第三十三話 Heroes Tonight
……羽が生えても、空を飛べるわけじゃない。
そんな当たり前のことに気づいて尚、自分は緑色の砂浜をゆっくりと歩いている。
『ゲーム』が始まるまで、後どのくらいだろうか?
ふと振り返ると、そこには奇妙な色合いの海が広がっていて、そこから押し寄せたさざ波があっという間に自分の残していった足跡を消していく。
(もう、自分には何も残っていない――何も……)
残っているのは頭の中にある、自分自身の記憶だけ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
『僕にとって人生というものは“戦い”です』
昔の自分の声が聞こえてくる。
この台詞は――ああ、懐かしいな。
これは“インタビュー”された自分の――“僕”たちのチームの動画の中で、一番初めに僕が言った台詞だ。
『生きることが戦いで――僕自身の人生こそが戦い。今まで、僕は自分自身の人生を選ぶ自由も無いと思っていました。僕の人生は周囲と比べると、とても低い場所から始まったから――』
その自分の声に遅れて、“僕”がようやくインタビュー動画の中に姿を現した。
『なぜ、僕がプロのゲーマーを志したかですって?』
やせ細っていて、平凡な髪形で黒縁の眼鏡をつけた青年である僕は、一人で画面中央の椅子に腰掛ける。
『それは……僕が、生まれつきゲーム“しか”できなかったからです。物心ついた時から、ゲームばかりしていた。ゲームを好きになった理由は――僕にとって一番大切なことなんだけど……今となってはその理由を思い出すことができません』
このシーンになるといつも思い返してしまう。
『コイツには志が無い』っていう――ネットに書き込まれた、僕に対する誹謗中傷を。
僕が映っているインタビュー動画のシーンが、すぐに切り替わる。
そこには五人の青年たち。
僕と、所属しているプロチームの仲間のメンバー達が、3Dアニメのキャラクターとなって、ビデオの中で大きな山を登っている。
山は試練の象徴だ。山の頂上にはトロフィーが置いてある。
僕らがこの動画に登場していたその当時に目指していた――国の“予選大会”の優勝トロフィーだ。
『気が付けば、ゲームを突き詰めてこんな場所にまで来ていました。この国の頂上まで、あと少し』
再び映像が切り替わる。インタビュー動画の演出の一環だろう。
今度は、暗い部屋の中、“幼い僕を演じる子役の少年”がぼうっとした表情で座っている。
その瞳には、テレビゲームの画面が写っている。
『僕が一番最初に遊んで――、一番好きだったゲームは“小さな天使が大空を飛ぶゲーム”でした。飛び回って、空から世界を見渡すんだ。いつか僕もこんな風に大空に飛び立って世界中を見て回ることができたら良いなって、子どもの頃からずっと思っていた。その夢は――変わっていないのかも。あの時はゲームの中で夢に憧れて――そして今はゲームを通じて夢を叶えようとしている』
映像の中のテレビの画面が消される。
僕がゆっくりと振り向く、背後の部屋の扉が開いて――映像が切り替わる。
動画に、再びインタビューを受けている僕が映る。
『でも、子どもの頃は憧れているだけでした。母は物心つく前に亡くなったし、父は仕事に失敗して酒浸りで……僕をよく詰った』
実際はそれだけじゃない。
得意なことをやらせるという名目で父親は色んな伝手で違法な賭博を自分にやらせた。
父は、目先の酒代が欲しかっただけだ。
『友達からもよく虐められていて――彼らが遊んでいるゲームも僕と違くて……僕は、どうしようもなくてずっと部屋に籠って――学校でも、家でも、いつも独りぼっちでした……人生が、滅茶苦茶でした』
軽いフラッシュと同時に、映像が切り替わる。
皺だらけの腕が映る。
『そんな僕を、母方の祖母だけが肯定してくれました。僕は祖母が大好きでした。世界でたった一人、僕を抱きしめてくれた人だから。そんな祖母が僕に言ってくれたんです』
『「あなたが辛いのはよくわかるわ。だからこそ自分の好きなことをできる範囲で存分にやりなさい。それがあなたの人生なのだから」』
インタビューを受けている“僕”がしばらく黙り込んでいる。
このインタビューを受けた時、僕は祖母のことを思い出していたからだ。
『……幼い僕は、祖母の胸の中で眠るのが大好きでした――でも、そんな優しかった祖母が、乳がんになった。片胸を手術で――ざっくりと切られたんです。少しずつだけと祖母の身体は細くなって、冷たくなっていって。ベッドで寝たきりになった祖母は、ついに僕を抱きしめてくれなくなった。……後から考えると、祖母は僕にがっかりされるのが嫌だったのかもしれない。そうして……心の支えだった人が亡くなって。僕の心にも穴が開いたような気分になって――それでも――』
そうだ――思い出した。
この台詞はインタビューが暗くなりすぎるからって、編集でカットされてしまったんだっけ。
当たり前だ――動画の視聴者が求めているのは許容できる範囲の、日常生活で耐えきれる程度の不幸だったから。
『結局、祖母の僕を応援してくれた言葉だけが、僕の心に残りました。それから――ゲームで頂点を目指して――お金を稼ごうって思ったんです。そのお金で、もっと多くのゲームが出来ない子ども達にも……僕みたいにゲームをたくさん遊んでもらいたいって――そう思うようになったんです』
インタビューの質問内容が文字として画面の右側に浮かぶ。
【――いつも挑戦的な発言をしていますよね? それは向上心の現れ?】
画面の中の僕は、ちょっとだけ居心地が悪そうに顔を掻く。
『……世間は浮き足立っていると僕に言う。ならばいっそ、僕はこの国で、誰も見たことの無いを高みを目指します! ――雲を超えた天の上へ。っていう……“アレ”ですか?』
【――そうです。そういう“アレ”。後は、ゲームで長時間、無謀なチャレンジをしていたプレイヤーに対して――】
『例え愚か者だと誹られても、最後までやり切ったその姿勢は嫌いじゃない。僕の“行くべき道”もいつもたった一本だけだったし――行き先はいつも頂上だった――?』
【はい。そういうアレですね。とどめにいつもの“決めセリフ”です。敵チームにとどめを指すときのあなたの言葉です。『これで、最後だ!』】
『“これで、最後だ!” ……あ~』
僕は笑って、顔を赤くして照れている。
『……ああいった発言は――違います。僕のチームを運営してくれている会社の偉い人から、“そういう風に発言して”って毎回言われているだけです。反感を買っているかもしれないけど。正体はこの通り。臆病でゲームしかできない人です』
それから、僕はインタビューの質問に一つずつ答えていく。
視線が覚束ないから――この時、多分僕は緊張していたんだと思う。
【最後に、ファンに対して言いたいことはある?】
緊張しないように、大きく深呼吸して僕が真っすぐこちらを見つめて来る。
『え……あ~………………僕みたいな――チームの“脇役”のビデオを最後まで見てくれてありがとう。他の四人のメンバーと比べると、僕が活躍するのはチームが本当にどうしようもなくなった時だけで……いつもやっているのはただのサポート役。プレイはほとんどの人にとって地味に見えるし……チームを応援してくれている人が――居るのか知らないけど。その中でも僕は特に不人気なプレイヤーみたいで……発言も浮いていて、いまいちパッとしない選手だと思う。でも、もしも……こんな僕のことを好きになって……もしも応援してくれる人が居るのなら――』
そこで、突然動画が終わる。それまで観ていた映像が消される――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ちょっと……Sigurd! 僕、まだ映像観ている途中だ!」
いつの間にか部屋に入ってきていたチームメイトのSigurdが、勝手にマウスを弄って僕がそれまで見ていた動画を消してしまった。
そして、黴の生えた備品のゲーミングチェアに座っていた僕に対して、横から質問をしてくる。
「……Angel。反射的に大声で俺の名前を呼ぶのやめとけ。お前、この前喫茶店で俺のことSigurdって“プレイヤー名”で呼んで、店員に変な目で見られたろ?」
Sigurdがチームメンバーのリーダーとして僕に向けてくる表情は、訝しい物だった。
チームメイトをプレイヤー名で呼ぶのはプロプレイヤーの“職業病”みたいなものなのに、無茶を言わないでほしい。
「それは兎も角としてだ。Angel――お前、“チームの広報用のビデオ”どれだけ気に入ってるんだよ。――さっきから一体何回観ているんだ? 3Dのアニメなんて、物珍しいもんじゃないだろ?」
「い……いや、動画サイトで、再生数が少しでも増えてくれないかなって思って。そしたら、僕個人に向けての“応援のメール”とかも、来るんじゃないかって……」
「いろんなチームがいる中で、俺達の評判――あんまり良くないのにか?」
「――それは……だって、『敵チームに対して強気な発言をしろ』って、うちのチームのオーナーが何度も何度も僕に言うから……」
「でも、デカイ口叩いているのは事実だろ? 動画なんて見ている暇があるならもっと練習しておけ。最低限、チームの連携の確認をしておくべきだ。“俺達のコーチ”はいつも通り不在だけどな……」
コーチという言葉を聞いて、確認のために周囲を見渡すことすらせずに僕は反射的にため息をつく。
「解雇された前のコーチさんの方が良かったよ。あんなコーチは……居てもしょうがない。ゲームに興味が無いプロチームのコーチなんて――信じられないよ。僕からすれば今居ないと困るのはチームメイトの方だね」
改めて、ボロボロのゲーミングチェアから立ち上がって周囲を見渡す。
廃墟寸前の事務所の中では、切れかかった天井の電球が点滅しているだけ。チームメイトは僕とSigurdを含めて“三人”しか見当たらない。
「5VS5のチームゲームなのに――二人足りないよ。ねえリーダー。AAAKAANは、今何をしているの?」
「あいつは今日、調子が悪いってさ。顔が真っ青だったよ。また相手チームの選手に名前を呼び間違えられたのがショックだったんじゃないか? んで、それは俺が知っているんだけどさ――NICOの方はどこ行ったか知らないか?」
Sigurdの質問を受けて、僕はついさっき部屋を出て行った最年長のチームメイトのことを思い出す。
「NICOは――落ち込んでるよ。彼、また“ニューフェイスのくせに顔面が汚い”って、配信とかネットのまとめサイトとかで悪口言われていたんだ。『このままじゃ彼女なんてできやしない』って。――僕たちの全員が現実の格好良さでここまで登ってきたわけじゃないっていうのは、彼もわかっているはずなんだけど……」
「『彼女なんてできやしない』――彼女だって!?」
Sigurdが素っ頓狂な声を上げる。
「そんな金のかかるもの、今時作ってどうするんだ?」
「ん……ん~……『結婚』――でもするつもりなんじゃない?」
「今の俺たちの待遇で!? 根無し草とほとんど変わらないぜ!」
それは確かにそうかもしれない。
だけど――
「――夢を見るのは良いことだよ。それに、きちんと学校で勉強したところで、結局全員根無し草になるんじゃないかな――今の僕達くらいの若い世代って」
気が付けば暗い話題になっていて、Sigurdと僕の間に嫌な沈黙が流れてしまう。
だから、僕は咄嗟に話題を変えることにした。
――こんな暗い雰囲気は、この世界に足を踏み入れてとっくに慣れていたけど。
「――でも、根無し草ってことはさ。同時にチャンスってことでもあるよね。後はもう、のし上がるしかないよ」
「のし上がる――ねぇ」
そう呟いてSigurdは大きく伸びをする。
「確かに、一大チャンスだな。『不遇な立場で育った無名の天才五人組が偶然集まって出来たチーム【Colors】が、たった一年で国の予選大会を登り詰めて世界大会にいきなり進出!』。そうなったら、世紀の大逆転だ。夢がある」
「ついでに世界も取るよ。僕らならできるさ。“無名の天才五人組”っていうのは間違いない。どういう基準で選ばれたのかは未だに教えてもらっていないけど、奇跡を信じられるくらいには皆強いからね……後五年も経てば、僕も21歳。チームメイトの大半が20代の前半だ。そこを過ぎると、ゲームに対する反応が悪くなるから、プロとして引退を考える時期に差し掛かる」
「わかっていることだけど、俺達の選手寿命って本当に短いよな……」
「それが、億単位の賞金が得られる僕たちの世界の厳しい現実でしょ? だから、最悪それまでに何としても世界大会で名を残して有名になるんだ。無名でもやればできるってことを証明してみせるよ。――きっとうまくいく」
「おっとっと……強気な発言が板についてきたようだな。それじゃあAngel選手にインタビューだ。――国の予選を抜けて賞金を貰ったら、何がしたい?」
「そうだな~……」
僕は、ドアの横に置いてある古びた電話を指出す。
「まず――ここの設備を変えてもらいたいな。例えば――あの黄ばんだ白電話とか。何世代前の機械なんだろ?」
「壊れかかっているけど、たま~に呼び出し音が鳴るらしいな!」
「それだけじゃないよ。僕は、ほとんどこの事務所に泊まり込み状態でゲームを続けている。今の環境のままだと、身体が完全に壊れる前に優勝できるかどうかって感じだね。……命を賭けるチャンスがあるだけマシだけど」
「それはまあ……皆いろんな事情で何年もゲームに命張ってるからな」
「確カニ、チームハ不人気デ。環境モ他ヨリ良クナイ! デモ、気ニシナイノ大事ーネ! 何事モ陽気ガ大事デースネ!」
いつの間にか、隣でゲームの練習をしていたチームメイトがSigurdの背中に覆い被さるように乗っかってくる。
それから、ヘッドギアを外して会話に割り込んできた。
「おっとっと、|ThunderBolt君よ。君は一人で練習中じゃあなかったか? それと、文字を書く練習はどうしたんだよ」
Sigurdの質問にいつも通りのテンションの高さで|ThunderBoltが答えた。
「ドッチモ練習中デス! Sigurd、私ニモインタビューをオ願ゲシマース!」
僕らは苦笑しながら顔を見合わせる。
Sigurdが少し考えてから姿勢を整えて、インタビューの真似を再開した。
「仕方ない……。それでは|ThunderBolt選手! 予選大会や世界大会で優勝賞金を手に入れたらその後はどうされますか?」
「賞金ヲ“ゲッツ”シタラ、家族ニ全部仕送リデスネー!」
「では、世界で優勝した後、国に帰ったら何をしたい?」
「兄弟達ニ、コノ国ノ言葉教エマース! 皆喜ビマース! 家族の写真meal?」
ズボンのポケットに手を伸ばす|ThunderBoltを、隣で見ていた僕が笑いながら諫めた。
「今日は大丈夫だよ。家族の写真は毎日見せて貰ってるからね。その家族のために、頑張って練習を続けよう。――この国の字を書く練習もね」
|ThunderBoltが前歯のない笑顔を見せてからヘッドギアを掛けて再び練習を再開した。
それにしても――
「賞金か。早く欲しいなあ。僕ら全員貧乏だもんね。他のチームの選手みたいに、ファンから通販で食糧でも寄付してもらえたら助かるんだけど……」
「確かにそうだよな。SNSのアカウントも、発言ごとチーム経営のお偉いさんが管理しているから外部にアピールもできないし。動画サイトの配信アウントはチームの経営団体が用意したものだから動画配信の収益も、俺たちには一切入らないと来た」
「――今時珍しいよ? そんなルールでやっているチームなんて」
不満そうな僕の表情を見て、Sigurd“また始まった”と言わんばかりにやれやれと首を横に振る。
「俺達に信用が無いんだから、仕方ないだろう? 俺達みたいな10代でも、SNSで問題発言したら袋叩きになる。俺達を管理している経営団体も、今後スポンサーとしてついてくれる企業も大損害だ」
「でも、動画配信くらいさせてくれても良いと思うんだけど……。宣伝にもなるはずなのに……」
「やれたとしても、この国じゃゲームの配信業で食うのは難しい。国の総人口が少ないからな。動画で金稼ぎするなら海外市場に合せて英語が話せないとダメだろ。自動翻訳にはどうやったって限界があるみたいだし。この国じゃ、複雑なプレイをするプロゲーマーはお呼びじゃない」
そういえば、Sigurdはプロになる前に配信業をやろうとして一度躓いていたんだっけ。
「この国のほとんどの連中が求めているのが“わかりやすい娯楽”なのさ。プロの本格的な対戦動画なんて求められていない。だから、だれもかれもが“わかりやすい馬鹿みたいなリアクション”とか“馬鹿でもわかるようなスーパープレイ”――要は大道芸みたいなものを観たがってる。だから今この国の人間がわ~っと集まってくるのは、頭空っぽにして見れる中身のない動画ってわけだ」
「それは――怒ったってしょうがないよ。ゲームは上手く無い人の方が多いもん。多くの人にとって、大切なのは中身なんかより、パッと見の話題性だし……」
「もしくは『女配信者になりすます』かだな! 最近技術が上がってなりすますのも凄いらしいぜ! ずっとやっていたらすぐバレるみたいだけど」
僕はその話を聞いているうちに、無意識に頬を膨らませていた。
わかっている。こんなのはただのゲーマーとしての嫉妬だろう。
ゲームに対する思い入れや熱意なんて欠片も無い癖に“人集めの手段”として、とりあえずゲームに手を出す人たちが気に食わなかったっていう――ただのそれだけだ。
「……可愛さだけを売りにした女の子の配信なんて、基本水物でしょ。どれも五年と長く続かないんじゃない?」
「お前それは偏見だし、俺達も似たようなもんだろ? ”どっちも中身は空っぽの虚業でしかない”。今の俺達の何千倍も金稼いでて、それをただお前が嫉妬してるだけさ。じゃあAngelは、ゲームをプレイしながらやれるのか? ――子ども向けの大道芸とか、女に偽装とか」
返す言葉が無い。考え込むまでもなく無理だ。
せいぜい、僕にできるのはゲームに人生を賭けることくらいだ。
だから、僕は無言でそっぽを向いた。
「――ほらな? だから、人間として社会から信用されていない俺達みたいな日陰者には、ここ以外に居場所はないってことさ。結局、何事も『金を持っている人間が正義』だ。俺たちみたいな10代の子どもが、企業に逆らわずに一人で金稼いで生きていくなんて無理無理。能力があっても――大人に従わなきゃ道は無い」
「そうだね。だからこそ僕らは世界で必ず活躍して見せる。そうすれば瞬く間にヒーローさ。大会を勝ち上がれば、新しいスポンサーもついてくれるらしいし――そうしたら、毎日二食のコンビニ弁当みたいな生活は終わるはずだもん」
最近身体の調子が悪いのも、食生活が原因だったりするのかもしれない。
そう考えて、僕は思わず愚痴を零した。
「――今度対戦するチームは有名だから、“専属の栄養士”がついてるらしいよ。不公平だよね――世の中って」
「お前な――好きなことやって飯食えるだけましと思えって。今時、“ゲームで飯食ってる”なんて話したら、その辺を歩いている子どもにも鼻で笑われる世の中だぜ? 仕事のせいで誰も彼もが時間ない状態で、ちょっとした暇潰しの安価な娯楽が溢れてる。そんな昨今で一つのゲームをスポーツみたいにやり続ける俺らは、この国の中じゃ完全に異常者さ」
「でも、そんなに色々遅れているのは“うちの国”だけでしょ? だから僕らは必ず世界大会に出て、この国のesportsを――」
話がループし始めているな――と自分で思った矢先に、Sigurdのズボンのポケットに入っている“チーム共用の携帯端末”が震える音が聞こえてきた。
「そうだな……俺らも、“使い捨ての安価な娯楽”で終わらないように頑張ろうぜ」
呟きながら、ヒビの入った端末の液晶をSigurdが確認した後。驚いて僕に向かって顔を上げた。
「マジか――おい。Angel。お前宛にメールが来てるぜ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『――Angel選手へ。僕は人見知りだけど、どうしてもあなたと話がしてみたくてこのメールを送りました。なぜかというと、昔のあなたが、少しだけ僕に似ているなって思うところがあって、共感している内に、一人で応援するようになったからです――』
その少年が生活している部屋に初めて入った時、僕はびっくりした。
部屋の中に居たその人物は、僕よりもずっと若かった。
多分、年は一桁くらいだと思う。
ごわごわの真っ白な服に、揺らいでいる真っ白なカーテンから後光が射していた。
それを見て、僕は何故か小さい頃に昔遊んだ――あの“ゲームの中の天使”を思い返した。
だけどその表情はゲームの中の天使とは真逆で、こっちを横目で見つめてくるその表情は暗かった。
「――――僕に………………会いに来てくれたの?」
それだけ言って、少年が俯く。
僕にはその少年のシルエットが、とても弱々しく見えた。
そこでようやく僕は、この少年が送ってくれたメールの『僕に似ている』という言葉の意味を理解した。
まるで、かつての僕自身を見ているようでもあった。
かつての僕と違うことといえば、生活しているこの部屋がとても綺麗で間取りも広いってところだけ。
部屋には他に誰も居なし、周囲に人の気配もない。
そんな状態で、少年は一人で酷く落ち込んでいた。
「あ、あ~――」
気まずい沈黙を打ち破ろうとした。
元気がない目の前の少年を勇気づけたくて、口から咄嗟に言葉が出た。
「は――初めましてだな! “自分”の名前はAngel! チーム【Colors】でメンバーのサポート役をやっている!」
少年が驚いて目を見開いて動かなくなる。
「あの――――――インタビューの時と……話し方が違う……?」
即座に僕は失敗したと思った。
死ぬほど恥ずかしい思いをしたと思った。
「いや……ああその――ごめん。悪かった。ちょっと調子に乗ったんだ。この口調は――」
「――うん。とっても良いよ!」
気がつけば、少年の目が輝いていた。
「RoValの【シェームハウザー】そっくりだ! そっちの話し方のほうが……全然カッコいいよ」
“自分”がゲームの中で使っているキャラクターの名前を少年が叫んで、ようやく“自分”に笑顔を見せてくれた。
それから“自分”は少年と二人きりで、いろんなことを話した。
この空間にあるのはパソコンだけで、VRゲームを遊びたくても遊べないってこと。
少年には今、誰も友達がいないこと。
そして、少年が自分の数少ないファンであること。
「質問なんだけどさ。【シェームハウザー】ってそんなにカッコいいキャラクターか? 自分で使っていてなんというか――自信がないんだよなぁ……」
「うん。カッコいいよ。僕大好きなんだ。今のAngelみたいにとってもフランクだし。よく笑うし。天使の力で戦うところとか」
「天使ったって“天界を追い出された”って設定だろ? いつもの姿は……薄汚い不細工の禿げた中年のオッサンだぜ? もしもRoValってゲームが、自分自身のキャラクターを自分で作れるようになっていたなら、もっとまともな顔にしていたくらいさ」
「わかってないなあ。その格好が良いんだよ。キャラクターの設定も好き」
少年が楽しそうに、熱っぽく語る。
「天使なのに、人間を守ろうとして罰を受けて、力を奪われて……いつもは三枚目でぱっとしないけど、本当は人類たちの味方で――皆がどうしようもなくなったピンチの時に自分の命を削って天使の力を解放して戦ってくれるんだ。それで、大逆転!」
「そりゃあまあ……ゲーム内のキャラクターの設定はそうだけどよ――」
自分の使うキャラクターは、そういうコンセプトだった。
「――この国のリーグでは自分達のチームって“悪役扱い”なんだぜ?」
そして、自分の名前と使用キャラのイメージが同じなのはただの偶然だった。
意識して選んでいたわけじゃなかった。
「知らないよそんなこと。【シェームハウザー】を使って試合が逆転して“Angel”がガッツポーズするシーンがとってもカッコ良かったんだ。それでいいじゃない!」
ゲームプレイに関しては理解できなくも無いけど――
「でも、自分の見た目は……かっこよくはないだろう? 黒縁の眼鏡かけてやせ細ってるんだぜ? 試合に出るたびに“顔面ハラスメントだ”ってネットで散々言われてる」
――そう言って、軽く笑って見せる。
「……ネットにいる人たちって、酷いよね。匿名だからって好き放題言ってさ」
「もう慣れたよ。外野には好き勝手に言わせておけばいいのさ。『応援してくれるファンの声が一つでもあれば、誹謗中傷なんてどうってことないんだ』って今日初めて分かった。――この場所に来て……ようやくな! さて――自分はもう帰らないと!」
そこで話は終りになった。
『この日はもう、時間がなかった』
『自分が帰る時間』になると、それまで笑顔だった少年が泣きそうな顔になっていた。
だから――
「――心配するなよ! また、すぐ会いに行く!」
「……本当? 必ず、また来てくれる?」
「ああ――約束だ!」
「……ありがとう。僕、いつもAngelの試合を見て……応援してるよ!」
少年の酷く喜んだ表情に、自分自身が大きく動揺しているのを感じる。
少年に別れの挨拶をして自分が部屋から外に出る。
長い廊下を歩いて。
エレベーターを降りて。
少年の居た巨大な建物を改めて外から眺める。
その建物には威圧感があった。
誰しもがそうかもしれないが、特に自分には病院というものに良い思い出がなかった。
亡くなった祖母や、酔って死んだ父を思い出すから。
巨大な建物を見つめながら、“自分”は、少年から送られてきたメールの続きを思い返す。
『――僕は今、治る予定のない病気に悩んで、とっても苦しんでいます。ずっとずっと一人ぼっちで、勇気が欲しいです』
病室でずっと生活をしているというあの少年に対して、今の“自分”に一体何ができるのだろう。
悩みながら、長い長い帰り道を一人で歩き始める。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それから二週間くらい、自分自身の軽率な行動を自分で後悔していた。
情けないけれど、あの少年と出会ったのが運の尽きだったと思うくらいに。
あの少年の存在を知ってしまったことを、自分はずっと後悔していた。
果たしてあんな境遇の少年に、自分にできることなんてあるんだろうか?
最初から、会いに行くべきじゃなかったのかもしれないとすら思っていた。
「やあやあ! 一人称が“自分”になった新生Angelさ~ん!」
最年少のチームメイトが、練習を終えたばかりの自分に話しかけてくる。
徹夜明けみたいに妙にテンションが高い。
「予選リーグのトーナメント表は観ましたか~?」
「……AAAKAAN。五月蠅いぞ。自分の口調を替えるのは“自分の自由”だろ?」
「あなたの評判、結構上がったみたいですよ。『キャラクターと話し方が同じ』っていうのは話題性があるってスポンサーの人、喜んでました~」
「Angel……お前……………………キャラ付けでもするのか?」
NICOがいつも通りぼそっと呟く。
四六時中陰気な彼が、今日は何故か上の空だった。
「自分は別に、狙ってやったわけじゃないさ! この口調になったのは……ちょっと事情があってな。ところで、Sigurdと|ThunderBoltは?」
「………………チームのオーナーに呼び出されてたぜ。俺には…………どうでもいい話だけどね………………」
そう言ってNICOが携帯端末を取り出して気味の悪い笑みを浮かべながら歩き去っていく。
彼は……まるで夢をみているみたいだった。
ボケ~っとしているというか、『最近彼女が出来たって』言っていたからひょっとすると“恋煩”いって物なのかもしれない。
同じ感想を抱いたのか、AAAKAANは退出していくNICOの背中を、ゲーミングチェアの背もたれに寄りかかりながら訝し気な表情で覗き込んでいた。
「――ところで、AngelさんはフルダイブのVRやりました~? 事務所に自由に使って良い試供品がいくつか置いてあったけど、あれは凄いですよ。新作ゲームどころか、最近通常のVRからフルダイブに超技術で移行したゲームもあるらしくって~慣れておいた方が良いんじゃないかな~って」
「あ、ああ――自分は既に何度か遊んでみたぜ。五感が完全にゲームに移行するっていうのは凄かったけど――現実の身体が動かないってことを除けば通常のVRと操作感に違いが無かった。まあ――RoValは、宙に浮いた状態で身体を直接ちまちま動かす普通のVRゲームだろうさ」
「そりゃまあそうですよね~。RoValが活性化している理由は“ゲーム機材の安さ”にあるから~。普及のしやすさこそ世界のプレイ人口の数。だから世界大会が開かれて賞金も出るって寸法ですもんね~!」
AAAKAANが椅子の上に正座して、背もたれをガタガタと動かしながら大きく伸びをする。
「でも、この先凄い勢いでフルダイブゲームが世界に普及したらどうなるんですかね~? 誰も彼もが“寝ているだけ”ってなったら、現実で活躍するe-sportsの選手なんて終いには誰も見なくなるでしょ? 僕らの居場所って現実から完全に消えてなくなるんですかね~?」
「そうなっても“適応”するだけさ。もしも目立たなくなっていって――完全に居場所がなくなっても世界は広い。現実で自分達が生きていける居場所が、どこかにちゃんとあるはずさ」
「現実ですか~――」
AAAKAANが何もない天井を見ている。
その目が爛々と輝いている。
「――どうだかな~。自由に自分らしくやっていける世界なんて、そのうち仮想空間の中にしかなくなるんじゃないですか~?」
面白いことを言ったとばかりにAAAKAANが壊れた玩具みたいに笑い続ける。
「…………大丈夫かAAAKAAN? お前この前は体調不良だったってSigurdから聞いたんだけど……最近練習のしすぎで、少し疲れているんじゃないのか?」
「僕は大丈夫ですよ~! それよりAngelさんこそ目の下に隈があるじゃないですか! この後も“どこかに出かける”って話だけど、ちゃんと寝ているんですか~?」
「心配いらないさ。ただ――疲れているとちょっと“あれ”が目に痛いかな」
部屋の中央に置かれているVRゲームの機材。
そこから放たれている青色の光を見つめて苦言を呈する。
「ゲーミングデバイスを、何でもかんでも“光らせよう”と思いついたのはどこの誰なんだろうな? ホント、文句の一つでも言いたくなるぜ!」
「そうかな~。僕には……夜の駅の青色灯みたいで、すっごく綺麗に見えるけどな~……」
青色の光を間近で浴びるように見つめて、AAAKAANが目を輝かせている。
言われてみると確かに、夜の駅で年々狂ったように増え続けている青色の光に似ているけど――――
――――あれが、どうして青色なのか。
なぜ、そんな物が駅に置かれているのか。その理由を、自分は知らなかった。
「…………ま、自分が困ってるのはその青い光くらいだ。それも、七色に光らないだけマシだと思う。それと――疲労に関しても、心配ない」
自分が立ち上がって、それから部屋の隅に山積みになっているダンボールを見つめる。
「――飲むべきエナジードリンクがまだ残っている。“スポンサーさん”が新しくついてくれたおかげだな!」
自分たちの事務所には、水道も通ってない。
他に飲めるような物もないし。飲み物を買う余裕もなかった。
自分がダンボールから、常温のエナジードリンクの缶を取り出して見つめる。
今まで一度も見たことのない、自分が知らないメーカーだった。
そのまま部屋から出ようとして――AAAKAANの声が背後から聞こえてきた。
「飲むのは結構ですけど…………薬物はほどほどにしてくださいよ~」
「おいおい、冗談はよしてくれよ。自分は、ゲームに勝つためにドラッグなんか絶対に使ったりしないさ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「薬物?」
約束を果たすために再びやってきた病室の中での談笑。
チームメンバーの話をしていた時に、少年がその言葉に首を傾げた。
「あ……ああ――そうさ。最近“VRゲーム用の薬物”が発展途上国からガンガン流れているんだよ。ゲームとは関係なしに、脳みその反応を限界以上に引き上げるヤバい品さ。どっからでも安価で入手できるらしくて、最近他の国でも問題になってる」
「e-sportsってスポーツをリスペクトしているからe-sportsなんでしょ? 悪い部分まで、マネする必要ないのにね」
この少年の言う通りだと思う。
いよいよもって、esportsが現実のスポーツと大差なくなってきたと感じる。
「その薬物を人が使うと、どうなるの?」
「……使い続けると、四肢が麻痺したり、五感や記憶がぶっ壊れたり、色が認識できなくなったり、使えば使うほどヤバイ副作用が出るらしい。“一本”使うだけでものすごい効果があるらしいけど、海外でも二、三本使って後遺症でゲームがしばらくできなくなった選手が居る。最悪死ぬんだとさ」
「うわ~。プロってすごいね。そこまでして勝ちたいんだ……」
「人によっては、そりゃあそうだろうな。皆、自分自信や家族の生活がかかっているから。特に発展途上国の選手たちは、ゲームを遊ぶ環境すらろくに整っていない。それでも一獲千金を目指して命がけでゲームやってる」
「負けられない戦いがあるってこと?」
「そうだ。ドラッグを使う時は――どんなゲームでも、“命を削っても負けられない戦いの時”だけだ。それでも、死ぬ寸前まで使うやつはプロでも滅多に居ないみたいだけど。――そこまで使ったらバレるしな!」
「界隈で流行しているって聞いたけど、Angelのチームメンバーはそんなことしないよね?」
「バレたらチームごと処罰されるんだぜ? そんなことをやるような悪人は、自分のチームには一人もいないさ。『薬を使うような人間は、邪道どころか外道』だよ」
自分の言葉で、少年の表情が曇る。
「薬なら……僕もいつも飲んでるよ」
「いやいや……お前それは――意味が全然違うだろ! それは……その――身体に必要な物だから飲んでる」
自分の言葉に、少年が無理やり納得するかのように同調して何度か軽く頷く。
「でも……僕――今飲んでいる薬、本当は嫌いなんだ」
「どうして?」
「L-“dopa”って名前が嫌い。なんか――悪者みたいでさ。飲むとなんとなく気分が悪くなるんだ。……この薬の名前が、L-“Angel”とかだったらよかったのに」
「……おいおい! 薬にエンジェルはないだろう! 天にも昇る薬って感じで――実在したら絶対ヤバい薬だ。それこそesports選手が注射する違法ドラッグみたいじゃないか!」
ついそう言ってしまって、直後に青ざめた。
『天にも昇る』なんて、この少年の前では冗談でも言ってはいけない言葉だった。
「あ~――その……………………」
「………………大丈夫。気にしてないよ。僕は……今すぐ死ぬわけじゃないもん」
自分を心の中で叱責して、意を決して少年の質問する。
「……お前の病気って、一体なんなんだ?」
自分の“逃げ道を塞いでしまった”と、咄嗟に思った自分のことが自分で嫌になった。
……逃げ道とは何だろう? 自分は――ここから逃げる腹積もりなのか?
「神経の病気と脊椎の病気。二つの難病が合わさっちゃっているんだって。僕みたいな人、すごく珍しいらしいよ。………………体が、だんだん動かなくなっていくんだ」
「……………………」
質問の答えを知ったところで、自分に返せる言葉は結局何もなかった。
「――でも、ゲームの中では違うんだって。あれ見てよ」
少年の指さした部屋の隅には、病院に似つかわしくない機材が置かれている。
「あれは、VRゲームの機材か?」
「フルダイブの最新型。……本当は、普通のVRゲームが良かったんだ。僕もRoValを遊んでみたかったのに……身体を動かすのは大事だけど『動かし過ぎるとケガの原因になるから良くない』って先生が言うんだ」
「それはまあ――医者がそういうなら、そうことなんだろうな。それにRoValはチームゲームだから。上手く感情をコントロールできないとイライラして、ストレスが溜まるし身体に悪い。それに、多少なりとも直接身体を動かすからなあ……」
「先生はリハビリの悪影響になるって言うんだ。フルダイブなら良いんだって――最近はよくある事らしいよ。入院している人にゲームを紹介するのって」
「ああ――認知症の予防とか、健康維持とかに使うのか?」
「違うよ。病院も人手が足りなくて寝たきりの人の面倒をもう見きれないんだって。だから“ゲームを押し付ける”んだ」
「――冗談だろ?」
少年は浮かない表情で首を傾げるだけだった。
“冗談であって欲しい”と思った。
もしもそれが本当なら、自分が思っているよりも――ずっとずっと世の中が冷たいってことになってしまう。
「あの――ごめん。Angel、そろそろ僕……点滴の時間なんだ。だから――」
「ああ、“終わるまで待つ”よ。今日はまだここに居るつもりだ」
「うん――ありがとう」
自分は、ここで帰るつもりはなかった。
……暗い話ばかりじゃだめだ。
自分は何としても、この少年に勇気を与えなければいけない。
そう思い立って、病室の外に出た直後。
まさに人手不足でくたくたになっているような――実際は違うかもしれないがそう思われても仕方ないほどに――顔面蒼白の白衣を着た男性医師が、廊下の先でこちらに手招きをしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あそこの病室が賑やかになったのは、初めてかもしれないね。――君は患者の親族ではないみたいだけど」
廊下のソファーで隣に座っている医師が、前のめりになりながら目元を抑えて小さな声で呟く。
廊下には誰もいなかったけど、場所を変えずに“他人に聞かれては困るような話”をしたいのかもしれないと自分は思った。
「君はあの少年のことを、どれだけ知っているのかな?」
「脊椎と、神経の難病が複合しているって本人から聞きました。珍しいことだって言ってましたけど……」
医師は微妙に身体を揺らして頷くような――首をかしげるような、なんとも言えないリアクションを取った。
それは肯定とも否定とも取れるような曖昧な反応だった。
「“もしも”君の言っていることが本当なら、彼は……注目を浴びているといえば浴びているの“かも”しれないね」
もしかすると医者として、家族でもない第三者に対して“曖昧なことしか言えない”のかもしれない。
自分にも守秘義務はもちろんある。だけど、医者とゲーマーとじゃ課せられている社会的な責任の重さが違うはずだ。
「…………………………“あの子とは一切関係なし”に、お医者さんに質問をしたいんですけど」
医師が目元を抑えていた右手が離して、その手で頬杖をつく。
顔を傾けてソファーの真横――左隣に座っている自分を見つめる。
その様子だけを確認して、自分は再び廊下の、反対側の白い壁を見つめた。
「“そういった病気になっている人”を治療する手段って、何か無いんですか?」
自分が意図を汲んでくれたことが嬉しかったのか、医師は軽く笑ってから答えた。
「一般的な回答をすると――新しい技術を使った手術というものがある。いきなり全治とまではいかないけど、今より状況を改善して少なくとも患者の残された時間をたくさん増やすことができる。時間を稼ぐことができれば、新しい技術によって希望が生まれるかもしれないね。……新しい技術の使用や医療機器に関しては、この国では認可が出ないと使えなくて、患者がこの国に居るなら、国の外に出さなきゃいけないわけだけど」
自分が喜びから、上半身をもたげる。
「――それじゃあ!」
「ただ……もしもそういう患者が居たとして、一つ問題がある。――何だと思う」
自分の真っ先に思い浮かんだのは――
「もしかして……“お金”ですか? その――臓器の移植を海外とかですると、お金がかかるって話を、前にどっかで聞いたことがあって……」
確か、Siguredがそんなことを言っていた気がする。
どうして彼がそんなことを知っていたのかは謎だ。
「それは違う。臓器の移植をするわけでもない。それに、海外では一般的になりつつある医療技術だからお金は絶望的な問題じゃない。その手術に限った話ではなく、健康な身体に必要なのは他人の脳や心臓ではなく――“心そのもの”だ」
「“心”そのもの?」
「………………………………海外に出てまで手術を受けようとする気力や、生きる希望、そして患者自身の決断と――勇気がないと、話が進まない」
「生きる希望に勇気……」
少年の居た病室を見つめる。
「それって、具体的に何なんですか? 一体、“どういう理由で患者が落ち込む”んですか?」
自分でも立ち入った質問をしてしまったという自覚があった。
そして、その予想通りに男が首を横に振った。
「患者にはそれぞれ、患者の事情というものがある。これ以上は“個人情報“なんで、例え話ですら、私の口からは言うことはできないかな」
「そう――ですか」
それでも、わかったことがある。
“患者の事情”。“事情があるから動けない”。
あの少年には、手術を受けようとしない何らかの理由があるかもしれないと――自分は思った。
「この国に、最新の医療技術が置いてあればもっと楽なんだけどね。海の外に出ずとも、有無を言わさず一気に治療ができる。だけど、この国の人達は変わるのが怖いみたいなんだ。そして、新しい技術が出ると、この国では必ず利権に群がる人間達が湧いてくる。そうやって揉めているうちに、法律だのなんだのが足を引っ張っていってどんどん時代遅れになっていく。だから今、“そういう症例の患者”が居たとしても、この国ですぐに手を伸ばせる新しい技術と言ったら本当に……全く馬鹿げている話なんだが――」
医者がソファーの背もたれに寄りかかって、少年の居る病室の方を向く。
「――最新の“ゲーム機”くらいなんだよ。娯楽を軽視するつもりはないけど、新しい技術が『人命を救う目的』よりも前に『娯楽として真っ先に入ってきてしまっている』だなんて、どう見たっておかしいし…………狂ってる。――なのに、もうそれが当たり前になってしまっている。ひょっとすると――――――――――本当に治すべき大病を患っているのは、この国そのものかもしれないね」
男がソファーに寄りかかったまま、自分の両手で顔を覆う。
引き攣った笑い声が廊下に響いた。
「いや――――すまなかったね。これは……ただの医師としての愚痴だ」
ひとしきり笑った後。男が目元を擦りながら立ち上がる。
「そして、これは“医者”としてじゃない。一人の人間としての言葉なんだが――――長い間……彼は、看護師さんや他の患者さんと一切のやり取りを拒絶していたくらいにふさぎ込んでいたんだよ。本当にビックリしたんだ。あの子の閉じた心を開いてくれたこと、感謝している」
自分がぎょっとして男を見つめる。
「いや……そんなことを、直接自分に話してしまって大丈夫なんですか!?」
「何事も例外はある。この情報に関しては、“本人から事前に君に伝えても良いと同意を得ている”んだ。『前の暗い僕よりも、ずっとずっと元気になったって彼に伝えて欲しい』ってね。君と、『少しでも仲良くなりたい』んだと。その上で、この情報を君に伝えても、患者の――あの子自身の不利益にならないと私は判断した。だから話したんだ。今の私に、医者として、人としてできることは………………せいぜいこのくらいだ」
そうして、医者はよろよろと歩き去っていく。
草臥れたその背中を見つめている間。
自分は……“これから人としてするべきこと”をずっと――ずっと考えていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そうして、段々と少年との別れの時間が迫ってくる。
「ねぇAngel……プロって――忙しいんだよね」
「――ああ。確かに、そうだな」
事前に少年自身が理解していたことだった、もう間もなく国の予選リーグが本格的に始まってしまう。
「僕、わかっているんだ。Angelがここに来れるのも、多分これで最後になるんだよね。だから――――――――」
少年が小さく震えている。
「さ…………………………最後に………………僕に、『これで最後だ!』って言って欲しいんだ。――――Angelの、試合の決め台詞……だから」
これはおそらく、少年の純粋な最後のお願いだった。
口が開いても、別れを前にした少年の前で言葉が何も出てこない。
『これで最後だ!』
……こんな一言を、こんな状況で言えるわけがない。
そうだ。
そうだとも。
ここで、終わらせて良いわけが無い。
だから――
「なあ……一つ提案があるんだけど。聞いてもらって良いか?」
小さな子どもの自分にとって、ゲームは一つの希望だった。
そして、これからも彼のような子どもにとっての希望であるべきだ思う。
「何か――おすすめのゲームはあるか? 離れていても二人で“一緒に遊べるやつ”が良い」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「それで――」
予め示し合わせていた時間になって、βサービス中の仮想世界の王国に自分が降り立った。
「どうして自分が操作するキャラクターに『そんな名前をつけて、そんな酷い恰好にした』んだよ? えっと――」
自分は、目の前に居る不気味な面の巨漢を見つめた。
「〔――Ihtroって呼んで。カッコいいよ。この見た目が普段の【シェームハウザー】にそっくり。名前は、僕の好きなアーティストから取ったんだ。Angelが活躍している動画で流れてる、海外の曲を作った人!〕」
「〔わかったよ――“イートロ”。んで、フレンドの登録をしたけど。何も周囲に聞こえない声で話す必要って無くないか?〕」
「〔………………他の人と話したくなんかないよ。人前で…………Angelって呼ぶわけにもいかないし〕」
「〔――だったら“この名前”で呼んでくれよ?〕」
イートロが自分の恰好と頭上の名前を見て訝しげな表情をする。
「〔――なんて読むの?〕」
「〔天使っぽい見た目で、空を飛ぶからTovu。ちょっと味気ないと思って、BじゃなくてVにした! VRのV!〕」
「〔わかったよ。トヴ。ところでさ……その見た目と声……ちょっと僕に似せてない?〕」
「〔そこは――――――“お互い様”ってことで!〕」
身体も軽くなって、気分も軽い。
自然と元気な笑い声が出る。
このキャラクターのモデルになった人物はもう一人居るけれど、イートロには言わなかった。
自分が、おもむろに地面にできた水たまりを覗き込む。
そこは、もう一人のモデル――昔の“僕”の面影があった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
このゲームを遊んでいて、自分はその事実に即座に気づいた。
「〔なあイートロ。なんか、このゲーム。妙にRoValと似ているよな?〕」
「〔え~Angelがそれを知らないの? これには長い歴史があるんだよ。実はね――〕」
イートロに、説教みたいにゲームの歴史を説明される。
とはいえ、説教されても仕方ないことだったかもしれない。
事実、自分はゲームに夢中すぎて、ゲームの歴史そのものに対して無知だった。
ゲームに関わっている人間や業界のことを考えて居られる余裕なんて、その時の自分には無かった。
それからは、二人の忙しく楽しい日々が続いた。
魔法みたいに素敵な時間だった――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「今日の試合。いい動きだったぞAngel。どこかで“コツ”でも掴んだのか?」
予選の初戦を通過した直後に、Siguredが廊下を歩く自分に話しかけてくる。
「ひょっとすると掴んだかもな! “新しい世界を見たみたいな動き”してるかい?」
けらけらと笑う自分の顔をSiguredが覗き込んでくる。
「お前――最近忙しいみたいだけど。体調は大丈夫なのか?」
「どんな状況でも結果を出すのがプロの仕事さ! それに、『体調管理がプロの仕事だ』なんてチームのコーチに言われたことないから問題ないだろ?」
そう言って自分が、予選会場を出ていく。
最近やることがルーチン化しているからすごく楽だ。
練習して練習して練習が終わったらイートロとゲームして練習して練習して練習してエナジードリンク飲んでたまに寝て。
エナジードリンク飲んで練習して練習してエナジードリンク飲んで練習が終わったらイートロとゲームしてエナジードリンク飲む。
『ただのそれだけ』だ。
自分にとって『ただのそれだけ』。
自分はプロだから、そんなことはできて当たり前だ。
自分にも、アイツも、頑張るなら“今”しかない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[だぁ~畜生――自分の反応と操作に、キャラクターの方が全然追い付いてくれねえ! “体が重い”!]
地面に無様に寝転がりながら自分がパーティ会話で嘆く。
[今の連中、絶対無印から遊んでてCβからフルダイブに慣れていた奴らだろ! ボッコボコにされちまったぞ! イートロ、お前なんでPKができるようなサーバー選んだんだよ!]
[だ……だって! トヴが戦って大活躍するところを間近で見てみたかったんだ!]
[低レベルのプリ―ストに、そんな大活躍できるかっての! もしもできるくらいキャラのステータスが高かったとしても――本気出したら身元がすぐバレちまうだろ!]
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「Angelさんのプレイ。今日は、マジでぶっ飛んでましたよ~!」
AAAKAANが会場の廊下を歩く自分の周囲で、はしゃぐように跳ね回っている。
「“サポート役としては”だろ? まだ二回戦だからな、相手が大したことないってのもあった。ぶっ飛んでるって言ったらAAAKAANだってそうだろ。反応速度が人間離れしてたぞ。自分が言うのもなんだけど、若さって大切だよな~。他のメンバーは、どこに行ったんだ?」
「チームのオーナーに一人ずつ呼び出し食らってますよ。今日は、このまま解散ですかね~」
それを聞いて、心底残念だと思った。
メンバー全員でささやかでも一度でいいから“打ち上げ”という物をしてみたかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
[……ヨロシク頼ム]
自分の隣で、大型のケパトゥルス族であるイートロがぶっきらぼうに挨拶する。
イートロの不愛想な態度と厳つい見た目に、レベル上げの為に集めたパーティメンバー達が驚いてしまっていた。
せっかくレベル上げのメンバーが五人も揃ったっていうのに、イートロは相変わらず人見知りが激しい。
[いやー、悪ぃ悪ぃ! コイツ、いつもそうなんだよ!]
慌ててフォローして巨漢の背中を叩く。
イートロは、自分以外に対してシャイなままだ。
「〔おぉいおい! 一時的にパーティを組むっていうなら、人見知りはある程度治さなきゃ駄目だぜ?〕」
「〔今後……“治す必要”なんかあるの?〕」
まるで――“今後なんて無いから必要ない”と言わんばかりだった。
答えに詰まって、返事をはぐらかす。
「〔と――とにかく、戦闘が始まる前にきちんとした“食事”を取っとけよ! 二人で稼いだゴールドできちんと買ったはずだろ?〕」
「〔ごめんAngel……。買うの忘れてた……〕」
その言葉に深いため息をついてから、自分はインベントリーを漁る。
アイテム欄に唯一残っていたブロッコリーを一個取り出して、直接生食いした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「不味いな。これはかなり不味いぜ!」
予選の3試合目が終わった後に、見たことのない銘柄のカップ麺を啜りながら、自分がつい愚痴を零してしまう。
「なんというか、もうちょっと健康的なスポンサーがついてくれるとありがたいんだけどな! NICOは食べないのか?」
「……………………彼女の手料理がある」
くつくつと嗤って、NICOが部屋から出ていく。
誰も居なくなった部屋で自分が周囲を見遣ってしみじみと呟く。
「………………安アパートでごろ寝したり、事務所の床に寝る生活も、そろそろ終わりかなあ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ほら、見ろよイートロ! TovuとIhtro。二人で建てた"自分達だけの家"だぜ!」
「〔で――間取りはどうするの? やっぱり、玄関入ったすぐ横に、効率重視の物置とか作る?〕」
「そりゃあ効率っていうのは大事だけどさ。何事も楽しむのが大事だろ? 一歩ずつ、確実に進んでいけばいいのさ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『チームColorsがまた勝利しました。着実な一歩を進んでいます!』
4試合目の後に鳴り響く試合実況者のアナウンス。
快進撃に喜ぶチームメイト達。
そして、ブーイングが会場から聞こえてくる。
「また、評判落ちたみたいだぞAngel」
「Sigurd……なんで“嬉しそう”なんだよ」
「俺達の悪役としての箔が上がったってことに喜んでるんだよ」
会場を見回して、群衆をにらみつける。
いや……今は我慢の時だ。
予選リーグの決勝で、はっきり分からせて見せるさ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「よお、イートロ! 調子はどうだ?」
久しぶりに出来た休みで、病室に居るイートロに直接会いに行った。
「……もう、すっかり呼び方がプレイヤー名だね。“トヴ“」
イートロは、一瞬だけ笑顔を見せてくれたけどすぐに暗い表情に戻ってしまう。
理由はすぐに分かった。
病室に置いてあるテレビに、駅のホームで若い男がナイフを振り回して暴れて、何人も死んだっていうニュースが流れていた。
何日も前に起きた事件だ。
「――おい。やめろよ。こんな暗いニュース、見てちゃダメだ」
「ごめん……見ようとして見ていたわけじゃないんだ。最近……そんなニュースばっかり……だったから」
そうだ。駅で何人も死んだ事件は前にもあった。
最近は物騒な事件ばっかりだ。どんどん増えてきている。
事故もひどい。
ちょっと前に自動運転をしていた運送業者の大型トラックが、高速道路で対向車線に突っ込んだっていう事件があった。あれも……何人も死んだ。
自分がテレビの電源を消そうと、右往左往したけど電源のスイッチがどこにも見当たらない。
自分はテレビなんて全く見ないから、最新のテレビという物に疎かった。
もたもたしている間にも、暗いニュースが病室に流れ続けている。
『――容疑者は、「人生で何度も理不尽な扱いを受け続けるなどして、この世で生きていくことの全てに嫌気が差した」と供述しており――』
「全く……こういう連中は、どいつもこいつも“自分の生きている世界をぶっ壊そうと思った”っていうんだ。イカレてるよ! 無関係の人間を無差別に殺すだなんて酷い話だ。………………自分一人で死ねばいいのに。なあ、イートロ。このテレビには、リモコンって無いのか?」
そう言った直後に、イートロがベッドの脇にあったリモコンでテレビの画面を消した。
「………………わからないよ。もしかしたら――この人ずっとずっと、一人ぼっちだったのかも。僕だって、昔からずっと一人ぼっちだったし」
「お前には――――――自分が居るだろ?」
「それは……すっっっっごく感謝しているよ。でも――“今の僕の気持ちを本当に理解してくれる人”なんて、世の中に一人もいないよ。だから気分は……やっぱりひとりぼっちのまま……なのかも……ごめん」
何も返せる言葉が無い。
だって――自分は、イートロじゃない。
身体が段々動かなくなっていく恐怖とか無力感とか、頭でわかっていても本当に理解できているわけじゃない。
だからきっと、イートロの心はずっと孤独なままだった。
同じ境遇でゲームを遊んでいる人間なんて、そうそう居ないだろう。
自分がベッドの横に置いてあるパイプ椅子に座って、しばらくの間黙り込んでいた。
目の前の少年に、どうしても聞いておきたいことがあった。
「……本当は、ゲームの中でしても良い話かなとも思ったんだけどさ。やっぱり大切な話みたいだから。……お前の“あの話”。本当なのか?」
ゲームでイートロが『自分の両親が、自分自身を食い物』にしているという聞き捨てならない言葉を零したのだ。
その言葉の真意を知りたくて、自分は今日再びここにやってきたのだ。
「……全部、本当だよ。両親にとって、僕は……ただの玩具なんだ。元からそうなんだよ。多分、父さんも母さんも元からお互いを愛してなかったんだ。仲違いを避けるために何となく僕を生んだんだ……」
その話をしている間、イートロはずっと俯いていた。
「……そんな言い方はないだろう。実の息子が病気で苦しんでいるんだぜ? 普通、必死になるもんじゃないのか?」
こんな状況なら尚更そうだ。
……そうだと信じたかったのかもしれない。
「僕の母さんは会いに来てくれないし…………………………父さんは、僕をネタにして……本を出版してるんだ。僕なんて……ただの、お金儲けの道具だよ」
「そんな――そんなわけ――――――自分の息子なんだから………………愛はあるはずだろ?」
中身のないことを言っている自覚があった。
目の前に居る少年の両親は、目先の金を求めて、最後まで金を無心しながらアルコールで死んでいった親父に似ているように感じた。
「嘘だよ……。会いたいって言っても、来てくれないんだ。来てくれるって言ってくれても……いつも平気で……僕の約束破るし」
つくづく昔の自分と、目の前の少年はそっくりだと思った。
だから、いよいよもって意地でも見捨てられないと思った。
「じゃあ――――――――自分と“男同士の約束”をしようぜ!」
「“男同士の約束”?」
「ああ! ちょっと――待っててくれよ」
一度病室を出て、病院のトイレでボロボロのカバンから“その衣装”を取り出して着替える。
再び戻ってきた自分を見つめて、イートロの身体が驚きで僅かに飛び上がった。
「これさ――うちのチームの“プロゲーマーのユニフォーム”なんだ。出来上がったばかりの物をこっそり持ってきちまった!」
「すごい――カッコいいよ! プロレーサーのレーシングスーツみたい! それに――上半身に沢山……えっと――」
「宣伝になるから、“スポンサーの会社のロゴ”が刺繍されているんだ。………………予選のリーグで自分のチームは必ず勝つ。そうなったらこのユニフォームを着て世界中を飛び回ることになる。イギリスのロンドンとか、後は――台湾とか!」
中腰になって、ベッドに座っているイートロと向き合う。
「だから――お前には……自分と……“一緒に戦ってほしい”んだ」
自分の言葉を選びながらおずおずとイートロに語り掛ける。
「その――自分で調べたんだよ。海外で手術を受けられれば――お前の病状を遅らせられるって」
手術という単語を聞いた瞬間に、イートロが顔を伏せた。
だから、それを恐れているのが自分には良く分かった。
「だから……自分が国の予選リーグを突破したらさ………………お前の意思で、海外に手術を受けに行ってほしいんだ!」
「僕の……意志で?」
「ああ……自分とお前。道は別々だけど――『二人で同時に海の外に出ようぜ!』」
自分の言葉に、イートロがベッドのシーツを見つめたまま小さく小さく頷いた。
「……うん……うん……怖いけど……勇気を………………もらえるかも……頑張れるかも………………でも、父さんと母さんがなんて言うかな……」
「手術に、一番大事なのはお前自身の意思なんだろ? 言うこと聞かなかったら――自分がこの病院の医者と協力してお前の両親を引っ張り出してきて説得してやるよ!」
「本当に、そんなことを――?」
「ああ――“トヴとイートロ。二人だけの約束”だ!」
「わかった。じゃあ、僕も約束するよ。トヴが僕の為に予選を頑張って勝ち上がってくれるなら……僕も頑張る」
「――よっしゃ! そうと決まれば――今まで以上に苛烈に練習しなきゃな!」
自分は椅子から立ち上がって、これからのプランニングを頭の中で思い描く。
「自分はもう行くぜ! そうだ……それと――あのゲームの運営会社にメールでも送ってみたらどうだ?」
「メールを?」
「ああ自分に送った時みたいさ!」
病室の扉をゆっくりと開けて、自分はイートロに笑いかける。
「……お前は、周囲に絶望して……大人に失望しているかもしれないけれど……世の中の全部が、冷たいってわけじゃないんだ。きっと応援に――――来てくれないかもしれないけれど、励ましのメッセージとか、送ってくれるかもしれないだろ!」
「そう――かな?」
「無視は絶対にしないはずさ。だって――そうだろ? 自分とお前が、あんなに楽しんだゲームを作った人間がさ――冷たいわけがない!」
「――うん。そうだね。トヴの言う通りだよね。わかった。やってみるよ!」
病室を出た時、すっかり覚悟はできていた。
大丈夫だ。きっとうまくいくはずだ。
今のところ、身体に不調は無い。あったとしても、年を取ってからだろう。
自分がゲームに命を賭けて、燃え尽きるまでに時間はまだまだある。
大切なのは――“今”だ。