第四話 猫と魚
かくして、レットは巨大型魚人ネームドモンスター【絶海のユングフラウLv90】を釣り上げてしまった。
(やべえ……オレまたとんでもないことしちまった……!)
レットは尻餅をつきながら、自分の“やらかした行為”に対して焦りを感じた。
魚人は凄まじい勢いで船を揺らし、船上に海水が流れ込んでくる。
バーベキューキットはそのままに、甲板上のプレイヤー達は、迫り来る大量の海水に流され海に落下しそうになっていた。
魚人は再び咆哮し、その巨大な顔をレットに近づけてきた。
魚特有の生臭さがレットの鼻をつき、再び滴り落ちる唾液がレットの装備品を汚す。
レットは恐怖に動けなくなり、生唾を飲み込む。
しかし、その魚人の視線はレットの背後でぼけ~っと腕を組んだままのネコニャンに釘付けであった。
魚人が再び吠える。
の張った拳を握りしめてネコニャンを粉砕しようと振り下ろした。
「ネコニャンさん!」
レットは振り返り思わず叫ぶ。
当のネコニャンは迫り来る拳を前に――
「しょうがないですにゃ……」
――動揺せずに、気怠そうな声で呟いた。
それから先はほんの一瞬の出来事だった。
くるりとステップを踏むように回転したネコニャンの背中から、いきなり装備品が四方八方に飛び出す。
中空に飛び出した灰色の装備品の数々は、浮遊したまま吸い寄せられるようにネコニャンの体に装着される。
そして、いかにも魔導書というような分厚い革製の本と、金属でできた杖が飛び出してその左右の手に収まった。
最後に魔道書が広がり変形して盾となり――回転による魔法の“動作詠唱”が完了して魔法が付与され――魚人の拳の叩きつけを間一髪の所で防いで止める。
ネコニャンの頭には角度のきつい光沢のある壮麗な革製の帽子。
装備品全体のカラーリングは灰色で、肩から広がるマントは、魔法使いがつける布製のローブのよう。
しかし、騎士が装備するような鉄製のプロテクターが装備品の要所要所に付与されており、まるで騙し絵のように魔法使いと騎士のどちらにも見えるような中庸な見た目をしていた。
(あ、あの職業は――)
黒でも無く、白でも無い職業――魔法剣士。
単純な回復力や魔法の火力、武器を使っての攻撃力とステータスは他の職業に必ず劣っている反面、武器に魔法を付与する強化魔法や、キャラクターの動作を加速させたりといった補助魔法に優れている。
武器を変形させるモードチェンジで、“補助と強化主体の近距離戦”と“魔法火力と回復支援の遠距離戦”の両方に対応できる器用万能職である。
踊るように回りながら甲板の中央に後退を続けるネコニャン。
一度回って、その行動速度が速くなる。
さらにもう一度回ってその装備品に魔法のオーラがかかる。
最後の回転で持っていた金属製の杖が激しい音と共に変形して鋭い片手剣となり――同時に雷を帯びた。
ネコニャンは左右に繰り出される魚人の攻撃をいくつかは受け止め、いくつかは受け流す。
魚人の左側に体の軸を移して今度は攻撃の勢いを受け流しながら定期的に逆回転しつつ前進。
その巨体に接近して、船の縁を足場にして軽く飛び上がってその二の腕の腱を切り裂いた。
「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
甲板でバーベキューをしていた外国人プレイヤー達の、歓声の声と魚人の叫び声が重なる。
「ふっふ~ん! 今の環境の、魔法剣士をなめてはいけませんにゃ!」
ネコニャンは、甲板の上に投げ出された魚人の腕に近寄って――雷を纏った片手剣の連撃を、なるでネコのひっかきのように叩き込む。
普段のだらしないイメージから想像できないような無駄の無い洗練された華麗な動きに、レットは動揺しつつも感動した。
(すげえ……。舞みたいな動きが格好いい! 格好いいけど――)
「ヘッ! ヘッ! ポェエ! ポェエ! ――ふにゃ~い! ――ふにゃ~~い! ――んで、ふにゃ~~~い!!」
(――戦闘のかけ声が、さっきから“死ぬほど格好悪い”……)
ネコニャンが一定のダメージを与えると、魚人が再び咆哮してその肌色が突如真っ赤に変色する。
その頭を甲板に何度も何度も叩きつけることで大きな衝撃波が起きて――レットの体が浮き上がり海に放り出されそうになる。
(まずい……落ち――)
しかしぎりぎりのところで、船の縁から緑色の手が伸びてレットの右手を力強く掴んだ。
「レットさん! 大丈夫ですか?」
「た……タナカさん……助かったよホント……」
間一髪のところでタナカに引っ張りあげられてレットは船上に復帰する。
甲板では凶暴化した魚人とネコニャンの熾烈な戦いが続いていた。
[ネコニャンさん!]
会話モード“party”で戦闘中のネコニャンに語りかけるレット。
多少距離が離れていたり戦闘不能になっていたとしても、パーティメンバー同士ならいつでも意思疎通ができる会話モードである。
[自分の心配は要らんですにゃ! ダメージ受けてパワーアップしてるけど、高レベルのプレイヤーが二人もいれば充分倒せますにゃ! ――クリアさん!]
待っていましたとばかりに、クリアが甲板に降りてくる。
[任せて下さいよ~!! ……レットとタナカさんは、甲板にいるプレイヤーをそれとな~く船の中に避難させてくれ!]
「――了解しました。レットさん!」
「はははははい!」
タナカとレットはネコニャンに借りていた釣り道具を急いでインベントリーにしまって、二手に別れて他のプレイヤーに呼びかけようとする――が、魚人の肌色が変化したことで、その危険性が明らかになったのか、甲板上にいたはずのプレイヤーは既に避難を始めていた。
残っていた外国人プレイヤーも、そそくさと木製の扉から船内に逃げていく。
[レットさん。そちら側に他のプレイヤーさんはもういらっしゃいませんか?]
[大丈夫だよ! オレ達もさっさと船の中に逃げちゃおう!]
周辺のプレイヤーがいないことを確認して再度合流。
船内に転がり込むように飛び込むレットとタナカとクリア。
殿のクリアは、扉の横についていた閂を締めた。
(ん? ――――――――――――――――あれ?)
戦いの余波の衝撃で木製の扉が揺れる。
今まさに扉の反対側で、ネコニャンが戦っているようだった。
[クリアさんはどこいったんですかにゃ!? 流石にそろそろきついですにゃ! 魔剣だけじゃ火力が足りんですにゃ!]
[俺は船内にいますんで、後は頑張って下さい!]
[いや、助けて下さいにゃ!!!! 一人にしないでくださいにゃあ゛!! 扉を開けて戻ってきてくださいにゃ――――――はよ開けえや!]
パーティ会話でついにその猫語を崩して“素”を出すネコニャン。
レットの耳に、木製の扉を爪でガリガリとひっかく音が聞こえてくる。
「ク……クリアさん! ネコニャンさんが頑張ってるんだから戻って助けてあげないとォ――というか、なんで戦うはずのアンタまで、自然な流れで船の中に入ってきてんだよ!」
「いやあ、自信が無くてさ! それに、この閂は強力なモンスターや海賊登場時限定の緊急措置みたいなものだから……再度開けるには、時間がかかるんだよなぁ~……。ネコニャンさんの地元の方言で言うならば――“開かんのアカン”って感じだな!」
そう言ってから口笛を吹き始めるクリア。
「――――やっぱ、最ィ悪だこの人ォ!!」
「み゛ゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
パーティ会話ではない渾身の叫びが鳴り響く。
扉の反対側で、何かがドタンバタンと跳ね回るような音が聞こえてきた。
「ネコニャンさん……あなたのことは忘れません! いつまでも――いつまでも――!! ウワアアアアアアアアアアア~~~!」
そう言って、わざとらしく扉の前で蹲るクリア。
「Oh……Jesus……」
「She was sacrificed……」
状況を完全に誤解して、クリアに同情する素振りを見せる外国人プレイヤー達。
「こ……こんなことがあって良いのでしょうか?」
(――――――――――なんだこの状況)
困惑するタナカ、そして呆れ返るレット。
パーティメンバーリストの“NekonyannyanのHPゲージ”が0になってから、扉の反対側が急に静かになった。
[ひどいですにゃ……。折角良いところを見せようと頑張ったのにあんまりですにゃ……]
パーティのネコニャンの声を無視して、服の埃を払いながらクリアは立ち上がった。
「さて、事態は捏ね繰り回した練り餌のごとく丸く収まったし。他のプレイヤー達に倣って船の中でのんびり時間でも潰そう。あのモンスターに対して他に誰も敵対行動をしていないなら、外に出ない限りもう安全だろうし」
「あの、クリアさん。私――」
何かを言おうとしたタナカを遮って、レットがクリアを追究する。
「ネコニャンさんはどうするんですかこれェ!? こんなことになったのクリアさんから貰った餌のせいですよ間違いなく!」
[あんまりですにゃ……。“猫が魚に食われる”なんて最悪ですにゃ……。海水が頬を濡らしますにゃ……。酔いも完全に醒めましたにゃ……。無視しないで下さいにゃ……]
「あの。私――」
「大丈夫さ。船が到着したら死体のまま降ろされるから。餌に関しては――海で釣れるモンスターのことをマジですっかり忘れていた……わざとやったわけじゃないから素直に謝るよ」
「わざとやったら謝らねえのかよ!! そもそもオレらは追われている身で――」
「すみませんお二人とも! 私、先程レットさんを守るために、ネコニャンさんが戦闘を始める直前に、あのモンスターに対して敵対行動を仕掛けてしまったのですが……」
タナカの意を決した発言に、ピタリと言い争いをやめて互いの顔を見つめるレットとクリア。
「……………………あの、これってつまり、クリアさん?」
「ごめん! ――――――こりゃあもう、全滅だな!」
冷や汗かきながらのクリアの開き直りに対して、レットが何か言おうとする前に――木製の扉が関ごと弾け飛んで、大量の海水が船内に流れ込んできた。
【絶海のユングフラウ】
定期便上で釣り上げることのできるネームドモンスター。
モンスターを釣る為に“魚が釣れないような餌を投げ続ければ”大体4~5回の航海の内に一度は釣れる。
ダメージを受ければ受けるほど攻撃速度が上がるため、どんな職業でも一人で倒すのは難しい。
釣りたくなくても釣れるときは釣れてしまう為、釣り上げたプレイヤーがいたらさっさと逃げるのが吉であるとされている。
ただし、何らかの敵対行動をした状態で逃げると、船内に回避不能の全体範囲攻撃を仕掛けてくる。
こうなると高レベルで回復手段持ちのプレイヤー以外は耐えることができないので、ターゲットになった人間は甲板の上で戦闘をするか、いっそ死んだ方がマシだったりする。
倒すと手に入るレアアイテムは性能がいまいちな上にオークションハウスで上位互換の装備を購入できてしまうので現在の環境ではプレイヤーにとって存在意義が無いとされている。
【魔法剣士の憂鬱】
近距離での魔法の詠唱時間は短い為、殴り殴られ移動しながらの魔法詠唱も可能。
その反面、魔法の効果の持続時間自体も短いため細かな魔法の掛け直しを“武器を振り回したり攻撃を防御したことで発生する残心”でテンポ良く行う必要が出てくる魔法剣士。
自己完結力が高く、対人戦では“理論上最強職業”と言われることもある――が、プレイヤーのゲームセンスに著しく依存し性能を発揮するためにありとあらゆる修練を必要としており、とにかく敷居が高いと――プレイヤーには評されている。
そして、以前クリアがレットに零したとおり、“器用万能”であるが故に、頻繁に運営の調整対象となるため下り調子と上がり調子が激しく『開発者のコンセプトがブレブレであり、環境しだいで盾をやらされたり回復をやらされたり補助をまかされたり、ひどいと出番が何もない。遊んでいてイライラする』というプレイヤーの意見が取り沙汰されることもあるようだ。
【神代の牛皮書】
魔法剣士用の魔道書兼、“変形盾”。
以前の性能は、この盾で受けとめたダメージの20%を反撃。
所持時では受けたダメージの5%を反撃という性能であったが、“ぶっ壊れた性能”という評価が下った結果、開発者にナーフ(弱く調整)されてしまったという経緯がある。
所得難易度は長時間のパーティプレイを求められる上にドロップ率も低いため、それなりに高いようだ。
「当時は、『神代の牛皮書無い奴はパーティ来んな』って言われてたよ」
【閂】
締めると船内に繋がる唯一の扉を閉鎖できる。
しかしモンスターだろうがNPC海賊だろうが、ターゲット対象になっているプレイヤーが船内にいる場合ほとんど意味を成さない。
船上のプレイヤーを地獄に締め出す目的で使われるのがほとんどだったりする。
ちなみに、手で動かさずに外側から締めることができるため調べ方を間違えると自分で自分を締め出すことになる。
「外から閉めてしまった!!!! 助けてくれェーーッ!!」
「いやいやいやいや、自業自得だろ……」




