第二話 少年が最初に手に入れた物
ゲーム開始初日。
場所は変わらずフォルゲンス共和国。広場の噴水の縁に二人は座る。
『Clear・All』と『Daaku・Retto』。
二つの名前が、二人の頭上で横並びになっていた。
「時は“二千うん十年”。突然超発達したVR技術が、嘘みたいに登場した直後の時代。しかし世界のほとんどの人々の生活は大きく一変することなく。誰も彼もが死んだ表情でVRゲームをしていましたとさ〜」
「いきなり気分が盛り下がるような、モノローグを入れないでください……」
「――そして、そんな世界中が混乱している激動の時代の中で、フルダイブのオンラインゲームを始めたのが君というわけだな。“だあく”くん」
「ダークじゃなくて、レッドって呼んでくださいよォ!」
「レッ“ト”君」
「今、ちゃんとレッドっていいました?」
「ああ、言ったぞレッ“ト”! とにかく、そのフレンド登録の承認、頼むよ。ウィンドウまだ保留のままになっているぞ」
「“フレンド登録”ですか?」
「ああ、簡単に説明すると“仲良し”の証明ってことだな。登録した相手がゲーム世界に降り立ったら、相手が非表示設定にしていない限りは、大まかな居場所が直ぐにわかるようになる」
「ば、馬鹿にしないでください! “フレンド機能”くらいオレにもわかりますよォ」
「――なら良いんだけどな。そのうち、わからないことも沢山出てくるだろう。システムを理解するのに時間がかかるだろうが――この世界を楽しみながら、ゆっくり覚えていけば良いさ」
クリアは怪訝そうな表情でゴーグル越しにレットを見つめる。
「それで、君の年齢がいくつかは分からないが――まあ、ある程度年齢の予想はつくんだが……。遊ぶ人間に“わかりやすさ”ばかり求められてるこんなご時世で、君みたいな若そうなプレイヤーがどうしてこの複雑なゲームを始めたんだい?」
「え? オレくらいの年齢で、このゲームを始めるのってそんなに珍しいことなんですか?」
「このゲームでは月額課金。つまり、毎月定額でお金がかかるから若いプレイヤーは少ないな。それにどんなゲームでも、“若い年齢層”のプレイヤーは珍しいぞ。今は少子高齢化の……年寄りだらけのご時世だからな」
(…………学校で散々教わっているようなことを、この世界の中で聞きたくないなあ)
クリアの呟きを意図的に聞き流しつつ、レットは両腕を組んで自分がゲームを選んだ理由を改めて思案した。
「……オレがゲーム始めた理由なら――そうだなあ……。このゲーム、なんか“特別な感じ”がしません?」
「特別……か」
クリアが前を見つめたまま自身のオレンジ色と青色の頭頂部を撫で回した。
「確かに、“リアリティならトップクラス”だな」
「そうでしょう? そして、このリアリティ溢れる特別なゲームにこそ――オレの人生に必要な物があると思ったんですよ! オレには目的があるんですよ! この世界に降り立った目的が!!」
そう言うと――レッド。ではなく、『レッ“ト”』は立ち上がり胸を張って再び宣言した。
「「オレはこの世界で、大好きな物語の主人公のように最強になるんです! そして理想のかわいい女の子とマイワールドを作るんですよ。これぞ男の浪漫です!! 男にとって大切なのはどの世界の中だって。いつだって……可愛い女の子なんですよ! まず女の子有りき! そしてあわよくば現実で知り合って――フッフフッ……クククッ」」
「――VRMMO世界の中で、君の前に理想の女の子が現れるなんてことは絶対に無いぞ」
「NOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」
クリアは座ったままあっけらかんとした表情で断言し、レットはその言葉に衝撃を受けて大きな声で叫ぶ。
「そっ……そんなことはないでしょお! だって、このゲームのプレイヤーの人口は多いって――」
「言いたいことはわかるさ。全くいないということはないだろう、ただこの先おそらく99.99%、ゲーム内で君に“異性として好意を寄せてくるような理想の女性”なんてものは現れないよ」
「そんなことないですよ! だってオレ、見ましたもん! このゲームの前作の……五感がリンクしていないVRゲームの……なんていえば良いんだっけ?」
「前作っていうのはタイトルにNWがついていない『A story for you』のことだな。このゲームの中ではよく“無印”って言われてるけど――」
「そうです! それそれ! その無印のオフ会で、びっくりするくらい可愛い女の子が映っていましたよ!」
「このゲームだと、大体そういう人には最初から彼氏がいて、彼氏に誘われて一緒に遊んでいるパターンがほとんどだぞ」
「「く、Clear・All……こ、この――悪党めがああああああああ!」」
レットの叫びを受けて、クリアは可笑しそうに笑った。
「――え? 俺なんか悪いことでも言っちゃったかなあ?」
「薄々わかってはいたけどさぁ! いきなり事実を突きつけてくるだなんて、残酷すぎますよォ! アニメのダークレッドはゲームの世界でも現実世界でも女の子にはモテモテなのに……それが本当なら、夢も希望も無いじゃあないですか……」
「ああ、そうだな! でもよく考えてみろ。もしもゲームの中で意気投合して仲良くなって相手がとって~も可愛くてナイスバディな女の子だったとしよう」
(ゴ……ゴクリ)
唾を飲み込むレットに対して、クリアは腰を浮かせてレットから少しだけ物理的に距離を開けてから話を続ける。
「えー。それで、知り合って仲良くなったとして住んでいる地域が遠かった場合はどうするつもりだい?」
「……………………そりゃあもう――そこは愛の力ですよ!」
「答えになってないだろ……。いくらゲーム内で仲が良くても現実世界という物がある以上、距離が遠いと気持ちも離れていくものだろう?」
「そんなの……どんなに遠くてもオレが会いに行きますよ!!」
「君のご両親は、今ご健在だろう? 海外に出張していたり、別居してたりするのか?」
「いいえ……元気です。普通に毎日家に帰ってきますし両親はいい歳してラブラブです……」
「そうか、今時珍しいというか――それはよかった。でも、突然『彼女ができた!』なんて宣言して自分の息子が出て行ったらきっとご両親は心配するだろうな」
「そういうもの……なんですかね?」
「ああ、そうさ。息子を家に一人にして、いつまで経っても不況な国の仕事に見切りを付けて海外で働く――最近はそういうご家庭も多いみたいだからな。そりゃあもちろん、そういうご家庭の選択をどうこう言うつもりは無いけど。少なくとも家に居るってことはこんな冷え切ったご時世でも、君はご両親に善く愛されている証拠だろう。それは――素晴らしいことじゃ無いか?」
クリアはしんみりとレットに語りかけた。
レットは少しだけ動揺し――そして、自らの境遇を考えを巡らせる。
「――愛されているだなんて……あんまり実感ないかな……」
「当たり前だと思っていると、それが特別だと気づかない物さ。でも俺にはなんとなくわかる。君は家族に愛されているよ。日頃から愛されている人間は、人を愛することに自信があるものさ。そうでもなければ、現実を見据えてまで仮想世界の中で嫁探しなんてしないはず――だろ?」
「たしかに、言われてみるとなんかそんな気がしてきたような……」
「両親に見捨てられて……愛を見失って……人生を幻想、空想のままに終わらせてしまう若者が今の時代にどれだけ多いことか。それだけ身近な愛――家族の愛を実感できていないのさ。多くの人にとってその愛は、失って初めて気づく物なんだとさ。でも、君は今日それに気づくことができた。……だから一言で良い。ご両親に『ありがとう』って言ってあげなさい。与える者は与えられる、きっと喜んで君を今まで以上に愛してくれるだろう」
「――自分に、言えるかな……」
「大丈夫! きっと喜んでくれるさ。だから、今すぐゲームを辞めてご両親に感謝の挨拶をしてきなさい!」
「わかりました……ありがとうございます! さよなら!」
そう言ってからレットは、この世界から去ろうとした。
「ああ! 達者でな!」
手を振ってそれを見送るクリア。
「って――やっぱり“違います”よッ! いい話で無理やり終わらそうとしないでくださいよ! オレの冒険はこれからなんですってば!」
「ウハハハハハ、これ駄目? ハハハハ、わかった、わかったよ。話を戻そう。とにかく遠距離恋愛はそうそう続かないさ。逆に“接する回数”が増えると自然と仲良くなる。男女の仲っていうのは結構分かりやすい物なんだってさ!」
――『まあ、これは知人の受け売りなんだけど』と付け加えるクリア。
「接する回数? それって要するに体と体のふれあいってですよね!? つまり、“いやらしいこと”を――もがが! あふいあふい!」
咄嗟に、クリアがレットの口に松明を押し込み沈黙させる。
「発想が飛びすぎだろ‼︎ そういう発言を公共の場でするなって‼︎ 公序良俗違反でキャラクターを消されるぞ!」
「あぐあがが……で、でもでもでも!」
しかし、レットはまだ諦めていなかった。
押し込まれた松明を何とか口から吐き出して、唾を飛ばしながらまくし立てる。
「このゲーム女性プレイヤーの割合が結構多いって聞いた……というか調べたんですよ! 絶対に居ますよ! この世界にオレの人生でたった一人の女神がいますって!」
「しかしなあ。若い女の子はこんなゲームなんて滅多にプレイしてないと思うけどな。女性とかだと……ええと、このゲームは主婦とかに人気かな?」
「あちゃ~それは残念だなあ。主婦ってことは……少なくとも女の『子』でもなんでもないですし、オレの守備範囲外――ムグググググ!」
再びクリアがレットの口を強く抑える。
「(お前本当にとんでもないヤツだな! ……言葉に気をつけろって!)」
「(えっ!? 自分何かまずいことでも言いました?)」
クリアは大きくため息をついた。
「普通に失礼だろ! ……まあ、今の発言が礼節を欠いていたとはいえ。主婦が恋愛対象外っていうのがわかっているだけ良しとするけどな」
「え、どういう意味です?」
「既婚の主婦と親密になろうという兵が何人か俺の知り合いにいたんだが…………旦那の怒りを買って最終的にほぼ全員が全てを失った」
目を逸らしながら放たれたそのクリアの言葉を受けてレットは戦慄する。
何が起きたのか、想像したくもなかった。
(いやいや、なんでこの人はそんな滅茶苦茶な知り合いがいるんだよ……)
「でも――でもまだオレは諦めません……。きっと『現実で可愛い』ってアピールしている女の子のプレイヤーだって探せば必ずいるはずだ! それがオレの進む道だ!」
レットはそれでも諦めず、さらに食い下がる。
しかし、クリアはレットの発言をやんわりと、しかし真剣な表情で否定する。
「いや――『自分は現実でも可愛いです』なんてアピールしている女性プレイヤーはゲーム世界を楽しむ上で何よりも警戒するべき存在で、むしろ逆だぞ。“無理に近づこうとするな”。ゲーム内では、可愛らしさを強調する女性プレイヤーというものはありとあらゆるコミュニティを破壊する。動く地雷と言いきって差し支えない」
クリアの言葉にレットは再び、衝撃を受けた。
「オレの求めている物が……地雷だって……?」
「あ、いや――誤解しないで欲しいことは、100%本人に悪意があるわけじゃあ無いということだ。むしろ無意識の内に被害者となっている場合がほとんどなんだよ。――行く先々で愚かな男達の醜い争いに巻き込まれてトラブルに発展しやすいらしくてな……」
(この人色々なトラブルに詳しいんだな……見た目は酷いけど)
真剣な表情で流れる水のように話し続けるクリア。
その世界の在り方を淡々と語る様は、レットにとってまるで真理を語る賢者のようであった。
「うう、オレ……オレようやく待ち望んだVRの世界に入れたのに……ゲーム開始数分でこんな……こんな辛い思いをするなんて――」
レットは酷く打ちのめされたのか、その声が震え、仮想世界で初めて涙を流した。
彼は今、エールゲルムの広大な大陸の中で誰よりも深い絶望にいた。
その絶望は、それまでの自分自身のあり方を粉々に打ち砕くものであった。
――尚、これはゲームを開始してからたった10分後の話である。
「……クリアさん。まーた何かやってるんですかにゃあ……ついさっきここに来たら遠くで『クリア、この悪党があああ!』って、聞こえたんですけどぉ……」
突然、気怠そうな声が聞こえてきた。
レットが前を見ると、一人の女性キャラクターが立っていた。彼女の背丈はレットよりもわずかに高い。
彼女は遥か東方の伝統を思わせる華やかな装束を身に纏っていた。
その衣装は、鮮やかな色彩と複雑な模様で飾られ、動くたびに絹のようにしなやかに波打っている。
周囲のプレイヤーと比較しても彼女の装いは特に際立っており、レットに仮想世界の多様性と魅力を強く感じさせる。
レットの興味を最も引いたのは彼女の獣のような耳と尻尾だった。
彼女の姿は、オンラインゲーム特有の異世界的な魅力を体現しているようだった。
「(うわーい! なんか可愛いのキタアアアアア! この手のゲームにありがちな猫キャラキタアアアアアア――――――――あ、あれれ?)」
レットは自制できず小声で叫んだが――そこで、その灰色の猫がどこかしら草臥れており全体の精彩を欠いていることに気づいた。
例えるなら『泥水を掛けられ、そのまま中途半端に生乾きした雌の野良猫』と言ったところだろうか。
煌びやかな衣装に反して、着ている人物が纏っている雰囲気は、どこかしら薄汚く古くさいという印象を受けた。
「ああ、これはどうも。まだ“打ちのめされている”んですね。自分は初心者チームに勧誘しているところなんですよ。今日は新規のプレイヤーがたくさん入ってくるんでね」
レットの隣に座っているクリアが“猫人間っぽい何か”に対して軽く会釈する。
「ああ、やっぱり……。まーたクリアさんが何かやらかしたんだと思いましたにゃ……」
「今回はまだ何もやってませんよ! レット、紹介しよう。『|Nekonyanyan』さんだ。皆には【ネコニャン】さんと略されて呼ばれている。中身はいい年した“西”のおっさんだ。その中の人の年齢に反して、キャラクターのネーミングセンスは小学生以下だ。いっつも猫背で機械全般と、遙か昔の映画やレトロゲームに詳しい」
上げて、下げる。
レットに再び、雷と見紛う程の衝撃が走った。
「お……オッサン。オッサン……これオッサンなのか……たしかに言われてみると立ち振る舞いが何かこう……酷くオッサン臭い感じがしますけど――そんなあ、信じたくないよォ……」
レットは深く落ち込んだ。
そして、レットに好き勝手言われた方の女性キャラクター、――ネコニャンはそれ以上に落ち込んだ素振りでレットを見つめる。
「いや、まあうん……自覚はあるんですけどにゃ――初対面でちょっと酷にゃい? クリアさんもなんにゃねんその自己紹介~……。ほんまにぃ、やめてくださいにゃ~……」
「でも、紛れもない事実ですよね」
クリアが言い切ると――
「……まあ、変わりようのない事実なんですけどにゃ」
――ネコニャンは割とあっさりとその事実を認めるのであった。
「んでこの人の種族は“キャット”という。まあ、流石にゲーム内の種族の名前くらいは知っているだろうけど」
「はい――それにしても『キャット』ってそのまんまなんですね」
「うぃ。ネコまんまですにゃ、ネコだけに、にゃ!」
「……………………」
噴水に座るレットとクリアの背中に北方に位置するフォルゲンス共和国特有の、一陣の冷たい風が吹く。
「――ま……まあ、レットの言う通り『見た目通りの種族』なんだが、半人のケモノ系が種族として採用される理由は男性――特に“海外ユーザーの受けが良い”かららしい。このゲームは外国人もプレイしているからな」
(へぇ……ネコ好きってことは、外国にはケモノ好きの変態がいっぱいいるのかな?)
「そうなんですにゃ。キャットはかわいいんですにゃ! このセクシーな見た目はナウなヤングにバカウケなんですにゃ」
ドニャッ! とふらつきながらも胸を張り主張するネコニャン。疲れているのかその片耳が上がっていない。
「(えっと――クリアさん。『ナウなヤングにバカウケ』って言葉、どういう意味です?)」
「(いや、自分にも全然分からなかった)」
クリアとレットの小声でのやり取りを他所に、ネコニャンが猫背のままふらつき噴水の縁に倒れ込む。
「ぬわああ……だめだ~もう元気ないですにゃ。いきなりで申し訳ないんですけどぉ、自分はもう寝ますかにゃ……正直今日は色々しんどいんですにゃ……」
「(クリアさん……なんか、彼女――じゃなくて、このおっさ――じゃなくて、彼、元気ありませんね)」
「(言い直しすぎだろ! 実は、|アスフォー《A story for you NW》のフルダイブリニューアルに伴ってゲームバランスを著しく崩壊させていたアイテムやスキルにバランス調整が入ってな。ネコニャンさんはヘヴィユーザー。オンラインゲーム的には『廃人』って言葉がよく使われるんだけど。つまり、そのくらいゲームをやりこんでいるプレイヤーなんだよ。それで、時間を掛けて育てた職業や、手に入れた強い装備が弱くなってここ最近意気消沈しているわけだ)」
クリアの小声が聞こえていたのか、ネコニャンが呻くように言葉を漏らした。
「滅茶苦茶強い装備を手に入れるのに、150日くらいかかったりしましたからにゃ……」
「え? “日”って何ですか? 150時間じゃなくて!?」
「150日ですにゃ……」
ネコニャンの発言にレットは絶句した。
(え? あれ? おかしいな。オレ、この世界で最強になる予定なんだけど。大丈夫だよな!? なんか、心配になってきた……)
心配そうな面持ちのレットを見つめて、クリアが補足するように説明する。
「このゲームは、レベルアップにもやや時間がかかるし。装備の収集も物によっては結構面倒な『少し時流に合っていないゲーム』だからな……。その――ご愁傷さまです。ネコニャンさん……」
クリアの慰めの言葉を受けて、ネコニャンの両耳がだらりと垂れ下がる。
レットの前に現れて早々、体力的な限界が近いように見てとれた。
「んじゃ、自分はそろそろ落ちますにゃ……」
「“落ちる”って、どこにです? ――――――地獄とか?」
呑気な表情で放たれたレットの言葉に対してネコニャンが尻尾を逆立てる。
「初対面の相手に、いきなり地獄行き認定をしないでくださいにゃ!! 落ちるっていうのは、“ゲームからログアウトする”って意味ですにゃ! 君らも早く寝なさいにゃ……」
ログアウト処理を始めようとするネコニャンを慌ててクリアが静止する。
「ああ、待ってくださいネコニャンさん。これからこの世界で冒険を始める彼の自己紹介だけ最後に聞いておいてあげてください。お願いします。ほら、レット!」
「はい。任せてください! 名乗り口上なら色んなパターンをしっかり考えておきましたから!」
レットは気合いを入れて胸を張り、噴水の淵に脚を乗せて再び叫んだ。
「「オレの名前はレッド! ダーク・レッド! 黒き晴天の騎士! この世界の宿命を背負う男だ! よろしくな! 趣味は刃物の収集とかが格好いいのかな……? えっと後は……そうだ! このゲームの他のプレイヤー達とは違ってなんか最強の能力を持つ予定だぜ!」」
レットの自己紹介を聞き終わるや否や、ネコニャンは噴水の淵に倒れ込んだ状態のまま硬直した。
「いや……なんか……もう……色々ぶっ飛んでで聞いててしんどいですにゃ……。――あれ? というか、その自己紹介で『その名前』ってひょっとしてマジなんですかにゃ? わざとやっているとかじゃなくて……マジなんですかにゃ!?」
「静かにしてくださいよネコニャンさん。マジなんですって! そっとしておいてあげてください」
「えぇ……どういうことなんですかにゃ……」
話し込む二人を無視して、さらに自己紹介を続けるレット。
「ええと後は……後は……、住所は○○県○○市○○区の……12-14。とか? こんな感じでどうでしょう!!」
「余りにも言いたいことがあるんですけど、ちょっと待つんですにゃ。まずその名前のスペルは――モガモガ」
クリアがネコニャンの口を押さえつけて意地の悪い笑みを浮かべる。
「………………心配は要らないぞレット!! とにかく、改めて確認しよう。お前の住所は○○県○○市○○区の12-14でいいんだな?」
「はい、そうですけど。それがどうかしました?」
「――ん? いや……別に深い意味は無いよ? SNSのBleeterアカウントの特定とかしたりしないし――自宅に、物とか送りつけたりしないから、心配するなよ!」
「「ちょっとおおおおおおおおおおお! やめてくださいよそういうことするの!」」
「うるせええええ! 最後の部分だけ大声で叫ばなかったから良かったものの――“自分の個人情報をオンラインゲームで濫りに流出するんじゃない!” 危ないだろうが!! 罰として受け入れろ!! 今後は二度とこういうことをやるな!」
途端に真剣な表情で、大きな声を上げてクリアがレットの胸倉を掴む。
(ぐえええ、何も胸倉つかまなくても……!)
「『また』、トンデモない問題児が、エールゲルムの世界に降り立って……来ました……にゃ……」
言うだけ言って肉体的にも精神的にも疲労が限界に達したのか、ネコニャンは蹲るようにログアウト処理を行い、その場から消滅した。
(なんだかなあ……。この人たちの話を聞いていると、オレの憧れていたVRMMOと“何かが違う”んだよなあ……いやいや! めげちゃダメだ! オレの冒険物語はきっとこれからさッ! 【必ずオレは、物語の主人公みたいなヒーローになる!】)
しかし後日、レットは自分の両親に日頃からの感謝の意を伝えることは叶わず、逆に説教されることになる。
なぜなら……彼が学校から帰宅すると彼宛に、『エールゲルム。フォルゲンス共和国東在住、Clear・All』という架空の送り先から、真っ赤な色の小さなカラーコーンが本当に届いていた為である。
【望んでいる商品に限ってなかなか来ない】が、【自分が望んでいない商品に限って直ぐ届く】のだなと、家族の説教を受けながら、少年は歯痒い思いをすることになるのであった。
(うぅ……住所を晒しちゃったのは反省するけどォ……それはそれとして、本当に家に物を送ってくるのも相当ぶっ飛んでないか!?)
そして、この件をきっかけに少年は後に知ることとなる――
『「く、Clear・All……こ、この――悪党めがああああああああ!」』
――この日に放ったこの台詞が、“間違っていなかった”ということを。
――この日、彼が一番初めに運命的な出会いを果たしたClear・Allというプレイヤーは、少年の理想とはむしろ正反対の『倒すべき敵』のような存在であり、『最凶最悪のプレイヤー』と呼ばれていることを。
【A story for you.】
リニューアル前の作品。
『NW』という派手なロゴがついている本作と比較して、プレイヤーの間ではすでに無印と呼ばれている。
無印にはダイブ機能など無く、簡易的な脳波計測と手元の操作でキャラクターを動かす程度であって、五感などは一切感じられない。
NWでどれだけ異常な進化を遂げたのかがよくわかるだろう。
しかし、『NW』がフルダイブ形式の世界初のオンラインゲームというわけではない。
既にフルダイブの技術は、様々なジャンルのゲームに浸透しつつある“黎明期”であるということを留意していただきたい。
「先駆者に足りないものは、僅かなユーモアとアイデアである」
【Cute chick】
少年が何の気なしに選択したサーバー。
リニューアルに合わせて無料移転することが可能となっているサーバーの内の一つでその名に反して圧倒的少数派の “PKが可能なサーバー”でもある。
様々な要因で全サーバーの中でも最も治安が悪く、プレイヤー間の評判は著しく悪い。
そもそも、PKそのものが前時代的であると批判されることもしばしばある。
その前時代的な要素に惹かれてやってくるプレイヤー達はマナーが悪かったり、子どもじみた精神性を抱えていることが多く。Cute chickは他サーバーで遊ぶプレイヤーから『隔離サーバー』や『犯罪者の亡命先』とも揶揄されている。
「えーだってサーバーのアイコンが可愛いし! 一番上にあったし! 人口も多いみたいだし言うことなしだよね~」
「――な? ああいう連中がわんさかいるから、下手打った時の逃亡先としては最良ってわけだ」
【本作のネカマ事情】
自らの性別を女性のように演じて周囲に誤解を与えるプレイヤー(※通称:ネカマ)は多い。
だが、VRMMOの中では脳波がキャラクターの動きに直結してしまう為、ゲームプレイ中は四六時中ありとあらゆる動作に気を使う必要が出てくる。
フルダイブにおいて、ネカマを演じるのはとても難しいとされている。
【外国人プレイヤーの存在】
本ゲーム『ア・ストーリー・フォーユーNW』は様々な国の人間が同じ世界でゲームを遊んでいる。
本ゲームがここに至るまでに長い歴史が存在している。
“少年”の生まれた国家のVRゲームが導入される遙か前の時代。
ゲーム開発会社から“押しつけられるグローバル化”に対して辟易したプレイヤー達から不満の声が上がっていた。
何故なら――同じゲーム世界に放り込まれた両国のプレイヤー達は一向に他国の言語を学ぼうとせず、お互いに決して歩み寄ろうとしなかったからである。
最終的に、他国のプレイヤーの存在はゲームを進める上での新しい体験にはなり得ず、ただの障害と成り下がってしまった。
しかし、ゲーム開発者達は決して諦めなかった。
VRMMOの初期開発の頃から翻訳機能を導入、その機能の研磨をひたすらに繰り返した。
そしてこの度、新ゴーグル機能の目玉として自動翻訳機能が学習型の物に切り替わるという改革が行われたのである。
仮想世界はさらに大きな広がりを見せていく。
果たして、その先に待つのは互いに手を取り合う異国の交流か……それとも文化の衝突による軋轢なのか……。
「まいねーむいずネコニャンニャンですにゃ!」
「WT? ニィコォニャンニャンニャンディスニャン?」
「ネコニャンニャンにゃ!」
「ニィコォニャンニャンニャン?」
「あ゛~もう! ネコニャンニャンニャンニャン! ニャン? ニャンニャンニャンニャンニャン?」
「お、落ち着けェ!」