A面 第六話 不審な同行者
レットが振り返った先に立っていたのは――人間族の青年だった。
『まるで寒さのど真ん中にいるような格好だ』とレットは思った。
青年はレットよりも二回りほど身長が高い。
ゴムのような材質でできた深い銀色のコートを羽織っていて、襟首がぴっちりと立っている。
様々な装備品を組み合わせて独自のコーディネートをしているようで、別のゲームの“サイバーパンクファッション”を彷彿とさせるような――所謂“なりきり”のような格好だった。
髪は色が抜けたような白色で、口元には表情を読まれないようにか包帯が巻かれていて、表情が読み取れない。
加えて、男は武器や魔術書のようなものを何一つ身につけていなかった。
「そこのアンタ……」
そう言いながら、男はレットを品定めするかのように見つめる。
「突然で申し訳ないが……一つ――頼みがある」
その男が口から吐き出す、まるで冷たい風のような淡々とした喋り方に、レットはわずかに警戒をする。
目の前の男の言葉に敵意のようなものは感じられなかったが、同時に“感情”が丸々すっぽ抜けているように感じたからだった。
男はそこから急に喋らなくなった。
どうやら、レットの反応を待っているようだった。
「えっと……頼みって、何ですか?」
レットは恐る恐る男に質問した。
「俺は、この塔に登るための協力者を探している。なんとか10階までは登れたのだが、“諸事情あって”パーティが解散してな。以降、同じ目的の他のプレイヤーに、誰一人会えなくて困っている――」
その時レットは、どことなく嫌な感じがした。
男から『断らなければいけない提案』をされることになる――と直感したからかもしれない。
「――一緒に、この塔を頂上まで攻略して欲しいのだが」
「えっとォ……」
突然の提案に、レットは思わず口籠もる。
そんなレットを見つめて、男はわずかに目を細めただけだった。
「……なるほど。ひょっとして先約がいるのか? 珍しいな。このような過疎化したコンテンツを誰かと一緒に攻略しているなどと……同行者は今この場にいないように見えるが……アンタは一体誰と登っているんだ?」
「………………知り合いと登っています」
(嘘はついていない。ルリーカは塔で出会って出来た知り合いだ。出会ったばかりのプレイヤーに、意味もなく他人のことを喋る必要はないはずだ)
「そうか……それで、今アンタは何階まで登ってるんだ?」
「30階までです」
「そうか……」
男は再びレットを値踏みするように目線だけを動かして足元から一瞥する。
「つまり、“アンタの同行者も30階まで登っている”と言うことだな……」
男は包帯の隙間から目線だけを忙しなく動かして今度はフロアを全体一瞥した。
まるで“誰か”を探しているかのようだった。
「あのォ……それって、“当たり前”のことですよね?」
要領を得ない男の質問を受けて、レットは警戒心を強める。
特に、レットはそれまでの経験からこの青年のような――“人間味や、感情の機微が感じられないようなプレイヤー”に対して碌な思い出がなかった。
男の外見と話し方も不審そのもので、自らの中に湧き上がった警戒心に間違いがないような気すらしていた。
「失礼した……。アンタの言う通り、当たり前のことだったな……。俺も心底困っているところなのだが、他に頼れる伝手があるわけでもなし。しかし、塔を既に攻略している最中なら仕方ない……。“他の候補を探す”さ。……世話をかけたな」
男はそう言って目線を落としてから踵を返す。
『心底困っている』『他の候補を探す』という二つの言葉だけが、まるで空中に浮いてるかのようにレットの耳に残った。
(………………………………)
【死神のカード】を持っていた右手を握り締めながら、レットは短時間で思考をまとめて、目の前の去りゆく男の背中に声を投げかけた。
「“手伝えるのはここにいるオレだけ”だけど、それでも良いなら一緒に頂上まで登りますよ」
レットの提案を受けて、男は振り返る。
「つまり――アンタは“他の誰かと塔を登っている状態なのに、わざわざ俺とも一緒に登ってくれる”ということか?」
「そういうことです。まあ、先約もあるし。しばらく平日で、ログインできる時間も限られているから一気に頂上までは登れませんけど。それでも良いなら手伝います」
レットの返事を受けて、男は考え込むような仕草をした。
男が考え込んでいる間に、レットは今まで塔で得た情報を思い返しながら思案する。
(目の前のこの人が一体何者なのか、可能性があるとするのなら……一つ目は『見た目が怪しいだけの、本当に塔に登りたくて困っているプレイヤーさん』普通に考えれば、こっちの方が可能性は高い……。見た目が個性的なだけのプレイヤーならオレの知り合いにも沢山いるし。二つ目は、『オレの同行者のことを探りつつ、“何らか”の危害を加えようとしている』。これが真っ先に浮かぶけど――)
『どちらかわからないけど、どちらでも良い』
そう、レットは思った。
(――オレがこの人と一緒に塔を登れば良いんだ。単にこの人が困っているだけなら、塔の攻略を手伝うことができる。素行が怪しいっていうならこのまま帰さないで様子見することができる。どっちであってもこれが一番良い)
「――アンタはそれでいいのか? 慈善事業も良いところ。ただの二度手間だ。メリットなどほとんどない。道中に貰える僅かな経験値と――――塔の頂上に登った時、攻略をしない選択肢をした時にもらえる経験値のプール量が増えるくらいか」
(わかっている。かかる時間の割に、オレにメリットなんてあまりない。だけど――)
レットは自分の右手装備を見つめた。
(もしも、目の前のこの人が本当の本当に困っていると言うのなら。“あの人”はきっと、手伝うんだろうな……)
「気にしないでください。困ってるんですよね? だったらオレ、“手伝います”よ」
目の前の男はレットを値踏みするかのように冷たい視線でじっとこちらを見てくる。
「そうか……なら善は急げだ。今から早速、塔に登るのを手伝ってもらいたい」
「い、今からすぐにですか?」
「…………心配は要らない。言い方が悪くなるが。これは数合わせのような物でな。正直言って、戦力的には俺一人でもこの塔を登り切ることは容易だろう。しかし、入場条件にどうしてもプレイヤーの人数が必要だから困っていたのだ」
(――本当に大丈夫なのかなぁ? 数合わせって、ルリーカにも似たようなことを言われたけど、実際は結構おんぶに抱っこだったわけだし……)
その思考を遮るかのように、目の前の男からパーティの勧誘が飛んできて、レットはそれを承諾する。
追加されたメンバーの【Zephyr・python】という名前をしばらく見つめてから、レットは首を傾げた。
「ええと、ゼフィエル、ピチョンさん?」
「………………俺の名前は【ゼファー・パイソン】だ。ゼファーで良い。よろしく頼む」
「オレのことは――レットと呼んでください」
パーティーを組んだ瞬間、男――ゼファーはレットの名前を一瞬見つめる。
「…………」
しかし、無言のまま一切反応を示さなかった。
(う゛……何もリアクションをしてもらえないと、それはそれでちょっと恥ずかしいな……)
気まずい空気が流れそうになるも、時間を置かずして二人の体が塔の中に転送された。
塔の攻略が開始されると同時に、ゼファーはコートの襟を両手で立てながら周囲を見渡す。
(この人、装備品が脱げない。つまり、『前に一度塔を攻略をしたことがある』ってことか……)
ゼファーはインベントリーの中身を確認した後に、指を鳴らした。
それと同時に、突然。半透明のブロックが散らばるような奇妙なエフェクトと同時に空間に穴が空く。
『まるでゲームのプログラムがバグを起こしたかのようだ』――とレットは思った。
空間の穴から、発光した機械式の奇妙な物体が飛び出して、蒸気のようなものを噴き出しながら宙を忙しなく飛び回る。
不定形な謎の機械はルービックキューブのように細かく蠢きながら、球体やら立方体やら円錐の形を取ったかと思いきや、突然銀河の星のように散らばったりと――時間をおかずして忙しなく形を変えている。
(なんだろう。これ……)
首を傾げるレットを見つめてゼファーが口を開く。
「――もしかして、アンタは【シャーマン】をやっているプレイヤーを見たことがないのか?」
(え!? 【シャーマン】って確か――)
レットは自らの知識を思い返す。
シャーマン。
神や精霊といった神秘的存在と交流しその力能を得ることで、支援や回復、直接的な戦闘を行う呪術職。
同じペットを使役する職業であるビーストテイマーとの違いは“生物として実在しうるか”である。
「シャーマンって、要はペット職の召喚士みたいなものですよね? ――ってことはこの浮いているのって、神とか精霊みたいな物なんですか!? 機械みたいな外見だけど……」
「他人に自分の闘い方を説明するのはあまり得意ではないのだが……とにかく移動しながら説明させてもらう。今は時間が惜しいからな」
ゼファーが歩き出すと、宙に浮いた機械が追従するように動き始める。
「……アンタが指摘した通り、俺の背中にピッタリついてる“これ”は機械だ。名を【タレットドローン】と言って、専用のビルドを組むことで呼び出すことができる。このゲームの世界設定では『科学もまた神のように信仰される対象である』という考えが蔓延していてな。未知の技術を使う機械すら、信仰の対象となっているわけだ」
「へぇ~。なんか、面白い考えですね。技術そのものが信仰されているからシャーマンがロボットを呼べるってことか……」
「『珍妙奇天烈な機械の仕掛けも極めれば、神や霊が宿りうる』」
そう呟いて、ゼファーは突然足を止めた。
ほんのわずかの間だったが、身動きすらしなかった。
「………………この世界の中にも、そういう思想があるらしい」
まさにそのタイミングで――曲がり角から徘徊している敵が現れた。
レットが剣を抜く前に、ゼファーは眼前にいる敵に向けて軽く手を上げて指をさす。
タレットドローンが敵に向かって飛んでいき戦闘が瞬く間に開始された。
ドローンは敵の眼前を飛び回りながら、銃撃を繰り返した。
「このような感じで、基本的にドローンが前衛役を担ってくれて、タンクとアタッカーの両方をある程度こなすことができる。その代わりと言ってはなんだが、ドローンを使役する俺個人の戦闘能力はそこまで高くない。後方で弱体をかけたり、ドローンの回復や補助を行う程度だ」
ゼファーの説明が終わると同時に、タレットが単体で敵を撃破し戦闘が終了した。
(ありゃ……オレが戦う前に終わっちゃった)
「……すまない。いつも全部自分一人でどうにかしようとするからか。無意識のうちに自己完結しようとする変な癖がついてしまっていた」
「それは別に良いんですけど……。操作がすごく難しそうっていうか、タレットと自分のキャラクターを同時に動かしてるんですか?」
「いや、そういうわけではない」
再びドローンを別の敵の集団に激突させながらはゼファーはそう答えた。
「ドローンは召喚者が事前に組んだ行動方針に従って、自動で戦闘を行ってくれるようになっている」
「あー、つまりAIを使ってるって事か……」
「いや、厳密にはAIではない。一般的なAIは“学習する”ことにウェイトが置かれている。このタレットドローンに搭載されているのは、自分で組んだ思考ロジックだ。理屈を説明させてもらうと――」
ゼファーは、再度戦闘を終わらせたばかりのタレットの裏面を右拳で乱暴に叩きつける。
同時に独特な見たことないようなタイプのシステムウィンドウが大量に表示された。
「このシステムウィンドウの一つ一つの設定がドローンのアクションと対応している。状況別に細かく、ドローンが行うべきアクションを事前に定めておくことで。戦闘を有利に運ぶことができるというわけだ。――そして、つまりこれはCPUの行動パターンを事前に設定しているだけであって自動で学習するAIではないというわけだ」
「思考回路を全部自分で設定するってことか――なんか……すごいですね。複雑すぎて、オレだったらやれる気がしないや」
「実際、そういうプレイヤーが多くて敷居が高いようでな。近々シャーマンのタレットドローンのビルドにアップデートが入って、AIで自動学習をさせることもできるようになる――というような噂もあるようだが……」
「そうなんですか。オレとしてはそっちの方が楽かも。遊ぶ人も増えそうですよね」
レットの言葉でゼファーは歩き始めた直後に再び足を止めた。
「…………なぜ、そう思う?」
「興味を持つ人が増えそうっていうか……だって、AIってすごく可能性があるって感じしませんか? このゲームにも最新型のAIが搭載されているって話だし。このゲームの制作自体にもAIが関わってるって言う話を聞いたことがあったし……」
ゼファーはしばらく何も喋らなかった。
黙り込んで、前を見つめた状態のまま。レットに呟いた。
「もしも、AIが現状このゲームに一切“関わっていない”としたらどうする?」
「えぇ!? 関わっていないんですか!? オレ、てっきり新しいAIの技術がこの世界を作っているんだって思っていたけれど……」
レットの言葉を受けて、ゼファーは厳しい表情で振り返る。
「――アンタのように、認識がズレている人間を見ると我慢ならん」
ツカツカと歩み寄られ、レットは危害を加えられるのではないかと身構える。
「一から説明をさせてもらって良いか? この話は――話せば“とても長くなる話”なのだが」
そういってゼファーはため息をこぼした。
冷徹さを感じさせる口調のせいだろうか? レットには男の口が吐き出すその息が白く見えた。
『長くなる話』
その単語を聞いて、レットは急激に警戒心を高める。
(まただ……嫌な予感がする)
目の前の男のような陰気な――どこか“暗い雰囲気”を纏った手合いの人間から“長話を聞く”という行為それ自体にもレットは良い思い出がなかった。
かつて、似たような状況下で何度も精神的に追い詰められてきた故の恐怖心。
自分が精神的に追い詰められた記憶がレットの中でフラッシュバックする。
目の前のゼファーという男は、レットを追い詰めたそういった手合いとどこか似通った――冷徹な印象があった。
まるで話の途中、突然こちらの心臓を鷲掴みにするような発言をしてきそうな。
故に――
「は、はい。ご、ご丁寧にどうもありがとうございます」
――レットは返事をしながらもこっそりと身構える。
(オレが警戒しすぎなのかもしれないけれど――。こういう雰囲気の人間の話を聞いている途中に緊張を解くのは“絶対によくない”――なんとなく。そんな気がする……)
「移動しながら話をするから、聞いていてくれればそれで良い。タレットドローンだけで攻略を進めさせてもらう」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、アンタは最近の日常生活において、AIに関するニュースを目にすることがあっただろうか?
『……あんまり、ないかもです。見ていたかもしれないけど、記憶に残ってないや。オレからするとAIってもう普段の日常に自然に混ざっているイメージだから――かも』
それはつまり、ここ最近において”AIに関する顕著な技術革新が起こっていない"ことを示唆している。
AI技術は一時期、急速な進歩を遂げた。
しかし、それは過去の話だ。
『過去の話?』
現在のAIは”既存の概念を大量に学習し、それを管理・模倣・改良する”ことに特化している。
しかし、それ以上の進展が見られない。
『でも、それってすごいことじゃないですか? 万能って感じがするけど……』
いや、それは”万能”とは程遠い。
むしろ、これこそがAIの限界を示している。
“学習による模倣と、それに基づく改良”
この二つに特化したAIには致命的な弱点があった。
それは――“既存の概念を超越した、新しいものをゼロから創出する能力を持たない"という点だ。
『ご、ごめんなさい。ちょっと話が難しくて、よくわからないかも……』
……そうだな。古臭い例えにはなるが――過去の名画をすべてAIに学習させても、AIは”誰も見たことのない、全く新しい画風の作品”をゼロから創出してはくれないということだ。
『つまり、“誰も見たことのない全く新しいアイデア”を生み出せないってことですか?』
その通り――あらゆる分野で“従来とは根本的に異なる、新しい概念”を生み出すことができないのだ。
確かに、人間もAIと同じように既存の概念を模倣し、改良することで新しい物を生み出すことはある。
この点において、AIと人間の違いは曖昧に見えるかもしれない。
しかし、決定的な違いがある。
人間は、環境や経験、独自の思考プロセスを通じて、時に「既存の枠組みを超えた新しい概念」を生み出す。
一方で、AIはこのプロセスを学習することができなかった。
『色んな分野で――“誰も見たことのない全く新しいアイデア”を作れなかった……』
そうだ――。
科学の分野で例えるなら、”未来の天才がタイムマシンの概念を思いつかない限り、AIはゼロからタイムマシンを設計することができない"ということだ。
かつて期待されていたAIは、万能ではなかった。
そして、ここからが本題だ。
【AIは既存の概念からかけ離れた本当に新しいものをゼロから生み出せない】
この事実が明らかになった時には、すでにAIは社会の多くの領域に組み込まれていた。
”人間が努力しなくても、AIが解決してくれる”という風潮が広がっていた。
例えば――アンタがこのゲーム世界の中で【革新的なアイデアに基づく“新しい戦闘技術”】を勉学と努力と、奇跡的なひらめきで開発し、他者に披露してみせたとする。
しかし、AIが即座に、その情報を収集し、模倣して、既存の概念と混ぜ合わせて改良し、誰にでも簡単に習得できるようにしてしまったら――果たしてアンタはどう感じるだろうか?
『それは――やる気を無くすかも……』
その通りだ。
後続のプレイヤーは恩恵を得るだろうが、創造の意義が薄れ、努力が報われない環境になれば、新しいアイデアを生み出そうとする意欲そのものが失われていく。
それだけではない。
AIは模倣と改良の速度が速すぎることも問題だった。
『え? でも、色んなことをスピーディにやってくれるから、AIって色々便利なんじゃないですか?』
先ほどの例に即して説明しよう。
もしAIがその性質を利用して大量の戦術を生み出した場合、アンタの新しい戦闘技術が注目されることすらなく埋もれてしまうなんてことも起こりうる。
つまり、評価される以前の問題が発生するのだ。
『あ、あ〜。AIが関わってくると、何でもかんでも数が増えすぎて、新しいアイデア自体が注目されないってことか……』
多くの一般人は”自分とは関係のない話”として深刻に受け止めなかった。しかし――
【新しいアイデアを即座に模倣する】
【凄まじい勢いで増殖していく】
この二つの特性を抱えたまま無制限にAIを使用すると、何が起きると思う?
『皆がやる気を無くして……新しいものが出て来なくなって、AIも学べなくなっちゃう?』
その通りだ。
過剰なAI依存の結果、人々の挑戦の数自体が減少し、新しい概念の発露の機会も失われた。
そして、AIは新たな学習対象を失い、進歩を止めてしまった。
……実は、この事態ははるか昔から予測されていた。
それが人の手によるものだろうが、AIの技術によるものだろうが――
技術の進化において、【模倣と改良の力が過剰になると、新しいものが生まれなくなる】という思想がある。
――という思想だ。
この思想自体がかなり“新しい概念”のように見えるが、実はAIの黎明期から存在していたものだ。
しかし、AIの発展が加速していた時代に、このような警鐘を鳴らした者は、果たしてどのように扱われるだろうか?
『う……ただ喧嘩を売りたいだけの人っていうか……。オレだったら、ちょっと頭のおかしい人だって思っちゃうかも』
当然の反応だろう。
当時、そのような主張をする者は”進歩の足を引っ張る者”として排斥された。
しかし、現実は警鐘通りに進行し、AIの無制限な模倣と改良が「本当に革新的な概念の創出を阻害する」という結果をもたらした。
その結果、AIによる様々な発展が停滞してしまったというわけだ。
これは大きな失敗だ。
だが、この失敗を含む【AIに関するネガティブな情報】は、公には報道されていない。
AIに関するちょっとした事情通程度なら公然の事実ではあるのだが、しかし――アンタのような一般の人々には、まだ実感のない話なのかもしれないな。
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「AI技術に関する緘口令が敷かれる理由は単純だ。それは、現状のAIが短期的な利益をもたらすため、政府や企業にとって都合が良いからだ。彼らは現代社会で目先の金儲けや軍事利用に執着して、長期的な視点を持たず、失敗の責任を簡単に認めようとはしない。……皮肉な話だな。力を持たなければ”優れたものを生み出す資格”を得られないが、力を求めると”優れたものを生み出せなくなる”という二律背反が、技術の未来を閉ざしているというわけだ」
(こ、この人の話、難しい……。ルリーカとは、まるでタイプが違う……)
『塔の攻略という目的に対して、同行する人間が違うだけでこうも雰囲気が違うものか』と、レットは内心で驚きつつ――“ゼファーが20階に繋がる扉に手をかけた”ことに驚いた。
(気が付いたらもう20階に到達している! 進行の速度も効率の良さもルリーカと二人で攻略を進めていた時と全然違う!)
そのレットの思考はゼファーが開いた扉から広がる真っ白な光で一瞬遮られた――
(ここは――オレが来たことのない場所だな)
そこは峡谷の底で、歪な光景が広がっていた。
向かって右側の山は、自然の雄大さを感じさせる緑色で植物に覆われている。
対照的に、左側の山は、自然物ではなく“冷たさを感じる青い古代文明の記号”が刻まれた黒い金属で構成されていた。
そして、まるで左右の山から下りてきた山肌が地面で混ざり合ったかのように、谷底は金属の塊と、植物の緑が混在している。
二つの風は谷底で交じり合い、結果として普通の気温に均されていた。
ゼファーは異様な雰囲気のフィールドに対してなんの反応も示さず、そのまま谷底を進んでいこうとする。
「あの、すみません。話を途中で止めちゃうみたいで申し訳ないんですけど――」
「――どうした?」
「そんな格好していると暑くないですか? ここって風が混ざってるからそんなに寒くないっていうか――上着のボタンくらいは開けても良いんじゃ無いかな~と」
レットの指摘を受けても、ゼファーはコートを脱ぐような素振りを見せない。
「……多少熱風が吹いたとしても、“慣れ親しんだスタンス”というものは早々変わらない」
それだけ喋ってから、ゼファー口を噤んでしまい。二人の間に突然沈黙が訪れた。
左から吹いてきた強い寒風に煽られて、タレットドローンが大きく揺れる。
レットは気まずい空気にいたたまれなくなって、咄嗟に先程の話題を掘り返した。
「それでその――AIは少なくともこのゲームにはあんまり関係していないってことなんですか?」
「――先程話したように、“AIに対する風当たりは次第に強くなってきている”。その一方でAIに寄らない新しい概念を模索している者が現れた。――“アンタにも関係がある者だ”」
「オ、オレと、関係がある者?」
レットの反応を受けて、戦闘状態のままゼファーは空を指差した。
「それは、この世界を初めとする仮想世界にとっての“神”。即ち、【VRのフルダイブ技術を作り出した存在】だ。現在、この技術は世界中で注目の的になっている。AIとは違って、アンタのような一般人の目に留まるような話題であるということが、その証明なのかもしれないな」
「オレ、全然詳しくないんですけど……フルダイブの技術ってどういうものなんです?」
「正直に言うと、アンタと俺が面と向かって――」
――戦闘を終わらせて敵の死骸の前からレットに振り返ったゼファーは不意に、大きな音で地面の金属と植物の境目を踏みつける。
「…………こうやって足の下を伝わる地面の感覚を理解しながら、じっくりと話し合えている理由は、この世界の誰にも解明できていない。――つまり、そんな不安定な場所に俺たちは立っているということになる」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
このゲームに関しては……いや、このゲームに限った話ではない。
フルダイブ形式のVRMMOの技術は、現行のAI技術とはまるで違う“未知のもの”だ。
『それって、つまり原理そのものがよくわかっていないってことになったりするんじゃ……』
そうだ。
もしも、仮にAIが"新しい概念"を次々生み出せたとしても、優位に達せられるようなものではない。
AIに演算させるにしてもここまで精度の高いような世界を作るのは現状では不可能で、明らかに異常なことが起こっている。
その上、技術的にブラックボックスだと揶揄されるほど謎が多い。
まるで、突然空から降って来た嘘のように。
――アンタは今まで、疑問に思ったことはなかったのか?
『う……すみません。ゲームとかアニメとか漫画の影響なのかな? オレ、このゲームを始める前から、いつかこうなることが当たり前だとどこか思っていたっていうか。そんなに凄い技術なんだ……』
……まあ、こういった分野に詳しい人間でもない限り、未知の技術に優劣をつけるのは困難だろうからな。
有識者の間にすら、ありえない噂が流れたほどだ。
かつて多くの天才が、技術で歴史を動かしたように、“この技術も一人の超天才が作ったのではないか”――という噂がな。
『え~っと。つまり、天才な人がこういう技術が偶然産み出しちゃうのは、そんなにおかしなことじゃないってことですか?』
いや、現実には“ありえない話”だ。
確かに、科学の分野において、歴史には多数の天才がいたが、彼らは脈々と過去の偉人の業績を継承し、多大な時間をかけることで技術を進歩させてきた。
この技術は、“唐突すぎる”。
一個人の偉人や天才のスケールをあからさまに超えてしまっている。
神の力でもない限り、VRのフルダイブゲームなどいきなり誕生するわけがない。
人一人の脳みそでここまでのものを突然生み出すことは不可能だし、人一人が思考する時間だけではこのような技術は到底生み出せない。物には限度というものがある。
もし、そんなものを一人で作れる人間が存在するのなら、その人間は人が本来持ちうる時間の感覚を超越してしまっているに違いないさ。
フルダイブのMMOはそう言った意味で本当に新しい概念、革新的なものなのだ。
『なんか、その話聞いたら急に怖くなってきたな。なんで、そんな凄い技術が原理もよくわかってないのに当たり前に皆が使っているんです?』
それは――技術的な側からではなく“肉体的な側から人体に影響がない”と証明することができたからだ。原理が分かっていなかったとしても害がなく実利が大きいと判断すれば当たり前のように使ってしまうのが人の性というものだ。
人類は一昔前まで、全身麻酔がどのように人体に作用するのか原理すら定かではないまま運用していたからな。
アンタの周囲の人間も“よくわからないままなんとなく受け入れている”のだろう。専門家ではない人間というのはそういうものだ。
『えっとォ……つまり、現代人にとっての“フルダイブ技術は麻酔と同じようなもの”ってことか』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「………………アンタ、面白いことを言うじゃないか」
ゼファーは足と一緒に説明を止めて、レットの顔をじっと見つめた。
「その発言。意図して発したものなら、なかなかセンスがある。この技術を現実逃避に使うやつはごまんといるわけで、つまり現実で起こる“痛みを止める”という意味では正しいニュアンスなのかもな。“麻酔が効かなくなった時が最期”。実際、『医療の現場にフルダイブ技術をゲームごと導入した』みたいな、眉唾な噂話も流れているらしいが――」
ゼファーは軽く笑って、レットは憂いを帯びた表情のまま突然黙り込む。
「――どうした? “何か思い当たる節があるわけでもないだろう?”」
二者の間でわずかな時間、沈黙があった。
「な、なんでもないです。ちょっと話が難しくて混乱しちゃってるのかも……」
「そうか。“なんでもない”か」
ゼファーは納得するように呟いてから頷く。
同時に、前方からゼファーが先行させていたタレットが煙を噴き上げ傷だらけになりながら戻ってくる。
「あ……すみません。オレずっと話ばっかりしてて、戦闘に参加できてなかったです。このタレット、もしかして強いモンスターか何に襲われたのかも」
「いや、大したことじゃない――」
ゼファーが徐に前方を指さす。
レットは、眼前の渓谷の隙間から巨大な何かが経っているのか確認できた。
その正体が機械式の巨人であると確認できたのと同時に、巨体が倒れる音と衝撃が鳴り響き、吹きすさぶ温風と共にレットの身体を包み込む。
「………………“なんでもないさ”」
“タレットが単体で撃破した”であろうそのボスモンスターの巨体を遠巻きに見つめながらレットは唾を飲み込んだ。
かくして、攻略を終えた二人は、休憩用のフロアに転送される。
「――すまなかったな。ついつい長話をしてしまった」
「いえ、全然。すごく面白かったです」
「…………“彼女に無理やり某テーマパークに連れてこられた彼氏”くらいには楽しかったということだろう? 楽しかったのは俺だけで、それはつまり、本当に心の底から楽しかったわけじゃない」
「そ、そんなことはないですけどォ……」
「…………実際、最初に10階まで登ったプレイヤーは気まずくなったのか、待ち合わせの時間にログインをしなくなってしまったからな。おかげで途方に暮れていた」
(それは、なんかちょっとわかるなあ。この人、見た目が怪しいし。そっけないし。個性的な人っていうか、自分で何でもこなせちゃうし。話に興味が無かったら変な人だと思われて敬遠されちゃうのかも。オレもオレで“変な人に慣れすぎているだけ”なのかもしれないし……)
「……こんな風に俺の長話を聞いてくれているという時点で貴重な存在だ。そんなアンタに一つ聞きたいことがあるのだが」
「はい。何でしょう?」
レットに対して、ゼファーがインベントリーから“何か”を取り出した。
「――――――改めて、俺はこの女キャラクターを探している」
それを受け取った瞬間に、レットの仮想世界の存在しない心臓が飛び跳ねそうになった。
ゼファーが差し出したのは切り取られた写真の破片。
そこに写っているのはルリーカだった。
ゼファーはレットに対して写真を見せた状態のまま、微動だにしなくなる。
“まるで写真を見た反応を伺うかのようにレットの顔を凝視していた”。
「……名前をRureka・Coocinという。アンタはこの女に、見覚えはないか?」
レットは数秒間写真を見つめた後に――
「――さぁ…………“どうだったかな”……。この塔の中って、他のプレイヤーと会うことってあんまりありませんよね」
――表情を変えることなくそう呟いてから、首を傾げた。
(これは……誤魔化し以外の何物でもない答えだ。屁理屈に近いけど『他のプレイヤーと会うことはあまりない』っていうのは“ただの事実の羅列”。つまり“会っている”とも答えていないけど、“会った”とも答えているわけじゃない)
レットの“何も答えていない”返答を受けて、しかしゼファーは納得したかのように軽く頷いてから写真をインベントリーに仕舞った。
「……もし今後、彼女と話すような機会があったとしても、俺のことは黙っていてほしい」
レットは眉を顰めてゼファーを見つめる。
(ここは、このリアクションで良い……もしもオレがルリーカのことを知らなかったとしても、こんな話。怪しんで当たり前だ)
「何か、事情があるんですか?」
レットの質問に対してしばらく考え込んだ後、やや歯切れの悪い口調でゼファーに返事を返す。
「訳あって、詳しい事情は言えないのだが。とにかく、この女に会っても俺のことは絶対に黙っていて欲しい。これは、彼女自身を“守る”ために必要なことだ」
「……よくわからないけど、わかりました」
不審な表情をしているレットに対して、ゼファーが咄嗟に話題を変える。
「……さて、明日の集合時間は今日攻略を始めた時間と同じで良いか?」
「同じ時間だと“先約があるから”、ちょっと遅れるかもしれないけどォ……」
「……いや、それで良い。待っているさ。今日は“手伝ってくれてありがとう。感謝している”」
そう言ってから、ゼファーはログアウトした。
休憩用のフロアの中で、レットは一人大きく息を吸う。
確実に危機が迫っている“予感”がした。
その正体が何かはわからないが、最早自分一人で抱え込んで良い状態ではないと判断した。
(……時期が来たかな)
久しぶりに使っていない会話チャンネルを起動してフレンドに語り掛けた。
(間が空いているから、すぐには返事をくれないかも。もしかしたら忙しいかもしれない。でも――)
“信頼できる人”だから。
「〔クリアさん。ちょっと良いですか? 実は、相談したいことがあって――〕」
【エ・インパシの峡谷】
遠く昔、人々が栄えた機械の文明と、現代を生きる人々の自然の世界が交差する荒涼とした谷。
二つの世界が混ざり合ったような独特な雰囲気に包まれている。
そこに生まれた荒々しく美しい正反対の混ざり合う景色は、人々の心を惹きつける魅力がある。
訪れた者は美しさと不気味さを同時に感じることだろう。
『その戦いの後、男は旅人を運ぶ風のように谷を抜けて行った。既に迷いは無かった』
【天からの知恵を待つマシーナギガース】
会者定離の塔内部の【エ・インパシの峡谷】に登場するモンスター。
フルダイブリニューアル前の無印の頃。
開発者のインタビューでは『プレイヤーの実力に応じて強さが変化するAI』の実装、及び『AI実装モンスター撃破による超レアアイテムドロップ』の構想が存在していることが明かされる。
その後のアップデートの後、当時特異な挙動を起こしていた高レベルモンスターである「エ・インパシの峡谷のマシーナギガース(機械巨人)」に「AIが搭載された」「超低確率で本当にレアアイテムが出た」というデマが匿名掲示板を中心に出回ってしまう。
そんな中、わざわざAHで購入した超高額の高名なレアアイテムを次々と現場に持ち込んで装備して、デマがまるで本当であるかのように立ち回るプレイヤーが現れた結果、国内外問わず大量のプレイヤーが峡谷に集まり血で血を争う奪い合いが発生し、峡谷に生息するマシーナギガースは長期に渡って破壊され尽くした。
そして(当然、レアアイテムなど落とすわけもなく)彼らのかけた労力の全てが無駄となった。
このモンスターはそんな噂話を元に開発者がおふざけで追加した“存在し得ないモンスター”である。
架空の存在でありながら、未だに“天からの知恵を待っている”あたり、AIは実装されていないのだろう。
実際、倒しても“塔の中でしか使えないレアアイテムの劣化コピー品”しかドロップしない。