第三十七話 その時代を生きる彼らの戦い
島の中央の森の中で――少年の姿になったイートロが、何かを見つけて逃げるように走り出す。
「――待って……待ってください」
それを、タナカが必死になって追従する。
二人は走り続けて――木々の生えていない広場に出た。
「……何を――」
普段の自分と同じ格好故か、イートロはケパトゥルスの時のように低い声が出せていなかった。
「――何をしに来たのさ! ――僕から………………僕から離れてよ!!」
「アナタに、一人の人間として。“戦い”を挑みに来ました。……“話し合いという戦い”を――しに来ました!」
タナカはそう言って持っていた剣を自ら、投げ捨てる。
それは、自分に敵意が無いことを証明するための行動だった。
「……い……今更――――――」
そう呟いてトヴが唇を噛みしめて――使い慣れていないプリ―ストの魔法をタナカに向かって放つ。
「今更――――――――なんなんだよ!!」
小さな盾でタナカがそれを真正面から受け止める。
ダメージが入ってタナカの体力が僅かに削れる。
「どうせ……僕が――あんた達の邪魔になるからって………………今更になって……何とかしようとしているだけのくせに! ――そんな……そんな虫の良い話があるか! 僕には……僕には何も無い! 何も……………………何もないんだ……………………僕は――もう“何も信じない”! “信じられない”!!」
「――話を聞いていただけませんか。私の…………話を」
イートロが叫びながら、攻撃用の魔法を連発する。
タナカは盾を構えながら、それを真正面から受け止め続けた。
小さな盾の一部が欠けて、受け止めきれないかった魔法がタナカの全身を焼いていく。
耐えきれず――タナカは一瞬、片膝をついた。
「誰にも……誰にも――わからないんだよ! わかるわけない! “今の、僕の気持ち”なんて……………………誰にも!」
「――お願いです。私の話を、一度だけ聞いてください」
再びタナカが立ち上がる。
剣を捨てたばかりの片腕を伸ばしながらゆっくりとイートロに近づいていく。
「この男の――――タナカマコトという小さな男の話を、あなたに聞いてほしいのです」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろォォォォォォオオオォォォォオオオオ!! お前が歌うな!! 俺様の背中で呟くな! 何も思い出したくねえ!! 誰も"俺"を見るな! 来るんじゃねえ! どこにも逃げられねえ!! これ以上、背中で歌うのは――やめろやめろ止めろ辞めろ病めろヤメロヤメロヤメロオオォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ジョーは、誰も居ないフィールドの開けた場所で叫んでいた。
――叫び続けていた。
背後に張り付き続けている絶望に耐えかねて、発狂しながら叫び続けていた。
理解できない多数の視線がジョーを監視していた。
しかし、そこで――突然ジョーの、“背中の重し”が外れた。
「――――オオオオオオオ――――――――――――――お?」
ジョーの身体が軽くなる。
背後の気配が消える。周囲の視線が一斉に消える。
それまで、背中で鳴り響いてた呪詛のような声も聞こえない。
「終わった――のか?」
ジョーは勝ちを確信した。『俺様の勝ち』だと。
かつての戦いでジョーに対して行われた“最悪の攻撃”。
それに打ち勝ったことを理解して、ジョーは大声で叫ぶ。
「勝った……勝った――俺様は――勝ったんだあああああああああああああ」
同時に、狂いかかって失っていた“自分自身のこと”を段々と思い出してくる。
(後は……この糞みたいな背中の“重し”を乗せた張本人に復讐してやるだけだ。俺様は思い出さなきゃならねえ。俺様をここまで追い詰めた男の名を。思い出して復讐してやる。復讐してやるぜ!)
現実世界での常軌を逸したストーキング行為、精神を病む逃れられぬ呪詛のような付き纏いを受け続けているジョーの頭が、憎き仇敵の姿を朧げに思い出そうとしていた。
(思い出してきたぞ。そうだ。俺様は押し付けられたんだ。あの地獄みたいな悪夢みたいな存在を。あの野郎! クリ――)
「――――――――――――――――あ?」
ジョーが間抜けな声を上げる。
眼前に、何かが立って居た。
ビックリするほど明るい開けたフィールドの上に、異質な何かが立っていた。
その存在にはまるで、子どもが描いた絵日記の一ページに、真黒な黒線を乱暴に書きなぐったかのような――不気味な異物感があった。
その物体の“身長”は長く――身体が異常な長さに伸びていた。
頭部から、光沢の無い髪の毛が際限なく伸びていて――顔が全く見えない。
そして、その黒い物体の背後に、陽炎を纏って――たくさんの人形ようなプレイヤー達が棒立ちしている。
その存在には、手足がついているのでプレイヤーだと仮定することはできる。しかし、細すぎる手足が長すぎてプレイヤーだと断定することは難しい。
そして何より、今まさにジョーに近づいてきている――ストップモーションのような――激しいコマ送りが混じっているような不気味な動きは、人間に出来るような物では無い。
種族は分からない。装備品も、そもそも装備をしているのかすらわからない。身体全体に真っ黒な色をした鉄やら石やら布やら縄やらテープのような多数の物体が、衣服の代わりにびっちりと全身に貼り付けられていた。
ジョーは雰囲気で理解した。
近づいてくるそれが、今まで背中に張り付いていた存在と“同じもの“だと。
そして、逃げ出そうとして背後を振り返って気づく。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
自分が最初から“開放”などされていなかったことを。
一時的に、“距離を置かれただけだった”ということを。
自分に纏わりついていた視線が再び復活する。
今までは、背後に纏わりついていた。
それがただ――“距離を取っての挟み撃ち”になっただけ。
そこで、ジョーはようやく理解する。
――――ここで自分が選べるのは、自分自身の進退ではない。
“どっちの魔物に食い殺されるか”ということだけであるという事実を。
眼前の新たな脅威が、大きく手を広げている姿勢のままジョーの目前で足を止め、おじぎをするように上半身を折り曲げて、長髪に覆われた顔だけをゆっくりと近づけてくる。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
背後の呪詛がどんどん近づいてくる。
ジョーを中心に、地獄の住人たちによる凄惨な潰し合いが始まろうとしていた。
しかし、ジョーは叫び声など一切上げなかった。
「………………………………………………………………………………………………」
自身の末路を完全に理解して、全てを諦めたその瞬間――男は、完全に無表情だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
《例の作戦は……無事に……終わったわよ。クリアさん達は、今チーム会話に居ないわよね?》
“魔王とのやり取りを終えたこと”を間接的な表現で、ケッコがチーム会話で呟いた。
《心配。すんなや》
テツヲがチームの部屋を見渡す。
《この会話には。“あの時、居間にいたメンバー”しかおらん》
《それで――》
壁に寄りかかって話を聞いていたリュクスが帽子の鍔で自分の顔を隠したまま呟く。
《――貴公。魔王との会談はどうだったのかね?》
《本当に――“最低最悪”だったわ。私が雨具もなしに飛び込んで来たせいで、魔王が私に色んな質問を飛ばしてきた。自分の過去の挫折と失敗に来歴と今の仕事とついでに性癖まで全部全部話すことになったわよ。――でも、変に着飾らないのが逆に良かったみたい。嘘偽りなく魔王にぶつかって事実を伝えることはできたから。――業者の情報と交換条件を伝えたら、アイツ大喜びしながら二つ返事で"自分が直接サーバーを移動して全力で情報毟り取る"って――本当にイカレてるけど、かなり期待できるわ。今頃あっちのサーバー、きっと凄いことになっているわよ。『都市のど真ん中に二大怪獣がいきなり召喚されて殺し合いを始めた』みたいな、地獄絵図になってるかも。魔王の連絡先はチームの家宛てにしたわ――リーダーはロクゴーさんを呼ぶ準備をしておいて!》
《もうGMコールは。してあるわ。ロックが今――この場におるで!》
《じゃあ、情報を受取り次第ロックさんがすぐに動けるってことね♪》
《はい。問題はありません。捜査の令状はすでに出ていますから。後は得た情報を、どのような形で警察に繋げて彼女を救うかです》
《運営会社と警察は。きちんと連携できとんのか?》
《………………誰がどう見ても連携なんざ欠片もできてねえだろ》
テツヲの無理解に対して、呆れた様子でベルシーが呟く。
《あの餓鬼は“オレ達が未だに面倒見てる”んだぜ? 運営の方は『ゲームと事件が密接に繋がっていない』ことを主張し続けているに違えねえよ》
《そうですね。加えて、フルダイブ技術が一部“ブラックボックス”になっているため“アクセスを辿ってもわかるのは大まかな地域のみ、具体的な住所がわからない”となった時点で警察はかなりの手詰まりになっていたようです。件の少女が雪山に向かっていた頃、私は警察と運営会社の激突の最中に居ました。『具体的な住所がわからないことはないだろう』と警察が問い詰めて、こちらは『技術的にわからない物はわからない』といった返答をただただ繰り返していたわけです》
《なるほどな。お前もほとんど。当事者みたいなもんやからな。板挟みになって。きっと辛かったやろ》
テツヲの労いの声に、ロックがほんの僅かに表情を曇らせた。
《そう…………ですね……あの頃は――私も心底疲弊していました》
《結局、警察は“現実で動くのが当たり前”で、『ゲームやテクノロジーに対する理解や対応』も遅れているままってことかよ。“ゲームの中でただの一般人が、直接監禁されてる餓鬼を介抱している”だなんて、知っちゃいねえ。もし知っていても、理解もできねえだろうし、夢にも思ってねえんだろうな。運営の方は運営の方で、未だに隙あらばあの餓鬼をゲームから追い出そうとして、隠し通そうとしているんじゃねえの?》
《――そうです。実のところ、運営会社は緊急のメンテナンスを経由して少女のゲームへのアクセスそのものを一時期停止させようとしていました》
《んで、消えてしまっても“俺らは何にも知りません”って言い張って、テツヲの脅迫を免れるつもりだったんだな。相変わらず、汚いやり口で感心するぜ!》
《でも。そうはならんかった。なんとなくやが――きっと。それもお前のおかげなんやろ。ロック》
《――はい。私は運営会社の事件対応の部署ではなく、“開発チームの少数のメンバー”に、直接裏から便宜を図りました。社内の命令を無視してもらうことで、理不尽なメンテナンスを遅らせていたわけです。彼らのおかげで、緊急メンテナンスを延長することに何度か成功しています》
《やるじゃない。それに、開発チームの人って結構人情あるのね》
《運営会社も一枚岩ではない――か。しかし、社内は今頃大混乱であろうな。――そのような混沌の中、貴公はどうやって“警察を使ってあの少女を救う”つもりかね?》
リュクスの質問を受けて、ロックが腰の後ろに両手を組む。
それはGMとしての基本的な立ち方だった。
《今回行うのは、過去最大級の“強硬手段”です。私のやり方に理解を示してくれた警察の関係者が居ます。私と彼は、運営会社と警察の隙間を縫うように裏で連携を取り続けて、独断で調査を行った挙句――情報を共有しているような状態です。ゲーム内から具体的な住所を特定することが出来れば、直接彼女を救出するために彼が現実世界で動いてくれるでしょう》
《い、いやお前――情報の共有って警察が個人でやっているなら重大な守秘義務違反だろ! その上、ゲームに対して理解が得られないからって私権で近場に居る人間を動かすつもりかよ? 確かにやり方として上手く行けば、速攻であの餓鬼を救えるだろうけどよ――流石にやべえんじゃねえのか!?》
《協力してくれている警察関係者は、最低でも懲戒処分は免れないでしょう》
《ば……馬鹿言えよ! そんな馬鹿げた自己犠牲に走る連中がこの世のどこに――》
《――――――――居るわよ》
チームの会話で、ケッコが呟く。
《――きっと居るわ! “居てくれるはず!”》
力の籠った声に、ベルシーが威圧されたのかげんなりとした表情をした。
《私も最早越権どころの話ではありません。買収などはしていませんが、この方法であの少女を救えば、同時に『ゲームと事件に深い因果関係があった』ことを会社側が認めざるを得なくなります。そうなってしまえば、警察の運営会社に対する追及も免れません。私が懲戒免職になる可能性も高いでしょう。しかし――それこそが、このチームに在籍して見つけた――私の、この世界における監視者としての在り方だと信じています》
「そうか――いよいよクビか」
突然、テツヲがロックに歩み寄って直接その場で言葉を紡ぐ。
「どうにもならんくなったら。オレの家に来いや。――住む場所くらいは。提供できるで」
その発言を受けて、ロックは姿勢を崩してテツヲを二度見した。
「………………それは一体、どういう意味でしょうか?」
「ああ。心配すんなや。誓っても俺はメンバーに。手なんて出さへん。オレの住んでる場所を丸々。貸すだけや。その間。オレは"路上生活するだけの話"ってことや。前にも。似たようなことを。やったことがあるで」
「……………………そうですか」
ロックは平生を取り戻し――
「“それならば、遠慮しておきます”」
――冷たい表情のまま僅かに顔を背けて、そう呟いた。
「オイ! お前それってどういう意味――」
二人のやり取りを見つめて、ベルシーが直接何かを言おうとしたが――――――背後からその口をリュクスが片手で強引に抑え込んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
精神的な疲労からかケッコはずぶ濡れのまま、地面に直接座り込んでいた。
よろよろと立ち上がってから背後を振り返と、たった今出てきたばかりの、魔王の家がそこに建っている。
その顔は憔悴しきっていた。
《――ったく。どいつもこいつも身の丈に合わねえような無茶ばっかやりやがってよ! ――オイ――デブ!》
唐突に、いつもの暴言がケッコに対して向かって飛んで来る。
《それで――お前は――今“どんな気分”なんだよ? 自分の過去とだらだら向き合って、テメエの意思でそれを乗り越えて、今どんな気分なんだ?》
《……そうね~》
ケッコが真っ黒な天を見上げる。
この瞬間にも天からは止め処なく雨が降っている。
《“雨に打たれる”っていうのも――――――――結構爽快かもね♪》
《……………………そォかよ。どいつもこいつも、自分が損するばかりのくだらねえ自己犠牲野郎ばっかりだぜ!》
ベルシーは吐き捨てるようにチームの会話で呟いて、それ以上ケッコに対して何も言わなかった。
ケッコは両手の指を重ねて――目を瞑って真っ黒な天に向かって祈る。
(私に“できること”はこれで本当の本当に全部よ。――――――――だから、お願いよ……………………お願い! 後は……少年――――――貴方が“あの娘の命を守ってあげて”!!!!)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
かくして、長い時間を経て――
――『ゲーム』の勝敗を決するべく、二人が出会う。
「結構な時間、探したぜ」
トヴがレットに語りかける。
――圧を感じさせる“全く別の声”で。
「他のプレイヤーがこのルートに居なくてよかった。目立つのを避けて装備を解除しなきゃいけねえからな。そうなりゃ、確実にクリアが自分のことを暗殺してくるだろう――と、思っていたんだが……」
レットはただ、トヴの前に立っていた。
肩幅と同じくらいに足を広げて右足を前に、左足を後ろに。
右手をだらりと垂直に垂らして、腰の鞘に刺さっている剣の持ち手にだけ左手を置いている。
いつでも身をかがめて――剣を抜き構えて――本気で戦えるような姿勢だった。
「長い時間かけて、作戦でも立てていたのか何なのかしらねえけど……まさか、こんな島の入り口付近で、逃げも隠れもせずに待ち受けていたとはな。お前――――――――今、“一人”なのか?」
「………………………………“違うよ”」
トヴに相対するレットが、小さな声で呟く。
「オレは――“一人じゃない”」
「――そうか…………………………」
しばらくの間。お互い何も言わなかった。
イートロがそのまま剣を取り出そうとして――
「やっぱり………………やる気なんだね」
――レットの言葉に、動きを止める。
「……自分とお前に――他に選択肢があると思っているのか?」
「戦いを……止めてもらうわけにはいかないかな? オレ達にも、事情があるんだ――」
「――知っているさ」
レットの言葉をトヴが遮る。
「雪山でアンタらと別れてから、ここに来る“直前”に事情だけを教えられちまった。……自分と似たような年の、似たような立場のプレイヤーが居る。ソイツが、自分の前に立ちはだかってくるってことは――知っていたさ。それが誰だかを、今の今まで知らされていなかったってだけだ!」
トヴは、レットを一瞬だけ見つめてすぐに顔を逸らした。
「だけどそれが――アンタ達であって欲しくないとずっと願ってた。この島でお前と会った時、嫌な予感がした。この島の中で知ったよ………………お前が負ければ………………あの雪山の時に居た、女の子の命が無いんだろ?」
レットは黙り込んでいた。
それは、無言の肯定だった。
「残念だけどな――今更、止まるわけにはいかねえんだよ。ああ――――――同情はするさ。――――哀れだとも思うさ!」
トヴの声が、段々と大きくなっていく。
「アンタらのことを、自分達だって……心底何とかしてやりたいと思う!! ――だけどな。だけど――自分たちには……もう他人のことを気遣えるほど……心に余裕なんかねえんだよ! 他人に優しくできるほど、自分の人生に――もう余裕がねえんだ!」
大きな声でイートロが叫ぶ間も、レットはトヴから決して目を反らさなかった。
「お前も…………知ったはずだ……」
涙ぐみながら、トヴが訴えるように呟いた。
「イートロは……この瞬間も世の中の不条理と理不尽に心を蝕まれ続けた。それでも『ゲーム』に勝てば、アイツの“最後の願い”だけは叶えられる。……アイツの怒りを届けるために……アイツが生きた証を………………残すために――例え……人の命が失われたとしても――自分はこのゲームに負けるわけにはいかねえんだよ…………………………」
「オレ達だって――何とかしたいのは同じ気持ちだよ。だから、タナカさんがイートロのことを、きっと今この瞬間もずっと説得している!!」
「できるわけがねえんだ! ――できるわけが!」
その悲痛な絶叫が、レットを動揺させた。
「お前らにアイツの気持ちはわからねえ――何ができる‼ そんなことは不可能だってことは、ここに居る自分自身が一番分かってるんだよ! アイツの心には自分じゃ寄り添えねえ! だからこそ――アイツの願いだけはせめて叶えてやりたいんだ!!」
辛い記憶を思い出して打ちのめされたのか、トヴが思わず膝をつきそうになる。
「だって、あんまり――じゃないか……。こんなのあんまりだ……救いなんてものはねえ! 自分も、イートロも! ただただ奪われ続けた‼ こんな腐りきった世の中に希望なんて無かった――絶望だらけだ!」
「優しい大人は――ちゃんと居るよ! ただ――ただトヴと、イートロの運が……悪かったんだよ!」
「そんな言葉――信じられるか!! “優しい大人”だと? そんなもの、今や空想の話の中だけだ! 偉そうに語るんじゃねえ! お前らの仲間だって――たかだかゲームの中だけの関係だろうが! 現実で会ったことのない連中を信じているお前が、イカレてるんだよ!」
「そんなこと――――――――そんなこと無いッ!!」
「いいや……いい加減理解したさ。この世のどこにもに、優しさなんてありゃしねえ! 自分達は、見知っている人間にすら見捨てられた! 寄ってくる人間は、どいつもこいつもクズ以下の口だけ野郎だった!! 自分のことしか考えてねえ……。薄っぺらい綺麗事ばかり並べ立てて装って――本当の中身は腐りきってる!! アイツの心はなぜ死んだと思う? ――誰も、助けなかったからだ! 本気で助けようとしなかった!! そうして――」
トヴが片足を上げて、足元の地面を踏みつける。
衝撃が起きて、砂煙が巻き上がった。
「――いつも寄ってくるんだ……困っている弱者に対して……………………信念の欠片もないような……………………目先の金を稼ぐことしか考えていないようなゴミみたいな連中が――どこからともなく蛆みたいに沸いてきて、自分達を徹底的に食い物にし続ける! 自分の人生は負け戦ばかりだ! やり返す力を……得る機会すらなかった! イートロはもっと酷い! 今この瞬間もアイツは失い続けている! ――だからこそ、俺は負けられねえんだ!! 自分はもうどうなってもいい! 玩具になろうが利用されようが――――――これから、どんな惨めな人生を歩んでも構わねえ!!」
ついにトヴが剣を抜いてレットに向けて構える。
「だけど――だけど――イートロがそうなるのは許せないんだ……残酷な大人達の玩具のまま――――――死なせたくねえんだよッ!!」
背中の六枚の羽根が、レットの前に立ちはだかる壁の様に大きく広がる。
「ここまで来れば――似たような覚悟を持っているアンタなら分かるはずだ。自分はこれから、当たり前のようにアンタらを――お前らを敵として――叩き潰すだけだ!」
その言葉で、トヴに対する交渉が決裂したことをレットは実感した。
「……そうかもしれない……世の中って冷たいのかもしれない。理不尽なことばっかりなのかも……」
そしてレットは、思い返す。
初めて仮想世界に立ったその日から今日までに起きた――現実の世知辛い出来事の数々を。
「そうだ。理不尽だよ……あの娘が置かれている状況も末路も――オレが任されたゲームにおける役割や――用意された結果とか――何もかも!」
レットが中腰になる。
「だけど、オレはそんな理不尽に屈したりしない! ――オレは……逃げないから! 信じているから! ――オレ自身と、ゲームで出会った人達の優しさと…………助けてくれた人たちの心の暖かさを信じていたから――――――オレはここまで来れた!」
腰から二本の剣を抜いてトヴに対して、構える。
「そうして今、“この場所に立っている”!」
「もう良い。話は必要ねえ――何の言葉も要らねえよ。“できる”っていうなら――証明して見せろよ、お前の目の前に居る、この理不尽な存在を――打ち倒してみせろッ!!」
(そうさ――オレは信じている)
「世の中、捨てたものじゃないってことを――希望と優しさがあるってことを――救いがあるってことを――オレが証明してみせるよ! オレ達皆で、“全部救って見せる”――乗り越えてみせるッ!! 行くぞ――――――Angelッ!」
戦いが、始まる。
片や――
周囲に裏切られ利用され続け、現実世界に絶望し――破滅の未来に向かってたった一人で戦い続ける者。
片や――
その夢と願いを何度も否定されても、世界に希望があると信じて――仲間を信じ力を合わせ、歩み続けようとする者。
両者が同時に駆け出した。
巨人の咆哮と、少年の絶叫が同時に鳴り響く。
神の如き巨人の振るう大剣と、少年の持つ両手の双剣がぶつかり合う。
レットの眼前に、“仰向けに寝かされた状態で振り下ろされたギロチン”のように、剣の側面を相手の大剣が滑り込んでくる。
剣を擡げて、頭を下げて――背後に跳躍しながらそれを勢いよく頭上にいなす。
ぶつかり合いの衝撃で巨大な音が空間に波紋を放ち、両者の間に火花が開く。
逃れた衝撃が波紋となってレットの背後の砂地に形を作る。
精神の集中によって凝縮された時間の最中、両者の視線がぶつかりあう。
天蓋の下で、彼らの最後の戦いが始まった。
【虐げられし者達の怒り(Anger of the oppressed.)】
未収録楽曲。世界観にそぐわなすぎた所謂“没曲”。
一時期実装前に公式HPで公開されていた時には『DLCクエストの最終決戦に使われていてもおかしくないような素晴らしいBGM』という評価がプレイヤーから下されていた。
作曲者は【Struggle!】を手掛けている某氏である。
当時の開発者インタビューでは『クノスティンツァ専用BGMを作って欲しい』と木場田氏から突然注文されたという経緯があった模様。
短時間の中、果たしてどういう技術で作ったのか、この作品の楽曲の中ではとても珍しく男女のフルコーラスが入っており曲調も激烈。
流れてから時間経過で“形態変化”のようにBGMのテンポが変わる。時間が立てば経つほどに、さらに速く、苛烈になっていく。
人間の強い念が籠った創作物には魂が宿るということを証明してみせた名曲であるが、同時にこれが“某氏の作った最後の楽曲”となってしまった。
当時の開発者のインタビューや曲のタイトル、作曲者の悲惨な末路などから『人権を侵害したり経営陣と癒着していた木場田氏に、軽んじられ精神を病んで退職していった作曲者の最後の怒りと恨みが籠っている』と考察したプレイヤーも居たほど。
この楽曲に纏わる騒動が原因なのかは定かではないが、その後木場田氏は更迭という扱いになり、この曲の本実装は“表面上は見送り”になっていたようである。
それ故に、木場田氏を今のポストに追い込んだ“止めの一撃だった”とプレイヤーには噂される。
基本的にエールゲルム上のどこでも決して流れないはずの“曰く付きの楽曲”だったのだが――
――しかし少なくとも『木場田氏の渡した“剣”によって変身したプレイヤーと、天蓋島嶼群内で相対した時には流れてしまう』ということが、“たった今判明してしまった”。
『なんかカッコいいから程々に流れるようにしておこう。タイトルがどういう意味かはよくわからないな。作曲者は、誰にイラついていたんだろうね? 可哀そうにねえ』