第十八話 あの山に登るための第一歩
『現在オーメルド兵陵からポルスカ森林の境界線において大多数のプレイヤー同士の争いが発生。通行の妨げとなっている。この戦いは大規模かつ苛烈であり現在終わりが見えない状況である。初心者プレイヤーは戦いが終わるまで無理をせず、最寄りの前哨基地や町村で待機することを強くお勧めする。【ルソニフ地方紙】』
「――本当に、とんでもないことになってるなあ……」
黄ばんだ羊皮紙を広げながら、レットが呟いた。
彼が今いる場所はアロウル、オーメルド兵陵の最北に位置する港町である。
(別れちゃったクリアさんは今頃どこで何やっているんだろう……)
アリスとフレンドになった後に前哨基地に戻ろうとしたレットであったが、そこでクリアから『プレイヤー同士の争いが起きているから戻ろうとするな。今戻っても身動きが取れなくなるからアロウルに向かえ』という指示を受けた同時に、遙か遠くで鳴り響く爆発音が鳴り響いた。
前哨基地に戻ったところで、そこから移動ができなくなってしまっては意味が無い――と判断したレットは、クリアの指示通りに時間をかけて最北のアロウルに到着した。
そして、その後に新聞を購読して事の顛末を知ったと言うわけである。
(いつになったらフォルゲンスに戻れるのかな……もちろん、悪いことばかりじゃないけどさ……)
「レット君! ほらほら。リスポーンポイントの設定を忘れちゃダメよ!」
大地をそのまま削って作られたような石造りの階段の上からアリスがレットを呼ぶ。
「あ……ああ、今行くよ」
石段を登り、リスポーンポイントの管理をするNPCに話しかけて設定を行うレット。
「これでまた全滅してしまっても、二人ともここに戻ってこれるわね」
アリスのその言葉を聞いてレットが驚いた。
「えっ!? アリスも設定したの? フォルゲンスに設定していたはずじゃ……」
アロウルの外にはポータルゲートがあり、リスポーンポイントに戻ることも可能だったが、アリスはそれをしなかった。
クリアの指示を受けたレットを落ち着いてここまで先導してくれたのも、何を隠そう彼女である。
「いいのよ。既に設定は終えてしまったし、何より私が好きでやっているんだから。それより見てよレット君。私、新しい装備買っちゃった!」
アリスは両方の手のひらをレットに差し出す。
そこには、深い青色の穴空き手袋が装備されていた。
「いいなあ。オレも早く装備品、何でも良いから全部付けてしまいたいよ」
(そういえば……タナカさんから“奪った”右手装備。まだ付けたままだった……やべェ……早く返さないと)
「そんなレット君に朗報よ。ほら、この募集を見て頂戴」
アリスが腰のポーチから緑色の羊皮紙を取り出した。
「ええと、これは何? 見たことも無いアイテムなんだけど……」
「あら、“プレイヤー募集”のことを知らないのね? いいわ、私が説明してあげる」
レットの左手を引っ張るアリス。
穴あきの手袋をつけているからか、少女の手のひらの暖かさと指の冷たさの感触にはギャップがあり、レットは思わずドキリとした。
(いやあ~気に入られてしまいましたかなこれは~~デヘヘヘヘヘ)
緩んだ表情のままレットが連れて行かれた先には――大量の紙が貼られた木製の掲示板が立てられていた。
近づくレットの前に見慣れないウィンドウが表示される。
「これがプレイヤー達の募集掲示板よ。色んな用途があるの、プレイヤーがプレイヤーを募集したり。仕事を直接依頼したりね」
後にレットが知ることとなるが、募集掲示板は町、国家に最低でも一つは設置されている。
貼りっぱなしの情報は下に蓄積されており、とあるクエストをこなすと利便性が向上する。
報酬は依頼主から直接渡すことも出来るし前もって預けておくことも可能である。
「へぇ~。ここに来る間もそうだったけど。アリスは何でも知っているね。同じ初心者とは思えないや」
「当たり前よ。私がゲームを始めたのって、レット君より大分前だもの」
「でもさぁ、キャラクターのレベルは同じくらいだよね?」
「最初は町の中で他の人達とお話してばっかりだったから。外に冒険に出ようって決心したのは……つい最近のことなの。それに、前にもお話ししたけれど、レット君がクリアさんに色んなことを教わるように――チームのリーダーに色々教えて貰っていたから」
(羨ましいなあ……。クリアさんにはほったらかしにされるし。ロクでもない情報ばかり教わってるんだよなあ……)
自らの“先生”の差を体感するレットであった。
「それで、この掲示板からコピーを取ってきたのがこの募集。レット君。読んでみて」
アリスが差し出した募集用紙をレットが改めて覗く。
「えーと何々――『蒸気船乗船許可証入手クエストの必要アイテムを“ククルトの洞門”で入手するツアーを企画! 参加されるメンバーを募集しております。参加される方は募集用紙をチェックして地点に集まってください。お願いします』」
そのクエストの内容はオーメルドで妻を喪ったNPCから弔いのための花を取って来て欲しいと頼まれる物。クリアすると本人が持っていた許可証は“もう使うことは無い”と譲り受けることになる。
不意に汽笛の音が聞こえてきて、レットは背後の海を見つめる。
遠くには大小様々な蒸気船が行き来していた。
(西に向かう航路行きの船があれか。そして、あの船に乗るためには『乗船許可証』が必要なんだな……)
「なるほど。いつかはあの船に乗ることになりそうだし、初心者がこなすべき必須のクエストっぽいね」
「それだけじゃないわ。クエストをクリアするときに5000ゴールドも貰えちゃうのよ。旅のお駄賃ってことでね」
「へえ。随分気前が良いんだね」
「ここでこのままじっとしていても仕方ないもの。レット君、このツアー。一緒に……参加してみない?」
アリスはまるで縋るような表情でレットに提案をしてきた。
(いやあ~こんなに強く迫られたら断れませんなあ! 断るなんて選択肢、最初から論外だけど! お金も欲しいし。船にもいつか乗ることになるだろうし!)
レットは視線を上げて、アロウルの村から見える大きな雪山を見つめた。
(そうやって冒険を続けて強くなって、あの山にアリスと二人で登るのが当面の目標だな!)
「もちろん参加するよ。アリスの言うとおり、他にやることなんて無いしね」
「よかった――決まりね! それじゃ、クエストを受注して頂戴」
アリスの指示を受けてNPCからクエストを受注するレット。
募集を調べてから、町の入り口に集まっていたプレイヤーの集団に合流する。
そこには20人近いプレイヤーが集まっていた。
(随分大所帯だなあ……)
狭い町の入り口に集まっている為、やたら窮屈であると感じるレット。
実際、無言で通行するプレイヤーが居たがレットから見ても実に邪魔そうであった。
「応! 新しいメンバーが入ってきたようですね! 募集に参加してくださってありがとうございます。ただの初心者プレイヤーですが、今日は自分がリーダーをさせていただきます。よろしく頼みますよ!」
(なるほど、この人が募集主件、リーダーってことか……)
人混みをかき分けながらレットとアリスに気さくに話しかけて来た浅黒い肌色の青年。
彼の種族の名前は“エルフィン”。
世間一般的なファンタジーにおけるエルフ族と似通った外見の種族であり、プレイヤーからは“エル”“エルフ”といった呼ばれ方をすることもある。
ゲーム内では『強い物には誰であれ敬意を表する』という所謂武士的な思想を持っている種族設定が存在しており、秘匿された存在では無く、他の種族に対して寛容な姿勢を見せているというのもファンタジーの一般的なイメージ像のエルフとは違う点である。
「私の名はアリスです。よろしくお願いします」
「あ……えと、よろです。レットっす……」
アリスに習って頭を下げるレット。
「いやあ。狭くて申し訳ないです! ちょっと集合場所の設定間違えてしまいました! 何分、募集掲示板を使うのは初めてなもので!」
言うだけ言って募集メンバーの中心に戻っていくリーダー。
雑談している周囲を見回して、レットはウィスパーでアリスに話しかける。
「〔なんか、皆似たような格好というか……熟練のプレイヤーはいないのかな?〕」
「〔そうね。誰かしら知識のある上級者プレイヤーが手伝ってあげても良いと思うのだけれど……〕」
(あー。そっか。近場にいる上級者はプレイヤー同士の戦争に行っているんだっけ?)
熟練のプレイヤーが集まっているのは、まさにオーメルド兵陵の南の前哨基地周囲であり、要するにクリアの言っていた“戦場”である。
この場にいるメンバーは誰にも手伝って貰えないからこそ、こうやって集まっているのだろう――とレットは推測した。
(――優しい上級者ってあんまりいないのかもな……)
そして、まるでそれが当たり前のようにツアー参加者の中にケパトゥルス族の姿は見えなかった。
「よーし、募集締め切り! それでは注目。ほいだばクエストの内容と今日の流れを確認しますよ! もしもーし!」
リーダーが大きな声でその場にいる全員に語りかける。
全員が静かになるまでそこから20秒程かかった。
「――はい。というわけで今日の目的はダンジョン、『ククルトの洞門』の最奥にある譲渡不可のアイテム“光る輝花”を入手して持って帰ることです。入手して外に出た段階でツアーは解散とします! モンスターに襲われたら全員で一斉に殴って倒す! 以上! 質問は何かありますか?」
(大雑把だなあ。聞きたいことはあるけど。こんな大人数がいる状況で質問できる人ってそんなにいないと思うけど)
「ごめんなさい。少し質問良いかしら?」
躊躇無く手を上げたのはアリスである。
(うへぇ……凄ェ。度胸あるなあ……)
「は~い。何でしょうか!」
「募集用紙には書かれていなかったのだけれど。ダンジョンに入る上で参加者の私達が何か気をつけないといけないことってあるのかしら?“このモンスターには気をつけるべきだ”とか、“こういうギミックが危険だ”とか」
アリスの質問を受けて、リーダーは何もない空間から羊皮紙を取り出して捲り始める。
「う~ん。そうだなあ……。全員で行動すれば、特に気にすることはないと思いますよ? きっちりリニューアル前の『無印』の頃の情報があるわけだし、今日はこれを頼りにクエスト進行しますんで、僕に付いてきてくれれば大丈夫だと思います」
「じゃあもう一ついいかしら? パーティは組まないの? 何かあった時に困ってしまいそうだけど……」
「あーいや……その……この人数でパーティを組むとその……どうしてもパーティからあぶれる人が一人できてしまうので。『みんな! 二人組作ってー』ってヤツと同じ結果になるのが嫌なんでパーティ作ってません!」
そのリーダーの発言で、周囲に笑いが起きた。
(生々しいけど、その配慮は凄くありがたいかも……)
「なるほどね。わかったわ。ありがとう。頼りにしているわ――“リーダー”さん」
「あはは~ハイ。頑張ります!」
アリスの応援に照れるエルフの青年。
(……………ぺっ!)
――それを見て、レットは内心で僅かに嫉妬した。
「みなさん。他に質問は――――――無いと言うことで、それでは出発出発~!」
かくして、参加者達はリーダーを先頭に移動を始める。
固まって移動するとモンスターに見つかる可能性があるということで、メンバー達はゾロゾロと縦二列にアロウルからオーメルドの海岸沿いに歩き始めた。
「自分、このゲーム始めたばっかりで――」
「ええ! モンスターに弱点なんてあるのかい!?」
「――チームってどうやって入るんです?」
「この前、凄く気持ち悪い緑色のモンスターが――」
雑談をしているメンバーを見つめて、ふとレットは思った。
(ゲームを始めたばっかの初心者同士の集まりだからか、皆んな結構気さくだなあ。もっと真剣な雰囲気で挑む物かと思ってたけど。想像していたのとイメージ違うかも……)
レットは隣で歩くアリスに話しかける。
「なんというかこう――小学生の遠足みたいだね」
「私は集団下校を思い出すかな。こうやってよく並びながらお話ししたものよ。…………レット君、海側に来た方が良いわ。モンスターに襲われるかもしれないもの」
「ちょっとォ――勘弁してよ。車に轢かれないように小学校低学年の子が道路の外側歩くのと同じだよそれェ」
「レット君は見ていて危なっかしいんだもの。良いから代わって頂戴!」
(車には普段から気をつけているんだけどなあ……)
やれやれと呟いてアリスと位置を交代するレット。
そこで、遙か遠くから轟音が鳴り響いた。
南の方角で起きているプレイヤー同士の“戦争”の音である。
ここ数日間鳴りっぱなしである為、今更動揺するようなメンバーは居なかった。
「このツアーが終わった頃にはあの“戦争”が終わっていると良いんだけど。頼みの綱のクリアさんはずっと音信不通だし……。どうしようかな――オレ」
不安で曇るレットの顔を、アリスはしばらくじっと見つめてからポツリと呟いた。
「ねぇ――レット君。実は、私ね。提案したいことがあるんだけど」
「うん――何?」
「このまま二人で、蒸気船に乗って別の大陸を一緒に冒険してみない?」
アリスの提案を受けて、レットは目を輝かせて返事をする。
「それ! すっごく良いね! 面白そう!」
「――えっ?」
レットの返答にアリスは驚いているようだった。
「え――あれ? ……オレ、何か変なこと言ったかな? 正直、他に行くあてもないから――何だっけ? “渡りに船”っていう感じ――っていうか……」
慌てて取り繕うレット。
――“一人じゃ心細いし”とまで言うことはしなかった。
「それは、もちろん嬉しいのだけれど……本当に――本当に良いのかしら……?」
「もちろん! 良いに決まってるさ!」
「…………ありがとう。それじゃあ――クエストが無事に終わったら、一緒に行きましょう? でも……」
「――でも?」
「――ううん。何でも無い。暫くの間、フォルゲンスには戻れないと思うのだけれど、それは大丈夫なのかしら?」
「ああ……まぁ、たしかに。クリアさんにバレたら五月蠅いかもしれないなぁ。『隣の大陸は危ないから云々かんぬんであって~~どうたらこうたらという理由で~~気をつけなければいけないんだ』とか長ったらしい説明を聞くことになるかも……」
レットの物真似にアリスがくすくすと笑う。
「可笑しいわ。クリアさんって、いつもそんな雰囲気でレット君に色々アドバイスしているのね」
「アドバイスらしいアドバイスなんてしてくれないよ! 聞きたくも無いようなことを聞かされてばっかりなんだって! 隙あらば蘊蓄挟んでくるし!」
「良いことじゃない。アナタ――きっと心配されているのよ」
「うーん……そういうものなのかなあ……」
「ええ。私も実感しているけど、親身になってくれる人がいるっていうのは――幸せなことよ」
アリスはそう呟いて、南側の――遙か遠くの戦場を見つめた。
【この日レットが拠点にしていた、アロウルの町の特産品】
この町の特産品とされているアイテムはアロウルレッドペッパー。
直接食べることで低体温症の対策になる。
気付け薬と消毒液の素材にもなり、酒の原料や燃料にも使われたりと利用用途が多岐に渡る便利な品。
二つ目の特産品はアロウルオレンジ。
長期間の船旅の為に寒冷地でも育つように品種改良されたオレンジで、体に必要な栄養を備えており食料と水分補給の両方をこれ一つでこなせて、尚且つ船上での栄養不足を防いでくれるという大国に輸出されるほどの逸品である。
――とはいえ、実際にプレイヤーがゲーム内で低体温症になったり栄養失調を起こしたりするわけでは無い。これはあくまでエールゲルムの世界設定の中のお話である。
【募集掲示板の四方山話】
募集掲示板はめくって全部の募集を読んでみると中にはかなり奇抜な内容の物が紛れていることが有るので“あえて変な募集のコピーを収集する”コレクターも存在している程。
締め切りの設定も自由なため募集したパーティで“伝説的な事件”が起きると冒険先の話のネタ確保の為にそのコピーをストックするプレイヤーが現れたりすることも……。
「はいこれ。全員でクエスト進行中に君が死んだせいで全滅して皆の一時間が台無しになったときの募集用紙」
「ああもうわかったよ。今日は何を驕ればいいんだよ!」
【The kurimanju】
それはまだクエスト作成のUIがいい加減だった頃の話。
どこかの著しく性格の悪い男が、完全に悪戯目的で作った伝説のクエストである。(クエスト名の語源は不明)
このクエストの用紙を手に入れると同時に受注した扱いとなり、瞬間的にクエストはクリアとなってしまう。
クエスト報酬は――このクエストの募集用紙二枚。
“この募集”によってエールゲルム全体が崩壊の危機に陥り、大規模なメンテナンスに発展したとされる。
「WTF! What the hell is this quest! It never ends! I can't “clear” it! Heeeeeeeeeeeeeelp meeeeeeeeee!」