第十七話 光が照らす世界
クリアの言葉とほぼ同時にそれは起きた。
オーメルド兵陵に点在していたくすんだ色の巨大な結晶石が、突然強く発光をし始める。
その上に積もった雪が光を鈍く、淡く反射させた。
「うお! 凄ェ……!」
吹雪で左右に揺らめく視界の中、様々な色の光が空に向かって細く高く――真っ直ぐに伸びていく。
そして、今まで無音だったオーメルド兵陵にBGMが流れ始める。
それは吹雪で尚且つ、夜時間限定で流れる――厳しさとは正反対の、穏やかさと儚さ溢れる物であった。
現実には決して存在しない幻想的な――しかし現実と見紛う程の情景にレットは圧倒された。
「――――素敵ね」
(ああ――本当……本当に……)
レットの体は吹雪に煽られ既に冷えきっていたが、心の中でどこか不思議な暖かさを感じていた。
――目の前の絶景に。
――微笑みかけてくるアリスの表情に。
――そして、エールゲルムという世界そのものに。
(オレ……ここまで…………ここまで生きていて――よかったぁ……)
「レット君、どうしたの?」
「ごめん……ごめん。なんか色々凄すぎて……なんかオレ。わからないんだけど……よくわからないんだけど――――涙が出てきて。今までずっと、身体がっていうより、その――どこか……心が“寒かったから”かも……」
震えるレットの手から外套が抜け落ちる。
彼が涙を流す理由。
“ソレ”を彼女に打ち明けられるほど彼の心は強くはなかった。
強くないからこそ、彼は仮想の世界を求めていたのかもしれない。
「レット君も、何か――辛いことがあったのね。……でも、もう大丈夫」
アリスが自分の近くで身を屈ませる。
直後にふわり――と柔らかい感触がした。
「座って頂戴。これでもう――心も身体も冷たくないわ」
(――――――――――――――――!!)
アリスは外套を拾って羽織った――”レットと一緒に“。
言われたとおりに座り込むも、密着しているアリスの体が気になって涙を流したままレットは動揺していた。
「いいのよ……大丈夫。泣きたいときには泣いたほうが良いから」
「だ……大丈夫だよ。目に……雪が入っただけだから!」
「本当? ――本当に?」
(うわ……顔が、近い! いやあだめだ。緊張するッ!)
すぐ隣でこちらをマジマジと見つめるアリスに照れながらレットは困惑する。
(この前もそうだったけど、どうしてこんなにオレのことを見つめてくるんだろう。ひょっとして、オレのことを気に入ったとか!?)
沈黙に耐えられず。レットの顔が次第に赤くなってくる。
そんなレットを見つめて、アリスがくすくすと笑った。
「今日改めて気づいたけど。レット君って、ちょっと『うさぎっぽい』感じがするかも」
「え!? どうしてそう思ったの?」
「――今日、レット君のパーティに私が駆けつけた時。どっちがウサギでどっちがレットくんなのか、一瞬わからなくなっちゃって、その時に初めて『あ、レットくんって、うさぎっぽいな〜』って。そう思ったのよね」
(うぅ、つまりそれってオレが弱っちいってことじゃん。もっと、カッコイイ動物に見られたかったなあ……)
アリスの所感を聞いて、レットは深く落ち込んだ。
「それに、そんな風に感情表現が大袈裟なところとか。小さくて“か弱い”から、どこか守ってあげたくなるような感じとか。“ウサギっぽいな〜”って。装備品も白いし、雪が髪の毛に張り付いて、真っ白になっているし」
そう言ってからアリスが手を伸ばして、レットの頭にくっついていた雪を取り払う。
(オ、オレ……“うさぎのままで良いかも”……)
雪を払い終わった後、アリスは僅かに顔を埋めて、笑みを浮かべたままレットをじっと見つめてくる。
アリスの透き通った目に吸い込まれそうな感覚を覚えるほどに二人の距離は近く、吹雪と結晶石の光が少女の瞳に映っていた。
「レット君、顔が――真っ赤になっているわ。体調が悪いのかしら……この世界の中で風邪を引くだなんて、あり得ないと思うのだけれど……」
「ああ、いや。これは風邪とかじゃなくて、ちょっとスキル暴発しただけだって!!」
レットのしどろもどろの言い訳にアリスがクスクスと笑う。
「もう、レット君って面白いわ。今日だって、物凄く長い自己紹介をしていたじゃない? あれって自分で考えた物なのかしら?」
『オレの名前はレッド! ダーク・レッド! 黒き晴天の騎士の光の剣の達人だ! この世界の宿命を背負う男だ! それが何かは現時点では全くわからないけどよろしくな! 趣味は刃物の収集とゴミの収集! このゲームの他のプレイヤー達とは違ってなんか最強の能力を持つ予定で、神がかった反応速度をもった隠れた天才タイプ――だと思っています! 好きな女性のタイプは胸があっていい匂いがして怒ったりしない感じの人です! 知り合いにいたら紹介してください! よろしくお願いします!』
(あの自己紹介もアリスに聞かれてたアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 改めて考えるとオレ恥ずかしィイイイイイイイイイイイ!)
レットは吹雪の中に飛び出して“地面に寝転がってバタバタしたい”衝動に駆られる。
「あ……あー!!。あれは……あれはその。オレの……願望というか、“こうなりたいな”っていうイメージを自分で口で言うことによって目標に近づこうとしているというかなんというか……まあ、前向きにやっていこうという気持ちの表れでして……」
「その、レット君の名前について少しだけ……前からず~っと気になっていたことがあるのだけれど、レット君って――ひょっとしてレッ“ド”君なの? 名前のスペル、全然違う気がするのだけれど」
「あーそれか……。別におかしくないんだ。いつも叫んでいる“ダーク・レッド”って言うのは俺の憧れで……そう呼んでもらいたいだけで、そのぅ………………。実は、“レット”っていうのはオレの――――――――――――“現実の本当の名前”をちょっと変えたものなんだ。これ、クリアさんにもまだ言っていなくって。その……秘密にしておいてくれると助かる……かな」
(クリアさんにこれ言ったら怒られるだろうな……“現実の名前をキャラクターにつけるな”って……。名前について結局言いそびれてたから、怒られずに済んでるけど……)
「へぇ……。そんな理由があったのね」
「まあ、自分でこんな名前にしてる以上、レットって呼ばれても仕方ないんだけどね」
「あんまり詳しくないのだけれど――ひょっとしてダークレッドって言うのはアニメの登場人物か、何かなのかしら? 実は、色んな種類のフェルトのお人形を…………友達に貰ったのだけど、その中にレット君とそっくりのキャラクターがいたのよね」
「え? そ……そうだよ。VRMMOが舞台のアニメの主人公の名前なんだ。………………やっぱり変かな。アニメの主人公に憧れるだなんて――」
「そんなことないわ――良いじゃない。自分の好きな物なんだから!」
急に語気が強くなったアリスに、レットは少しだけ驚いた。
「う……うん。ありがとう。でもさ、変なんだよね。いつも“ダーク・レッド”って叫んでいるのにクリアさんは愚か、誰一人オレの“名前のスペルが違う”とは一度も言ってこなくってさ。皆、レットって呼んでくるだけなんだ。こうやって聞いてくれたのはアリスが初めてだよ」
「うーん。ちょっと“不思議な人”に思われてるのかも知れないわね。私としては、レット君って呼んだ方がしっくりくるかな」
「そっか――……」
レットは深いため息をつく。
「アニメの中のダークレッドみたいに、オレの勇気が――この世界の中で、誰かを救えるんだって。そんな風に……心から信じられるくらい頑張れたら良いんだけど……」
そう呟きながら、レットはこれまでの冒険を思い返して頭を掻きむしった。
「実際は……空回ってばっかりで、全然うまくいかなくって――」
「――レット君はレット君だもの。無理して背伸びなんてしなくていいのよ。ありのままのレット君が一番格好良いじゃない」
「(かかかかかか格好! 格好良いって言ったの今!)」
「――何か言ったかしら?」
「にゃにゃにゃにゃんでもない……です」
密着しているためか、二人の間を通り抜けようとする風も雪もそこには既に無い。
後はただ、少年にとって楽しい時間だけが過ぎていく。
「本当さ――オレ、このゲームを始めてから未知の体験ばっかりだよ。わからないことだらけでさ。クリアさんが居なかったら割と路頭に迷っていたかも」
「私もよ。チームの――リーダーが親切な人で助かってるわ。何もかも初めての体験だから、困ってしまうわよね」
「現実みたいに剣を振り回すのも初めてだったし。焚き火を囲んだりするのも初めてだったし」
「そうね。私は自分のキャラクターの操作が一番新鮮かも。現実の体よりその――スラッとしているから、動きやすくて本当に助かるわ。私の理想の体型なのよね」
(馬鹿な! その真のポテンシャルはゲーム内での見た目より遥かに上だというのか!?)
そこで、レットはクリアの言葉を思い出す。
『そして、おそらく現実の体の方が遥かに女性的なはずだ。動きに“ズレ”がある』
(クリアさん……本当に何者なんだ?)
「――ええと。レット君?」
険しい表情をしているレットにアリスが心配そうに声をかけてくる。
レットは慌てて、咄嗟に話を切り替えた。
「そうだ。あと――こういう景色。こんな綺麗な景色はオレ見たこと無いなぁ……。このゲームの名所なのかな。ここって」
「フィールドごとに絶景や秘境のような場所があるみたい。オーメルドは天候と時間限定で“フィールド全体が秘境になる”っていうのはチームで聞いていたのだけれど、私も直接見たのはこれが初めて」
(こんなに綺麗な景色を見れるだなんて、思ってもいなかったな……)
“自分が活躍できる仮想世界”というものをただただ漠然と求め続けていたレットにとって“純粋な世界の美しさ”というものは予想外の副産物であった。
「秘境と言えば……例えば――ねえ、レット君。あの雪山の上ってね。天然の温泉があるみたいなの」
遠景は吹雪によってほとんど視認できない状態となっていたが、アリスが指をさした先には、うっすらと山のような物が映っていた。
「そっかあ……温泉があるっていうのは良いなあ……」
吹雪を見ながら、湯に浸かる妄想をして思わず体を震わせるレット。
「どのくらい先のことになるかわからないけど――今度、私と一緒に入ってみない?」
「へっ!?」
(温泉! 温泉? 温泉! 温泉? 温泉ッッッ!?)
湯に浸かってもいないのに、レットの顔は再び茹でた蛸のように真っ赤になった。
「(……それは裸のお付き合いなのか! そうなのか!? って駄目だ駄目だめだめだめだめだ! 落ち着けって! 何考えているんだオレ!)」
「レット君、何か言った?」
「あ――いや! 何でもないよ! 何でも! いやあ~~行きたいなあ。もう今すぐにでも行きたいくらいだあ~~! 絶対行こうね、うん!」
レットの目が不自然に泳いで、チラチラとアリスを見つめる。
「でも、強いモンスターが沢山居るらしいから私達二人のレベルで簡単に行けるような場所でも無いみたいなのよね……」
「それじゃあ、レベルをもっと上げないといけないね。大分先の話になりそうだなあ」
(土日の予定は”終日レベル上げ”に決定だッ! あ……でも、待てよ……。レベルを上げるってことは――)
「また、パーティ組まないといけないわね。今度は喧嘩しないようにしなくちゃ。レット君に迷惑がかかってしまうもの」
「オレは平気だよ。でも……次いつ会えるかわからないし。でも――――ええと……その、つまりオレが言いたいことは――その」
「レット君」
「はいい!!」
「――私とフレンドになってくれないかしら?」
(いやったああああああああああああああ!!!!)
レットの脳内で大量の“二頭身にデフォルメされた自分”が派手なBGMと共にサンバを踊り始めた。
「どうかしら? レット君の言うとおり、このゲーム、知っている人じゃないと中々出会えないんだもの」
「そう! オレもそれが言いたくって。でも、ええと、オレなんかがフレンドになって本当に良いの――かな?」
ぎこちなくレットが尋ねる。
「もうお互い、知らない物同士って訳じゃ無いもの。それに、レット君は私の――」
「わ……私の?」
「――ううん! 何でも無いわ。レット君はどうかしら?」
「ああ、うん。ええとその。はい! 喜んで!」
「よかった……! 何か困ったことがあったら、いつでも私に相談してね?」
気がつけば夜が明けていた。
同時に吹雪が止み、モンスター達は溶けるようにどこかに消えていく。
二人が洞穴の外に出たとき、既に結晶石の光は消失していた。
荒々しかったはずの大地は柔らかい銀世界に変貌し、レットに振り返ったアリスの背中から、日の出の後光が溢れ出していく。
「改めてよろしくね――レット君!」
光の中で、アリスはレットに微笑む。
とても。とても眩しい――
そう、レットは思った。
【ハイゴウル山脈】
試される大地。もはやフォゲンス共和国にとっての自然要塞と化している雪山郡。
山脈の裏側から登る場合、逆側の地方から踏破しなければならない。
温泉があり、入ればストレス解消。
間欠泉があり、入れば戦闘不能。
「そう――ハイダニアとフォルゲンスを隔てる自然要塞……ハイゴウル山脈だ」