第三十話 MAD/NOMAD(イカれた流浪者)
クリアの体が“発射”された。
それは制御不能の速度。
同時に、武器スキルを発動することで両手で握られた曲剣が淡く発光する。
「コイツを……喰らえやあああああああああああああああ!!!!」
そのあまりの速さに、光る曲剣の緑色の軌跡が雨を切り裂き、宙に残留する。
まるで、一陣の疾風が吹いているかのようだった。
風を纏ったクリアの体がアインザームを通り抜ける。
アインザームに隙は無い。
その大盾でクリアの渾身の一撃であるはずの武器スキルを受け止めていた。
緑色の曲剣は情けなく、あっさりと地面に転がる。
そう――既にクリアの手の中に曲剣はない。
そもそも、武器スキルの発動は見せかけだけで……“不発”だった。
勢いを殺しきれずに地表への滑走を続けるクリアの手の中に在った武器は――アインザームの背面から、胸部に刺さっていたはずの、グニャグニャにねじ曲がったレイピアだった。
全ては一瞬の出来事。
クリアがアインザームに接近を始めた次の瞬間には、大気の衝撃波にアインザームの血と雨が混ざって四方八方に飛び散っていた。
滑走している状態から、姿勢を崩してクリアは地表を転がって――フィールドに設置されていた結晶石に激突する。
凄まじい轟音と共に石が砕け散り、クリアの姿は粉塵の中に見えなくなる。
アインザームは今の今まで、クリアに対してレイピアを戦闘中に引き抜かせる隙を一切与えなかった。
与えていない“つもりでいた”。……故に、油断していた。
アインザーム自身が、堂々とした出立ちにこだわらずに、即座に大きく後退してレイピアを引き抜いていれば――HPの目測を誤るようなこともなかった。そのチャンスは何度もあった。
クリアを真正面から堂々と潰そうとして、無駄な時間を使わなければ――レイピアを途中で引き抜かれてたとしても、手遅れになることは無かっただろう。
槍の投擲に対する咄嗟の回避。
クリアの曲剣の武器スキルに対する堅実な防御。
どれもこれも、“この世界に君臨する最上位の聖騎士”として理想的な対応であったが、しかしその結果、アインザームは自らのスタイルとは正反対の卑劣な搦手の数々を連続で受けて、雨で泥濘んだ地面に膝をついている。
それは道化師に付き合ってしまったアインザームという男の“絶対的な強者としての在り方”がもたらした悲劇だった。
しかし、卑劣な流浪者がここまで徹底的に、容赦無く策を尽くしても尚、形勢は圧倒的と言える程のものではない。
何故なら、ここまでがクリアの“全力”であり“万策”であり、次の搦手はもう何も残されていなかったからである。
一方でアインザームは、尚も未だ戦闘不能にはなっていない。
虚をつかれるも、即座に冷静さを取り戻し、地面に膝をつきながら回復魔法を詠唱しようとする。
しかし――背中を刺されて。
槍捌きによる時間稼ぎと毒のダメージでじわじわと体力を削られ。
鋭利な刃で切り刻まれ出血し。
胸部の武器を想定外のタイミングで乱暴に引き抜かれ。
「く……Clear・All――! この……! “悪党”……め……が――ッ!」
減りきったアインザームのHPが――魔法の詠唱が完了する寸前で、毒によってゼロになった。
その体は力なく地面に倒れ、ついに動かなくなる。
同時に、先ほどの大気の衝撃で空に飛んで行った血と雨水が、一瞬――時間差で滝のように降り注いだ。
周囲は激しい戦いから一転、静寂に包まれて――
――突然。崩れた結晶石の中から足が飛び出た。
山積みになっている石を蹴っ飛ばして、泥だらけのクリアが這うように石塊の中から出てくる。
「ああ――もう――畜生……し……しんど……かった…………」
溜息交じりの感想は半分、涙声になっていた。
極限的な戦闘に脳を限界まで酷使した故か、クリアは立ちあがろうとするもそのまま姿勢を崩してしまい。
その場で大の字に転ぶように仰向けに寝そべった。
結晶石が砕けた為か、先程まで突き刺さってた槍が元通りの長さで、地面にだらしなく転がっている。
クリアは寝転がったままそれに手を伸ばして、片手で天に掲げると――
「サンキュー、ネコニャンさん。仕込んだ釣竿のおかげで……“大物が釣れたよ”」
――と、一言だけ呟いた。
地面に突き立てた槍を杖のようにして、ようやく立ち上がったクリアが真っ先に行ったことは、戦闘不能になっていたレットの蘇生だった。
「あ、あの――――クリアさん。その……」
レットは満身創痍になっているクリアの顔をじっと見つめて――
「オレ……………疑って――スミマセンでした!!」
――深々と頭を下げた。
「……おいおい、起き上がって真っ先に言うセリフがそんなことか。――気にするなよ。疑われるようなことをしていた俺が悪いのさ」
クリアはそう言って、アインザームの死体に歩み寄る。
「とにかく、これでもう言い逃れはできないな」
死体の前で、クリアが掲げたのは――
『プレイヤー名:“Einsam” プレイヤー殺害数:5706』
――“件の仮面を被ったアインザームの姿”を模した首級だった。
「『首級』では最もプレイヤーを倒した時の姿が再現されている。そして、この数字の中に、公正なPVPで倒したプレイヤーはカウントされていない。つまり――もう言い逃れはできない」
クリアはそう呟いてから、再びインベントリーを弄り始める。
「コイツを――アインザームを起こすんですか!?」
「心配するなよ。レット、終わったんだよ。自分の首級が出てしまった以上、この男はどう足掻いてもどう暴れても自らの誇りの失墜は避けられない。システム上、奪い返すこともできない。――終わったんだ」
クリアが翳した手の平から光り輝く雫が溢れ出て、アインザームの体に降り注ぐ。
「………………」
蘇生アイテムで起き上がったアインザームは当初、言葉を発さなかった。
ただ自分の前に立つ二人をじっと見つめていた。
「さて、“聖十字騎士団団長”アインザーム。気分はどうだ? ――話せるか?」
クリアの質問を受けてからも、アインザームはしばらくの間無言を貫いていたが、隣で自分を睨み付けるレットを一瞥するとようやくその重い口を開いた。
「…………何故、私を蘇生させた?」
「コイツが――」
クリアは親指を立てて、背後にいるレットを指した。
「――さっきアンタにした質問に対して、答えてもらいたいからだ。要するに、事の全てを話して欲しい」
「………………………………」
「まずは、そうだな――アンタ自身のことから聞かせて欲しい。どうしてこんなことをしたのか、こんなことになってしまったのか」
「私はもう終わった人間だ。今更自らの“罪”を語って何になるというのだ」
(この人…………)
レットは動揺した。
アインザームが自ら“罪”を自覚していたということに。
「戦いは終わったけど、“全てが終わった”かどうか、それを決めるのはアンタだろ。少なくとも、俺にはアンタを批判する資格も権利もない。確かにアンタはそんなことをする人間じゃ無いと思っていたのは事実だけど……」
そのクリアの言葉を受けて、アインザームがその視線を鋭くした。
「とにかく、聞きたいことは沢山ある。いいから――聞かせてくれ。……何よりも、戦いが終わった今、俺がソレを一番知りたいんだ」
クリアの問いを受けて、アインザームは自嘲気味に笑った。
そして、座り込んだままゆっくりと話し始めた。
「そうだな……あれは、私がこのゲームに出会う前の話だ――」




