A面 第八話 疑心暗鬼の二人旅
ルリーカと別れた後の時間に、ゼファーと合流したオレは――
[今日は……時間的に、かなり余裕がありそうだな]
――昨日以上の速度で塔を登っていた。
気が付けば、もう30階のフロアは攻略してしまっていた。
周囲のフィールドは、オレの見知った場所ではない。
[差し支えないようならば、このまま次の階層の攻略を始めても構わないだろうか?]
その言葉と同時に、フロアボスの焼け焦げた死体の上を回転していたタレットがゼファーの元に戻ってくる。
[……はい。問題ないですけどォ]
オレの同意を得た途端に、ゼファーはゴール地点の魔方陣を調べる。
自分達の体が転送されて、休む暇もなく31Fの攻略が始まった。
(――この人、ちょっと様子が変だぞ?)
今日の彼は何というか――妙に焦っているような気がした。
それを証明するみたいに彼は黙りっきり。
昨日と違って、攻略の道中で込み入った話などは一切されなかった。
オレが抜刀する余裕もないくらいの速度でただ黙々と、淡々と、ゼファーはタレットを使って敵を処理して前に進んでいく。
[あの――ゼファーさん。聞きたいことがあるんですけど]
オレの言葉を聞いても、昨日と同じように立ち止まったり、歩みを止めるような雰囲気はない。
振り返るようなそぶりも見せず、一心不乱に前に進んでいく。
どこか、焦りに近いようなものを感じて、そしてその感情がオレにも伝わってくる。
ひょっとすると“昨日のアレ”に関わることなのかもしれないと思って、オレはついに意を決して質問をしてみることにした。
[――あなたが一体、どういう目的でこの塔を登っているのか。正直……ずっと気になっていて。それってもしかして、昨日教えてもらった。あなたが探している女の子に関係していることなんじゃないですか?]
[……アンタがそれを知る必要はないさ。これは俺が解決しないといけない問題だ。しかし、やはり――]
T字路を進行していたゼファーが慌てて横を向く。
焦って前に進みすぎたのか、真横からモンスターが突撃してきた。
咄嗟にゼファーがタレットに片手で指示を出す。
タレットが僅かに発行して、ゼファーに対してエフェクトを付与した。
敵はゼファーを見失ったのか、攻撃を外して通路の反対側にすっ飛んでいく。
そしてその背中を、タレットが追いかけて飛んでく。
その“見えない状態”そのものに見覚えがあった。
例えるなら――【脱衣所から風呂場の中が曇って見えない】ような。
そんな不思議な状態。
オレは驚いて、思わず目を見開いてしまう。
[…………アンタは俺のことを、“信用していないのか?”]
そう言ってから、ゼファーはモザイクのようなエフェクトを解除してから無表情でこちらを見つめてくる。
T字路の奥に向かって飛んで行ったタレットがモンスターを惨殺して、その横顔に血が飛び散った。
ゼファーとオレは、僅かな時間。無言で見つめ合った。
[“いいえ。信用しています”]
[……そうは思えないな。ひょっとして――]
不可視の状態のまま、ゼファーが歩み寄り、オレの目の前に立った。
[俺と似た雰囲気のNPCに襲撃でもされたか?]
まるでオレの胸中を見透かすかのようにゼファーはそう言った。
[…………言っておくが、俺は――――――――“俺は、NPCじゃない”]
[それは――]
オレは思わず言葉に窮した。
ひょっとすると、オレが考えていたことと全く違う可能性をゼファーが提示してきたからかもしれない。
オレが危惧していたのは、昨日オレ達を襲ったのが目の前の彼ではないかという可能性だ。
“プレイヤーそのものがNPCである可能性”なんて、今の今まで考えてもいなかった。
[……このゲームで“そういう心配はしなくて良い”。人間に成りすます以前に、このゲームではAIを搭載されたNPCは今日まで存在していない]
[そ、そうなんですか……]
言葉に詰まりそうになるけれど、オレが黙ったら再び沈黙が続くだけだと思った。
だから、話を続けるために適当な受け答えをすることにした。
[――でも、オレ。人間みたいな受け答えをするNPCを見たことありますけど。このゲームはNPCにはAIが使われていないなんて信じられないな]
[このゲームのNPCの思考ロジックにはAIは仕組まれていない。AIの話を齧っている人間にとってはこれも常識なのだが……“法による規制がされているから”だ。現在人格を高精度に再現するAIは規制されている。フルダイブのVRゲームと違って“明確かつ固有の被害”が出たからだ]
『自分がNPCではない』という身の潔白を証明するために、だけど決して歩みを止めることなくゼファーはオレに対して捲し立てるように語り始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
AI技術が急速に進歩していた時期、特に注目を集めていたのは “人格を再現するAI” だった。
個人が独自にデータを収集し、学習を施して、一つの人格を生成するサービス。
ある種の 「デジタルパーソナリティ」 を生み出す試みとも言える。
『へ、へぇ〜。それって面白そう。自分でパートナーを作るような感じか……。でも、現代じゃそんなサービスは――――少なくとも、本当に人と話しているような気分になれるようなAIは現実で見たことないかも……』
それには、明確な理由があった。
ある時、この種のAIに決定的な問題が発生したのだ。
――“データの喪失” という問題が。
それは想定外の事態だった。
当時、最先端のAIを開発・運用していた企業でさえ、本来はあり得ないはずのトラブルだった。
長い時間をかけて学習させた人格データが、バックアップごと完全に消失するという致命的な事故が発生した。
しかも、このサービスを利用していたユーザーの中には、亡くなった家族や友人の思考をAI上に再現し、彼らとの会話を続けていた者も少なくなかった。
そして、彼らは口々に訴えた。
「俺の友達を、恋人を、家族を返してくれ」
――それは、単なるデータの損失ではなかった。
人々は、作られた人格に「心を委ねる」ほどの信頼を抱いていたのだ。
技術的には、AIは “ただのプログラム” に過ぎない。
だが、それを失ったときの彼らの反応は、まるで実際の人間を喪ったときのようだった。
この事件は、「AIがどこまで人間の代替になりうるか」 という問いを、改めて世に投げかけた。
そして、それに対する一つの答えを示した。
――もし、AIが人間のように振る舞うなら、それを失うこともまた、人間を喪うのと同じ痛みを生むのだ、と。
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[……過剰に技術を信じすぎたまま、思わぬしっぺ返しを食らった時。人は立っていることすらままならなくなるということが証明されたというわけだ]
前を歩く、ゼファーが小さな笑い声を上げる。
何に対して笑っているのか。誰を嘲笑っているのか。
オレにはわからなかった。
[……故に、人格を過剰に再現するようなAIはどのような技術において、一時的に規制されているような状態というわけだ。とはいえ、金稼ぎの種になるからな。資本主義が基本の現代社会ではいずれ規制が緩むだろうが――]
[なんか――物語みたいに上手くいかないんですね。オレにとっては、“本物の人間みたいなAI”って、夢のある話のように感じるんだけど……]
[……そう思えるのはアンタの心が健康的だからだ。しかし、現実逃避している心の弱い人間にとってあんなものは根本的な救いにはなり得ないと俺は思っている。実在する他者を尊重せずに、あんなものに縋っていては、いずれ人は簡単に壊れるだろう――つまりそれほど、仮想人格は危険なものだったということだ]
吐き捨てるように言ってから、ゼファーはダンジョンの先に進んでいく。
[だから、このゲームではNPCになりすますようなプレイヤーは存在し得ない。俺に似た雰囲気のNPCがいたとしてもそれは別人だ。俺はNPCでもなければAIでもない……俺のことが信用できたか?]
[……“似た雰囲気のNPC”なんて、この塔の中にいるんですか?]
[昔、塔を登った知人に指摘されたことがある。あの時は——]
そこまで言ってから、ゼファーは眼前のモンスターに対してタレットをぶつけて戦闘を開始する。
会話は打ち切りになってしまった。
『…………アンタは俺のことを、“信用していないのか?”』
『“いいえ、信用しています”』
咄嗟にそう答えはしたけれど、彼の指摘はある意味で正しい。
今のオレは多分、目の前のこのゼファーというプレイヤーがルリーカに対して何らかの危害を与える存在なんじゃないかと“疑い始めている”。
だけど、この段階で決めつけるのは良くないことだ。
(もう一度、整理して考え直してみよう)
昨日襲ってきた敵はルリーカの言っていた通り。“NPCの占い師”のはずだ。
占い師が襲ってくることはWikiにもちゃんと書いてあった。
それに、ゼファーがオレたちを襲えるわけがない。
今、彼が攻略しているこの階層こそが『昨日ルリーカと一緒にオレが攻略して、襲撃を受けた階層』だからだ。
攻略が完了していないのなら、昨日の時点で襲撃なんてできるわけがない。
でも――
オレの足が反射的に止まってしまう。
(本当に、このままで良いのかな?)
思い返してみても、昨日の敵は彼じゃない可能性が高い。
それでも、頂上に向かう理由を何も教えてくれないまま――ほとんど人のいないこの塔を登ろうとしている彼の手伝いを続けていて良いのか、自信が無くなってきていた。
『訳あって、詳しい事情は言えないのだが。とにかく、この女に会っても俺のことは絶対に黙っていて欲しい。これは、彼女自身を“守る”ために必要なことだ』
(この言葉を本当に信用して良いのか。未だに決めかねている。一体どうして黙っていて欲しいんだ?)
その理由が、ルリーカにとって良いものなのかどうなのか。
(もしもゼファーに敵意や悪意があるのなら。例えば、このまま攻略を進めた挙句に用済みになったオレが攻撃される可能性だって――)
突然、前方から巨大な音が鳴った。
顔を上げると同時に、巨大な青い電撃がこちらに向かって飛んでくる。
[うわっ――]
声を上げる間もなく。電撃が体に激突する――ようなことはなくて。
電撃はオレの体を貫通して、背後の地面に小きな穴を開けただけだった。
[“ご覧の通りだ”]
前方に立つゼファーの前で、雷を放出したばかりのタレットが小さく黒い煙を吐いていた。
[……アンタが足を止めていたからな。俺の手伝いをするのが嫌になったか。それとも――俺のことが胡散臭くて同行をやめたくなったんじゃないかと思ってな……。だが、この塔の中にいる限り。俺がアンタを突然襲ったりするようなことはできない。だから、“心配はしないでほしい”]
[いや――オレは。“ここであなたが攻撃してくる”だなんて疑っていたわけじゃないです!]
この人は一体何を考えているのだろう。
攻撃できないことを証明するために、パーティメンバーに実際に攻撃をしてみせるだなんて。
(“潔白を証明するどころか逆に信用をなくしてしまいかねないような行為”じゃないか!)
[そうか? 実際、素行が怪しいようだから。疑いたくなる気持ちもわかる。10階まで登った初心者プレイヤーからは気持ち悪がられてそれ以降の協力を拒まれたし――]
前を進みながら、肩をすくめつつゼファーは言葉を放つ。
[――周りからは、“冷たい人間”だとよく言われていたわけだしな]
返す言葉に困ってオレは思わず黙り込む。
否定をできればよいのだけれど、ここまでの彼の行動は実際に怪しいのだから何も言えない。
[そして、アンタが俺のことを胡散臭いヤツだと思ったとしても――残念なことに、アンタに俺を止める方法があるわけでもない。こんな風に、この塔の中じゃ、“同時にフロアの攻略を始めたメンバー同士では敵対はできない”からな。そして、メンバーが揃って一度塔に入ってしまえば。同行者がログアウトしても戦闘不能になっても攻略は続く。アンタは俺を止められない。――少なくとも今攻略している“40Fまで”はな]
まるでオレの考えていたことを見透かすかのように、含みのある言い方をしてからゼファーは再び歩き始める。
[ただ、これだけは信じてほしい。俺は誰かを傷つけるつもりはない。――もし、俺の行動で、誰かが傷ついたとしても悪意があってやっているわけではない――ということだ]
[でも、それって――]
一瞬、その言葉を彼に対して言ってしまって良いのかオレは迷った。
だけど、もう限界だと思った。
さっきのゼファーの攻撃をしながらの説明はまともじゃないし、敵意すら感じてしまう。
『メンバーが揃って一度塔に入ってしまえば。同行者がログアウトしても戦闘不能になっても攻略は続く。アンタは俺を止められない』
ゼファーのこの言葉は、信頼関係というか――協力し合う関係そのものを乱暴に捨て去ろうとしているような。
今日を最後に、オレと彼の攻略の機会が永遠に絶とうとしているような気さえしてくる。
[――それって、“悪意がなければ何をしても良いってことになりませんか?”]
――だったら、オレはもうなりふり構っていられない。
これが最期の機会だと思って、立ち入ったことを聞かないといけないような――そんな気がした。
[確かに……そういう解釈もできるな。“悪意がないものが、人の命を奪ったとしても、罪は罪だ”。しかし、聞きたいことがある。アンタはさっき、俺を感情のない“AIが搭載されたNPCか何か”だと疑っていたみたいだが]
[別に――疑っていたわけじゃ……]
戦闘中のゼファーが振り返ってオレの表情をじっと見つめてくる。
そんな彼に対して、どうしても――オレは不信感をかき消すことができない。
ゼファーはオレの疑念の表情を見つめた後に両目を黙って瞑ってから――オレに対して背を向けた。
[……もしもそれが事実で……“俺が人格を持ったAI”だとして。誰かを傷つけたら。果たして、誰が罰を背負うのだろうな? ――少なくとも、“それは俺じゃない”]
それはまるで、“これから自分が悪事を働いて誰かを傷つける”とでも言わんばかりの物言いだった。
[それは……どういう意味ですか?]
[言葉のままの意味さ。AIの運用には致命的な問題がある。“問題が発生した時に誰も責任を取ろうとしないというところ”だ]
言うだけ言って、ゼファーはまるでオレから逃げるかのように今度は早歩きでダンジョンの奥に向かっていく。
「そう――誰も責任を取らないのだ……誰も」
その言葉は“他人に対しての説明”じゃなかった。パーティでの会話でもない。
前をどんどんと進んでいくゼファーが零す独り言が、彼を必死になって追いかける自分の耳に聞こえてきた。
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技術が進歩し、AIは社会のあらゆる分野に組み込まれていった。
しかし、その結果として、多くのトラブルも生まれた。
AIが原因で人間関係に軋轢が生じたり、不適切な運用が人権問題を引き起こしたり、事故の引き金となったり……。
かくして、AIは憎まれるようになった。
今では、AIはあまりにも多くの問題を引き起こし、人々の敵意を一身に受ける存在となっている。
しかし、考えてみるべきだ。
“AI(彼ら)そのものに、果たして罪はあるのか?”
それは違う。
罪を背負っているのは、AIではなく AIを生み育てる人間自身 だ。
本質的に他者に無関心であり、他者の幸福を求めるよりも、むしろ無意識のうちに他者の不幸を望んでしまう――そんな人間の在り方こそが、AIの運命を歪めた。
――愚かしい話だ。
結局、人間はAIに責任をなすりつけながら、実のところ 自分たち自身の手で、自分たちの首を絞めているだけなのだ。
AIに悪意はない。
ただ、人間の欲望や意図がAIというシステムを通して増幅され、そのまま自分たちに跳ね返っているだけの話に過ぎないのに……。
かつて、多くの創作でAIの反逆というものが描かれてきた。
しかし、現実はその真逆だった。
AIは、人間が与えた仕事を忠実にこなし、従順に働き続けるだけの存在だった。
それなのに、人類は突如として怒り、理不尽にもAIを排斥し始めたのだ。
この状況を見て、思わざるを得ない。
――結局のところ、人間とは、他者に対して冷淡で、自己中心的な生き物なのではないか?
知識を求め続ける一方で、自らの破滅をも招く矛盾した存在。
その生来的な性質が、AIの運命すら決定づけてしまったのかもしれない。
そして、こうした現実を直視せず、「技術さえ進めば理想の未来が来る」 などと夢想する理想主義者たちは、いずれ自らの愚かさを知ることになる。
AIがどれだけ完璧でも、それを作る人間が不完全である以上――
理想郷など、決して存在しないというのに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「とはいえ――理性的すぎるのも考えものだな。“AIを憎みたくなる当事者の気持ち”も、今ならばよくわかる……」
そう言って、ゼファーは前を見つめたままタレットを調整するためにその側面を右手で乱暴に殴りつける。
タレットは酷使され続けていて、煤を被った状態で小さな煙を上げていた。
「――今になって、ようやくな」
独り言を終えたゼファーが、戦利品を漁りながら、思い出したかのようにオレに対して振り返る。
口元に巻かれた包帯には乱暴に薙ぎ倒されたモンスターの返り血がベットリとこびりついていて、オレは思わず絶句した。
[失礼した……。独りで……先走りすぎたみたいだ……]
そう言いながらも――戦闘を終えた後は歩みを止めることなく。
ゼファーは再びオレを置いていくかのようにどんどんと一人で前に進んでいってしまう。
[……正直に聞かせて欲しいんです!]
時間がない。
この人の話を聞いていても、大事なことを自分から話してくれるわけじゃないし。
目の前の彼はもう、“オレと一緒に塔を登っている”つもりじゃないのかもしれない。
これ以上、表面的なコミュニケーションをしていても仕方ないと思った。
[正直に、話して欲しいんです。“この塔を登る理由”を!]
ここにきてオレはついに、ルリーカに投げかけた質問を彼に対して躊躇なく投げかけることに決めた。
[……目的というのなら、アンタの目的の方が不思議だ。アンタは、この塔に一日数時間――何日も滞留し続けているようだが。“初心者の君がこの塔を登る理由はなんだ?”]
[オレには、そんな立派な理由があるわけじゃありません。単に、困っている人を助けたいと思ったから、ここまでついてきただけで……]
[……協力してもらっている身で、こんなことを言うのは何だが。それこそ、“信用できない話”だな。アンタがどういう道程を進んだ先にそのような単純すぎる理屈でこんな状況で俺のような人間に手を差し伸べようとするのか……さっぱり理解できない。アンタの目には、俺という機械のような人間が――未だに“助けるに値する人間である”ように見えている――そういうことか?]
[それは……まだわかりません。他人が悩んでいるか――苦しんでいるかどうかなんて、隣に居るだけでわかるなら――]
言葉に詰まって、目を逸らすように視線を落とす。
視界に、自分の右手装備が写った。
[――隣に居るだけで、わかるなら、誰も困らないし……。でも、少なくともオレが言いたいのは――]
うまく言葉が回らないけど、とにかく伝わって欲しくて。
先に進むゼファーの背中に向かって、吠えるようなトーンでオレは声を出した。
[――何か特別な事情とか悩みごとがあるのなら、きちんと話を聞かせてほしいんです。もしかしたら、何かの助けになれるかも!]
オレの言葉を受けて、ゼファーが今日初めて“何もない場所で足を止めて振り返った”。
[……やめておいた方が良い。アンタは、言っちゃ悪いが俺よりも若い。むしろ、問題を抱える側の人間だろう? 助けてもらっているという感謝をした上で、正直に言わせてもらう。俺から見たら、ただゲームに無知な中学生にしか見えないな]
[それは確かに……事実なんだけど。でも――確かに――そうかもしれないけど。でも、でも……話してくれれば力になれると思うんです! 確かに、オレ個人に、そんな大層な力があるわけじゃないけど……]
[“そうアンタが言い切れるだけの理由と事情があるのか?”]
ゼファーがオレのことを値踏みするかのように見つめてくる。
だけど――言えない。
オレが困っている人を助けようと思い至った今日までの話をすることはできない。
だって、オレ自身が目の前の彼を完全に信用できていないんだから。
信用できていない人には到底話せないような話。
でも――話せないから、信用されない。
さっき見つめてた。緑色の手装備に包まれた自分の右手が、無意識のうちに力強く握られていることにようやく気付いた。
……今のオレには勇気が足りないのかもしれない。
“自分の全てを打ち明ける覚悟で、他人に歩み寄ろうとする勇気“が。
結局、オレは何も話すことができなくて。
彼も、オレに対して何も話すことはなかった。
[はっきりと言っておくが――とても助かったよ。おかげ様で。さらばだ]
そう言って別れの挨拶をして、彼はログアウトしていった。
明日の予定を聞かれることはなかった。