第三十一話 『腐敗の…………』
私という人間は昔から、なんでもできた。
――できてしまうような人間だった。
しかし、そんな私の人生が充実していると感じたことはかつて一度もなかった。
心の中はいつも、冷え切っていて――虚しかった。
薄っぺらい日常。
変わらない真っ暗な社会と、冷たい世の中。
そして、それを変えるだけの力がありながら、意思を持たず。
自分の心を満たすこともできずに周囲に流されるだけの自分という存在。
私という人間と、それを取り巻く人間――環境――現実の世界――全てが虚しく、何もかも空虚に感じていて。
そんな私という個人は他人の幸福を理解できず。
他人の笑顔等、ただ顔に張り付いているだけのようにしか見えない。
人の涙に悲しみを感じられず。
人の怒りに共感を見い出せず。
最初は抵抗していた。
自分はこの世に生を受けた以上、何らかの存在意義があるのだと。
人生の目的を自ら探そうとした。作ろうともした。
だが、私は常に孤独で……結局心に残ったのは圧倒的な無力感と絶望だけだった。
生きている実感がなければ、それは死んでいるのと同じことだ。
だから――自らの命を断つ意味すらもない。
そんな空っぽの私という人間が――人生で初めて――唯一希望を見出せたのが“架空の夢物語の英雄”で、そんな英雄に憧れて、挙句に辿り着いたのが……この世界だった。
私にとっての思い出の地……。
最初はポルスカ森林の大きな滝の近くで、獣に襲われていた初心者に助けたのが始まりだった。
感謝された時。私の中で大きく何かが変わったような気がした。
私は人々の為に、ありもしない英雄のように必死になった。
『いやー助かった。ありがとう。君は本当に最高のプレイヤーだな! ハハハハ!』
『アインザームさんが居れば、どんな敵も倒せちゃいますよ!』
『あなたの強さと素直さと嘘偽りの無い思想に乾杯!』
『団長。少し困ったことがありまして――』
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「皆が心の底から私のことを慕ってくれていた。そうして、チームメンバーから支持を受けて、どんどん組織は大きくなっていった。気がつけば私は現実の全てを捨てていて、居場所を完全に失い。仮想世界でもいつの間にか、負けられない、不敗の存在に――失敗のできない孤立した立場になっていた。……私はそこに至って、人生で初めて恐怖というものを感じた。敗北することで、この世界の自分という存在が誹られることが――自分の作り上げた在り方を壊されるのが何よりも怖かった。失うことを恐れて、気がつけば『不敗の騎士』になってしまっていた。そして、どう足掻いても黄金期という物はいつか必ず去る……」
「――おかしくなったんだな? アンタを取り巻く環境が変わった出来事が、何かあったんだ」
「その通りだ。――何時だと思う? ゲームの中で人が自らを在り方を見つめ直し、互いに争う時は――何時だと思う? 解りはしないだろう……」
「――ゲームそのものが、停滞した時だろ_」
クリアの呟きを聞いてアインザームが目を見開いた。
「……よく分かったな。その通りだ。何のことは無い。“心の腐敗”という物は、突然沸いた非日常から起きるモノではない。“ある日突然”――などという言葉は、人の間では起こりはしない」
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つまらない話――それはこのゲームのアップデートが“遅れた時”だった。
ゲームの中で話し合うことが無くなった仲間達は互いを監視し始めた。
コミュニティに閉塞感が溢れると、人間関係が一種の娯楽として取り扱われるようになるのだと、私はその時初めて知った。
ある日、オーメルドを通る合成職人達の隊商と、チームのメンバーが言い争いになった。
隊商は、チームに加入している合成の職人達と利益が競合していた。
ゲームシステム上、穏便に解決する手段は無く。外部の掲示板では匿名の誹謗中傷が耐えなかった。
終わらないプレイヤー同士の罵り合いに、メンバーのストレスは限界に達していた。
“だから私が全てを倒した”。
チームの利益の為に、隊商を徹底的に襲って壊滅させたのだ。
最初に身分を偽って彼等を殺害した日は忘れられない。
悪事に手を染めた罪悪感は全くなかった。
これは、人々のために必要なことだと――そう思ってしまった自分がそこにいたことが忘れられなかった。
私はチームの要望に応える為に、必死だった。
目的のためならば、相手が初心者でも容赦をしなくなっていった。
やれることは本当に、何でもした。
この世界の中で、私に解決しない問題など無かった。
プレイヤー同士の問題に乱入して、両方とも殺害する。
チームを誹プレイヤーがいれば、PKやMPKを行って徹底的に追い詰める。
匿名で疑心暗鬼に追い込み、他のチームのメンバー同士の仲を裂いて解散に導いたこともある。
こうして、聖十字騎士団はフォルゲンス周辺で存在感を増し、メンバーは“増えていった”。
増えていったが……私の心は再び冷えていった。
気がつけば、チームメンバーは自らの利益の為だけにチームの名声に縋っていった。
いや――ひょっとすると最初からそうだったのかもしれない。
だが、その事実を私は見たくなかった。信じたくなかった。
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「そうだ……敵が居てくれればよかった……この世界に倒すべき敵が居てくれれば良かった。共に目的を目指す真の仲間が私の隣に立っていてくれれば良かった……。でも、この世界はどこまでも進んでも現実の延長だった。いつまで経っても世界に危機など訪れはしないし、心の底から信頼できる友人は私の前から離れていった。それでも――それでも、私は誰かに心の底から必要とされたかった。この世界が例え仮想であったとしても……私のような破綻した人間の居場所は最初から、ここにしか――なかったのだから……」
そう言って、アインザームは頭を抱えた。
「…………」
レットは項垂れていた。
話が終わっても、クリアはアインザームに対して何も言わなかった。
批判もしなければ共感もしない。
ただ本当に、話を黙って聞いていただけであった。
「そんな私に一つだけ……誤算があったとするのならば。まさかこの場で私が負けるとは思っていなかったということだ。私の戦い方――立ち振る舞い――弱点――その全てを、理解できているわけもなかろうに……」
「実を言うと、アンタには期待していた。“正義を体現する”なんて、カッコつけた標題を仮想世界の中で堂々と掲げて、チームを引っ張っていくアンタの在り方は馬鹿げてるしイカれてるけど“本物”なんだろうなって――期待してた……。だから興味があって、前から一人のプレイヤーとして――悪役として――戦ってみたいとも思っていた。良くない噂が流れ始めていた頃から……“そんなこと”あるわけが無いって――アンタのことを色々調べていたんだ。俺も、アンタのブレない“本物”を――正義を信じたかった…………アインザーム」
そう言ってクリアは目線を逸らして、顔に装着したままのゴーグルを抑える。
「――お前のような人間が私に“そんな物”を期待して何になるのだ? お前に、私の何がわかる。いずれにせよ。もう全て、終わったことだ」
アインザームは、まるで末期が迫っているかのように息を大きく吐く。
「なあ、レット…………。お前もこの男に聞きたいことがあるんじゃないか?」
(オレの聞きたいこと――)
クリアから話を振られて、レットは意を決してアインザームに対して質問をする。
「あの娘に――。『アリス』に何があったのか教えて“ください”」
「それは、最初に話したとおりだ。私は『詳しいことは何も知らない』。ただ――多数のチームメンバーからのアイテムを捨てたという事実の報告と……要望があった」
「……言っている意味が分からないです。――“要望があった”?」
「彼等と彼女の間で何が起きたのか……詳しいことはわからない。彼女は何かを私に伝えたがっていたようだが……その前に私は一方的に追放する旨を伝えて彼女を排除した。私にとっては特別なことでは無い。誘った人間がチームに馴染まなかった時、理由をつけて追放することは多々あった。ほとんどのプレイヤーが聖十字から追い出されたというだけで謗りを受けて消えていったものだ」
そこで初めて――――クリアは怒りを顕わにして、突然アインザームを殴りつけた。
「こんの……馬鹿野郎が――お前はチームのリーダーだろうが!! 最後まで初心者の面倒くらいちゃんと見ろよ!!」
「流浪者風情にしてはなかなかの拳のダメージだな……だが、今の私には痛くもなんともない。ここは現実では無いし、今更痛がるのも無責任というものだろう……。どこにでも爪弾きにされる人間はいるものだ……それは現実でも仮想でも変わらない。私は“二つ”を天秤にかけて、チーム全体を優先したというだけの話だ。私にはもう、それしかできなかった。君達の言葉から察するに…………彼女はこの世界から去ったのだな?」
「はい。……あの娘、落ち込んでました。……泣き腫らしてもう涙が出ないくらい悲しんでました。なのに――――――なのに」
「あの少女の身に何があったのか定かではないが。おそらく、私のチームのメンバーが何か“よからぬことをした”のだろう」
それから、アインザームはしばらくの間、黙り込んでいた。
クリアは立ったまま、全てが終わった男を間近で見下ろしていた。
いつの間にか雨は止み、僅かながら黒雲の隙間から日が射し始めている。
「この場に至って、ようやく理解できた。“結局のところ、私には最初から、何も得てなどいなかった”」
俯いたクリアに対して、アインザームは自分達の真上にある真っ暗なままの天を仰いだ。
少し離れた場所で、その顔に太陽の暖かさを感じていたのは、この場ではレットだけだった。
「俺は――そうは思わないがな」
クリアの言葉にアインザームが僅かに顔を上げる。
「調べていたとはいえ、俺の持っているお前の戦闘に関する情報は明らかに足りていなかった。そのまま戦っていたら、俺は100%負けていたんだろうが――。しかし、哀れなもんだな『ヒーローさん』よ。他のチームのメンバーが、どういう連中で、アンタをどう思っていたかは知らないけどな――」
クリアはゆっくりと腕を上げて、今この瞬間もアインザームを見つめているレットを指差した。
「それでもアンタは、“コイツの憧れの対象”だったんだぜ? あの日、あの洞門の中で、レットは“英雄アインザーム”の一挙一投足。戦いの全てを覚えていた。だから、俺はお前の弱点を知ることができた」
そう言ってから勝者であるはずのクリアは、アインザームに対して悔しそうな表情をしてみせた。
「つまり、アンタはそれだけ、“羨望の目で見られていた”ってことなんだよ……。“それがお前の敗因になったのさ”」
アインザームはクリアの指摘を受けて、一瞬だけ声を出して自嘲気味に笑う。
そしてアイテムインベントリーを広げた後、持っていた剣を自らの手で乱雑に放り投げた。
“破棄された”長大で真っ直ぐで美しい剣は、結晶石に当たって簡単に――真っ二つに折れた。
アインザームはそこからしばらく開かれたアイテムインベントリーの前で呆けていたが、何かに気がついたのかクリアを一瞥した後に――穏やかな表情でレットと目線を合わせた。
「なあ。アインザーム……。アンタ…………もし良かったら――!」
顔を上げたクリアの提案を聞く前に、『アインザーム』はその場から消滅した。
――二人の前に、二度と戻って来ることはなかった。
「おいおい。ここで一体何があったんだよ……」
「全部――終わったんだ。アンタのインタビューの対象は変更だ」




