第二十話 “敵”との邂逅
二人が小部屋から細い道を進んで辿り着いたのは、砂で出来た天然の大広間である。
広間の中を覗くなり、レットはうめき声を上げた。
「うぇえ……まぁた蜘蛛かよォ!」
広間に生息していた蜘蛛は、上層に生息していた物と見た目の違いは無い。
しかし、大きさが全く違った。
例えるなら――六人掛けのテーブル程の大きさといったところだろうか。
「レベルは――32。初心者が迷いこむような場所に、こんな高レベルのモンスターが配置されているだなんて……」
絶句しながら羊皮紙――ダンジョンの地図を見つめるアリス。
「もし上を目指すとするのなら、オレ達は、ここからどこに向かえばいいんだっけ?」
「上の層に戻るためには、あそこの道の先に進む必要があるみたい」
アリスが指した広間の出入り口は二人が立っている場所の正反対側にあった。
「上層に上がることさえできるなら、ツアーのメンバーに合流できるし、そのまま“光る輝花”に辿り着くことができるかもしれないわ」
「でも、モンスターが沢山いるから、ちょっときついな――どうやって突破しよう……」
「方法が無いわけではないわ。“歩いて通り抜ける”の」
「歩いて!? 敵のど真ん中を?」
「そう。聞いた話では蜘蛛は“聴覚感知”って分類がされていたはずよ。ひょっとすると、音を立てなければ通り抜けられるんじゃないかしら? バレないっていう確証があるわけじゃ無いけれど……」
(“聴覚感知”? 待てよ。 ケッコさんからそんな話を聞いたような――)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「コラコラ少年! 気をつけなくては駄目よ~。敵には大雑把に分けると、“視覚感知”と“聴覚感知”っていう分類が出来るの! 敵をよーく調べて、情報をきちんと見る事よ!」
「でもォ、この猪。音立てても目の前で逆立ちしても襲ってこないじゃないですか!」
「それは襲ってこない“ノンアクティブ”なモンスターなのよ。敵対行動を取らなければ撫でても触っても襲われないわ」
「お~ほんとだ」
「アクティブモンスターでも、視覚感知なら正面に映らなければ襲ってこないわよ。聴覚感知なら近くに居ても音を立てなければ大・丈・夫♪」
「へぇ~見た目地味そうな奴は襲ってこないってことかな? じゃあこの観葉植物が擬人化したような可愛らしいモンスターもノンアクティブ――ギャアアアアアアアアアアア! 聴覚感知だこれェ!!」
「よくできました~! ご褒美に少年にハグしてあげる!」
「あ――いや。遠慮しておきます! というか助けてください死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。あっ――」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「多分、大丈夫だよ。自信は無いけど――自分も教えて貰ったんだ。音を立てなければ問題なく通り抜けられると思う」
(“あの”クリアさんの情報ならまだしも。ケッコさんが教えてくれたことだもんな……)
「そう。じゃあ、進みましょ? レット君がそう言うんだから、信用に足る情報よね?」
(えっ!?)
レットの返事を待たずしてアリスがいきなり歩を進める。
音を立てないようにゆっくり歩いてはいるが、そこには何の躊躇も無い。
(ああ。もう! 駄目だ! 信用して貰っているのにここでビビったら情けないってレベルじゃない――オレも行くしかないッ!)
意を決してレットは赤い大蜘蛛の群れを通り抜ける。
抜き足差し足。
遙か遠くの蜘蛛がガサガサと動くとそれに連動して隣の蜘蛛が距離を開ける。その連鎖で広間中の蜘蛛が一斉に動き回る。
(おえ。気持ち悪ゥッフゥッ!)
蜘蛛の動きの波がレットとアリスの近くまで迫る。
近くに居た蜘蛛が動いて、触覚がレットの顔前を通り過ぎる。
レットの顔が恐怖と戦きで顔芸と紛う程、凄まじく歪む。
運悪く振り向いたアリスがそのレット表情を見て、小刻みに震え始めた。
「〔ちょ……ちょっとレット君――笑わせないで頂戴! アナタ凄く変な顔しているわよ!〕」
「〔いやその。正直、凄く、その――ええと〕」
「〔だ……大丈夫。時間をかけても良いから、ゆっくり進みましょう〕」
「〔ああ。わかってるよ。ゆっくりだ……ゆっくりね!〕」
この時のレットは知識として知っていたわけではなかったのだが、“焦らずに時間をかけて確実に通過する”というこの判断は間違っていなかった。
五感のいくつかを封じている状態で生息しているということはそれだけ鋭敏な聴覚を持っているということであり、今作は無駄に設定が凝っている為、普通に歩く程度ではモンスターに簡単に感知されてしまうのである。
本来、装備品から音が出ないように軟膏を塗布したり、専用の隠密魔法を使って通過するのがセオリーであり、熟練のプレイヤーからすれば、この二人の移動方法は正気では無い。
二人は知る由も無いが、もしもその足装備が皮製でなくガチャガチャと音を立てる金属製であったのなら――床が柔らかい砂地でなかったのなら――この広間で“本日の冒険”は終わっていた可能性が高かった。(と、後日レットはケッコに教えられることになる)
そのまま、幸運にも二人は広間を通過することに成功した。
アリスとレットはそのまま出口を出て上層に続く細道を登っていく。
「〔もう。レット君のせいで見つかってしまうところだったわ。こんなことなら――顔を拭かなければ良かったかしら?〕」
「〔ええ~~そりゃあないよ〕」
「〔ごめんなさい。ちょっとした冗談よ。冗談〕」
そこからさらに二人はダンジョンを進んでいく。
モンスターがいないことを確認しながら入り組んだ道を進んでいくと、先程の広間とは全く違う開けた空間に辿り着いた。
そこは、先ほどの広間とは違い縦に広い空間で――巨大な吹き抜けとなっていた。
その空間を見上げれば、上の層の道が複雑に入り組んでいるのがわかる。
――わかるのだが、レットの視線はその空間の“床部分”に釘付けになっていた。
「――――――――――何だよ。これ」
無残な光景が、床一面に広がっていた。
先程まで一緒に行動していたツアーのメンバーがひしめき合うように倒れている。
その密度は先程の小蜘蛛の大群を思い出させた程であった。
「皆……戦闘不能になっているわ。まさか――上から飛び降りたの!?」
アリスが慌てて蘇生をしようと近づいて――
「――離れるんだ!」
――部屋の反対側から大きな声が聞こえて、洞門の中を反響した。
そこに立っていたのはツアーのリーダーのエルフの青年で、その体は身に纏う装備品ごとボロボロになっていた。
「なんて――ことだ……。身を挺したハズの自分が――一番最後の生存者になるなんて……そんなことが……」
息も絶え絶えのリーダーにレットが歩み寄ろうとする。
「い、一体何があったんですか!?」
「駄目よ。レット君――リーダーさんのHPが回復していないわ! 彼、“まだ戦闘中”なのよ!」
それを聞いたレットの歩みが止まった。
「そうだ――二人とも、自分に近づいては駄目です! 僕を見殺しにしてここから逃げなさいッ! 君達だけでもクエストを――あれ?」
そこまで言ってエルフの青年が目線を下ろして自分の腹部を見つめる。
そこから――
――鋭利な銀色の突起物が飛び出ていた。
“銀色の刃”が腹の中に消えていくと同時に、吹き飛ぶようにエルフの青年のHPゲージが消滅する。
「ぐうっ…………!!」
そして、彼はそのまま前のめりに倒れて――動かなくなった。
(何だ? 何が起きた!? い、今、あの人の後ろから――)
レットが背後の暗闇に居る“人物”を確認する前にアリスが動いた――
「〔レット君。走って!〕」
――その腕を掴んで別の小道を走り出す。
危うく何も無い場所で躓きそうになるが、どうにか体勢を立て直して牽引されるレット。
「もしかして、あれって――」
「間違いなくPKね。タチが悪いわ……初心者のクエストクリアを妨害する為に、ダンジョンの深層で待ち受けているなんて!」
レットは走りながら後ろを振り返る。
迫ってきている人物は身を隠すように黒いフードを纏っている。故に、性別も種族も不明であった。
(アイツが一人でツアーのメンバーを全滅させたってことか……。どうしよう……このままじゃオレ達もすぐにやられる!)
「よ、よーし。こうなったらオレが――」
「私が“アレ”を引きつけるから、その間にレット君は逃げて頂戴!」
(“一度で良いから言ってみたかった台詞”を、先に言われちゃったよォ……)
「ちょ――ちょっと待ってよ。アリスが死んだらあそこで倒れていた他のメンバー達を誰が蘇生させるのさ! 皆ここまで時間をかけて歩いてきたんだ。その頑張りを無駄にするわけにはいかないだろ! オレが囮になるってば!」
走りながら、アリスはレットの言葉を聞いて悩むような素振りを見せた。
――が、それはほんの一瞬だった。
「……他の人のことなんてどうだって良いわ! 私は他でもないアナタのことが心配なの!」
予想だにしていなかった少女の返答に、レットは驚きながらも苦悩する。
(そう言ってくれるのはとっても嬉しいけど――アリスに死なれたら皆が困っちゃう! ――なにより、オレの憧れるヒーローだったら。ここは絶対に格好良くキメるシーンだ!)
レットはアリスに引っ張られながらも思案して、そして提案した。
「ええと……じゃあさ、こうしよう――二手に分かれるんだ! 見つかった方は運が悪かったって事で、割り切って切り抜ける! それでいいだろ!?」
レットの咄嗟の提案を受けてアリスは頷く。
「ええ、そうね。それで行きましょう!」
そのまま狭い通路を走る二人。
入り組んだ道の前で、二手に分かれる。
「こっちよ! 来なさい!」
咄嗟にアリスがPKを挑発“してしまった”。
どちらを狩るべきか思案していたPKが走るアリスの方をじっと見つめる。
(まずい! 考えろ――考えろ! アリスを守るためにアイツを引きつけるにはどうすればいい!? ――待てよ?)
レットは立ち止まりT字路の真ん中に立つ黒いフードの人物――PKに向き直り、わざとらしく咳払いをする。
立ち止まるPK。ソレに対して――レットは“ドヤ顔で”中指を立てた。
「――――――――!!」
そのレットの姿を見るやPKはこちらに向かって駆け出してくる。
(やっぱりだ。本気で追って来ているわけじゃ無い。追いかけて楽しんでいたんだ。そんな状況でターゲットに本気で煽られたらイラついてぶっ潰したくなるに決まってるよな! って……コイツ、足速いッ!!)
レットの“煽り”は予想以上に相手の怒りを買ってしまったのだろうか?
PKは先程とは比べものにならないほどの速度でレットを追いかけてくる。
いつの間にか距離が縮んでいき、レットはあっさりと小部屋に追い詰められてしまった。
(駄目だこりゃ――速すぎる。でも上等だ……上等! これ以上、アリスに格好悪い所見せられるかっての! あれ? ――なんだこれ? “壁が光っている”ぞ!)
レットが背中の壁を見遣ると、そこには砂だらけのダンジョンに似合わない輝く白い花が生えている。
それは間違いなく『光る輝花』であった。
(適当に逃げ回っているうちに、ゴールに辿り着いていたのか……)
剣を抜く音がして、レットは前方に向き直る。
PKは、銀色の片手剣を取り出してレットに近づいてきた。
「ぐっ…………言っておくけどな――怖くないぞ!?」
「……………………」
レットの言葉に対して黒いフードのPKは黙したままであった。
「そんな無言の圧力も全ッ然怖くないね! オレのフレンドや知り合いの方が、色んな意味でお前なんかより100倍怖いんだぞ! たかだか普通の悪そうなプレイヤーに殺されるなんて、今更なんだって言うんだよ馬ッ鹿野郎!」
初心者の割に“理不尽な戦闘不能”というシチュエーションに晒されすぎた故なのか、ここに来てレットの反骨心が爆発した。
「というかむしろ――黙って殺されてたまるかアアアアア!」
窮鼠、猫を噛む。
レットは先に剣を抜いて黒フードに斬りかかろうとする。
(あれ? なんで――)
しかし、剣を抜いた段階でその刀身は“既に折れていた”。
「だから速ッ――――――――――んげッ!!」
レットの腹部に衝撃が伝わり壁面に叩きつけられる。
体が跳ねて反り返ったレットの視界に映ったのは、飛び上がったPKが握る銀の剣であった。
(な、なんだよこれ……なんとなく予感はしていたけど、いくらなんでもキャラクターに性能の差がありすぎるだろ!)
音が無くなり、視界が真っ暗になる。
自らの死を実感し、レットが悔しさで頭を抱えた。
そう――頭を抱えた。
(あれ? 何で“体が動く”んだ? オレまだ生きて――)
「――そこまでだ」
レットを覆っていた影。
命を奪おうと放たれた銀の剣は、レットの頭部に振り下ろされる前に虚空に受け流されていた。
受け流した盾には豪勢な装飾が施されている。
鞘から抜かれた剣は長大で美麗。
彼を庇うように立つその緑金の鎧の男の名はアインザーム。
以前レットが下水道の隙間から見上げていた『聖十字騎士団団長』――その人であった。
【キャラクターの見た目や名前の変更】
ヘアースタイルや刺青などはゲーム内で変更できるが、細かい顔パーツの変更は原則として不可能。
ただし作り直し自体は期間限定、且つ回数制限有りで可能。名前に関しても同じ。
その代わり、現実世界のお金をつぎ込む必要がある。
見た目や名前の変更が容易でない理由は、名前や声、顔を簡単に変更できるようになってしまうと悪事をやりたい放題できるようになってしまうためである。
余りにも公に問題行為を起こしてキャラクターの外見を弄り倒して“逃走”したプレイヤーがいた場合。他のプレイヤー達によって大規模な捜索網が敷かれることがある。
口調で変更前の身元が疑われ、自白によって正体がバレたという逸話があったりする。
そして何より、自分の罪は消えない。
「見つけたぞテメェ!」
「いや! 俺達違いますって! 雰囲気が似てるだけですって! 人違いですって!!」




