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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第四章 登る者、降りる者
139/151

B面 第二話 傍若無人


「ねぇん~くりあ様ぁ~ん」


(…………)


背後から聞こえてくる猫撫で声を無視して、俺はハイダニアの城下町を歩いている。

石畳を叩くような音も定期的に聞こえてくる。

俺を執拗に追いかけて声を掛けてきている人物は、どうやら背後で軽く飛び跳ねているようだった。


「クリア様~クリア様~。クリア~~様様の様~」


背後の声が音頭を取るようになっているが、俺は気にせず歩き続ける。





「――さまさまさまさま~♪」


こっちが無視しているのを良いことに、背後の“呼び方”がどんどんいい加減になってきている……。


しかし、俺は無視を決め込むことにした。

そのままメニューウィンドウを開いてブロックリストに『Mina・Rouge』の名前を躊躇なくぶち込む。


「あら、つれないですわね〜。もしかして“そういうのがお好き”なのかしら? 所謂放置――」


背後の音がぴたりと止まり、聞こえてくるのはただの雑踏だけになった。


依頼書を読みながらさっさと城下町を歩き続けた挙句に、俺は飛空艇乗り場の最寄りのAH(オークションハウス)に立ち寄った。

必要な物品を購入しながら、背後でぴょんぴょん跳ね回っているであろう人物に対して思考をまとめる。







 ミナ・ルージュ。

初めて会った当時の彼女は、女性プレイヤーであることを理由に“周囲に持ち上げられすぎて実力が伴っていなかった”。

これは間違いなく事実だろう。

姫プレイ――要女性キャラクター(女性プレイヤー)が周りのプレイヤーにちやほやされたり、プレゼントをもらったり、強い人に守ってもらったり等、他者に攻略を任せたゲームプレイをしていながら、そのデメリットを理解していなかった節がある。

そんな彼女の無知が原因のピンチを『俺が意図的に見捨てた』のが、ことの始まりだったはずだ。


――で、俺はそんな彼女を“結局俺が全部悪い”という体を守りつつ忠告をしたのだ。


『そんなことをやっていると、ロクなことにはならない』と。








 実際、ゲームの中で多数の男性プレイヤーを悪戯半分にたぶらかすのは、“ゲームの中でPKに遭うよりも遥かに危ない行為”だ。


俺の指摘が図星だったのか何なのか知らないが、彼女は俺に対して当初怒った。

――以降、単独で活動するようになり、俺にのされたことを理由に定期的に“復讐”をしてくるようになった。


そういえば、俺の『弟子』は『この怒りは“執着”に近しいものではないか?』と推測していた気がする。

気がつけばその執着が増大して、(何がどうなってそうなったのか理解できないが)彼女は相思相愛の誇大妄想に取り憑かれているような状態となっているらしい。

リュクス曰く『自身おれの好意(そんな物は存在しない)を勝手に察した上で、俺からの告白アクションを待っている』という“とてもめんどくさい状態”なのだという。


あえて間違った言い方で……“憎さ余って可愛さ100倍”といったところなのだろうか?


――いや、それは都合が良すぎる話だ。

他人に迷惑をかけて好かれるというのなら、俺は今頃この世界の中でとっくにヒーローになっている。


最近は俺に対する素振りがどこか余所余所しいものになっていて演技のような素振りが入るようになってきているように感じる。

おかげで俺が行った“彼女の中身プレイヤーの年齢や性別に関する推察”に対しても、段々と自信がなくなりつつあった。


今や、背後にいるこの女の発言が、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか。最早全く信用できない。


俺に対して好意を持っているということも嘘のように感じるし、一番最初に俺に対して怒りを持ったということすら――ひょっとすると嘘なのかも。

この“好意を抱えた思わせぶりな態度”の裏には何か別の思惑があって、全く別の目的で俺をターゲッティングしている可能性すらある。


(この女には“何か秘密”がある。それが“何か”はわからないが間違いなく言えることは――)


俺の思考はそこで止まった。

周囲のプレイヤー達がざわついていることに気づいたからだった。


AH(オークションハウス)のアイテム購入ウィンドウを開いたまま、俺は顔を動かさずに目だけを左右に走らせる。

左側で、横目で俺を見ているプレイヤーと目があった。

右側には、俺の背後を唖然とした表情で見つめるプレイヤーが居た。


(――この女はゲームの知識を得て、現在進行形で“成長”している!)


“やられた”と思った。


相手をブロックリストに入れれば『対象の言葉は何も聞こえなくなる』が、同時に『悪口を言われても気づけなくなる』。


これはブロック機能の致命的な問題点だ。

悪口を言われている場合、ブロックを行なった本人が『一旦ブロックリストを解除した上で、対処・通報を行わない限り』、不利益を被り続けるのだ。

俺はブロックリストを解除しつつ、咄嗟に振り返った。









そこには、異常な光景が広がっていた。


それは歌劇……オペラの一種だろうか? 

女――ミナは信じられないくらいの高音で歌っていた。

金切声の一歩手前のような音程の高さだが、優美さと威圧感の両方を感じさせる歌声だ。


そして、普段持ち歩いていた鋏が“身長と同じくらいの大きさにまで巨大化”している。

彼女が抱えるその巨大な鋏が、空を裁断し金属音が鳴り響き、まるで楽器のように音を鳴らしていた。

派手なパフォーマンスと勘違いしたのか、気がつくと自分達を囲むかのようにワラワラと群衆が集まってきていた。


「何やってんだ。お前――――」


俺の声がたちまち掻き消される。

どこからともなく、なんの前触れもなく。

群衆の中から、プレイヤーの集団がゾロゾロとミナの周りに集まってきて、唐突に楽器を取り出して演奏を始めたからだった。


「お、おいッ! この楽曲団はどこから連れてきたんだ!」


演奏の最中、ミナに近寄って大きな声で質問を飛ばす。


「――“わかりません”わ? この方達は普段から突発的に演奏をされる方々のようです。雰囲気を察して、フィーリングで協力して貰えたのかもしれません」


涼しい顔でそう言い張った後。

注目を浴びているミナは、群衆の注目に笑顔で答えて再び歌い出す。


その言葉を聞いて、『ハイダニアにはゲリラ的に演奏をするプレイヤーコミュ二ティがある』ということを思い出す。

以前アイドルダンサー達の公演なども行われていたし、華やかで栄えている国であるが故に、雰囲気に倣ってそのようなことをやるプレイヤーが集まっても何もおかしくはない。

こんな突発的なセッションが始まったのは、おそらくミナの歌と“演奏”が見せ物として立派なものだからなのだろう。


しかし――群衆に笑顔で応えた彼女が、歌を再開したときの“体勢”に、かなりの問題があった。






ミナは、広場に設置されている街灯に対して自らの首に巻かれたチョーカーを引っ掛けて、前傾姿勢の状態で自らの首を強烈に締め上げていた。

そして、街灯を軸にポールダンスのようにぐるぐる回って――ぴたりと止まって高らかに歌い出す。その繰り返し。


演奏そのものが注目されており、その場に居るほとんどのプレイヤーは気づいていないようだが、変質的かつ狂気的なパフォーマンスの異様さに、観衆の一部が不審な表情でざわざわと騒ぎ始めていた。


(何かよくわからんがこの女は絶対にヤバい。俺は今何らかの攻撃を受けていて、既に自分の身に危機が迫っているような気がする――ま、まさか。あ、“あの女の首元に巻いてある”のは――)


群衆が指を指している首元のチョーカーに刻まれている文字を見つめて滝のような冷や汗が噴き出る。




つまり、彼女は――







『Clear・All』


――という銘が施された首のチョーカーを、堂々と街灯の柱部分に巻き付けて、“当人の前で喉を絞めるようにして歌っている”のだ。



(――うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!)


周囲の人間にクズだと思われるのは構わない。いくらでも耐えられる。

俺自身がこの世界の中でそういうプレイスタイルでゲームを楽しむことを肯定しているからだ。


しかし、“笑えないレベルの変態である”という風説が流れるのは絶対に避けなければいけない。


群衆の中ではすでに、ミナのチョーカーを見ながらひそひそと話し合うプレイヤーが出始めてきていた。

俺の顔を知っている人間が出てくるのも時間の問題だろう。

加えて、俺が立っている場所はミナのすぐ隣だ。間違いなく目立っている。


こんな状態で、そそくさと一人だけ群衆の外に出て行くわけにもいかない。さらに注目を浴びてしまう。

後ろ指など刺されて、顔と名前が一致してしまえばもうアウトだ。


俺は焦って、街灯を軸に回っているミナを自分の立っている場所で引き止めた。

止められたミナは、きらきらとした笑顔でこちらを見つめてくる。


その表情はまるで(奇妙な例えかもしれないが)“回転テーブルの上に並べられた料理”みたいだった。

“自分が美味しいと自覚していて、食べてもらいたい客の元に無事にたどり着いた料理”。


しかし、“客である俺”は、ただただ必死。

目の料理おんなの中には猛毒が入っているに違いない。

……できれば食べないでやり過ごしたいが、今の状況がそれを許さない。


「(お前! ――何をやっていやがるんだ!)」


俺の問いかけに対して、ミナの反応はきらきらとした笑顔を崩さず涼しい表情で――


「(大丈夫。お気になさらないでくださいな。こうすれば喉がしまって、普段より高い音だっていつもより簡単に出せてしまいますのよ!)」


――こう言った直後に、悪戯っぽく笑ってから再び高らかに歌い始めた。

ここで、この狂った演劇をこのまま俺が中途半端に止めるわけにはいかないだろう。

止めたら止めたで悪い形で注目を浴びてしまう。

俺は歌が止まって、楽器の演奏が演劇の主役となるタイミングを見計らって、再び回っていたミナを引き留める。


その様は、まるで俺自身が劇の登場人物に組み込まれてしまったかのようだ。


――実際、観客からすれば、俺は“劇の主役にタイミングよく茶々を入れる役”のように見えたかもしれない。


「(とにかく街灯から降りろ! 一体全体“どういう考えの元”にこんなイカれた行動に走った!?)」


「(これは、あたくしなりの“愛という概念”に対する芸術的な表現です。“クリア様のことがどうだとかは一切関係ありません”)」


この女は『あなたに気があるわけではありません』と言いつつも“匂わせてきていている”のだろうか?

俺に対して“ここまで言えばわかるでしょう? さあ――あなたから熱い想いを伝えてくださいな”と誘ってきているのか?


「(これはあくまで芸術的な表現にすぎませんけど。あたくしが思うに、“愛し合う”ってこうやって他者を“拘束”することだと思いますの。――私のお父様とお母様はこんな感じで愛し合っていましたし――)」


ミナは実に楽しそうにそう言って、再び歌い始める。

目の前の女は“自分が拘束されている側”で話を進めているが、実際のところこの状況で“拘束”されているのは今ここにいる俺自身の方だ。


……ここは地獄の空間だ。

獣の檻の中で、女の魔性が炸裂している。


俺は物理的な攻撃など一切受けていないのに、かつてないほどに追い詰められていて、逃げ場などどこにもないように感じられる。


おそらく、俺がこの女に対して何かの“好意的なアクション”を起こさない限り、歌は止まらない。

――この女は、止めないつもりでいるのだ。


(……たわけた女が居たものだ)


直後――









――周囲一帯に白い光と大きな音が炸裂する。

演奏が一瞬で止まって、この場が全て台無しになるくらいの派手な音と光だ。


この光と音を起こしたのは、他ならぬ俺自身。

炸裂させたのは、流浪者が使えるアイテムの“爆竹”だった。


リュクスの依頼を確認した直後にビルドを弄っていて良かった。

今の俺ならば、大量の爆竹でこの場を台無しにすることなどわけはない。


そして、これで俺は変質者の憂き目を避けて、“演奏会を徹底的に邪魔した屑”になることができる。

俺的に言ってしまえば“面目躍如”だ。

この瞬間、この広場の主役は『街灯にぶら下がって歌い狂う少女』から『演奏を邪魔したひたすら迷惑な男』に変わっていたというわけだ。


光と音が止んで、群衆の中の一人が、広場から離れようとする俺に対して文句を言ってくる。

演奏を止めたことではなく。ひたすらに不快な音と光を発したことに対してだ。

群衆の中には、掴みかかってこようとする者もいた。


それらを真正面から応対しながら、挑発するかのように戯けた態度と発言で群衆をうまく引き寄せてからゆっくりと移動を始める。

群衆をある程度、引っ張ってうまく散り散りバラバラにして――それから俺は捨て台詞と一緒に走り出した。


かくして、俺は“変態だと後ろ指をさされるような危機的な事態”を一時的に回避できた。


そう、“一時的”に――















「――よくもまあ、あそこまで追い詰められている状況下から、粛々とことを進めてうまく逃げ仰せられるものですわね」


――俺の背後から追跡者の声が聞こえてくる。

おそらく、何らかの戦闘スキルを使って”自分の真後ろに瞬間的に移動した”のだろう。


「……まだついてくるのか?」


「先ほどから仰っている通り、“偶然進行方向が同じ”なだけです。加えて、今のあたくしにはクリア様に同行する理由がきちんとあります」


とはいえ、状況は悪くない。

これは一種のチキンレースであり、賭けだった。


狂気的な演劇は文字通り“白け切った”が、この女はその気になれば再度演奏をすることができるし、俺本人がその場にいなくても『Clear・All』という変態の名前を多少は広めることができたはずだった。

俺としても、あの場に居座られて演奏を続けられてしまった場合の方がダメージが大きい。


――しかし、俺は“追跡を続けてくる方”に賭けた。


ミナからすればどれだけ精神攻撃を続けていようと(動機は未だに不明だが)執着の対象である俺を見失ってしまっては元も子もないのだろう。

『リュクスからの依頼』という合法的に俺に対して付き纏える大義名分を、期間限定で彼女が得ているのなら尚更だ。


同時に“してやられた”と思った。

あんな派手な奇行を見せつけられてしまっては、もはや完全に距離を空けることができなくなってしまった。

おそらく、これ以上はどう足掻いてもこの女を放置することはできない。

リュクスが前に言っていたが、自分の銘入りのチョーカーがこの女の手に渡ってしまっていた時点で避けられぬ運命だったのかもしれない。


なによりも、他に受け持ってくれる人間がおらずその場しのぎだったとはいえ、リュクスに対して彼女を押し付けたのも選択ミス――致命的な人選ミスだったのではないか――と俺は後悔しはじめていた。


(……ありとあらゆる選択肢を間違えてしまった気がする)


「持っていたのが鋏だったのがよくありませんでしたわね。バイオリンかピアノがあれば、もっと素晴らしいが演奏できたのですけれど――」


(本当に“これ”を連れていくのか……? “幸先が不安か定かじゃない”どころか、“この先が不幸で安定してしまいそう”な……)


しかし、本気で脅威であると感じているわけではない。

俺の現実を知っている人間はこの世界の中でほとんどいないから、俺の個人情報が漏れて現実でストーキングされるような展開にはならないだろう。

だから、目の前の女の評価は依然変わらず“ゲームの範疇での脅威”だ。


そして同時に、今ここでこれ以上対応を間違えるわけにはいかない。

目的地に向かう途中で騒ぎを起こしてしまえば、リュクスから頼まれた“依頼”にも影響が出るかもしれない。


(ある程度覚悟はしていたが――この女はそれなりにイカれていて、それなりに厄介だ。さて、後はこの背後の厄災を俺個人がどう対処するかだ――)


この少女の持つ狂気に最初に触れたあの日の帰り道での、フレンドとの会話が思い起こされた。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 





『クリアさん。ああ言うタイプの人は感情的に否定をしたりしないほうが良いですにゃ。大暴れするかもしれないですにゃ』


『じゃあ、一体どうするのが正解なんです? まさか受け入れろって?』


『うぐ……現実だと“あなたに関わるつもりはない”って感情を出さずに言って、それから徹底的に関わらないのが一番らしいんですけどにゃ……。警察の後ろ盾もあるから漫然とノーと言えるんですけど。ゲームだとああいうめんどくさいタイプにはあやふやにして煙に巻きながら距離を置くしかないですにゃ……』


その時は、流石ストーカー被害者なだけあって参考になる意見だなと思った記憶がある。

尤も――彼のストーカーの発生原因を作ったのは(わざとではないとはいえ)自分なわけだが。


『だ、だめですよそんなの! ヤンデレに対して優柔不断な態度を取ってしまうと、大体バッドエンド行きなんです!』


回想の中で、今となってはもう懐かしく感じられる“弟子”の声が聞こえてきた。


『……お前のその“経験則”がアニメからなのかゲームからなのか、どの“媒体”からなのか気になるが――そのアドバイスは却下だ』



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



(さて、以上の情報や俺の経験則から、今の俺が背後の女に対して取れる選択肢は――)


①徹底的に無視して、ストーカーとしてGMに通報する


これは良い選択肢とは言えない。

この女は“偶然を装って付き纏ってきている”という点がかなり悪質でこのゲームの規約上の『運営の扱うストーキングの定義』に該当しないという判断が下される可能性がある。


自分の経験則からして、このゲームでのストーキング行為というのはそれこそ四六時中、ログインしている間のほぼ90%付き纏いをするような人として“壊れたプレイヤー”のことを言う。

しかし、背後の女がそこまでの異常者に該当しているかと言うと実際怪しい。

出会う度に起きている出来事のインパクトは凄まじいが、この程度の付き纏いではストーキングには該当しないだろう。


(……役に立たない規約もあったものだ)


ちょっとやそっとのことではストーカーとして認定されないし、ガチなプレイヤーはアカウントを止められてもゲームを購入し直して、同じことをそれこそ無限躊躇なく繰り返す。


これではGMへ通報する意味がない。ただの徒労だ。






②“つきまとい行為”として通報する


ストーキング行為ではなく、その場限りのつきまとい行為という形で通報するというパターンだが、これも却下だ。

つきまといとしての通報はストーカーと比べると処罰が甘くなるため、アカウントを停止されることもないだろう。

通報などして中途半端に刺激しては、事態を長期化、悪化させる原因になりかねない。

加えてこの女は存外知恵が回っている上に、公衆の面前で何をしでかすかわからない。

このまま半端に距離を空けてしまうと、俺のいない場所でさっきみたいな奇行をやり続ける可能性だってある。


③俺がゲームを辞める


――――これは論外だ。







④「――お日様の下に出るべきだって、師匠が仰っていた理由がわかりますわね」








自分の思考に割り込むように、背後から声が飛んできた。


「クリア様のキャラクターってお肌が真っ白ですもの。もっと焼けた方が良いかと思います。関係のない話ですけれど、(あたくし)一時的に日焼けした男性って個人的にかなり好みでして――」


俺がこんな感想を抱くのも何だが――


「現実だと日焼けの後って、最後は皮が剥けますわよね? それを口に含むと“愛する人の遺伝子情報を体の中に取り込んでいるみたいで素敵な気分”って、(あたくし)のお母様が前に言ってましたし、(あたくし)もまだ実行したことはありませんけど、そう思います。子は親に似るってことかしら?」


――“この女、なかなかにイカれてやがる”。


「なるほどそれは………………すごい“遺伝子”だな」


“頭のネジが外れている”。

この女の親族や身内も本当にこんな感じなのだろうか?

さっき歌っていた時も、この女は“自分の両親”について言及をしていた気がする。


(あたくし)が思うに、“愛し合う”ってこうやって他者を“拘束”することだと思いますの。――私のお父様とお母様はこんな感じで愛し合っていましたし――』


――そう言いながら鋏を片手に歌うミナの姿を回想して、“とある可能性”に気づいて俺の足が自然と止まった。


「お前、もしかしてゲームを遊んでいる身内が他にいたりするのか? 例えば――」


そこまで言って、一度背後を振り返る。








「………………“大声で派手に歌うようなやつ”とか、“クラシックを鼻歌で歌うのが好きなやつ”とか」


ミナは、口の両端を歪めてあやふやな笑みを浮かべたまま首を傾げていた。

思考をしているのか、ドミノマスクの中のピンク色の目がゆっくりと動き回っている。

俺が突然振り返ったのが想定外だったのか、質問の意図が理解できていないのか――







――あるいは、身に覚えのある質問をされたからか。


もしもそのような身内が“居る”とこの女が答えたり、怪しい素振りを見せるようならば、先程、俺が浮かべた“ぬるい三つの選択肢”など全て消え失せるし、リュクスの依頼どころの騒ぎではなくなってしまう。









即ち、“どんな手段を使ってでもこいつをこの世界から完全に排除しなければいけない”。


「そういった類の身内はいませんわ」


「本当にいないんだな?」


ミナは『何故そのような質問をするのか』と言わんばかりの、不服そうな表情をした。


「本当に、いませんけど……?」


「……念のために聞かせてくれ。歌とか演奏は誰に教わったんだ?」


「ピアノやバイオリンの演奏に関してはお母様に教わりましたの。鋏での演奏に関しては、自己練習です。お歌が上手なのは、お父様譲りだってお母様が……」


そこまで喋ってから、ミナは突然黙り込む。

何かを思いついたかのように、自分の顔を下から覗き込むような前傾姿勢を取ってから再び笑みを浮かべた。


「この先、あたくしの家族についてお知りになりたいのでございましたら。そうですわね……交換条件として、クリア様のご家族について――」


「…………いや、もう良い。話すつもりはないからな」


「……そう――“気が合いますわね”」


「それは、どういう意味だ?」


ミナは真顔で俺をじっと見つめて、少し間を取ってから口を開いた。


「そう――要は“音楽そのものに一番興味がある”ということでしょう? ――クリア様も、演奏に興味がおありなら、一曲歌ってくださいな。作詞を送っていただいても構いませんのよ? 昔の人々は歌で想いを伝えたと聴きますし……」


そういってミナが自分の周りを怪しげにフラつきはじめる。

再び通行人の視線を受けていると感じた俺はミナを宥めるために適当に返事をした。


「わかったわかったわかったよ。後で“俺の渾身の歌詞を送ってやる”から、普通に歩いてくれ」


俺の返事を受けて、ミナの表情がパッと明るくなる。

自分の趣味の話ができるのが嬉しいのか、横並びに歩きながらミナは俺に対して音楽の話を続けた。


先程の俺の質問の反応から察するに、彼女が嘘をついているような感じはしなかった。

そもそも、この女と俺が出会ったのは“あの一連の事件”が本格的に始まる前のことだ。

つまり――


『この女はあくまで“ゲーム上での脅威”である』


その事実が再確認できて、肩の荷が降りたような気がした。

俺が安心している間もミナは長々と話を続けていたようで――


「――だから、あたくし作曲家としては【ドビュッシー】が特に好きで、演奏では【亜麻色の髪の乙女】辺りが特に得意なんですの」


――そう言ってから、彼女が自らの手で髪を掻き上げる。

亜麻色の髪が、風に乗って音を立てて日の光を受けて僅かに煌めいた。








『うわぁ……クリアさん。“ファサァ”って擬音、オレ間近で始めて聞きましたよォ!』







安心して気が抜けたからだろうか……………………どこからか、そんな誰かの幻聴が聞こえた気がした。


「クリア様がお望みならば、一曲歌うことだってできますわよ? 今度は“人気のない場所”で」


そう言ってから、ミナはくすくすと悪戯っぽく笑った。


「……遠慮しておく。この世界の中で俺に向けられる歌っていうのは――いつもあまり良いイメージがなくて、色んな意味で心臓に悪くてな」


“大声で派手に歌うようなやつ”も“クラシックを鼻歌で歌うのが好きなやつ”も嫌な思い出ではあるのだが――













『今日はクリアさんのために、お歌を頑張って歌いますー』


――脳裏に緑髪のお団子頭が映って、とあるフレンドの声が響いてくる。

一番恐ろしい“歌”を思い出して、俺の全身に鳥肌が立った気がした。

そして、『後でこの人の歌をこの女に聞かせれば全解決するのでは?』という邪悪な発想が一瞬脳裏にチラつく。


(そういえば……まさに“その人に淹れてもらった”紅茶の残りがあったな)


「――とにかくだ。金輪際歌うのはやめてもらいたい。“心臓に悪い”からな」


気がつけばすっかり疲労しきっていて、とにかく落ち着きたかった。

インベントリーから、いつも使っている紅茶のティーポットとボロボロに欠けたカップを取り出す。

高い場所から紅茶を注ぎ始めると、湯気と共に紅茶の飛沫が周囲に跳ねる。


「まあ――その……クリア様って、なんというか――個性的な方ですわよね」


ミナは俺の仕草を左右から覗き込むように見つめてくる。

まるでこちらの出方を探っているかのようだった。


俺は黙って、大きなオレンジを取り出して片手で絞る。

カップの中にオレンジの果汁が溢れ落ち他のを確認してから一気に飲み始める。


確かに、傍から見たら俺のこの紅茶の飲み方は普通じゃない。

やっていることだけで言ったら変質者扱いされるのも仕方ないと思うが、それでも――



「――わかりました。とにかく歌うのは辞めておきましょう。他にクリア様があたくしに対して何かご要望があるとするのなら――」


それまで俺の仕草をじっと見つめながらしばらくの間考え込んでいたミナが、名案を思いついたかのように顔を上げて突然口を開いた。









「――(あたくし)の“亜麻色の髪にドビュッシーしたい”とか?」


俺は紅茶を地面に吹き出した。

しかも盛大な吹き出し方ではない。口に入れた液体の一部が鼻を通る“嫌な吹き出し方”だ。


「自分自身の趣味を、自分自身の発言で汚すな! 何をどうやったらそういう下劣な考えになるんだ!」


ミナは俺の言葉など聞こえていないようで、道路に溢れた紅茶を残念そうな表情で見つめてみた。


「――困りましたわね。いくら“特殊な趣味”を持っていたとしても、紅茶を吹き出すような奇行は流石に真似できません……」


「誰のせいでそうなったと思っているんだ! それに、人のカップに自分の唾液を混ぜた異常者が言うような言葉じゃないだろ!」


「あの液体は【クリーピージラフの唾液】です。(あたくし)の唾液の方がクリア様の普段の素行から察するに“お気に召す”のかもしれませんけど。今の(あたくし)には流石にそこまでやる覚悟も度胸もありませんし。他人との適切な距離感くらい、(あたくし)掴めてます!」


「俺が言うのも何だけどな。マジでイカレてるだろ! ――動物の唾液をこっそり飲ませる間柄って、一体どういう距離感だよ!」


意図を汲むに、この女は“本人が不快感を感じることがなければハラスメントにはならない”と言いたいらしい。

実際、ゲームの仕様上否定できない。

ハラスメントに該当しないのは、不快を通り越しているせいかもしれないが。


それにしてもこの女、俺のことをなんだと思っているのだろうか。

俺のことを同類――奇人変人の類だと勘違いしているのかもしれない。


「――どういう距離感だと思います?」


俺の言葉を質問という形で、ミナが意味ありげな笑みと一緒に飛ばしてくる。


「クリア様は今のあたくしのこと、“どういう間柄だと思っていますの?”」


(否定するのもエネルギーを使うな……。もう、適当にあしらっておくか)


「――さあ、どうだろうな? お前のことは――好きかもしれないし、嫌いかもしれない。しかし、そんなことはこれから俺が話したい内容とは関係ないし、どちらでも良いことじゃないのか? ただ……惜しいとは思う」


「――惜しい?」


そう呟きながらミナは怪訝そうな表情をした。


「自分で言うのも何ですけど。あたくしは若くて美貌に優れていて、プロポーションだって抜群です。顔だって、現実とほとんど同じに作りましたのよ? 美しいと思いません? 女として、惜しいところなど何一つもあるようには思えませんけど」


「……そういうことじゃない。お前の容姿がどれだけ優れていても俺には一切関係ない。あえて意地悪な質問をさせてもらうが、その二つを取り除いた時に自分に一体何が残ると思う?」


「……何が残るのですか?」


なぜか興味津々で話に乗ってくるミナに対して、やや首を傾げながらも俺は思ったことを素直に伝えた。


「残るのは“迷惑”の二文字だけだ。……お前が言うところ“自分の魅力”に価値を見出さないような相手には、今のお前はただひたすら不快な存在だ。少なくとも俺は現在進行形でとてつもない迷惑を被っているし、一緒にいて楽しいと思えたり、心が落ち着いたりできないな。例えるなら――動物園の虎ってところだな」


「――人気者で、育ちが良いってことかしら?」


(どれだけ好意的な解釈をしたらそうなるんだ……)


「――離れたところから見ていれば結構楽しいかもしれないが、“一緒に檻の中に居たら生きた心地がしない”ってことだよ!」


 話が通じていない気がするが、仕方ない。

先程割り込まれて中断した、俺の中で取れる最後の選択肢――





④距離を置かざるを得ない状況を長期的に作って諦めさせる。


おそらく、これが一番良い条件だ。





「よし、じゃあ“条件を出す”」


「条件?」


「そうだ。俺たちに対する同行は認める。その代わり、これから先、さっきみたいな俺の名前を不要に知らしめるような行為は二度としないでくれ。それが“意図的であろうと、そうでなかろうと”」


言うだけ言って、俺は目的地である飛空艇乗り場に向かっていそいそと歩き始める。

前を向く一瞬。視界の隅で、ミナが凄まじい“したり顔”をしたのを俺は見逃さなかった。

先程まで雑な対応をされていたところから、“条件付きでの同行を認められた”のだからこの反応は自然と言える。


――しかし、その余裕が果たしてどこまで続くだろうか?


(ついてこれるものなら、好きなようについてくるが良いさ)


それが不可能だと言うことを理解できれば、この女も自然と諦めるだろう。


かくして、ようやく今後の方針が定まった。

リュクスの依頼をこなしながら、この女が“辿り着けないような危険な場所に到達することで、物理的に引き剝がせばよい”。


おそらくそんなことを意識せずとも、途中で根を上げるだろうという確信もあった。

これから向かう目的地の先で、いずれ背後の女はいなくなるに違いない。


協力者というのは本来。

一緒に行動して同じ目的に対して向かっていくわけだが。

それとは“まるっきり逆”のことをすることになるわけだ。







なんというか――“俺らしいな”と思った。


「ということでだ。改めて――これからの道中、“よろしく頼んだぞ。ミナ”」


「ええ、よろしくお願いいたします。クリア様とは、“きっと長い付き合いになると思いますわ”」








【拡大縮小の鋏 (スケーリンシザーズ)】


変形武器の一種。その中でも、特に個性が強いとプレイヤーの間で評される。


鋏に魔法が仕込まれている武器。

通常時の外見は短剣カテゴリーの鋏だが、巨大化し分解することで二本の片手剣として使える不思議な二面性を持っている。


帯に短し襷に長しになりかねない上に尚、二本で一つの「セット武器」という扱いなので片手で持てる上に二刀流のパッシブスキルがある職業なら二つ持てる。

(ただしこの場合分解はできない上に鋏としての造形からか与える火力はやや低下する)


こういったセット武器は二刀流ができない職業の一種の“抜け穴”であり、特定の職業では割と実践的な武器だったりする。

ミナが使用する物は装飾が凝っていて彫刻が彫られている一見可愛らしいものだが、先端は鋭く、刃は反り返っている。相対した人間は、所持者の殺意の高さに気付くだろう。


巨大化している場合、切る動作と共に鳴る音も激しく火花が散る。



『野に咲く薔薇には棘があるが、それを間引いていろどる者の前では無力に等しい』




【ゲーム内の楽曲の著作権についてのいざこざ】


本作では楽器を使うことで演奏することができる。

しかし、『A story for you NW』の運営会社が著作権を所持していない楽曲を演奏するユーザーが後を絶たず、それに対して「著作権違反をしているので取り締まるべきだ」と問題提起を行っているユーザーがいる。


これに関して、運営は『公の場で、運営会社が著作権を所有しているで曲以外を流さないでいただきたい』という注意喚起のみに留まっている状態である。


実際のところ運営からすれば、著作権を違反しているユーザーに対して厳格な取り締まりを一度でも行なってしまうとそれ以降、全てのプレイヤーの演奏を細かく検閲する必要が出てくる。

楽曲とは“音の繋がり”であり、チームのアイコンデザインなどとは違って容易に制限をかけられる物ではないため、取り締まりにとても手間がかかる。


「万が一著作権関連で大きなトラブルが発生してしまった場合、取り締まる労力を維持することが難しいため、演奏機能そのものを削除する方向に舵を取る可能性が高い」というアナウンスがコミュニティボードで行われている。


そんな事情もあってか、運営は“可能な限りお茶を濁しておきたい”らしい。


運営からすれば、『こいつ、著作権を違反しているぞ!』と大騒ぎするような人間も、違反している人間と同じような“目の上のたんこぶ”なのだろう。







「ぶっちゃけさ〜一部の人間が義憤に駆られて乱暴に振りかざす正義感なんて、ボクがゲームの中でやっている悪行なんかより100倍はタチ悪いと思うよ?」






余談だが、今回登場した楽曲団は規模が大きい関係で、プレイヤー同士のいざこざを上手く避けている集団であり、それ故に“版権的に緩いクラシックやオペラなどに精通していた”ようだ。




ねこの挨拶』(泥酔Ver) 『作詞&アーティスト: ?????????』】


「歌には歌で想いを返してほしい」と半ば強制されたクリアが、ミナを黙らせるために苦し紛れに後々送りつけた歌詞カード。

これは、【愛の挨拶】というクラシックの演奏曲に“存在しない歌詞”を勝手につけた状態で、誰かがクリアの前で歌ったとされる――いわば“替え歌の一種”のようだ。

よほどクリアの耳に残っていたのか、丁寧にひらがなで余すことなく書き起こしがされている。





『ねんねこねこねこにゃんにゃんにゃん うー ねんねこねこねこにゃんにゃんにゃん ――で ねんねこねこねこにゃんにゃんにゃん! ねこで〜すよにゃ うーにゃー

えー ねんねこねこねこにゃんにゃんにゃん ほえー ねんねこねこねこにゃんにゃんにゃん んでー ねんねこねこねこにゃんにゃんにゃん! ねこでーすよにゃ うーにゃー

うー ねんねこにゃー でも ねんねこにゃー ほら ねんねこねんねこねんねこにゃー

()、ねんねこにゃ ほらべろべろにゃ でもねんねこねんねぇえ~~こぉぉ↑(裏声)…………』



「戦々恐々というか、これは――想像の遥か斜め下をついてきましたわね……」









 尚、クリアには“別のフレンドに歌ってもらうようにお願いする”という案もあったようだが『自分がその場に居合わせることになってしまった場合、上手く断れる自信がない』という理由で断念。

代わりにフレンドから歌詞カードを送ってもらったのだが、クリアが『歌詞の文字を見た途端に吐き気を催し』『恐怖から歌詞カードを持ち歩くことは愚か、郵便ポストから取り出すこともできなくなってしまった』たため、こちらの計画は完全に立ち消えとなった。


「ちょこっと残念ですー」

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