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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第二章 闇に蠢く
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第二十六話 暗い星々

 テツヲさんの号令で、メンバー達は準備のために一旦解散。


オレも準備をしないといけないからという理由で、クリアさんと二人きりで移動することになった。


連れて行かれたのは、クリアさんの自宅だった。

ゲームの内の時間はもうそろそろ夜になりそうで、時間が経ったことを実感してオレはすごく焦っていた。


ただ、クリアさんの家はハイダニアにあって、しかも住宅街はチャンネル式だからあまり時間をかけずに到着することが出来たのは、ラッキーだったのかもしれない。


真っ先に気づいたことは、クリアさんの住んでいるエリアは岩山みたいなコンセプトの住宅地で、とんでもなく辺鄙でただっぴろくて暗い場所だった。

こんな状況で気にしている場合じゃないんだろうけどクリアさんの家の見た目もそれはもうひどいというか、最悪だった。

見た目はキャンプで使われる物より一回り大きいサイズのテントのようで、水色だったからかまるで全部ビニールシートで作られているみたいで、しかも穴だらけで家の中が丸見えな上に全体が大きく傾いている。


なんというか……なんだろう『巨大なクマに襲われた。遥か昔の原住民の家』みたいだった。


家の前の看板には『心休まる家に貴賎なし』って書いてあるけど……フォローになっているのかちょっと怪しい……。


「よし、入ってくれ」


そう言われてクリアさんの後を追って中に入ろうとしたけど――“入れなかった”。


家には大量の本と、何かが書かれた紙が床に散らばっていて、足の踏み場が無くて前に進むことができない。


家の中はゴミ屋敷みたいな滅茶苦茶な状態なのに、部屋の隅に置いてある傾いたジュークボックスからフィールドのBGM――なのかな?

穏やかで癒されるような曲が流れていて、もうとんでもなくシュールだった。


クリアさんは本を避けて、紙だけを踏みつけてどんどん前に進んでいく。

だけどオレがそれをやるのは……ちょっと流石に――何か申し訳ないような気がした。

地面に落ちている紙を拾い上げて足場を作ってから前に進もうと決めて、適当に何枚か拾ってから考え無しにその紙を見つめる。


そこ描かれていたのは……たぶんおそらく、人の体だった。

あんまりにも絵が下手すぎてホラー映画で無邪気な子どもが描いた幽霊の絵みたいで怖かった。


絵に描かれていた人間は何か“棒のような物を二本持っている”ようで、細かい線や角度とかがかなり細かく丁寧に描かれている。


そういえば、学校の授業で人がアルファベットのTとかXの形に手を広げている有名な画家の絵を見たことがある。

雑だけどこの絵は、ひょっとすると人体の動きを描いた物なのかもしれない。


絵の左下には今よりかなり前の日付が書いてある。


少なくともこのゲームが完全なフルダイブになる遥か前に描かれた物みたいだけど、呪いの絵みたいな雰囲気だから、じろじろ見ちゃいけないような気がしてくる……。


とりあえず、まとめてできあがった紙束は近くのテーブルの上に置いてしまおうと思った――んだけれど、近づいたテーブルもそこらへんの石を乱暴に削ったような……原始人が使っていそうな感じのデザインで脚が不安定なのかガタガタ揺れている。


他に置いてある家具といえば、妙に頑丈そうな鉄製の箱と作業用の机。本人が寝るには明らかに小さすぎるぼろぼろの煎餅布団が一枚部屋の中央に置いてあったくらい。

仕方なく石のテーブルの上に紙束を置いたオレに対して、クリアさんが鉄製の箱を開けて、何かを取り出しながら背中越しに声をかけてくる。


「あ~スマン。どこか適当に――適当しておいてくれ」


……『座ってくれ』って言わない辺り、足の踏み場も無いっていう自覚がクリアさんにもあるんだろう。


仕方ないので壁際になんとか移動する。

その先には唯一丈夫そうな木製の壁があるし、穴も開いていない。

足場が不安定だから、ここに背中を預けよう――


「うわったっ!!」


――としたら、背後の壁が揺れてびっくりした。

どうやらこれは壁じゃなくて、テントの壁面に板が立てかけてあるだけだったみたいだ……。


(何だろう? これも、家具の一部なのかな?)


気になったから板の裏側を覗いたら、テントの穴を塞いでいたのは……ターコイズビーチが描かれたハリボテの看板だった……。

現実だと、写真撮影に使われるようなヤツだ。こんなもので壁の穴をふさいでいたのか……。


(ゲームなのに、なんでこの人はこんな虚しいことしているんだろう……)







「クリアさん……。よくこんなわけわからないところに住んでいられますね……」


「住む場所にこだわりがないし、考える暇も無いからな。こんなものは要は慣れだ慣れ慣れ!」


そう言ってクリアさんが箱から取り出して布団の上に置いた装備は――禍々しいデザインだった。

全身が深い青色でいろんな場所に人間の筋肉の筋みたいな物が彫りこまれている。

すごく不気味で、オレは思わずごくりとツバを飲み込んだ。


「ひょっとして、これがオレにとっての‘準備“なんですか?」


オレの質問に、クリアさんはすぐには答えてくれなかった。

腰を下ろした状態で装備をじっと見下ろして、背中を向けた状態のまま大きく深呼吸して、それからようやくオレに応じてくれた。


「……………………。ああ、お前が少しでも戦いやすくなるように、ステータスをこの装備でブーストする」


装備の胴部分を持ち上げてクリアさんが近づいてくる。


迫ってくる装備品のデザインを見直して躊躇したけど――仕方ない。

オレの好みとはかけ離れているけれど、贅沢を言っている場合じゃないのはよくわかっている。

ただ、装備を抱えているクリアさんの表情が、なぜかとっても辛そうなのが気になった。


「あのォ……もしかしてこの装備。呪われていたりしませんよね?」


「心配するな。これ自体はごく普通の装備だ。装備しても――呪われるわけじゃない」


そう言ってからクリアさんが装備品を自分の体に被せてくる。

胴体の装備が差し変わった瞬間に、体が強く引き締められるような変な感覚に襲われた。


「グクッ……!」


思わず口から声が溢れる。


「く……クリアさん。この装備で――オレはどのくらい戦えるようになるんです?」


「残念ながら、ブーストをしてもゲームをやり込んでいる上級者には手も足も出ない。これは、付け焼刃みたいなもんだ。……だけど、何もしないよりかは遥かにマシだと思う」


そう言いながらもクリアさんは真剣な表情で、自分の体に次々と装備品をはめ込んでいく。


「本当は、こういうことはやりたくなかったんだけどな。初心者プレイヤーにどんどん強いアイテムを渡したら――やる気無くなっちゃうだろ?」


「もォ……今はそんなことを言っている場合じゃないですよ!」


「わかっているさ。だけど、今回は仕方なくだぞ。救出作戦が終わったら、その装備は返してもらうからな?」


「もちろんですよ。オレも、こんな不気味な装備品。長い間つけていたくないですもん」


「……そうだな。こんな装備、長くつけるもんじゃない」


そう言ってクリアさんが軽く笑って――


「最後にバンダナを巻いて、これで終わりだな」


――オレの額に沿って真っ黒な布製のバンダナを巻く。

作業が終わると同時にクリアさんがオレの体を叩いたけれど、今回は何の音も鳴らなかった。




立ち上がって、青黒くなった自分の体を改めて見回す。

装備して初めて気づいたけれど、全身に泥がついていてとても汚れている。

一部緑色の部分があると思ってよくよく見てみたら、ただ“カビていただけ”だった。


「クリアさん。この装備めちゃくちゃ汚いんですけどォ……」


「……………………。ああ、すまない。洗服薬を使うのを忘れていたんだ」


装備品の説明を読むと【オブセッションバトルスーツ】という名前が表示されていた。

意味がわからないなりに名前はかっこいいんだけど、浮き上がった人間の筋肉みたいなデザインがどうにもしっくりこない。

詳細を見てみると、自分にとって馴染みのないステータスが上昇していた。


どんな風に強くなっているかはよくわからないけれど、普段の装備にステータスの上昇効果なんてほとんどついていなかったから、“少なくとも強くなっている”のは間違いない。


「次に武器だ。ちゃんと二本用意してある」


そう言って次にクリアさんが取り出したのは二本のナイフだった。

色はグレーで、グリップが付いていて見た目が無骨というかなんか特徴のないサバイバルナイフみたいだ。

武器のジャンルが片手剣なのか刃先だけがやや長い。

こっちは汚れがないけれど刀身が傷だらけだった。

名前は【ファイティングロングナイフ】。


「素材の金属が人体に対して著しく有害って設定でな。突き刺すと相手を毒にする。まあ、毒はおまけみたいなもんだ。基本的に格下の相手にしか決まらない」


こちらも全然オレの好みじゃなくて妙に物騒な見た目だけど、なんというかクリアさんらしい――実用的な武器だなと思った。


「最後にアクセサリーだ。とりあえずAH(オークションハウス)からお前のレベルで装備できる物を適当に買っておいた。こっちは外付けできないから自分で装備してくれ」


そう言ってクリアさんが差し出した各種アクセサリーを、耳やら腰に装着する。

ピアスはつけたら痛みがあるんじゃないかと心配したけれど、痛みがないどころかゲームの初期設定で“非表示”になっていたから外観には何の変化もない。


最後に装備したのは首装備の【バトルチョーカー】だったけれど、見た目が変わってしまったので慌てて水色のスカーフの見た目を“上から被せた”。


「……レット。お前、そのスカーフ。いつも巻いていて苦しくはならないか?」


突然、クリアさんによくわからない質問をされる。


「別に苦しくないですよ、ゲームの中なんだから。それを言ったらクリアさんだって青のスカーフ持ち歩いているし、そもそもゴーグルなんて四六時中つけているじゃないですか。目とか頭とか、痛くならないんですか?」


「俺は別にそういう意味で聞いたわけじゃ――いや、“似たような物”かな……」


そう言ってクリアさんは胸ポケットの青いスカーフで装着しているゴーグルの汚れを擦る。

最後にクリアさんから受けとった料理を一つだけ食べて(変な色のパンだった。不味そうだったので口に入れずにアイテムとして使用した)使用上限があるとかいう回復の薬品をいくつかもらって、オレの準備は終わった。








 準備が終わってからクリアさんの家を出て再びチームの家に向かう。

その道中、クリアさんがオレに対して質問をしてきた。


「レット。お前、俺に対して何か聞きたいことが有るんじゃないか?」


こういう時だけ、この人は本当に察しがいい。

もしもクリアさんがこう尋ねなかったら、オレから質問をしていたに違いない。


「――すごく、心配していることがあるんです。救出をする側のオレ達って、目的を果たす上で――人質を取られているような状態ってことですよね?」


「……まあ、そうなるな」


「大切にされていた女の子ならまだしも……オレ達が動いたせいで、あのお年寄り達に直接危害が及ぶんじゃないかって、それだけがすごく心配で……オレ達が事件に介入することで――いきなり現実で――――」


自分の中の恐怖を振り払おうとして、自然と声が大きくなった。


「――――最悪、殺されちゃったりとか! そういうことって――ありえないんですかね?」


オレの悩みを聞いて、クリアさんは驚いた表情をしたけど、この驚きはきっと別の物事に対してなんだろう。

この人なら、最悪の事態について考えていないわけが無いと思ったからだ。


「心配するなよレット。“それ”をやれるなら、“現実世界の周囲にいる人間”がとっくにやっているだろうさ」


返事はすぐに返ってきた。

お年寄りたちの“現実世界の周囲にいる人間”。

それが誰を指しているのかを即座に理解して、オレは陰鬱な気持ちになった。


「むしろ――周りは“それ”ができなかったんじゃないか? だからこそ、この世界に居るんだ……あの人達は」


歩きながら、クリアさんが住宅街の空を見上げる。


「どうしてなんでしょう? ……どうして――そんなことになってしまうんだろう」


オレはそう呟いて、クリアさんの真似をして歩きながら空を見上げた。

まだ深夜でも無いのに頭上には様々な色合いの星が浮かんでいた。


「きっと、複雑な理由があるのさ。辛くなって、面と向き合いたくないような関係になってしまっても……元々が温厚な間柄で、家族として情が残っているのかもしれない。もしくは単純に手を汚したくなかったのかもしれないし、社会的に追い詰められて誰にも相談できずに投げやりになってしまったのかもしれない。人の事情は――それこそ、“星の数ほどある”ってことだよな」


「オレ正直……よくわからないです。暗いっていうか重い話っていうのかな? そういうのって、オレの家族や親族で起きたことがないし、聞いたことも無かったし……。自分の頭で、考えようとしたことも無かったから――」


そこまで言って、言葉に詰まって――気まずくなってしまったけれど。

視線を地面に落とすことができない程に、自分の目の前に広がる光景は美しかった。








よくよく思い返してみると、こんな“綺麗な星空”をオレは現実で見たことが一度も無い。









「レット。前々から気になっていたけど、お前は“他の人と違う何か”にこだわりみたいな物があるんだろ? 今、お前の特別をまた一つ見つけたぞ?」


黙っていると、真横からクリアさんの意地の悪そうな声が聞こえてきた。

どうせまた、オレをからかうつもりなんだろう――


「――何ですかソレ?」


――っていうのはわかっているんだけど……でも、やっぱり気になって食いついてしまった。







「それは――“家庭環境がとっても良い”ってところだな!」




そう言ってからクリアさんが自分を追い越して前を歩き始める。

ほら、やっぱりだ。

それはまた、オレにとって“当たり前”のことだった。


「もう……勘弁してくださいよォ! だから――それがどう特別なんですか?」


「そうだよな――おかしいよな。本来は当たり前のことであるはずなのに――」


クリアさんが視線を落とす。









「――ひょっとすると、そんな当たり前が特別になりつつある時代なのかもしれない」









「……オレは“普通ですよ”。それこそ、仲が悪い家族だなんて――」


前を歩いていたから、そう呟くクリアさんの表情をオレは見ることができなかったけれど……釣られて自分も下を向いてしまった。

それはオレにとってよくない動作だった。

首元を見つめてしまって、危うく良くないことを思い出しそうになってしまうから。


「――珍しいはずですよ。そうそう……あってたまるもんですか……」


「お前は、そう言いきれるんだな?」


「当たり前ですって!」


「……やっぱりそうだ。そういうところが、特別なんだよな~レットはさぁ」


クリアさんが歩く速度を落として自分の真横に立つ。

それから、いつものように大きく笑って自分の肩を強く叩いた。


「それにしても驚いたぞ。俺はてっきり、この救出作戦に参加して“自分にどんなリスクが降りかかるのか”を第一に知りたいんだろうなって思ったんだけど」


ああ、なるほど。

『俺に何か聞きたいことが有るんじゃないか?』って、そういう意味か。

ちょっと考え込んでから、オレはクリアさんに自分の想いを伝えた。


「気にしていないって言ったら……そりゃ嘘になります。オレ、先のことはあんまり考えない性格だけど。最悪、現実でとんでもないことになるってことがわからないほど馬鹿じゃないです。……でも、もう退くことができない。だから――今更止めないでください」


クリアさんはオレの言葉を聞いて、軽く笑った。


「ああ、止めても無駄なことはよ~~くわかっている。どれだけビビらせても、お前は一度走り出したら止まらないんだもんな。……心配するなよ。今回は止めたりしない。“止めなくても問題ない”からだ」


「――え? どういう意味です?」


「今回、色んなメンバーが参加して手伝ってくれるにあたって、色んな考えや主義主張があった。目的は同じだけど、それぞれ求めている物はきっと微妙に違う。――だから、俺もちょっとした目標を立てることにしたんだ」


「目標……ですか?」


「――決めたんだ。この戦いでどんなことが起きても、お前の現実(リアル)だけは俺が必ず守ってやるってな」


クリアさんはさらっと言って軽く笑った。

ふざけている風だけど……だけど、なぜか涙が出そうになった。

この人は、責任を取るつもりなんだ。

現実で社会的な地位を――失う覚悟で居るんだと思った。


それはきっと“ゲームの中で負けてしまうよりも何倍も恐ろしいこと”だ。

オレが原因で始まった戦いなのに、そんなことをこの人にやってもらうなんて間違っていると思った。


「や……やだな。そんなこと急に言われたらその――恥ずかしいっていうか……そもそも、余計なお世話ですって。いらないですよそんな気遣い。それに……そんな縁起でも無いことを言うのはやめてくださいよォ……」


「“恩を売っておこう”と思ったんだよ! ……大事にはならないさ、絶対に上手く行く。心配するなよ、何とかなるさ――大丈夫。お前が普段よく望んでいるような“頼れる兄貴分”になって見せるさ! ワッハッハッハ!」


「……………………」


まだまだクリアさんと話したいことがあったけれど、その時丁度エリアの境界線に到着してその会話はそこで終わりになってしまった。




住宅街の本を調べて地区と転送地点を選んで移動したら、すぐ目の前にチームの家が見えた。

近づいて表に回ると家からやや離れた場所に、巨大な馬車が置いてある。

貴族が乗るような立派なヤツじゃなくて、勇者のパーティが乗るようなカバーで覆われた荷馬車みたいなヤツだ。

運転席にはケッコさんがちょこんと座っていた。

膝の上に両手で頬杖をついて、振り子のように揺れている馬の尻尾を見つめている。






「平生。平穏よ――私は平気。まだ耐えられるわ。我慢よ我慢……ここで触らずに耐え抜けば、きっとよい走りができるに違いないんだから……。ネウェウッフェッシェッシェッ……」


そう呟きながら不気味な笑みを浮かべていて、運転席からその片腕をふらふらと(たぶん馬のお尻に向かって)届きもしないのに差し出そうとしている。

だけどケッコさんは深呼吸してから、差し出した腕を辛そうに引っ込めて再び自分の顎で押さえつけた。


「…………あのォ。ケッコさん……」


オレが話しかけても――反応が無くて自分の欲望を抑えるのに精一杯みたいだ。

なんというか、麻薬を前にして我慢している中毒者みたいな……目がイッっちゃっていてすごく怖い。


そんなケッコさんを無表情で見つめていたクリアさんが、突然自分の鼻をつまんでから奇妙な擬音を口から発した。


「ピロリロ~ピロリロ~♪」


それが“コンビニの入店音”だというのは隣で聞いただけでわかった。

人の声とは思えないくらいにめちゃくちゃ上手い。

ケッコさんはその音を聞くなり――


「――あっ!」


慌てた様子で口元を拭ってから馬車の運転席から立ち上がった。


「……シャーラッセー……………………って、ちょっと――からかわないでよクリアさん!」


…………。


笑いたいけれど笑っていいのかわからない。

ものすごく反応に困るやり取りだ。

そういえば、ケッコさんは本来だったらコンビニの夜勤が始まる時間なんだっけか。

こういう反応をしてしまうのはこの人の癖っていうか、職業病ってヤツなのかもしれない。


クリアさんは笑うどころか、信じられないくらい大きなため息をついた。


「仕方ないじゃないですか。こんなときにボーっとされたら、俺もレットも困っちゃいます」


「ボーっとしていたんじゃないわ。馬のお尻に魅入られることで、リラックスをして緊張を解きほぐしていたのよ! 素人にはわからないのよね~。この領域(レベル)の話は」


「……俺達がわかったのは、ケッコさんの現実世界での勤務態度くらいですよ」


そう毒を吐いてから、クリアさんが周囲を見回した。


「他のメンバーの準備はどうなりました?」


「チームリーダーのテツヲさん主導でとっくに終わっているわ。馬車の中から声をかけてくれれば、いつでも出れるわよ。ここから出発したら、いきなりメルムに出るから覚悟しておいてよね。湿地帯にはそこから普通に走って行く感じになると思う」


クリアさんから聞いた話では、馬車は住宅街から直接“転送という形で近隣のフィールドとなら行き来ができる”らしい。

移動手段に馬車を選んだのは、一番効率がいいし目立たないからなんだとか。

速度は普通のマウントに比べて出辛いみたいだけど、“乗れるプレイヤーの制限”が緩いらしい。


「了解です。それじゃあ回り込んで、後ろから馬車の荷台に乗るぞレット」





いよいよ……いよいよ作戦が始まるんだ。





“そのときが近づいてきたこと”を実感して、気分が悪くなってくる。


夏休みの宿題を全部持ってくるのを忘れて、授業が始まる前に先生に謝ろうとして一人で職員室に入る寸前みたいな。


クラスメイト達の前で何も準備できていないまま、一人でいきなり10分ピッタリのスピーチをやらさられる直前のような。


今の状態はそんな時に感じる、お腹の辺りに重石(おもし)が入っているような最悪の気分だ。


いや、それの何倍もひどい。

過去最悪の緊張感がお腹を中心に体全体を包んでるような……。









「レット、馬車に乗ったら長い戦いが始まるだろう。ここから先は後戻りできない――――――――何か、やり残したことはないか?」







突然、足を止めて放たれたクリアさんの言葉にオレは思わず噴出(ふきだ)してしまった。


「やめてくださいよクリアさん! “ゲームのラスボス戦前”みたいなこと言うの!」


クリアさんは緊張感など無いかのように、オレに対して肩をすくめてみせる。


「……あんまり緊張しても仕方ない。馬車の中で説明してやるけど、お前がやることなんてそんなにないんだから心配するなよ。――ほら、行くぞ!」


そう言って力強く背中を押してくる。

『やり残したことはないか? って聞いておきながら肝心の選択権がオレにないんだな』なんてことを思いつつ、クリアさんが緊張しているオレに気を遣ってくれたんだと気づいて、少しだけ落ち着くことができた。



馬車に乗り込む前に、オレは振り返ってチームの家を見つめた。













ゲームの中でも、現実世界でも……きっとこの夜が明ける頃には間違いなく“全てが終わっている”。


その時オレは……一体、どんな気持ちでここに戻ってきているんだろう?

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