第四十三話 小さな男の大きな死
自棄を起こしたベルシーによって、タナカさんの死はチームメンバーに伝わることとなった。
彼らの反応は、ばらばらだった。
“思い返してみれば”と、納得する者。
レットのように“嘘をつくな”と俺に詰め寄る者。
事実を理解できず“涙すら流せない”者。
突然すぎて、受け止められないメンバーの方が圧倒的に多かった。
納得できないと、別れも言えなかったことを皆が後悔していた。
そんなメンバー達の行き場の無い思いが、夕日の丘の景観を変えることとなった。
このゲームに墓というオブジェクト自体は存在しているが、プレイヤーが直接それを建てることはできない。
だから、墓の代わりに――夕日の丘の上にはシンプルなデザインの石碑が一つ立つことになった。
石碑の周りに、無関係のプレイヤーは居ない。
テツヲさんが、好奇心で寄ってきた無関係のプレイヤー達にいきなり喧嘩を吹っ掛けて、通報を受けた“GM”の手によって丸ごと転送されたからだ。
石碑の前には、びっくりするくらい綺麗な花束がいくつも置かれている。これはきっと、ワサビさんの手によるものだろう。
花束の中には、一つだけ違う色の花――メレム平原の花が混ざっていた。これは、きっとリュクスの仕業だ。代わりに置いてあった花を、一輪持って行ったのかもしれない。
いずれにせよ、俺達のチームのことだ。
今回もきっと『イカレたチームのイカレた奇行』という扱いで、大ごとにはならないだろう。
そして今、石碑の前には――
「ういー……飲まなきゃ、やってられんにゃ」
――座り込んで、酔っぱらった状態で水の入った瓶を振り回すネコニャンさんの姿があった。
この世界の中にアルコールという概念は無い。
だからプレイヤーは、現実である程度酔っぱらってからゲームの中で“酒のような水”を飲む。
「いきなり居なくなっちゃうなんて、実感が湧かんにゃ……。黙ってそのままいなくなろうとしていたなんて、水臭い話ですにゃ。こっそり、自分に教えてくれてもよかったのに……」
ネコニャンさんがつぶやいてから、未開封の“水”のボトルを取り出す。
それからふらふらと立ち上がって――瓶の栓を抜いて、石碑を洗うかのように真上から中身をぶちまけた。
「タナカさんと一緒に――“お酒を飲む”って約束、していたんですけどにゃ……」
石碑の表面を、水が流れ落ちていく。
あの後、水を溜め込んでいたダムが決壊したかのように――緊急のメンテナンスが何度も何度もあった。
『どうせ自分はクビになるから』と完全に開き直っていたロック曰く、E・Vの行った悪事の対策や技術的な穴を埋める為に、専門の部署による社内の立ち入り調査を行ったらしい。
技術的な対策をされて身動きが取れなくなるということを『あの時あの島にいたE・V本人も自覚していた』ようで、今後どうなるかは定かではないが、当面は安全だろう。
しかし、だからといって――
「………………レットさんは、ずっとあんな感じなんですかにゃ?」
――レットの心に平穏が訪れるわけじゃない。
俺は自分の背後を見つめる。
レットは胡坐をかいて、夕日に照らされた石碑を拝むかのように、俯いて地面を見つめている。
たまに顔を上げたかと思ったら、真っ暗な表情で座ったまま夕日を見上げているだけだ。
レットの状態は今、一番酷い。
ベルシーと喧嘩した後――狂ったように泣いてからレットはログアウトしてしまった。
そして、次に戻ってきた時アイツはもう全く泣かなくなってしまった。
それから、“悲しまないで欲しい”というタナカさんの言葉を守って必死に涙をこらえてずっとずっと震えている。
「あんな風に無理して落ち込んでいるレットさんを見ていると、いつかのクリアさんに仕掛けたドッキリを思い出しますにゃ。ういー………………懐かしいですにゃ」
「……………………その時の話をするのは、本当に勘弁してください」
ネコニャンさんが言いたい放題言い始めた。
この人も相当辛いのだろう。飲み過ぎて、酔いが回ってしまったのかもしれない。
「……クリアさんに悪戯ばっかされるから、我慢ができなくて“自分は癌で余命がない!”って嘘ついて~。チームのメンバーにも口裏、あわせてもらってー……」
地面に再び座って、片手で持った瓶を地面に何度か軽くぶつけながらネコニャンさんがくだを巻き始める。
「“どうせ大したリアクションしないだろう”~って思っていたら、クリアさんがあんな風に茫然自失になって――『PK集団が居座っていて最期に釣りができないのが心残り』って、自分が適当にボヤいたら――クリアさんが一人で…………そいつら全滅させて、ボロボロになって帰ってきて…………あん時は、本当に驚きましたにゃ」
「――――――もう、二度とあんな嘘をつかないでくださいよ。俺がこんなこと言うのもなんだけど、あれは色々やりすぎだ」
ネコニャンさんが瓶から手を離した。
丘の傾斜で転がってきた瓶が、自分の足に当たる。
「だから………………タナカさんも、“実は冗談だった”って嘘ついて――――――帰ってきてくれませんかにゃ」
沈黙がその場を支配する。
俺は一瞬地面を見つめてから、淡々と事実だけを伝えた。
「残念だけど――――――あの人は嘘をつくような人じゃありませんよ。あの人の病状は、俺も知っていたし……そんな冗談は、ネコニャンさんだけで充分です」
「そうですよにゃ………………ま……………………自分が癌になるっていうのも……ありうる話ではあるんですけどにゃ。うちは――――――“がん家系”ですからにゃ…………」
へべれけになったネコニャンさんが顔を上げて夕日を見つめながら、大きなあくびをした。
「――ネコニャンさん」
「――――――何ですかにゃ?」
「その――あんまり、“お酒”。飲みすぎないでくださいよ」
ネコニャンさんは頷くことなく、最後に大きなため息をついてからログアウトしていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ネコニャンさんが去った後に、俺は何度か深呼吸してゴーグルのバンドをきつく締め直す。
それから、レットの真横に移動してゆっくりと腰を下ろした。
俺は石碑を見つめて、レットは地面を見つめたままだった。
暫くの間、俺もレットもずっと黙ったままだった。
「……やっぱり“信じられない”んです」
レットが地面を見つめたまま不意に呟いた。
「死んじゃったって実感が無くて……このまま、ここで待っていたらタナカさんとまた会えるんじゃないかって……。『おはようございますレットさん』って、丁寧にお辞儀しながら……何事も無かったようにログインしてきてくれるんじゃないかって……そう思っちゃうんです」
「…………レット――これは“最初から決まっていた”ことだったんだ。誰にも、どうにもできなかった。そして、誰の責任でもない。タナカさん自身が、自分の意志で覚悟して決めた終わり方だったんだよ」
思わず声が震えそうになる。それでも今、一番悲しいのは俺じゃない。
だから、今だけは堪えなきゃいけない。
「――タナカさんはな。お前が最期に隣に居てくれて………………きっと嬉しかったと思うよ。あの人ずっと………………寂しそうにしていたからな。正直、俺じゃ力不足だった。むしろ、あの人の足ばっかり引っ張ってた。俺が何とかしないといけないって時に、どうにもならなくなっちまって……逆に――あの人に相談してしまったことがあったくらいだ」
レットは地面をみつめたまま、目を瞑った。
涙をこらえているようだった。
「なあレット――泣いても良いんだぞ?」
「……我慢しないといけないんです。タナカさんが、“悲しまないで”って言ったから――だからオレ。泣かないようにしようとしているんです」
「タナカさんが悲しむなって言っていたのはな。“後を引くな”って意味さ。引きずって――心に深い傷を残すなって意味だ。だから、今お前が涙を堪えるのは――間違っていると思うぞ。それが何であれ……最終的に、乗り越えられれば良いんだ。だから無理をするなよ。――辛いだろ?」
「……………………大丈夫ですよ。オレ……もう……………………もう泣きませんから」
「……………………そうか」
言葉に詰まって、俺はインベントリーから取り出した“とあるアイテム”をレットに受け渡す。
「これ――お前に返しておくよ」
「これって――――――もしかして“オレの写真機のフィルム”ですか?」
「お前の誕生日会の時に、タナカさんが抜き取ったものを俺が預かっていたんだ。捨てようかとも思っていたんだが――――今となってはな」
「そっか……あの時、フィルムが無かったのは、写真機の所有権があったタナカさんが、フィルムを抜き取っていたからなんですね……。でも、どうして……」
俺は大きく深呼吸してから、レットに事実を伝えた。
「………………“写真に、写りたくなかった”んだ。あの人は、そのうち自分が“完全に居なくなる”ことを知っていたから。だから可能な限り、お前の思い出に残りたくなかったんだろう。“いつか、自分のことを綺麗さっぱり忘れられるように”って。同じ理由で、お前の右手の装備の外見も、早く“新しい物に見た目に替えてほしい”ってあの人、よく悩んでたよ」
俺はゴーグル越しにレットの“右手”と、そこに握られている写真のフィルムを見つめる。
「あの人さ――写真のフィルムを咄嗟に取り出しておいて、『これは困りましたね。人様の物を捨てるわけにはいきません……』って、困り果てていてな。俺伝手に、忘れた頃にレットに渡すように任せられていたんだよ。なんというか――あの人らしいよな!」
「酷いよ……タナカさん。忘れるだなんて……そんなの……オレ――絶対無理だよ…………」
それでもレットは必死に泣くのを堪えている。
俺はゴーグルを抑えて、夕日を見上げた。
とても眩しい。
自分には、“長い間見つめていられないくらいに眩しい”と感じる夕日だった。
「――――――辛いな」
「とっても――辛いです。それに……オレ……何より――ベルシーにタナカさんのことを……全て否定されたのが……ずっと許せなくて……」
「全否定された――か」
このままでは余りにもレットに救いがない。
だからこそ、俺はコイツに伝えないといけないことがある。
「――レット。お前が泣き疲れてログアウトしている間に建ったこの石碑なんだが――設置にあたって、土地を予め丸々買ってある。だから――ここではもうシステム的な争いは絶対に起こらない。この場所はこの世界の中でも“超上等な一級地”でな。市場に流したら、そのままインフレが起こるくらい物凄い額のゴールドを費やして買ったんだよ。………………どっかの馬鹿が、全財産のうちの“綺麗な金”を全部放り投げて買ったんだと。――ほとんど“やけっぱち”になって」
レットが不意に顔を上げた。
俺は視線を落として、再び眼前の石碑を見つめる。
「この“石”碑もそうだ。石から掘り出して作ったのも。――――もちろんメンバーも素材に金を出したけど、“完全に無一文になった”のは俺じゃないし、テツヲさんでもリュクスでもケッコさんでもネコニャンさんでもワサビさんでもない。……ここの土地を買い占めることも、石碑を建てることも、他の人間には実現できないことだったんだ」
レットが信じられないといった表情で俺を見つめる。
「そんな……嘘だ……それじゃあ、まさか――」
「ここに石碑を立てた人間のことを言うのだけは、本人から禁止されていたんだが――“立てていない人間の名前を挙げるな”とは言われていない。……俺は意地悪な人間だからな」
俺は軽く笑ってから、真剣な表情でレットに向き直る。
「実はな――石碑が建つ前に、俺は“そいつ”から一度呼び出しを食らったんだ」
こうして俺は、ここに来た当初の予定通り、“あの男の話”をレットに語ることとなった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夜の住宅街を歩く。
眼前には、プレイヤーの経営する“屋台”が見える。
その日呼び出しを受けた俺は、暖簾を上げて中の様子を確認した。
俺を呼び出したベルシーは、俺と目を合わせると気まずそうに顔をそらした。
「なんで、この世界の酒は酔えねえんだよクソが……」
テーブルの上には、大量の酒の空き瓶が置いてあった。
俺は黙って、ベルシーの真横に――椅子を一つ開けて座る。
「なんだよクリア――隣に座らねえのかよ?」
店主に適当な注文をして自分の飲み物だけを注文する。
俺は何も言わずに、目の前に置かれている煮込み料理の鍋の湯気をずっと見つめているだけだった。
「――オイ! 無視してんじゃねえぞテメエ!」
ベルシーが俺たちの間に置いてある椅子を退かして、俺の足を軽く蹴っ飛ばした。
それから、周囲に聞こえないように俺に向かって囁いてくる。
「〔答えろ――なんで“俺に言わなかった”? タナカのことを――なんでオレにずっと黙っていやがったんだ!〕」
「〔……………………………………言ったところで、お前は“自分のやり方”を変えなかったろう〕」
俺の言葉を受けて、ベルシーが黙り込んだ。
それは無言の肯定だった。
「〔お前のことだ。事実を知っても、きっと死にもの狂いで平生装ってタナカさんとの“奴隷契約”を最後までやり切ろうとしたに違いない。俺はお前の隣にずっと居て知っている。それが今の、“お前”だからだ〕」
ベルシーは、俺に対して何も言い返さないで大きく舌打ちした。
「〔お前から聞いて、調べてみたんだけどよ。タナカの病気は環境因子以外の“遺伝性”でも起こりうる物だった。つまりタナカが病で倒れたことが外に漏れたら“兄弟達が経営している会社の信用も落ちる”。施設送りにならずに在宅で療養していたのは――会社の体面を守るために、外部に一切知られたくなかったからじゃねえのか?〕」
「〔事前にタナカさんから聞いていた話を統合すると……その可能性は高い……が――お前、よくそんなことに気づくもんだな〕」
俺は初めて、ベルシーの方を僅かに向いて“笑いかける”。
「〔“えげつない発想”だ。ひょっとするとお前が“タナカさんの兄弟と、同類だからかも”な〕」
ベルシーが勢いよく席を立った。
驚く店主を片手で制してから、俺はベルシーから視線をそらして、ぐつぐつと煮える眼前の鍋を見つめた。
「〔……お前は怒って、先程この世界の中で俺の足で蹴っ飛ばした。だけどな――――今の俺の怒りはそんなもんじゃない。――わからないか? 俺は今、“大切な友人を侮辱されたことに対して怒っている”んだ。お前を――現実世界で直接ぶん殴ってやりたいくらいにはな〕」
「〔………………テメエの生き方すらロクに決められてねえような半端なヤツに――――ただ隣で見ているだけのヤツに……そんな度胸があるのか? やれるもんならやってみろよ!〕」
立ったまま息巻くベルシーに向き直らずに、俺は店主に差し出された飲み物を受け取って黙って一口飲んだ。
「〔………………いや、殴るのは辞めにしたよ。お前に怒りをぶつけるのもやめにした。――――“そっちの方が効く”〕」
ベルシーは、俺がいつまで経っても自分に対して向き直らないことに苛立ったのか、舌打ちをしながら乱暴に席に座った。
「〔なあベルシー。俺は、金を稼ぐことそのものが悪いとお前に言うつもりは毛頭ない。だけど――今回の件で良く分かったよ。お前の主張や、やり方は度を越している〕」
「〔オレが……間違っているっていうのかよ。“劣徒”の言い分が、タナカの生き方が……正しいって言うのかよ……〕」
「〔何が正しいのかは――今の俺には断言できない。だけど、今のお前の心は……我利我利にやせ細っているように見える。“金持ちでも心が貧しい”っていうのは――虚しいことじゃないのか?〕」
俺の言葉に、ベルシーはしばらくの間黙していた。
「〔――クソムカつくぜ……タナカの野郎。最後まで何も言わずにやりきってやがった……。任せていた仕事をやらせるつもりがよ……。裏で、本当は全部仕事をきっちり終わらせてやがったんだ。仕事の評価も――できず仕舞いで、いきなり居なくなりやがってよ……。何も言えずじまいで終わっちまった〕」
「〔あの人は“そういう人さ”。最後までやりきってお前は今、どんな気分だ?〕」
「〔今になって――――――吐き気がしたさ。胸糞悪ぃよ………………クソッタレが……だけど……だけどな…………オレは――他に“やり方”を知らねえんだ。だから今更、後には退くつもりはねえからな!〕」
「〔――“本当にそうするべきだと思っているのか?”〕」
「〔――――あ?〕」
威圧気味に、ベルシーが俺の横顔を見つめて来る。
「〔タナカさん。お前に“感謝”してたぞ。言い方は雑で、扱いも乱暴に見えるけど、なんやかんや『自分の為になるようなことを考えて仕事を組んでいる』ってな。契約が終わった後も、『自分一人でやっていけるくらいには仕事を教わっていて』、事件解決の為の『時間的な猶予も作ってもらっていた』って。それに、お前はずっと汚いやり方で金を稼ぐことに執着しているみたいだが――〕」
俺は、この日初めてベルシーとゴーグル越しに視線を合わせた。
「〔――――なんやかんやどっかでブレーキかけていて、お前言うほど儲かっていないだろ? おそらく、まっとうに稼いだ金の方が資産の大半を占めている。隣でずっと見ていてわかるよ。お前の“吸血ビルド”と同じだな。『自信満々だけど実績が伴っていない』。他人を利用したり、手を汚すやり方、本当は向いてないんじゃないか? ――お前には〕」
視線が合ったのは本当に僅かな時間だった。
ベルシーは即座に目線を逸らして前を向く。
「〔うるせえ……。うるせえよ……………………劣徒には――謝らねえぞ。今のオレには、あの場で他に言えるようなことは無かった。オレは我を通した。ただ、それだけだ!〕」
「〔ああ――そうだろうな。今までのお前なら、きっとあの場では“そう言うのが正解”だったんだろう〕」
これ以上長居するつもりはなかった。
店主に対してゴールドを支払う素振りを見せるとベルシーが俺を引き留めた。
「〔待てよ……オレが誘ったんぜ? 代金は、払わせろよ〕」
「〔……その金は、どうやって稼いだ金だ?〕」
ベルシーが黙り込む。
俺が二人分の支払いを終えて外に出ると、ベルシーが後を追いかけるように屋台から出てくる。
「〔おい――待てよクリア!〕」
呼び止められても、俺は振り返らない。
黙って空を見上げる。
真っ暗な夜だが、もう雨は降っていない。
曇り空もすっかり消えていた。
「〔ベルシー……ひょっとすると、お前のやり方でいつか現実でも成功するかもしれない。だけど――そうなったら今後、俺はお前を心底軽蔑し続けるだろう〕」
俺は言うだけ言って、チームの家に向かって歩き始める。
「〔オレ自身が――わからねえんだよ。“どうすればいい”のか……。オレは、これからどうするべきなのか……どこに向かえばいいのかわからねえんだ……〕」
数秒間だけ足を止めて、それから振り返る。
“お手上げだ”とばかりに軽く両手を挙げて、俺はベルシーを見つめた。
「〔………………さぁな。俺にも、お前がどうすればいいのかさっぱりわからない。お前の生き方を――今までのやり方を否定できるほど、立派な人生は歩んでいないからな。これから先お前がどうするのかは――お前自身で決めろ〕」
結論の出ない――煮え切らない会話が終わる。
俺はベルシーに背を向けて、チームの家に向かって歩いていった。
自分から離れていく足音が聞こえる。
きっとベルシーは、俯いたまま逆側に――城下町の方に向かって行ったのだろう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『そんなことが……あったんですか……』
――なあレット、“非嫡出子”って言葉を知っているか?
『と、突然なんですか? そんな言葉……オレ聞いたことが無いです』
“お前はそうだろうな”。
非嫡出子っていうのは、結婚していない――法律上の婚姻関係が無い男女の間に生まれた子どものことを言う。
それが良い悪いかは置いておいて、俺達の生きる国ではまだまだ珍しい概念だろう。
全員が全員ってわけじゃないが、社会で大きく成功した人間は権力を持つようになる。
“権力を握ると、人は意地悪になりやすくなる”。
権力を持った結果、ルールを捻じ曲げて往々にして無茶をするような人間が世の中には沢山いる。
ベルシーの親父も、社会的な権力を持っていて無茶をする男だった。
アイツは……ベルシーは――父親と愛人の浮気によって出来た“不義の子”なんだ。
だから、戸籍の上では父親が存在していないことになっている。
『えっと……じゃあ、つまり――ベルシーは父親に捨てられたんですか?』
いや、捨てられたわけじゃない。父親自身がアイツの存在を知らなかったんだ。
『じゃあ、家にはいつもお母さんしかいなかったんですね』
……“家に居ればまだよかった”んだけどな。
アイツの母親は貧困による教育の欠如か、自分を助けてくれる人間がどこにいるか学ぶ術も、知恵もないような人間だったらしい。
ただでさえシングルマザーは大変なのに、子どもの権利である養育費を父親から請求するようなこともしなければ、子どもの存在を認知してもらうようなことすらしなかった。
『あの――良いんですか? さっきから、オレにそんなことを話しちゃって……』
アイツは、自分の“個人情報に価値なんて無い”っていつも言っている。
だから、問題ないんじゃないか? 少なくとも、アイツの中では。
自分自身の過去から逃げていないのさ。
そういう意味では、アイツは……俺よりもずっと強い人間だ。
『……クリアさん?』
……ただの独り言だ。気にするな。
とにかく、お前にだけは話すべきだと思った。
俺は曲がりなりにもアイツの友人として――お前に、あの男の来歴を知って貰いと思っている。
とにもかくにもベルシーは、俺に会うまでに地獄みたいな幼少期を送っていた。
母親は元から精神を病んでいたらしくて、ベンゾジアゼピン系の――要は強い睡眠薬を若いころから医者から処方されていたらしい。
大分昔に訴訟が乱立していて、現在では余程のことがない限り処方されないような――強い薬をだ。
それで、まだ赤ん坊だったアイツの泣き声がうるさいって理由でその薬を小さく小さく砕いて牛乳瓶に混ぜて与えてたんだ。
それを頻繁に飲まされていたベルシー曰く『母親から抱きしめてもらったことなんて一度も無かった』んだとさ。
『……………………』
傍から聞いていて、俺も最低な親だと思ったよ。
アルコール中毒に陥るまで飲酒をしていたらしいし、子どもの寝室でも煙草をガンガン吸っていた。
だから、アイツは現実でも背が低い。
ま、そんなことを気にする人間は居ないし。『そんなコンプレックスは他の長所で吹っ飛ばしてやるよ』って、アイツはよく言っているけど。だから、ゲームでも堂々と背の低いキャラを選ぶ。
――あいつは強いヤツだ。
睡眠薬も、一時期は依存が抜けなくてな。未だに相当苦しんでいる。
本人の精神状態も相俟って、全身麻酔の補助に使うような強い薬を常用していた酷い時期もあったくらいだ。
『そんな環境で……よく、今まで生きていられましたね』
いや、一度は本当に死にかけたらしい。確か――アイツが小学生の頃だ。
結局アイツは自分の命を守るために、寝ている母親を――麦茶の容器で思い切りぶん殴ったんだと。
奇跡的に大事にはならなかったが、そんな事件を起こして初めて、父親がベルシーの存在を知った。
そうして父親が、アイツを強制的に救い出した。
『それで……ようやく、普通の生活が出来るようになったんですか?』
………………………………。
『あの――クリアさん?』
いや――そうだな。それからしばらくの間。アイツの人生は幸せの絶頂期だったんだと思う。
元凶とはいえ、自分を救ってくれた父親の姿は、幼いアイツにとって強く賢く見えた。
死の淵から脱したアイツは裕福な父親の元で、ようやく人生に希望を見出せるようになった。
父親には別の家庭があったから、仕送りで一人暮らしをすることになってしまって――それでも、食うには困らなくなった。
――といっても、母親はよりにもよってそのタイミングで父親に多額の慰謝料を請求したらしいから、アイツ自身は細々とした生活をすることになってしまったらしいけど。
そして、自分の人生が好転した矢先にアイツは知ったんだ。
自分を幸せにした金の出所は“他人の命を吸ってできた金だった”ってことに。
アイツの父親は“人材派遣会社の社長”だった。
当時は、規模がでかくて客観的に見ても悪辣な会社だった。
発展途上国の人間をどれだけ安い値段で奴隷のように使い潰すかを考えて、デカくなっていったような会社だった。
人材の派遣先も酷くてな。
海外で、子どもの労働を強制していたり。
周辺の環境を汚染して、周囲の人の生活を奪ったり。
競争のために現地の食品の価格を釣り上げて貧しい人間を飢え死にさせたり。
心の弱い人間から金を搾取したり。
そういうことを平気でやる企業ばかりに、アイツの親父は奴隷みたいに外国人を送り付けて肩入れしていたのさ。
『他人をさんざん犠牲にした上で手に入れた金』
それによって自分が生き永らえてしまって、人生に希望を得てしまったことに罪悪感を持つようになった。
それでも、アイツは尊敬していた父親を信じたかったんだろうな。
だから、“父親の生き方が世の中の本質”なんだと信じるしかなかった。
全ての元凶なのに、自分の救ってくれた父親の生き方をどうしても否定することができなかったんだ。
以降アイツはそういう生き方が正しいと“必死に思い込むようになった”。
アイツ自身に罪は何もないはずなのに、もう後に引けないと――自分の生き方がそれしかないと“思い込むようになってしまった”。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「実はな――アイツがこのゲームを始めた理由が“それ”なんだ。『自分にはそういう生き方しかない。他人を搾取して、冷たくならなきゃ人は生きていけない』。そう思い込んで、『冷酷に他人を使い潰すための“練習”をしようとしていた』んだ――この世界の中で、ずっとな」
「そう――だったんですか……」
「その結果アイツは、寝ている時でも起きている時でも“自分の血肉に他人の血が混じっていく悪夢”にずっと魘されている。だから、未だにいい年して“抱きしめられるぬいぐるみ”と、“睡眠薬”がないと――現実世界だろうとゲームの中だろうと眠れないんだとさ。……最も、ぬいぐるみの方は虚しくなって衝動的に何度も何度も破いて捨てちまうらしいけど」
「そんなに苦しいなら……止めればいいのに」
「それがどうしてもできないから困っているのさ。そして、そんなアイツも……………………今回の件は、なんやかんや相当堪えたらしい」
「………………ベルシーは、今どこに居るんです?」
「煮え切らない態度のまま、チームから出て行ったよ。フレンド登録も、現実世界での連絡手段も全部切っちまった。そうして、いなくなる直前に――」
俺は眼前の石碑を見上げた。
「この土地を“綺麗な金”で買って、石碑を建てた。それでアイツはほとんど“全財産を投げてしまった”んだ」
レットは項垂れて、地面を見つめる。
「話を聞く限りだと……ベルシーの言っていた汚いやり方って――ベルシーには……あんまり向いてなかったのかな………………」
「そうかもな――」
俺は立ち上がって、石碑に歩み寄る。
「――どういう意図があってアイツをこれを建てたのかはわからない。でもな、アイツ自身もきっと本当は迷っているんだ。本当に冷徹だったら、他人を使い潰す“練習”なんてせずに、現実でさっさとやればいいのさ。でも、やっぱりそれがどうしてもできない。自分の生き方が正しい物だとは――心の底では信じていたくはないんだろう」
そうしてそのまま、振り向かずに背後のレットに呟く。
「レット……あいつを“許してやってくれ”とは言わない。それでも――周囲に振り回された挙句、冷たい生き方を選ぼうとした“不器用な人間が居た”ってことだけ、覚えていてくれ。心の底ではきっとそれが良くないことなんだって、アイツも心の底ではわかっているんだと思う。どこかで悔いて、迷っていて――だから、この場所にこの石碑が建ったんだと俺は思う」
「ベルシー…………早まったこと……したりしないですよね?」
恐る恐る呟くレットの言葉に、俺は軽く笑ってみせる。
「心配するなよ。アイツの我はとっても強い。とんでも無く頑固で、だから“苦しみ続けていられる”。自殺なんかとは最も無縁の人間だ。そして、そんなアイツも今回の件で、きっと自分自身と向き合って――新しい生き方を見つけてまた戻ってきてくれるはずさ。それが――――――いつになるのかはわからないけどな」
「わかりました。じゃあ………………オレ――“信じてみようと思います”」
あっさりとそう言い放つレットに驚いて、俺は振り返った。
「だって――――――他ならぬタナカさんが、『本当は優しい』って、ベルシーのことを言っていたから……」
「………………優しいかどうかは、俺からしても怪しいところだが――」
軽く笑って、俺は再び前を向く。
「本当に――“そうだと良い”な」
レットが立ち上がって、丘を登って俺の真横に立つ。
ゴーグルをつけていても、丘の上から見える夕日が眩しかった。
レットは俺の横で、微動だにせず石碑を見つめていた。
「……俺は一旦、チームの家に戻るよ。まだ、やらないといけないことが山積みで、時間的な余裕がほとんどないからな。レットはどうするんだ?」
「オレはまだ……ここに居ます」
「――――――辛くないか?」
「さっきよりは、ちょっとだけ――楽になりました。まだ……とっても悲しいけれど――オレ……タナカさんがしてくれたことをちゃんとこの場所で……思い返さなきゃって……思うんです………………」
「そうだな。――それは、“本当に大事”なことだ」
レットの肩を叩いて、一人で丘を降りていく。
「夕日が落ちて夜になったら、俺もここに戻ってくるよ。一緒に、タナカさんのことを話そう。話して……二人で思い出して――――今日は過ごそう」
「でも――クリアさん、ずっと寝てないんじゃないですか?」
「……馬鹿言えよ。今のボロボロになっているお前を放って、一人でさっさと寝てられるか。それに、今日は寝ようと思ったって、眠れやしないさ。――俺だけじゃない。きっと、今日はチームのメンバー全員にとって…………長い夜になる」
レットは消え入りそうな表情で、小さく頷いて自分に背を向けた。
俺は立ち去ろうとしたが、再び足を止める。
消えて無くなってしまいそうなレットの小さな小さな背中。
それが脳裏に焼き付いて、不憫で不憫で仕方なかった。
「そうだレット。“思い出す”といえばさ――」
俺は、タナカさんが最期にしていた表情を思い返した。
「……タナカさんのあんな笑顔、俺は……初めて見たよ。あの人きっと、本当に幸せだったんだと思う」
レットが俺に振り返る。
「幸せ――ですか? タナカさんが……………………」
「――ああ。タナカさんはこの世界の中で人の優しさに触れて、“可能性と希望”を得たんだ。そして、自分の納得いくように、残された時間で人生の本懐を見事に成し遂げた。あの人は最期まで他人に寄り添いつづけて――多くの人の生き方と……人生そのものを変えてみせたんだ」
「――だからな。そうして…………そうやって――皆に“優しさと希望”を与えていたタナカさん自身が、この世界の中で――きっと誰よりも救われていたんだよ」
レットが小刻みに震える。
それから、俺に対して背を向けた。
「……クリアさん」
「――何だ?」
「元気が出たって言った矢先に………………ごめんなさい。あの時みたいに……ハイダニアで、雨が降っていた時みたいに……ゴーグルを………………オレに貸して貰えませんか?」
俺はレットに背を向けて呟く。
「――――――嫌だね。貸し出しは、もうしないことにしたんだ」
「ど………………どうして………………ですか………………」
「――俺は意地悪なヤツだからな。“今は外せない”し。ここの夕日は、俺のような人間には眩しすぎる。……それに、お前をずっと隣で見ていて――考えを改めた」
俺は、そのまま丘から降りていく。
「お前には――本当に辛い時。涙を隠すような大人になってもらいたくない」
レットは、俺の前で再び泣き始めた。
辛い辛い我慢が終わった。
これでようやく、きちんと泣いて――前に進むことができる。
レット自身の心の平生の為に、そして――タナカさんの為に。
大丈夫。俺は心配していない。
今まで苦難に立ち向かってきたレットなら、きっと必ず乗り越えられる。
そして、あの人の傍にずっと居たレットだからこそ。
これからも前を向いて、進んでいけるだろう。
俺は、離れた場所からもう一度だけ振り返る。
眩しすぎる光景に、思わず目を細めながら――
(タナカさん――――――本当に、本当にありがとう)
――心の中で感謝の言葉を述べてから、夕日の光を浴びた丘の上の石碑に向かって、深々と頭を下げた。