





震えが止まる――その体に力が籠もる。

逃げ場のない少年の、孤独な闘いが始まる。

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