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VRMMOセンキ  作者: あなたのお母様
第三章 青空へ向かって
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第三十六話 “心”






















「――違いますよ」


二人のやり取りを、それまで隣でただじっと見つめていたタナカが――

今までずっと黙していたタナカが――そこで初めて、レットに声を掛けた。


「レットさん。――それは、違います。断じて、この世は地獄などではありません」


「タナカさん………………でも……………………でも、もうオレ。そうだとしか思えないよ――――――地獄だよ。オレは今、無力なんだ。オレの戦う理由なんて結局薄っぺらいんだ。だって――――――――――だって、もうどうにもできない!」


地面を伏せるレットの視界にタナカの小さな両足が映った。


「『目の前の困っている人を助けたい』。あなたが迷った挙句に、この世界の中でようやく見つけたその戦う理由は、決して間違いではありません。決して、捨てて良い物ではないはずです――どんなことがあっても!」


「“想い”だけじゃどうにもならないじゃないか! トヴはイートロの為に“同じ思い”で戦ってきたんだ! もう、ぶつかって――潰し合って――オレには負ける選択肢しかない! だってそうだ…………悲しいけれど……ぶつかってくるトヴの覚悟も実力も本物だ! イートロの……心だって――どうしようもないくらいに冷たくなってる!」


直後に、タナカがレットの肩に手を置く。


「それでも、人の心には、優しさという暖かさがあります。(ワタクシ)は、それだけを信じて、ここまでやってきたつもりです」


「――――――“優しさ”?」


「それは今のレットさんの心にも、既に宿っている物ですよ。イートロさんは、今の今まで運悪くずっとずっとそれを知ることが出来なかっただけです。そして、トヴさんは辛い思いをしているイートロさんに“引っ張られてしまっている”。だから――しっかりしてくださいレットさん。お話を聞いた限りでは、彼らの人生そのものが完全に終わってしまったわけというではありません。生きている限り、人は何度でもやり直せる。彼らは、まだ間に合うはずです。だから――――――助けましょう。デモンさんと一緒に、トヴさんも――イートロさんも!」


レットが顔を上げて、タナカに愚痴るように訴える。


「でも――どうやって? ……今のままじゃ……今のままじゃ戦いにすらならないよ……」


タナカが振り返る。

その視線の先には、首を垂れているクリアの姿があった。

そこで――











《――おい。聞こえとるか。クリア》


――チームの会話で"リーダー"の、地の底から轟くような声が響く。


《事情なんぞ知らんが。お前――今だいぶ。落ちこんどるようやな》


クリアは俯いたまま、顔を上げない。


《――俺は。ぬるま湯の様になよなよした世の中で。ただリーダーとして。自分のやり方を。矜持を守るためだけに。ゲームをやっとるような。ただの"気狂い"や。そんな気狂いが。これからお前に。"喝を入れる"理由が。お前にわかるか?》


クリアが俯いたまま僅かに口を開く。

しかし、言葉は何も出てこない。


《それはな――他ならぬ。お前自身が。俺に対して任せた役割が“それ”だったからや。俺の適材適所。きちんとお前が見据えて。俺の矜持を――在り方を。尊重して。くれたからや! だから――俺は。これからお前に。喝を入れるんや!》


テツヲの声に、クリアが僅かに顔を上げた。


《クリア。お前。よう思い出せ! お前にも。『自分で自分に課した"役割"』がちゃんとあるはずやろ! 男なら――男なら――――――――――――》


チームの会話に、息を吸う音が入り込む。












《《自分の決めた"役割"――――――最後の最後まで。きちんと果たせやアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああッ!!!!!》》







張り手を食らったかと誤解するほどの、とてつもない爆音がチームの会話で鳴り響く。

それはレットの身体の中が、揺れて視界が回転するほどの衝撃だった。

クリアは雷に撃たれたかのように身体を震わせて――


《…………………………………………………………ありがとうございますテツヲさん。“効きました”よ――――少しだけね》


それから呼吸することをそれまで忘れていたかのように、荒い息を大きく吐きだして――ゴーグルを外して、周囲を見渡した。


「もしかして――タナカさんがリーダーに連絡をしたのか!?」


「クリアさんも、大分落ち込まれているようでしたから。しかし、あなたを励ますのは――私の“役割”ではないと思ったので、こっそりリーダーさんに囁いて事情を話してしまいました。それにしても『役割を果たせ』ですか。成る程、良いことを仰られますね。対人の心得のない、足手纏いの(ワタクシ)の役割がようやく見つかったようですね」


「タナカさん。一体――何をするつもりだ?」


クリアの質問とともに――ほんの僅かな間だけ顔を出した日の光が、曇り空に取り込まれてしまうまでの僅かな間、レット達を不意に照らした。


(ワタクシ)がイートロさんを探し出して――希望を持てるように、お側に寄り添い。お話を聞いて――“説得”をしに行きましょう。彼が僅かでも――現実世界で希望を持ってくれるように」


「む……無理だよ。そんなこと、出来っこないよ!」


「あの少年に今一番必要な物は、人の心の暖かさです。今の(ワタクシ)なら――それを彼に与えることが出来ます。私がイートロさんを説得してみせます――――――必ず!」


タナカが自信を持ってできないことをできると言い張っているのが、レットには不思議だった。

それでも、タナカの表情には何の嘘偽りも無いように感じられた。

目の前の男が誰よりも誠実なことをレットは知っていた。


クリアは真剣な表情のタナカの横顔を、暫くの間じっと見つめていた。


「レット。……他に手はないと思う。タナカさんは、もう覚悟してしまっている。それに、俺は可能性がゼロだとは思わない。同じケパトゥルス同士、話が合うかもしれないし――――――――タナカさんと一緒に居ると気分が落ち着く」


理由になっていないような意見だった。

レットは、少ない可能性ながらクリアが“タナカに賭けた”のだと考えた。


「――――本当に………………本当にタナカさんを信じていいの?」


レットは涙を流しながら、縋るようにタナカをじっと見つめた。


「タナカさんを――――――“信じさせてもらって良い”の?」


「ええ――(ワタクシ)にお任せください」


タナカが両手を伸ばして、レットの右手を包み込むように掴む。

それから曇りない瞳でレットを見据えた。


「このタナカマコト。レットさんを決して、裏切ったりはしません。――(ワタクシ)のことを信じてください。この仮想世界の中で、ずっとずっとあなたの隣に居た――タナカマコトのことを今一度、信じてください」


目の前の男は自分に殴られても、決して反撃をしなかった。

パーティで揉めても、ことを荒立てずに不平など何も言わずに感謝をしてくれていた。

冒険の最中、レットがあわやという時に何度何度も手を差し伸べてくれた。

自分がピンチの時に、ずっと傍にいてくれた。無力でありながらも身体を張りつづけた。

お年寄り達にずっと接してくれていて。

一緒にデモンと冒険して、その間も何度も励ましてくれて、自分の話を何度も聞いてくれていた。

そんな自分の旅路にずっとずっとついてきてくれた優しい男が、“大丈夫”だと言ってくれた。


「わかっている――ずっと……ずっと信じているよ。オレがここまで来れたのは、タナカさんが隣に居てくれたおかげだから。今回も“信じるよ”。……ずっとオレを助けてくれたタナカさんが――優しいってことは………………オレが誰よりも知っているから。タナカさんが――イートロの心を救ってくれるって……オレ信じるよ」


「では――イートロさんのことは、私にお任せください。それが、私の決めた“私の役割”です」


タナカが立ち上がり、ゆっくりとした足取りでその場から離れていき――レットに対して振り向く。


「レットさん――――今まで一緒に、いろんな冒険をしてきましたね。パーティを組んで、大陸を渡ってチームに入って――皆さん実に個性的で、面白可笑しな方々で――それでも本当はとっても、お優しい方々ばかりでした」


「――――――ベルシーも?」


レットの素朴な質問を受けて、タナカが苦笑する。


「……えぇ、ベルシーさんもお優しい方ですよ。その心の奥底には優しさがあると、(ワタクシ)は確信しています。きっと――それを隠しているだけです。そんなチームの皆さんと一緒に冒険をしながら、一緒に事件に向き合って――仮想世界の中で手を取り合って。レットさんはわかっているはずです。どんなところにも人には“優しさ”というものが存在するということを。だから――レットさんはチームに居る皆さんのことも信じてあげてください。大丈夫です――全て上手く行きますから!」


そう言って、タナカがイートロが一人で消えていった森林に向かってよろよろと走り出す。

――再び太陽が曇った空に隠れ、周囲が薄暗くなる。

クリアは、タナカの走り去った方向をじっと見つめていた。


「“役割を果たせ”か……。喝を入れるのがテツヲさんの“役割”。イートロの心を生き返らせるのがタナカさんの役割――」


ゴーグルを外したクリアが地面を見つめる。

レットには、その目に生気が僅かに戻ってきているように見えた。


《……テツヲさんの“役割”についての説教で、俺が思い出したことが一つあります。実は今、敵の黒幕とコンタクトをしました。黒幕が出来る事と、俺達について知っている情報を改めて逆算すると、どこから俺達の情報が漏れていたのか、誰が“裏切者の役割”を果たしていたのか、なんとなくわかったんです》


《――何やと? チームに裏切者が。おるんかッ!!》


テツヲの凄む声がチーム会話に響く。


《情報を渡していたのは―――》


クリアが深呼吸して、チームの裏切者を追及するべく言葉を紡いだ。












《―――ネコニャンさん。…………貴方だったんですね》


突如明かされた予想外の裏切者の正体に、レットはかつてない衝撃を受けた。


(そんな――嘘だろ!? 信じられない! ネコニャンさんが内通者だったなんて!?)
























《――え゛っ゛っ!?!?!?》


虚を突かれたような間抜けな声が、チーム会話に鳴り響く。


《ネコニャ。……お前。裏切り者やったんか……。このチームでの。裏切りは――許さんで!!》


《そ……そんな。じ、じじじじ自分は知らんですにゃ! ほ、本当ですにゃ!! 信じてくださいにゃ! 自分は、ただの中年のおっさんですにゃ! そんなしょーもない悪事に、手を染めるような暇人なんかじゃないですにゃ!! ゲームやっていないたま~の休みにだって、昔の映画見たり~レトロゲームやったりとかー……あとは――――――え~っと、え~っと……たまにオーサカ城公園で“イカの塩焼き食べながら散歩したり!” “ハトに餌あげたり!” 泉の広場の置石の上で――“浮浪者のおっちゃんと仲良く麻雀うったりしてるだけ”の、ただのしがないオッサンなんですにゃ!!》


暫しの沈黙の後に――









――クリアが噴出(ふきだ)したように笑う。

それは、レットから見ても狂気といったような物が一切感じられない“いつものクリアの笑い”だった。


《――わかっていますよ。ネコニャンさんがどこまで行っても“ただのオッサン”なのは。ネコニャンさんが黒幕の手で内通者に“仕立て上げられていた”というのが正しいんです。黒幕(E・V)はこう言っていました――》






『人々のやり取りというものは、可能な限り“近くで見るのが好き”でね。今日は珍しく口出しをさせてもらった』





《――とね。そして、黒幕は『“機材の管理番号やログインの際に必要なアカウント情報を知っているプレイヤー間限定”で、遠隔でプレイヤーの中身を交換することができる』ということが先程明らかになった。これは、とてつもない“超技術”だ……。ひょっとすると、黒幕って“運営会社の関係者”なのかもしれないが――ここでの問題は情報収集の際に“誰と入れ替わっていたのか”ってことなんです》


《じ、自分と入れ替わってたってことですかにゃ? 機材の番号なんて誰にも見せてないですにゃ! アカウント情報だって――クリアさんの1000倍は流出してない自信がありますにゃ!!》


《…………違いますよ。ネコニャンさんは、恐らく意識せずに“黒幕と接して、情報を流してしまっていた”んです。ネコニャンさんは、雪山で俺に言いましたよね?》








『最近はじっちゃんばっちゃんの細かな変化も見逃しませんにゃ。例えばー、今日はいつも色々注文がうるさい“〇〇〇 △△”さんも、まるで憑き物が落ちたかのように凄く静かでじっとしてますにゃ。おひげも引っ張らんしー。これは"あにまるせらぴー"ってヤツが効いたに違いませんにゃ!』








《――ってね》


(ってことは……まさか、内通者っていうのは……つまり――)








《つまり、黒幕は“お年寄り”の一人に入れ替わっていたんですよ。近くに居たネコニャンさんだけが、違和感を覚えていたわけだ》


《うぐぐ……確かに自分はデモンさんのこととか、レットさんのこととかチームのこととか、ずっと爺ちゃん婆ちゃんの世話しながらチームメンバーと話をしていたにゃ……。言われてみるとあの時は、確かに一人だけ別人みたいな雰囲気でしたにゃ。落ち着きがあるし、こっちの話をじっと聞いていたような気もしますにゃ……》


《つまり、敵の持っていた一番太い情報網というのは即ち、あの場でネコニャンさんがしていた会話だったってわけです》


《――で、その情報が何の役に立つんですかにゃ!?》


《――やっぱり“うちのチームメンバーに裏切り者は誰も居なかった”ってことと。敵に漏れていた情報も、お年寄り達が居た頃までだったってことが明らかになりました。それと――ネコニャンさんの必死の弁解で“ちょっと気分が軽~くなった”。活を入れるのがテツヲさんの役割なら――落ち込んだ気分をリフレッシュしてくれるのがネコニャンさんの役割――かな!》


《ぐえーっ!! 勘弁してくださいにゃ! 結局ただの嫌がらせですかにゃ‼!》


ひとしきり笑った後に、クリアの悪戯っぽい笑顔が瞬時に引っ込んで、いつもの真剣な表情に戻る。


「クリアさん。今のやり取りって――」


「ああ――今の推理でもう一つ、確実にわかったことがある。俺達のチームの中に、E・Vに“まったく動きを把握されていないプレイヤー”。“別の役割”を果たすのに最適なプレイヤーが、確実に一人いるってことさ。今から、そのプレイヤーを呼び出して“お願い”をしてみようと思う」


「お願いするって――一体、何を⁉」


「――『デモンを現実で救い出すためのお願い』だ」


クリアが口を開く。

“その最適なプレイヤー”をチームの会話で呼び出そうとして――
















―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――













 時間は、そこから僅かに遡る。

チームの居間から護衛者として召喚という形でクリアが“消滅”してから、テーブルの上に置かれた栞を前にして、四人のメンバー達はしばらくの間黙していた。


「クリアのヤツ、戦闘に行ったっきりなかなか戻ってこねえ。そろそろ、こっちから連絡でも入れた方が良いんじゃねえの?」


デモンの部屋に続く扉の前に座り込んで、ベルシーが苛立ちを感じさせるような口調の――しかし小さな声で呟く。


「必要以上に。チームの会話で。割り込むんやない。クリアが。『ゲーム』の真っ最中だったら。どないするんや。ここで待っとれば。直に戻ってくるやろ」


「――しっかしよぉ。かなりの時間が経過しているぜ? アイツは召喚される直前に言ってたよな。『自分が、もしもすぐに戻ってこないようなことがあったら、その時は――』」


ベルシーがクリアが先ほどまで立っていた場所を見つめる。


「『今ここに居るメンバーの誰かに“先んじて動いて欲しい”』――そう言うつもりだったんだろうよ。“魔王”を使うってことを、クリアはチームの会話で提案しなかった。別部屋に居るワサビちゃんとネコカスを選外にして、この場にいるオレ達のうちの“誰か”に押し付けるつもりだったんだろうな。ま、適材適所って物がある。それに関しては同意するけどな――」


ドアの前から微動だにせずにベルシーは吐き捨てるように言い放つ。


「――あらかじめ言っておくが、オレは“絶対行かねえ”からな。誰が好き好んで現実(リアル)が壊れる覚悟であのイカレ野郎の魔王に交渉しに行くんだよ。クリアが魔王に躊躇なく会いに行けるのは“リアルバレを絶対にしない自信があるから”だ。即席の打開策だからって、何の前準備も無しに魔王にホイホイ会いに行く奴は、馬鹿を超えてアホだぜ。どうかしちまってる!」


壁際に寄り掛かるように立っているリュクスが、テーブルの上に置かれた(しおり)から目を背ける。


「………………残念ながら、吾輩ではその(しおり)を使うことはできない。仲介人が魔王に対して直接交渉をすることは魔王自身が規律(ルール)で禁止しているが故だ。そのような制約がなければ、今頃とうに魔王の元に向かっていたろうに……」


「――問題。あらへん」


テツヲがテーブルにゆっくりと歩み寄る。


「“俺が行く”で。前から魔王とは。キチガイ同士。タイマン張りたかったんや。現実(リアル)で揉めても問題ない。相手が人間なら。自宅を特定されようが、最悪ドスで刺せば。何とかなるやろ」


テツヲがテーブルの上に手を伸ばそうとしたが――そこに置かれていたはずの栞はいつの間にか消えていた。





















「――駄目よ。それじゃあ、意味がない」


メンバー達の視線が声の主に集まる。

いつの間にかテーブルの上から栞を掠め取っていたケッコが、廊下に続くドアの前に立っていた。


「テツヲさんはリーダーとしての“脅迫”は得意かもしれないけど、“交渉”には向いてないわ。交渉相手と揉めた時点で、あの娘を助けられる可能性はゼロになる。それに、テツヲさんはクリアさんに『落ち込むメンバーに渇を入れろ』って言われていたでしょ? あなたはリーダーとして、そこでデーンと構えていなさいな♪」


「――オイ、デブ。お前、その栞どこに持っていくつもりだ?」


「魔王には、私が交渉しに行くわ。……ケッコちゃん一世一代の大舞台ってとこよね~。こんなところで、二の足なんか踏んでられないもの。“どっかの誰かさん”とは違ってね♪」


言うだけ言って、ケッコが居間から出ていく。

煽られたことがよほど癪だったのか、ベルシーがケッコを追いかけて居間を出た。


「――待てよ!? お前如きが、魔王に会いに行って交渉なんかできるもんかよ! つーか、“一世一代の大舞台”だと? てめーが本来立つべき場所は土俵であって、そこで踏むのは二の足じゃなくて四股だろが!」


「……本当に、癪にさわる物言いばっかり。怒りで体温上がって温まっちゃうわ」


「“そのまま温まり続けてテメエの体脂肪も減ると良い”がな! つーか、デブのテメエが居るだけで部屋の温度の方が上昇するだろ。“温まる”のはてめえじゃなくて周囲の人間の方だぜ! それに、お前夜勤のバイトはどうしたんだよ?」


「――休むわ。お休みが欲しいって連絡したけど聞き入れてもらえなかったから――今日は無断欠勤ね。ほぼ間違いなく、クビになると思う」


「お……お前――馬鹿じゃねえのか!? “あの時した昔話の罪滅ぼし”のつもりか!? どこかの知らない会ったことのない餓鬼の為に、仕事をクビになるとか理解できねえよ!! テメエの生活が掛かってんだろが!!」


出入り口まで到着したケッコが、チームの家の玄関ドアを勢いよく開ける。


外の天気は、著しく悪かった。


既にゲーム内の時間帯は夜明けだったが、黒雲が太陽を遮っていたからか夜のような暗さだった。

そして――眼前には滝のような雨が降り注ぎ、玄関にまで雨粒が跳ねるほどだった。

ケッコは、その外の景色を見てから――ピタリと足を止める。


「…………………………ベルシー。やっぱり私。アンタのことが心底嫌いだわ」


「んなことたあ――最初に会った時から知ってるよ」


「だから、聞かれたくないような。自分の過去だって躊躇なく言えちゃうのかも」


「――あ?」


ケッコは振り返ることなく。眼前の闇を見つめていた。


「私ね。これでも昔――学校に通っていた頃は純粋に動物が好きだったの。私はデブで寡黙だからって理由だけで陰口叩かれて、よく虐められていたけど」


「――下らねえな。お前のことが気に入らねえなら、堂々とデブデブ言いまくりゃいいじゃねえかよ」


「そうね。――でも、人を苦しめる行為って、そんなに単純(シンプル)じゃない。私に手を差し伸べてくれる大人なんてどこにも居なくて、居場所なんてどこにも無くて。嫌で嫌で仕方なくってね。私は友達と遊ばないで、校舎の入り口に巣を作った燕の観察ばっかりしてた」


「陰気な趣味だが、悪くねえんじゃねえの。孤独を乗り切れば孤高に変わるもんヤツだぜ」


「独りぼっちじゃなかったわ。上級生の女の子が――一人だけ、ずっと一緒に私の隣にいたの。一緒に燕の巣を見て、私の好きな動物の話をしてた」


話の要領を得られず。ベルシーが眉を顰める。


「その女の子から――ある日突然“届け物”があったの。バレンタインデーの日に、靴箱の中に――ダンボールの小さな箱と手紙が入っていてね」


「話が見えてこねえよ。だからどうしたって話だろ。――下らねえ自慢話をしたいなら他所でやれ」






「ダンボールの箱の中に――――――――潰された燕の親鳥と雛鳥の死骸が入ってた」


ベルシーが黙り込む。

しばらくの間、玄関に雨の音だけが響いていた。


「『仲良くするフリをする罰ゲームだった』ってわけ。その子、不細工なデブと話すのが嫌で嫌で仕方なかったって言ってきたわ。流石にしんどくなって、その時の担任の年取った教師に泣きついたけど――『最初からあんな場所に燕の巣なんて無かった』ってはぐらかされた」


「……クソみてえな話があったもんだな」


「それで、元からおかしな人生がさらにおかしくなっちゃった。母親含む女性が全部嫌いになっていって――それでもしばらく読んでいたのは『少女漫画』だったのよ。でも、似たような嫌がらせがずっと続いて。普通の女の人を素直に好きになれなくなっていって、今の私みたいな――成人した妖精族みたいな……現実に存在しない女性以外受け入れられなくなっていた……。――気が付けば動物も“別の意味”で好きになっちゃっててね。ま、今はそれで満足しているけど♪」


一瞬だけ、ケッコがベルシ―に振り向く。

どこか寂しさを感じさせるような表情で笑っているケッコを見て、ベルシーが気まずそうに頭を掻いた。


「酷い顔をしているわけじゃないって、自分では思っていたつもりだったけど、それから悪口を言われすぎて自分でも自分の顔が普通なのか醜いのかも――わからなくなっちゃって。色んなものから目を背け続けて、逃げ続けて――そして、今この場所に“私が居る”」


「それで……お前のその過去がどうしたってんだ。嘆いて、テメエが今この瞬間、地を這っているクソみたいな現実が覆るのかよ?」


雨を見つめていたケッコが今度は俯く。

背中を見つめているベルシーからは、その表情を伺うことはできなかった。



「私――――ね。こんな風に大雨が降っていた日に………………ハイダニアの城下町で――ずぶ濡れになって落ち込んでいるあの少年を見かけたのよ……。あんまりにも落ち込んでいたから、気の毒で――――見て居られなくて、私――少年に言ったの。『ちゃんとした大人たちは皆、暖かくて優しい。皆で力を合わせて、きっとあの娘を救ってくれる。世の中そんなに冷たくない』って…………」


「その言葉、“今のお前”が言えたことなのか?」


「もちろん……言えたことじゃないわ。でも――私、あの少年には嘘をつきたくないの。世の中“捨てたもんじゃない”って、困った時には優しい大人が自分をちゃんと助けてくれるってことを――信じて、生きていって欲しいのよ。きっと、本当はきちんと居るはずなのよ。この瞬間にも、あの娘を助け出す為に頑張ってくれている大人たちが――――――――でも、このままじゃその人たちの行いも少年の中で、全部……嘘になっちゃう」


ケッコが背後のベルシ―に対して勢い良く振り返る。

その両の目から涙が零れていた。


「――このままじゃいけないのよ! あの少年には――――――辛い思いをしている人を、無関心に見捨てるような人間になって欲しくないの! 確かに私達のチームはロクデナシばっかりかもしれない! つまはじき者ばかりかもしれない! ――だけど、だからってあの娘の命が蔑ろにされて良いわけがない! あの少年が――落ちぶれて良いわけがない! そんなことになったら、私が私自身を許せなくなる!! だから――――――私が行くって決めたのよ!!」


ベルシーはケッコを見つめて、表情を崩さずに呟く。
















「――そうかよ。それがお前のこの世界の中での望みなら、好きにすれば良いんじゃねえの?」


「フム――成る程」


隙間が出来ていた居間のドアを開けて、リュクスが廊下に出て来る。


「聞かせてもらったよ。貴公が、この“雷雨の中を一人往く”――と、決心するには十分すぎる理由ではないか」


廊下を歩いてリュクスがケッコの前に立つ。


「貴公ならば――“俺は太っているから行かないけどね”――とでも、言うかと思ったのだが……」


「………………そのネタ、私には意味が通じないわよ?」


首を傾げるケッコに、リュクスが軽く笑う。


「――何にせよ。この暗い闇の中、冷たい雨に打たれながら一人で往くのは心細いことだろう。…………せめて、雨具を使いたまえよ。吾輩が、貴公にあつらえ向きの品を貸し出そうではないか」











「――必要ないわ」


ケッコが再び二人に背を向けてから、片腕で涙を拭う。

顔を上げて、雨が降る暗い闇を見つめる。






「こんな――――――こんな雨が――――――」


呟きながら、自分自身の拳を力強く握る。

そして――















「こんな雨が……………………………………一体、なんだっていうのよ!!」


――力強く叫んだ。

決意が、恐怖を上書きする。

踏み出せなかった一歩を、小さな身体がついに踏み出す。






ケッコは意を決して――――――――大雨の中を駆け出した。









―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――







そうして今、クリアが口を開く。

“その最適なプレイヤー”をチームの会話で呼び出した。


《――ケッコさん。俺から……あなたに“お願い”があります》


《クリアさんの話、ちゃ〜んと聞いていたわよ! “動くなら私が適任”よね。私だけが――あの年寄り共が嫌いで嫌いで仕方なくて、一度も近づいていなかった。“話にも出すな”ってネコニャンさんに言ってたくらいだから、もしも黒幕が入れ替わっていたことが事実なら今ここで動いて一番安全なのは“存在すら知られていない可能性の高い私”ってことでしょ? そういう冷たいことをしたツケが――ここで回ってきたのかもしれないけど♪》


《まさか――ケッコさん、既に俺の代わりに――》


《そっちが大変そうだったから――“勝手に動いている”わよ! “例の場所”に、まもなく到着するところ。こっちのことは私に任せて!》


既に動いていたケッコに対して感心したのか、クリアが虚空に向かって口笛を吹いた。


《とっても正義とはいえない汚いやり方だけど――でも、必ずあの娘を救う手伝いをしてみせるから! ――現地に居る三人は『ゲーム』に集中して!》


その言葉を聞いて、レットは拳を握ってからケッコ対して返事を返す。


《わかりました……オレ、ケッコさんのこと…………“信じてます”!!》


《――――――任せなさいな♪》


レットはチームの会話から抜けてクリアに振り返った。


「クリアさん。ケッコさんは、何をしようとしているんです?」


「……果たしに行ったんだ。“汚れ役”ってヤツをな。詳しくは、後で説明する……後があればの話だけどな。 ……なんにせよ、既に動いていてくれていたのは不幸中の幸いだ。このまま……“時間をある程度稼ぐ”ことが出来れば――――デモンの命を救える可能性があるかもしれない…………………………………………」


クリアがそこで沈黙し、レットは理解した。

――今、この場に居る二人に最大の無理難題が突き付けられているということに。

その中でも十全に戦える者が、レット一人しかいないということに。


「じゃあ……あとは、『ゲーム』の時間稼ぎすればいいんですね。これから始まるトヴとの戦いに――――オレが、負けなければ良いだけで……」


レット自身が、無茶苦茶なことを言っている自覚があった。“無理”だという実感があった。

かつてないほどの無理難題だと誰よりも理解していて、恐怖で身体が震えていた。

だから――震えたまま。自分にとって最も“信用ならず、しかし同時に最も信頼できる男”に対して頭を下げた。


「…………クリアさん。お願いがあります。あなたの“知恵”を――貸してください」


クリアは首を垂れて、しばし考え耽る。


「………………結論から言うと――トヴとの“戦闘を長引かせることは不可能”だろう。おそらく、今のお前では長時間耐えきることは難しい。言い切ってしまうと、絶対に無理だろうな」


レットが今度こそ打ちのめされそうになる。恐怖で膝の震えが止まらない。

しかし、どこまで行ってもレットは、心の底でクリアのことを信じていた。


「オレ……クリアさんのことも、信じているんです!」


「……………………………………」


クリアは黙ってレットを見上げる。


「クリアさんは、“自分に意志がない”って言ってましたよね。でも――そんなの大嘘だ。だって――何度も助けてもらったじゃないですか! あなたの前に居る“オレ自身”が何度も……何度も何度も貴方に助けてもらってます。だから、もう一度……『ゲーム』を長引かせるために、オレにあなたのゲームの知恵と力を貸してください。お願いします!」


レットが頭を下げるが、クリアの表情は浮かないものだった。

レットの中で、頼みの綱が切れた音がした。


しかし、それでも――






「――やらなきゃ……」


自分を奮い立たせるようにレットが震える足を抑えて立ち上がろうとする。


「それがオレの“役割”なんだ! 不可能に近くても……可能性があるなら……やらなきゃ……オレが信頼した人達に――オレに協力してもらった人達に――オレ自身が報いなきゃいけないッ!!」


それでも足に力が入らない。

失敗したらどうしようという恐怖で立っている砂浜に飲み込まれるような錯覚を覚える。

足が掬われそうになったその時――レットを横でじっと見つめいたクリアが呟いた。






「……やっぱり、俺はヒーローじゃない。だから、今恐怖しているお前を奮い立たせる言葉の一つも言えない。それで――」


自分の頭を撫でながら、クリアが皹の入ったゴーグル越しにレットを見据える。


「――それで、ずっとずっと考えていたんだ。もしも――もしも俺とお前の立場が逆だったら、『お前は落ち込んでいる俺をどう勇気づけるんだろう?』ってな」


よろけそうになったレットの足がぴたりと止まる。


「………………オレが『クリアさんをどう勇気づける』んですか?」


「それが、おかしな話でな。俺は既に逃げ出していて、最初からここに居ないんだ。つまり――ありえない仮定の話なんだよ」


一瞬だけ、自嘲気味に笑ってからクリアは話を続けた。


「それで、気づいた。お前は今、打ちのめされているけれど、それでも投げ出さずにちゃんと“デモンと向き合い続けて、ここまで来れた”んだ――」


(そうだ……オレはあの娘と向き合い続けて……そうして、ここまでやってきた!)


「――だからきっと、お前は例え俺が逃げ出して……たった一人になったとしても、アイツにこのまま立ち向かって行ったに違いない。相手がプロのゲーマーでも、ありえない強さの装備でも。身一つで、ぶつかっていったに違いない。俺はお前を勇気づけられるような人間じゃない。だから――今、ビビっているお前を勇気づけるのは、他でもない“お前の長所”――ここまでやってこれた『お前自身の心の強さ』だ!!」


「オレ自身の……心の強さ……」


クリアの言葉で、自然と足の震えが止まる。

身体が僅かに、軽くなった気がした。

自分の心の底にあった根拠のない――しかし確固たる自信によって、絶体絶命の状態であっても段々と足に力が戻ってくる。


「お前はめげない――――――諦めない! だからどんなに辛くても、立ち上がって立ち向かう!!」


すっ――と。レットは、何事も無かったように砂浜に立ち上がることができた。


「そうだ! そして、お前のその無策無謀な勇気を見て――――――」


クリアが槍を杖にしてよろよろと立ち上がろうとして躓く。


「今ここに居る俺も――――――ようやく一歩――――――――踏み出せる!」


咄嗟にレットがその身体を支えることで、クリアがようやく立ち上がって顔を上げる。

そこに居たのは――レットにとってどこかふざけていてしかし頼りになる“いつものクリア”だった。


「俺はヒーローにはなれないが、せめて、お前にとっての頼れる兄貴分くらいにはなってみせないとな! “心だけ”だが、Clear・All“完全復活”だ! メンタル取り戻して――――――頭も回ってきたぜ」


突然、真剣な表情をしながらクリアが数秒間思考する。

大きく深呼吸して、周囲の物を見つめて、自分のステータス画面を確認してからユーザーwikiを開いて、数秒間ブツブツと呟き続けて――


「おかげで……………………見事に思いつけたぜレット。確かに、今のままでは“戦闘を長引かせる”のは絶対に不可能だ。だが……長引かせるのが無理なら――」


――クリアはレットに、意地悪そうにニヤリと笑う。

















「――いっそ、『ゲーム』に勝っちまうか!」


「で……“できる”んですか!? 『ゲーム』に勝つってことは、あのトヴを“戦闘不能にする”ってことですよね!?」


「“倒す方法”は今思いついただけで、二つ………………いや、三つ!」


「三つも!」


「だが……そのうち一つはおそらくステータス的に“今のお前”では到底実現不可能だ。もう一つの策は、“減ってしまった俺の体力”がもう持たない。実質、やり方は“一つ”!! ここまで来たら、どんな“卑怯でハチャメチャでイレギュラーで馬鹿みたいなイカレた戦法“でも、使える物は何でも使ってやる!」


槍に寄りかかるクリアが、ゴーグル越しにレットと目線を合わせる。


「フォルゲンスに居た頃は、俺がお前を利用して強敵を倒した。岩窟での二度目の戦いと雪山での三度目の戦いは、お前が死に物狂いで耐え続けることで俺が敵に“とどめ”を刺した。今回は“最初の逆”! ――俺に出来ることは補助(サポート)だけだ。今回は俺を利用して、『お前が主となって敵を倒す』んだ!」


恐怖を吹き飛ばし、なすべき役割と、それを成すべき道筋が完全に決まった。


「アニムスを切り替えろレット。作戦を説明するぞ。ここから先は――――――『ゲーム』の時間だ!」






後は“覚悟”をするだめに、“気持ちを切り替える”だけ。






レットは咄嗟にインベントリーから、生姜の入った瓶を取り出す。

自分の口を大きく開けて、瓶の中身をぶちまけてから乱暴に咀嚼する。

大量の水分で、口の中に残っていた砂粒を綺麗に洗い流して――口の中にあった水分を砂浜ごと地面に吐き出して大きく深呼吸する。


「……………………わかりました………………オレ――やります! この島の中で、あの人を倒します!!」



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