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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第四章 登る者、降りる者
141/151

B面 第三話 追従する落陽――

「……素敵な夕日ですわね」


背後でミナがぽつりと呟くが、俺はその言葉に反応しない。


振り返ることもしなかった。

ただ、前傾姿勢で飛空艇の縁に寄り掛かったまま、沈みゆく夕日に背を向けて――登ってくる夜の闇を黙って見つめていた。

上方から吹きすさぶ夜の風が、頭にぶち当たる。


本作において飛空艇というのはいかにもな帆船に飛行機の機構が一部ついたものだ。

動力はプロペラと風の魔法の半分ずつ。


そして今、俺たちが乗っているのは小型の飛空艇だ。

小型故に船室というものがなく、乗客は誰しもが甲板に出ざるを得ない。







だからこそ俺は、吸いたくもない外の空気を吸って。

浴びたくない夕日の光を背中に受けている。






「お前……どうして“飛空艇の上で集合”なんて指示を寄越したんだ。一度行ったことがあるなら飛空艇なんて使わなくたって、ポータルで移動することができるはずだろ?」


俺は真横に立っているリュクスにそう問いかける。

リュクスは飛空艇の縁に背中から寄りかかっていて、俺とは逆の方向を“見上げていた”。


「……門によって転移が可能なのは、一度現地に辿り着いたことのある経験者――この場では吾輩と貴公のみ。未経験者である狂愛の乙女《Mina・Rouge》へ、目的地へのヒントを提示するのは、師として最低限の配慮だと思わんかね?」


そのリュクスの言葉と同時に、俺の右肩に“わずかな重さの何か”が乗ってきた。


「その通りですわね」


ミナのしゃべりと共に、俺の右肩がグニャグニャと凹む。


「おい――俺の肩に顎を乗せた状態でしゃべるな」


「諤々(がくがく)してます? でも、女が殿方に寄りかかりたくなるのは、自然の摂理でしょう? そして、師匠の仰る言葉は正しいです。殿方なら“気になっている女性”を現地までエスコートするくらいの甲斐性は持っていただきませんと」


確かに、俺はこの女のことが気になる――警戒しているという意味で。


「お前の信条をどうこう言うつもりはないが、寄りかかる相手を盛大に間違えてる。俺のような人間にそんな甲斐性を期待する方がどうかしているぞ」


ミナはしばらくの沈黙の後――俺の右肩に顎を乗せたままぽつりと呟く。





「……なぁるほど。――“土台無理”ってところかしら?」


「文字通りそういうことだな。寄りかかっていないで、俺の真横に――並んで立ったらどうだ?」


ミナは『並んで立つ』という言葉を小声で復唱してから、俺の背中から離れた。


「……遠慮しておきます。“肩透かしを食らう”ことになりますもの。クリア様くらい素敵に狂っている方なら『飛空艇の縁の近くに立ったプレイヤーを叩き落とす』くらいのハードなスキンシップは易々と――それこそ、朝飯前なのでしょう?」


「師匠に教わったのか?」


「いいえ、ただの冗談ですけれど……まさか本当に突き落とそうと思っていませんわよね?」


俺は黙ったまま何も答えなかった。

なぜなら、“この女が隣に立ったら本当に叩き落とそうとしていた“からだ。


それにしても、リュクスがそういった危険を事前に改めて教えていないのが気になる。


(『目的地への最低限のヒントだけ提示して後は自己責任』。リュクスの奴、意外とスパルタなのかもしれないな)


当人といえば――


「あら――ひょっとして図星だったのかしら? 全くクリア様ったら、好きな女の子をいじめたくなる小学生男子じゃないのだから。そういったお戯れは程々(ほどほど)にしてくださいね」


――一つ間違えれば即退場の窮地を運よく乗り越えてこの発言だ。

心底恐ろしい女を連れてきてしまったと思った。


ミナは俺の方から身を翻すように離れていき、それから飛空艇の先端付近にまで移動してからへりに腰をかけた。

そして、まるで俺を挑発するかのようにおもむろに両足のハイヒールを脱ぎ捨てて、浮き上がった両足をバタバタと動かして悪戯っぽく笑みを浮かべてくる。


あたくし)としてもまあ……そのような強めのアプローチをしていただくのも悪くはないと思っていますけれど。それで終わりにするには夜はまだまだ長すぎると思いません? できればもっと時間をかけた情熱的なアプローチをしてもらいたいところですわね」


露出の多いドレスが風と揺れている。

ミナはまるで『さぁ、身軽になった私を追いかけ回して、船から落してごらんなさいな』と言わんばかりに悪戯そうな笑みを浮かべていた。


当然俺がそんな挑発に乗るわけもなく。ただ黙って、靴を脱いだミナの両足をじっと見つめた。


「あら、ひょっとしてクリア様って“こういう”のがお好きなのかしら?」


そう呟きながらミナは真っ白な両足の指をわきわきと動かしてくる。


「いや、違う。素足っていうのは意外と選択肢として悪くないと思ってな。装備品のステータスは反映されなくなるが、素足っていうのは隠密目的では結構良いからな。さっきまで装備していた歩きづらそうなハイヒールと比べたら、よっぽど“地に足ついた選択している”」


ミナは自らの足を見つめてから暫し思案した後にため息をついた。


「はぁ……。本当は興味がお有りでしょうに。どうして、そんな反応をされるのかしら? なんていうか――“足元を掬われた気分です”」


「こんなふざけた話をするのも。のんびり靴を脱いでられるのも今のうちだぞ。これから当分厳しい戦いになる。これから先の目的地のことを鑑みれば、ひょっとすると今この瞬間も危ないかもしれない。他に同乗者がいたら、俺たちの装備品を事前に調べられることになる。お前が無知で未熟で油断だらけのプレイヤーだったことも、一目瞭然ってことだ」


俺の言葉を受けてミナはバタバタと動かしていた両足をピタリと止めた。


「いや、むしろ今この瞬間も危ないかもしれないな。飛空挺の上ではいろんなイベントが起きる。運が悪いとモンスターに襲われるなんてことも起こりうるわけで――」


俺の言葉を遮るようにミナは黙って立ち上がり、脱ぎ捨てたハイヒールを拾って再度両足に装備し始めた。


なるほど、聞き分けは良い。“油断はしても、油断しきっているわけではない”というところだろうか?

とはいえ俺の『モンスターに襲われる』という発言は嘘だった。

俺たちの乗っている船はもう間もなく目的地に到着するわけで、そのような特殊イベントが起こり得る危険な時間はとっくに過ぎていた。


(つまり、今気をつけるべきは他の同乗者(プレイヤー)だ――)


顔を動かさないように改めて周囲を警戒する。

誰かが――


“こっちを見つめていないだろうか?”

“嫌な気配”はしないか。








“見ていてくれないだろうか?”


(……誰からの視線も感じない。そうだとも。俺はもう誰からも見つめられていないはずなんだ。今となっては、そう……誰からも――)


飛空艇のヘリに添えられている自分の両手をじっと見つめる。

背後から夕日の光がずっと降り注いでいる。


振り返ることは“できなかった”。

ただ、前傾姿勢で飛空艇の縁に寄り掛かったまま、沈みゆく夕日にずっと背を向けて――眼前に登ってくる夜の闇を黙って見つめている。


“ただのそれだけ”


「この場にアイツがいなくて良かった」


俺は真横に立っているリュクスにそう問いかける。

リュクスは飛空艇の縁に背中から寄りかかっていて、先ほどからずっと俺とは逆の方向を“見上げている”。

その立ち位置がなんとなく、俺に対して居心地の悪さを感じさせた。


「……貴公の“弟子”の話かね?」


「そうだ。もしもアイツがここに居たら、良くないイベントが起きて確実にトラブルに巻き込まれたろうな。俺とは違って自覚のないトラブルメーカーだから。空賊に襲われたり、翼竜に攫われたりとかして……それに――」


ずっと夕日を見つめている。

おそらく遥かに大きな夕日が俺たちを後ろから見つめているのだろう。


「――この場所だと。きっと、居心地が悪かったろうな」


もしもこの場にアイツがいたら、一体どこを見つめているのだろう?

眼前の闇か、それとも背後の夕日か。


リュクスは俺のつぶやきを受けても、黙っているままだった。


「さっきから、“らしくないな”。さっきの俺と彼女とのやり取りで、お前があの女の生足を一瞥もしないのはどういう風の吹き回しだ?」


「……何か勘違いをしているようだが、吾輩は自分の教え子に対して絶対に手は出さんよ」


「そういうものなのか。変態であると同時に、変なところで紳士なんだな。お前は」







「……“吾輩の視線が、気になるのかね”」


今度は俺が黙る番だった。

ここで言う視線というのは、他人に対して向けられるハラスメントとしての視線ではない。

今、“リュクスが向いている方向”について言及しているのだろう。


「これは願掛けのようなものだよ。夕日には――吾輩なりに思うところがあってな」


背後からの光がどんどん弱くなっていくのを感じる。

夕日はだんだんと落ちていき――体を侵食していた日の光が両手から抜け落ちていく。

その段階になって、ようやく息苦しさから解放された気がした。


同時にふと――“視線”を感じたような気がして。


改めて振り返って、飛空艇の甲板の上を見回す。

――そこには、俺たち以外の誰もいなかった。















目的地はもうすぐそこまで近づいてきている。


これから向かう先は悪意が渦巻く薄暗い場所だ。

今の俺にとって、とても居心地が良い場所。


(――果たして、今回は地下何階まで降りることになるのやら)


眼前には――














挿絵(By みてみん)














――大人数PVPコンテンツ、【イノセント】の舞台である名前の無い城が闇の中で自分たちを待ち構えるように聳え立っていた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








 城の屋上に横付けされた飛空挺から降りると同時に、俺は周囲を見渡す。

このゲームがフルダイブ化されてからここに来たのは一度だけだったが、どうやらその時と周囲の環境は何も変わっていないようだった。


「広々とした。殺風景な場所ですわね」


ミナが周囲を見つめてポツリと所感を述べる。


「広い円形の石造りの屋上には――鉄製の頑丈そうなエレベーターが一つ、石で出来た階段が一つ、大きな穴が一つ、どれも下に降りる用のものかしら? それと堂々とした佇まいのNPCが一体だけ……」


ミナは値踏みをするかのようにゆっくりとNPCに歩み寄って上目遣いでその顔を見つめる。

NPCは城の雰囲気に合わせているのか、召使いのような格好していた。顔には白磁の仮面を貼られていて、その表情は窺い知れない。


「随分と無個性というか、面白みがありませんわね。調べても会話すら始まらずゲームシステムのウィンドウが表示されるだけ――味気ないですわ」


船の上で推測した通り、ミナはこのダンジョンを踏破するにあたって事前情報の一切を調べていないようだった。

いくら何でも無警戒が過ぎるが、もしかするとリュクスから事前に情報を調べることを禁止させられているのだろうか?

それは最早スパルタというか、虐待に等しいような気もするので……流石にミナ本人の怠慢だろう。

ならばこの先で俺たちについてこれなかったとしても、それは自己責任だ。


「これは――自分の家に預けているアイテムの取り出しに……職業とスキルビルドの変更機能? このNPCは家の最低限の便利機能と同じ役割を持っているみたいですけれど……」


今の一言で、俺は咄嗟にミナのゲームの進行度を推測する。

どうやらこの短期間でミナは“既に自分の家を手に入れている”ようだ。


「このNPCを使って、職業とビルドを定めて装備品とアイテムを準備するわけだ。“下のフロアに降りていくために”な」


「降りる……降りる……なるほど。当面の目標はこのお城の中を“降りていくこと”で良いのかしら?」


「その通りだ。最も、このPVPコンテンツに参加しようとしている時点でほとんどのプレイヤーの目的は決まりきっているわけで、わざわざここで事前にビルドの調整をするようなプレイヤーは滅多にいないがな。さて、ミナ。“一つ選べ”」


そう言ってから、俺はただっ広い城の屋上を見渡す。


「選ぶ……って一体何をです?」


「“一番最初のフロアに降りる手段”だよ。【落とし穴】と【階段】と【エレベーター】のうちのどれか一つを君が好きに選べ。レディーファーストってやつさ」


俺の言葉に、なぜかミナが一瞬表情を曇らせる。


「……どうした? 嫌なのか?」


「そ、そんなわけありませんわ! レディーファースト。あたくしのことを特別に尊重してくださる。とっても素敵な言葉ですものね。ええっと――」


俺の提案を受けてから、ミナは顎に手を当てて、真剣そうな表情で三つの降下手段を値踏みする。


「……なら、後々のことを考えてあたくしはこのエレベーターでの降下を提案します。螺旋階段は先が見えませんし、途中で道が崩れてしまうかもしれません。大きな穴は底が見えませんし、何か特殊なイベントが起こらない限り、落下した直後にダメージを受けてしまいます。でも、このエレベーターなら全員が安全に下に降りられるはずですわ!」


「よし、“ミナはエレベーター”か。じゃあ、“あとは頑張れ”」


――はい? とミナが間の抜けた声を上げた。


「俺は落とし穴から下に降りる。リュクスは階段だな」


「フ……了解した」


勝手に話を進めていく俺達に対して、ミナは口元に手を当てながら訝しげな表情をしつつ、三回ほど顔の角度を変えて、しばしの静寂の後に馬鹿みたいな質問を飛ばした。






「あの――“このゲームのジャンルってMMOですわよね?”」


すでに落とし穴の前に移動していた俺は、ミナに対してわざとらしく両手を広げてから返事をする。


「そう訊かれてみれば、なるほど確かに――そうだったかもしれないな!」


「えっと……あの――節々であたくしの理解が未だ追いついていないようで――このお城を“三人で同時に攻略する”のではないのかしら?」


「その通りだ。同時に攻略する。しかし、“常に三人一緒”ってわけじゃない。パーティも組まない。理由は――中に入ってからのお楽しみだ。――よし、準備はできているみたいだな。リュクス。ミナがエレベーターのスイッチを押したら俺達も降りるぞ」


「狂愛の乙女《Mina・Rouge》よ。師として伝えることは一つだ。学んだことを忘れずに“一歩前に出てみたまえ”」


俺とリュクスが催促するかのように話を進めると、ミナが釈然としない表情のまま前に進み、エレベーターに入ってボタンを押す。


エレベーターのドアが閉まって、ミナの体が階下にゆっくりと沈んでいく。

鉄格子に寄りかかりながら不貞腐れるような表情でこちらを見つめつつ下の階にフェードアウトしていく様は、まるで罪を知らされていないままどこかに無理矢理連れていかれる囚人のようで、俺は思わず苦笑してしまった。


エレベーターの降下と同時に、リュクスが階段に向かって駆け出す。

俺は笑うのをやめて、前方の暗い穴に向かって飛び降りた。









 着地と同時に自分の体にダメージが入る。


打ち捨てられた石造の城の中は全体的に薄暗い。

壁には仰々しい装飾がされていて、長い通路の脇には埃や蜘蛛の巣を被った調度品などが置いてあった。

障害物にぶつからないように気をつけつつ、音を殺して即座に入り組んだ城内を走り始める。


 確かにミナの推理はある意味で正しい。

穴から飛び降りれば直後にダメージを受ける。

階段も古城故、道が崩れている箇所があって危険だ。


――それがもしも、下の階に“降りてからダンジョンの攻略を始めるならば”だが。





同じフロアのどこかで、戦闘が始まった音が鳴り響いてきた。


(予想通り、他のプレイヤーに出待ちをされていたか……)


このダンジョンにおいて、“入り口のエレベーターを使っての降下”はとても危ない。


第一に、下に降りるのが難しいダンジョンであるが故に出待ちされている可能性が高いのが“低階層の入り口”だから。

第二に、エレベーターで下のフロアに時間をかけて降りると、音を立ててエレベーターが動く関係で下の階から降下のタイミングを予測されやすい。


俺とリュクスが一緒の場所に降りなかったのも理由がある。

このダンジョンは要所でやたら狭い通路が多いため、“囲まれた状態から逃走という手段を決め打ちする”のなら一人で降りるのが最も効率が良い。

二人で同じ場所に降りてしまうと、敵が集団で降下地点に出待ちされていた時にお互いがお互いの逃げ場を潰しかねない。


しかし、俺とリュクスにとって一番危険な瞬間はミナが囮になってくれたおかげで無事に通り過ぎた。

万が一フロアに他のプレイヤーが居たとしても音が鳴った方向に向かってくれるだろう。

ミナは当然戦闘不能になるだろう。体よく厄介払いをしつつ、俺とリュクスは依然変わりなく下のフロアに降りていくというわけだ。


「言った通り、レディーファーストだろ? I'll get “ready first”.(私が先に準備します)ってな。ウヘヘヘヘへ……」


そんなことを呟きながらほくそ笑んでいると、直後にリュクスと合流することができた。

隣には、さらに下のフロアに降りるための穴が空いている。

リュクスは周囲に対して高い猫耳を傾けていた。


そういえばこいつも種族的には(キャット)だったっけかなどと思いつつ。

気がつけば、フロアに響いていた音は止まっていた。

どうやら、ミナは瞬く間に戦闘不能になってしまったようだった。


「よし、無事に合流できたな。……しかし、こんなエゲツない囮作戦をやろうとするのは俺だけだと思っていたが、躊躇なく俺のやり方に賛同してあの女を一人にする辺り、お前も意外と腹黒いんだな」


「どういう意味かね? ……貴公のその言葉の意味が理解できんのだが」


俺にとって、『理解できない』というリュクスのその言葉の意味が理解できなかった。

考えてみるとリュクスは俺のように外道な性格をしているわけではないし、こういう形でプレイヤーを意図的に排除したりするような性格でもない。

思わず首を傾げて、数秒思案してから――一つの馬鹿馬鹿しい推測を思いついた。


「冗談だと思って聞き流してくれて構わないんだが。まさか――お前ひょっとして……“師匠として本気で為になると思って、情報を何も調べさせずに一人で突っ込ませた”んじゃあないだろうな?」


「それ以外に理由などあるのかね? 貴公の言う通り、吾輩は狂愛の乙女《Mina・Rouge》のためになると思って試練を課して彼女の選択肢をそのまま尊重し、昇降機に乗せたのだ。適切な環境に身を置けば、適切に対応できるようになる。当たり前のことであろう?」


「お、お前――不親切すぎるというか……やっていること無茶苦茶だぞ! 本気で物を教えようとする人間のスタンスじゃない! 上級者でもないのに、こんな場所に何の情報も無しにいきなり降ろされたら確実に戦闘不能になるだろ――いくらなんでもスパルタすぎる。俺だったら心が折れるぞ!」


まるでそれが当たり前と言わんばかりにリュクスは肩をすくめた。


「吾輩にとって、“遊戯ゲームを学ぶとはこういうこと”で、“物を教えるというのはこういうこと”なのだが……問題があるとは思えん。その様子だと、貴公は彼女を騙そうとしていたようだが」


リュクスの指摘を受けて、言葉を詰まらせる。


「――それならば、貴公が吾輩に対して憤慨している理由が今ひとつ理解できん。不憫だとでも思ったのかね?」


「い、いや――そういうわけではない……と思う――多分」


リュクスの言葉を咄嗟に否定しながら自分なりに理由を考える。


こんなんでも、自分はつい最近まで“初心者に物を教えていた身”だ。

だからきっとおそらく、乱暴な――というか最早暴力に近しい大雑把な物の教え方に対して咄嗟に憤慨しまったのだろう。




俺が“自らの憤慨した理由”に対して考え事をしている間も、リュクスは帽子から出た猫耳を傾けたままだった。


「いずれにせよ。心配は要るまいよ。貴公のその奇妙な怒りは、すぐに鎮まるだろう」


「――どういう意味だ?」


リュクスは何も言わず、俺に背中を向けてから長い通路の先を見据える。

それに追従するように、俺は身を乗り出してリュクスの体で死角になっている通路の先を見つめた。











「他のプレイヤーに襲われる可能性があるかもしれないって、ここに来る前に警戒自体はしていましたのよ?」


言葉と一緒に、ずりずりと何かを引き摺るような音が聞こえてくる。


「師匠が“あの”クリア様を頼ったということは、ここってクリア様がお得意な“ゲリラ的な対人要素”がとても重要な場所なのかもしれないって」


血まみれになった少女が、何かを引き摺って廊下を歩いてくる。

近くに置かれている燭台の蝋燭の火が、彼女の姿を露わにした。


「だから、エレベーターが降りている途中。“プレイヤーに真っ先に即座に襲撃される”可能性を思いつきましたの。あたくしならどのタイミングで襲撃を仕掛けるだろうなって考えた矢先に――今いる場所エレベーターってとても危険なんじゃないかって気づけました」


引き摺られた“何か”が床を擦る音と同時に呻き声をあげている。

それはどうやら、“まだ生きている”らしい。


「エレベーターが下に着く前に次に考えたのは“三人に分かれた意味”です。集団で降下しないという選択肢を上級者のお二人が取ったということは即ち、“フロア降下直後は真っ当に戦わない手段が優れている環境”ということなのかもしれないと推理しました。だから、エレベーターが下に着いた途端に、一か八か、全力で逃走を選んでみましたの」


ミナが血塗れの足で連れてきた男性キャラクターを蹴っ飛ばす。

男は情けない声をあげて地面を転がった。


「無事に逃おおせて、それでも執拗に追いかけてくる方が一人だけ居たので、こうやって“嫌な思い”をしていただいた――という次第です。」


「I've lost! Don't attack me any more than you have to!」


どうやらそのキャラクターはミナに脅迫されて連れてこられた外国人プレイヤーのようだ。

I'll get “ready first”.――などと先程言ったが、実のところ自分は英語など欠片も理解できない。



「なあ――その。ソイツは何て言っているんだ?」


「…………さぁ? あたくしは無学ですから、英語などさっぱりわかりません!」


そう言ってから、ミナが鋏の片割れを取り出して男の右足のスネに突き立てた。

痛みはないだろうが“ビジュアル的に痛い”のだろう。

男は大きな声で叫んでから再び英語で捲し立てている。


「Oh. Can you forgive me? you two have a very similar vibe. You're both psychopaths. You're a perfect couple!!」


男が何か気に触ることでも言ったのだろうか?

ミナが舌打ちして、今度は左足のスネにもう片方の鋏を突き立てた。

目の前の狂った女の理由のない暴力にドン引きつつ、俺は脳裏に浮かんだ疑念を問いかける。


「お前――“本当は英語がわかる”んじゃないのか? こいつは何を言ってるんだ?」


「何のことやらさっぱりです。で――どうかしら師匠。“及第点”は出せています? これなら、この先。お二方の足は引っ張りませんわよね?」



「この程度で折れる心の持ち主ではないと思っていたよ。……吾輩から学んだことをよく実践し、貴公は見事にこの環境に適応してみせた。最も、吾輩は相手にとどめを刺さずに嬲るなど――品性の無い素行を教えた記憶はないがね」


そう言ってリュクスは満足げな表情を見せた。

それから俺の内心を察したのか、小声で囁いてきた。


「(案ずるな。貴公がきちんと“首輪を付けて飼っている限りは安全だろう”)」


どうやら、俺が管理していればこの女は脅威になり得ないと言いたいらしい。


「(俺もそう信じたいがな。コイツが怪しくないプレイヤーである保証なんてどこにもないんだぞ?)」


「(吾輩にはわかる。かの乙女の様子を隣で見てみた限りでは。真に迫るような狂気は持ち得ていない)」


――前々から気になっているのだが、コイツのミナに対する“安全の保証”――つまり、”かつての事件を起こしたような、本当の意味で危険なプレイヤー“ではないという確信は、一体どこから来るのか?

まるで、本物の狂気に触れたことがあるかのような物言いだ。


リュクスに褒められて、ミナは嬉しそうに俺に対して笑みを浮かべる。

その笑みは、“したり顔”のようでもあった。


どうやら、このミナという女は“俺に嵌められたということも自覚している”ようで、この笑みには“見事に乗り切って見せました”という意味も含まれているようだった。







――なるほど。こいつは中々、大した女だ。


「わかったよ。お前のことを少しだけ認めてやるが、しかしなぜこの男をわざわざここまで連れてきたんだ?」


「あら、その……獲物をもってくるのってルール違反だったのかしら? あたくし首輪がついてますし、ご主人様にネズミを持ってくる、気まぐれな猫の気分だったのに」


まさしく猫撫で声で、首輪に手を掛けながら、ミナが甘えるようにそう言ってくる。

それは、俺の中の猫のイメージとは全く違う。














『うぃ〜っ。クリアさんに囮にされて、命からがら逃げてこれましたにゃ……』


……“どこかの誰か”のせいで。俺の中では、猫というものは“滑稽で悪戯をされる道化みたいな”イメージがあった。




ミナは両目を爛々と輝かせたまま、男の襟元を掴んで、まるで献上品のように俺の前に乱暴に放り投げてきた。


「さて――これからは“暴力の時間”でしょう?」


ミナが近場のアンティークなテーブルに置かれていた燭台を握る。


「悪名高いクリア様のことですもの! これからあたくし達に敵対したこのプレイヤーを、嬲り殺しにするんですわよね!」


火が揺れ動き、下から光が差し込むミナの表情はまるで廃墟の亡霊のよう。

影が揺れ動く“暗い表情”の中、眼球を爛々と輝かせて狂気の笑みを浮かべていた。







「……何か、勘違いしているようだな」


「――――はい?」


「俺から一つ教えておくが。ここで他のプレイヤーを襲ったり、倒すことは“悪いこと”じゃない。上級者が初心者狩りをするのとは全く違う。“お互いがお互いを倒すためにここにいる”からだ。だからここでは騙し合いなんて当たり前だし。倒すか倒されるかの関係でしかない」


俺はひっくり返っていた男に手を差し伸べてから立たせる。


「このプレイヤーはこの城のルールに従っているだけで、悪意があるわけじゃない。敗者に対して残酷なことをする必要はないってことさ」


男の体についた埃を手で払い落としながら話す俺の台詞に、ミナが首を傾げた。

どこで聞いたのかは知らないが、どうやら“ミナの中の俺のイメージは相当悪どいもの”らしい。


「だからだな。こういうプレイヤーは――」


男の姿勢を正してから俺は笑みを浮かべる。

相手の笑顔を確認した直後。


「――こんなふうに使えば良い!」


近くに空いていた大きな穴に向かって突き飛ばした。






「NOOOOOOOOOOOooooooooo…………」


俺は聞き耳を立てて、静寂が続いていることを確認してから両手を叩いて頷いた。


「よし! これでこの穴の下は確実に安全なことがわかった。周囲に敵がいるのなら、プレイヤーが降りて行って何の攻撃もされないなんてことはないからな。つまり“下のフロアのこの穴の周辺にはプレイヤーがうろついていないってことになる”。落ちていった彼も内心嬉しいだろう。不当な暴力を必要以上に受けることなく瀕死のまま放置されてお役御免だからな。ワハハハハ!」


俺の対応が想像していたものとは違っていたからか、ミナの表情は引き攣っていた。


「どうしたミナ? もしかして………………“引いていたり”するのか?」


「い、いえ。そんなことはありませんわ! “ゲームに精通したプレイヤー”特有の、素敵なアイデアだと思います!!」


「……吾輩なら、ここまで品性の無い手段は取らんがね」


リュクスに逃げ道を潰されたのか。ミナの表情がさらに引き攣った。


「フム……お互いがお互いにとって珍妙な行動を取り、それによってお互いがお互いの感情を冷たく覚ます。“奇行”ら……意外とお似合いなのではないかね?」


「冗談は止せよ」


そこまで言って俺が振り返る。

“冗談”は、と言う部分が被ったように聞こえたからだ。


「――まぁ。何はともあれです。御同行の許可はいただけたようですし、このまま下に降りていきましょう。冒険はまだ、始まったばかりですものね?」


俺がその表情を伺う余裕もなく。

ミナはそう言いながら、足早に俺の横を通り過ぎて、一足先に穴の下に降りていった。


(俺は、同行の許可など出した覚えは無いんだがな……)




『Mina・Rouge』。イカレているように見えるが、どこか読めない怪しい女。

この女は、今後――役に立つかもしれないし“厄に立つかもしれない”。


良い方か悪い方か、“この女がどちらに転ぶか”は、これからの俺の行動次第となりそうだ。

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