第二十九話 屑塵相打つ(せつじんあいうつ)
最初に攻撃が開始された瞬間から、二者の間で戦いの駆け引きは既に始まっていた。
その時、確かにアインザームは驚愕していたが、攻撃を仕掛けたクリアの方が遙かに驚いていた。
クリアは軽口を叩きながらも、アインザームの胸から“レイピアが刺さった瞬間から”――ソレを引き抜こうと躍起になっていたのである。
(クソッ! “突き刺しただけ”じゃ駄目なんだ! こいつを最後まで引っこ抜くことさえできれば……多少なりともダメージを与えられるのに!!)
対して、動揺する素振りを見せたはずのアインザームは、胸部を貫通しているねじ曲がった刀身を右手で力強く握っている。
「…………」
瞬く間に冷静さを取り戻したアインザームは、刺さった剣をごと上半身を傾けつつ、体を大きく捻った。
「――うおッ!!」
クリアはバランスを崩してあっさりと手を離す――と、言うより“離さざるを得なかった”。
自分の視界の右側にアインザームの片手剣が映ったからである。
しゃがみ込んだクリアの頭上を雨水と突風が突き抜ける。
クリアは咄嗟にその場から飛び退いて後退する。
直後。クリアのいた場所の地面に長大な剣が突き刺さり――土が跳ねて地面が軽く揺れた。
「フゥーーーー……」
アインザームとの距離を空けて深呼吸するクリアの顔に汗が滲んで、あっという間に雨に流される。
その表情は、まるで悪夢を見ている状態から――最悪の寝起きをしたかのようであった。
(視界外からの刺突だったのに――咄嗟に刀身を掴んで、引き抜くことで発生するダメージを防ぐとは……。覚悟はしていたがコイツは化け物だ! 装備と武器から自分の職業が流浪者だと瞬時に分析して、周囲に罠が張られている可能性も加味して様子見をしていやがる……。これが『屑塵』の半身だって? 冗談だろ!? 装備も、技量も、知識も、プレイ時間も、反射神経も超一級品! スーパーマンと戦ってるような気分だ……)
対して、その時。
(…………………)
アインザームは“何の思考もしていなかった”。
剣を地面に突き刺したまま、アインザームはクリアを見つめ呟く。
「Clear・All――だったかな? 噂には聞いていたが、卑しい男だな。高貴な武器を背後を狙うためだけに“逆手”で使うとは……。貴様には、騎士道精神というものは無いようだ」
クリアは動揺した。
その中身の無い謗りに対してではなく、目の前の敵の“気づき”に対してである。
(理解できない……。後ろから攻撃を仕掛けたのに……どうして“逆手持ちで攻撃した”ということが分かったんだ!? まさか……力の加わり方でわかるのか? 精密機械じゃあるまい――)
そこで、クリアは思考を辞めて瞬時に後退する。
アインザームの言葉に対して、軽口を叩こうとしなかったのは正解だったとクリアは思った。
そこに思考を裂いていたら、おそらく彼は既に戦闘不能になっていただろう。
アインザームが何の前動作も無く、砲弾のように接近してくる。
その速度に対してクリアが驚いている余裕もない。眼前の騎士は容赦なく踏み込んでくる。
後退しながらも、咄嗟にクリアが新しい武器を取り出した。
同時にアインザームの目線がそちらに向かう。
(そうだ。それで良い。この武器の種類を判別してみろ! 目測を計ってこい! アンタがゲーム慣れした真の強者なら、それが癖になっているはずだ! そもそも戦闘中に――)
アインザームは取り出された武器に思考せず“反応してくる”。
(――“武器をわざわざ組み立てるプレイヤー”なんて、論外だからな!)
クリアは下から槍をすくい上げるように“完成させた”。
(これは――何だと!?)
突然伸びるリーチに対して初めて“思考した”アインザーム。
その左肩に予想だにしない一撃が入る。
「よーし……“まずは一撃”」
呟いて、クリアは出来上がった槍を振り回して構える。
(……取り出した瞬間は棍か、棒の一種だと思っていたが……なるほど。“槍を二つに折り畳んでいた”というわけか……。下らないことを……)
「……………」
アインザームは何事もなかったように剣を構える。
この状況下で“彼”が落ち着いて武器を構えていたのは、本来あり得ないことであった。
“彼”というのはアインザームではなく、クリアである。
奇を照らして放ったクリアの一撃のダメージは“無かった”。
このゲームで滅多に見かけることの無い“0ダメージ”。
間違いなく取り乱してもおかしくないダメージ量を前にして、しかし不思議とクリアは平静を保っていた。
(――妙だな。この私のダメージのカット率に動じないとは……私のことを細かく事前に調べて知っているということか? つまり、この男には“何か他の策があるのか?”)
(さぁて、問題はここからだ。俺のこの『下らない戦い方』が、この超人相手に果たして何処まで通用するか!)
再び牽制するかのようにアインザームが仕掛けた。
距離が詰まるのは一瞬。二人の間を槍と長大な片手剣が何度も交差する。
しかし、不思議と一方的な戦いにはなっていなかった。
そもそも、それはさほど激しい剣戟――ではなかった。
剣と槍は交差するも、刀身がぶつかり合って火花が散るようなことは決して無い。
アインザームの長大な剣を、クリアは横から丁寧にはたき落とし、振り切った剣を逆側から槍で押さえ込みペースを乱す。
自分から踏み込むことは決して無く、アインザームの踏み込みに合わせて追い詰められないように距離を開け続ける。
それを繰り返し、剣を持つ手に力が入る前の絶妙なタイミングで、クリアは槍の穂先をアインザームの剣や頑強な装備に、ちまちま、ちくちくと浅く突き刺す。
それは実に泥臭い――“見栄えのしない地味な戦い方”であった。
(コイツのパワーと剣速は異常だ! 異常なキャラクター性能とプレイヤー性能故に、擦っても二回。直撃したら一撃で敗北し得る程の威力がある。そんな馬鹿みたいな火力に打ちあったら、槍ごと真っ二つにされる! だから力が乗る前にリーチを使って抑えて――出てしまった攻撃は受け流す!)
緑金の騎士のHPゲージはクリアの“槍の攻撃力では”一ミリも減っていない。
しかし、僅かに焦り始めていたのはアインザームの側だった。
(まさか……これは――この槍……毒の追加効果が付与されているのか? ダメージは塵以下だが……蓄積される毒のダメージに対して、物理や魔法に対する防御を積んでも意味は無い――)
そう、減っていない。
“槍の攻撃力では”。
アウトローな改造を続け、歪な形をしているクリアの槍の先端のギザギザ部分。
そこには――毒が塗布されていた。
最初に攻撃を受けた段階から毒のゲージが蓄積され、ついに毒状態に陥ったアインザームのHPが僅かに減り始める。
雨音に混ざって“かりかり”とファンタジーの毒のイメージとかけ離れた乾いた音が鳴り響いた。
しかし当然、毒を無効化する方法を聖騎士であるアインザームは持っている。
アインザームはクリアから距離を大きく開けて武器を構えた。
それは、“自動回復魔法”の詠唱。
詠唱時間も短く、毒のダメージよりも全体回復量の大きいその魔法を唱えれば、毒による体力減少などまるで気にならなくなる。
つまり、“自動回復魔法”の詠唱は、この瞬間アインザームが取れる行動の中では間違いなく“最善手”だった。
しかし――
(読み勝った!)
クリアはアインザームの後退とほぼ同時に、槍の持ち方を咄嗟にかえて力強く刺し込む。
今までとは比較にならない大きなダメージが無防備なアインザームの胴体部分に入った。
攻撃を受けて、魔法の詠唱が止まる。
ならば――と、アインザームは反撃に転じようとする。
力を入れて本格的に攻撃を仕掛けるタイミングで――再びクリアは後退を始める。
こうして再び、クリアの見栄えのしない戦いが始まった。
(おのれ……回復の詠唱も、攻撃を食らえば止まってしまう。この男……戦い慣れている! 厭らしい毒蛇のような戦い方……平地の上ではこの見合い、続けるだけ無駄か。間合いの差――通常の持久戦ではおそらくは勝てまい)
(馬鹿みたいな話だが……『負けなければ勝てる!』 “相手がやられて一番嫌なことを延々繰り返してやる!” コイツが倒れるまで、一時間でも、二時間でも――100時間でも続けてやるとも!)
しかし、戦いはそこで一旦止まる。
アインザームが突如剣を鞘に納めて、クリアに対して語りかけた来た為である。
「君が卑劣なのは重々理解できた。そして同時に理解できない。君のような卑劣な男が、あえて私に対峙する理由は――何だ? 貴様も私が行ったことに対して……何か言いたいことでもあるというのか? 」
力を抜いて、天を見上げるアインザーム。
その顔に、緑金の鎧に、大粒の雨が当たる。
「予め言っておくが、これは私が決めた“私の在り方”だ。貴様のような程度の低い。卑劣な人間にはおそらく、到底理解は――」
「――“どうでも良い”」
隙だらけのアインザームに対して、クリアは槍の構えを一切崩さない。
「特に“今”、アンタに話すことは何もない。アンタが善だとか悪だとかそういう話は、本当にどうでも良い。咎めるつもりも説教するつもりもない。――“黙って俺に倒されてろ”」
やや早口でそれだけ伝えて、クリアは口を閉ざした。
雨と毒の音が虚しく響く。
(………………………………なるほど、動じないか。話に乗った瞬間に、意趣返しに不意打ちでも仕掛けてやろうと思っていたのだが……。“面倒だが”、仕方在るまい)
黙り込んで再び剣を抜き、構えるアインザーム。
隙の無いクリアに対して、ここからこの男が取った行動は実に単純な物だった。
――要するに、『より速く動く』。
ただ、それだけである。
(おいおい、ふざけ――――)
常軌を逸したキャラクターのパワーと、反射神経がもたらす人間性能の暴力が、職業とステータスの壁をあっさり乗り越えてクリアを蹂躙しようとしてくる。
(最初に背中から仕掛けたレイピアのデバフで“速度が半減”しているんだぞ! 普通の上級者が相手なら、それだけで勝ちが確定するほどのデバフなのに……駄目だ――このスピードと、パワーは……“捌ききれない!”)
圧倒的な攻めを受けて、クリアは全力で後ろにステップしているような状態に陥ってしまう。
アインザームは最早、多少の槍の攻撃には怯んでいない。
次第に二人の距離が詰められていく。
ついに接近され――クリアの槍は根元の部分から、大盾で弾き飛ばされた。
(フム……久しぶりだな。盾を攻撃に使ったのは)
クリアは姿勢を崩してしまわぬように槍から手を離す。
遙か後方に槍が転がっていき――その胴が、がら空きになった。
「――――終わったな。私が全力を出すまでも無かった」
呟き、振り下ろされた剣を前にして、クリアが“取っていた”行動。
アインザームは、今度こそ驚愕した。
防戦に徹していた以上、それを破られれば反射的に防御や回避に回るのが普通である。
クリアはアインザームの高速の踏み込みと大盾の捌きの動作に合わせて突然“逆に踏み込み直進した”。
まるで――“槍を手放すタイミング”を最初から見計っていたかのように。
(コイツの獲物は片手剣と盾だけだッ! 俺の“待ち”に対して、受け流して接近してくる以外のことはしてこない! だからこそッ――)
(武器を弾いたつもりだったが、弾かれたフリをして持っている武器を切り替えていたのか……これは剣――しまった。曲剣か!)
アインザームという戦闘の達人。
その相手に、本来絶対に踏み込めないはずのリーチ。
(――死いいいぃいいいいいねえええええええ!!)
そこにまんまと潜り込み盾の防御もかいくぐり、アインザームの胴体部分を我武者羅に――執拗に――粘着質に――曲剣を両手で握って――アインザームの右腹部を何度も何度も切り刻む。
鋭利な曲剣の攻撃は分厚い鎧に阻まれ、ほとんどのダメージがカットされる。
しかし、アインザームの“別のゲージ”があっという間に蓄積し――
――バツン!
という音と共に、その体中から“赤黒い血が吹き出た”。
(よし――これで“三割”持っていけた! 読みが当たった――“通じた”! こいつは完全無敵じゃない。“毒と出血は最低限通じる”!)
(先程の毒からそうだった。この男、“私が唯一塞げていない弱点”を――一体どこで知った?)
(レットが言っていた情報通りだ! ――この男はあの洞門で『毒と出血状態にしてくる蜘蛛に対してだけ常に剣で攻撃していた』。つまり、普段のハイレベルな戦闘の最中でも“そういう弱点を常に抱えている”可能性が高いってことだ。――弱点といえるかも怪しいくらいの弱点だがな……)
クリアはアインザームの出血と同時にフッ――と、息を吐く。
それは安堵から来るものではない。
それは“覚悟と準備の吐息”だった。
パラディンという職業に存在していた自動発動の反射ダメージが、失われたアインザームの体力よりも遥かに多く、クリアの体力を削っていた。
(なんてことだ……まさか、ここまでの威力の反射ダメージを受けるなんて……。ラッシュをしかけた俺の方が、劣勢に陥ってしまった! この圧倒的な反射の威力――俺は、これ以上コイツに対して“直接攻撃を叩き込むことができない!”)
攻撃を受けたアインザームは出血して尚、動じていない。
その瞬間、二人の距離は“密接したまま”である。
(なるほど……劣勢を装って更に大きなリターンに繋げるとは――悔しいが、この男を“敵と認識させてもらう”)
アインザームの剣を持つ手に力がこもる。
曲剣を全力で振り切り“出血”に繋げたクリアには後退する時間が残されていない。
(くるぞ“本気”が! ああ……畜生――――――――これは……耐えきるしか無い!)
巨大な片手剣が暴風のように襲いかかってくる。
クリアは脳をフル稼働させて、短い曲剣を両手で握ることでなんとか受け流そうとする。
(……ありえない……ありえない! 武器的にどう見てもこっちが得意なリーチのはずなのに……なんで……そんな大物を、こんな密接状態で軽々と振り回せるんだ!? 不味い不味い不味い不味い……いなしきれない! 相手は片腕なのに――衝撃で両腕が痺れてきている……ここで下がったら本当に終わり――)
打ちあったまま後ろに下がってしまえば、そこはアインザームの握る片手剣の最も得意な“力の乗る距離”。
そこに移動した瞬間に、クリアの敗北は確定する。
(ここまで仕掛けて日和らないとは……妙にしぶといが――しかし、“二流の剣技”だな。槍の時と同じように、武器を“受け流しに使う”だけで精一杯だとは――!)
ついに、クリアの両手持ちの曲剣がアインザームの剣と真正面から打ちあってしまう。
打ちあったのは片手剣の刀身では無く――鍔と柄の間だった。
「ヌ……ギギギギギギギギギ!!」
何とも奇妙な鍔迫り合い。
片手で上から押さえ込むように力をかけるアインザームに対して、斜め下からダンベルを持ち上げるアスリートのように両手で曲剣を掲げるクリア。
(フン――こんな情けない戦いをするのも、馬鹿馬鹿しい)
アインザームは後ろにステップし、同時にクリアの腹部に蹴りを放つ。
「グアッ!」
派手に吹き飛ばされて、クリアは無様にすっ飛んでいく。
地面のくぼみに溜まった雨水が、激しく飛び散った。
(これで良い――今度こそ距離は充分に取った。そして貴様の太刀筋は“大体解った”。“二度目は無い”)
両手で剣を掲げて、回復魔法の詠唱を始めるアインザーム。
その詠唱が完了すれば――今まで意表を突いて積み上げた努力が全て無に帰す。
そうなれば、クリアに勝ち目は無い。
戦いはついに――終わろうとしていた。
(ああ、こうなったか……体術まで一流とは――キャラクターの性能どうなっているんだ。クソ――距離が空いてしまった。もう………………アイツには手が届かない…………)
「――――――――――――――だけど、吹っ飛ばされたこの位置。“さっき弾かれて吹っ飛んだ槍には手が届いちゃうんだな、コレが!”」
クリアは泥だらけになり無様に這いつくばりながら、先程吹き飛ばされた槍を再び掴む。
槍の“赤い把手部分”をねじ曲げて、よろよろと立ち上がる。
「喰らええェェェェエエエエエエ!」
わざとらしく叫んで、クリアの手から槍が全力で“放たれた”。
(なるほど。――二つ折りではなく。三つ折りだったか)
クリアの奇手にアインザームは驚いたが――何のことはなかった。
その“奇手”に気づいてから、アインザームの元に槍が到達するまでに60分の13秒程かかった。
これは、“アインザームにとって”十二分に対応できる速度である。
魔法の詠唱を中断し、軽く体を捻らせてそれを回避する。
槍はアインザームを通り過ぎて、遙か後方の天然の結晶石に突き刺さった。
(ただの虚仮威しか。ほんの少しだけ驚いて反射的に避けてしまったが、何のことは無い。戦闘時間は約90秒程度か――ここまで時間が掛かった戦いも久しぶりだったが、いい加減引導を渡してやろう)
そこで詠唱を再開したアインザームは違和感を感じて、再び振り返った。
戦い慣れていたが故に、結晶石に突き刺さった槍を見て――気づいてしまったのである。
(槍から“何か”が出ている……――これは!!)
「“とっておきの――――――秘密兵器だぜ!!”」
そう叫んで、クリアはそれまで外していたゴーグルを装着して、“手元に残った槍の赤い把手”を腰に取り付ける。
把手の機械式のボタンを力強く押すと――凄まじい勢いでその体が引っ張られた。
(馬鹿な……あの槍には――“釣り竿が組み込まれている”!!)
奇手を超えた鬼手に――アインザームの手が止まる。




