第十九話 蜘蛛の意図
――かくして、初心者プレイヤー一行はククルトの洞門に到着した。
地表に入り口となる洞穴がぽっかりと空いている。
そこから地下に降りて行く道が見え、中から砂が流れる落ちる音がレットの耳に聞こえて来た。
「よし! モンスターに見つかって“絡まれたら”戦闘不能になる前にきちんと報告するように! 全員で対処しますよ!」
ツアーの参加者達は、リーダーの先導で洞門に足を踏み入れた。
ククルトの洞門。
洞門は洞穴の別称であり、オーメルドの厳しい乾燥気候が地層を風化させ、その結果として砂と化した地層が洞穴内に流れ落ちているダンジョンである。
狭い隙間からわずかに光が差し込み、洞門内の砂山に光の柱を作り出しているのが特徴。
その構造はまるで蟻の巣のように上下に複雑に入り組んでおり、階層ごとにモンスターの強さが大きく変わる。
そのため、新たにゲームを始めたプレイヤーが迷い込んで戦闘不能になることもあるという。
このダンジョンは、「通常のダンジョン」に分類され、つまり様々なプレイヤーが同時にアクセス可能な“フィールドの延長として存在するダンジョン”である。
「ち~ゃんと着いてきてくださいよ! 無いとは思うけど、下の層に落っこちたりしないように!」
リーダーの指示の元、列を乱さぬままダンジョンを下っていくツアーメンバー。
いくらモンスターが強いダンジョンとはいえ、ここにいるプレイヤーは合計20人。トカゲや小さな亀が勢い良く襲いかかってくると同時に、大量の武器と魔法が降り注いで“蒸発”していく。
(酷いなこりゃ。一人で戦ったら間違いなく死ぬのはこっちなんだろうけど)
たった一匹のモンスターが大多数のプレイヤーに囲まれ殴りつけられている様をみて、レットの中の僅かな良心が痛んだ。
「えーっと……たしか、ここを右でしたね!」
リーダーの指示に従って大きな広場を進む一行。
地上から砂と一緒に光が差し込んでいる為か、そこは仄に明るかった。
「――ちょっと待って頂戴!」
「あ、はい。何でしょうか?」
列の後ろから、アリスが地図を凝視するリーダーに大きな声で話し掛ける。
「私も無印の時のダンジョン情報を見ているのだけれど。――ここに部屋なんて表示されていないわよ?」
(……え、何それ?)
レットが周囲を見渡してメンバーの反応を確認する。
他のメンバーも皆、状況が理解できていないようであった。
「ん~……んん? ということは。僕らは“存在しないはずの部屋”にいるってことですかね? …………なんか怖いなあ。ちょっと一度戻ってから――あれ?」
リーダーが不意に首を傾げる。
その違和感はレットにも直ぐに理解できた――
(なんだ? 地面が動いているような……)
――広場の床の砂が揺れるように動き始めている。
(そうか――トラップだ! きっと、デカいボスモンスターか何かが出てくるぞ!)
覚悟を決めて真っ先に剣を抜くレット。
しかし、その予想は外れてしまった。
地面から姿を現したのは――蜘蛛である。
サイズはランドセル程の大きさで広場の端から足下まで大量に湧いて出て来た。
妙にリアルな造形で、レットの足に生き物特有の嫌な感覚が伝わってくる。
勢い良く飛び出れば良い物を――何故かぞわぞわと湧き出るように登場したためレットの中の生理的嫌悪感が爆発した。
「「ウゥワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」
恐怖の余りその場に蹲るレット。
その体に容赦なく蜘蛛が覆い被さってくる。
「ちょちょ、おい。うるせえよ!」
「なんだよ……なんだよこれェエエエエ!」
「イヤアアアアアアアアアア!!」
レットの悲鳴があまりにも迫真すぎて恐怖心を必要以上に煽られたためか、ツアーに参加していた他のメンバーは蜘蛛に対して、まさに蜘蛛の子を散らすように広場の中を逃げ惑い始めた。
「「落ち着いてください! 落ち着いて机の下に――じゃない! とにかく皆さん冷静になってください!」」
蜘蛛に纏い付かれながら、広場の中央でリーダーが絶叫する。
「リーダーさんも落ち着いて頂戴! レット君――よく見て! この蜘蛛達はレベルが低いわ! アナタが恐れる必要なんて無いのよ!」
体に登ってくる蜘蛛をはたき落としながらアリスがレットに激を飛ばした。
(そうだ……そうだ。落ち着けオレ……。ダメージは喰らっているけど全然痛くない! この気持ち悪い感触さえ耐えれば……。――何だ? このゲージ――)
いつの間にか、レットの視界の隅っこに赤黒いゲージが表示されていた。
蜘蛛に噛み付かれる度にそれが増加していき――
――突然、“タイヤが破裂するかのような鈍い音”と共にレットの視界が真っ暗になる。
(何だよ……目に何か入ったのか? ――水? お湯か?)
レットが左手で目を擦る。
擦った手にべっとりとこびりついていたのは、血だった。
気がつけばその全身から夥しい量の血が流れ出ている。
痛みはほとんど無い。
しかし――一瞬にして減少した自身のHPゲージが、本能的にレットの危機感を煽った。
「「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」」
先程と全く同じ悲鳴を上げるレット。
しかも、それで終わりではない。
蜘蛛の攻撃には毒が付与されていたのか、そこからさらに体力がじわじわと減っていく。
レットは半狂乱になり、蜘蛛を振り払う為に転がり回ろうとするが、逆に蜘蛛を巻き込み団子のようになってしまう。
レットの視界は再び真っ暗。
激しい回転によって上下の感覚が失われ、天井も地面もわからない。
しかし直ぐに、レットの失われた平衡感覚は戻ってきた。
なぜなら――その“下半身が地面に埋まり、身動きが取れなくなってしまった”からである。
(なんだよこれ! 今度は砂に吸い込まれるゥ!)
広場の端に隠されていたのは天然の“蟻地獄”だった。
そこで体制を僅かながらに立て直したのか、ツアーメンバーが蜘蛛に対して範囲魔法を放つ。
レットの体に付着していた蜘蛛たちが敵意の矛先を変えて、一斉に飛び退いた。
ようやく視界が鮮明になるも、地面に沈んでいくレットの混乱は収まらない。
「誰か! 誰か誰かッ! 誰か助けてエェェエエエ!」
悲痛な声が広場に木霊する。
少年の視界に写る物は足下と広場の壁面だけ。
後ろを振り向いて状況を確認したいが、既に胸の部分まで体が飲み込まれてしまっておりそれすらままならない。
ただ、その耳に他のメンバーが戦っている音が聞こえてくるだけであった。
「誰か助け――わぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ」
ついにレットの体は完全に飲み込まれ――“落下”した。
「ドワアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
高所から、下のフロアへの転落――
「う……ウグッげほッ。ゴホッッァ……」
――天井から止めどなく流れ落ちてくる砂に噎せ返りながら、レットは自分の現状を確認する。
(ダメージは――無いな。砂の上に落ちたからかな? とにかく……ここから上に戻らなきゃ!)
――と、少年が決意した瞬間に上から大量の砂と一緒に何かが降って来た。
「わぱっ!」
レットの背中に強い衝撃と柔らかい感触が伝わる。
「ご……ごめんなさい。レット君!」
落ちてきたのはアリスであった。
彼女は謝罪をして、砂を被りながらもなんとかレットの背中から飛び退く。
(嗚呼……柔らかったなあ。いやぁ――酷い目にあったけど……来て良かった)
ニヤつくレットの顔色は、自らの血液のせいで――その名に違わず暗く赤くなっていた。
二人は積み上がった砂山から出て、周囲を調べる。
砂で出来たようなその小部屋の出入り口は一つだけで、周囲にはオブジェクトも無ければ敵も居ない。
「レット君。大丈夫? 体力が自動で回復しているから、戦闘からは抜け出すことができたみたいだけれど……」
「うん――なんとか大丈夫。他のメンバーは無事なのかな?」
「レット君が取り乱しただけで、あの蜘蛛で他のメンバーが壊滅することは無いと思うわ」
「うぐッ……そうですね。叫んでスミマセンでしたマジで……」
「混乱するのも仕方のないことよ。蜘蛛の攻撃には毒が付与されているらしいし。レット君が受けた“出血”のステータス異常は、HPが割合で削れてしまう物なの。いきなり体中から血が吹き出て、さらに体力が減っていったら、誰だって驚くわ」
(ゲームなのはわかってるんだけどなあ。蟻地獄に呑まれるなんて、生まれて初めてだよ……)
アリスは落ちてきた天井を見つめ、少し考え込むような素振りを見せる。
「あのトラップはリニューアルで新しく作られたのかもしれないわね。このゲームの開発者って、ひょっとして性格が悪いのかしら? 私もうっかり、引っかかってしまったわ」
(なるほど、アリスもあの蟻地獄に引っかかったのか)
アリスの目線に釣られて天井をぼうっと見つめるレット――
「それにしても……もう――背中が冷たいわ。体中砂だらけね……」
――横側から布が擦れるような音が聞こえてくる。
(はえ? ……何の音だろ?)
「いや、オレはもう砂だらけってレベルじゃ無いよ。アリスもさっき落ちた時んでぶばばばばばばばばばばばばばばば」
視線を下ろしてアリスの方を見たレットが、奇声を上げた。
彼女は既にローブを脱ぎ捨てており、両脚装備のショートパンツを脱ごうと両手をかけている最中だった。
露わになった下着は過激なデザインではなく、特別な装飾が成されている物ではなかったが、しかしそれはレットにとって十二分に過激な光景だった。
「えっと、その……レット君」
アリスは手を止めて、レットを見つめる。
「あ……あ。すいませんでしたアアアアアアアアアーーーッ!」
(やべえええええええええ! ガン見してた。オレのバカバカバカバカバカァアン!!)
レットは赤面して、慌てて後ろを向く。勢いをつけすぎて、体に付着していた砂が周囲に僅かに飛び散った。
「もう……どうして謝るのかしら? 装備品の砂を落としている間、他の人がこの部屋に来ないか見張っていて欲しいのだけれど……」
「あ――うん! 任せて! オレ全力で見張っているから!!」
慌ててその場から離れて出入り口から外を覗くレット。
細い道が通じているが湾曲している為か、道の先の様子まではわからない。
(うーん。下着を見られても怒られないなんて、どういうことなんだ? もしかして――オレには見られても良いとか、“心を許してくれている”ってことなのかッ!?)
外を見張る素振りをしつつ首を僅かに動かして、レットは片目で背後を確認する。
――服を着終わったアリスと、丁度目が合った。
「あッ――も」
『申し訳ありません! もうしません!』
――と再び敬語で謝罪しそうになる寸前でアリスが歩み寄り、先にレットに話し掛ける。
「余計な事をさせてしまってごめんなさい。冷静に考えたら、こんな辺鄙な場所に誰も来るわけないわよね。それでも、やっぱり知らない人に見られるのは恥ずかしいから……。レット君も装備を脱いだ方がいいわ。ほら、体中砂と血で真っ黒じゃない」
「え? は!? あ、えっと。あ――いや……いいよオレは。一旦町に戻ってから落とすよ」
レットは自分の体を見つめて溜息をつく。
全身には固まった血と砂がこびりついていた。
「服を脱いで叩く程度じゃ綺麗にならないと思うし……」
「ならせめて――顔だけでも拭いた方が良いわ」
少し考えてからアリスは装備品だろうか――インベントリからスカーフを取り出してレットの顔を拭う。
「あ……ありがとう」
(何だろうこれ、やたら上品なスカーフだな……)
水色の布地が砂と血で赤黒く染まっていき、逆にレットの顔は幾分か綺麗になった。
「そのスカーフ。綺麗にして返すよ。汚したままじゃ申し訳ないし。高そうなアイテムだし」
「気にしなくて良いのに……。でも――そうね。お願いしようかしら。高くは無いけれど、私にとっては大切なアイテムだから……」
そう言って、アリスはレットにスカーフを手渡す。
その裏面には、黒と金の十字架の紋章のような物が刻まれていた。
(何だろうこのエンブレム。ブランド物なのかな?)
アリスは、自分たちが落ちてきた穴を見上げる。
「さて――ここからどうやって上の階層に戻るかを考えなくてはいけないわね」
「他のメンバーが助けに来るのを待つっていうのはどう?」
「それは駄目ね。私がリーダーさんに伝えたの。『私が助けに行くからこのまま先に進んで欲しい』って――あっ」
しまったという風に口を抑えるアリス。
その仕草さえ無ければ、普段のレットなら聞き流していたかもしれない台詞である。
「あの……アリス。――さっきは“うっかり落ちた”って言っていなかったっけ?」
レットが引きつった表情でアリスに尋ねる。
「う――嘘をついてしまってごめんなさい。実は私……アナタを助けるために飛び込んだの! でも、助けるに決まってるじゃない! 私達、その――フレンド同士なんだから」
ばつの悪そうな表情でアリスは弁解する。
「いや、うん。まあその……うん。助けに来てくれてありがとう」
助けに来てくれて嬉しいやら――気を使われて情けないやら、複雑な心情のレットであった。
【ダンジョントラップ】
通常ダンジョンの場合は特定の座標にランダム発生。
トラップはダンジョンの雰囲気や周囲の世界観を尊重しており、プレイヤーからが無駄に凝っていると評される。
トラップでしか登場しないようなレアなモンスターも存在するので状況次第では、わざと引っかかるような“トラップハンター”も存在しているようだ。
トラップに引っかかって死亡してしまい、蘇生待ちで死体がそのままになっていたりするプレイヤーもたまに見かける(特に外国人プレイヤーに多いとされる)。
「ダンジョンのトラップ? ああ、怖くないね。イカれたパーティメンバーの方が100倍恐ろしい地雷だよ。しかも、踏んでみるまでわからないと来た」
【蒸気船クエストの報酬について】
レットが今回挑戦したこのクエスト、とにかく手間が掛かる。
必要アイテムの所得が無駄に困難だった為、実装当初まだレベルの低かったプレイヤー達にとってはまさしく“壁”であり、報酬の5000ゴールドは後付けで追加された物。
クエストの内容を調整しようとはしない辺りが実にいい加減であり、『リソースを裂こうとしない開発者の都合が丸出しとなっているのが実に生々しい』という感想を述べているプレイヤーも居たという。
そもそもククルトの洞門自体、公式のマップ(他のプレイヤーが記したものではなく。システム上で確認できるマップ)を自由に手に入れることが困難であり、初心者が気軽に挑めるダンジョンではない。
開発者がどういう意図でこのダンジョンを作って蒸気船のクエストアイテムを設置したのかをプレイヤーから疑問視されることもある。




