B面 第五話 Beginner hunging.
まず最初に。
目の前に立ちはだかっているのはまず間違いなく“敵”だろう。
現段階での印象は――絶対に気を許してはいけないタイプのかなりの難敵だ。
「で、どうするんだいアンタ?」
目の前の流浪者の男は、同業の俺から目線を動かすことなくミナの首に短剣を突きつけている。
「俺を見逃すか。このビギナーな女が俺に切り刻まれるのを黙認するか。どっちかを選んでくれよ」
――さて、俺は一体どうやってこの難敵をうまく処理するべきか。
そもそも、どうしてこんなことになってしまったんだっけか?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
俺はペースを落とさずに、フロアをどんどん降りていく。
気がつけば、ミナは既にいなくなっていた。――どうやら、自分と別れて単独行動を開始しているようだった。
その道中で――
(妙だな……)
――“初心者の死体”だけがやたらと目立つことに気づいた。
思い返せば、最初のフロアからそうだった。
この辺りの層までなら不慣れなプレイヤーでも下に降りていける故か、結構な頻度で初心者に遭遇することがある。
以前城を攻略していた際は自分から見逃すか。敵の方から絡んできて場合は、派手に暴れまわって(極力直接攻撃しないようにして)威嚇することで、多少なりとも自分の実力を相手に知らしめてから逃走をしていた。
そうすることで大体のプレイヤーはやり合おうとしなくなるので戦闘を切り上げることができていた。
しかし、今回の降下では自分が初心者に相対することがほとんどない。
初心者に気を使う必要がないし、面倒な手間が省けるため楽といえば楽ではあるのだが――しかしこれは“異常な事態”だ。
初心者に出会わず。
初心者の死体だけには必ず出会う。
(つまり、“初心者だけを狙って城内を徘徊しているプレイヤー”がいるということに――)
そこで自分の思考が止まった。
角を曲がった先には“それなりに異様な光景”が広がっていた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁ……」
猫の男がそうボヤきながらこちらを見つめている。
それは今、まさに初心者の死体が“生成されている瞬間”だった。
キャットの男が壁に押し付けているのはいかにもな初心者装備の人間の女性プレイヤーで、女は驚愕の表情を浮かべている。
「まずいな。これはまずいぞ。結構“ヤル”のに出会った。あー、どうしようかな。まずいな。う、う、う、う~ん……」
一方で既に殺害した対象に興味を失っているのか、キャットの男はこっちをずっと見つめながら、真顔で首を傾げていた。
俺から視線を動かすことなく目の前の獲物の胴体に深々と刺さっていた短剣を引き抜いて、一歩後ろに下がる。
一瞬だけ、死体に向かって取ってつけたように唾を吐く。
その一連の所作にはどこかしら、“作業感”のようなものがあった。
戦闘不能になった女が地面に倒れる前に、男は踵を返して走り出す。
地面に倒れ込む死体を壁にして逃げようとしているのだろうなと考えながら、俺は倒れゆく死体を飛び越えて男に対して追走を始めた。
何も問題はない。
相手の逃げ方の精度がやや悪いし問題なく追いつける。
ビルド的にもステータス的にも機動力はこちらの方が上のようで、このまま追いかけていればそのうち“終わる”だろう。
何よりも、同じフロアを攻略しているであろうリュクスに激突して挟み撃ちになる――
「あ~、わかったわかったわかったよ! 仲間がいるんだろ? 仲間が」
男も俺と同じことを考えていたのか、足を止めて振り返った。
「“そういう追いかけ方”してるもんな。アンタなぁ~。しかも、人が刺されてるっていうのに涼しい顔で追いかけてくるってよぉ。勘弁してくれよ」
この言葉は、おそらくその場凌ぎの時間稼ぎの台詞だろう。
「行けるかぁ? いや、行けなそうだなぁ。こっちは“初心者狩りに特化したビルド”だからなぁ」
目の前の男は話しながら状況を打開する策を考えているのだろう。
そしてその“行けなそう”という予想も概ね当たっている。
俺がそう思った矢先だった――
「クリア様――」
反対側の通路からやってきたミナは明らかに選択肢を間違えた。
足を止めて顔見知りに対して咄嗟に声を掛けるなど、この状況下では全く意味のない行為だ。
男はこちらを見て嗤ってから、ミナに向かって走り出す。
ミナは咄嗟に懐から小さいままの鋏を取り出したが、その手を男に押さえつけられる。
男は短剣を持った自身の片腕を“くの字”に曲げてミナの首に巻きつける。
そのまま彼女の首を軸に裏側に回り込み、背後から拘束してダンジョンの壁面に真横からもたれ掛かった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
というわけで、時間は元に戻る。
「あ、あ、あー……良い。良い気分だ。とても良い。こういう動きの甘い初心者を痛ぶるのは個人的に特に楽しいからな、うん。良い感じで、倒して気持ちよくなれる実力のプレイヤーだなこの女は――つまり。“仲間なんだな? そこのアンタの”」
ミナが一瞬片手を動かそうとしたが、男は持っている短剣をそのまま彼女の首に突きつけた。
「く……は、離しなさい!!」
予想通り、無傷で咄嗟にプレイヤーを拘束できる時点で、コイツはそれなりにやれる男のようだ。
俺という個人を危険な存在だと即座に反応して逃走できるのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
「この女は“いい感じに喚くなぁ、”雑魚らしく。すごく気分が良い。初心者を蹂躙する――雑魚狩りは本当に楽しくて気分が良い。ここでは相手が初心者だと気づいたら見逃したりするのが、暗黙のルールみたいだが。そのルールそのものを破壊するのが楽しくてたまらないんだよなぁ」
「私が未熟なのは認めます。認めますけれど――初心者を狩るのが大好きだなんて、心底性根が腐っていますわね。一体何が楽しくてこんな――」
「「テメエに俺の何がわかる――俺は、初心者を狩るためにこのゲームやってんだッ!!!!」」
男が突然とてつもない大声を上げた。
ミナは驚きの表情を浮かべ――というか、俺も無表情を貫いてはいたが、男の突然の豹変に内心で驚いていた。
「信じられませんわ――な……情けない男!」
場が白けたことを理解して、男は首を傾げて冷静さを取り戻してポツポツと語り始める。
「――いや、情けないけど、別にそれはどうでも良いんだって。“ただ俺が心の底から楽しいと思うからやってんの”。その俺の大切な気持ちを否定すんのはやめてくんねえかなぁ?」
突然真剣なトーンで語り出した男に対して、ミナは明らかに狼狽――困惑しているようだった。
――しまったと思った。
この男の強さは見誤っていなかったが、性格までプロファイリングすることができていなかった。
目の前の男は“性格に相当難がある”。
「アンタらさぁ。知ってっかぁ? 人間っつー生き物はさ。勝率が5割のゲームだと不公平に感じるらしいんだよ。当たり前だよなぁ? 二回に一回しかチャレンジがうまくいかないゲームなんて誰だってイライラして楽しくないだろ?」
男は自分自身の抱えている怒りを我慢できないのか、わなわなと震え出した。
「なのに、今の世の中はなんなんだぁ、ぁ、ぁ、ぁ!? どれだけ頑張っても強くなっても、同格のやつと戦わされるゲームばかりでウンザリするッ!!!! あーあ~イライラする!!!! 俺は“勝って楽しみてえからゲームやってんだよッ!”。練習して上達して、それでも半分の確率でずっと負けるって、馬あぁアアァアアッッ鹿じゃねえのかぁ!? なんッでッだよッ! クソイラつくんだよお、お、お、お、おお! ――いやぁ、落ち着け、俺はただゲームを純粋に楽しみたいだけなんだ。そう、楽しみたいだけだ。イライラしても仕方ない。そこはポジティブにならなきゃなぁ」
「あの――えっと、その――」
『コイツ “も”、やばい奴だ』
そう言いたげな表情で、ミナは明らかに引いていた。
助け舟を求めるかのように、こちらに目線をチラチラと飛ばしてくる。
そのミナの意図を察したかのように、男がこちらに話を振ってきた。
「俺の見立てでじゃ、アンタの実力そのものは最上位じゃあないな。その一個下だ。せいぜい上から一割くらいのな。上位0.01%の最上位じゃない」
「……よくわかったな。その通りだ」
「そんなアンタならよくわかるだろう? どんなゲームでも一番良い思いしているのは“最上位の連中”だけさ。あいつらがゲームをずーっと続けられるのなんて当たり前なんだよ。だって“常に勝ち続けられる”からな。どんな分野でも最上位層の連中は一生同じ分野を走り続けようとする。なぜだと思う?」
予想だにしない質問を受けて、俺は思わず言葉に窮した。
返事が返ってこないことに苛立ったのか、男は一人で話を続ける。
「それが楽しいからさ。なぜ楽しいか――自分が強いと実感できて、戦う相手に八割近く勝ち続けられるからだよ!! 良いよなぁ。結局さぁ。強い奴は自分が強いって常に実感できるから、ゲームが楽しくてずーっと続けられるだけだっつーの!」
「だ、誰だって、最初は何の分野でも初心者ですし――」
「はいはい聞き飽きたんだよぉ、お、お、お。そういうぬるま湯みたいな言葉はよぉ、お、お、お、お、お! そういう連中は初心者の頃から上達もはええんだよ! 途中で詰まってコケるような奴は、最上位にはほとんどいねえっての! ――俺はそういう連中とは違う。どんな場所でもどんな分野でも“積み上げられなかった人間”だ」
言いたいことを言い切ったのか、男は大きくため息をつく。
目の前の男は、なぜだろう――
――『 アイツ 』が好みそうな『ゲーム』の主人公像に、どこかしら近しいものを感じる。
具体的には、“半分くらい”足を突っ込んでいる気がする。
俺がそう思った矢先に――
「アンタは俺の話。どう思うんだよ? 出会ったばっかだけど、俺が思うにアンタの雰囲気って俺って同類っていうか、“結構似てる”と思うんだよ。なんとなく、“道を外している”感じがさぁ~」
――その男の言葉を聞いて、俺の思考が一瞬止まった。
無表情のまま。幾多の否定の言葉が咄嗟に、頭の中で浮かぶ。
そんなわけがない。
『 アイツ 』が好みそうな『ゲーム』主人公像に近いと感じた相手に“似ている”と言われた。それではまるで俺が――
『君はどちらかといえば“こちら側の人間”だろう? 君はきっと『私』の『ゲーム』にのめりこめる。きっと良い『ゲームプレイヤー』になれるぞ?』
(――馬鹿なことを考えるな。冷静さを乱すな)
俺の僅かな動揺を嗅ぎ取ったのか、ミナが興味津々と言わんばかりの表情でこちらを見つめてくる。
……拘束されて、短剣を首元に押し付けられている状況でするような表情ではない。
とにかく、目の前の男の質問に答えなければいけない――俺はそう思って口を開く。
「そう――だな……俺は良い意味でも悪い意味でもこの世界が大好きだからな。しかし、そういう人間にとって初心者を狩るっていうのは“遠回しに自分の首を絞めている”ようなものだ。人口が減るようなことをしてまで勝ち続けて悦に浸るようなことはしたくないな」
「なるほどねえ。一般論っつ~か、意見の相違って奴だな。俺は初心者が引退するのならそれはそれで楽しいんだぜ?」
男は心底楽しそうに笑う。
「――狩って狩って狩って狩って、絶滅するまで狩り尽くす!!!! むしろ、初心者を絶滅させる勢いで雑魚狩りをしている。このゲームがどうなろうと俺の知ったことじゃないからな! ――うだつが上がらねえのは現実だけで充分なんだよ。だから俺は雑魚を、初心者を狩るんだ。特に、ボコられた初心者が引退して、SNSでゲームに文句言いながら引退する瞬間は最高だな。涙目になりながら後ろ足で必死に砂かけてるのを見るのが本当に楽しくて“生きているって感じがする”」
そういってから男は実に楽しそうにくつくつと嗤ってから、真顔になった。
「『初心者を引退させて困るのはお前だろ?』みたいな説教じみた台詞を言おうとしたのなら無駄だぜ。今が楽しいからこのゲームやってるだけで、この世界に思い入れなんてものはないし。過疎っても別のゲームやるから何も困らない。初心者がいなくなったら次のゲームに行く。これが、俺の楽しみ方なんだ」
俺は黙って男の話を聞いているだけだった。
ミナは如何にも信じられないという表情で、男に対して呆れて果てているようで、『何も言い返さないのか?』『憤慨しないのか?』と言わんばかりに訝しい表情で俺を見つめてくる。
俺の中に、怒りの感情は湧かなかった。
(――この男は相当割り切った男だな。それでいて“賢い”)
なぜか自然と、そう思った。
この男は、理路整然と言葉を並べ立てながらも拘束しているミナに対して全く隙を晒さない。
つまりそれだけ、この男は“初心者を狩ること”に対して情熱と時間を注いできたわけだ。
そして、他の連中とは明確に思想が違っているが、ある意味で自分のポジションを理解した上での理想――分相応な遊び方をしている。
その考え方は、ある意味で割り切りができていて賢いと言えなくもないような気がした。
同時に、初心者を狩った時の一連の所作でなんとなく察したことがある。
この男の初心者を狩ることへの情熱はもはや義務になりつつある。
怒鳴ったり喚いたりしているが、おそらくこの男の内心は想像以上に冷静だろう。
目の前の男は、初心者を狩りすぎて、勝って気持ち良くなるという目的と初心者を狩るという手段が完全に逆転しつつあるのではないだろうか?
作業的に、義務感に駆られて初心者を狩り続けるようになった結果。楽しいとか面白いとかいう感情も最早置き去りにしてきてしまったのかもしれない。
だからこそ、俺はこの男をギャフンと言わせてやろうとか、ボコボコにしてやろうとか、そういう負の感情がいまいち湧かなかった。
目の前の男は世間一般的な善悪とは全く違う価値観でゲームを遊んでいるわけだが、しかしそれを他のプレイヤーならまだしも、よりにもよって俺のような人間が偉そうに説教できる資格など――無いような気がしたからだった。
「あ、あー。なあ、頼むよ。お願いだからさ。俺を殺さないでくれよ。正直言って負けそうになっているっていうこの事実だけで内心イライラし始めているんだ。それを我慢して引き分けにしようってんでこうやって頭下げてやってるんだぜ?」
そう言って男はミナの首元にダガーの先端を近づける。
「オタクら、折角もうすぐ一区切りつくくらいまで深く潜ってきただろ? この嬢ちゃんが死んだらここまで戻ってくるのは手間だぜ? なあー。頼むよ。俺には悪意はそんなにないんだって」
「人質を取っておいて……一体どの口が悪意を語るのかしら?」
「いやー。でも、俺って話は普通に通じるだろ? よく初心者狩りしている人間って悪意に塗れたクズみたいな言われようなんだけどさ。現実の犯罪者みたいな扱いはして欲しくないんだよな。同じ人間なんだから、力が拮抗していたら普通に話は通じるもんなんだよ。嬢ちゃんが捕まって一方的にボコられてお仲間の足を引っ張ってるのは――嬢ちゃんが弱いからなんだって~」
男の指摘で、ミナの表情が明らかに曇った。
自分のミスによって俺に迷惑をかけるという状態は、彼女にとって不本意極まりない物のようだ。
「あ、あ、あー。めんどくさいが、しかし勝機が見えてきた。格上でも勝機が見えるのは良い。とても良いことだよな。攻撃しないでここまで俺の話を長々と聞いていたってことは、この嬢ちゃんには“人質の価値”があるってことなんだろ? だから――武器を捨てるんだ。そう、捨てた上で公平に戦おうぜ。ここで言う公平っていうのは、俺にとって有利っていう意味での“俺が考える公平”だ」
「……わかった。“武器は捨てる”」
それまで握っていた槍を両手で折り畳む。
直後に――
「――ぐふっ」
――ミナの口から血が溢れた。
胸部のど真ん中に深々と槍が突き刺さる。
「なん…………」
男が驚いている間に、俺は一目散に駆け出す。
男は人質を攻撃することにまで頭が回らなかったのか、反射的にその場から逃れようと動き出した。
とはいえ、俺が投げた槍はミナを胸部を貫通して男にも突き刺っている。
斬撃ならまだしも、速度の乗った刺突ならばプレイヤーは盾とはなりえない。
致命傷とはいかないだろうが、即座には抜けないはずだ。
俺は焦っている表情の男の首に対して、躊躇なく曲剣を突き立てる。
そこで観念したのか、ミナを拘束していた男の腕から力が抜けた。
「おいおい、ま~じか……。ここまで……攻撃を躊躇していたくせに、“仲間ごとぶち抜く”とは……思ってなかった……ぜ」
「いや、別に仲間だから攻撃を躊躇していなかったわけじゃない――」
俺は男の背後を見つめる。
通路の遥か先にはリュクスが立っていて、俺に対して銃を掲げて左右に振っていた。
それは“否定”を意味するジェスチャーだ。
武器を取り出していたが。実のところ、俺はこの男にずっと攻撃できないでいた。
そう――目の前のこの男、リュクスから聞いていた探し人の特徴と僅かに一致するのだ。
『色の黒いキャットの小柄な男性』
リュクスからは今回の依頼を受けるにあたって、そこまでしか伺っていなかった。
だから、この男を戦闘不能にするわけにもいかなかった。目の前の男ときちんと話し合って、この敵がリュクスの言っていた探し人なのか、確認をしなければいけなかった。
このまま男が逃げていてくれればリュクスとその内ぶつかり合うわけで、身元確認も含めて一石二鳥で楽だったのに。
男が自分から足を止めてしまったため、逆に面倒なことになってしまったというわけだ。
そうして、そのタイミングでリュクスがたどり着いて”否定するジェスチャー”をしたのでようやく攻撃ができたというわけだ。
要するに――
「――個人的な用事のためにお前には、だらだらと長々と自分語りをしてもらった方が都合が良かった――ただそれだけだよ」
そう言ってから壁に足を掛けて、男に刺さっている首の曲剣と胸の槍と同時に引っこ抜く。
男の体力がゼロになり、その体は地面に倒れ込んだ。
周囲を見遣るとリュクスは既にいなくなっていた。
こちらが陥った状況をなんとなく把握し、事態が解決したことまで察して再びフロアの攻略に戻っていったのだろう。
「あの――それで」
左手に握っていた槍が僅かに振動する。
「私は、どうすれば良いのでしょうか?」
槍には“ミナが貫かれたままになっていた”。
俺が普段と同じような姿勢で槍を持っているため、ミナの姿勢は中腰になっていた。
「――回復薬は持っているか?」
「いえ、道中で戦闘をしていないので手元には一つもありません……」
「なら、一つ“貸し”だな」
そう言って俺はインベントリーから回復薬の瓶を取り出して中身をミナの頭にぶちまけてから、槍を引っこ抜いた。
一度回復してから抜かないと、そのまま戦闘不能になって危険性があるからだ。
「いや、待て。この体力じゃあ流石に攻略がきついか? なんなら、回復薬をもう一個――」
「……これ以上は結構です」
ミナは胸の中心を血だらけにしながらも項垂れた。
「……心底申し訳無かったです。私のプレイミスでクリア様の足を引っ張りました……」
普段の威勢はどこへやら、ミナは明らかに落ち込んでいるようだった。
「いや、丁度よかったさ。間が持つか怪しかったからな。“お前がいっそ捕まってくれたおかげで話がすんなり進んだ”」
「――お褒めいただき光栄ですわ! それってつぅまりぃ〜。“私がお二方のお役に立てた”ってことですわよね!?」
皮肉のつもりで言ったのだが、先程までの落ち込みようもどこへやら、ミナは嬉しそうな表情をして自分の周囲をぴょんぴょんと跳ね回る。
――どうやら先程までの落ち込み具合は芝居というか、この女の策略だったようだ。
普段装着しているドミノマスクの下側部分は顔としっかり固定されていないようで、ミナが飛び跳ねると同時にマスクがパカパカと跳ねた。
敵に開き直って玉砕覚悟で突撃されたら厄介だったのも事実だ。
そして、戦闘不能に追い込まないであの男を拘束できる自信はなかったからミナが拘束されたのは渡りに船だったというのも事実なのだが。
しかし、この女に感謝する意図は全くないし。これ以上、心を許すつもりは微塵もない。
「よせよ! それ以上近寄るなって! 装備品が血で汚れるだろ!」
俺はミナから逃げ出すように、倒したばかりの男の死体に近寄る。
「……負けた私がいうのも何ですけれど。『確実な勝利のために、初心者狩りに特化する』だなんて、本当に情けない男です。写真でも撮って、名前と一緒に大衆に向かってばら撒いてしまおうかしら? 負け犬っていうあだ名付きで」
ミナが男を文字通り見下しながらそう言い放つ。
「いや――俺の負けだな」
「――はぁ? 仰る意味がよくわかりませんわ!? 戦闘に勝ったのはクリア様じゃありませんの!」
「そう思うかもしれないが。実際は違う。最終的に――“負けるのは俺の方”だ」
倒れている男は、穏やかな表情だった。
先程の下衆な笑みではない。
まるでさっきまで別人で、最初から演じていたかのように穏やかな笑みを浮かべていた。
「こいつはこれからも、何事もなかったように一人で、ぶっ続けで初心者を絶滅させるまで狩り続けるだろう。だから、次回この場所に来たとき、初心者は誰もいなくなっているかもしれない」
「――それが、どうしてクリア様の敗北に繋がりますの?」
「初心者がいなくなれば、城を攻略する人口は減っていき、いずれ【イノセント】というコンテンツそのものが成立しなくなる。この男は初心者狩りに飽き足らず。“その環境で遊ぶ人間全員に嫌な思いをさせる”ことに楽しみを見出していたってことだ。だから、どう足掻いても勝てはしないのさ。こういう『ゲームをそのものを完全にぶっ壊そうとする手合い』にはな」
笑みを浮かべたまま。男の死体が消滅する。
手元に残ったBiginner・killerという名前の首級を確認して、俺はため息をついた。
「――とはいえ、俺個人にそれを何とかすることはできない。こういう初心者狩りを完全に排除して、理想に導けるような存在は『 ゲームを提供する側の人間 』だけだ。つまり――」
その言葉を吐いた後に、ゾッとした。
自分にとって薄寒い台詞を言ってしまったという自覚があった。
『 ゲームを提供する側の人間 』というのは、もちろんこのゲームを開発する人間のことだ。
――『 アイツ 』のことじゃない。
『これではまるで、俺が『アイツ』の『ゲーム』を望んでいるみたいだ』
そんなことを考えて、俺は気分を悪くした。
「――クリア様?」
ミナが心配そうな表情で俺のことを真横から見つめてくる。
「いや、なんでもない。城の攻略を続けよう」
【Battle Result】
勝利(敗北)
Clear・All
敗北(勝利)
初心者狩りの男(Biginer・killer)
・失ったもの(後に失うもの)
この世界の中の、自分の居場所。
戦闘に勝利したのはクリアであるが、しかし初心者狩りという行為そのものが根絶できるわけではない。
次回来訪時には城に挑むユーザーは激減し、いずれコンテンツそのものを遊ぶユーザーはほとんどいなくなるだろう。
Clear・Allにとって、それは自身の楽しい遊び場を丸々一つ失うことを意味するが、しかし24時間365日監視するほど暇ではない。
――即ち、大局的には敗北である。
【初心者狩りの男】
キャラクター名、Biginer・killer。ゲーム内では【ビギナキラ】と自称。
初心者狩りコミュニティの身内の間ではビギさん。キラさんなどと呼ばれて慕われているらしい。
実際のところ。下衆な思想をしているが、下衆で露悪的な態度が本心なのかどうかは定かではなく。
破滅的ではあるが、見よう見方によっては、これもロールプレイの一環なのかもしれない。
おそらく、この男は昔は違うゲームで純粋に上を目指そうとしたのだろう。
しかし才能が足りず“一流”は愚か“上位”にすら達することができず挫折した。
その結果、初心者狩りという新しい楽しみを見出し、その挙句に“ゲームを壊して無関係の人間の足を引っ張る”ことにまで楽しみを見出した。
哀れであると同時に、彼は現在進行形で多くのゲームプレイヤーにとっての“凶敵”である。