第二十八話 正義と悪
(ひどい力押しだ……――退かざるを得ない!)
真っ暗な岩窟の中で、見えない相手の攻撃を受けながら後退を続ける。
このやり取りそのものに関しては戦闘を続行する上では何も問題はない。
目の前の燕尾服の男の速度と力は確かに優れていたが、自分の持つ曲剣とその拳のぶつかり合いで起きる火花は相手の姿勢と目線をほんの一瞬明らかにしてくれる。
だから、力の乗った攻撃は概ね受けることができたし、流すこともできた。
フェイントや暗所から放たれる攻撃のうちの何発かが自分の体に突き刺さったが、敵は“素手”だ。
だから、勢いはあるが食らっても戦闘不能には至らない。
……そもそも、相手の装備がおかしい。
格闘の武器を一切装備せずに素手で攻撃を仕掛けてくるなんて、正気ではない。
相手は自らの振るう曲剣に対して好き勝手に拳をぶつけて、体力が減っていっている。
つまりこの状況を維持することが出来るのならば、確実に有利が広がっていくということになる。
しかしそこで、不意に男が距離を開けて、再び暗闇に消えた。
武器と拳の打ち合いで起きた音の残響が消えぬ内に忍び足でこちらも身を隠して、陥っている自身の状況と戦っている男の情報を頭の中で整理する。
(敵の装備している防具は現段階ではコーディネートをしていたとしても仕様上、間違いなく軽装。武器は持っていない――拳のみ――職業はおそらくモンク。現時点ではスピードもパワーも自分より高く押されてはいるが、対応可能。この流れが続けば相手は自分の剣を殴り続けて勝手に自滅する)
そう推測する一方で、敵がこの暗闇の中で“灯りを一切灯さずに”常に先手を仕掛け続けてきていることが気がかりだった。
これは灯りの周辺以外は何も見ることのできないこの“ダンジョンの地形を完璧に把握している”ということだ。
ひょっとすると――
(――手を抜いているのか?)
戦闘を仕掛けられた直後から、薄々感づいていたことだった。
男が自分と同じ、戦いに慣れているプレイヤーという可能性。
懸念するべき要素があるとすれば「ここ」だ。
暗所でこれだけの攻撃を続けられる相手が、武器を使わずに素手で殴りかかってくる意図が理解できないが――だからこそ、油断はできない。
それに加えて護衛者として登場したのが“この男一人だった”という事実が、自分の警戒心をさらに高めている。
緊急時に自身を真っ先に守ってくれる護衛者を“二人ではなく一人に設定している”ということは、あのエルフの少年が眼前のこの男に対して全幅の信頼を寄せていることを意味している。
(――やはり、只者ではないと思った方が良さそうだ)
パーティ会話から、タナカさんの冷静な状況説明とベルシーの罵詈雑言が聞こえてきた。
レットが敵の首謀者を追いかけた挙句に音信不通になってしまったと聞いて、思わず唇を強く噛んでしまう。
強襲をまんまと失敗し、肝心の人質の救出を初心者であるレットに丸投げしてしまっている状況は最悪。
既に作戦は失敗してしまっているようなものだ。
可能なことなら目の前の男をとっとと倒してしまいたい。気が気じゃない。
「運命の出会いが、やあてきーた~♪ お前さんのことはよ~く知っているぜ。クリアァン~オォオオォルゥ! お前のようなわっかりやす~い悪役はこの世界の中心である俺様にとって、まさに好敵手に相応しい~ゼェェエェエエ~♪」
男の言葉の意味が全くわからない。ふざけているのか、油断を誘っているのか。
気をつけなければならない。
自分のことを知っているということは、“戦い方を知っている”可能性があるということだ。
警戒を緩めないように意識しつつ、情報を引き出すために男に話しかける。
「……俺のことを知っていてくれて嬉しいよ――俺は、アンタのことは知らないけれどな」
「おいおい~そいつは残念だなあ! だが、心配するな――す~ぐに思い知ることになるだろうからな!」
やはり駄目だ。
当たり前のようにこちらの揺さぶりには乗らず、その素性をはぐらかされてしまった。
男の攻撃をいなして、音を殺して大きく後退する。
(歯痒いが……ここは一旦、身を隠すべきだ)
来た時のルートから大凡の現在地を思い返す。
おそらくここは通路ではない。微妙に広場になってしまっているのが良くない。
このままでは四方から攻撃が飛んでくることになる。
つまり逆に通路に逃げてしまえば、攻撃を仕掛けてくる方向を一つに絞ることが出来る。
(さらに退くことになるが……仕方ない!)
来た時の記憶を頼りに通路に向かって中腰で移動を始めた。
そこで突如――
「「…………ウェア、ア~――ユウウウウウウウウウウウウウウ~……オオオオオオオオオオオオオオオオオオ~♪」」
男が大声を出した。
それは、決して乱暴な雄叫びではない。
(実際に見たことは無いが)まるで演劇かオペラで聞くような歌うような良く通る声が、岩窟の中に鳴り響く。
反響が酷く、敵の場所はわからないままだが、気にせず後退を続ける。
「ここはよく“響く”よなあ――見つけたぜ?」
男の声が聞こえて、まさかと思った次の瞬間。
自分の耳に何か……風を斬るような音が聞こえてきた。
直後に大きな衝撃が来て――
「グウッ――!!」
――体が浮き上がって初めて理解した。それは、男が中距離から跳躍してくる音だったのだ。
体当たりを食らって、思わず口から息が零れてしまう。
「こ……のッ!」
衝撃を受けた方向に向かって、一か八か両足を突き出す。
突撃してきた男の体を蹴り飛ばし、そのまま地面を転がって距離を開けることに辛うじて成功した。
岩窟の凸凹した地面の起伏が直に背中に当たって、嫌な感触の振動が伝わってくる。
(これは、まさか……自分の声に反響した音で、動いている俺の居場所を特定したのか? ――蝙蝠か何かかこの男は!?)
それは、少なくとも自分には絶対に出来ない芸当。
ダメージは依然たいしたものではないが、このままの状況でヒット&ウェーを繰り返されてしまえばこちらにとって著しく不利な流れが続いてしまう。
相手が実力を隠していたとしても、もうなりふり構っていられない。
(何とかしてこの一方的な状況を打破するしかない。暗闇が不利ならば……明かりをつけるしかない!)
そうして、部屋が明るくなった。
しかし、自分が松明をつけたわけではない。
七色の光とともに、何かが小さく弾けるような音が聞こえてくる。
何事かと思ってそちらを見遣ると――
――光の正体は“持ち手のついた花火”だった。
プレイヤーのコミュニケーションで使われる花火。
それも一つや二つではない。大量の花火が地面に落ちて発火している。
そして、その中央に堂々と――あまりも堂々と、男が怪しげなポージングをしたまま立っていた。
「嗚呼~俺様の姿を見ぃぃぃいいてくれ……よおおおおおおお~♪」
両手を広げてから突然歌いだす。
その間も、両手から点火している状態の花火が地面にこぼれていく。
「ここに居るのは! 世界に愛されし男~♪ 女共は俺様に夢中! PKも! 大衆も! 何もかもが、俺様のた・め・に・あ・る~♪」
瞬間、男が一直線に――自分に向かって引っ張られているかのように急接近する。
これは【甲接迅】。間違いなくモンクのスキル。
気を大量に消費して、対象まで確実に急接近して一撃を繰り出す。
接近しなければ話にならない現環境のモンクの主軸技だ。
(しまった! やり合っている内に……気が溜まっていたか!!)
後退しようにも場所が悪い。
既に壁際に追い詰められてた。
しかし――男はそのまま直接自分を攻撃を当てれば良いものを、放たれた左腕を(おそらくわざと)外して壁を突いてくる。
背後の壁が揺れると同時に、男の左腕に金色の装飾の派手な防具が飛び出して装着された。
火のついた大量の花火を右手で撫でるように見せ付けつつ、男は嗤いながら表情豊かに歌い続ける。
「開幕は間近~冷めた顔をす・る・な・よ~? 楽しんで行・っ・て・くーれ~♪」
唖然としつつも何とか曲剣を突き出すが、男は持っていた花火を放り投げて、既に元の位置に戻っていく。
「かつて無い妙技~♪ 得難い装備~♪ どちらも一級、超一流ゥウウウウウウウウウウ!」
その途中、男は跳躍する。
体の軸を地面と平行にしながら、横回転で虚空に向かって蹴りを放ち、同時に両脚の防具が装着される。
そして、その両足が地面に触れた瞬間に、風が発生して花火が周囲に撒き散らされ今度は両足の防具が差し替わり花火がまた地面に落ちる。
【風塵脚】――ダメージは無く。自分中心に敵をノックバックさせる技。
「拝み倒せ~観客共♪ わが手を取った! 王子を守る! まさしく、真の護衛者~♪」
男は左腕を引っ込めて、右腕だけを左右に乱暴に、まるで壁にペンキを高速で塗りたくっているかのような大振りの――しかも素早いモーションで自分から見て右側の壁に向かって突進していく。
風斬り音とともにその拳が青く光り始めて横の動きが突然、直線となって岩窟の壁面に突き刺さる。
その直前に、防具が装着されて鈍く光り、地面に再び点火した花火が落ちる。
「そ~れ~が~そ~れ~が~――」
回転しながら男が再び初期位置に戻る。
「――そ~れ~が~……俺ッさぁ――――――――まああああアアアアアアアアアアアアア!」
地面にばら撒かれていた溜まった花火がいっせいに破裂すると同時に、花火で出来た円の中心で男の纏っていた青いオーラが弾けて、最後に胴体に派手な装飾の黄金の防具が装着される。
エフェクトのせいでゲームに負荷が掛かったのか、重く一瞬だけ飛び散る火花がスローに見える。
(………………………………)
落ち着いて、相手の動作を一から分析する。
花火を放り投げて、歌いながらポージングをして攻撃の繰り返し。
派手なエフェクトとともに体に装備品が次々と男の体に装着されていくその様は、まるで――『アニメーション映画の中で歌いながら行われる、特撮ヒーローの変身』のようだった。
一連の動作は、滑稽かもしれないが……しかし今の自分には全く笑えない。
目の前の敵はリズムに乗っていただけ――これはもう、間違いない。
最初からこの男、何らかのアドバンテージがあってこんな無駄な動作を差し込んでいたわけではない。
“単純に全てが無駄な動作”だったのだ。
そして、これだけふざけたことをやっておきながら、この男は自分に対して“攻撃を当てる隙を微塵も見せなかった”。
戦闘中なのにこの余裕綽々な立ち回り、しかも“暗所の有利”というアドバンテージを自ら投げ捨ててまでこの男をこんな演出をやってみせたのだ。
この男は、自分の素性を隠していたわけじゃない。
おそらく、最初からコイツはそんな些細なことなど気にしてはいなかったのだ。
「あ~あ~今の演出にほとんど“気”を使っちまった」
気だるそうに男が左手で頭を掻いた。ぶらぶらとその右腕が揺れている。
「なあ……お前さんよ。途中から攻撃をしてこなかったよな?」
わざとらしく余所見をして、それでも動こうとしない自分を見つめて邪悪な笑みを浮かべる。
「――“正解だったぜ。ソイツぁ~”……。皆、引っかかるんだが――なかなかいい目をしているじゃねえか」
この男の言葉は間違っている。
単純に“変身が終わった後の格好”で目の前に立っている男が何者か、自分にはわかってしまったのだ。
いや、情報自体は既に持っていたというのが正しい。
(こんなに喧ましいプレイヤーだと知っていれば、タナカさんから話を聞いていた時に対策ができたかもしれない。予想自体できていなかった)
「装備品でようやくわかった。まさか、こんな所でアンタのような神出鬼没のプレイヤーに出会うとはな……【護衛者様のジョー】」
目の前の男の正体は、外部掲示板でPVPプレイヤーが嫉妬する現実世界の“自国”最強クラスと噂される護衛者プレイヤー、――【護衛者様のジョー】。
『護衛者様』というのは、もちろんふざけた――侮蔑や嫉妬の意味も込められているだろうが、PKの危機に晒される初心者達の間では救世主的な扱いを受けているらしく、風の噂ではその実力は間違いなく確かだと聞く。
(いや、予想などできるわけがないか。この男は“護衛者様として有名な男”。噂が正しければ、ゲームシステム上では俺とは逆の――“善の側の人間”のはず!)
なぜそのような評が下されているこの男が、あのような事件――凶行に加担しているか、自分には理解することができなかった。
それでも今、そのことについて問いかける余裕は無い。
変身が完了した男――ジョーはボクシングポーズのような戦闘態勢を取っている。
燕尾服は“変身”によって全身黄金の仰々しい見た目の装備に差し変わっており、おそらく古代文明関連の装備なのだろう――背中のパイプから“蒸気”が吹き出していた。
「【護衛者様のジョー】か……俺様は外部の掲示板なんてものはこれっぽっちも見やしね~が。どうやらそういう風に呼ばれているみたいだなぁ。いずれにせよ、その渾名は今はお休みだ……」
そう言って突然、ジョーが飛び掛ってラッシュを仕掛けてくる。
(まずい――装備が変わったということは……アイツの強さがさらにブーストされている! この連撃は――)
咄嗟に攻撃を受け止めようとする。
しかし、一発だけ肩に攻撃を喰らってしまう。
(――――――――“軽い”……?)
――違和感があった。
敵の速度が、“先ほどと変わっていない”。
この男の強さが噂通りなら、本気になればもっと苦戦しているはずなのに……。
「……一体、どういうことだ? まさかアンタ、それだけ大層な変身をしておいて――まだ、手加減してくれているのか?」
「ある意味でそうだし、ある意味で違ぁ~う。それとだ――これ以降、俺様を【護衛者様のジョー】と呼ぶのは無しにしてくれ」
再び男がぶらつかせているその両腕に……いつの間にか、武器が装備されている。
「今日は【ゴールデンセルフィストのジョー】様と呼んでくれると、嬉しいよなあ……」
そう言ってから男が見せ付けてきた“その武器”を見た瞬間に、全身から汗が吹き出た。
それは――時間稼ぎの戦法が基本である自分にとって、“致命的に相性の悪い武器”。
数値自体は一般的だが、異常な独自プロパティを持っており――奇跡的な幸運がないと決して手に入らない武器。
突然、電球に寿命が来た時に鳴るような嫌な音が鳴った。
右手を見つめると、先ほど打ち合ったばかりの曲剣が僅かながら刃こぼれしている。
革製の防具の肩の部分に穴が空いていた。
(“装備破壊武器”か……! しかも現環境で唯一、PVPで実用できるレベルのレア武器……。まずい――まずいぞ……!)
あの武器で殴られれば殴られるほどに、攻撃を受ければ受けるほどに自らの装備品が傷ついていき、やがて全てが使い物にならなくる。
そうなってしまえば最後……敗北は必至――駆けつけられない。
窮地に陥った仲間達の――攫われたレットの救援に、向かえなくなってしまう。
(果たして、俺に出来るのか? いや……出来る出来ないの問題じゃない!)
大きく息を吐いて曲剣を構える。
もう、“やるしかない”。
なんとしてもコイツを倒さなければ、全てが無に帰してしまう。
「さぁて……やさしく……やさ~~~しく、撫でてやるぜ」
ジョーは自分に対して、両の拳を打ち付けてから再び戦闘態勢を取る。
「お前さんの武器と防具と――そしてその体が全て、粉々に砕け散るまでな!」




