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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第四章 登る者、降りる者
137/151

B面 第一話 澱みきった。日の当たらぬ場所

 こうやってハイダニアの酒場で甘ったるい炭酸飲料を吞んでいると――ふと思うことがある。


「……酒場はここより、フォルゲンス共和国の方がいいな。やっぱり」


独り、ちる。

そうすることで、自然とフォルゲンス共和国の酒場の情景が思い浮かぶ。


 薄暗い店内。

薬味に使うのか、カウンターの中にぶら下がっている、よくわからない架空の生物の燻製の数々。

壁板に開いた穴から入ってくる隙間風に、使い古して傷だらけになったピアノの乱雑な演奏。

葬式みたいな顔で座っているNPCを酒のツマミにして爆笑する。飲み会帰りの社会人達。

あそこで出されるオートミールの癖になるような不味さは天下一品で、最初に頼んだときに面食らって椅子からひっくり返ったことをよく覚えている。





そんな思い出に反して、今俺が居るハイダニアの酒場の雰囲気はあまりにも上品すぎた。





真っ白で意匠のこった内装や家具には、傷もなければ塗料の塗り忘れなどもない。

酒場なら、もっと派手な曲を乱暴に演奏して欲しいのに、仰々しい演奏者(NPC)がバイオリンで穏やかな曲を演奏しているせいで雰囲気も出ない。


こんな雰囲気が好きなプレイヤーは、少なくともこのサーバーのハイダニアにはほとんどいないんじゃないだろうか?


マナーの悪いプレイヤーの多いハイダニア故か、屋外では小綺麗な白いテーブルに屯していたり足を乗せているような不逞の輩がいる。

しかし、だからといって彼らが何らかの悪事を働く――というようなこともなく。ただただ不自然に浮いていた。




 このゲームの年齢対象は高くない。

VRゲームが電子ドラッグだのなんだと非難される昨今に、アルコールに似たような液体をフルダイブの仮想世界の中で登場させられるわけもなく。

いつも酒場に集まってくるのは“リアルでの酔っ払い”なのだが、この内装と雰囲気のせいでそういう類いの連中は住宅街の個人経営の露店に屯してしまう。


だから、この酒場では何の喧噪も起こらない。


酒場と言うからには、客に時間を感じさせように、常に薄暗い雰囲気であってもよさそうなものなのに、ここは立地が良すぎるせいか、雨期を過ぎてから眩しい日差しが差し込んできている。


――要するに、この酒場の全ての要素が、無法な流浪者の自分のキャラクターに合っていないのだ。









ふと――日の光が溢れている窓を見つめる。


「…………………………………………」


あの事件からしばらくして、世界の中では依然変わりなく穏やかな時間が流れている。

だからきっと、あの窓の外にも依然変わりなく美麗な世界が広がっている。

今日も多くの冒険者達が、仮想世界の中で、現実には無い神秘的な“冒険”をしているのだろう。





しかし、今の自分はここから外に出たいと思えなかった。

雨季を抜けた後の外の日差しが、不思議と自分自身を責めているように感じられた。


いっそ、乱暴に酔っ払ってやさぐれたいような気分で――そんな“自分のような人間”が座りたいと思えるような薄暗い席が、上品な酒場の隅っこにしかないのは何よりも不満だった。











「……そうボヤくな貴公。呑みではなく、茶会の場だと思いたまえよ」


自分の心の声に、背中から返事が返ってくる。

……どうやら、自分の心の声は、無意識のうちに独り言となって周囲の人間に聞こえていたようだ。



 いつの間に来ていたのだろうか?

俺をこの場所に呼び出した張本人は、自分の真後ろのテーブル席に座っているようだった。


しかし、今の自分には振り返って隣に座り直すつもりはない。

俺は酒場の隅で、カウンターに対して前のめりに寄りかかったままだった。


「………………俺をこんな場所に呼び出して、一体何の用だ?」


背後の人物は、俺の質問には答えなかった。

ただ席から立ち上がり、自分の真横に並ぶ。








「貴公――――どうしたのだ? 妙に“しょぼくれている”ではないか」


「お前がそんな“俗な物言い”をするとはな。俺が落ち込んでいる理由は――――」


自らの言葉を遮るようにグラスの中身を乱暴に飲み干して、隣に立っている高身長の人物を見つめる。


「――お前。その格好、“喪服”のつもりか?」


男の――リュクスのいつもの狩りの装束は見た目こそ同じだったが、その色は真っ黒に染まっている。

そして、その胸元には――――“どこかから摘み取られた見覚えのある花”が、ブローチのように添えられていた。


「……その通りだ。しかし貴公の落ち込みようを見るに、吾輩まで暗い雰囲気に浸るわけにはいくまい」


一瞬にして装備品を切り替えて、隣に立っていた男は“いつもの格好”に戻った。

それにしても……コイツに心配されてしまうとは――今の俺はよほど酷い顔をしているに違いない。


「貴公は、ずっと事情を知りながら最期まで“彼”の隣に居たのだろう? 故に、貴公が深く落ち込んでいる理由は察する。……“理解できる”とまでは到底、言えたものではないがね」


俺は何も言わずに黙り込んだ。









俺が落ち込んでいる理由はそれだけではなかったが――それもまた理由の一つだった。





「……だが貴公も、もう少し“日の当たる場所”に居るべきだ。実際、あの少年は――前を向いて元気良く国の外に出て行ったという話ではないか?」


(元気良く――か)


チームの元を離れて、冒険に出て行った仲間フレンド

その、旅立ちの日の後ろ姿が俺の頭の中で思い浮かぶ。


「元気良く出て行ったっていうのも、怪しいもんだ。アイツが“いなくなってしまった人”のことを簡単に忘れられるわけがない。きっと、今後もずっと心の中に残るはずなんだ。良い意味でも――悪い意味でもな」


「そうかもしれんな――」


俺が今、落ち込んでいる理由はあの事件の時に感じた“悲しみだけではない”。


ここでずっと燻っている“自分に対する逃げ場のない後ろめたさ”。

それが、俺自身を蝕んでいる気がした。


しかし、その“感情の根源”が何なのか。

俺は口が裂けてもそれを他人に言うことはできない。



「――しかし、貴公も落ち込んでいるにせよ。“この世界に変わらず在り続けている”のは不幸中の幸いだ」


おそらく慰めのつもりで放ったであろう、そのリュクスの言葉が俺の心に突き刺さる。










再び沈黙が場を支配する。


リュクスは何も言わないで、目の前のNPCから紅茶を二つ購入した。

そして、そのうちの一つを自分に対して無言で差し出す。

アセロラか柘榴ざくろのような――血のような色の紅茶だった。


カップを力なく握ってしばらく迷ってから、試しに一口飲んでみる。


きっと値段の高い紅茶なんだろうが、薬草を煎じて飲んでいるようでいまいち良さがわからない。

ひたすらに渋く感じるだけだ。

俺は耐えきれず、インベントリーから取り出したオレンジの切れ端を絞る。

その後、テーブルの上の小さなカップに手を伸ばして。そこに入っていたシロップをぶち込んでから紅茶を一気に飲み下した。


「全く……そのような品のない飲み方をするなど――貴公とは飲み物の趣味が大きく違うようだ」


そう言ってリュクスは懐から、濡れた女性物の下着を一枚取り出す。

そしてそれを、人差し指と親指を使って上品さを感じられる動作で丁寧に絞り始めた。

正体不明の液体が滴り、紅茶の中に混ざっていく。


やっていること自体は不自然極まりないが、その一連の動作自体はとても自然な物だった。

実際は、品のないどころか品性を疑う所作なのだが。


どうやら、俺とリュクスは『飲み物の趣味』が違うどころか――『飲み物に対する根本的な姿勢スタンス』から違っていたようだった。








「何――心配には及ばんよ。吾輩ここで“食事”までするつもりは微塵もないのでね」


そう言ってリュクスは搾り終わった下着のような物を丁寧に懐に仕舞う。


………………突っ込みを入れる気力も起こらない。

コイツとって女性の下着とは――果たして何なのだろうか?


リュクスは紅茶の匂いを嗅いでから、納得するように頷いてカップの中の液体を啜る。

――と、同時にその身体からカリカリと音が鳴り始めた。










「――成る程。吾輩全く気づかなかった。貴公、吾輩の紅茶に毒を混ぜたな?」


ご明察。どさくさに紛れて、俺はリュクスの紅茶に毒薬を混ぜた。

もちろんダメージが入ってもここは街中だ。

戦闘が開始されない以上、プレイヤーの体力がゼロになることはない。

毒ダメージの数字が、リュクスの頭上に何度も表示されてその都度自動で体力が回復していく。


「不気味なものを見せられて“心が毒された”からな。その意趣返しをしてやったんだよ」


「――フム。これは失礼した。しかし、例え毒が混入されていようと関係のない話だ」


例え毒が入っていようと、目の前の男には“文字通りノーダメージ”のようだった。

リュクスは、毒のデバフを受けたまま異物したぎからでたしるが入った紅茶を実に美味そうに啜る。


「どう飲んでも、いつ飲んでも、この“暖かみ”は心地良いものだ……クックック」


そしてきっと、俺が今コイツに向けている視線も、“生暖かい物”に違いない。





「何よりも、こういった“抜け目のない悪戯”は貴公の専売特許だからな。今日のこの“毒の味わい”も中々どうして悪くはない。お互い、調子が戻ってきているようで何よりだ。――――少しは元気が出たかね?」


リュクスが口角を僅かに上げたことで、自分が“無意識のうちに笑っていた”ということにようやく気づく。


――なるほど、一本取られた。

コイツのペースに飲まれないように裏をかいてやったつもりでいたが――最終的に“してやられた”のは、どうやら自分のようだ。


「ああ――お陰様で、少しだけ調子を取り戻せたみたいだ。それで――お前は今日、何の要件でここにやってきたんだ?」


リュクスの顔から笑みが消える。

それからカップをソーサーの上に戻して、水面を見つめながらぽつりと呟いた。


「貴公には、吾輩の“手伝い”をしてもらいたい」


「手伝いだと!? よりにもよって、“俺のような人間に”か?」


思わず首を傾げてしまう。

俺は“人から物を頼まれるような立派な人間ではない”という自覚があった。


まず、PVE関連の手伝いは絶対に駄目だろう。

真面目に手伝ったら、俺のミスが原因でパーティが全滅しかねない。


……気に入らない募集を全滅させる目的なら、むしろ自分の出番かもしれないが。


その他に俺にできることといえば……邪魔な上級者プレイヤーを暗殺《PK》し続けて欲しいとか。

外国人プレイヤーと共謀して、実装直後のコンテンツで大暴れして緊急メンテナンスを誘発させるとか。

ゲームの脆弱性をついて大騒ぎを起こしてバグの修正を早める手伝いをするとか。

仕様の穴をついて街の中にレイドボスを連れて来て、GM沙汰を起こすとか――せいぜいそのくらいだ。




………………自分で言うのも何だが、破茶滅茶なプレイヤーがいたものである。


“もし俺がただのプレイヤーだったら、俺には絶対に近づきたくない”。


果たしてリュクスは、こんな人間に一体何を頼むというのだろうか?









「吾輩の――“人探し”を手伝ってもらいたいのだ」


珍しいなと思った。

“人探し”というものは、オンラインゲームの中で他人に頼むような一般的な依頼ではない。


「吾輩。古い知人に会いに行きたくてな。知人の居場所自体は、最近になって調べがついて明らかになっている。つまり――厳密には、“知人と再会するまでの護衛”を貴公にお願いしたい」


「直接同行しろってことか。その知人っていうのはどういった人物なんだ?」


「残念だが、“古い友人”としか答えることはできん。吾輩個人の、私的プライベートな問題なのでね。依頼の内容に関してはこの封筒にしたためてある」


リュクスがカウンターの上に赤色の封筒を置いた。

即座に頭の中で手に入れた情報を整理しながら、俺はリュクスに質問する。


「あらかじめ聞いておくが――それは“ゲームの範疇”の依頼なんだよな?」


「……どういう意味かね?」


「人探しを『俺のようなプレイヤーに依頼してきた』という点が引っかかる。『“普通にゲームを遊ぶプレイヤー”では突破不可能な、無理難題を要求されるシーンがある』んじゃないかと思った。そして、何よりも……その依頼――」


一瞬だけ、思ったことを素直に口にして良いものかと迷う。

周囲に人の気配がないことを確認してから俺はリュクスに小声で伺った。


「(――“ヤバい依頼”じゃないだろうな? 以前の“あの事件”と同じような……)」


リュクスは何も言わない。

俺の言葉の続きを促すかのように、黙って紅茶を飲んでいる。


「もしも、ああいうヤバい件に“場慣れしていることを期待して俺を誘った”のなら――この依頼は断らせてもらうぞ。あんな心臓が止まりそうな恐ろしい目に遭うのは二度とごめんだ。俺は、正義の味方でも何でもない。ただの捻くれた悪ふざけをするゲーマーだ。“ゲームの中で強い”程度の人間じゃ、あんな事件は正直――手に負えない」


臆病かもしれないが、実際のところ“無理なものは無理”なのだ。

多少悪知恵が働くとかゲームをぶっ壊すとかそんなことができたとしても、自分のような人間にできることなどたかが知れてる。


俺達が巻き込まれたあの一連の事件は、次元が違いすぎる。

事情を知れば知るほどに、立ち向かおうする勇気が失われていく。










そんな勇気など、“最初から”持ち合わせていない野田が。


「心配は要らんよ。吾輩が此度、貴公に対して声をかけたのは、貴公が吾輩の知っている限り“最も単騎でのしたたかさに優れているプレイヤー”であるからだ。今回の依頼は、道中プレイヤーとの戦闘が頻発する可能性があるが――大人数で行動するのは吾輩の好むところではないのでね。報酬の話もさせてもらおう。吾輩は貴公に“情報”を一つ渡したいと思っている」


「――情報……何の情報だ?」


「貴公はこの世界の中で、“闇に潜む者達に繋がる怪しげな噂話”を依然代わりなく調べているのであろう? その行為がこの世界の秩序を守り、“あの少年のこれからの冒険を守るため”――と言うのならば、理解できる話ではある」



(『世界の秩序を守り、“あの少年のこれからの冒険を守るため“闇に潜む者達に繋がる怪しげな噂話”を集めている男』――か、“物は言いよう”だな)


 俺のやっていることなど実際は、そんな大層な物ではない。

前々から、個人的に怪しい噂を調べ回っているというだけの話だ。

昔からキナ臭い噂話を集めるのは性分なのだ。





――そして、もしも怪しい噂話があったとしても首を突っ込むことは、絶対にしないだろう。

そんなことは、俺“一人ではできない”。




「要は――“新しい事件に類するような情報”を報酬として教えてくれるってことか。ゲームの事情に詳しい“情報屋”に金でも払って調べたのか?」


「冗談はよしたまえよ。そんな便利な概念があるわけなかろう」


その通りだ。個人経営の情報屋など都合の良いものはゲームの中に存在しない。

大昔にやろうとした奴がいたが、速攻で潰れた。

個人でそんな格別に有益な情報をいくつも得られるわけがないし。

有料で売れる情報を抱えている時点で、その情報を使って儲けた方が良いのだからわざわざ公開する意味も無い。


「――PVPの、流浪者の新しいビルドのメタでも教えてくれるのかと思った」


俺はそう言って、僅かに笑いながら軽く流す素振りをしようとした。

リュクスは俺の――冗談に冗談を重ねる素振りに、全く動じないままカップの水面を見つめているようだった。


「そんな情報は、今貴公が本当に求めている物では無かろう。まさか――本気で言っている訳ではあるまいな」


「……ところがだ。俺にとってはその辺りがもうわからなくなりつつある。俺のような愚かで落ち目の人間が本当に欲しているのは、“あいつを守るための情報”なんかじゃなくて、ひょっとすると――ただ“このゲームをダラダラと遊んで、楽しむための情報”なのかもしれない……」


「……貴公、先の事件で相当参っていたようだ。やはり、相当後ろ向きになっているようだな」


リュクスは俺という人間に対して、何か勘違いをしているようだ。

先の事件だけの話ではない。

俺は生来らしくないのではなく。本質的に“最初から後ろ向きな人間”なのだ。


「――そこまで傷心ならば、“吾輩が慰める”こともやぶさかではないが」


「冗談よせよ。気持ち悪い」


俺の返答に、リュクスはくつくつと笑う。


「ならば――もっと“後ろ向きに前向きになってみてはどうだ”ろうか。即ち、あの少年に危機が迫るということは、貴公が――吾輩はそうは思わないが――“後ろ向きに惰性を貪っている環境そのものが危ぶまれる”――とは考えられないかね?」


 リュクスが言いたいことがなんとなく理解できた。

要は、『あんまり呑気して前みたいな事件が起きたら、お前はゲームでのんびり過ごすどころじゃなくなるぞ』と言いたいらしい。


「危ぶまれるような事件か。確かに、海外の別のゲームでも最近デカイ事件があったしな。ゲームのバランスを壊すような調整を繰り返していたディレクターとその家族が襲われて、縛られて、家の庭で一人ずつ撃ち殺された事件。犯人は、最終的に自分の頭も撃ち抜いていたって話を聞くが――」


呟きながらも自分の中で再度、“事件の危険度”に対する定義をする。

要は“このレベル”が俺が危惧しているような、“ゲームの範疇では済まない事件”ということになる。


「――しかしな、交換条件にしては重すぎないか? お前がもし“新しい事件に類するような情報”を持っていたとしたら、報酬にすること自体が間違いなはずだ。それこそお前だって、呑気にゲームを遊んだり他人に手伝いを頼んだりするような余裕なんてないはずだ」


「実のところを言うと――これは緊急性の高い情報ではないのだ。情報というには語弊があり、『気になる噂話』を一つ聞いているという程度の物。これは風の噂にすらなっていない――故に、貴公ですらおそらく知らない話だろう。吾輩としても眉唾な話ではあるし、おそらくこの前の事件とは何の関係性もない可能性も高い。都市伝説の種――といった程度で、かつて貴公らが相対した敵と関連性も低い」


「なるほど、緊急性は高くないってことか。――俺がお前の依頼を手伝わないと言ったら?」


「即座に、教えて進ぜよう。こんな物はただの噂話にすぎん。とはいえ、貴公には先の事件で様々な“貸し”があるし、何よりもこんな場所で燻っている貴公を見て放ってはおけない。吾輩個人として、これをきっかけに、是非とも奮起してもらいたいところではあるのだがね」


つまり、リュクスは“どっちでも良い”と言ってくれているのだ。

今すぐ俺が知らなくて問題ないような噂話を――


①俺の“借りを返す場”を儲けるための口実


②ここで飲んだくれている俺を奮起させるための動機


――の二つとして、わざわざ集めてきてくれたというわけだ。


「なるほど……お気遣いありがとさん。それでもな――」


確かに、俺たちがこの男に対して色々世話になったのは事実だ。

前向きにはなれないにしても……酒場ここにずっといるわけにもいかないのもわかっている。

それでも――





再び目線を外に遣る。太陽の光が窓から差し込んできている。





――やはり、外に出る気にはなれなかった。


俺の未だ暗いままの表情を見て、リュクスは話を続ける。


「心配はいらんよ。大事にはなるまい。これはあくまでただの人探し。貴公は必要に応じて吾輩の道中の邪魔者を排除してくれればそれで良い。今回の依頼が安全であると証明できる理由わけもある」


リュクスはそう言いながら、自然な流れで俺の飲み終わったカップに紅茶を再び注ぐ。

その動作に流されて、渋い紅茶を啜ってしまい。俺は再び顔を顰めた。

インベントリーから取り出したオレンジの切れ端を再度絞って、小さなカップに入ったシロップを入れようとして――





「実は、他にも同行者が一人いる。貴公が心配していた後ろ暗い事件とは全くもって無縁のプレイヤーだ。彼女からつい先程連絡が来た。既に、この場に到着しているようだ」


「何だって? “同行者”?」






――そこで、あることに気づいて俺の手が止まった。


いつの間にか、シロップが入っていたポットの液体が“補充されている”。

シロップの代わりを頼んだ覚えはないし、会話の途中で誰も俺たちに近づいてくる者はいなかったはずだ。

酒場のNPCに注文などもしてない。


よく見ると、シロップ入れの小さなカップの中の液体が“泡立っている”。

俺は首を傾げて液体に手を触れてみた。


納豆のように粘性がある液体だ。


(な、なんだ、この糸を引く奇妙な液体は……。いつの間に、どこから補充されたんだ? まさか――)






――似たような状況にあった時のことを思い出した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





それは“ダンジョンの中でのこと”だった。

その時同行していた自分のフレンドの肩に“粘りのある謎の液体”が狙い澄ましたかのように滴り落ちてきた。


『むむ、これは“宇宙船の中で異星人に強襲される前触れ”みたいですにゃ! ……グェーッ!!』


自分のフレンドは酔った状態のまま、そんな風に古い洋画の知識を披露した直後。

洞窟の天井から降ってきたモンスターに襲われたのだ。


彼は、“アップデートで追加された新しい魚がここで釣れる”とフレンド騙されて、凶悪なモンスターの餌食になってしまったのだ。


――可哀想に、彼を騙したClear・Allという男はきっととんでもない“外道”に違いない。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


それはそれとして――

ここは街中なのになぜ、ダンジョンの中での出来事を思い出すのだろう。


……それはきっと今の自分に“似たような種類の危機”が迫っているからだ。


(酒場を出入りするプレイヤーのことまで気にはかけていなかったが、少なくとも自分達の“周囲に”プレイヤーの気配はない。つまり、この液体は――“天井から降ってきた何者かの唾液”ってことなんじゃないのか?)


席に座ったまま恐る恐る天井を見上げる。








日の当たらない酒場の天井の暗闇の中に、ぐちゃぐちゃに混ざり合った小さなハートマークの塊が二個浮いていた。

その正体は二個の眼球。

要は何者かが、天井に張り付くような姿勢でしがみついている。

どうやら、その人物から、自分のポットに向かってゆっくりと“銀色の液体がしたたり落ちている”ようだ。


見てはいけない物を見てしまった気になって、俺は無言のまま頭を下げる。

天井から物音がして、カウンターを隔てた床の上に何者かがゆっくりと降り立つ気配を感じた。


あまりにも異常な状況に相対すると、人は正常な反応できなくなる。

俺はゆっくりと顔を上げて、カウンターの上に両手を置いてから虚空を見つめて息を吐き、隣に居るリュクスを見つめる。

リュクスは気まずそうに咳をしてから帽子のつばに手を添えて、俺から顔を背けた。


「…………………………」


意を決して視線を落とす。


あたくし、欲しいものにはどうしても“唾をつけておきたくて”――」


俺と目が合った瞬間、カウンターの中に居る女――ミナはニコリと笑った。

以前と違って、道化師がつけているような真っ黒なドミノマスクをつけていた。


「――自分の体液を他人が飲み込んだら。自分と他人が同化しているように感じません?」


「あ~……なるほど。その感性は確かに“どうかしている”。本当に――」


俺は背を向けてリュクスをカウンターから引き離して、小声で内緒話を始めた。


「(――うおおおおおおい! どうしてこのイカレ女をここに連れてきたんだッ!?)」


「(『先の事件が終わるまで、無関係の狂愛の乙女|《Mina・Rouge》を“師事するという形式”で引きつけておく』という貴公からの約束を吾輩はどうにか守れた。守れたのだが……時間を稼ぐ目的でに吾輩が無理難題を吹っかけた結果。彼女は様々な技術と知識を習得するに至ってしまった――まさに“茶を濁した結果”と言える)」


「(――確かに、俺の紅茶は濁って飲めなくなったが――リュクスお前、一体この女に何を教えた!? 少なくとも、以前は気配も音もなく、天井に張り付いてくるようなことはなかったはずだ。あの黒いマスクはお前のリスペクトでもしているのか?)」


「(今の吾輩では、貴公を追跡しようとする彼女の暴走を抑えられなりつつある。目元の覆面マスク形状デザインが“装飾の一切無い黒色”なのはおそらく“貴公の目元”も同時に意識リスペクトしているのだろう……)」


そう――“暴走”している。前々から大概だったが、その暴走に磨きがかかっている。

僅かに背後を振り向いてカウンターの上に置いてあるポットの中身を見遣る。

人の唾液にしてはやたら粘性がある気がするが、俺の推測が間違っていなければあれはあの女の唾液だ。


「直接他人に“意図的につばをつける”のは規約に違反しているみたいですけれど、唾を落としたポットを他人が自発的に取り入れた場合はハラスメントには該当しませんのよ。これも“先生”に――」


そのタイミングで、リュクスがミナに対して大きな咳払いをする。


「――失礼しましたわ。“師匠”に教わったことです」


俺はリュクスの首を傾げた。

『先生』という呼称をリュクスが避けた理由は何なのだろうか?

先生も師匠も、言葉の意味に大した違いなどないだろうに――





「(――っておい! お前はこの女に普段から“何を教えてるんだよ!”)」


俺はリュクスの胸ぐらを掴んで揺さぶる。

リュクスはされるがままで、その長身がグラグラと揺れた。


「(わ、吾輩は吾輩なりに最善を尽くしたつもりだ。袖に振るなり、受け入れるなり、いい加減、貴公はこの少女に対して何らかの形で白黒つけなければなるまい。このまま師弟の関係を解いて荒ぶる乙女をこのまま野に放てば、確実に貴公の不利益になるだろう……。外に出る時が来たのだ。聞いた話――もとい、吾輩自身が貴公を尾行して調べた情報によると、貴公はハイダニアにずっと缶詰だと言う話であるし、丁度良い機会ではないのかね? 吾輩の中では狂気とは程遠い。一緒に行動しつつ、適当にいなしておきたまえよ)」


「(なんでこの女のついでみたいに、お前もさりげなく俺のストーカーをしているんだよ!)」


問題を先延ばしにしていたツケが回ってきたというわけだ。

リュクスの元につけたのは間違いだったのかもしれない。ひょっとすると俺はとんでもないモンスターを作り出してしまったのかもしれない。


「“そんなことはさておき、お久しぶりですクリア様”――」


俺が振り返ると、ミナはカウンターの上で両手で頬杖をついた状態のままこちらをじっと見つめてくる。


「――“お紅茶が冷めてしまいますわよ?”」


「――――――――――ゑ?」


自分の口から間抜けな声が出て、リュクスが顔を背ける。


当人はなんとも思っていないのだろうが、こんなにいたたまれない空気になったのは何時以来だろう。


昔、この世界で起きた出来事を思い出す。

自分のうっかりミスのせいで、63人のプレイヤーの日曜日の四時間がまるまる台無しになったことがあって、自分のフレンド(※先程の回想の被害者と同じ人物だ)が俺の代わりに泣きながら土下座する事態に陥ったことがあった。


今の空気は、あの時の空気と同じくらい、いたたまれない。


凍った空気を打破したかったのか、平生を務めようとしていた俺自身が内心でパニックになっていたのかよくわからない。


多分この時の俺は、自分にとって有害なものをまとめて排除したかったんだと思う。

真顔になった俺は無言のまま振り返ると、机の上のポットの中身をカウンターの対面で頬杖ついているミナの頭の上に思い切りぶちまけた。








「き……“奇行”…………」


隣に座っているリュクスの呟きで、とんでもない行動をしたという自覚があった。

ゲームで例えるのなら『ふざけてでもいない限り、絶対に取りそうもない選択肢』だ。


ミナは何が起きたのか理解できなかったのか、数秒の間だけ身動き一つしていなかった。

しかし、口元を拭ってから、恍惚としているかのような表情を浮かべてカウンターから身を乗り出して顔を近づけてくる。


「――そういうフェチズムを感じさせる遊戯がお好みなのかしら? 」


「……………………」


「何にせよ。ようやくあたくしの探し人に出会えそうですわ。“その方は酒場ここに四六時中いらっしゃるというお話でした”から、“長居させていただく予定です”」


探し人が誰なのかなど、わざわざ聞くまでもないが、それすらも明言しようとしない。

どこまでも、思わせぶりな女だ。


うんざりした気分になった俺は、この女と真っ当なコミュニケーションを取ることを“放棄し続ける”ことにした。


「(リュクス。さっきの依頼……考えさせてくれ。このまま俺がここに篭ったら今後“多大な不利益”を被るような気がするが、この女をこのまま放置しておくのも悪手な気がしてきた!)」


「(了解した。集合場所や開始の日時もその封の中にしたためてある)」


それを聞いた俺は、カウンターの上の封筒を手に取ってから酒場から立ち去ろうとする。

背後で“誰か”がカウンターを乗り越える音が聞こえてきた。









「ついてくるなぁああああああああああ! 頼むからどこか行ってくれ!」


「――別に他意などありませんわ? あたくしが向かいたい場所に、偶々(たまたま)クリア様がいるだけです!」


走りながら酒場の扉に手を掛ける。

ゲームの内の時間帯は昼過ぎ。久しぶりの日差しが妙に眩しく感じる。

酒場の扉を閉める直前に聞こえてきた、リュクスの言葉が耳に残った。









『――日の下に出れるではないか、貴公』







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