B面 第四話 騒乱の血飛沫
突然、本当に何の前触れもなく。
仮想世界の中で出るわけがないくしゃみが出そうになって、俺は慌てて口を押さえた。
「……誰かが自分の噂話でもしているのか?」
「――もしくは、誰かがどこかで、よからぬ話をしているかも知れませんわね」
背後から、何かを引きずるような音が聞こえてくる。
「思わぬことが原因で自分の体に影響が出ることって結構ありますから。例えば――私、お気に入りの芸人さんがいるんですけれど。その方の自著を読んでいたら、その方が自分の夢に出てきたことがありますわ。その方は――」
口調は息も絶え絶えというか、実に気怠げだった。
「――外見だけ見ると、クリア様のキャラクターと外見がそっくりなんですの。これって、何かの暗示かしら……」
(……この女は、こんな状況でも匂わせてくるのか)
振り返ると、ミナとゴーグル越しに目が合った。
腹部が僅かに赤く染まっている。この世界の中で最初に出会った時と同じように、彼女は負傷しているようだった。
勝手に先行してフロアを降りた挙句に、俺達のペースに無理についていこうとした結果、塔を降りる途中にリュクスとはぐれてしまい他のプレイヤーの襲撃を受けたようだった。
「――ご心配には及びません。何度か攻撃を受けて、体は寸寸ですけれど。休み休み。進んでいけば……」
そして、そんな血だらけになっている彼女の姿を見て。
なぜか、雪山で敵に追い詰められて血だらけになっていたかつての“弟子”の姿が一瞬だけ思い出された。
(……………………)
正直に言うと、この女を100%信じ切っているわけではない。
むしろ、何かをしでかす可能性の方が高いとまで思うし、この場から排除したいという気持ちも勝っている。
しかし、同時に――
(薄々感じてはいたが、流石に“弟子としての扱いが不憫すぎる”な)
――そう感じたのは事実だった。
俺は心底、リュクスの教え方の雑さに呆れていた。
正直、こんな状態で“ついてくればわかる”などと宣う方がどうかしている。
こんなものは最早教えではなく暴力に近しい。
その厳しい(半ば放任のような)教え方によって彼女は実力をつけてきたのかもしれないが、この城は上級者でもないプレイヤーが知識も無しにどうこうできるような場所ではない。
それが故に、俺は今の今まで彼女を放置する腹積りだったわけだが――
「――仕方ない………………“一度だけ”だ」
「――え?」
「一度だけ、このダンジョンの降り方のセオリーをお前に教える」
「……今の今まで塩対応だったのに、どういった風の吹き回しなのかしら? ――なんやかんや紳士的な面もあるのですね」
ニヤァ――と口の端を歪めて、暗がりの中で血を零しながらミナが笑った。
「……他人に教えを受ける段階で、不憫な思いをしている人間の気持ちがわかるというだけさ」
“背後の彼女を警戒しながら”、俺は城内の暗い通路の先を見つめる。
「とりあえず最低限重要なことだけを伝えておく。既に理解しているだろうが、このダンジョンを挑むプレイヤー達の目的は“下に降りていくこと”だ。下に行けるほど強いプレイヤーという扱いになるし、強者と遭遇しやすくなる。通常攻略では面倒な敵は戦闘を仕掛けずにやり過ごすのが基本で、全ての敵を無理に倒す必要はない。戦闘を避けてでも、生き残って一層でも多く下のフロアに降りていくのが重要だ。――“本来”はな」
一旦言葉を止めて周囲を警戒する。
近づいてくるプレイヤーの気配は感じられない。
「しかし、今回の俺たちは他のプレイヤーと勝利条件が違ってくる。――何故かわかるか?」
「この城内にいる他のプレイヤーたちと、私達の事情が違うのは途中で理解しましたわ。師匠の人探しをするために“道中の全てのプレイヤーとエンカウントしなければいけない”のでしょう?」
「――正解だ。リュクスの依頼の関係でマップを虱潰しに探し回る必要があるから、途中で明らかな初心者以外の敵でもない限りは概ね戦闘を仕掛けて撃破するし、エンカウントした相手が格上ならば必要に応じて逃走する必要が出てくる。つまり、普通に攻略するよりも遥かに難易度が高いことをやっているわけだ。
「つまり、私は最初のフロアでお二方の虱潰しに付き合わないで勝手に先行して下に降りたということですわね……」
「だから、孤立して負傷したわけだ。全ての敵とエンカウントした後は極力同じタイミングで降りることを意識し、都度合流しつつ下のフロアへどんどん降りていくのが正解だったってわけだ。――ここまで質問はあるか?」
「今の私が知りたいこと……。そうですわね――『パーティを組まないで攻略をしている理由』を教えていただきたいです」
「“仕様の関係上有利”だからだ。このダンジョンでは外のPKのルールとは違うシステムが組まれている。先ず、『このダンジョン内で組めるパーティの上限人数は3人まで』で、『パーティを組むとパーティ以外の全プレイヤーから無差別に攻撃を受けるようになる』」
「出会うプレイヤー全てが敵の殺伐としたコンテンツですもの。至極当たり前の仕様ですわ」
「――しかし、『一人で行動していれば、システム的に“3人の攻撃まで”しか同時に受けない』」
背後を一瞥する。ミナの瞼が不自然にパチクリ瞬いている。
割り込まれた俺の説明を受けて“何か”に気づいたようだ。
「ええと、つまり――“実力者の3人パーティは複数のパーティに囲まれて数の暴力で叩き潰される”可能性があるけれど、“実力者がパーティを組まず結託すると数で潰せなくなる”ってことかしら……」
「その通りだ。そもこの攻略法をかつてお前の師匠に発案したのが俺でな。アイツが俺をここに呼んだのもそれが最大の理由なんだ。リュクスも俺も一人で行動した方が強いタイプで、逃げるにしても戦うにしても、それぞれプレイヤー3人程度ならほとんどの場合問題なく対処できる」
「あの――それって仕様の穴をついていません?」
ミナは笑みを浮かべていたが、あまりにもやり口がえげつないと感じたのか――歪んだ口元が僅かに引き攣っていた。
「結託というよりも“談合行為”に近いが合法さ。【吉野基将】っていう――“お手手繋いでわいわい仲良く協力”みたいなのが大嫌いな開発者が作ったコンテンツなんだ。だから仲良くパーティプレイはさせない。やらせない。そういうわけで、システム的に言ってしまえば、俺もリュクスもお前も“お互いが全員敵”という扱いになる」
「全員敵――なるほど、理解しましたわ。私も表面上は敵対しているけれど、クリア様に協力しているということですわね?」
「いや、協力し合う関係でもないな」
俺の言葉を聞いてミナはぎょっとした表情でこちらを見つめてくる。
「――少なくとも今の段階では俺とお前の間に協力なんてものは成り立たない。密な連携を要するのは“お互いの実力がある程度拮抗している時だけ”だ。実力が開けば開くほど、相互協力なんてできなくなるし。実力が低いプレイヤーと足並みを揃えていたら、こっちまで戦闘不能になりかねない」
「つまり、私とは一切一緒に行動をしないということですか?」
「いや、実力差が開くと“利用する、利用される”の関係になるってことさ。俺の目の届く範囲でお前が瀕死になって逃げ回っているようなら、敵を後ろから刺す」
俺の言葉を受けて、ミナは俺の言葉にミナはクスリと笑った。
しかし俺にはなぜか、彼女のキャラクターの両目のハイライトが消えているように見えた。
「……わかりました。――私のよく知っている。男女間の理想のパワーバランスです」
「いや――男だとか女だとか、そういうことを言っているわけじゃない。冷酷ではあるが、逆に言うと“自分の好きなようにやれば良い”ってことさ。あまり多くのことを意識すると脳みそがパンクするからな――ただ、ここまでの話から最初に一つだけ考えてほしいことがある。今回のダンジョン攻略で一番大事なのは攻撃力、防御力、機動力のどれだと思う? 間違っても良いから答えてみてくれ」
「――機動力かしら? 」
ミナは時間を置かずに返答する。ほとんど即答だった。
「現に、私はお二人の動き。暗黙のチームプレイについていけていない故に苦戦していますから」
「正解だ。大事なのは一人で戦い抜いて逃走するため機動力だ。現状、最低限のラインは満たせていると思う。俺たちに置いていかれていないだけでも奇跡みたいなものだ」
「……お二人の進行についていけるように今後も可能な限り努力します。もしもついて来れなそうだったら、置いていっていただいて一向にかまいませんわ。師匠から、そのようなやり方で学ぶように教わっていますから……」
『無理だろうな』と思った。
このダンジョンではいくらセンスがあっても“やり方”を知らなけば、得られる経験など何もない。
「一度だけ、セオリーを教えると言ったろ? 俺がこのフロアを先行する。効率よくマップ内を移動する手段のヒントを出すから、後は自分で上達してくれ」
俺は真っ暗で入り組んだ場内を走り出す。
“ミナが追従できる速度”を維持しながら、後ろに向かって届くように大きめの声で説明を始めた。
「大切なのは、フロアごとの“マップ構造を即座に把握すること”だ。とはいえ、フロアごとに形が決まり切っているわけじゃない。マップの形はランダムで決定されるようになっていてな。『一定時間そのフロアに誰も存在していない状態が続くとマップの形が自動で変わる』ようになっている。フロアで起きた戦闘の破壊跡も、そのタイミングで修復される」
背後のミナの気配が少し離れた。
おそらく、今の俺の発言の内容に矛盾を感じて思考しているからだろう。
「ランダムなのに、マップ構造を即座に把握する……。どういうことかしら?」
「実は、この城の中で“本当のランダム”なんて物は存在しない。このダンジョンにおいて、地形のパーツと、フロアマップのデザインパターンの種類はある程度決まっている。例えばこの通路一本取っても――」
俺は一瞬立ち止まって、眼前の通路の前後左右を指さす。
「壁面や地面のデザインや地形のパーツを全て把握していれば、その情報に基づいて“脳内でマップデザインの索引ができる”ってわけだ。だから、俺はこのフロアに来て走り始めてからほとんど時間が経っていないが、既にこのフロアの全体の構造を把握できている。加えて、マップパターンごとに設定されている“戦いやすい場所を把握している”から戦闘をするにせよ、逃げるにせよ。即座に行動ができるってわけだ」
「な、なるほど……。マップのデザインパターンはどこで確認できるのでしょう?」
「情報はプレイヤーのwikiに載っているから、プライベートで調べて覚えておいてくれ。覚え方は色々あるが――」
片手をあげて会話を制する。
先の曲がり角から、他のプレイヤーが放つエフェクトの音が聞こえた。
近づいてきている人物が敵プレイヤーであることは間違いない。
考えるまでもなく、進行上の邪魔だ。
排除しなければならない。
「(戦闘に関して一番大事なことを先に教えておく。とりあえず迷ったら逃げることだけを考えろ)」
俺はミナに一方的にそう伝えてから、返事を待たずに一人で駆け出す。
最初に音が聞こえてきた時、それがプリーストの魔法による物であると俺は即座に判断した。
その魔法は効果時間が長めで、効果の低いバフを付与する物だ。
咄嗟の接敵を意識して使用されるような魔法ではない。
即ち――敵はまだこちらを見つけてはいない。
俺は曲がり角を曲がって、敵の前に堂々と躍り出た。
相手は三人組。装備品的を見て敵の情報を咄嗟に収集する。
外観と立ち振る舞いと武器から判断して、ウォーリアの男が一人。アサシンの男が一人。プリーストの女が一人。
確実に初心者プレイヤーではなく、プレイスキルも決して低くない――結構まともな連中だろう。
しかし、彼らの外見を見て。問題なく勝てる相手だと俺は即座に判断する。
「「おっとっと――対戦、よろしくお願いしま~す!」」
俺は大きな声でそう叫びながら、足をぴたりと止めて――相手に向かって堂々とした所作で頭を下げる。
相手は一瞬困惑したのだろう。
僅かに空いた後に、接敵によって取り出した直後の武器が再び仕舞われる音が聞こえてくる。
相手は俺に釣られて挨拶のエモートを出して頭を下げてきた。
おそらく、挨拶を返しても問題がないと判断したのだろう。
なぜなら、俺の行った挨拶は“長い硬直を持つエモート”だからだ。
見た目の装備でなんとなくわかる。この三人組は“正統派の三人”だ。
他所での戦闘能力は高いだろうが、俺のような悪辣でずる賢い――“このダンジョンに慣れているタイプ”のプレイヤーではない。
こんな場所では挨拶を返すというその人の善さ。人間としての常識が命取りとなる。
もしも挨拶に応じずに攻撃してくるのならその隙を狙ってこちらがカウンターを仕掛ければ良いだけだが、彼らは俺の挨拶を返してしまった。
先頭に立っているウォーリアとアサシンの二人の男性キャラが頭を下げているまさにそのタイミングで――俺だけが先に動いて相手に向かって駆け出した。
なぜなら、俺の行った挨拶はエモートですらなく。“長い硬直をもつエモート”を“完璧に再現しただけのただのお辞儀”だったからだ。
しかし、何も知らない常識的なプレイヤーならば、まず真っ先に騙されて釣られて頭を下げて隙を晒す。
――我ながら、極めて悪質な戦術だと思う。
駆け出した俺はプリーストの女性キャラに接近する。
挨拶のエモートを行っている途中の無防備な彼女のキャラクターに対して曲剣で真正面から連撃を叩き込む。
挨拶で下げた頭が上がることなく、戦闘不能になったプリーストは前のめりの姿勢のまま地面に倒れる。
同時に二人がエモートを終えて驚愕の表情を見せている間に、囲まれないように元居た位置に移動する。
「――――――――!!!!」
相手が、自分を罵倒する声が聞こえてくる。内容までは、聞き取れなかった。
『おそらく怒っているのだろうな』と、漫然と考えながら、相手の足元を見つめつつバックステップで後退する。
真っ先に近寄ってくるアサシンの歩幅を把握してから、俺は敵二人に向かって背を向けて自分が先ほどまで居た曲がり角に向かって走り出した。
角を曲がった瞬間に足を止めて、後続の相手を待ち構える。
アサシンの男性プレイヤーが驚きの表情を見せた。
『――そりゃあ驚くだろうな』と思った。
彼からすれば、角を曲がって直ぐの場所に、俺が経っているとは思っていなかったのだろう。
俺は相手の歩幅を把握した上で、“足音を重ねて逃走していた”。
このゲームでは“足音がしないこと”に気づくプレイヤーは沢山いる。
しかし“二つの足音が完全に重なっている状態”から、そのうちの一つが突然聞こえなくなったらどうだろうか?
その違和感に気づいて警戒して足を止められるようなプレイヤーは、滅多にいない。
加えて、敵の初期位置的に考えても、スキルの構成的に考えてもアサシンの方が追跡速度が早い。
だから、一対一を瞬時に作り出せる。
俺が曲剣による角待ちで低耐久のアサシンを戦闘不能にした直後に、ウォーリアのプレイヤーとゴーグル越しに目が合った。
三人目は、いきなり仲間が曲がり角を曲がって戦闘不能になるとは夢にも思っていなかったらしい。
そして、そのレベルの驚きを戦闘中に見せたら動きは鈍る。
隙ができたので、倒れ込んでいる途中のアサシンの体の脇を抜けて、俺は最後のウォーリアに向かって突進した――――
「こんな風に、基本的には不意打ちしつつ逃げながら一対一を3回やれるようにすると良い」
戦闘が終わって“背後に警戒しながら、背後に居るミナに”俺は語りかけた。
「この城の通路は絶妙に狭くて戦いづらく、一対一をしやすい。逃げながら職業のアビリティを使って、安全な時間を作って叩けるようになれればそれが最良だな。――フロア全体のマッピングが早ければ、どっちの方向に進めば逃げながら戦えるかがわかるし、敵が追って来なければ回り道をしてこちらから再度攻撃を仕掛けることもできる」
俺は血だらけになって色の変わってしまった通路の中で腰を落として、敵プレイヤーが地面に残したアイテムを物色し始める。
「――といっても、これは“俺のやり方”だけどな。お前の場合は、危ないと思ったら接敵しないで逃げても良いぞ。俺とは逆に、真正面から奥まで一気に突っ切って、そのまま全員倒すようなとんでもプレイングをする奴もいる。今回の俺の依頼人――君の師匠がまさしくそれだな」
アイテムを物色し終える。
手に入れた薬品の入ったガラス瓶を背後のミナに見えるように頭上で軽く掲げた。
「このダンジョンの中では自動的に体力が回復することはない。首級も出ないし、PKをしたという扱いにもならない。ただ、戦闘不能になっているプレイヤーの身体から【ダンジョン限定で使える回復アイテム】が手に入る。これを使って回復すると良い。今回だけは“出血大サービスだ”」
振り返って俺が投げつけた瓶は、キャッチされることなく地面を転がった。
そこで初めて、俺はミナの様子が明らかにおかしいということに気づいた。
こちらを見つめる表情にどこか恐怖を感じているような――明らかに引いている……半ば戦慄しているかのような。そんな表情だった。
「あ、えっと……その――す……」
俺の投げた瓶は転がったままで、気まずい空気が流れている。
「す、素晴らしいですわ! まさかあんなに簡単に三人相手に勝ててしまうなんて。賞賛というか経緯というか。そのような気持ちが、私沸々(ふつふつ)と湧いてきて――」
笑顔が即座に曇る。ミナは言葉を詰まらせて、息を呑んでこちらを見つめてきた。
少なくとも、その表情は賞賛のそれではない。
“俺の戦いに対して本気で引いている”。
「その…………失礼いたしました」
「いや、良い。その反応の方が常識的っていうか、普通かもしれないな」
ようやく冷静さを取り戻したのか、ミナは身をかがめて回復薬を拾い。それを顔の前でくるくると回しながら呟いた。
「……てっきり一人を人質にして、じわじわ半殺しにしつつ残りの二人の尊厳を徹底的に破壊するとか、そういうことをされるのかなと思っていたんですけれど。私の想定とベクトルが――ちょっと違っていたせいで、感情の処理に失敗したというか、なんというか……」
「いや…………いや、俺は理由もなくそんな“非道いことはしたりしない”が……。それに、そのやり方は、時間がかかりすぎるだろ」
その言葉を聞いてミナは再び瓶を落としそうになって、地面に落ちる前に咄嗟にアイテムウィンドウに仕舞った。
……奇妙な違和感がある。
この女、俺のことを“微妙に勘違い”しているような気がする。
俺のことを一体なんだと思っているのだろうか?
「な、なるほど。意外と効率的な方なのですね。兎にも角にも――」
気を取り直したのか、ミナは自然な流れで自分の胸元に手を入れる。
取り出したのは羊皮紙でできた小さなメモ帳だった。
「具体的に、どのようなことを思考しながら戦闘をされたのかを、逐一メモしたいと思いますので。移動しながらでも構いませんわ。説明を垂れ流していただければと思います。私、全て物にして見せますので!」
「――さっきの戦闘の細かい部分に関しては、“俺は何も教えないことにする”」
即答して、俺は歩き出した。
「――――――――はぁ?」
自然と溢れたであろう呆れのため息に思わず笑いそうになりながらも俺はダンジョンの先を進んで行く。
「そんなに肩透かしだったか?」
「……私の師匠には定期的に、その都度色んなアドバイスをしていただきましたから」
「そのやりとりを直接見たわけではないが――それはあまり“良くない教え方”かもしれないな」
俺のその言葉を受けて背後の足音が一瞬止まる。
曲がりなりにも、自分が教えを受けている対象を非難されたら誰でもムッと来るだろう。
「効率良く戦闘で上達したいのなら、大事なのは“配点の高さ”だ」
「配点?」
「“物事の配点”さ。例えば――そうだな。これはベル……知り合いの勉強が得意なやつと話していて気づいたことなんだが。勉強には偏差値ってものがあるだろ?」
「ありますわね」
「その男曰く。勉強っていうのは単純な労力で測ると、“偏差値30を50にする”より“60を70にする方が大変”なんだと。その話を聞いて――勉強が好きな人間には失礼かもしれないが、俺はこの考え方が一部のゲームにもある程度通じるような気がしてな。要は、“初心者が中級者になる”よりも、“中級者が上級者に”、“上級者が超上級者”になる”までに必要な労力の方が大きいっていう考え方だ」
「――ということは、先程のクリア様の戦闘は“偏差値60を70にするための小手先のテクニックの集合体”ってことですわね? だから今のアタクシがクリア様の行動原理を一つ一つ理解しても、時間がかかるし効率が悪い。むしろ遠回りになると――そういうことかしら?」
俺は内心で驚いた。
プレイヤーの年齢もあるかもしれないが、俺が前に教えた“弟子”よりも圧倒的に理解と言語化が早い。
今までのミナの話を聞くに、どうやらリュクスは師匠として相当不適切というか、物を教えるのが相当下手なようだが。そんなリュクスから物事を吸収して短期間で上達できるというのは単に“人として物事に対する理解力が優れている”他ならない。
ひょっとするとこの女は、他の物事も簡単にやってのけるようなタイプの人間なのかもしれない――と俺は思った。
「そうだ。だから――俺が今やったことを君が今の段階で理解しようとしない方が良い。“脳みそがパンクする”。一番最初に言った通り、君にとって今一番大事なのはマッピングと逃走だ。戦闘は戦うか逃げることだけを判断できれば良い。……何よりも君の反応を見るに、俺のさっきのアレは、単なる不意打ちの枠組みを超えた。人道に反するような戦い方だったみたいだしな」
「それは、私の理解と覚悟が及ばなかっただけです……」
再び気まずい空気になりそうだったので、俺は咄嗟に話を戻した。
「――とにかく、見えてるもの何でもかんでも指摘して、全部のアドバイスを等価値に扱って、あれこれその都度細かく大量の指示を出すようなプレイヤーは、言い方悪いが“教えるのがあまり上手くない”ってことになるわけだな」
「――でも、私。師匠の教え方が不適切だと思ったことはありませんでしたわ……。私の人生経験上、人に物を教わる時は概ねその手のプロフェッショナルに教わることがとっても多くて、だからこそ師匠のやり方が正しいのだと思っていましたし……」
「俺の経験上、“ゲームが上手い”のとゲームを“教えるのが上手い”のは全く別の独立した概念だ。――人に教えるのが向いていない天才肌のタイプもゲームでは割と沢山いる。そういう連中は、できて当然だと思っていたり、失敗を失敗だと思っていないから、“できない人間”や“上手くいかないで途中で折れてしまう人間”の気持ちをあまり理解できていないことが多い」
「じゃあ、クリア様は少なくとも天才肌ってわけじゃないのかしら?」
「……面と向かって“天災”だと罵倒されたことはあるけどな」
軽く笑いながら適当な受け答えをして、足を止める。
他のプレイヤーがつい先程までそこで戦闘不能になったのか。
壁には戦闘の跡と血がこびり着いていた。
「現在のフロアのマッピングが概ね終わったな。おそらくだが、このフロアにもう俺達以外のプレイヤーは誰も居ない。入れ違いになったという感じもしないから“全員排除済み”だ。俺たちが話し込んでいる間、リュクスが相当頑張ったんだろう。そろそろ一つ下のフロアに降りることになるぞ」
「フロアを降りるタイミングはどう示し合わせるのかしら?」
「俺とリュクスはビルドを弄っている。片方がフロアを概ね周り切ったと判断した段階で、フロア全体に反響する大爆音を鳴らす」
そう言ってから、俺はインベントリーから赤い筒を取り出す。
「流浪者の“閃光爆竹”。ハイダニアの城下町でお前の演奏を止めるためにぶっ放した大音量のヤツだ。リュクスも同じ要領で銃の空砲を派手に鳴らすことになっている。お前は俺たちとはぐれても、その両方が聞こえた段階で降下すれば置いていかれることはない。――フロア攻略中の身の安全の保証はできないけどな」
「……そのやり方ですと、お二方よりも強いプレイヤー集団が登場したりした時――不足の事態でフロアの降下の同期にズレが発生する可能性もあるのではないかしら?」
「このダンジョンは10F単位で“任意で転送できる休憩フロア”が設置されているから、そこまで到達すれば勝手に足並みが揃うようになっている。多少ズレが発生してもそこで帳尻が取れるようにはなっている」
休憩フロアに長居してしまうと、リュクスの依頼が成功する確率も落ちるだろうが。
元から大まかな人相しか伺っていない身だ。プレイヤーの多少の取りこぼしは致し方ないと割り切るしかない。
――“今回は”失敗したところで、人が死ぬわけではないのだから。
これだけ堂々と長話をしていて接敵する様子がない。
やはり、このフロアの安全は概ね確保されているようだ。
俺は閃光爆竹を鳴らそうかと一瞬思案したが――しかし、まだミナに対して最低限教えておかないといけないことがあったことを思い出して手を止めた。
「最後にフロアの降り方を教えておくぞ。これは全部で三つある。①エレベーター。②落とし穴。③螺旋階段――の三つ。違いは何かわかるか?」
「①のエレベーターは降下途中の安全保証がされますけど。降下速度がゆっくりで音も出ますから、待ち伏せをされやすいと感じました。降りたエレベーターが上がっていくこともないようなので、降下できる人数が限られるように感じます。②の落とし穴は上のフロアから下のフロアの音を聞けるので、不意打ちを受けづらいけれど、落下したら確実にダメージを受けますわ。③の螺旋階段は――その間といったところかしら? 唯一フロアの上下ができますから、かなり安全だと思いましたわ」
「理解が早くて助かる。つまり、このダンジョンをある程度理解している多くのプレイヤーが特に選びたがるのが③の螺旋階段ということになる。ただし、これは『表の選択肢』だ」
「『表の選択肢』?」
「誰もが、いの一番――真っ先に選びやすいポピュラーな選択肢ってことさ。だからこそ心理戦――状況を判断して“裏の選択肢”を考えなければいけない。螺旋階段は、“敵対しあうプレイヤーが複数殺到すると最も危険なフロア降下手段になる”。“上と下から挟み撃ちを受ける”可能性があるからだ。緊急時――プレイヤーが過密している状況では他の降り方の方が遥かに安全になる」
「だったら、最初から毎回――」
ハッとして、ミナは自らの発言を遮って即座に訂正する。
「――なるほど。このダンジョンではほとんどのプレイヤーにとって回復アイテムや職業スキルのリソースが有限……。そんな状況下で、待ち伏せをされるエレベーターや、落下ダメージが確定する落とし穴を選び続けることはリスク――ということですわね?」
「その通りだ。自分の持っている各種リソースや周囲の状況、プレイヤーの実力によって降り方を変える――咄嗟の状況判断が必要になってくるってわけだ」
どうせ教えるのはこれが最後だ。
これだけ理解が早いのなら、“配点が高い知識”は全て伝えた方が良い。
「それと、各種降下手段はこれまたランダムに設定されているフロア間の上下距離の影響を受けることがある。螺旋階段とエレベーターは降下までに時間がかかったり、落とし穴はダメージが上下したりする」
「微妙に、運の要素が介入してくるということですわね?」
「ランダムで降下手段のデザインが違っていることもある。エレベーターと螺旋階段なら、壁面にプレイヤーが通れる横穴が空いていたり、逆に堅牢な造りで降りるまで外部の影響を一切受けなかったり。こうなるとプレイヤーの取れる選択肢はさらに増すわけだ」
ミナの様子を伺う。混乱する様子もなく、すでに飲み込み始めている。
(なるほど、あのリュクスについてこれるわけだ)
そう思った瞬間に、遠くから事前に示し合わせていた銃の空砲が鳴った。
「おっと、合図の音が鳴ったから、急いで下に降りなきゃな。この城の中は狭いから音が外よりも響く。降下地点があったのが“隣の角部屋の区画”じゃなくてよかったな。このコンテンツの北西の角部屋には不具合があって――」
余計な雑談をしそうになって、俺は慌てて口を噤んだ。
「とにかく、俺が教えるのはここまでだ。後は――お前の師匠が課した通り“自力で学び取る”。“盗む”しかない。幸いお前は自分で学ぶ力をしっかり持っている」
「そうですわね。そんな私にとっては、あの方はまさしく師匠です」
「――じゃあ、今の俺は一体なんなんだろうな?」
穴の底を見つめながら、失言をしたという自覚があった。
ミナが自分の横から顔を出して、目を細めてしたり顔で笑いかけてくる。
「なんなのかしら〜? クリア様から見て、私とクリア様って“一体どういう関係”なのかしら〜? ウッフフ……」
妖しげな雰囲気を纏って迫ってくる彼女の言葉を遮るように、爆竹をフロアの通路に向かって放り投げて、俺は真っ先に暗闇に向かって飛び降りた。