第六話 いかがわしいこと
レットとタナカはビーチテーブルの周辺に配置されている椅子に座って、パラソルの下からのんびりと砂浜を見つめる。
レットの視線の先には、先程のエルフの美男美女カップルが相も変わらず寝そべっていた。
「もぉ~ドサクサに紛れて腰を触ろうとしないでよ~」
「いいじゃん、大丈夫大丈夫。――誰にも見られてないからさ」
そのやり取りを見つめてレットは深く、とても深く溜息をついた。
「………………はぁ。オレ、辛いな~。辛すぎて、感動の余り、なんか体中から涙が出てきたよォ……」
「レットさん。それはただ、このビーチが暑くて汗をかいているだけなのでは……」
全身から涙を流しつつ落ち込むレットに対して、手持ちの食事をあらかた平らげたケッコが質問を投げかける。
「少年はもしかして、あのカップルに嫉妬でもしているのかしら?」
「別に、嫉妬はしてませんよ。人を恨んでもどうにかなるもんでもないし……」
「あら、そう? 私は普段からああいう輩は爆発して欲しいって思っているけど。ま、仲良くなっても“いかがわしいこと“なんて、このゲーム内ではできないんだから、そこまで恨めしいわけじゃないけどね~」
「“いかがわしいこと”ってつまり――あ~。公序良俗違反で通報されちゃうかな?」
以前クリアに松明を突っ込まれたことを思い出して、具体的な言葉を発さないようにレットは言葉を濁した。
「フルダイブのアップデートに伴って実装されちゃうんじゃないかって割と噂されてたらしいわよ。ま、現実はあんな風にイチャつき止まりだったんだけど」
「ゲームの販売対象年齢的を考えれば、至極当然でしょうね。”そのような行為“が許される道理はありません」
「あ、あ~。うん。まあ――そうだよね。そんなことができるわけないんだよね! できるわけ……。うん……」
タナカの良識ある大人の発言に深く頷くレットであったが――
(オレはできてもいいと思うんだけどな~……。そういう世界が、あってもいいとおもうんだよな~……。ちょっとだけだけどさぁ……)
――内心は少しだけ、残念がっていた。
「ま、年齢制限をガッチガチにかけてそういうことをできるようにしたゲームはあったみたいだけど。このゲームは私達、フェアリーが存在する限り絶対できないわ! 世界の抑止力とはよく言ったものよね!」
そう言ってからケッコは胸を張った。
「な……成る程。その幼い外見で“そのようなこと”ができたら社会的にも公序良俗的にも大問題でしょうからね」
「私としてはむしろ精神的に成熟した大人のフェアリーと“そういうこと”をやりたいんだけどね~。そうなったら男キャラで一からこのゲームをやり直す自信があるわ! あ、馬とかモンスターが相手でも私は全然いいわよ!」
一般常識から逸脱したケッコの発言の意味を理解できなかったのか、パーティ会話でタナカがレットに対して質問をした。
[え……ええと、レットさん。ケッコさんは、一体何を仰っているのでしょうか?]
[ああ、うん……。この人はこういう危ない人なんだよタナカさん。アレな人なんだ。獣と幼女体系が大好きな人なんだ……]
レットの説明でタナカは何かを察したのか、自らを落ち着かせるように大きく深呼吸する。
[だ、大丈夫です。ケパトゥルス族を選んでゲームを始めた私の存在を認めてくださった方ですから。今度は、私自身がマイノリティーに対して寛容にならなければならないのは自明の理でしょう]
[いやいやいやいやいやいや。そんなに真剣に受け止めなくても大丈夫だとは思うけどさ……]
「ちょっと~二人でひそひそ話をしているのがバレバレよ? 弁解しておくけど私、厳密にはロリコンじゃないんだからね? あくまで、“現実に存在しないような女性に美を感じているだけ”だから!」
(……オレには、違いがよくわからないや)
「正直、オレにはよくわからないけど……。わざわざこんな場所で他のフェアリーの女キャラを見つめなくても。ケッコさん自身がフェアリーなんだから、自分の身体を見ていれば――それで満足できるものなんじゃないんですか?」
「それは確かに、一理あるわね! でも、なぜか私って自分のキャラクターのボディじゃ興奮しないのよね~何故かしら? ……精神が大人じゃなくて“子ども”だからかしら?」
そう言って、ケッコは自嘲気味に笑った。
「あ、そうだ少年。――試しに、ちょっとこっちを向いて貰って良い?」
そう言われて、レットは首を傾げながらケッコの方に向き直る。
突如ケッコが椅子の上に立って、その顔が隣に座っていたレットに急接近した。
(えっ!? 何!? 何をする――)
そこで唇と唇が触れ――ることなく静電気のようなエフェクトが発生してケッコの体が弾かれて、椅子から落ちそうになる。
「うおわッ!!」
一方のレットは、驚いてあっさりと椅子から転げ落ちた。
「――とね。“いかがわしいこと”以前に、こうやって無理矢理迫ろうとするのも場合によってはアウトなのよ。こんな風に触れる前に弾かれちゃうわけ。“局部同士”が直接接触するデリケートな行為はハラスメント以前に認められていないのよ。最低でも“仲良く”ならないとね」
「び……びっくりした。……というか、仲良くって――このゲーム、プレイヤー同士の好感度みたいな物でもあるんですか!?」
「好感度というか、隠れた厳しい条件があるみたいなのよ。フレンドになってずーっと近くに居ないと仲良くなれないみたい。ちなみにゲームを始めたばかりのプレイヤーだと、どんな相手にも絶対できないらしいわ。“VR世界におけるセクハラや売春対策”ってとこかしらね」
「成る程。悪用は厳禁ということですか。やはり男女の付き合いという物は清く正しくが一番――ということですね」
「私はそうは思わないけど……“仲の良い間柄”でも、ちょっとでも抵抗の意志があったら身体の拘束なんて無関係に即、監獄行き決定みたいよ。性的なハラスメントに関してはこのゲーム、とっても厳しいみたいね」
なるほど、よく考えられている物だ――と感心するレット。
「というかそのォ……“仲良くなったらイチャつくことはできる”って何ですぐ判明したんです? 隠されてる仕様なんですよね?」
「世の男性のエロパワーを舐めちゃいけないわ! エロパワーの前では隠された仕様など検証して即判明よ! 隠しきれるわけが無いのよそもそも! ゲームに限らずどんな分野も“エロパワーを原動にエロから始まる!” これは基本中の基本よね♪」
「な……成る程。そういうものですか。……ある意味で真理なのかもしれませんね」
「現実では性的なコンテンツに対する規制がどんどん強くなってきているわけだし、この仕様は抜け穴っていうか一種の必要悪なのかもしれないわ」
(必要悪――か。なんか、とんでもない使い方する人が出てきそうだけどなあ……)
「ううむ……確かに、性のエネルギーというものが過去の偉人達に宿っていたことは紛れも無い事実であるからして……」
ケッコの言葉に対して、タナカがぶつぶつと真剣そうな表情で考証を始める。
「た……タナカさん。そんなに真面目に考えなくてもいいと思うよ。“偉い人がエロい人”って考えはちょっと……安直過ぎる気が……」
「そうかしら? 実際にこのゲームでお互い好きでもないのにイチャつき続けた検証勢の彼らは私にとっては偉人みたいなものだから、あながち間違ったことは言ってないんじゃない?」
すまし顔で言い放たれたケッコのその言葉の内の“彼ら”という単語を聞いたて、レットの頬に冷たい汗が流れる。
「ケッコさん。それ…………実際に検証した人たちってもしかして――見知らぬ男同士だったりするんです?」
「全員リアル男って聞いたわよ。ま、いいんじゃない別に? “全員格別仲が良い関係じゃなかった”みたいだけど」
(ま……まじかよ…………)
ケッコの言い放った衝撃の事実が余程響いたのか、タナカが小刻みに震え始めた。
「……ううむ。ど……度し難い……これは度し難いです。私の全く知らない未知の世界が――こんなところにあったとは」
「そういえば、リュクスが言ってたわよ? “かの少年は女装が似合いそうだ”って。もしかして少年にもそういう才能とかあるんじゃない?」
「――勘弁してくださいよマジで!! オレ確かに特別な才能とか未知の世界に憧れてこのゲーム始めたけど、そういう系統の“世界”にはこれっぽっちも憧れてないですって! そんな才能も要らないですよ!!」
そこでレットとケッコのやり取りが聞こえたのか、エルフのカップルがレットを見つめてこちらに聞こえる声で話し始めた。
「ヤダー。あの人マジ業深ぁい~」
「僕らは普通でよかったね」
(うう……なんでいつも、この世界はオレにこんなに厳しいんだ……。一体、オレが何をしたっていうんだよォ……)
しかし――そこで突然。
エルフのカップルはレットの視界から“文字通り消滅した”。
「ふふん♪ 何時間も前からず〜っとイチャついてて何となくムカつい――もとい、不快だったから直接ハラスメントとして通報しておいてやったのよ。人目につくような場所でもダメゼッタイ! 少年に対してあんな物言いするなんて、通報して正解だったわホント!」
「あの程度のやり取りでも、人目につくとハラスメントになるんですね……」
「そ♪ あんな風に、被害を受けた本人が通報を受けるとゲーム内の景色を映像記録として抽出されて、事実の確認をゲームマスターが行った上で処罰が下されるわけ。ま、調査には時間がかかるし。ここの運営はお世辞にも優秀とはいえないから、あんな風に処罰が下るのは珍しいんだけど」
「“処罰”かぁ……お説教くらうとかです?」
「処罰の内容は日付単位のゲームログイン禁止とか、酷い場合はゲームプレイの永久停止もされるわ。基本的に通報者には情報が一切明かされないのが残念なとこよね~。ご飯が美味しくならないじゃない?」
「結構エゲツないですね。見せつけただけでゲームを遊べなくなるなんて、オレなら落ち込んじゃうかも……」
「大切なのは受けた側がどう思うかってとこなのよね。要するに遠目で見るだけならハラスメントにはならないってこと! 見なさい少年――このビーチを! 色とりどりの女神達の水着姿を!」
ケッコに言われてレットは海岸を見つめる。
その視線の先には海の中で水遊びをするグラマラスな女性プレイヤー達の姿。
それは確かに以前レットの望んでいた“未知の世界”の一つの完成系だった。
しかし――
「……いや、今は遠慮します。自分、今そんなこと割と……どうでもいいんで」
レットは素っ気無く返事を返した。
「あれれ? 少年に一体何があったのかしら!? クリアさんにはチームチャットで“煩悩の塊”って言われていたはずなんだけど……」
(なんてことを言ってくれてるんだよあの人はもう……)
「――おかしいわね? あそこで水遊びをしている大人のフェアリー達を見て何とも思わないなんて!」
「天使達ってそっちかよ! 思わねーよ!!」
そのやり取りを聞いてから、タナカが心配そうにレットの方に向き直った。
「レットさん……その……人の趣味嗜好は尊重されるべきだと思いますが、レットさんはまだお若いですし――」
「誤解しないでよタナカさん! オレ、そんな変な性癖ないって!」
「あらそう? さっきから少年。私の水着をチラチラ見てない? それにさっき私が迫った時に、ハラスメントウィンドウを出す素振りすら見せなかったじゃない?」
「ウグッ……そんな馬鹿な……オレってもしかして、どっかおかしいのか……」
「ケッコさん……その……。やめてあげてください。――そういった追究の仕方はその……レットさんの今後の長い人生の中で、悪影響ではないかと……」
本気で悩み始めるレットの身を案じてか、ケッコをタナカが制する。
「ウフフ。ごめんなさいね~。青少年の性癖を歪ませるの、結構好きなのよ私。ま、リュクスと違って“そっちの気”は全く無いから心配しないで頂戴な♪」
そのケッコの業の深い言葉を聞いて、レットは心底震えた。
(やっぱりヤバい人だよこの人――。オレ、本当にこの人をハラスメントで通報しちゃおうかな……)
「――それでもやっぱり少年、前会ったときと比べると少し雰囲気変わったわよね? せっかくビーチに来たんだから、もうちょっとはしゃいでいても良いのに。全体的に落ち着いているというかダウナーというか……大丈夫? 前は『この世界の宿命を背負う男だ』って言ってたじゃない。クリアさんから聞いたわよ? 『物語の主人公みたいな英雄』に憧れているんでしょ?」
「あ…………いえ。ちょっと、今はあんまりそういう気分になれないというか――」
レットは少しだけ息苦しそうに首元のスカーフを弄る。
「そのぅ。今色々あってちょっと“折れかかっている”っていうか。そういうものを目指して良いのか――夢を見て良いのか……ちょっと迷っているんです」
その返答を受けて、ケッコは驚いたかのような表情でレットを見つめた。
「少年って、意外なところで冷静なのね。子どもの頃くらい好きなものに熱中したり、夢を追いかけても良いと思うけど?」
「でも、かなりぶっちゃけると。普通じゃないっていうか……馬鹿げてるっていうか……」
「そういう常識的なバランス感覚があるなら、それこそハメを外してなんぼよ。……正直、少年くらいの年齢で憧れを抱けるだけ幸せだと思うけどね」
その呟いたタイミングで――ケッコが寝そべっている白いビーチチェアの背もたれに、南国を思わせるような鮮やかな青色の小鳥が降り立った。
「私みたいに草臥れた人生送らないようにね。大人になってから憧れたって、失った時間は戻ってこないんだから。気がついた時にはもうやり直しが効かなくて――後悔するわよ?」
倦怠感を思わせるような表情で、ケッコが目線だけを動かして小鳥に視線を合わせる。
「ケッコさんはまだお若いのではないですか? そのご年齢であまり悲観的になるのも、考えものかと。人生というものは幾つになっても自分の見方、捉え方次第でいくらでも有り様を変えるものです」
「……私には、そうは思えないな」
そう言ってケッコは飛んできた艶やかな青色の燕にそっと手を伸ばす。
しかし、燕は飛び去っていってしまった。
「っと、私の話はどうでも良くて。少年の話に戻すけど――若い時にしか目指せない夢はあると思うし。張れる虚勢があると私は思うわ。はっきり言って、こっそり目指すならまだしも。いい年した大人にになって『俺はこの世界の主人公だ!』『ヒーローなのだ!』なんて堂々と主張していたら、それはもう完全な異常者。まともな思考回路の人間じゃないわよ?」
「そう――かもですね」
レットはそう言って、気まずそうにケッコから目線を逸らした。
【憤怒のポイズンハート】
紫色の球体型亡霊モンスター。ビーチで一人命を絶った男の無念が具現化した――というゲーム内設定がある。
夜間のビーチに登場し、イチャついているプレイヤーに率先して飛びかかり自爆する危険な存在。
逆にフレンドリストが0のソロプレイヤーに対しては追従し戦闘の補助をしてくれるという独特の特性を持つモンスター。
プライベートな時間は愚か、睡眠時間を削り続けている一部のゲーム開発者達の怨念が具現化したかのようだといわれている。
外部掲示板では男性専用の【ポイズンハートスレ】が立っているらしく、珍しくまったりと(陰鬱だが)和気藹々な雰囲気。
彼女ができた同志が現れた場合、「祝ってやる」と皆で送り出す――らしい。
「独り身の、恨み晴らさで、おくべきか」
【ウォーターメロン・ブレイクチャレンジ】
スイカ割りコンテンツの正式名称。
以前はこのコンテンツ中のみ周囲のプレイヤー“パッシブ設定が切れる”という仕様上の不具合があったため、棒術の武器スキルを徹底的に鍛えて、寝そべっているカップルに意図的に振り下ろすという凶行に走るPKプレイヤーがいた。
この不具合に対する修正は、何故か遅れたらしい。
「どうせお前らが普段手にしているのは、別のメロンなんだろ!? ――許せないッ!! その欲望ごと精神統一して打ち砕いてやるぜ! 煩悩退散ンンンンンンッ!!」
「よ~しいいぞ。もう少し右だ! そこだ――――――振り下ろせアアアアッ!!!」




