第九話 善意の人助け
それからしばらくして、メレム平原を超えて目的地であった【ハイダニア王国】に何事もなく到着することができたレットとタナカ。
しかし――
「うっ――ううっ……ぐすっ……」
――城下町の入り口でさめざめと泣き続ける小さなフェアリーの少女を前に、二人は途方に暮れていた。
[困ったなあ……どうしようタナカさん。クリアさんはもう戻ってこなそうだし……]
それまで同伴していたクリアは、王国の中に入るなり“どうしてもやらないといけないことがある”ということでいきなりログアウトしてしまったのである。
『心配はいらないさ。ここでしばらく待っていればうちのチームのリーダーが来るはずだ。事情も二人の面相もちゃんと説明してある。――といっても、まだ時間はたっぷりあるしハイダニアの中を散歩していてもいいぞ。ただし、“外には絶対出ないでくれよ!”』
[クリアさんが仰っていた通り、チームのリーダーさんがここにいらっしゃるのを待つのが最善だと思われます]
[そりゃあそうだけど――弱ったなあ。……GMはどのくらいで来れそうだって?]
[現在250件待ちだそうで……。おそらく、来るとしてもかなり時間がかかるものかと……]
そのタナカの言葉を聞いてから、溜息をついてレットは周囲を見回す。
道中のメレム平原には隠れる場所がなかったのか、それともパッシブエリアで取り立てて危険な場所も無かったからか、二人を見守っていた“緑のぼんぼん”はいつの間にかレットの視界から居なくなっていた。
普段子どもと接するのに全く慣れていないレットは仕方なく、それでも何とか少女を安心させようと話しかけた。
「えっと。え~っと。もう少し待っていればオレのチームのリーダーが来るんだ。それで、その……。アナタの……じゃないな。キミの名前は、あ~。なんていうの……かな?」
「知らない人に……自分の名前は教えちゃダメって、お兄ちゃんが――言ってた」
「あ~。うん。まあ、そうなんだけどさ……」
ハイダニアでクリアと別れた直後。
二人の視界に真っ先に映ったのは、国の入り口に飾られていた松明の下で泣いていた初期装備のフェアリーの少女だった。
詳しく事情を聞いたところ――
『いっしょにゲームをしようって言ったおにいちゃんが、だんじょんに出かけたきりいつまでたってももどってこないの……』
――ということで、要するに“ゲーム内で迷子”となってしまい、寂しくて泣いていたのだという。
レットは迷子となっている少女に対して『一旦ゲームからログアウトして兄とコンタクトを取るべきでは』というタナカの提案を伝えたのだが、どうやら現実世界では“兄とは別居中”とのことでそう簡単に連絡を取ることはできないらしい。
(何だろう? 何か複雑なご家庭なのかな?)
「ぜっがぐ……お兄ちゃんと……一緒に遊べるっで……おもっでだのに……」
俯く少女からレットは“嵐の前の静けさを感じていた”。
(参ったなあ。この娘。今にも大声で泣き出しそう……)
「わかった。わかったよ――落ち着いて! お兄ちゃんはどこに行ったのかわかる?」
「光の……しんでんあと……に行ってくるって……」
その少女の言葉を聞いた途端に、プレイヤー達が編集した|インゲームデータベース《wiki》の現行最新版を取り出して索引をかけるタナカ。
「【光の神殿跡】。先程通ったメレム平原の北にあるダンジョンのようですね。パッシブ可能なエリアのようですし、道中PK等の問題はないと思われます。リスポーン地点もハイダニア王国の中に設定できましたし、最悪、戦闘不能になってもここに戻ってくることはできるでしょう。クリアさんが何故“外に出てはいけない”と言ったのか。それだけが気がかりですが……」
(でも、このままずーっと放っておくことなんてできないし……一丁やってみるかな!)
「じゃあ、ええと。オレがキミのお兄ちゃんを迎えに行くからさ。ここに戻るまでちゃんと待ってられる?」
レットの言葉に少女がピタリと泣き止んでから、にこやかな笑顔を見せた。
「――うん! わたし今までずっと待ってたんだもん。そのくらいへーきよ! ワタシ一人で待っていられるから……二人で行ってきて!」
「なるほど。それならば、私も同行します」
「タナカさん。本当にいいの? というか、二人でこの場を離れても大丈夫かな?」
「光の神殿跡は二人がかりでないと対応できないモンスターもいるようなので、後はこの子の忍耐次第と言ったところでしょう。町の入り口で物騒なことをするプレイヤーがいるとは考えづらいですし。私達がここから離れるだけなら問題はないかと思われます」
レットは、タナカの言葉をそのまま流すように少女に伝える。
「じゃあ、オレたち二人ともここから離れちゃうけど――待っていられる? 心配なら、オレか、この緑のおじさんがここにずっといるけどォ……」
「ん~……」
レットの言葉を聞いて、少女がタナカの方を見つめて考え込むような素振りを見せた。
[あのレットさん。その言い方はまるで私が通学路の見守りをするような……まるで緑のおばさんのような……]
[え? “緑のおばさん”って何? オレ、見たことも聞いたことないけどォ]
[世代の違いという物ですね……。そういえば、かなり前に完全に廃止されたんでした。気になさらないでください……]
話し込む二人の間に――
「緑のおじちゃん気持ち悪いし、わたしのお兄ちゃんがおじちゃんに食べられちゃいそうだからふたりで行って! わたし、ずっと待ってたんだもん。あとちょっとくらい、一人で待てるもん!」
――その少女の発言が唐突に投げかけられて、タナカは無言のまま片膝をついた。
「た……タナカさん……」
「大丈夫です。――もう慣れっこですので……。しかし……これではまるで“川渡り問題のオオカミ”になった気分だ……」
わかり辛い例えに首をかしげるレット。
ちなみに、子どもと話をすることに慣れていないレットが先程から矢面に立つことになってしまっている原因も“フードの下のタナカの見た目が独特で、全く信用されなかったから”だった。
(それにしても。この人はこの人でいっつも不憫だよなあ……)
タナカを慰めようとするレットを他所に、少女が羊皮紙を取り出して何かを走り書きしてから折りたたみ、レットの装備品に付属されている粗末なポシェットに突っ込む。
それはレットの同意によってインベントリーの中に収納された。
「お兄ちゃんの名前、ここにかいたよ! そとで開いてさがしてほしいの! しょしんしゃの格好をしてて。お顔は見ればすぐにわかるの。にんげんぞくの人ならだれでも知っているお顔なの」
[“誰でも知っている顔”って、どういうことだろう?]
[“取り立てて特徴の無い顔”と言うことではないでしょうか……]
「お兄ちゃんを見つけたら、『たいせつな、いもうとがまってる』ってつたえてね!」
言うだけ言ってから少女は二人から距離を開けて、石でできた古式のベンチに座ってくつろぎ始めた。
(頑張ってみるか! お使いクエストの始まりだ!)
レットはタナカと共に城下町の外に出る。
そこで早速、少女に貰った羊皮紙を開いた。
[ええっと。お兄さんの名前は――■■■■……か。そういえば、あの子。一体どうして、わざわざ紙なんかに名前を書いてくれたんだろう?]
[名前のスペルの問題があるからではないでしょうか。“■■■■”。やや、複雑なお名前のようですし、覚えづらいですからね]
タナカが再びインゲームデータベースを取り出す。
[それにしても妙ですね。【光の神殿跡】……。無印の頃から、このダンジョンには特に入る目的が多くないようです。フルダイブリニューアル後も何か大きな変更があったわけではなく、相も変わらずほとんど人がいないダンジョンのようです]
[そんなダンジョンがあるの? ――それってダンジョンって言えなくない?]
[事実、モンスターの生息が少なく狩場としては不適切のようで、ハイダニアのマイナーなクエストで訪れるようなことが、一度あるかないかといった感じのようですね]
[うーん……あの子のお兄さん。何でそんな変な場所に出かけて行っただろう?]
そのまま二人で話し合うも、答えが出るわけもなく。
そこからしばらくメレム平原を北上して、何事もなく二人は目的地である廃墟と化した神殿――光の神殿跡に到着した。
二人は欠けた石造りの階段を上がって、中央の巨大な扉の隙間から神殿の中に入っていく。
扉の先には大きな広間。天井や壁からからいくつも穴が開いており、そこから日の出の強い光が広間全体に降り注いでいる。
神殿の中にはこの世界の神を模した石像がいくつも飾られていたが、何故か全ての像の顔が粉々に砕けていた。
もしも平時であったのなら、ここに初めて訪れたレットは滅びの美学をしみじみと感じていたのかもしれない。
しかし、その時彼が見つめていた物は神殿の内装などではなく――広間の最奥で巨大なシックなデザインのロボットから、逃げ回っている一人のプレイヤーキャラクターだった。
その初期装備の男性プレイヤーネームは堂々と表示されており“■■■■”。
要するにその男性は、レットが探していた相手であった。
危機的な状況を目の当たりにして、間髪入れずにタナカが駆け出して――慌ててレットがそれに追従する。
(敵の名前は【フラグメント・オブ・ザ・アイドル】。レベルは……20か! 確かに一人じゃきついな! このロボット、定期便のスチームエンジンとデザインが似てるぞ!? ――もしかして古代の技術で作られているのか!?)
タナカが男性キャラクターをかばうように横からタウントを入れてロボットの動きをひきつけてから、その攻撃を小盾で受け止める。
[レットさん! 今のうちに敵のHPを“削って”ください!]
[任せてよ! ――SKH・|FLSAS《フラッシュライトの速度が上がるスキル》ッ!]
そしてレットが(自分で勝手に名付けた)ソードマスターのスキルを発動して自身のキャラクターの速度を上げる。
そのままロボットの背後から全力で斬りかかる。しばらくこのやり取りが続いた。
そしてタナカのHPが0になってしまう前にレットが片手で銀の剣を振り回し、火力を出し切ってロボットのHPゲージの残りが無くなる。
ロボットは、そのまま煙を上げてまるで放り投げられたガラクタのように情けなく床に崩れ落ちた。
[へっへ~ん。楽勝、楽勝!]
[ナイスファイトです。レットさん]
(いつの間にか、結構強くなってるんだな。オレ!)
ご満悦のレットが周囲を見回すと、男性キャラクターは神殿の壁を向いたまま微動だにしていない。
妙だな――と思いつつも、レットは男の向いている方向に回り込んで改めて話しかけようとする。
そこで“兄は普通の顔をしている”という迷子の少女の言葉の意味をレットは理解した。
襲われている男性キャラクターは、ヒューマンを選択したレットには確かに見知った顔。
“何の変哲も無い”キャラクタークリエイト画面を開いたときに登場する、何も弄られていない状態の“デフォルトの顔”だった。
「あの――」
しかし、あからさまに何かがおかしい。
男のその顔はまるで張り付いているかのように微動だにせず。唇すらも動かさずに、低い声で何かを呟いているようだった。
人の姿は微動だにしない状態のまま。その声だけがどんどん大きくなっていき。
周囲の空気が震えるかのような低い叫び声になる。
その音は、まるで甲子園で鳴るようなサイレンを不自然なくらい低くしたかのような……ひたすら空虚で感情の一切を感じさせないものだった。
「――――――――――え? ………………………………え?」
レットは、突然の事態にただただ呆けてしまう。
反対側に立っているタナカの表情にも、明らかに動揺が見て取れた。
そして少年の耳に、不意に“歌”が聞こえてきた。
それまで、少年の愛する物語の中で、歌というものは神秘の象徴だった。
歌は主人公達を魅了し、惹きつける。
歌は人々の戦の士気を高める。
歌は市井の人々に安寧を齎す。
しかし、その時聞こえてきた歌はそういった少年の中のイメージとは全く違うものだった。
歌声は低く。抑揚を感じられなかった。
ただひたすらに無機質で、呟きに近しいものだった。
(え――なんだこれ……童謡……かな?)
歌の内容は聞き覚えのあるものだった。
小さな子どもたちが帰りの通学路で歌っていそうな、誰もが知っている物で――
――それを中年男性がくぐもった声で呆けた表情で呟いている。
“何かがおかしい”少年はそう思った。
ほんの一瞬だけ、形容しがたい僅かな不快感があった。
しかし、その不快感の正体を探る前に――男は黙っているだけのレットから興味を無くした――否、最初から眼中になかったかのように、そのまま踵を返して神殿の奥に体を引き摺るように歩いていってしまう。
「なっ……ちょ……ちょっと待ってよ!」
レットが、迷子になっている彼の妹の話を言い出す前に――
『お……お礼の一つくらい言ってくれたっていいじゃないか!』
――と咄嗟に男を呼び止めて思わず僅かな不満を吐き出そうとしたが……そこで突然、背後から何者かに口を押さえられてしまって言葉が出なくなってしまう。
驚いて、抵抗しつつ後ろを向いたレットの視界に映ったのはどこかで見たことの、自ら装備したこともあるマスコットのお面だった。
「〔……落ち着け……………………俺だよ。クリアだ〕」
(クリアさん!? 一体どうして?)
「〔いいかレット。周囲に聞こえる声で、これ以上絶対に喋るなよ。――お前は何を……。何をコイツに話しちまったんだ!?〕」
この近距離なのにクリアは直接囁くことをせず。ゲームシステムの“囁き”を使っていた。
そのままクリアは口に指を当てて“静かに”とタナカにジェスチャーをする。
「〔何なんですかいきなり! というか、クリアさんログアウトしたんじゃ――〕」
「〔一体――――何を話したんだッッ!!〕」
最早、囁きとは言えないような大声が頭の中に響き渡る。
初めて自分に対して向けられたクリアの怒号にレットは思わず縮み上がった。
「〔ま……まだ。まだ、何も言っていないです。オレ、この人を呼び止めただけで……あの、オレ……〕」
「〔呼び止めた……呼び止めてしまったのか!?〕」
レットが目線を前に戻すと、男性キャラクターが振り向いて、近づいてきていた。
クリアが慌ててレットのフードを引っ張って、その顔を隠すように覆う。
フードの隙間から映る男の様子は、何かが明らかにおかしかった。
依然変わりなく低い声で呟くようにぶつぶつと歌い続けており、体の力の入り方が不自然で、体の節々が不安定に揺れている。
強い光が神殿から漏れて、その眼球に直撃しているのに、眩しがるような素振りを一切見せていない。
格好としてはただ、立っているだけなのに――レットはまるで何か別の生き物が男の中に入って動かしているような、奇妙な錯覚を覚えた。
「〔レット。落ち着け。……動くんじゃないぞ。――“絶対に動くなよ”〕」
異様な動きをした“何の変哲もない男”はレットにどんどん接近してくる。
レットの体に、自分を抑えてつけているクリアの体の震えが伝わってきた。
男性キャラクターは無表情のままレットの顔に吐息が掛かるほど接近して――
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
――よろめくように後ろを向いて、再び神殿の奥に歩いていく。
“何の変哲もない男”が方向転換をした瞬間。クリアはそのままレットを引き摺って、身振り手振りでタナカを誘導しつつ、神殿の壁の穴から外に出る。
そのまま乱暴にレットを引っ張って、全力で走った。
そして、神殿から離れたところで、クリアは周囲を何度も見回してからレットの拘束を解いてヘナヘナと情けなく地面に座り込んだ。
「……………………」
黙って天を見上げるだけのクリアに、ついにタナカが話しかけた。
「あの……申し訳ありませんが、クリアさん。――状況がいまいち理解できないのですが。これは一体どういうことなのでしょうか?」
「そうですよ! クリアさん。ちゃんと説明してください! 一体何が――」
そこで、お面を外したクリアの顔を見た途端にレットは絶句とした。
その表情はゲームの中とは思えないほど憔悴しきっしており、顔色は真っ青。
流れている汗の量は、“とある騎士”に対峙したときと比べ物にならないほどだった。
「危なかった」
先程の出来事思い返したのか、再び震え始めたクリアのその言葉を聞いても、レットは自分の身に何が起きていたのか未だに理解できていなかった。
タナカもレットと同じように動揺しているようだったが、クリアは二人の反応を全く気にしていないようで、肺の中の空気を全て出すように深く深く呟いた。
「――――――本当に、危なかった」
【この日レットが“来てしまった”、光の神殿跡というダンジョンの特徴】
ゲーム内の世界設定上、エールゲルムは“神々に見捨てられた土地”である為、このダンジョンの寂れ具合から、神に対する信奉がすでに形骸化しつつあることが伺える。
余談であるが、この神殿に関する盛衰の詳しい経緯や、現在の人々の信仰のあり方についてを説いたプリーストの“職業専用のクエスト”は無印の頃から割と人気。
しかし、おそらくレットがプリーストに転向することは今後ないと思われるので――ここで語られることはないだろう。
【考え始めた人々】
『我々はいつか不都合な真実を知ることになるだろう。しかし、その真実を目の当たりにしてもなおもこの世界に生きる人々は歩み続けなければならない』
その一文から始まる、ハイダニア王国建国より遥か昔の神々を信奉していた人々の子孫達のぶつかり合いを描いたクエスト。
『井戸端の小さな事件から世界の真実を覆すような危機が到来する――ように見えて、しかし結局は何も起こらない』という茶番劇。
しかし最後に、『ひょっとするとてつもない真実が隠されていたのではないだろうか……』というような含みのある終わり方をする。
アスフォーのシナリオライターは複数人おり、このクエストのシナリオライターはその中でも人気が高いらしい。
ちなみにこのクエストも進行上で光の神殿跡に行く必要がない。
「プリーストのクエスト、普通に面白かったわ~。ちなみにお前のウォーリアのクエストはどうだった?」
「岩と壁ぶん殴るだけぶん殴ってから『ウォーリアアアアアアアアアアアアアアア』って叫ばせるだけのお話だったよ……。死ぬほど恥ずかしい……このクエストのライターどうかしてるって……」




