第三十五話 地獄のような楽園で
『………………………………………………………………イートロ君の為に、この番号に電話をした。君と連絡が取りたかった』
受話器から聞こえてくる声は不自然に濁っていて、それが誰なのかわからなかったが――不思議と聞き取ることが出来た。
ぼーっとした頭で、自分が応対する。
『彼の願いを叶えるべく――【ゲーム】の“代役”を君に提案したい。イートロ君には『私』から既に連絡をしたんだが、君の力が必要だ』
――お前は、何者だ?
『直に理解することになる』
――どこで、自分とアイツのことを知った?
『それは……………………どうでも良いことだ』
――【ゲーム】って、一体何のことだ?
『君と彼の、“機材の端末に記載されている機材番号”を提供して頂けるのならば、一時的に、『私』の力で、君達のキャラクターの“プレイヤー”を交換してあげよう。”彼にしか使えない武器”を君が使うことになる。その状態で、『私』が用意した“敵”を島の中で“全て戦闘不能にすること”が出来れば【ゲームクリア】だ。逆に、君が敗北をしたり、『敵』との戦闘を躊躇した場合、その時点で【ゲームオーバー】となる』
――言っている言葉の意味がわからない。ゲームをクリアしたら、何が手に入る?
『“プレイヤー中身を交代したまま島の外に出してあげよう”。後はイートロ君の望み通り、好きに暴れて世界を壊せば良い。君の技量なら、それが出来るはずだ』
――何故、自分達にそんな話をした?
『あの少年が――“世界を壊すこと”を強く望んでいるからだ。大人たちの金儲けに使われ続け、絶望を与えられ続けて、ついに心が死んだ少年の、最後の願いを、せめてゲームの中で叶えてあげたいと思わないか?』
………………………………。
『君は端末の番号を送ってくれれば良い。ゲームにログインすれば、『私』の言っていることが嘘ではないことを証明してあげよう』
そこで、電話が切れる。
「………………」
しばらく考え事をした後に、チームに配布されていたゲーム機材を引っ張り出して、椅子の上で装着しようとする。
誰かが、真っ暗な部屋に入ってくる気配がした。
「あの――」
自分に声を掛けて来る。
誰だかわからないが、もう誰でも良かった。
「――何か。何か……用か?」
「いや、事務所は今月末で使えなくなるから。その告知だけしておこうと――」
「それは……“自分に”言っているのか?」
振り向きもせず、機材をセットする。
「………………………………………………」
「もう一度聞くが……“自分に、何か、用か?”」
呪詛の様にその言葉を唱えると、部屋に入った人間は出て行った。
真っ暗な事務所の中で、穴だらけのユニフォームを着て、血だらけでゴーグルを抱えてゲーム機の前に座っている自分が恐ろしかったのかもしれない。
自分自身の格好が可笑しいことに気づいて、不思議と笑みが溢れる。
狂気と正気の狭間に立っている自覚があった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
自分とイートロは徐々に『ゲーム』のことを理解していく。
二人の冒険が進んでいく。
仮想世界の中で、イートロを何度も説得した。
それは、イートロに希望を与えられなかった自分がやって良い役割じゃなかった。
自分よりも遥か深い失意の底にいるイートロの気持ちを本当に理解できているのかすら、自信がなかった。
それでも希望をもってほしくて、しかし受けいれられない。
ひたすら惨めな思いをしながら旅は続く。
仮想空間の中で、イートロは心を閉ざして――ついに、自分に対しても片言で話すようになった。
そのうちきっと、もう駄目なんだろう――と、自然と諦めがつくようになった。
ここまで来れば、今の自分にはイートロの願いを叶えること“しか”できない。
「ウ――ム」
雪崩でもあったのだろうか?
地面が小さく揺れて、イートロが不意にこけた。
「オイ、大丈夫かよイートロ? 姿勢を崩すほど地面は揺れてないだろ?」
「コレハ……ズット寝タキリニナルト、起キル初期症状――心配無イ。直グニ身体ガ慣レル」
「そっか……そういうものなんだな。………………“最期”まで頑張ろうぜ。目的地まで――あと少しだ!」
理解して覚悟を決めると、不思議と笑みが出るようになった。
本当は、心が死んでいるんだ――自分も、イートロも。
なんとなくわかる。
自分が生きていられる世界はもうこの狭い世界の中だけだ。
だから、確実にこの瞬間、自分が居る世界はこの宇宙のどこにもない。
それはもう間違いない。
生きることは自分にとって戦いだ。
だから、自分は最後まで戦わなきゃいけない。
『ゲーム』の詳細は未だに明かされていない。
一体、どんな『ゲーム』が待ち受けているのか、勝てば何を得て何を失うのか。
今の自分にとって、それだけが気がかりだ。
その先に待っているものが絶望でも、アイツと新しく交わした最期の約束を守るために進まなきゃいけない。
そう決意して、平生を保ちながら島への道を進んでいく。
しかしその道中で、そびえ立つ巨大な雪山を見た時だけは驚いて思わず足を止めた。
その山は自分があの映像の中で、頂上を見上げつつ登ろうとしていた――“かつて見上げたあの山”に、そっくりだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
仮想世界の砂浜の上に置かれていた紙束は、“水分を吸収した砂”によっていつの間にか汚れきっていた。
「酷い……」
それを洗い流そうとするかのように、水滴が雨のように零れ落ちる。
「酷い……酷すぎるよ………………酷い酷い酷い――……酷すぎる! ――――――――――こんなのって………………無い!」
レットの両手から砂が零れ落ちて、紙束がさらに泥だらけになる。
トヴとイートロの来歴を知って、まともな判断ができない程に――レットは打ちのめされていた。
「……クリアさん。私にとって、全く理解の及ばない業界の話なのですが――このことは、本当に事実なのですか!? このゲームの開発者が――」
隣で俯いていたクリアは、顔を上げずに遮るようにタナカの質問に答える。
「ああ――“そういうことをやってもおかしくないような人間”なんだ……。共感性なんて欠片も無い。典型的なサイコ野郎なんだ……」
「なんで――なんでそんな人が――――――」
レットはそこで言葉に詰まる。
“全く同じ質問をした記憶”があった。
レットの中で、かつてのハイダニアでのやり取りが思い返される。
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『株主やら会社の経営のトップ層に、胡麻をする能力だけは高いんじゃねえの? たまにいるだろ。能力が欠片もねえのに要職についちまう馬鹿ってよ』
『え――会社って、ちゃんと仕事ができる人が評価されたり出世するんじゃないの?』
『笑えること言うじゃねえか劣徒。もしもそうなら――世の中もうちょっと幸せで平和になってるだろうな』
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「界隈の事情を知っている俺から言わせてもらえば……おそらく――RoValの騒動に関しても、ここに書かれていることは全て事実なんだろう」
地面を見つめたまま、クリアは淡々と語る。
「これに近い内容の告発があったんだ。大事になりもせず、揉み消されて有耶無耶になったけどな。現実で起きた出来事から逆算すれば、納得がいく話だ。……結局、予選を勝ち抜いたチームも世界大会の初戦であっさり敗退して、この国のesportsが活性化する貴重な機会を失ってしまったんだ。…………以前から、俺はAngelというプレイヤーのことを知っていた。……“馬鹿みたいなこと”を言いながらも立派な思想を持ってゲームに挑んでた。だから――チームの評判は悪くても、俺は応援していたんだが。まさか――彼がこんなことになっていたなんて……夢も希望も無い」
「そうか――君は彼の数少ないファンの一人だったのだな?」
蹲る三人の背後から、E・Vがクリアに対して問いかける。
「しかし――妙な言葉だ。君は選手としての彼を“応援”していたと? なるほど――今、確信したよ。『私』が君ではなく。そこに居る二人に『ゲーム』の勧誘をしたのは、やはり間違いではなかったようだ」
「――何が言いたい」
「いや――何――どうということはない。ただ、実のところ『私』はClear・Allというプレイヤーが――“自分からは何も行動を起こせないような人間”なのではないかと推測していてね」
動揺からか、クリアはまるで雷に撃たれたかのように一瞬体を揺らして――それから微動だにしなくなる。
レットは、クリアの両目が見開かれたのをゴーグル越しに見た。
「君は……彼が最も苦境である時に、現実で何か行動を起こしたのか? 手を差し伸べたか? 告発を知って応援をしていた君は何をした? ――彼を救うために自分から何か行動をしたのかな?」
気が付けば、歪んだ空間が地面に座り込んで俯くクリアの真後ろにまで近づいていた。
「当ててあげよう――――――答えは『何もしなかった』。………………傍観というものは『事態を容認する』ことと何も違わない。まるで――“動物の屠殺動画を見てさんざ涙した後に、ケロッとした顔で昼休みに牛丼を注文している学生”みたいに、知っていながら知らんぷりをしたな? 人の苦難と苦悩を知りながら結局何もしないというのは、君という人間の立派な罪なんじゃないか?」
クリアは顔を上げなかった。
ただ――その呼吸がだんだんと荒くなっていく。
「……図星だな。それが君の本質だ。……君はおそらく、いい年をした大人だろう? “君のように大人になってもゲームをやりこんでいる人間”に対して、『私』は以前から一つ聞きたいことがあった」
E・Vはクリアの真後ろに立った状態で、クリアを見下ろし言葉を振り落とす。
「――こんな真っ暗な世の中で、君のような人間は、一体“いつまでゲームで遊んでいるつもりなんだ?”」
クリアは地面を見つめたまま何も言わなかった。
その両手だけが動いて、地面の砂を握り潰していた。
「――そこの少年は良い。若く、現実を知る前にまだまだ夢を見るべき年齢だ。もう一人の“小さな大人”も強い意志を感じる。どうやらゲームで得られる物とは違う“何か”を求めて行動をしているようだ。しかし――長期間ゲームを遊び続けている“だけ”の君は違う。……物事には“限度”という物がある」
クリアから返事が返ってこない。
E・Vはそうなることがわかっていたかのように気にせずクリアに対して質問を続けた。
「改めて問いかけさせてもらおう。――君のような無気力な大人は、一体いつまで都合の良い世界に逃げ続けて――――――――――現実から目を逸らして逃げているつもりなんだ?」
表情の機微を一切感じられないままE・Vは周囲を見回しつつ、クリアに語り続ける。
「……現実世界の闇が、幻想の世界に止め処なく染み出してきている。何故なら――君が住んでいる現実が――“君たち”を取り巻く世の中が、『今この瞬間にも修復不可能なほどに滅茶苦茶になっている』からだ。そんな状況を“知っていながら、君のような人間はゲームをずっと続けている”。まるで――この世界のどこかに現実からの逃げ道があるかのように――だ」
E・Vがしゃがみこんで、ゆっくりとクリアの肩に手を置いた。
「だが――君自身が心の底では気づいているはずだ。逃げ道など、どこにもありはしないと。――君が縋っている幻想や、夢物語が、君の人生そのものを――――現実世界を――――――果たして今まで“一度でも良くしたことがあったのか?”“豊かにしたことがあったのかな?” ……君のような人間は皆、そうだ。ありもしないと知っていながら、幻想や夢物語に縋る。現実から逃れるために何年も何年も何十年も……それこそ、世界が壊れるまでずっとずっとしがみ付いている」
クリアの息がどんどん荒くなっていく。顔から汗が零れ落ちる。
片手をまるで百足の様に自分の上半身に這わせて、自分の左胸をまるで心臓が止まってしまったかのように力強く鷲掴みにしていた。
「君のような無気力な夢遊病者達のおかげで、君の隣に居る純朴な少年の安息の冒険の舞台は既に無くなりつつあるのだ。ある意味――少年が苦しい思いをしている全ての出来事に対して、“現実で無関心を装っていた君自身に、責任の一端がある”と言っても過言ではないはずだ。そして、君のような人間が娯楽に逃げ続けていたからこそ、『私』のような存在が誕生してしまったのか――――――――も」
そこまで言い切って、E・Vがクリアの肩に手を置きながら優しそうな笑みを浮かべた。
「……その人から――――その人から離れろッ!」
混乱しながらも、見て居られなくなったレットが立ち上がり声を上げる。
「その人は――お前が思っているような無気力で冷たい大人なんかじゃない! それに、オレを苦しめている張本人のお前が――上から目線で偉そうに言えることかよッ!」
E・Vがレットを見つめてから――
「……説教するつもりはない。これは“ただの質問”だよ。――する必要のない意地の悪い質問だったかもしれないね」
――頭を傾げて再び俯いたままのクリアに囁く。
「むしろ『私』としては、Clear・All――君のような人間が居るのはとても“ありがたいこと”なんだよ。感謝をしているし、むしろ歓迎する。君はどちらかといえば“こちら側の人間”だろう? 君はきっと『私』の『ゲーム』にのめりこめる。きっと良い『ゲームプレイヤー』になれるぞ?」
そこまで言ってE・Vが立ち上がる。
息も絶え絶えのクリアから離れて、そのまま歩き去ろうとする。
「――待てッ!」
「もう、待ちはしない。ゲーム内時間で丁度一時間後に『ゲーム』はスタートする。君達“二人”が一度ずつ戦闘不能になった瞬間に彼の勝ち。万が一、彼が一度でも戦闘不能になれば君達の勝ちだ。意図的な逃走や身を隠す時間稼ぎ行為は、禁止とさせてもらう。唯一のハンデとして、彼はアニムスの一切を使わない」
言うだけ言って去っていくE・Vに対して紙束を握りしめながらレットが叫びに近い訴えをする。
「そんな――そんな……フザけた話があるかッ!」
「『私』も、まったくもって“フザけた話”だと思っているよ。主人公である“彼”に『あんな武器』を握ってもらうのは正直、申し訳ないと思っているが、しかし、今はあれが彼らの願望を叶える最適な手段だ。『私』に他意はない。彼が本懐を遂げてこの世界を思うまま壊して、あの木場田という男の名誉が下がろうと『私』にはどうでも良いことだ」
「そんなことは、それこそどうだって良い!! こんな『ゲーム』……オレは……絶対に認めないぞ! だって――だってこれじゃあ、どっちが勝っても――“どっちが負けても”――――――ッ……」
言葉が続かない。
言葉にするのが恐ろしくて、レットは何も言えなかった。
ただ、紙束を抱きかかえるようにして、両目から涙を流してE・Vを見つめているだけだった。
E・Vはそんなレットをしばらく見つめてから、優しそうな表情でレットに近づいてくる。
そして、耳元で囁いた。
「明日の君が、今日と同じ日常を過ごせると、決して思い込まないことだ。君も、『私』と出会って世界の見え方が変わったろう? この世の全ては冷たい地獄。救いなんてものは――どこにも無いんだよ」
両脚から力が抜けて、レットはその場に座り込む。
E・Vはレット達から離れてどこかに消えていった。
精神的に追い詰められたレットの耳に、小さな笑い声が聞こえてくる。
レットは自分の耳を疑った。
それは――クリアの笑い声だった。
「クリアさん………………どうしたんですか!?」
「……………………いつの間にか――敵を倒して――俺が全てを解決できるつもりで居た……。勝てると…………思っていた。あれだけお前に『ヒーロー扱いするな』なんて言っておきながら――心のどこかで、『お前のヒーローになれるかもしれない』なんて思っていたんだ。ところが――見てみろよ。実際は情けない…………このザマだ……」
地面を見つめたまま、独り言ちるクリア。
レットにはまるで、その外見と同じように、クリアの心がズタズタに引き裂かれてしまっているように感じた。
「し……しっかりしてくださいクリアさん! あんな奴のよくわからない言葉に、どうしてそこまで落ち込むんですか!」
重い体を動かして、レットがクリアに倒れ込むように寄りかかってから顔を上げる。
「だって――だって“関係ない”じゃないですか! 確かにアイツの言うことはある意味で正しいと思いますよ!? オレが今まで出会ってきたトラブルは全部――現実に原因があったのかもしれない! でも……確かにオレは酷い目にあってるけど――間違ってもそれは“あなた一人のせいなんかじゃないッ!”」
レットには、自分の声がクリアにほとんど響いていないように感じた。
小さな声で笑い続けるクリアの顔に、生気を感じられなかった。
「そうさ――“関係ない”。“自分一人の問題じゃない”。そんな風に…………」
クリアが顔を上げて天を覆う黒雲を見つめる。
「…………俺みたいに、ボーっと生きている大人たちの………………誰もがきっとそう思っている。だから――――――――――――こんな狂った世の中になってしまったのかもしれない」
「そんな――でも――」
「レット。アイツの――E・Vの言ったことは……何も間違っていない。俺は――お前が思っている以上にろくでもない人間なんだ……。心のどこかでわかっていたことだったよ。お前の冒険の旅路に、闇を齎して、この『ゲーム』に巻き込んでしまった元凶は他でもない。ここに居る無気力な俺自身だったわけだ……」
クリアがついに顔を上げて、狂ったように大きく笑いだす。
「本当に……馬鹿げてるよな? なのに――それなのに俺は――お前に対して『ゲームをゲームらしく遊んで、楽しんでもらいたいと思っている』だなんて言っていたんだ。本当に――――“どの口が言うんだ”って話さ! そして呑気に、俺はお前の誕生日まで祝っていた。大人になっていくお前を、祝福できるような立場じゃ無かったのに――――馬鹿だよホント。俺は……ただのイカレた道化だ!!」
「違う……違う……違う違う違う! しっかりしてください!」
レットが両手でクリアの身体を何度か激しく揺らす。
揺さぶられるがままに、クリアの身体が壊れた人形のようにぐらぐらと左右に何度か、動いた。
それから、狂気を感じさせる笑みを浮かべてクリアがレットをゴーグル越しに見つめる。
「――違わないさ。お前が夢を見れないような世の中にしたのは一体、どこの誰なのかを――知ってながら俺はずっとずっと“目を逸らしていた”」
「“一緒に戦ってくれた”じゃないですか! フォルゲンスで、一緒にあの娘を助けたじゃないですか! 今この瞬間も――デモンを助けようとしてくれているじゃないですか!」
「それは、お前の意思に便乗して、ただ手伝っていただけだよ。俺には……“意志”がない! 世の中のことを何もわかっていないお前の方が――よっぽど他人のために自分から率先して頑張ってる。そうさ……いつもそうだった。確かに俺はいつも事情通だ。……見通している――全てを。だけど……いつも“ただそれだけ”なんだ。世の中の人の苦しみを――業を……すべて、ただわかっている“だけ”で、何もできない傍観者なんだ……俺の人生は……負け戦ですらない。アイツの言う通り、俺は、“自分からは何も行動を起こせないような人間”なんだ! 他人の為に……何かを成し得ようとしたことのない愚図なんだよ!」
『負け戦ですらない人生』
それが一体何に対しての発言なのか、レットには理解できなかった。
笑うことを止めて、再び頭を垂れたクリアが、小さな声で呟く。
「……レット――“すまなかった”」
レットが理解できていたことはただ一つ。クリアが、自分に対して謝った“理由”だった。
最早、彼がレットに対して、謝ることしかできない程に――絶望的な状況に直面しているということを意味していた。
「あのイートロという少年は……エールゲルムの世界を可能な限り“ぶっ壊したい”と願っている。散々絶望した末の最期なんだ。逆に言えばそれしかできないにせよ。『現実世界を壊そう』という発想には終ぞ至らなかった時点で、本当は心根の優しい少年なんだろう。せいぜいゲームの中で暴れる程度――そんな願いは、俺はいくらでも叶えさせてやればいいと思う。――これが『ゲーム』に関わってさえいなければ」
クリアの言葉に、レットが地面を見下ろす。
言葉にしたくない現実を受け止める為に、歯を喰いしばる。
「レット――お前も理解していたはずだ……。『ゲーム』で俺達が負ければデモンは死ぬ。そして――俺達が勝てばデモンは存命するが、トヴが何よりも叶えたかった“イートロの最期の願い”を真正面から叩き潰すことになる。あのイートロという少年は、何の願いも叶えられないまま絶望を心に抱えて――死んでいくことになる……。どっちが勝っても、救いはない。――どちらかが犠牲を伴うことになる」
「そんなの――――――でも――でも――オレは――オレは――」
今の自分にとって“何が最も大切なこと”なのか、誰を救うべきなのか、レットにはわかっていた。
しかし、わかっていたとしても少年にそんな残酷な選択はできなかった。
「正直に言うと……オレは――――――“救ってあげたい”と思ってます!! だって、いくらなんでも残酷すぎるッ! こんなことってない…………あの子を……イートロを説得できないんですか! だって――だってあの子はまだ“生きられる”じゃないですか! まだ――可能性が残っているじゃないですか!」
レットが必死にクリアに訴える。
その目から再び、涙が零れ落ち始めた。
「だって……………………だって一緒に…………短い間だけどオレ達……一緒に…………“冒険”したんですよ………………きっと……きっとイートロの心が……今、ちょっとだけ冷たくなっているだけなんだ……。だから、オレが説得すればトヴは戦いを止めてくれるかもしれない! あの子だって、きっと――」
「――隣に居続けたトヴが、終ぞ救えず、諦めて『ゲーム』に身を投じてしまっている時点でわかることだろう!! 『イートロの心は既に死んでしまってる』。世の中に居るどんな人間が誰がどのような名演説をしたところで、心に届きはしない! イートロは、俺達に初めて出会った時から今の今までずっと心を閉ざしていた!」
「じゃあ――いっそ、こっちの事情を話すっていうのは駄目なんですか!?」
言葉に詰まりながら、レットが再びクリアに訴える。
その脳裏に、気さくに笑う天使のような少年の笑顔が思い浮かぶ。
「トヴなら………………あのトヴなら、戦いを止めてくれるかもしれない!!」
「情に訴えても無駄だろうな。ここまで用意周到に準備しているE・Vなら不備はないはずだ。既に、こちらの事情を向こう側に“直前になって”伝えているはずだ。俺を圧倒したという事実と、“あの時のトヴの態度と表情”でわかるはずだ。アイツはおそらく、“こちらが背負っている物”を理解した上で、次も“覚悟”してぶつかってくる。なぜなら――他にもう選択肢はなく、引き返すことも出来ないからだ!」
レットは、悲痛な表情を浮かべて尚、手加減せずにクリアにとどめを刺そうとしたイートロの言葉を思い返す。
『――とっても……とっても"残念"だぜ。――自分達の『ゲーム』の相手が……………………………………“アンタ達だった”ってことがな……!』
「――その上、相手は『本作と互換性のあるゲームのプロ』――“365日のうち363日はゲームをやっているような化け物”だ。さっき戦ってわかった。俺とは最早格が違う。ヤツの強さはあの見た目通り、神に等しい――まさしく神域だ。『ゲーム』の勝算はほとんど無い!」
レットを蝕む絶望に、さらに別の絶望が上乗せされる。
“どちらが勝っても地獄”の――“勝ち目の無い戦い”を強いられているという苦境で、レットは吐き気を通り越して自分の胸が締め付けるような錯覚に陥った。
「何となく、E・Vという存在が理解できるようになってきた。アイツは願いを叶えると言っているが、救おうとはしていない。“叶える願いそのものが歪”なんだ。ある意味で正しいことを言っているように見えるが、その中身は"見た目通り歪み切っている"。今まで俺達が出会ってきたどの敵よりも、人としてぶっ壊れてしまっている……」
いつもは頼りになっていたクリアの推理が、淡々と残酷な事実だけを明らかにしていく。
「その上、『ゲームの主人公として設定した人物以外の不利益は一切考慮していない』……。アイツは他者を『ゲーム』に引きずり込んで、“主人公”になった人間を――特定のプレイヤーだけを、“酷く虚しい方法”で優遇する! そんなヤツにとって俺達はどこまで行っても――排除されるべき“敵”なんだ。……既に決まっている『ゲーム』の仮想敵であり……ただの生け贄であり、トヴの前に立ちはだかる試練! だからこの『ゲーム』で俺達が圧倒的に不利であり、負けるように仕組まれてしまっている。この『ゲーム』は――俺達の努力次第で勝てるようにはなっていない……」
レットは項垂れながら、絞り出すような声で呟いた。
「オレ……ずっと――――――ずっと自分が戦う理由を――探していたんです……」
自分の口を噛みしめる。
口の中に残っていた砂が潰されて、歯ぎしりによって歪な音を立てた。
「……最初は、『物語の主人公』に憧れて突っ走った。二回目は、『女の子と一緒に居たい』って理由で走り出してた……。でも、その戦いの動機も結局は歪んでた――――間違いだった!」
その脳裏に、少年の相対してきた敵の姿が浮かび上がって、瞬く間に消えていく。
「だから――――オレは『目の前の困っている人を助けたい』って理由で戦うんだって――ようやく……ようやく……決めることができたばっかりなのに……なのに……………………また、“同じ”だ‼」
叫びながら、レットが泥となりつつある砂を――行き場のない悔しさをぶつけるかのように叩いた。
「オレの前に、似たような理由で戦おうとしている人が"また"立ちはだかる! ――オレの戦う理由が――――――また真っ向から否定される!」
泥が跳ねて顔が汚れて、その手に鈍い衝撃が伝わる。
汚れを拭うことなく、蹲ったまま――独白する。
「わからない…………わからないんです…………。どう転んでも、どちらかが確実に奪われる! 『目の前の困っている人を助けたい』って思いまで………………否定されなきゃいけないんですか………………間違いなんですか!? また――自分で決めた自分の在り方を否定しなきゃいけないんですか⁉ そんな状態で……勝てもしない戦いに行かないといけないだなんて……オレ――オレ…………………………」
レットは涙を流し続けた。
これこそが、レットの“涙の最大の理由”だった。
もちろん、トヴとイートロの素性を知った時、同情する気持ちがあった。
しかし、それ以上に、今まで足掻いて足掻いて足掻き続けて――苦境の中ようやく見つけた『戦いの理由』を、真向から否定されることが、今の少年にとって何よりも辛かった。
悩み続けて、ようやく見つけることができた自分の在り方を否定されるような戦いを、再び強要されてしまうことが何よりも辛かった。
そんなレットに対して、クリアは黙り込んでいた。
心が折れてしまったかのように、ただ俯いているだけだった。
最早、レットに対してかける言葉を失っていたのかもしれない。
『明日の君が、今日と同じ日常を過ごせると、決して思い込まないことだ。君も、『私』と出会って世界の見え方が変わったろう? この世は地獄。救いなんてものは――どこにも無いんだよ』
先程言い放たれた――最早どう足掻いても否定できない呪詛のような言葉がレットの頭の中で反響し続ける。
耐えきれず。まるで、吐血するかのように――絞り出すかのようにレットが言葉を吐き出した。
「この世は――――――――地獄なのか……………………」