B面 第八話 頼 り に な る 仲 間
リュクスとミナの二人と別れて、休憩用のフロアからダンジョンの攻略を開始した俺は――
「参ったな……あのプラントとかいう配信者、相変わらず人気者のようだ」
――昨日以上の速度で城を降りていた。
具体的なフロア数から推測するに、もう既に城の地下には入っているだろう。
この場に至る道中で倒したプレイヤーの恰好を思い返しながら、俺は思案する。
(装備品を見ればわかる。昨日と違って、このゲームを昔からやっている古参プレイヤーの割合が増えている)
その理由とは、まさに昨日出会ったプラントという男にある。
おそらく、このゲームを昔から遊んでいるプラントの視聴者があの男に勝負を挑むために出待ち行為をしているからだろう。
配信をしていないにも関わらず、これほどまでプレイヤーが集まるというのは中々の物だ。
そして、結果的に自分たちが彼のファン達を“先回りして無差別に殺しまわっている”ということになる。
やっていることの絵面が最悪で、配信の視聴者からは相当な恨みを買うだろうが――このような無法地帯でそんな企画に参加しようとする方が悪い(……と、思いたい)。
俺は攻略中のフロアを回り込みながら、倒してきたプレイヤー達の人物像を考察する。
(あの配信者――“フルダイブ形式になってからは他のゲームを配信していた”はずだ。即ち“このゲームに長時間にログインするユーザーは視聴者になっていない可能性が高い”ということになる)
その事実を肯定するかのようにフロアで出会うプレイヤー達は誰も彼も、微妙に手ごたえがない。
実力者はフルダイブになってからも四六時中ゲームにログインをしているわけで、あの男の配信など観る余裕などない――といったところだろう。
そういった理由でエンカウントするプレイヤーに遅れを取ることは決してないが、しかしだからと言って余裕があるわけではない。
これ以上呑気にフロアの見聞をしていると、あの男の“企画”に本格的に巻き込まれかねない。
(時間をかければかけるほど、プレイヤーの数は増していく。急いで下のフロアに降りなければ……)
そんなことを考えながら城内の通路を駆けていくうちに、眼前で足を止めているミナの背中が見えた。
――なるほどと納得する。
どうやら、ここは滅多にない“モンスターが沸くフロア”のようで、大部屋の中央には、“モンスターの集団”が徘徊している。
ミナが大部屋の中で足を止めているのも、どのように対処してよいかわからないからだろう。
俺が大部屋に足を踏み入れると同時に、ミナがこちらに振り返った。
「俺がこの部屋をどうやって通過するのかを知るために、わざわざここで待っていたのか?」
どうやら、このフロアに出現しているモンスターは【ウェアウルフ族】のようだ。
ウェアウルフは、人間と狼の特徴を併せ持つモンスターだ。
人間と同じサイズで襤褸布を身に纏っているから人間が変異したように見えるが、元からそういう姿のモンスターで、鋭い爪と牙、夜目や音に敏感な能力を持っている。
「いいえ、そういうわけではございません」
ミナは前かがみになりながら、俺の銘が刻まれた首輪をこれ見よがしに見せつけてくる。
「むしろ逆です。“この場所では、クリア様から学ぶべきものは何もない”――そう判断しました」
前かがみの姿勢のまま、ミナは自らの腰の後ろにゆっくりと左手を添える。
「……おい。こんな場所で一体何をするつもりだ?」
「パーティに入っていない男女が部屋の中に二人だけ――」
突然、眼前にいたはずのミナの姿が消えた。
俺は咄嗟に、握っていた曲剣を――まるで背中を掻く孫の手のように構える。
全く同じタイミングで背中から衝撃が伝わり激しい金属音が鳴った。
「――“やることなんて決まっていますわよね?”」
そう呟いてから。ミナはくすくすと厭らしく笑って、ふっ――と首筋に息を吹きかけてくる。
「私は別に、師匠のお手伝いをするためにここに来ているわけではありません。自らを鍛えて、クリア様を打ち倒すためにこの場に同伴しているのです。ず~っと虚仮にされて辛いから、この短期間でどのくらい私が強くなったのか――クリア様に確認してほしくなりましたの!」
「だから、不意打ちをせずに真正面から勝負を仕掛けたというわけか?」
「御冗談を。アサシンが全力を出すには前準備が必要なのはご存じでしょうに。こうやって鍔迫り合いをしながらお喋りに興じて時間を稼げば、獲物を取り逃がすことなく、強化のバフを付与しながらスキルのCDも復活させられると――――思っただけです!」
その言葉と同時に、背中に掛かっていた重さが抜けた。
俺は即座に振り返りながら武器を構える。
ミナが胸から取り出して巨大化させたばかりの、鋏の回転軸を分解させた。
引きちぎるかのように分かたれた二本のブレードをそれぞれ両手に一本ずつ握ったまま、こちらに向かって突進する。
空気の揺れが迫ってくる。
先程の鍔迫り合いの時よりも、遥かに強い力で振り回される二本のブレードを一本の曲剣で受け流す。
金属がぶつかる音が響いた。
「おい。メンテナンスまで時間がないのに。俺たち同士で時間を無駄にしている余裕はないはずだぞ?」
「その割には随分と余裕そうですわね? 精々(せいぜい)――私を楽しませて欲しいものです」
「そんなゲームのラスボスみたいなことを言われてもな……俺は全く楽しくないし、そもそもなぜそんなことをしないといけないんだ?」
ミナの舌打ちする音が聞こえた。
“余裕綽々でありながら、狭量な俺の態度”にどこかしら苛立ちを感じたのかもしれない。
「どうあれ……この殺し合い、受けていただかなければ困ります。いいえ、“困るはずですわ”。私ではなく――クリア様が!」
言葉の意味を即座に理解した。
退路をふさがれているこの状況。逃げ出すことはできない。
『私と殺し合わなければ、このまま部屋の中央に逃げてウェアウルフの餌食になってしまいますわよ?”』
前の前の女は刃を振るいながら、そう言いたげに笑みを浮かべている。
しかし、この女は勘違いしている。
きっちりとした事前準備――職業スキルによるバフがかかっているが故か、アサシンのミナの連撃は“彼女の想定以上に俺にとって激しすぎる”。
殺し合う余裕などない。
――“殺し合いたいが殺し合えない”。
それが故に、後退は免れない。
だから躊躇なく、俺はミナに対して背を向けて“部屋の中央に向かって走り出す”。
俺に気づいたウェアウルフ達が一斉に攻撃を仕掛けてきた。
ミナの攻撃を受け流しながら、これらの攻撃を捌くのは困難だ。
ウェアウルフ達の攻撃を受けて、自分の体力が瞬く間に減っていく。
しかし、俺は気にせず部屋を突っ切るように逃走を続けることにした。
モンスターに対して、俺は敵対行動をとっていない。
即ち、ミナがモンスターに対して僅かでも攻撃を当ててしまえばその標的は変わり――状況は逆転する。
だから、こうやって“モンスターを引っ張りながら盾にするように走ってしまえば”ミナは簡単に俺に対して手は出せないだろう。
「――逃がしません!」
ミナの足音が背後から聞こえなくなった。
つまり――先程と同じように、“スキルを使って再び自分の背後にワープしてくる”。
今度は時間を稼ぐために使われるわけではない。
バフがすべてかかった状態で、そのスキルが使用されると――“ワープ可能な回数が増える”。
“最大で合計六回なのだ”。
背後の空気が揺れた途端に咄嗟に振り返ってミナの攻撃を受け止める。
即座にミナの姿が消える。
上品な笑い声が、途切れ途切れに左右から聞こえてくる。
ミナは、オレの背中から迫ってくる“モンスターの背面”をワープで行ったり来たりしながら、こちらに向かって巨大な鋏で刺突を繰り返してきた。
ウェアウルフ達の攻撃だけで既に体力が半分ほど減っている。
ミナが勝利を確信して、笑みを浮かべた。
直後に――ミナは真横から攻撃を受けてよろめいた。
信じられないといった表情でミナが真後ろを見つめた先には“先程まで存在していなかった”モンスター。
別のウェアウルフが新しく二体ほど湧いて、いつの間にかミナを追走していた。
それを確認した後、俺は再び背中を向けて全力で走る。
部屋を抜け出して通路まで逃げることで、俺を追いかけていたウェアウルフ四体の追従が一斉に止まる。
こうなると、こちらに向かって突っ込んでくるのは“ミナと新しく湧いた二体のウェアウルフ”だけだ。
ミナが自分と同じように部屋を抜けて、通路に逃げ込んでくると同時に前方をチラリと見た。
腕を組んで待機している自分を見て、敗北を察したのか顔が真っ青になっている。
時間切れだ。
アサシンのバフも切れている。
自分と同じ位置にまで逃げたことで二体のウェアウルフの追従は途切れたが――もう手遅れだ。
俺はこちらに向かって駆けてきたミナの首根っこを掴んで、姿勢を崩す。
それからその体を壁面に向かって叩きつけた。
「この――まだ――!」
懲りもせず、今度は持っていた鋏を小型化させて自分の腕に向かって突き付けてくる。
ため息をついてから、ミナの腕を掴んで地面に向かって抑えつけて馬乗りになった。
「これで――今度こそ終わりだな」
「ぐぎぎぎぎぎぎギギギ。ぐやじい。ぐやじい。ぐやじいでず~!! 途中まで――完全に思い通りだったのに……」
ミナが抑えつけられた状態のまま武器を取り落とした右手拳を握りしめて地面を何度もたたく。
藻掻いているからか、俺の背中にハイヒールの踵が何度も当たった。
こうやって改めてねじ伏せてみると。
やっぱりこの女の素行は異常だが、このゲームを遊ぶ一人のプレイヤーにすぎないのだと再認識した。
“ゲームの範疇の脅威”。やはり怪しい感じはしない。
「なんでなんでなんでぇ~!? どうしてあのタイミングで別の敵が現れて襲ってきますの? どうしてぇ~!?」
「この城のあの手の大部屋にはモンスターが六体ほど沸いて徘徊するようになっている。だが、あの段階では四体しかいなかった。二体は時間経過による再出現待ちだったってことだよ」
「その二体が私に襲い掛かるところまで計算済みだったということですの? それはおかしいですわ! まるで敵が登場する位置やタイミングを完璧に把握していたみたいに――」
「その二体を倒したであろうプレイヤーは、さっき通路の逆側にいた“直近の位置を移動してきたプレイヤー”――俺がここにくる前にさっき斃したばかりだ。だから、モンスターが再度沸く瞬間を大雑把に逆算できたんだ」
「――へ?」
「加えて俺は“このタイプの大部屋の中”に沸く“敵の徘徊パターン”も知っているからな。あの時部屋の中を徘徊していたモンスター四体の位置を見れば、“どの初期位置のウェアウルフがリポップ待ち状態になっていたかもすぐわかる”」
取り押さえられている状態のまま、ミナが首だけを動かして自分の方を見つめてくる。
「さらに言うと、あの二体をお前が捌ききれなくて逃走してくることも予測していた。ウェアウルフは月齢が新月になったとき限定で刺突攻撃に対して追加の耐性が付くんだ。だから――捌ききれなかったってわけさ」
「骨に打撃が有効とか、スライムに魔法が有効に通じるとか、有名なものは私もしっています。でもウェアウルフにそんな隠しプロパティみたいな専用の属性耐性なんてあるわけが――」
「それが、あるんだよ。――というか、実は全モンスターに存在する。無印の時にデータを解析したユーザーの情報があるんだ。――と言っても、それを調べたやつは相当な暇人だし。公開された時に興味を示したプレイヤー自体そんなにいなかった。ほとんどのプレイヤーにとって“知らなくてもほとんど困らない些細な知識”だからな」
「だ、だったら尚更、不自然じゃありませんの! 私、きっちり下調べをしたつもりです! Clear・Allはモンスターとの戦闘が不得意で知識が不足しているんだって! 以前、私の前であれほど苦戦をしていたから! モンスターを嗾けて、馬乗りになって鋏で串刺しにすれば倒せると思ったのに……」
(――えげつねえこと考えやがる)
俺はドン引きしすぎて距離を置きたくなり、あわや一瞬ミナの拘束を外しそうになってしまった。
「“対人に携わる場所に限ってはモンスターの属性耐性や隠しプロパティまで頭の中に入っている”。ここで俺が好き勝手やるために“必要な情報”だからな」
「そ、そんな知識まで使って戦うようなプレイヤーがいるだなんて、聞いたことが――師匠ですら……そんなことはしていないのに……」
ミナが俺に向ける感情は、確実に好意的なものではなかった。
こちらもこちらで明らかにドン引きしている。引きすぎて、顔が青ざめている。
感情のままにエモートを暴発させてしまっているのか。
両目の虹彩が、まるで整った形の指紋のような細かな同心円を描いていた。
「あ……いえ。これは……ご、ご立派ですわ本当に。さ、流石に……“多大な時間を持て余していらっしゃるだけのことはあります!”」
「…………フォローになっていないぞ」
図星をつかれて気まずくなったのか、ミナは話題を乱暴に切り替えた。
「で、でも、そこまでご立派なら、先程挑戦状を叩きつけてきた配信者の方々を倒すことだって容易ではありませんの?」
「ダメだな。俺が必要な分野で知識を沢山持っているのは――」
“他のプレイヤーと比較して足りていない要素が沢山あるからだ”と口に出しそうになって、慌てて言葉を噤んだ。
「俺の話はここまでにしておこう。これ以上話す必要はないからな。その一方で、お前はこの階層に至るまでの間、俺の前で情報を公開しすぎている。それも敗因だな。事前情報さえ足りていれば、よほどの達人――それこそお前の師匠くらいの強さでもない限り、俺はそうそう負けたりはしないってことだよ」
「――随分と、吾輩を高く買ってくれているようだな」
顔を上げて振り返るとリュクスが立っていた。
戦闘に関してこの男を俺が高く買っている理由は、“まさにこういう時に気配を感じさせない所”にある。
「……暗い城内で貴公らが淫妖に絡まり合っているのを見て、混ぜてもらおうかと思ったが。その貴公の好意的な評価に甘んじて、ここではきちんと順番を待つことにしよう。加えて吾輩、教え子には絶対に手を出さないという血盟もあるが故」
「何を勘違いしてるんだ。気持ち悪いからやめろ」
ミナの拘束を解いて、俺は立ち上がって自分の体についていた埃を軽く払った。
「Mina・Rouge《狂愛の乙女》が反旗を翻す可能性を鑑みてはいたが、吾輩も貴公のことを高く評価しているが故、特に心配してはいなかったよ」
そう言ってリュクスが俺に対してやたらと顔を近づけてくる。
「――貴公なら、“今の彼女”程度、赤子の手を捻るようなものだろう?」
野太い声を纏った息が掛かって、俺は顔を顰める。
「……“大した信頼”だな」
「前々から少しだけ気になっていたのですけれど。クリア様と師匠って、一体どういう関係なのかしら?」
「貴公のような淑女には些かダーティな……。大人の関係というモノだよ」
ミナがありもしない事実に衝撃を受けたのか、目を見開いて片手で口を押さえた。
「へ、変な誤解をするな! 簡単に説明すると、こいつはただの変態の異常性欲者で“そういう性癖を持っている”ってだけだ。俺みたいな病的に肌の白くて不審なビジュアルの細い男キャラのどこが良いのかさっぱりわからん」
「……ご自身で言ってて、悲しくならないのかしら」
「寂しいよ吾輩。貴公が強く求めるのなら、吾輩としては吝かではないのだが」
くつくつと嗤って、リュクスは再び。
今度はほとんど寄りかかっているくらいに俺に対して顔を近づけてきた。
「(貴公の白磁の“脚”はとても美しい。普段から露出をしていないのもさらに良い。――人は考える葦だ。貴公のそれは人間味があって知性を感じさせるものだ。この世界が悪戯に対して厳しい没入型なのが実に残念だよ)」
……もしもフルダイブじゃなかったら、この男はオレのキャラに対してナニをするつもりなのだろうか?
俺にとって全く理解できない台詞を吐いてから、リュクスは意味ありげに口端を歪めてからミナに対して弁解した。
「要は――美しいものを見ると“見境なくて滾ってしまって仕方がない”という話だ。……“いずれ”、Mina・Rouge《狂愛の乙女》にも“理解できる日”が来るだろう」
こちらの弁解の内容も意味がわからない。ミナも同じ反応なのか、眉を細めている。
この男は普段から煙に巻いたような物言いをするのだが、それを加味してもこの男の言葉は100年経っても理解できなそうだった。
「……話はここまでだ、誰しもが隠したい秘匿の一つや二つはあるものだろう? 例えば、Mina・Rouge《狂愛の乙女》が“真の実力を発揮していない理由”などもそれに該当するに違いあるまいよ」
――とはいえ、こういう部分もきっちりと“見抜いて”いる辺りは流石と言わざるを得ない。
リュクスを直接褒めるようなことは、絶対にしたくないが。
「リュクスの言う通りだ。ミナ、お前“こんな厳しい状況で本気を隠している”だろ」
俺とリュクスの指摘が図星だったのか、ミナはバツの悪そうな表情で口籠る。
「はぁ……お二方とも、気づいていらっしゃったのね……」
AHでの買い物の時に購入した装備品や、この城の中で実際に戦闘をしているところを見ればわかる話だ。
そも、“誤魔化せると思っていた時点で俺と師の力量を見誤っている”節も感じられる。
「おそらくお前が普段選択しているのは、“不意打ちを主体とした暗殺”ではなく、“正々堂々かつ真正面から突撃するビルド”だろう? 加えて。これは戦ってみてわかったことだけどな。お前、“不意打ちよりも堂々した戦い方のビルドの方が適正がある”ように感じたぞ」
俺の言葉を受けてミナは、嬉しいような悲しいような。
なんともいえない、複雑な表情をしていた。
「自分自身がやるべき、相性の良い戦い方をしない理由はなんだ? もしかして、適正のある戦い方が薄ら分かっていても、それが受け入れられないとか?」
どんなゲームでも、“自分に向いている戦い方が自分の好みと合致していない”なんてことはザラにある。
自分の“理想の戦い方”と、“自分に向いた戦い方”との乖離に苦しむようなプレイヤーも少なくない。
「いいえ、そういうわけではありませんの。嫌いではありません。むしろ――好きかも、でも、私のその真正面から派手にぶつかる戦い方が――暗殺者本来の職業のコンセプトに合致していないような気がして、普通じゃないというか――抵抗感があるというか……」
これだけ滅茶苦茶場を引っ掻き回して、今更そんなことを悩んでいるのかと俺は呆れた。
「で、お前自身はそれをやりたいのか?」
「本当は、やりたいです……。“自分の好きなようにやっていけたらと思ってます”」
その言葉に、懐かしさを感じた。
レットに対して『自分が始めるべき職業』についてアドバイスをした時のことを思い出す。
あの時も――
『あのな。ゲームっていうのは自由なものなんだぞ? 何がお前を縛っているのかはわからないけど、常識だとかセオリーだとか気にせず“自分が好きなようにやれば良い”』
――最終的に言ったアドバイスは“やりたいようにやれ”だった。
「……どういう意図があってそんなことをやっているのか知らないが予め言っておく。“もし全力を出しても俺には届かない”し。――――俺は全く困らない」
俺の言葉を受けてミナは両目をパチクリさせて、借りてきた猫みたいに急に黙り込んでしまった。
「ただし俺も暇じゃない。この城の中で俺を襲うのはあと一回だけにしろ。そしてやるなら、次は本気で来い。俺が手加減できなくなったら。今度は容赦なく戦闘不能にしてやる」
あしらうように放たれた俺の言葉を受けて、しかし、なぜかミナの口角は笑みを隠し切れないかのように――僅かに上がっていた。
「“自分に対して思うがままに振る舞って欲しい”。そして、“全力で来るのなら全力で応える”ということかしら? なんというか――愛の告白みたいですわね!」
言い放って、感情を抑えきれなくなったのかミナが燥ぎ始める。
「クリア様に認められるために、いつか必ず本気を出して殺して差し上げますわ!」
……一体、何をどう好意的な解釈をしたらそのような奇天烈な返事をできるのか俺にはさっぱり理解できない。
“どうでも良いから好きにしろ”という意図で伝えたつもりでいたのだが――ひょっとすると俺の台詞は、彼女の視点だと、もっと肯定的な――間違った意図で伝わってしまったのかもしれない。
そして俺がそれを否定する前に――周囲にプレイヤーはおらず、すでにフロアの確認が終わったことに加えて、よほど上機嫌になったのか、テンションが上がって気分がノったのか――ミナは王国の広場で披露した時と同じように鋏を振り回して、意気揚々と歌い出した。
(ま、まずい――)
今から歌を止めるのは不可能だと咄嗟に判断した俺は咄嗟にメニュー画面を開いてゲームの音量を下げて目を瞑った。
狭い通路の中で、歌声が何度も何度も反響して巨大な音の塊になって体を揺らした。
鋏から立ち上がった強い光が原因だろうか、瞼越しに目が眩みそうになる。
「……どうやら、この“軽微な不具合”は前のアップデートでは治ってないみたいだな」
「な、なんですのこれ……」
突然の轟音と強い光に、元凶であるはずのミナ自身が目を回していた。
リュクスの方は光と音を遮ろうとしたからか、ネコ族の装備品特有の“両耳のカバー”ごと、帽子を頭の上から押さえつけていた。
「再現性が低いから黙っていたんだが、このタイプのフロアの角部屋では一定量以上の音や光が“重なって増幅する変な不具合”があるんだ。音自体はこのフロアにいる人間にしか聞こえないが、あまりにも大きな“音の振動”は上下のフロアにも伝わる。つまり――この場所でこれ以上派手なエフェクトを撒き散らしながら歌うのはやめておけってことだよ」
『これから“演出付き”で気分良く歌うところだったのに』
そう呟きながらミナが膨れる。
偶発的な現象とはいえ、ミナの歌声とテンションに歯止めがかかったのは自分にとっては僥倖でしかない。
「いい加減、攻略を再開しなきゃいけない。アップデートがあったせいで今日はログインが遅れているんだ。そんな状態で足止めされてちゃ。依頼された任務も――」
システムメニューを開いて現実の時間を確認する。
「――駄目だな。メンテナンスの時間が迫ってきてしまった。今日はここでログアウトだ」
「ま、『このタイミングで同行しているプレイヤーがいきなり襲ってくるとは思わないだろう』と思って仕掛けたのですから、時間が足りなくなるのは当然ですわね!」
「………………」
腰に両手を当てて、得意げな表情をしているミナに対して、俺は無言で非難の目線を浴びせかける。
「反省してますわ……。次からは、“進行の妨げにならないタイミングでお命頂戴いたします”」
(……こいつ、言ってることが滅茶苦茶だぞ)
「まあ貴公――良いではないか? 明日からは国の祝日もあって休みも連なっている。今日はそろそろお開きといこう」
リュクスの言う通り、明日からは祝日が重なり連休だ。時間的な余裕は多分にある。
そして、先ほども自分で言った通り。もしもまた、ミナが襲ってきても俺が負けることはない。
戦ってみて再度確信した。
この女は結局“ゲームの範疇の障害”でしかないし、依頼人のリュクスが良いというのだからこれ以上文句を言っても時間の無駄だ。
「さっきも言ったが、メンテナンス明けはプレイヤーが過密して危険だから――」
「――『20分ほど時間を遅らせてからログインする』ですわよね?」
「物覚えが良いな。その調子で、“明日も頑張ってくれよ“」
皮肉っぽくミナに伝えてから、それぞれがログアウトの準備を始める。
(件の配信者の企画が、さっさと終わってくれると良いんだが。この調子じゃ、明日もやっていそうだな)
そんなことを懸念した直後――
俺は開きっぱなしのシステムメニューに手を伸ばしてログアウト状態を止めた。
リュクスとミナはログアウトしていて、他のプレイヤーは概ね全滅。
フロアにはもう、誰もいない。
念のために感覚を研ぎ澄まして、自分を見つめている“何者か”がいないことを再度確認してから再びログアウト処理をゼロから再開する。
……俺は自分自身がわからない。
果たしてこの瞬間“俺は一体、誰の視線を気にしていたのだろうか?”
誰も俺を見つめていないことに安堵しているのか。
それとも、誰も俺を見つめていないことに不安を感じているのだろうか?
ログアウトが完了して視界が暗転するその刹那。
自分の“よくない過去”がフラッシュバックしたように感じられた。
【ブルーミング・ペタルダンス】(Blooming Petal Dance)
アサシンのスキル。
攻撃可能な対象の背後に最大で6回ほどワープする(ワープ回数はアサシンのバフの状態に依存する)。
アサシンの特定のビルドでは結構重要なスキルであるため、外部サイトやプレイヤーの間では『BPD』とさらに略されて使われることもある。
難点は対象にかなり接近しないと発動できないこと(複数の対象を経由してリーチを伸ばすことは可能)と、複数の攻撃可能な対象が存在すると転送の順番が完全にランダムになってしまうこと。
そして、あくまで攻撃可能な対象の背後に転送するため「行って帰ってくることができない」という点。
ワープ中は攻撃の食らい判定が存在しないため、敵の攻撃を回避することも可能(ただし、一部のレイドボスやユニークモンスターの即死攻撃などはゲームバランスを鑑みてか避けられないようになっている)。
余談だが、略称についてやたら揉めるスキルでもある。
『BP』は本作に存在する“バトルポイント”という単語の略称と被ってしまう。
『BD』は略称として不自然であるという指摘を受けやすい。
『BPD』は略称として最適な感じがするが、実際にゲーム内で咄嗟にスキル名を呼ぶときに長すぎる。(酷いものだと“ブルペン”。“ブグペタ”。“ルンルン”。“ブーンンス”など『イラっとくる略称』としてわざと間違った略のされ方をすることもある)
なので、略称をさらに母音でまとめて乱雑に略した“BPD”が使われるわけだが、この呼び方は元の呼称からあまりにもかけ離れているため、アングラな名称という印象は拭えず。何も知らないプレイヤーからすると意味不明であり、外国人プレイヤーからも首を傾げられる。
「クリア様は『ベペデに頼るのをやめろ』って仰っていましたけど、ベペデって何かしら……」