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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第二章 闇に蠢く
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第二十一話 “日常”の悲哀

(――だいぶ遠いところまで来たなあ)


レットが背後を振り返ると、遥か遠くには巨大なハイダニアの王城が映っており、その手前には先程小川を渡るときに通った橋が小さく見える。

ゲーム内の時間帯は夕方に差し掛かろうとしていたところであり、日没までにはまだ少し時間がかかりそうである。





この日、レットはメレムの平原を歩いていた。


今の彼にはクリアしなければならないクエストがあるわけでも、欲しいアイテムがあったわけでもなかった。

少年は、今作で完全に切ることはできない一連の繰り返しの作業に端的に言えば――ちょっとだけ飽きていたのである。

それは決して耐え難いものであるという程では無かったものの、今日の外出は、“たまには冒険らしい体験をしてみたい”という彼の願いから生まれたものだった。


(やっぱり、クリアさんに一言伝えてから出かけるべきだったかな?)


再度振り返って、少年は自分の行動を少しだけ後悔していた。

クリアが決して自分自身の行動を縛っているわけではないということも理解していて、むしろ彼は自分の意思を尊重してくれている。

だから、その胸中を打ち明ければ『止める資格があるわけでもない』とおそらく外出の許可を出してくれていたに違いない――とレットは推測していた。


しかし、ひょっとするとお節介な彼のこと、自分に同伴してくるかもしれない。

レットにとってクリアとの冒険は刺激的ではあったもの、些か刺激的すぎる嫌いがあり、翻弄されがちになってしまう。

少年は自分の力不足を実感していたが、しかしたまのたまには自分主導で冒険がしてみたかったのである。


「ごめんねタナカさん。わざわざ着いてきてもらっちゃって……」


「お気になさらないでください。これもまた貴重な体験です。(ワタクシ)寄り道というものを、この世界の中でほとんどしたことがありませんから」


そう言って同伴していたタナカがレットに微笑みかける。

道中振り返るレットに対して細かく言及するようなことはせず、ただ黙って同行してくれるタナカにレットは感謝していた。

二人の現実世界での年齢は大きく離れていたかもしれないが、しかしレットにとってタナカという小さなケパトゥルスの男性は初心者という同じ立場、同じ目線で物を見れる唯一の仲間であった。


遠出とはいえ、メレムの外まで出て行くつもりがなかったことや、不安なのでなんやかんやでタナカに同伴してもらった辺り、これは少年にとっての“ちょっとした家出”のようなものだったのかもしれない。

















少なくとも、この時点ではその程度の話だった。












「そういえばレットさん。クリアさんに聞きました。『新しい石剣を作る必要はもう無くなった』――と」


「あ――うん。今日改めて伝えようと思っていたんだけど。クリアさんの方から話が行ってたんだね」


「はい。(ワタクシ)が作った武器が壊れても、捨てたり売却したりせずに『全て修理して特訓をしている』と聞いた時は驚きましたよ」


「――そりゃあまあ、使い捨てる武器だってクリアさんに最初に言われたけどォ。ゲームとはいえ、人から貰った物を気軽に売り払ったり捨てたりなんてそうそうできないって!」


そう言って歩きながらレットが装備品のインベントリーを表示すると、武器の欄のほとんどがタナカから貰った石の剣で埋まっていた。


「こ……ここまでの本数だとその……流石にいくつか捨てられた方がよろしいのではないでしょうか?」


「そんなに変かな? クリアさんは『好きにしろ』って言って、楽しそうに頷いていただけだったよ?」


「それは――意外ですね」


「あ、やっぱりタナカさんもそう思う? 捨てろって強制まではされないと思ったけど、注意とかアドバイスくらいはもらうかな~って思ってたんだよね」


「ひょっとすると、交友関係の広い方ですから――クリアさんも、ご友人から貰ったアイテムを捨てられないでいるのかもしれませんね」


クリアの普段の格好を思い出して、とてもそういう風には見えないとレットは思った。


「貰ったんじゃなくて拾ったんだよきっと。いつもつけてるあのガチャガチャな色合いの皮装備なんて、落ちてるアイテムを適当に縫い合わせただけじゃない? 顔に塗ってるフェイスペイントは海苔をはっつけてて――ゴーグルとかはその辺から拾ってきたとかさ~」


「い……いけませんよレットさん。そんなことを言ったらきっと怒られてしまいます。クリアさんは、何か理由があってあのような個性的な格好をされているんでしょう」


「たいした理由なんてないと思うけどォ。ま、怒られるのは嫌だし、本人には内緒にしておいてよね」


レットの言葉にタナカは再び軽く割って納得したように頷いた。


「わかりました。それで、話が逸れてしまいましたが、レットさんが持っているその剣に関しては……(ワタクシ)としても気にせず使い捨てていただいて構わないのですが……。不要なアイテムは捨てるべきだと、ベルシーさんも仰っていましたよ。『ゲームでも現実でも、貧乏人は物を溜め込み。金持ちは金を回して金を得るものだ』――と」


「ああ、アイツならそういうこと言っちゃうかも……」


(…………………………………)


タナカの“使い捨てる”という言葉を思い返してから、レットはタナカに対して問いかけた。


「タナカさんさ。大丈夫? ベルシーに、何か無理強いさせられていたりとかない? 嫌なことがあったらちゃんと相談してよ? そしたらあいつをボコボコにしてやるからさ――――――――クリアさんが」


「そう――ですね……おそらくご自身の利益に繋がるためでしょうが、合成のノウハウ自体はきちんと教えていただいていますし、お手伝いをした分きちんと報酬は頂いていますから――今まで長い人生、生きてきた中で、一番よく面倒を見てもらっていると言っても過言ではないでしょう」


「もう、タナカさんは冗談きついなあ! あんな奴で面倒見が良いっていうなら、世の中地獄だよ!」


そう言って、レットは軽く笑う。


「――――そう言われてみれば、確かにそうかもしれませんね。まあ、ご心配には及びません。(ワタクシ)も年だけは取っていますから、あのような気の強い方とのやり取りは(わきま)えております」


「そっか、そうだよね。……タナカさんは大人だもんね」


「…………そうですね」


にこやかな笑顔でインベントリーを開いたまま平原を闊歩するレット。

タナカが大量に敷詰められた石の剣を再び見つめて眉を顰めた。


「それにしても、流石に……これでは他のアイテムを収納する際に不便ではありませんか?」


「大丈夫だって、そのうち住宅街に自分の家を建てたら、そこに保管しておくことにするからさ」


(ま、それがいつになるかはわからないけどォ……)


「そうですか、ふーむ……」


タナカはしばらく考え込んでから、レットに提案した。


「レットさん。合成で作れるアイテムには、武器そのものを大量に消費して作る物もあるそうです。私の石工の技術が上がれば、新しい武器を作ることも可能かもしれません。なので――そうですね……その石剣を素材として新しい武器を(ワタクシ)が作ります。それを、レットさんにプレゼントさせて頂いても良いでしょうか?」


「ええっ! それ本当!?」


「はい。それなら、捨てることにはなりませんよね?」


タナカの提案に、レットは喜んでガッツポーズを取る。


「いええええええい! 強化イベントキター!! ――――――――あ、ごめん。タナカさんがよければ、是非ともお願いしたいな」


「わかりました。ただ、確約はできません。(ワタクシ)、実は別の大陸に行かなければならない用事がありまして、それまでに間に合えばのお話ですね」


「へぇ……タナカさん、何かやらないといけないことでもあるの?」


「いえ、大した用事ではありません。私事(わたくしごと)です」


「そっか――わかった。もし間に合わなかったら、そのタナカさんの冒険が終わってからお願いしようかな」


「………………そうですね」


その会話が終わってから、レットは足を止めた。

気がつけば二人はメレム平原のフィールドの境にまで来ており、既に周囲の景色は様変わりしつつあった。


「帰ろっか。ここから先は何が起こるかわからないし。今日はクリアさんと待ち合わせもしているし、まだまだレベルも上げないといけないし。やること一杯だしね」


レットが踵を返して歩き出した直後に、背後からタナカが呟いた。


「……レットさん」


「ん――何?」


「その……今まで、聞かないようにはしていたのですが。“何かあった”のでしょうか?」


以前何度も受けたことのある質問に、レットは足を止めて黙り込んだ。

しかし、タナカの方には振り返ろうとしなかった。


「以前、あなたとオーメルドで始めて出会った時と比べてその――元気がないように見受けられます。表情にも明らかに(かげ)りのようなものが時たま、見えるようなったといいますか……。レットさんは最近、とても苦しい表情をしていることが多いような……」


「…………………………」


「だから、この散策がただの気晴らしになるのでしたら、それはそれで構わないのです。ただ、今のレットさんには何かお悩みがあるような……そんな気がしまして。――もちろん! お話しするのがお嫌ならば、無理強いするつもりは私、毛頭ございませんので……」


レットは振り向かずに、右手を伸ばして首元に巻いてある水色のスカーフを握った。


タナカに全てを打ち明けるつもりはなかった。

言えなかったし、言うつもりも無かった。

だからレットがタナカに話したのは、その時抱えていた全く別の――もう一つの悩みだった。





「なんというかさ――“思っていたのと違うな”って」


「――どういうことでしょうか?」


「うん。オレが想像してたVRのMMOってさ。なんかもっとこう、ゲームの中で起きた出来事が、世界を揺るがす大事件に繋がっちゃったりとかしてさ――それをこう……格好良く解決するしちゃうような……物語みたいなことが起きるんだろうなって……こっそり夢見ててさ」


レットは“馬鹿なことを言っているな”と思った。

こんなことをタナカに話して、どうにかなるわけでもないだろうと思っていた。

それでも、一度話を始めると止まらなかった。


「――きっと、そんな夢を描いている。オレをワクワクさせてくれたお話達が、現実のオレにとってあんまりにも綺麗すぎて、魅力的すぎたんだと思う。気がついたら、ひょっとすると、自分は――自分だけは、何にでも成れちゃうんじゃないかって。本当は自分だけにしかない隠された力があって、世界の中心にだって、物語の主人公にだって、ヒーローにだって――成れるんじゃないかって、ずっと思ってた」


「そういえば。ビーチでケッコさんに対して、そのようなお話をされていましたね」


「――うん。実際はさ。特別な力なんて実際のゲームであるわけがなくてさ。肝心のゲームの才能も、オレには結局、人並みにしか無かったんだ。でも、そんなオレでも――ヒーローになれるんじゃ無いかってどこかしら……期待していたんだ」


そこまで言って、ついに気恥ずかしくなって、頭を掻いてレットは慌てて弁解する。


「まあ、心の底では自分がそんなヒーローになれるわけがないって、わかっていたんだけどね……。本気で言っているわけじゃなくてさ。そんな憧れはオレの――思い上がりみたいなもので――。そう、思い上がりみたいなもので――――――――」


レットが顔を背けると、左腰に差している銀の剣がその目に映った。

レットはかつて夕日に照らされていたその刀身の眩しさと、この剣を自分にくれた男のことを思い出していたが――その時はもう、鞘から抜いて目の前に見える夕日に(かざ)す気にはなれなかった。










「――レットさんは特別ですよ」




不意に掛けられたタナカの言葉に、レットは驚いて振り返る。

タナカはとても真剣そうな表情をしていた。


「ええ、特別です。レットさんはいつも、とても元気で明るいではないですか」


「あ……うん。そう――だよね。そういうことだよね……。でも、やっぱりそういうことって特別でもなんでもなくて、なんというか――当たり前のことじゃないかな?」


「そうでしょうか? 少なくとも、その“当たり前”は(ワタクシ)にはありませんよ?」


タナカの言葉を聞いてレットは口ごもる。


「ご、ごめん。タナカさんの悪口を言ったわけじゃなくて……」


「存じております。そして素晴らしい能力だとか、“人とは違う何か”にレットさんが憧れたり、望んでしまったりするお気持も、部分的にですが理解できますよ。(ワタクシ)も……“こういう種族”でゲームを始めたわけですからね」


レットは、今の今まで目の前のタナカという人間が真面目で優秀ではあるものの、悪い言い方をするとやや没個性的で普通の人間だと思い込んでいた。

しかし、実際にケパトゥルスという種族はハイダニアですら見かけることはほとんど無く、こう言われると目の前のタナカという人物が、途端に普通ではないように思えてきた。


「しかし(ワタクシ)最近になって、特に強く思うようになったのです。目に見えてわかりやすい力や能力といったものだけが大切だというわけではないのだと……」


「そう……かな? それってさ、オレには一番大切なことのように思えるけど……」


「一番大切なのは、その人の持つ人間性なのではないかと思うのです。 実際、能力があろうと優れていようと、人の本性や信念、考え方というものは、そうそう覆い隠すことは出来ないものです。それに力のある人間には、それ故の悩みもあるはずですから、(いびつ)になることもあるでしょう。能力が高くても、弱い人の気持ちを理解できず、無意識の内に他人を傷つけることだってやるかもしれません」


「……………………」


「ですから、そうですね……もしも“今のレットさん”が物語のヒーローですか? そういったようなものにこの世界の中でなりたいのならば――現実から目を逸らしてはいけないでしょう」


タナカの当たり前の返答を聞いて、しかしレットは項垂れた。


「そうだよね――どうかしているよね。“現実見ろよ”って話でさ……」





「違います。私が言いたいことは……“現実の世界に焦点を当てる必要がある”という意味です」


「えっと……同じ意味――じゃないの?」


「すみません。言葉が不足していましたね。要するに、現実の世界があるからこそ、仮想世界で問題が起きるわけです。この二つは本来、切っても切れないものですから。だから、例えば何か事件が起きた場合、大元の原因は現実世界に有るはずですよね?」


「そう――だね。確かに…………そうかも」


“そうだった”と言いそうになって慌ててレットは言葉を濁した。


「例えばゲームの中で問題を抱えているプレイヤーさんが居たのならば、その人間は現実世界で人間関係の悩みや、世の中に対する苦悩を抱えているということになりますから。この世界で困っている人が居た場合、その人を取り巻く現実の世界を知らなければいけません」


「な、なるほどね……。そういう意味で“現実を見ろ”……か」


「そうです。そしてレットさんが望むような事件が起こらなかったとしても、ご自身が望むような力が無かったとしても――レットさんは明るく、お優しい方です。その明るさと優しさで、目の前で困っている方に対して“できることが何かある”かもしれませんよ」


そう言ってタナカはレットの横を通り過ぎて、沈み始めた夕日を見上げる。

その眩しさに目を細めて、まるで何かを懐かしんでいるかのようだった。

それに倣って、レットも空を見上げて――


「うーん……でも、そういうヒーローってさ……なんかオレのイメージと全然違うっていうか――――――地味だな~」


「ええ、地味ですね。それは、諦めてください」


――そう言い合ってから二人は笑いあった。


「地味で良いんですよ。確かに傍目で見ればパッとしませんが、困っている個人の為に働きかける人間も、また別の意味で間違いなく“ヒーロー”なのだと(ワタクシ)は信じています。小さいこと、ご自身にできることからやっていけば、そのうち迷いが晴れて自分なりの答えが出ることもあるでしょう」


「物は考え方…………か。そうだよね。――オレが無理に背伸びしたってどうにもならないし、仕方ないもんね」


レットは意外だなと思った。

タナカは真面目一辺倒の人間で、こういう話をしても理解してくれないだろうとどこかしら思っていたのである。


(なんの変哲もない、“普通のオレに出来ること”か。うーん。それって一体何なんだろう?)


レットはしばらくの間、考え込む。

そんなレットをタナカは優しさを感じさせる表情でじっと見つめていた。

レットの中で何かが解決したわけではなかったが、悩み事を打ち明けて、真摯に回答してもらったからか、その内心は散歩に来る前より幾分か晴れやかだった。


(答えが出たわけじゃないけど。タナカさんに話したことで、少しだけ気が楽になったかも。後は、帰り道の途中で話せば良いか……)


「ごめんねタナカさん。悩みを聞いて貰っちゃってさ。とりあえず――」















『――今度こそ、帰ろう』




そう言いかけたその時――北側から獣の巨大な咆哮が聞こえてきた。


「うわ――何だ!?」


「どうやら、隣のフィールドから聞こえてきたようですね」


レットが音の鳴った方向を見つめる。

フィールドの境界線の上にはまばらながら草木が深く生い茂りその奥には霧が張っているようで、レットのいる位置からでは何が起きているのかいまいちわからない。


「ふむ……このまま帰るのも寄り道としては味気ないですし――少し覗いてはみませんか?」


「だ……大丈夫かな? モンスターに見つかったらヤバそうだけどォ……」


「メレム平原から出なければ、問題は無いでしょう」


フィールドとフィールドの間にゲームシステムとして敷かれている青色の境界線にギリギリまで寄って、そこに設置されていた草木の間からレット達が顔を覗かせる。


(えっと、確かこの隣のフィールドは――)


隣のフィールドは【ラ・サング湿地帯】。

視界はほとんど開けておらず、霧と草木に覆われている湿地帯である。


 そこで、どうやら隣のフィールドで飛行している巨大な鷲のようなモンスターと誰かが戦っているようであった。

その羽ばたきで周囲の湿地帯の霧が吹き飛ばされていたからか、レットが周囲の状況を確認することは容易だった。


モンスターは生物のサイズとしてはかなり大きく、小型のプロペラ機くらいのサイズで、獅子のような後ろ足と尻尾が生えている。前足には黄色い鉤爪がついており、その目つきはとても鋭い。

もしあれに睨まれたら動ける自信は無い――そうレットが思った程にそのモンスターの眼光には敵意が篭っていた。

茂みに隠れた状態から、レットが遠方からそのモンスターの強さを調べる。


「うわぁ~お……」


どうやらモンスターはレットのキャラクターよりも遥かに格上の存在だったようで、その情報はレットに隣のフィールドの危険性を如実に示していた。


「あれは――グリフィンですね」


そう呟いてからタナカがユーザー作成wikiの本を取り出した。


「あのモンスターを一人で倒すことができれば、レベル的にも技量的にも中級者であると認められる――と書いてあります」


レットは戦いを行っている人物を注視する。


戦っていたのは限りなく白に近い銀髪と銀色の目をしたエルフの少年だった。

キャラクターの背丈と年齢はレットのそれより一回り小さく、とても整った顔立ちをしている。

決して派手な色合いでは無かったものの、くすんだワインレッドを基調とした少年の外見は、まるで御伽噺(おとぎばなし)の戴冠式に望む王子様のようだった。

実際、その頭部にはスマートなデザインの放射状の王冠が、巻きつけられているかのようにしっかりと乗せられており――そこには赤い鳥の羽が一枚刺さっていた。


そして近くにもう一人、座りっぱなしのキャラクターが居た。背中をぴったりと湿地帯の岩場につけて丈の低い草の上に足を伸ばして座っている。

その顔はキャラクターが着ている外套の頭巾に隠れて見ることはできなかったが、スカートのような装備品から伸びた細く青白い足を見るに少女であるということは辛うじてわかった。


レットは助けに行こうかと一瞬悩んだが、その心配は無かった。

グリフィンは中空に浮かびながら地上にいるエルフの少年を何度か攻撃しようとしていたが、少年が繰り出した武器の一撃が足を掠り、たったそれだけで大きくバランスを崩して吸い込まれるように地面に転がり落ちる。

怪鳥は地面に落ちた後も、もがき続ける。


その間も翼が動いて風が吹き、少女の外套が大きくはためいて頭巾が外れる。

怪鳥は、少年が懐から再び取り出した短剣の一突きであっさりと絶命し動かなくなった。


少年は風によって外れた少女の頭巾を丁寧に被せる。

それから、両腕で少女を抱きかかえて少年は歩き始める。


「凄まじい攻撃力でしたね。成る程。レベルが上がると、あそこまで華麗に立ち回れるものなのですね――――――――――レットさん?」


タナカの横で、レットは信じられないほどの力で胸元のスカーフを握り締めて――否、握りつぶしていた。


彼には、少女の姿が見えてしまっていたのである。


流れているかのような彼女の深紅の長髪は、まるで微動だにしない彼女の生命が血となって溢れ出ているかのよう。

肌は日光や生きている者の手に触れたことがないような透明感のある白さで装飾品は一切身につけない。

外套の中に着込んでいた衣も白く、光の加減でほのかに透けている薄布が、純粋さや儚さと同時にどこか不気味な妖艶さを少年に感じさせた。


その全体から漂う雰囲気は、触れれば壊れてしまいそうなほどの繊細さを秘めている。





しかし、なによりも少年を釘付けにしたの少女のその“目”だった。






彼女の瞳は、何も映さない鏡のように空虚で、その視線は遠くを見つめているかのように定まっていなかった。


それは世界の果てで絶望した人間の目。

かつてオーメルドで奇跡的に見つけることのできた少女が、凄まじい苦悩と絶望を抱えていた時に見せたあの目。


徹底的に追い詰められて、周囲の全てに裏切られた時にしていた――あの目。









その思い出と経験は、その時レットが持っていた――本人すら自覚していなかった“特別”だった。

しかし、その特別に高揚感などありはしない。


杞憂で終わっていて欲しいと少年は無意識のうちに願っていた。






レットの呼吸が不自然に荒くなっていく。

存在しないはずの心臓が弾けそうになる。


「〔レットさん? ……どうかされましたか?〕」


只事(ただごと)ではないと察したのか、タナカがレットに囁いた。


「〔タナカさん……あの女の子さ……“何かおかしくない”かな?〕」


そのレットの全く聞いたことの無いようなトーンの囁きに改めて驚いた表情を見せてから、タナカがレットに合わせるように囁き返す。


「〔い、いえ……すみません。私はグリフィンの方ばかり見ていて……おかしいというのは一体、どの辺りがでしょうか?〕」


「〔見てないんだね。えっと、そうだな……例えば――〕」


どのようにタナカに説明すればよいのかわからなくなり、レットはしどろもどろになる。


「〔――あ、あんな風にプレイヤーを抱きかかえる所……とかさ〕」


「〔……そのようなロールプレイをされているのではないでしょうか? あのプレイヤーさんの高貴でありながら質素な格好は――如何にも、貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)に登場する王子といった出で立ちですから……。もしくは、あの二人は主従関係――なのではないでしょうか? クリアさんのように、プレイヤーをマウント代わりに使おうとするプレイヤーも実際にいたわけですしね……(ワタクシ)には度し難いですが〕」


二人が囁きあっている間に、少年は湿地帯の深い霧の中に消えて行く。


突然、レットが立ち上がり歩き始める。

それは脊髄反射的な、咄嗟の行動だった。


「〔レットさん。どうされたんです!? 待ってください!!〕」


タナカの囁きが鳴り響くも、レットには聞こえていない。

無我夢中で、しかしどこか慎重にエルフの少年を尾行しようと追いかける。

湿地帯は鬱蒼と湿った草木が生い茂っていたため気づかれることは無かったものの、霧は濃く、少しでも油断すると見失ってしまいそうだった。


“湿地帯での尾行”は、あっという間に終わった。

エルフの少年は歩き始めてから時間を待たずして、洞窟に入っていったためである。


「〔おそらく、あの少年は『ゴユの岩窟』に入っていったようです。地図には書いてありませんが……こんな場所に別の入り口があったのですね。しかしレットさん。血相を変えられて一体――〕」


そう呟いて、タナカは黙って再び歩き始めようとするレットを見つめた。


「〔ごめん。タナカさん…………先にチームの家に帰ってて〕」


「〔し……しかし――〕」


「〔詳しく話をする余裕も無いんだ。追いかけないと――“また間に合わなくなっちゃう”。そうなったらオレ…………〕」


そう囁いた時、既にレットは一歩踏み出していた。








「〔……お顔が(かげ)ってますよ〕」


「〔――え?〕」


「〔いいえ、なんでもありません〕」


そう囁いて一瞬笑みを浮かべてから、タナカは真剣そうな表情をする。


「〔……事情は全くわかりませんが、(ワタクシ)も同行しましょう。この洞窟の地図は(かね)てより購入しているので、ある程度お役に立てるかもしれません〕」


レットはタナカを巻き込んでしまうことに対してしたが――


「〔……ありがとう〕」


――しかし、これ以上話し合っていてはエルフの少年を見失ってしまうと判断して、その提案を受け入れた。







こうして二人は瞬く間に湿地帯の地下に張り巡らされているダンジョン、ゴユの岩窟に足を踏み入れてしまった。

洞窟の中は真っ暗。その暗さはレットにかつて通ったターコイズビーチの洞窟を彷彿とさせる。


エルフの少年は光る人型の精霊のような物を宙に浮かべて、その光を頼りに岩窟を丁寧に進んでいく。


当初、レットは入ったことのないダンジョンに潜っていくことに強い不安を感じてはいたが、進んでいくにつれてこの状況は尾行する上でとても都合が良いということに気がついた。

明かりを灯けない限りこちらの姿はまず見えないし、前方の光る精霊のおかげで行く道がどうなっているのかは容易にわかる。

後はただ、物音を立てないように付いていけば良いだけだった。


道中にアクティブなモンスターはおらず、エルフの少年が選んで進んでいく行く道は長かったが、それはひどく――不自然なほどに安全な道だった。


暗闇に浮かび上がる精霊の光を必死に――慎重に追いかけながら、レットはクリアに言われたことを思い出していた。








『お前がこの世界に抱いた憧れや理想は、散々打ちのめされてしまったかもしれない。だけど、“無駄にはならなかった”のさ』


『お前は、“お前ができる以上の精一杯”をやったさ』





それでも、少年はずっとずっと――後悔していた。

船旅の間も、新天地に来た後も、修行していた時も、ダンジョンに行った時も。

思い出になるつもりだったのに、ずっとずっと引き摺っていた。

ゲームで知り合った“あの少女”が救われたかどうかなど、少年にはわかりもしない。

……果たして、実際に自分が何をしたのか――何もできていないと思った。


だからこそ、この場に至る冒険の最中、“自分に何かできることはあったのではないか”と何度も何度も思い返していた。


少年が歩き出した理由は結局のところ、自分のためだったのかもしれない。

失敗した過去を、目の前の別の人間を救うことで埋め合わせようとしているかのようだった。

暗い岩窟の中、必死になって光を追いかけるレットの姿は、閉じ込められて出口を求めて彷徨い続ける迷い蛾のようだった。


そんなレットがまず危惧したのは“かつての事件”のように隔絶されたコミュニティで、あの少女が虐められているにではないかということだった。


しかし、抱えている少年のにこやかな笑顔を見ていると、少なくとも“そのような事態”に陥っているようには見えない。

そもそもそのような間柄ならば、あんな風に大切そうに少年が少女を抱きかかえているのがおかしいではないかとレットは考えた。


少女は全く無抵抗の状態で、エルフの少年はとても優しそうな表情で歩きながらその耳元に囁き続けている。


考えれば考えるほど、何もかもが矛盾していて、恐ろしく出来の悪い人形劇を見ているかのようで――レットにとってこの光景はひたすらに不気味だった。



もしかするとタナカの言っていた通り、あの少年は御伽噺の王子になりきっていて、少女は絶望に囚われた眠り姫のような役目を演じているのではないか?


レットはそう考えた後に、余りにも馬鹿馬鹿しい推察だと自分自身に呆れた。
















だから、つまりこの段階でも、レットにはまだ――その程度の余裕と冷静さがあったということになる。











それから、どのくらい歩いたのだろうか? エルフの少年は岩窟の広間でようやく足を止めた。

その広間だけ天井に穴が開いており、そこから僅かな光が差していて、奥にはもう一つ別の出入り口が見えた。

レット達は広間の手前に通路に設置されていた岩に身を隠す。


エルフの少年は少女を広間の中に置かれていた小奇麗なクッションに先ほどと同じような姿勢で座らせる。

それから岩の上に腰掛けて、少女を優しい表情で見つめていた。

広間の中には大き目の荷物だろうか――重めの分厚い布のような物が被されておりそれが何なのかはレットにはわからない。


間もなくして、広間の反対側の入り口から何者かが歩いてきた。

筋肉質のヒューマンの男性キャラクターで荒々しい茶色の髪は結っておらず。微笑を浮かべている。

明るく派手な色合いの青いフォーマルな燕尾服は、18世紀の貴族のような外見だった。


「よくぞ! お戻りになられました王子様~♪」


突然歌いだした男に対して、隠れて広間を覗いていたレットは呆気に取られてその場で硬直した。


「しかし、迎えるのは酷く暗い闇♪ 包むぅのは静寂ぅ~♪ それを破り~歌うのさ~この俺様が~♪」


エルフの少年は男を見つめながらその口元を軽く動かしている。

どうやら少年は男に対して“囁いていた”ようだったが、男の方はというとわざとらしく少年に対して耳に手を添えた状態で顔を寄せて『聞こえていない』と(とぼ)けるような表情を何度もしてみせる。


そのまま気にせず大声で歌い続ける男に対して、エルフの少年は困惑しているようだったが、しばらくすると大きく深呼吸をしてからようやくその口を開いた。


「うん。良い歌だ……このダンジョンのBGMは実に良いからね。好きなだけリズムに乗って大いに歌ってくれ」


レットの想像に違わず、少年の声は高かった。


「おーい。おいおい、冗談だろう? このダンジョンにBGMなんざねえのに何のリズムに乗れば良いんだ!? ははあ~~俺様に~歌うなってこ~~とーかぁ~?」


男は再び歌いながら細かく動き回り様々な角度から少年にアプローチをかける。


「……できればこうやって普通に会話するより、囁いてほしいくらいだよ」


「苛立っているな少年よ~♪ ………………つったってよ~、約束したじゃねーの俺様。今度は“吟じさせてもらう”ってな。――故にだからそうさ! いまや俺様を御するものはいない~♪」


「まあ、確かにそうだね。約束は約束だ。キミが見つけてくれた“この場所”。本当に安全なんだろうね?」


「……俺様は愚かじゃあない。心配するなよ我が弟子よ。この場所の大体の仕様は、俺様が出かけていた間に部下伝手に聞いてたんだろ? だからアンタは安心して人払いをしたわけだ。――この場所で初めて歌う俺様としては、アンタ以外の人間に是非とも聴いていただきたいものだがな」


「完全に安心していたわけじゃない。ボクと彼女の二人だけの時間を邪魔されたくなかったからさ。もちろんキミのことは信用しているが――この場所についてもっと詳しく教えてくれても良いんじゃないかな?」


少年から問いかけられて、男は歌うのを辞める。

それから壁面にもたれかかって、けだるそうに語り始めた。


「……もともと、岩窟のこの道は特定の職業を上げているプレイヤーが一度行くか行かないかってくらい存在意義が薄かった場所だった。んで、リニューアルアップデートのせいでこの道は完全に存在意義を失ったんだよ――完璧にだ。ここは“まっとうなゲームプレイ上の死角”となっている。だから、知識のあるやつならここには来ねえだろうし、無いやつはここまで深い場所には絶対にたどり着かない。つ~まり~ここは身を隠すのにうってつけなわ~け~♪」


「それについては聞いたよ。PKを仕掛ける側から見ても、湿地帯には別のわかりやすい入り口があるからほとんどのプレイヤーはそっちに行く。岩窟のここまでの道中も狭く、独立している。ほとんど誰も通らないのならば襲い掛かる者もいない――そうだろう?」


「正解だ。よくわかっているじゃねえか。アンタも心底安全だと思ったから、ここから外に出かけたんだろ?」


「まあね。それでも素人のPKが来ないか気が気じゃなかったよ。そして、グリフィンに見つかったのは少しだけ焦った」


「……冗談きついぜ。それは俺様が教えた戦法に対する皮肉か?」


「その言葉こそ冗談だろう? ボクが小心者なだけさ。実際、負ける気がしなかったよ。……この場所への他の出入り口は?」


「一つだけある。湿地帯から直に落下するルートだ。よりにもよって隠されているし、そっちにはすでに見張りをつけてある。誰かが近づくようなら、アンタに連絡が行くはずだ。ちなみにここの広間の天井の穴は地上とは繋がってないから、心配するな。覗かれることもねえ」


まさにその広間を覗きながらレットは思案する。

この男達が『何かを隠している』ということは辛うじてわかったが、それが何なのかまではわからなかった。


「よし……大体わかったよ。しかし、この場所を目指すことに何の利益も無いのならば、逆に探索したがるものじゃないか? “何かあるのではないか?” ってね」


「そういうクソみたいな好奇心を出すやつはいねえよ。時間の無駄だぜ? この世界を与えられるがままに普通に遊んでいるだけの連中は見ちゃいねえのさ――気づこうともしやしねえのよ! 世の中には抜け道があって、そこを通る賢い者だけが“財宝”を得るっていうことわりにな。それに、一部の賢しい連中も釣られているんだろ? 歪められた“偽の噂”によ……本当に運がいいぜ。だから俺様はここを選んだんだ」


噂か――と呟いて、少年は軽く伸びをした。


「『普通の手段では絶対にいけないような場所に、レアリティの高いアイテムをお遊びで配置する』。これは他のMMOで本当にあった話なんだろう? しかし、風の噂止まりというのは実に良い。――風は誰にも見えやしないし、そのうち止まるから。……困るのは煙だ。火のないところにとはなんとやら。“ボクの『ゲーム』”はその段階まで行っていないのも実に良いね。間違った内容で広まっているだけだ」


エルフの少年の『ゲーム』、という単語を聞いてレットが考え込む。


(――何だ? 『ゲーム』って、“このゲーム(A story for you NW)”っていう意味じゃないよな? 何かを計画しているのか?)


「オイオイオイオイ~。難しい例えはやめてくれよな。“疑われてすらいなければ、何をしようとしているのかは知られない”ってことだろう? 心配はいらねえって。一番怪しまれる可能性が高かったのは最初の“俺様達全員がここに入ったとき”だ。ちなみにその時は誰にも見られていねえ。俺様の直感は――――本・物・だ」


「そうか。じゃあ現段階で、唯一危惧するべきは――――」












「――――――まさに“今、この瞬間。ボクのことを嗅ぎ回っている人間がいるかもしれない”という可能性だけだね」





その少年の言葉に、レットの存在しない心臓が飛び上がりそうになった。

思わず逃げ出したくなったが、動いたら気づかれてしまいそうでそれもできない。


「……アンタなあ。そんなプレイヤーがいるわけねえだろ? 上級者ならまず近寄らない。素人のPKならとっくにアンタに襲いかかって斃されている。初心者なら、ここまで入ってくる理由がねえ。そこまで心配するなら、“二人の甘い時間”とやらを外で過ごそうとするなよな」


突然、男が歌声を上げる。

それはまるで力強いオペラのようだった。

男が歌い終わってから少年が立っている男に対して僅かに視線を上げて尋ねた。


「安心しろよ。“俺様がこの場所に来てからずっと、ここら周辺で動いているプレイヤーは一人もいねえさ”。それとも、岩場の裏で縮こまっているプレイヤーがいないか、その“お人形”の前でビクビクしながら調べ回ってみるかい?」


「いや……もう十分だ。少し、神経質になっていたようだ」


レットは、ほっと胸をなでおろす。

後ろで小さく、本当に小さく息を吐く音が聞こえた。

どうやらタナカもレットと同じように安堵していたようだった。


「もう少しで、“ボクらの家”だからね。あそこに辿り着けばそれでおしまいだ。未来永劫、誰にも邪魔はされないだろう。このゲームのサービスが終わるまでね。……あの湖畔は――綺麗だ」


少年が立ち上がって移動する。

座り込んでいる少女に寄り添って頭巾を取り払って――





まるで朝起きてから歯を磨くくらい、“それ”を行うのが当たり前かのように――

まるで左右の安全確認が終わった青信号を渡るくらい躊躇いもせず――

まるでテストの問題に自分の名前を書くような気軽さで――





――少女の首元に舌を、何度も何度も何度も何度も這わせた。





レットは目の前の光景が信じられなかった。

傍から見ていてその舐めまわし方自体にはかつて無いほどの嫌悪感を感じた。



しかし――少女は無反応だった。

ただ本当に人形のように、しかし徹底的に絶望しきった表情のままなすがままにされている。

その体には一切力が入っておらず、少女の首は少年の“動き”に合わせてぐにゃりと曲がった。



“異様なまで異常な光景”だった。



(なんで……なんでだ!? だって……だってケッコさんが言っていたはずだ。あれは間違いない。性的な……嫌がらせじゃないか! あれが……あれがどうしてハラスメントにならないんだよ!?)


少年はふうっ――と長く息を吐いた。

まるで湧き上がる情欲を必死に抑えているかのようだった。


「ボクだってまあそれはそれで……。“現段階”ではこうやって……当たり障りのない部分を舐め上げることしかできない。逆にストレスが溜まってしまうから困るよ」


そう言ってから少年が少女の傾いていた首を元に戻す。

それから優しそうな表情で少女の顔を見つめた。


「見た目という物は本当に大事だ。現実の彼女と瓜二つというのが実に良い。いや、だからこそボクは彼女を選んだのだけれど」


「そんな人形に大枚はたくアンタの気がしれねえなぁ! 動きも~しない人形を……遊んで、なぁ~にが面白いものか~♪ 思うがままに力を行使する方が! 何倍も楽ぁのしいのに~♪」


「何を言っているんだい。ボクがこの娘にするのは乱暴じゃあないよ。優しくするんだ。花を摘むように愛でるんだ。その為の努力は惜しまない。ありとあらゆる障害を乗り越え、ボクはもう間もなく彼女と結ばれる。きっと優しく受け止めてくれるに違いない。丁度、家につくころには、僕らは“条件を満たして”……二人は末永く、幸せに暮らすことになる」


「好きにすればいいさ! 俺は、ゴールドになればいい♪ ゴールドは金に成り~、金は力を呼ぉ~ぶ~~手前の美学~♪ 手、前~の美学~♪」


男は満面の笑みで、広間の中を踊りまわってから――背中から“荷物”に激突した。


「あ~ったく。……こいつらは本当に邪魔だぜ。アンタもまあ面倒な『ゲーム』に乗っかったもんだなぁ?」


「彼女を手に入れるための“代償”がそれだからね。途中で捨てるわけにもいかないのさ。二つの要素を重ね合わせて、この計画を“発案した存在”曰く、時間と手間がかかって本当に大変らしいんだよ。――自己決定能力が欠如した寝たきりの人間をこの世界に入れたり、出したりするのは。この前緊急でログアウトさせたが……次は無いと言われてしまったよ」


「そりゃあそうだろうな。住んでいる場所もバラバラなんだろ? 管理しきれねえ。だから“まとめて運ぶ”わけだ。臭い物には蓋をする――ってか? 現実の状態は似たようなもんなのに、お前さんのお気に入りのその人形とは扱いが天と地ほどもあるよな」


そう言って男が勢い良く薄汚い布を引っぺがす。

レットの網膜に目の前の光景が焼き付いた。

――その光景はひょっとすると、一生忘れられないかも知れない。









被されていた布の下で蠢いていたのは、複数の年老いたプレイヤーキャラクターだった。






(――――――――――――――――――――ッッッッッッッッッッ!!)





その全てがヒューマンで、白い肌は亡者のようで、キャラクター達はがんじがらめにされた状態でぴくりともしない。何かをブツブツと呟いているのがわかった。


「駄目だよジョー。ここは僅かだけど明かりもあるんだ。起こしてしまったら可哀想じゃ無いか――――――毎回これを殴打して、諫めている世話係の人間がね」



かつてない動揺にレットの視界が歪みに歪む。

まるで心臓に鉛弾を打ち込まれたかのような大きな衝撃を受けて、危うく座ったままの姿勢で倒れそうになってしまう。


「〔レットさん! ―――――――――落ち着いて……落ち着いてください……〕」


背後にいたタナカの手の平がレットの背中に添えられた。

そしてその理性的なトーンの一言でレットは冷静さを何とか半分だけ取り戻し、必死に隠れていた石にしがみつく。

おかげで、何とか物音を立てずにすんだ。


もしも、見つかったらどうなるのかを改めて想像して――しかし目の前の異常な事態に対して“それが何かとんでもないことに繋がる”とまでしか想像することができずに、レットはただただ震えを抑えることしかできなかった。


「聞いた話じゃこいつらの首にさ。看板をぶら下げて走り回らせて袋だたきにするんだろ? そんなくだらねえことの為に金を払うっていうのは理解できねえぜ。アンタの趣味と同じようによ」


「それは……どうだろうね。“ハラスメントにはならない”し、中々気分がいいんじゃないかな? 既に似たようなことをやっている連中はいるらしいよ。一番のトレンドは……単発火力が出る銃を使ってのロシアンルーレットだと聞いたよ。大きな音がなるから(ほう)けていても恐怖で大暴れしてかなり笑えるらしいけど――まあ、その連中はここに並んでいる“コレ”とは違って自由意志のある人間を遊び道具にしているようだけどね」


「おいおい。そんな暴虐は許せねえな! 最強の俺様が正義の味方として、とっちめてやらないとな」


「残念だけど、PKではなくてだたの憂さ晴らしのリンチだから。キミが頑張っても、この世界の中で賞賛は得られないんじゃあないかな?」


その少年の言葉を聞いて、男が空気の抜けた風船のように力を抜いて姿勢を大きく崩した。


「な~んだよ。つまらねえな。それじゃあ俺様が活躍する意味が無いから、ど~うでもいいや」


「キミの美学も、理解できないよ。師弟で――こうも違うものなのかな?」


少年はそう言って少女の首筋を再び軽く舐める。

少女は開ききった虚ろな目で天を見据え、その横で老いたキャラクター達が呻き声をあげて洞窟の光に向けて手を伸ばしている。



少年と男を中心として毛色の違う要素が混じり合う光景は、まるで地の獄を模した西洋の名画のようであった。


「こりゃあ面白えな! まるで向日葵(ひまわり)みたいだぜ。“私はあなただけを見つめる”~♪。しかし、悲しいかな♪ 既にあなたは人で無ければ! 見つめるものすらい・な・い~♪」


そう歌いながら男は踵を返して、広間から元の通路に歩き去っていく。


「キミも随分と冷たい物だね。良くない。実に良くないよ。かつて、そこで縛られている彼ら自身が押しつけがましくボクらに言っていたはずじゃあないか――」


エルフの少年は立ち上がって、一人で空を見上げる。

沈み始めた夕日の光がその顔を神々しく照らす。

“名画”からそこだけを切り取れば、まるで物語の挿絵に描かれていてもおかしくないような――天使のような笑顔で、エルフの少年は最後にこう呟いた。











「――『お年寄りは大切にしなさい』ってね」

【今日、レットが迷ってたどり着いたラ・サング湿地帯について】

ハイダニアが建国されるはるか昔の時代、周辺都市から派遣された開拓者達が突然反乱を起こしてこの地に居座った。

ハイダニアの礎となった都市からラ・サングという名をかたる若き英雄――神の加護を受けた後の初代ハイダニア国王と、その仲間である豪胆のゴユによって暴徒の大規模な討伐が行われた。


開拓者達に囚われていた原住民の希望である“雨降らしの巫女”を救い出し、その力を持って大雨を降らせることでこの湿地帯ができたという。


ならず者と化した開拓民の首謀者たる人物は湿地帯に点在する岩窟に潜んでいたゴユの策によって大きく戦力を失い、自暴自棄となって残党と共に原住民の信奉の対象であった光の神殿を破壊し全滅したという設定がある。


代表として戦いの指揮を執っていた人物“メレム”の遺した記録では巫女以外の原住民は既に開拓者達に全員殺害されていたと残されている。

その後、残虐な開拓民の首謀者の名前は語ること自体を禁じられ、忘れられていった。


メレム平原の名前の由来はその指揮官メレムであり、ここに至るまでにレット達が見つけることはなかったが、同フィールドの隅っこには原住民を弔う小さな慰霊碑が建てられている。

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