第三十四話 Why We Lose
自分が操作するキャラクターが、RoValというゲームのフィールドを駆けている。
雌雄を決するときが、近づいていた。
チームメンバーの動きが妙に悪い。
彼らの使うキャラクター達が敵チームに追い詰められている。
自分が操作するキャラクターの出番がやってくる。
既に自分のキャラクターの体力は僅かだったが、冷静さを失わないように仲間たちに声を掛けて前進する。
押し寄せて来る敵が一人。
悪役である仲間達をなぎ倒すその姿は、英雄そのものだった。
……妙だと思った。
この位置に、敵がいきなり来るわけがない。
まだ戦闘不能になっていないはずなのに、近くにいるチームメンバーからのバックアップが何一つ飛んでこないのもおかしい。
『これで――最後だ!』
自分に対する意趣返しだろうか?
飛び上がった相手チームの使役するキャラクターが、自分のお馴染みの“決め台詞”と同時に、巨大な剣を高所から力強く振り下ろしてくる。
剣先が自分に飛び込んでくる。
時間が凝縮される。
この時、過去の映像が走馬灯のように思い返されたのは、ひょっとするとこの試合の敗北が今の自分にとっての“死”に近しい物だったからなのかもしれない。
――暗い部屋の中でゲームをしている“僕”。ディスプレイが顔を照らす。
――亡くなってしまった祖母。酒を片手に、自分に暴言を吐く父親。
――暗い病院で二人に、僕が別れを告げる。
――ここまでのし上がってきた地獄のような苦節の戦いの日々。
――行きつく先は再び暗い病院。
――暗い病室に舞い戻ってきた“自分”の目の前のベッドに、少年が横たわっている。
――ディスプレイの光だけが少年を照らしている。
回想が打ち切られて、視界が現実に戻る。
『自分の身体を切られた』という、感じるはずのない感覚が現実の自分の身体を伝わってくる。
敗北という事実が精神の均衡を滅茶苦茶苦にして、全身に凍った血液が流れるかのように錯覚する。
自律神経が不安定になっているのを感じる。
倒れている自分のキャラクターの耳に、観客の大歓声が聞こえてくる。
自分達のチーム『Colors』は、予選決勝であえなく敗退してしまった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「なん……で……」
真っ暗になったチームの事務所。
自分の体が震えて、座っているボロボロのゲーミングチェアが小刻みに揺れている。
両手で抑えた顔を、もたげる気力が沸いてこない。
「――どうして、こんなことになっちまったんだよ!?」
落ち込む間もなかった。
試合が終わった直後に自分達にもたらされたのは、“単なる敗北だけではなかった”。
「――“未成年淫行”さ。試合終了後に発覚したんだ」
Sigurdが自分に対して、淡々とした口調で起こった事実を伝える。
「NICOの彼女は、“17歳”だったのさ。本人は知らないって言い張っているが、SNSで事実を公開した被害者曰く“そんなことはあり得ない”ってよ。あれは多分、未成年淫行で刑事事件になるな。被害者がそう言い張っているんだ。言い訳の通じる余地も無い………………もう致命的だよ」
憤慨したまま自分が顔を上げる。
涙は止まらず、流れたままだった。
「“そんなことはあり得ない”だって!? NICOは、チーム内の自分の立場を分かっていたはずだ! アイツは……本当に相手の年齢を知らなかったんだ! それだけじゃない――」
試合終了後に、連れていかれたもう一人のメンバーのことを思い出して自分が叫ぶ。
「――本当なのかよ! AAAKAANが………………試合で薬物を使っていただなんて!」
「ああ、さっき連絡がきたよ。試合終了後に検査で発覚したんだ」
「そんな――――アイツの体調は大丈夫なのかよ!?」
自分が立ち上がってSigurdの肩を激しく揺する。
「まさか――アイツ……二度とゲームが出来ないんじゃないだろうな!?」
真っ暗な事務所の中で、Sigurdはゾッとするくらいの無表情で淡々と自分を見つめていた。
……“おかしい”と思った。
不自然すぎる。
さっきからそうだ。Sigurdはショックでこんな風になっているんじゃない。
まるで、“こうなることを最初から理解している”ような佇まいだった。
「そうか――Angelは、そういう反応しちまうか~。……正解だよな。お前に関しては“ノータッチ”で」
「ど、どういうことだよ。Sigurd――お前、変だぞ? なんでそんなに冷静でいられるんだ!?」
「全部、仕組まれていたのさ。俺達のチームが予選決勝で敗退して――メンバー達に“不祥事が起こる”のも、それが原因でこの後“跡形も無く解散する”のもな」
身体から力が抜けていくのを感じる。
自分の両手がSigurdの両肩から滑り落ちる。
理解できない事実を前にして、自分の身体が自然とSigurdから距離を置こうとする。
ゆっくりと後退りして――部屋に置いてあったゴミ箱に躓いて中身がひっくり返った。
「嘘だ……そんなことが……あるわけがねえ……あるわけが――――――」
「“あり得る”んだよ。気づかなかったか? 俺達のチームについたスポンサーは、全て風が吹けば飛んじまうような知名度の低い企業ばかりだった」
自分の視線が、地面に落ちる。
そこには、見たことのないような銘柄のエナジードリンクと、カップ麺の容器が転がっていた。
「優勝した相手のチームには、大企業のスポンサーがついている。この国のRoValの予選大会そのものが、“結果ありきで作られた、企業間のパワーゲーム”だったのさ!」
「パワ―………………ゲーム?」
俯いて、自分の上半身を見つめる。
身体にびっしりと張り付いているスポンサーのロゴがこちらを見つめてきているような錯覚を感じる。
「俺達は、最初から無様に負けた後に問題を起こす予定の“悪役”だったんだよ。きちんとした出自のまっとうな選手が“悪である俺達”を打ち倒して優勝することで、チームに属していたスポンサー企業の力関係をはっきりと印象付けたかったのさ!」
「そんな――そんな馬鹿な話が……あってたまるかよ!」
喉の奥から絞りだすような声で、自分が床に座り込んだまま目の前のSigurdに抗議する。
「自分達のチームには、勝てる実力があったはずだ! 世界の舞台でも戦えるくらいのチームだった! 全てを変えられることが出来たはずだ! この国のesportsに対する認識を……変えるチャンスだった!! スポンサーの企業にとっても、長い目で見れば利益になるはずだろ!! なんで――どうしてそんなことをする必要があったんだ!」
「お前のそんな夢物語に、この国の誰が投資するんだ? お前の展望なんて、関係ないんだよ。この国の企業を牛耳る大人達にとって、ゲームは“子どもがやるもの”。その程度の古臭い認識なのさ。そんな“下らない物”に対して、大きな未来や新しい可能性なんて最初から連中は見ちゃいねえし、興味もねえ! 企業の奴等が欲しいのは――結局目先の金。自分達がすぐに手に入れられる利益だけなんだよ!!」
Sigurdの言葉が、自分の頭の中で反響している。
まるでハンマーで殴られたような衝撃だった。
ショックで立つ気力が湧いてこない。
「そして、NICOとAAAKAANは企業の“差し金“で破滅したってわけさ」
「――――信じられねえよ……ThunderBoltは……。アイツは……どこに行ったんだ…………」
「もうどこにも居ないさ。アイツは――この国の滞在に必要な“外国人の登録証明書”の提出を、チームの運営団体にずっとずっと強要されてた。そして提出してからずっと“予選の決勝で負けなきゃ返さない”って、脅迫を受けていたのさ! 外国人のアイツはこの国の中じゃ独りぼっちだ。逃げられる場所なんて、どこにもありはしない!」
そこで、自分がひっくり返ったゴミ箱の中に、ぐちゃぐちゃになった紙が捨てられていることに気づく。
書き込まれているミミズの走ったような字には見覚えがあった。
慌ててゴミ箱の中から紙を取り出して広げる。
『いろんなものに。しつぼうしました。じぶんのくににかえります。みなさんごめんなさい。さよなら』
書かれている文字は、涙で滲んでいた。
「直接何の工作も脅迫も被害も受けないまま、試合にきちんと臨めたのはAngel――お前一人だけさ。お前だけは“何の不祥事も起こり得なかった”。失う物も無いような状態で一人でチームに入ってきた。誘惑にも負けず、ひたすらにゲームにばかり打ち込んでいた!」
「こんなこと――許されるかよ」
嗚咽交じりに自分が呟く。
「許されるかよ……………………こんなことがあってたまるかよ! もしも……お前が言っていることが本当なら、事実を表沙汰にすれば何もかもが破滅じゃねえか!!」
地に伏せながら天を仰ぐ自分の視線から目を反らして、目の前にいるSiguredが呟く。
「残念だけどなAngel――お前の印象、SNSやネットの色んな場所で大分前から操作されていたんだよ。既にお前の世間の印象は“開き直って自分の失敗を、不祥事だらけのチームメイトに責任転嫁した屑野郎”になっている。皆がお前を罵詈雑言で攻撃している。全て予定調和だった……。チームに入る時に、SNSのアカウント管理権限を譲渡したことを忘れたのか?」
「それでも――間違いなくそんな印象……作られた嘘じゃねえか!」
「“正義面してぶっ叩くのが楽しい嘘”だ! 大衆っていうのは小さな嘘よりも大きな嘘を信じる。もしも真実を語ったとしても無駄さ。昔からずっと同じなんだよ。世の中、力を持った人間が社会をコントロールするって構図は何も変わってない。どんな時代も情報をコントロールできるのは一握りの金持ち共だけだ! 新しく再起しても、この国でのお前の選手としての社会的信用は終わってるんだよ! 揉み消されるのがオチだぜ!」
「同じ業界に居る他の連中はどうなんだよ! 誰かが事情を知っているはずだ……自分達を、かばってくれるかもしれないだろ!」
「事情を知っていたとしたってだんまりさ。……金と権力は絶対的だ。この業界は個々の力がまだまだ弱い。どいつもこいつも、吹けば飛ぶような弱っちい身分さ。何が起きたか知ってたところで、誰も助けちゃくれねえよ。皆――自分の立場を失うのが怖いんだ!」
沈黙が続く。
Siguredに対して、どうしても質問をしなければならない。
その答えを既に自分は知っている気がした。
それでも、質問しなければいけなかった。
「じゃあ…………そう言うお前は――そもそもどこでこの話を知ったんだ? さっきから、なんでそこまで冷静でいられるんだ? 何で――そんなに詳しいんだよ!」
返事が返ってこない。
再び沈黙が続いた後に、Siguredが深呼吸をしてから自分に答えた。
「……………………………………コーチも企業に買収されていた。そして……『最初からその手伝いをしていたのがリーダーの俺だった』んだよ。試合中に、裏から指示を出して――お前を孤立させて、予選の決勝で負けるようにしたのは――――――俺の裏工作だったってわけだ」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが弾けた。
自分は立ち上がって、Siguredに飛び掛かる。
相手のユニフォームに掴みかかるが、自分の細腕では相手の身体が持ち上がらない。
「――殴りたければ殴れよ!! 俺には……それしかなかったんだ……! 俺には………………どうしても金が必要だった!!」
「金……金だって? 勝てばそのうち確実に手に入るような物を――お前はどうして我慢できなかったんだ!!」
胸倉を掴まれたままのSiguredが納得したかのように自分に対して何度か頷く。
「やっぱりな……Angel。お前、このチームと契約した時の契約書を読まなかったんだろ?」
「――なんだと?」
「細かい部分を“何十回もよく読めば分かる”はずだ! 俺達のチームにはプロとして特別な“ライセンス”が配られている。そのライセンスの決まり事と、うちのチームの契約書を合致させることで初めてわかることがある。……もしも、賞金を得ても丸ごと全額esportsの関連団体にピンハネされるようになっているんだよ!」
胸倉を掴んだ腕から力が抜けていく。
「俺は全て知っていたさ! ……知った上で、企業からの提案を受けてチームに入ったんだ! チームを負けさせる代わりに“即座に金を受け取る”っていう交換条件でな! どうしたんだよ。俺を殴れよ!」
おもむろに、右の拳を握るが力が入らない。
拳が解けて、だらりと腕が垂れ下がった。
「なぁ……Sigured。――“どうして話した”んだ?」
目の前にいる“チームリーダー”は、何も言わない。
「自分に対してこんな真実。最初から言う必要が無かったんじゃないか?」
Siguredはしばらくの間自分を見つめて、それから小刻みに震えながら涙を流し始めた。
「俺には――妹が居るんだ……まだ小さい」
聞き始めた瞬間に、嫌な予感がした。
もう“止めてほしい”と思った。
これ以上、自分を地獄に追い立てないでほしいと思った。
「心臓を……悪くしてて………………高い金払ってでも……臓器の移植をしないといけない。前からどうしても金が必要だったんだ」
自分は涙を流したままだった。
目の前のSiguredも涙を流している。
まるで、鏡を見ているような気分だった。
「家族の中で、俺は本当に駄目なゴミだったんだ……………………ゲームしかできないロクデナシのごく潰しだったから………………妹が苦しんでても何もできなかったし……。きちんとした仕事なんて、何一つまともにできない。…………両親も、もう限界なんだ。今の俺に……他にできることなんて何もなかった……。時間もなかった。今回負ければ、移植に必要な費用の……不足分を貰う約束だったんだ……」
「どうして……どうして相談してくれなかったんだよ。辛いことがあったなら、相談してくれればいいのに……どうしてなんだ………………皆……みんなそうだ……」
誰も居なくなってしまった真っ暗な部屋を見渡す。
「同じチームの仲間じゃねえのかよ! どうしてッ――――――!」
「………………信用なんかできねえよ。俺達は全員が立派とは言えない素性の集まりだ。お互いを信用できないように、そういう後ろめたい出自の怪しいメンバーばかりが集められたのさ。相談したところで、お前に何ができるんだよ。…………………………俺達の仲の良さなんて、結局ゲームの中だけさ」
何も言い返せない。
現に自分がそうだった。
自分も、まさに似たような事情を一人で抱え込んでいた。
このゲームがチームで挑むゲームだって、頭ではわかっていたはずなのに。
「わかった……もう良いんだ。――Sigured。……出ていけよ」
Siguredの胸倉を掴んでいた腕を、自分が離す。
「Angel。俺は、謝るつもりはないぞ!」
「良いんだよ。――――――出ていってくれ」
涙を流したまま、Siguredが背を向けて部屋を出ていこうとして、一瞬だけ足を止めた。
「…………俺達に、未来なんてものはどこにも無い。――俺達は結局、最初から醜い大人たちの……金儲けの玩具なんだ。これまでも、きっと……………………これから先もずっとそうなんだろう。どうしようもないことなんだよ。だから――“お前は俺を恨め”――Angel」
事務所の扉が閉まる音が聞こえた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
これからきっと、自分は辛い思いをする。
でも、それでも――そんな自分のことなんて今はどうでもよかった。
自分には戦う理由があった。自分に、“賭けてくれた人”が居たのに。
彼から希望を奪い取ってしまったことの方が、ずっとずっと気がかりだった。
病室に入った後に、イートロに何を伝えたのかよく覚えていない。
ただ、あるがままに事実を伝えた。
「噂が流れてたよ――Angelのチームの……良くない噂が……でも――――僕は信じるよ。Angelのこと……」
イートロは、そんな自分を信じてくれていた。
自分を責めるようなことは決してしなかった。
それでも――
「優勝できなかったのは……残念…………だったね………………」
――こんな悲劇を前にして、勇気なんて湧いてくるわけがない。
まるで、自分の不運をそのまま被ってしまったみたいにイートロは酷く酷く落ち込んでいた。
そこで――よりにもよってこんなタイミングで――
「――やぁ。ここの病室でよかったたかな? この部屋が最後だし、多分正解だろう」
――何かを蹴とばすような音と共に、誰かがノックもせず部屋に入ってきた。
その中年の男の格好は、少し奇抜だった。
真黒なスーツに、皺だらけのシャツ。
ネクタイは締めていなくて、ボタンがいくつか外されていて首元が開いている。
てらてら光る黒のデニムのズボン。
足には高そうな、しかし傷だらけのブーツを履いていた。
男は両手をズボンのポケットに手を入れた状態で、スライド式の扉に寄りかかっている。
そしてその背後に、もう一人別の男が立っていた。
こちらの年は自分より一回り上。それでも、もう一人の男と比べると若い。
こちらは皺一つない明るめのグレーのスーツをきちんと着ている。
ネクタイもつけていて、ビジネスマナーのお手本みたいな立ち方をしていた。
中年の男だけがずかずかと病室に入ってきて、扉が閉まる。
もう一人の若い男が病室に入らなかったことに対して苛立ったのか、中年の男が眉間に皺を寄せてから振り返って扉を再び足で開けた。
「――おい。さっさと入れよ。あんまりオレを苛立たせるな」
浮かない表情で若い男が部屋に入ってくる。
若い方の男はベッドの上のイートロに対して、何故か気の毒そうな表情をしていた。
「あの――えっと……」
言葉に詰まって、自分が椅子から立ち上がる。
ここから退出するべきか、それとも挨拶をするべきか自分が迷っているところに、中年の男がずかずかと近づいてきて“自分が先程まで座っていた椅子”に割り込むように座った。
「さて――と」
中年の男が、テレビを乗せている物置棚に椅子に座った状態で片足を乗せる。
自分自身の目を疑った。
自分の前で、何が起きたのかわからなかった。
イートロも驚いているのか、病室が沈黙に包まれる。
中年の男は、周囲を数秒見まわしてから首を傾げた。
「――あれ? 病院って、来客に対してお茶は出ないの?」
「――私が買ってきます」
そう言って、突然若い方の男が病室を出て行く。
「あ、あの――」
イートロが困惑した面持ちで中年の男におずおずと質問する。
「ど――“どなたですか?”」
男がきょとんとした表情をした後に、大きな声で笑う。
「これは……面白い冗談だな。この私のことを、わからないってことはないだろう?」
男の返しに、イートロの視線が泳いでいる。
「いや――わかったぞ。なるほど……君はあえて私の自己紹介が聞いてみたいんだね?」
男は一方的に、納得したように頷く。
「私の名前は、木場田知亜貴だ。『A story for you NW』の現開発者であり、元ディレクターだ。“キバタさん”と気軽に呼んでくれ」
そこでようやく合点が行った。
目の前の木場田――キバタという男は、イートロが送ったメールを読んでここまでやって来てくれたのだ。
「それにしたって――笑えない冗談だな。プレイヤーである君達が私のことを知らないだなんて、そういう笑えない冗談は程々にしておけよ? 寛容な私だから許したんだ。気を付けた方が良い。社会に出た後にそういう冗談は通じない。非常識だって思われるからね。これが新入社員なら――ぶん殴られている所だ。程々にしておけよ?」
そう言ってキバタが、イートロに対してにこやかに笑うけど――目が笑っていない。
「あの――その――ごめんなさい……キバタさん」
イートロが怯えながら謝り、キバタが満足したように頷く。
「さて――君のことは、プレイヤーネームで呼んであげよう。イートロ君。おめでとう。君の送ってくれたメールを読んだよ。実に実に、素晴らしいと思う。勇気が欲しいってことでね。今日はわざわざ、君に対して個人的なプレゼントをしに来たんだよ」
再び中年の男――キバタが大きな声で笑う。
心の中に既にあった嫌な予感が、少しずつ大きくなっていく。
同時に、本当に僅かに希望があった。
ひょっとすると、目の前の無礼な男がイートロに対して“勇気”を与えてくれるかもしれないとも思った。
戻ってきた若い男からキバタがスーツケースを乱暴に奪い取って開く。
「ホラ――君に対して特別なアイテムを渡しに来たんだ。これを見てくれよ!」
それから、一枚の紙を放り投げるようにイートロのベットの上に置く。
「あ――凄く……カッコいい……」
浮かない表情でイートロが呟く。
自分が横から紙を覗き込む。
それは、ゲーム内で使う武器だろうか?
見たことのないようなデザインの剣と防具に覆われたケパトゥルスの大男がそこに載っていた。
「君のキャラクターのポストにこの武器を送っておいたんだよ。この剣を装備すれば、装備している間レベルがマックスになるし、HPもほとんど無限に近くなる――最強のキャラクターステータスでゲームを遊べる。君の操作するキャラクターは完璧に最強でほとんど無敵になれる! 私が保証する限り『ちょっとやそっとのことで消えたりもしないし、望めばいつでも君の手元に戻ってくる』。この武器を使ってゲームの中で、君は何をやってもいい! まさにスペシャルなプレゼントだ! ほら――――――"元気が出る"だろう?」
「あの――すみません」
自分が横から声をキバタに声を掛ける。
「確かに、強い武器だけど――この子は自分と一緒にゲームをしているんです。一緒に並んで、時間をかけてゲームを遊んでいるんで――」
「――それがどうかしたの? そんな悠長なことをしている時間が、この子にはもう無いのだろう?」
涼しい表情で無神経な発言をされて、一瞬だけ頭に血が上りそうになった。
それでも自分には、この無礼な男を無下にすることが出来なかった。
『目の前の男は少なくともゲームの上では有益なことをしようとしている』『それがイートロにとって良い影響を与えるかもしれない』
そう考えて無理やり自分を納得させて、声を荒げないように自分の感情を抑えつけた。
「イートロ君。どうだ――嬉しいだろう?」
「あの……僕は――その……」
キバタがイートロに向かって顔を寄せる。
「――――――――“嬉しいだろ”?」
「――――――はい。……………………“嬉しい”です」
「そうだろう! そうだろう!」
頷きながら自分の手を叩いて、大きな声でキバタが笑う。
「ただし――コイツを使うには条件がある! エールゲルムの中には【天蓋島嶼群】という忌々しい島があるんだが――その島の三つ目の攻略ルートだけは、私が作った最高のフィールドなんだ。君が、そのルートのボスを倒すことで、初めてその剣を装備できるようになる! 詳しくはその用紙に書いてある。興味があるなら読んでくれ」
キバタがイートロの両肩に手を置いた。
「いいかい? 必ずNo.3を踏破するんだ。そして、その力を堂々と見せつけてやれ! その代わり――その後にその力を何に使ったとしても、ゲームの中で直接私に対して、キミのキャラクターで“不都合な発言”は絶対にしないことだ。褒め言葉のみ“許してあげよう”――いいね?」
「あの…………………………僕…………………………………………」
「ホラ、これを掲げてくれよ」
押し付けるように武器のデザインの紙をイートロに持たせてから、キバタが肩に腕を回す。
グレーのスーツの男が、携帯端末で二人の写真を撮る。
「ようし――それじゃあ用件は済んだし、さっさとお暇させてもらうよ!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
二人の男が病室を去ってから――自分はショックで動けないで居た。
それはまるで――突然襲い掛かってくる嵐のようだった。
「あの人――――――僕のこと。……………………きちんと見てくれてなかった………」
何かを言い返そうと思った時にはもう居ない。迷惑な人間の典型。
あまりにも非常識すぎて、どう反応するべきかわからないまま居なくなった。
対応に、遅れてしまった。
自分は知らなかった。
こんなに自分勝手で人の気持ちを考えていない人間が世の中に居るとは――思わなかった。
「あんな自分勝手な人が………………………………………あのゲームを作っているだなんて……………………」
――その呟きで、自分はようやく気づいた。
イートロが僅かな時間で、あの男に利用されたこと。
不躾ない態度で人としての尊厳を踏みにじられて一方的に“望んでいない物を押しつけられた”ということ。
そして、あの男がイートロの希望を逆に叩き潰したことに。
――自分が、この場で憤慨をするべきだった。
判断を間違えたと思ったし、今からでも怒るべきだと思った。
だから自分は病室を飛び出た。
長い廊下を早歩きしていると廊下の奥で、声が聞こえてきた。
『本当に、上の許可を得ずにこんなことをやってしまって宜しかったのですか? あんな強さのシステムの枠を超えた個人製作のアイテムを、特定個人のプレイヤーに自己判断で渡すなんて……』
『――気にする必要は無いさ。元々VRゲーム以外ろくに遊べないような病人なんだろ? 病人っていうのはゲームの中でも病人みたいなプレイしかできないものだから、大したことにはならない。譲渡することも自分から捨てることも、できないようにしてあるからな』
自分の早歩きが、駆け足になる。
「――――――ふざけるなッ!」
真っ黒なスーツに向かって、背後から大声を上げる。
「何なんだ、アンタら! 一体――いきなりやってきて――一方的にアイテム押し付けてッ! “やり方”って物があるだろ! アイツの希望していないようなものを押し付けるのが正しいやり方なのかよ!? それで“元気が出るだの希望が出る”だの――意味わからねえよ‼」
キバタは振り返って、おどけた様子で首を竦めてから――やれやれと言わんばかりに首を横に振る。
「意味なんて分からなくても良いんだよ。こちらにはただ“事実だけ”があればいいんだ。ああいう病人に“特別で貴重なアイテムを渡したっていう事実”だけがあれば――それで充分なんだよ」
「――何が言いてえ!」
「死に掛けの人間に、レアアイテムとか完成間際の新作ゲームを握らせたりするのはね。有名なゲーム会社ならよくやっている手段なんだよ。君も聞いたことないかい? そういうニュース」
知らないわけじゃなかった。
良くあるニュースだし、RoValの前身であるEoEでもそういう話はあった。
「……なぜそういうニュースが耳に入るかっていうとね。誰かが外に情報を“漏らしているから”なんだよ。本当に善意でやるんならね。プレゼントした後に、“黙っていて欲しい”とかいっそ言ってみればいいのさ。ところがどこのゲーム会社も絶対にそうはしない――何故かわかるかい?」
「……………………ゲームに携わる人々に、希望を与えるためじゃないのか!?」
「――違うな。“美談は人の注目を集めて金になる”からだ。“死に掛けの病人”っていうものは、大衆を感動させるうえで――実に使い勝手が良いんだよ」
薄ら笑いを浮かべる男の口から、聞くに堪えない言葉ばかりが飛び出してくる――
「私も――きっと褒めてもらえるだろうな。ゲーム業界に携わる者として、『木場田知亜貴は素晴らしい人材』だ――ってね。話題性になれば出世も見込めるってわけさ。知り合いの伝手で広告代理店経由で宣伝をしてもらう約束でね。ちゃんと下調べはしたんだよ? あのガキには、“力”なんて物は無い。――望んでないものを押し付けても、どうってことないし――揉み消せばいいだけの話だ」
――自分の我慢の限界をとっくに超えていた。
「こ――――――の野郎!!」
キバタに飛び掛かろうとして、グレーのスーツの男にあっさり取り押さえられてそのまま壁に抑えつけられてしまう。
「――おっと……暴力は良くないぞ? 警察を呼ぶことになる。人が少ない場所で良かったな。――騒ぎにはしたくないだろう? ――程々にしておけよ? “病院ではお静かに”」
「許されるか、そんなことがッ! このことが公になったらただじゃすまねえだろうが!」
「――そんな“事実”はどこにも無いんだよ。残ったのは“プレゼントを渡したというこちらの記録”だけ――録音の心配もしていない。病院では許可されていない電子機器の使用は禁止されているものな。そして君は――彼のことが心配なんだろう? 許可を受けていない電子機器を動かして、彼に取り付けられている医療機器に誤作動でもあったら大変だもんな。最悪場合――彼の心臓が止まってしまうかも?」
自分の首を絞めるようなジェスチャーをして、キバタが舌をべろりと出して笑う。
「悪いけど。時間が無いんでもう行かないと。――空きがないからって、障害者用スペースに車を停車してきたんでね。バレることはそうそうないんだが――バレたらバレたで自称善良な小市民共がギャーギャーギャーギャーうるさいから」
大きな笑い声と共に、キバタがその場を離れていく。
自分を拘束していた男も一礼しながら、駆け足で去っていった。
自分は……壁を背に地面に膝をついた。
――そうして。
一日の間に二度も絶望を味わった自分は――それから病院の廊下で蹲って、両手で口を押えて馬鹿みたいに泣いた。
声を押し殺して……声にならない声を上げて、一人で泣いた。
無念だった。
心に残ったのは、自分の無力さだけだった。
涙を拭いてから重い足取りで病室に戻ると――
――イートロが床に倒れていて、身体についていた管が何本も引っこ抜けていた。
「ば――馬鹿野郎! お前――何やってるんだよ!」
自分が怒鳴りながらも、咄嗟にナースコールを押す。
素人の自分にどうにかできるような状態じゃなかった。
「……聞こえてたよ――――――あのキバタって人が……トヴと何を話していたのか」
イートロに『ドアの側で聞き耳を立てられていた』。
その事実を知って、自分の心臓が縮こまって止まりそうになる。
「あ――あんな奴の言うことなんて聞くなよ!」
「良いんだよ――――わかってるんだトヴ……僕さ。――いつも“そう”なんだ……利用されるだけなんだ」
「ち……違う! 世の中――捨てたもんじゃないはずだ! まだあきらめちゃだめだ! お前に勇気と希望を与えてくれる人間が……まだどこかにいるはずだ!」
――しかし少なくとも、それはこの場にいる自分じゃない。
「……“悔しい”よ。トヴ……僕……悔しいよ……………………」
テレビのリモコンのスイッチが、倒れたイートロの身体の下敷きになっている。
ニュースでは、凶悪な殺人事件がまた起きていた。
人が何人も何人も――
――――――何人も何人も何人も何人も何人も何人も死んでいる。
床に倒れたイートロの淀んだ瞳が、瞬きもせず無表情のまま涙を流しながらニュースを見つめている。
「――わかったんだ。トヴ。こういう事件を起こす人達の気持ち……少しだけわかったんだ……」
「……………………何言ってるんだよ!」
「“壊れちゃえばいいのに”って思うんだ……僕らが“生きていた世界”……全部――全部ぶっ壊れちゃえばいいのにって………………」
病室の外に出される瞬間に、イートロが泣いたまま、自分に笑顔を見せた。
「やっぱり――――――――――――世の中に希望なんて、何もないね」
その目は笑っていなかった。
ひびの入った卵を何とか助けようとしているところに、中身ごと踏み潰されたような絶望感があった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ゲームが人に夢を与えるなんて、嘘っぱちだ。
自分もアイツも、結局最初から最後までずっと、金持ちの大人たちの玩具だった。
このままイートロは自分のように……最初から最後まで、大人たちの玩具になったまま死んでいく。
……死んでいくんだ。何一つ自分の望むものも得られないまま。
誰からも救いを得られないまま、たった一人で死んでいく。
気が付けば、フラフラと行く宛ても無く夜の町を彷徨っていた。
「全部……自分の責任なんだな……」
真っ暗な路地を歩きながら自然と口から言葉が出る。
「このくらいの冷たさと…………残酷さが当たり前の世の中なんだと…………気づけなかった自分の――責任」
自業自得だ。
自分は若くて無知で馬鹿で愚か者で、ゲームしかできない不器用な人間だ。
どうして――どうして、ここまで状況が悪くなる前にイートロにもっと歩み寄ってやれなかったんだろう。
自分自身がこの国で社会的に死んでしまう前に、まだ世間的な信用があるうちに。
アイツのことを理解して自分から手を差し伸べることができていれば――アイツは、心を閉ざさないで居られたかもしれないのに……。
「……必死だったからだ……余裕がなかった……自分にはゲームしかないと思い込んでいた……」
真っ暗だ。もう何も見えない。
ただ遠くに、見覚えのある光が見える。
事務所でいつも見ていた、“青色の光”だ。
ぼうっとした表情で歩み寄る。
駅の近くで、電車の青色灯が光っていた。
何もかも失った自分に、踏切の音と、電車の走る音だけが聞こえてくる。
気が付けば、視界に映る青い光が切り替わっていた。
いつの間にか、何事も無かったように。
自分は、無人になったチームの事務所に戻ってきていた。
部屋の床にはかつて自分が着ていたユニフォームが置きっぱなしになっている。
自分は呆けた表情で、それを拾い上げて表面をなぞる。
予選大会の間も、自分の身体に纏わりついていたスポンサーのロゴの――気持ちの悪い手触りがあった。
それを片指で無理やり引っぺがそうとする。
強く縫われていて、剥がれない。
段々と、手指に力が籠ってくる。
「……何が――」
ロゴを縫い付けている、糸がぶち切れる音がした。
「――何が企業だ………………何がスポンサーだ……………………」
ユニフォームに張り付いているそれを次々と、乱暴に引っぺがし続ける。
「ふざけやがって……ふざけやがって……こんな――――――こんなもの……!」
力を入れ続けて、指が血だらけになる。
生地ごとロゴを引っぺがして、ユニフォームが穴だらけになる。
「こんなもの……こんなもの………………こんなものが――!!」
大声で叫んで、ユニフォームを丸ごと破こうとしたその瞬間――
――――突然。
黄ばんだ白電話が、音楽を奏でつつ鳴り始めた。
着信音は、何故か自分が聞き慣れている――
――――――――――『どこかの有名なクラシックの曲』だった。
https://youtu.be/3BKy28AbB2k?t=130