第二話 “航海”の時間
レットは船倉の扉を開けて、長い階段を上って甲板に上がっていく。
天井からは甲板に居るであろう他のプレイヤー達の声が聞こえてくる。
階段を上がる途中、木製の内壁の様々な場所に奇妙なゼンマイ仕掛けのギミックが設置されていることに気づいた。
それは航海の開始と共に流れ始めた穏やかなBGMにあわせて、テンポ良く機械音とスチームを吐き出している。
(なんか、こういうのいいな。薄暗い照明がいい味出してるし、ここでぼーっとしているだけでも、割と楽しいかも)
「――外から見たらただの大きな船ですが、内側は凄いことになっていたのですね。ここに来て、急に技術力が上がったような気がします」
不意に話し掛けられて、レットは背後を見遣る。
階段を上って来ていたのはタナカだった。
「技術力かぁ。うーん……これ、設定だとどこの国の技術なんだろう? それよかタナカさん。ネコニャンさんはもう大丈夫なんです?」
「はい。お水を飲まれるということで一旦ログアウトされるそうです。そこまで自己判断できるようなら、介抱は要らないかと思われますので」
(タナカさんは大人だなあ。オレは酔ったことなんて無いから、助かったよ……)
「それと、レットさん。私に対して、敬語は要りません。同じ初心者同士なので、話しやすいように話してくださって結構です」
「あ、うん。わかった。じゃあタナカさんも、もっと気楽に話してよ」
「いえ、私はこの話し方が一番気楽です。敬語が、すっかり板についてしまっていますので……」
(いいのかな……タナカさん――オレの何倍も年上っぽいのに……)
そこで、レットは足を止めて階段の脇に伸びる廊下を見つめる。
脇道には移動するプレイヤー達の為に用意された物なのか、客室のドアが並んでいた。
レット達が乗っている船はNPCが操作している大陸間の定期便。
船の規模は中型で資材の輸出入も兼ねており(出発前にレット達が居た場所が貨物スペース)、輸出入用の一般的な貨物船よりは立派な物である。
「タナカさんはこれからどうするの? 客室はまだ埋まっていないみたいだけどォ……」
客室所得のフラグ管理や鍵を初めとしたアイテムの管理が面倒だからか、旅客船の客室の占有は、船が出発してから早い者勝ち。
割とずさんな作りとなっており、レットはその仕様をクリアから聞かされて唖然としてしまったことを思い出し苦笑する。
「航海は一時間から二時間程かかるようですが、私は甲板でのんびりしたいと思っています。現実では無いにせよ。船に乗るのは――久しぶりなので。む――おっと!」
そこで僅かに船が揺れる。
興味津々で船内を見つめるレットの横で、タナカが姿勢を崩した。
「気をつけたほうがいいよタナカさん。階段からこけたりして、ダメージ受けたらかっこ悪いし……」
(あ、でもここは街中と同じように強制パッシブのエリアなのかな。流石に)
「これは――失礼しました。レットさんはどうなさるんです? 乗るだけ乗ってログアウトされるプレイヤーの方も、割といらっしゃるみたいですが……」
「いやいやいやぁ~。もちろん船を探検するつもりだよ! オレ、修学旅行とかだと観光より“行き帰りに乗るバスの方が好きなタイプ”なんで!」
「これはなかなか――フフッ。面白い例えですね」
二人は、話を続けながら階段を上がり甲板に繋がる木製の扉を開ける。
晴天から降り注ぐ太陽の光は眩しく、レットの顔に潮風が強く当たった。
(うひょ~! すっげェ! 全方位ほぼ真っ青だ!)
視界一面に、現実では(少なくとも、レットの住んでいる近辺では)そうそう見れないような種類の青さの海が広がっている。
地平線の彼方には、大陸が小さく見えていた。
「ふーむ……これは――中々に壮大な景色ですね。驚きました。このような景色を見るのは久しぶりです」
「おお~! おおお~! おほおぉおぉおおお~~~!」
タナカの感嘆を他所に、甲板の上に出て首を円状に“ぐわんぐわんと回して”空と海の青を堪能しようとするレット。
真上に見せる船の帆を視界に捉えてその首の動きがぴたりと止まる。
「あれ? この船……帆が畳んであるのに、前に進めるのか……」
「――古代の技術によって、魔法で進めるようになっているワケだな!」
「うお!」
レットが再び振り向くと、先程開けた扉の真横にクリアが寄り掛かっていた。
どうやら、扉を開けるときにレット達の視界の死角になっていたようである。
「ビックリしましたよォ。クリアさん。甲板で昼寝するんじゃなかったんですか?」
「いや――それが寝れなくてな。徹夜明けでいざ寝ようとすると、中々眠れないものだろ?」
「クリアさんの仰る話、よくわかります。徹夜をすると、徹夜前に採ったカフェインがいつまでも抜けなくて、寝たくても眠れないアレ……ですよね?」
「そう――まさにそれ! 流石タナカさん。話がわかる!」
頷くクリアに、首をかしげるレット。
「そうですかぁ? オレは徹夜しようとしても、眠くなったらいつでもどこでも寝れちゃうけどなあ……」
「これだから全く、若さってのはいいよなあ……。というか、レットも徹夜とかしてるのか? もしかして――昨日は眠れなかったか?」
「あ、いやそういうわけではなく! いつもきっちり寝てますよオレは! 常に元気ビンビンですって!」
「あ……ああ。それなら、いいんだが……」
クリアが怪しむかのように眉をひそめる。
徹夜の習慣を誤魔化したレットは少しばかり動揺した。
(――ま、昨日はぐっすりとはいかなかったけどさ……)
「レット。お前も寝たけりゃ寝ればいい。無印の頃から、このゲームの睡眠は現実で寝ているのと扱いが大差ないからな。この船は風で走るわけじゃ無いから“揺れもほとんどない”し」
「先程仰っていた“古代の技術を使って、魔法で動くようになっている船”というわけですね?」
タナカの質問に対して、クリアが自分自身の記憶を思い返すように額に指を当てた。
「確か――世界設定では、古代の技術の暴走によって猛毒がばら撒かれて、かつてこの世界の支配者だった古代人たちは滅んだんだったっけか? その毒が残留しているから、冒険者が立ち入りできない設定のフィールドがあったりするんだと」
「成る程。興味深い設定ですね」
「ま、開発者の都合的に言えば、単にフィールドのデータがゲームに未実装なのをそれっぽく理由付けしただけなんだろうけど。全く――原発の事故で住めなくなった村じゃあるまいし」
「オレは結構好きですけどね。そういう設定、ワクワクするし!」
目を輝かせるレットに対して、クリアは気怠そうに欠伸をした。
「――どうだかな。魔法は言わずもがな。“古代技術”っていうのはゲームの作り手にとって便利な概念なんだよ。とりあえず存在を臭わせておけば、多少時代にそぐわないようなモノでも簡単にオーパーツとして登場させられるからな。いい加減なモンだよ、全く」
(言われてみれば確かにそういうものなのかもしれないけど、相変わらず……身も蓋もないことを言うなこの人は…………)
「船に乗ると、長時間拘束されるのは個人的にはしんどいんだよな。俺はもっと、自由に動き回っていたい。アスフォーは今時の時流に合っていないゲームだよ。最近のVRゲームなんて乗り物の移動はムービーで済ませるのが基本だってのに」
「ええ~。それ……冒険してる感じがしなくないですか~?」
レットのツッコミに――
「そうだな。だから――俺は、無駄が多くて不便なこのゲームが……別に嫌いなわけじゃないんだぜ?」
――そう応えると、ニヤリとクリアは笑った。
そのままレットの前を通り過ぎて、甲板の縁に向かってゆったりと歩き始めた――
「はい~~~~~~~~っす! 準備完了ですにゃ!」
――直後、木製の扉が再び、今度は勢い良く開いてクリアの顔面に激突し、とても鈍い音が周囲に響き渡る。
パッシブエリアな為、ダメージは0だったが――文字通り“出鼻を挫かれた”クリアがフラフラと扉の影から這い出て来た。
「あの……ネコニャンさん? 騒いでもいいけど、もう少し静かにしてほしいです……。ちょっと今、色々ワケありなんですよ俺達……」
「『クリアさんがワケありなのはいつものこと』じゃないですかにゃ! はいほらほらはい! 船釣りしましょうにゃ! 他の人の分の道具も完璧ですからぁ~! 誰か釣りましょうにゃ~釣りぃ! うえへへ~」
元気よく前傾姿勢でベタベタと歩きまわりながら、釣りを補助する為の装備を身につけて、腕を(上がりきっていなかったが)ぶんぶんぶんぶんと振り回すネコニャン。
「〔レットさん。この方はまだ酔いが抜けきっていらっしゃらないようなので、私がお相手いたします。お二方は……目立つと不味いようですので……〕」
「〔あ……タナカさん本当にごめん。……後は任せるよ……〕」
レットはそう囁いて、一人で騒ぐネコニャンを後にした。
甲板を見回して、レットはネコニャンのテンションが高かった理由を即座に理解した。
(なるほど。甲板には釣具屋の出店があったのか……道理でネコニャンさんが張り切るわけだ)
「うえへへへへ。“船釣りは釣り師の基本”ですにゃ!」
ネコニャンがそう言うだけのことはあってか、甲板の縁には釣り糸を垂らしているプレイヤーが散見された。
レットは船の縁の、人気の無い場所に移動する。
それから、後方の景色を見つめた。
(ここから……“まだ”見えるのかな?)
景色に映るアロウルの港町とオーメルドの丘陵は、既に見えなくなる寸前まで小さくなっている。
(…………………………)
「――あの大陸は、もう偽物さ」
黄昏れていたレットが顔を上げる。
気がつけば、再びクリアがレットの背後に立っていた。
「クリアさん……それ、どういう意味です?」
「あそこに見えているオーメルドと実際のオーメルドは別物なのさ。距離が開けると本物の土地は“勝手に非表示にされる”んだ。同時に負荷の掛からないハリボテみたいなグラフィックと差し替わる。同じように、近づけばハリボテが本物の地形に差し替わるわけだ。遠い景色の全てをプレイヤー全員が完全に認識できてしまうと、ゲーム全体の処理に負荷がかかるからなんだろうな」
「…………オレには全然そうは見えないです。さっきからちまちま見ているけど、この前までオレがいたオーメルドと同じように見える……」
船の縁に頬杖をついて、尚も消えゆく大陸を見つめ続けるレットの頭を――クリアが乱暴に撫でつけた。
「うわっちょ! 何するんですかクリアさん!」
「だぁ……もう! 振り返って深刻に見つめてま~た落ち込まなくたっていいんだよ! ……要はだ――もっともっと気を抜けって。ゲームなんだからさ」
「…………」
「お前は、“お前ができる以上の精一杯”をやったさ……………………。だから、こんな隅っこでウジウジしてないで、前を向いてこれからの新天地での楽しい冒険に想いを馳せようぜ!」
そう言ってからクリアが船の進行方向に向き直って、遥か彼方の地平線を勢いよく指差す。
「それこそネコニャンさんが落ち着いたら、一緒に釣りでもしてみたらどうだ?」
「でもオレ、追われている身ですし……」
「大陸を動けば、配られる新聞も違うしコミュニティサイトの記事もすぐに更新されるだろうから、ここまで来れば警戒を緩めても良い。この船に尾行しているような人間も乗っていなかったし、動き回ったり普通に会話してももう大丈夫さ」
『あそこまで堂々と馬鹿騒ぎしなければな』――と、船の縁沿いに釣り場所を決めようとだらだら動き回るネコニャンを見つめながら、クリアは苦笑する。
「あの……クリアさんは、尾行されてるかどうかもわかるんです?」
「わかるさ。要は慣れだ。慣れ慣れ! それに、とても都合の良いことが起きた。昨日、外部の匿名掲示板を覗いてみたんだけど、レットのそっくりさんがフォルゲンスに“結構いた”とかで今はそっちが襲われているらしいぜ?」
「ええ? オレの偽物ですかぁ!?」
いくら有名になったとはいえ、いきなり偽物が現れたというのはどういうことなのか?
自分に何かリスペクトされるような要素も無いだろうし――と思案するレット。
「いや……偽物というか……。うーん……おそらく“本物のダークレッドさん達”なんじゃないかな……。例の記事、カタナカ表記で名前を出して貰ったから勘違いされてるのかも知れない。お前の名前が、意外なところで役に立ったな」
「そりゃあまあ、ダークレッドは人気で有名ですからね。そっか……沢山いたのか……そりゃそうか」
「レットにとって嬉しくないだろうけど――大量の“偽物の本物”がいるんだから都合が良いんじゃないか? まあ、偽物が多いってことは話題が完全に沈静化するまでの時間もかかるから一概に良いとは言えないかもしれないがな!」
「うーん。名前的にオレが偽物で、そっちの方が本物なんですかね? ――なんかもうよくわからなくなってきましたよオレ……。そういえば、クリアさんのチームのメンバーはあの事件のことは知っているんです?」
「知らないんじゃないか? チームの拠点がそもそもフォルゲンスじゃないし、コミュニティサイトのニュース欄に載ったとはいえ、詳細を読まなければバレないだろう。もし知っている人間が居たとしても悪戯に吹聴してお前を晒し上げるようなタイプの悪人はいないから心配するな。そんなに皆、暇じゃない」
(つまり、“他のタイプの悪人”はいるんだな……)
しかし、木を隠すなら森の中。
お尋ね者になってしまっている以上、(おそらくロクデモないであろう)クリアのチームに加入することは今の自分にとっては逆に都合が良いのかもしれない――とレットは前向きに考えることにした。
「それで――今は、“どんな感じ”なんだ?」
クリアの質問に要領を得られずにレットは訝しげな表情をする。
「“どんな感じ”って言うと……」
「お前の英雄への憧れさ。あんな事件があった後だ。今のお前に、どのくらいのモチベーションがあるのか気になってな」
レットはしばらく黙って景色を見つめた後、クリアの質問に答えた。
「――正直、“すごく迷ってます”。あんな風に、現実を突きつけられちゃうと。やっぱりこの世界の中でヒーローを目指すのって不可能なんじゃないかって……」
「……そっか」
そう呟いて、クリアはレットの横に立って同じように景色を見つめた。
「ま、お前がどんな理由でこのゲームを遊ぶにせよ。今後、PKと戦う機会があるかもしれないし。最低限、自分の身くらいは守れるようにしないとな」
そしてそのタイミングで、ネコニャンとタナカがすんなりと戻ってきた。
どうやら、釣り場を探していたはずが、そのまま甲板を一週してきてしまったらしい。
「どっこもライバルの釣り人ばっかりですにゃ~~……。ここなら日陰になって太陽が当たらないから、気分的に落ち着きますし。ここで釣りさせていただきますにゃ」
そう言ってからガニ股で中腰になって釣りの準備を始めるネコニャン。
「ネコニャンさん……そのォ。できれば騒がないで貰えると助かるんですけど……」
そう言って、レットはネコニャンを不安そうに見つめる。
「大丈夫みたいだぜレット。ネコニャンさん。いつの間にか“おねむモード”だなこれ。酔うと最終的に少し眠くなって落ち着くんだよ」
「はい。もう大分落ち着きましたにゃ……割とおねむですにゃ」
「〔近くで様子を見ていた私としても、もう心配は要らないかと思われます。大分、状態が安定してきたようなので〕」
「〔あ……うん。ありがとうタナカさん〕」
(何故か知らないけど、タナカさんは酔った人の介抱に慣れてるな……)
「それでも釣りはする……しますにゃ……。ほい、これタナカさんの釣り竿ですにゃ。餌はつけてあるから楽しんでいってくださいにゃ……」
「はい。ご教授、お願いいたします」
「タナカさん。背負っている小盾、インベントリーに仕舞った方がいいかもしれんですにゃ。邪魔になりますからにゃ」
「わ――――――――わかりました」
タナカが装備していた小盾を丁寧にインベントリーにしまって、両手で釣り竿を受け取ると同時に――
「うぃ~。にゃ~にゃ。にゃ~にゃ~音なし、金なし、ビンボ暇無し~~…………」
――ネコニャンがタナカの体に何らかの魔法を唱える。
右足を前に上げて左手を頭上に動物の耳のように沿えて、入れ替わるように左足を上げて右手を沿えて、最後に両手をキョンシーのように前に出してその場で跳ねる――という実に意味不明なポーズであった。
(オレの好きな物語の中で、一度も見たことがないようなレベルの“史上最低の魔法詠唱”だ……)
「あ……あのォ。ネコニャンさん。タナカさんに何をやってるんすか?」
「聴覚隠密の魔法を使ったんですにゃ。これなら聴覚感知のモンスターを釣ってしまっても襲ってこなくなるんですにゃ……。釣りで釣れる生き物は全部聴覚感知ですからにゃあ」
(釣りでモンスターも釣れるのかよ……)
「なるほど。ネコニャンさんの仰られる通り、本当に私の体から音が鳴らなくなったみたいです。会話はできるみたいですが……」
そう言ってから釣り竿を軽く振って糸を垂らし始めるタナカの一連の動作には、全く音が発生していなかった。
「あ~と、クリアさ~ん。自分もパーティに入れてくださいにゃ。タナカさんにモンスターが釣れたら、自分が倒しますですにゃ」
「何言ってるんですかね。パーティ会話が酒臭くなるから嫌ですよ」
(思い切ったことを言いやがるよこの人は全く……)
「なるわけないですにゃ! レットさんも釣りどうですかにゃ? 初心者用の釣り竿くらい貸しますにゃ。“プレゼントした釣り竿を分解するような人”以外なら誰でもオーケーですにゃ!」
「へえぇ~。そんな血も涙も無いことをやる人なんているんですねー」
――と、パーティにネコニャンを迎え入れながらクリアが呟く。
「(アンタだろそれ……)あの、そいえばネコニャンさん。オレェ、ちょっと釣りが怖くて。これ、海に飲み込まれたりしないんです?」
「竿を間違えないなら絶対安全ですにゃ。ま、以前はそもそも海に落ちれなかったんですけどにゃ……」
「海か。昔は本当に色々ありましたよね。ネコニャンさん」
地平線を見つめながら、思い返すようにネコニャンに話し掛けるクリア。
「色々ありましたにゃ~。昔、落ちれないはずの海に落ちちゃったプレイヤーがいたんですにゃ。呆れたことに、GMに救出されるまで“海の中に立って魚を釣ってた”みたいですにゃ……」
「えぇ……なんすかそれェ……」
「釣り人の執念はすごいんですにゃ」
「海上に飛び込めるようになったらなったで、考え無しに海上に飛び込んだプレイヤーが沢山いてね。それを、何事も無かったように走り去る船の上から撮ってる写真があったような……。物凄くシュールだったな……」
「“撮影者以外全員沈没”とかタイトルつけられてましたにゃ……」
「もう滅茶苦茶じゃないですか……」
「海関連は、本当にいい加減な事件が沢山在るんだよレット。そういえば他にも、最初期に“海底に針がひっかかっている”のを“伝説の怪魚”だと思い込んで釣りを極めた結果、“エールゲルム”を釣ったヤツがいた気がするけど……」
「えええええええええええええええええ!? “世界を釣った”んですか!? 哲学か何かですかソレェ!?」
驚嘆するレットの声を聞きつつ、タナカがゆっくりとリールを巻き始める。
「あ……あの。先程から、皆さんのお話が気になって私、釣りに集中できなくなってきました……。その後、そのプレイヤーさんはどうなったのでしょうか?」
「要するに、ゲーム開発者特有のおふざけだったんですにゃ……。釣れない想定でアイテムとして分類していて、計算を間違えて本当に釣られちゃったんですにゃ……。システム的に色々無理があったのか、処理が追いつかなくなってサーバーがダウンしましたにゃ……。当時はゲームから強制的に追い出されて大変でしたにゃ……」
(“世界を釣り上げた釣り人”か……格好いいけど超絶迷惑だな……。というかなんで世界をアイテムとして釣れるようにしてあるんだよ……)
「ま、オンラインゲームにはそういうカオスな事件の逸話はつきものだからな。レットも、調子に乗ってそういうバカみたいなトラブルを起こしたりしないように!」
「勘弁してくださいよォ……。“オレがそんなとんでもないやらかし、するわけないじゃないですか!”」
クリアの注意に対してレットは辟易してため息をつきながら、眼下に広がる青黒い海を訝しげな表情で見つめるのであった。
【今回の冒険の航海時間】
今回の航海時間は短かったが、これはレット達の乗っている船が大陸間の“最短距離を移動する”為である。
長距離を移動する船はさらに大型となり、乗船の値段もかかるようになる。
代わりにそこまで行くと“航海そのもの”を楽しむのが目的になっていたりするので、客室に等級が定められていたり、船に時間つぶしの為の娯楽施設が設置されていたりする。
遊技場も盛んだが……賭博に関してはなにやら複雑な事情があるようだ。
「ぐ……ぐぬぬぬぬぬ。ルーレットの出目が……三十六連続赤だと……」
「次で終わりだ。――さっさと選べ。ゲームを降りるか、それともこの船から降りるか」
【海の今昔】
海に落ちた際のプレイヤーの可能行動は、数多くの調整やゲームシステムの変更に伴って変遷していた。
最初期は海に落ちるという想定がされていないシステムだった為、バグなどを利用して無理矢理落ちるとそのまま海面に埋まってキャラクターが残留してしまい、ゲームマスターを呼ぶ必要があったのである。
コンテンツの追加に伴い、プレイヤーが海に落ちる必然性が出てくると、普通に遊泳できるように調整された――が、この時代が一番“最悪”で、落下したプレイヤーの地上への復帰手段が“魔法しかないのに水中で魔法の詠唱ができなかった”(開発者曰く、“想定していなかった”)ため、海上で“遭難した”プレイヤー達がゲームマスターをこぞって呼んだ結果――緊急メンテナンスが行われた……という穴だらけの経緯がある。
現在では、海に落下するとデスペナルティを受ける代わりに最後に立っていた大陸まで戻る選択肢が出るようになっている。
「えんだあああああああああああああああああああああいやあああああああああああああああああああ」
「違う違う違うわ。古いしそれ違うわ。違う曲よねそれ。そもそも歌っている場合じゃないでしょ。デスペナが嫌だからって本当に泳いで帰るつもりなの? ……ねえ、ちょっと聞いてる!? 二人で船首でポーズとってたら海に転落して帰れなくなったとか、笑えないわよ!」
【Atyg Testitem】
件の釣れてしまったアイテムの名称。
ゲーム内のグラフィックは超巨大な「?」マークの形をしていたらしい。
ちなみにサーバーが落ちてしまった事で発生したアイテムの損失に対するロールバックなどは――特に行われず、手を入れた開発スタッフにも恐らく(情報が公開されなかったため詳細は不明だが)何のお咎めも無かった。
当たり前と言えば当たり前だが、そもそもゲーム世界全体を一つのアイテムとして取り扱うこと自体が前代未聞。
実際にアイテムとして変換しきれていたわけでは無く、変換しようとした過程で負荷がかかっていたところに“釣り上げる”という行われてはいけない処理が加わった結果のサーバーダウンではないかと言われている。
釣り上げたプレイヤーの名前は、なぜか流出してしまった。
「世界の全てを釣り上げ、そして世界中から吊るし上げられた男。ここに眠る」




