第二十八話 少年が得ていたもの
記者が取り付けたアインザームとの“待ち合わせ”の場所は、オーメルドの前哨基地の西側。
そこはかつて、レットがレベル上げを行なったウサギの生息地のすぐ近くだった。
周囲には、景色に不釣り合いなポータルゲートが一つあるだけで、レット以外の人影は見当たらなかった。
――その瞬間までは。
「おや――これは、レッド君ではないか。奇遇だね。こんな所で出会うとは」
ポータルゲートから出てきた男、アインザーム。
記者が時間になってもやってこないことに内心で焦りつつ、レットは思考する。
(クリアさんの時と同じように……二人は近くで見ているのか……?)
そうだ。きっと、そうに違いない――とレットは思った。
(もしも……もしも、“クリアさんの方”を信じた場合――最悪の場合。この人が屑塵だと仮定して“揺さぶれる言葉”って一体なんだろう?)
「ひょっとして、この前の話を思い直してくれたのかい? 君がその気なら、今すぐにでも入団の手続きを――」
「教えてください!」
アインザームの言葉を遮って、レットが突如叫んで、貰ったはずの銀の剣を掲げた。
「あなたがこの武器を“最初に渡した”のは誰ですか!」
(どうせ会話からその流れに持って行けるほどオレは器用じゃないんだ。行くなら真っ直ぐだ……覚悟を決めろ!! 思った言葉をぶつければいいんだ! 大丈夫だ。この人が屑塵なわけがないんだ……)
「……なんのことだかわからない。君は一体どうしたんだい?」
「間違いなく渡したはずですよ! ――――――――960万ゴールドと一緒に!!」
“知らない者”にとっては全く持って意味不明な台詞。
余りにも突拍子の無い言葉だったので、その馬鹿馬鹿しさにレット自身が思わず笑いそうになってしまった程である。
『……ごめんなさい。わけわからないこと言っちゃって……思い当たり――ない……ですよね?』
――等と、レットが誤魔化そうとした次の瞬間。
瞬時に空気が凍り付いた。
――言ってはいけないことを言ってしまったとレットは直感した。
まるで千を超える人々に、一斉に無表情で見つめられたかのような緊張感があった。
(何だよ……アレ……)
レットはほんの一瞬、アインザームの背後に立つ黒い影を見た。
それは、紛れもなく幻覚。
仮想の世界で、アインザームの溢れ出た敵意がソレを見せたのだと――レットはそう思った。
(クリアさんに問いただした時とは全然違う!! ……ああ――ああ。こんな“簡単に”……。なんてことだ……。“この人が”……“この人が”ッ!!)
レットの言葉を受けたアインザームは数秒間ほどその場に立ち尽くしていたが、周囲を軽く見回してから再び笑顔を取り戻す。
「――【ストリーム機能】の実装予定はもう少し先らしいな」
突然の話題転換に、レットは困惑した。
「それは……あの、どういう――意味ですか?」
アインザームはレットに対して、話を続けたままゆっくりと近づいてくる。
「なるほど……わからないかね? リニューアルしてからというもの、このゲームには写真以外で、映像。および音声を外部に持ち出す方法が存在していないのだよ。それができるのは開発関係者だけで、プレイヤー向けの機能実装は数ヶ月後を予定しているようだが――まあ、要するにだ」
視界が緑色に染まり、レットの前方と後方に同時に衝撃が走る。
「あっ――がッ……………」
山の岩肌に吹き飛ばされてようやく、文字通り“蹴散らされたのだ”とレットは理解した。
「――“ここで私が君に全てを話したところで何の意味も成さないわけだ”」
そう言ってアインザームは速度を変えずに、ゆっくりと――再びレットに近づいていく。
「周囲に気配は無く。写真を撮られる危険性も無い。撮られても、捏造だと言い逃れることもできる。……あの記者共、何か“存在してはいけない証拠”でも掴んだかと思ったが、“倒しても何も得られなかった”。……なるほど、君を使って私に揺さぶりをかけて、容疑者としての目星をつけようとしていた――といったところかな?」
「ア……アナタは……いや……お前は……!」
「私は一人でここに来ている。そして君も“既に一人”ということさ。しかし、興味深いな。一体どうやって気づいたのだ? ……疑われる可能性をゼロにする為に“ソレらしいPK”に依頼をして、ククルトで自作自演をしたのが、裏目に出たのかもしれないな」
戦闘不能にはなっていなかったが、既にレットの体力は残されていない。体に力が入らない。
それでも必死になってなんとか立ち上がろうとする。
「アロウルの近くで……オレを襲ったのは――お前だったのか!!」
「――君が彼女と知り合いだと知ったときは驚いたものだ。根拠無く近くに居た君を攻撃してしまって、実に申し訳なく思うよ。結果的には“大当たり”だったわけだが」
「じゃあ、あの娘を――アリスを追い詰めたのもお前がやったのか!?」
「『追い詰めた』? さて…………何のことだ? 私にはさっぱりわからない――な」
「はぐらかすな!! どうして……どうしてスカーフを奪ったんだ! あれはアリスの持ち物だろ!」
「…………………………わからないか? エンブレムが刻まれた装備品は、我々のチームの誇りなのだよ。それを“手放す人間がいる”とは思えないがな。私なら、その事実を知ったら“どんな手段を使ってでも回収する”し、そんなプレイヤーは私のチームには“必要ない”――というだけの話さ」
「言っている……意味が……わからない…………」
「――君のような個人には、理解できまい」
言うだけ言って、アインザームはレットに背を向けその場から立ち去ろうとする。
「――そして、そんな君を放っておいても私には何の不利益も無い。せいぜいそのまま地面を這いつくばっていてくれ」
(誇り……? 誇りだって……!?)
レットは頭に血が上るのを感じていた。
隊章が刻まれた装備品。
それを手放したというだけで、アリスがチームから追い出されたという事実。
「そんなモノの為に……そんなモノの為に――」
何より彼女が――
『チームのリーダーが親切な人で助かってるわ』
『レット君がクリアさんに色んなことを教わるように、チームのリーダーに色々教えて貰っているから』
『私も実感しているけど、親身になってくれる人がいるっていうのは――幸せなことよ』
“信じていたはず人間に、見捨てられたという悲劇”に激昂した。
「「――あの娘を追い出したのか……お前はッ!!」」
震える足を押さえながらレットが立ち上がる。
「まさか…………この私に刃を向けるのかい? それがどれだけ愚かな行為か、理解していないわけでもあるまい」
その叫びを受けて、ポータルゲートに入ろうとしていたアインザームはレットに振り返った。
「……良いだろう。君のその蛮勇に免じて、思い知らせてやる」
ため息をついてから、ゆっくりと剣を抜いてアインザームはレットを見据える。
そして、ククルトの洞門で相対した敵に対して放った言葉を、レットに対して同じようにぶつけた。
「我が名は聖十字騎士団長アインザーム。我が前に立つ者として――自らの沽券を賭けて名乗りを上げて見せよ」
「オレの名は――………………………………」
まさに物語の主人公のように、名乗りを上げる絶好のチャンスではあったが――
「『Daaku・Retto』……レット。オレの名は――――――レットだ」
少年はそれだけ呟いた。
アインザームは肩透かしを受けたかのように眉を顰める。
「ふむ、レットか……。……まさか、ありのままの名を名乗るだけとは。洞門で君の名前を初めて呼ぼうとした時、いらぬ気を使ってしまって損をしたよ。今の君には背負うべき肩書きはないのか?」
少年が仰々しい名乗りを上げなかったのには、理由があった。
『素敵じゃない? 変に自分を飾らなくたって、あなた充分……魅力的よ』
――その時、少年は彼女のことで頭が一杯になっていて。
そんな彼女が、自分に言ってくれた台詞が自然と思い浮かんだからだった。
オーメルドの乾いた大地に大粒の雨が降り始める。
体に当たる雨水の冷たさに、レットの体から入りすぎていた力が自然と抜けていく。その剣を握っている手首だけに力が籠もっていく。
現実ならば指の骨が折れて拳が砕けていても可笑しくないほどの力が集約していく。
もう止まれない。
レットは真正面からアインザームに、渾身の力で斬りかかっていく。
アインザームは抵抗らしい抵抗をしなかった。
しかし――
「……無意味だな」
――レットの攻撃は全く通らない。
全力で振り切っても――振りぬいているのに、ダメージが入らない。
「だからって……だからって何なんだよ……。だからって退けるかよ!」
しかし、そんな事実は今のレットには関係なかった。
敢然と立ち向かい、ぶつかり続けた。
レットは――少年は、それしかやり方を知らなかった。
彼の中の憧れというものは、いつもそういうものだった。
どんな巨悪が顕れても決してめげなかった。
一人でありとあらゆる問題を解決して、奪われた人の為に一人で戦い抜いていた。
だからそれに習ってひたすらに、銀の剣を振り続けた。
その彼の孤独な戦いは――
――さくり、と。
綺麗な音がして、それで終わりだった。
「思い知ったかね? “現実”はこれだ。この世界にも、君にも、何の特別も無い。レベルの低い君が私に勝てる道理など無いんだよ」
胸に突き刺さった剣は一瞬で引き抜かれ、レットの動きがその場でぴたりと止まる。
(――――――“わかっていた”んだ……)
少年にはいつものような名乗りを上げなかった、“もう一つの理由”があった。
(結局、“オレは無力でヒーローになんかなれない”んだ。そんなこと、オレ自信が一番よくわかっていたんだ……)
それは、ポルスカを走っている間にも常に心の隅にこびりついていた一つの事実。
理解していたのに、思い返さないように必死に押さえつけていた思考。
(虚勢張って格好つけていたけど……現実でも、ゲームでも――――――“同じ”なんだ。オレには特別な力なんて何も無くて……他人に誇れることなんて一つも無くて……。無力で苦しくて――惨めで――情けなくて……)
レットは戦闘不能になり、地面に横たわることすらできずにその場に座り込む。
「…………私はこれでも、君を気に入っていた。君が持っているものは、純粋さと素直さだ。それは“この世界”では実に、稀有な物だった。私の正体を知って尚、立ち向かおうとするなど酷く愚かではあるが……しかし、君は物語の主人公のように勇敢だった」
そう言ってアインザームは座り込んだレットの肩に剣を添える。
その動作は不思議と、爵位を授与する儀式を思わせた。
「そしてその美点は――正体を明らかにした今の私にとっては、ただただ目障りなだけだ。喜べ。私自ら、君を不届き者として聖十字の名の下に“指名手配”してやろう。この世界でお前の居場所はいずれ――消滅するだろう。さっさと帰ると良い、君の現実の生活に」
男の口から出た言葉。それは巨大な獣に牙を剥いた代償。
こうなることはレットにはわかっていて、覚悟していたことだった。
それでも、やはりその心は圧倒的な絶望と無力感に苛まれつつあった。
(ああ……雨が冷たくて……寒い……“あの時”に感じた寒さと――同じだ……)
少年の心をさらに挫くためか、アインザームはレットに語り続ける。
「誰も君のような、素直すぎる馬鹿者を助けるような人間はいないだろう。…………この世界で、君は“孤独”だ――――――――――――――――」
アインザームの声はそこで途切れた。
「――――いいや、いるさ。そんな馬鹿が大好きで仕方ない大馬鹿野郎が……一人だけ、ここになッ!」
聞き慣れた声がレットの耳に届いた。
アインザームの左胸から飛び出していたものは――グニャグニャに湾曲したレイピアだった。
「そして、“ポータルゲートの前”で背中を見せて、隙を見せたアンタも大馬鹿野郎の――仲間入りだ!!」
その男の見た目はいつものように奇抜だった。
頭髪の色はブルーで頭頂部はオレンジ――まるで燃える蝋燭のような奇妙な色合い。顔には目線のような横一文字の黒のフェイスペイントをしている。
珍しくゴーグルは外していて、群青のスカーフは首に巻かれていた。
その男は笑っているような――困っているような――照れているような――何ともいえない表情で、レットから顔を逸らしていた。
「あの時、約束――しちゃったもんな?」
男の“約束”という言葉で、その時の情景が少年の頭の中でフラッシュバックする。
『――お前がこの世界の中で、どんな状況でもそのまま意地張って“馬鹿正直”でいられるのなら――それなりの手助けはしてやるよ』
レットの目から涙が溢れて、雨と混ざり合い地面に流れていく。
その涙は、無力で愚かな自分に対してか。
その男を見た目と素行でずっと疑っていた罪悪感からか。
それともやはり――自分を助けに来てくれた安堵からか。
(――クリアさん……)
言葉は出ない。伝わることもない。
――闘いはもう、始まってしまった。
「何故だ……ゲートは――外に出て初めて周囲を認識できる……ワープした直後に中から瞬時に攻撃ができるはずが!? ……そして、しかも――“我々”に刃向かうとは……この愚か者を助けたことで――この世界で、お前の居場所もいずれ無くなるぞ!」
男――クリアは、邪悪な笑みを浮かべた。
「お前の疑問と脅しに対して、まとめて答えてやるよ。そうだな……“俺の居場所は最初から――とっくに決まっていたってことさ!”」




