第三十二話 予定調和
それまで、レットは心のどこかでクリアに期待をしていた。
今まで、ずっとそうだった。
どんなに追い詰められても、極限状態に陥ってもいざとなれば『クリアが何とかしてくれるのではないか?』。
そういった、淡い期待がどこかにあった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
かつてレットは訓練の最中に、クリアにこう言ったことがある。
「……クリアさんって、どうにもならないことでも結構どうにかしてくれますよね」
「おいおい。どうしたんだ突然? もっと簡単に上達がしたいっていうのは、無理な注文だぞ?」
「ち……違いますって! いや――そのォ……ある意味ではちょ~~っとだけ……たまにだけど……オレには、クリアさんが……ヒーローっぽいな~って――思うことが――あるっていうか……………………」
そのレットの言葉には、『いつもクリアの迷惑に巻き込まれているけれど、いざという時助けてもらっている』ということに対する感謝の意が含まれていた。
しかしクリアの表情は突然落ち込んだように浮かないものに変わって、その首を横に振った。
「……………………そんな、くだらない勘違いをするな。お前の前に居るのはとんでもない悪人で――屑だ。……………………俺に対して、二度と――そんなことを言ってくれるな……」
クリアはレットを叱りつけているわけでもなく、非難しているわけでもない。
むしろレットには“クリアがクリア自身に対して酷く失望している”ように見えた。
その時、レットには彼が落ち込む理由がどこにあるのか理解できなかった。
クリア自身がゲームの中で悪さをしているが故なのか?
確かに彼は悪事を働く。
しかし、その悪事は決して、彼自身が落ち込むほど人を深く傷つけるようなものではない。
ならば、その落ち込みようはただの謙遜なのか?
その時は否定されたが故。レットは――口にしないようにはしていたが……それでも、心のどこかで彼を信じていた。
少年の中では自分が窮地に陥った時――必ず助けてくれるクリアという男は、彼にとって紛れも無くヒーローだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
だから――
――神の如き外見となった“イートロ”が六枚の羽を翻しながら無拍子にクリアの目の前に顕れた時も。
――クリアがそれに咄嗟に応戦した時も。
――両者のぶつかり合いの衝撃の余波に巻き込まれたレットが、吹き飛ばされて砂浜に叩きつけられた時も。
――地面に頭から突っ込んで、口の中に大量の砂が入ってしまっている今この瞬間も。
レットは『彼の迷惑にならない範囲で、サポートに回るにはどうすれば良いか』だけを必死になって考えていた。
だから、ひとまず状況を確認しなければと、倒れている状態から自分の顔をもたげた時。
レットは、声を漏らすことすらできずにただ絶句した。
「……光の速さは、一秒間に地球を七周半するらしいぜ――――」
そう呟きながら、傷一つなく輝き続ける巨神が地面を見つめている。
「逆に言えば、一秒で“七周半しかしてくれない”んだ。――――――遅すぎると思わないか? この世界の中に居る限り全力になれない。自分の身体が、鈍く感じてしまうんだ」
巨神と化したイートロが、砂浜に出来た窪みから、クリアの拉げた足を片手で掴み放り投げる。
まるで、“炭酸水のペットボトルの蓋を開けたまま地面にひっくり返した”かのような、液体の弾ける音が鳴った。
「“自分”のような人間にとってはさ。――これって結構、重要な問題なんだぜ?」
うめき声を上げながら、放り投げられたクリアが――まるで死にかかった芋虫の様に砂浜の上を弱々しく蠢いていた。
その体力は僅か数秒で戦闘不能寸前にまで追い詰められていた。
装備品も含めてクリアの身体全体が焼けただれていた。
身体にはいくつもの大穴が開いて装備品は血で赤黒く染まっていた。
何時もつけているゴーグルには深い皹がいくつも入っていて、左腕と右足が本来関節の曲がるべき方向の逆側に曲がっている。
これは、たった数秒の戦闘でもたらされた、目の逸らしようのない残酷な結果だった。
「そんな自分がさ。……最も気を付けていたのは、お前だけなんだよ。“Clear・All”」
巨神がゆっくりとクリアに歩み寄って、大剣を振り上げる。
「“自分達の脅威”と成りうる――警戒するべき――真っ先に排除するべき敵は……アンタだけだった!」
低い声と共に、巨神が持っていた大剣を振り下ろす――
「……君に、『ゲーム』を課した身として――、一つ忠告をしておこう」
――“イートロ”の手が止まる。
突然巨神の躰から、幽体離脱の様に“歪んだ空間”が抜け出て来る。
空間が不意に歪んで――“象られたその人物”。
この日の黒幕は、レットが地面に座り込んでいたが故か――雲っている空を“背景”にして、クリアと巨神の間に割り込むようして立ちはだかっていた。
「な……こ……これは――一体!?」
レットの耳に、背後にいるタナカの驚きの声が聞こえてくる。
「――君にとっては“はじめまして”。『私』は『ゲーム』の提案者。人々のやり取りというものは、可能な限り“近くで見るのが好き”でね。今日は珍しく口出しをさせてもらった。さて――」
黒幕が巨神に向き直る。
「――改めて忠告させてもらうが…………君自身の“敵”を、決して見誤らないことだ」
巨神は黒幕の言葉に動きを止めたが、しかし一歩も引くことなく目の前の“空間”に食って掛かる。
「もちろん理解しているさ! 警告のつもりかもしれないが、自分達が提示された“ルール”には記載されていないことだ……! 『“敵の護衛者”をゲーム開始前に攻撃するな』とは一言も言われていない!」
「――その通りだ。だから『私』は君を責めるようなことはしない。『ゲーム』を提供する、こちら側の不手際だった。そして、これ以上の手出しはしないように――新たにルールを君に課そう」
歪んだ灰色の人型の空間が、黙ってクリアを見下ろす。
「これ以上は、『ゲーム』のバランスが壊れてしまうからな。急いで“調整”をしなければいけないな……」
「――――――好きにしろ。自分はここで開始を待つさ。お前は離れてろ“イートロ”!」
巨神が寄り添っている“トヴ”の身体を片手で押し出す。
“トヴ”は行き場を失い迷ったかのように数秒間周囲を見渡して、それから一人でとぼとぼと島の中央の森林に向かって歩いていく。
“空間”が振り返り、レット達に語り掛ける。
「さて――そこで倒れている“足手まといの役立たず”に肩を貸してあげると良い。こちらで君たちに『ゲーム』の説明をさせてもらう」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
かくして、一行は砂浜の上で揺らめく空間を追いかける。
レットはクリアに肩を貸しつつ、安全な道を通ってルートの中央に向かって移動をする。
その間もタナカは息を切らしながら、クリアに対して持っている回復用の薬品を使い続けていた。
レットに運ばれている間、クリアは何も言わなかった。
ただゴーグル越しに僅かに顔を上げて、前方を揺らめきながら歩く奇妙な存在を凝視している。
正体不明の方法で、圧倒的な強さを得たイートロ。
何より、巨神に“イートロ”と呼ばれ――別人のように余所余所しくなり、その脇に隠れていたトヴ。
(もしかして……あの二人は……)
二人の姿を思い返すレットには一つの“嫌な予感”があった。
「……この島は、No.3以外のルートはとても良くできているようだ。二代目の暴君に振り回されていた――当時の作り手たちの死力が、垣間見える」
マップの中央の海沿いの広場に到着した途端に、空間が“足”を止め、そう呟いて振り返る。
「さて――『ゲーム』の調整についてだが……君たちに、急いで“何らか”の強化を――」
「――待て! 先に“全て”を答えろ!」
レットの真横にいたクリアが声を張り上げる。
肩を借りていた状態から一歩踏み出そうとして、砂浜に足を取られてクリアが姿勢を崩した。
「お前の正体と目的に名前! そして、いつからあの二人が“敵”になっていたのか! トヴとイートロの“中身が入れ替わっている”こと! 観たことのないカテゴリーの装備と……理不尽なまでの強さ! そして……あの巨神の発言は……まるで……まるで――」
座り込みながらも叫ぶクリアのその言葉で、レットの中で抱えていた嫌な予感が確信に変わる。
『二人のプレイヤーがゲームにログインしたままの状態で、入れ替わっている』
(それが事実なら――一体、どうやって……)
「……君達は『私』の名前を知りたいと言ったが――そんなものは無い」
歪んだ人型の空間は、僅かに思案する素振りを見せる。
「『私』にとって名前など、どうでも良い。しかし――ゲームの進行に差し障るというのであれば――そうだな。Ehrgelm's Volition】。『私』のことは略してE・Vとでも読んで貰おうか」
その空間――E・Vから発せられる言葉には、何の感情も込められていないように感じられた。
「『私』は不変であり、最初から一貫した目的で動いている」
「一貫した目的――だと!?」
「そうだ。その目的があるからこそ『私』は、君たちの――他の質問に答える義務も無い」
「――義務が無い……か。しかし、答えるのが“提案者の義務”なんじゃないのか⁉︎」
クリアが凄むが、直後に咳をしながらむせた。
その口から血に混じった砂が吐き出される。
「――君達は、何か勘違いをしているようだ。あの時『私』はそこの彼に、間違いなくこう言ったはずだ。『条件を課したゲームを『私』が作る。乗り越えられた者を優遇し、望みを叶えて、最高の逃げ道を与える。それが『私』の行動理念であり、ルールであり、世界の意志であり――『私』が考える世界の在り方だ。そんな中で――君たちは、想定外な存在だった。今の『私』にとって、君たちは“邪魔者”となっているわけだ。邪魔者は邪魔者らしく――きっちり足掻いてもらう』――と」
そう言ってE・Vがレットを見つめる。
「先程も言った通り、『私』の目的は最初から何も変わっていない。――『いつから彼らが敵になった』だと? 君たちの誰かが『私』にゲームを望んだのか? 勘違いしないことだ。君たちは『ゲーム』の“主人公”ではない。君たちこそが『ゲーム』の“敵”なのだ。君たちこそが――主人公である彼らにとっての、排除されるべき敵なんだよ。“敵役”に、『ゲーム』の全貌を語る必要は無い――そうだろう?」
「“敵”……俺達が“敵”……⁉︎」
「そこの――クリア君なら、推理出来ていてもおかしくはなかったはずだ。念のためにあの時、『私』はそこの少年に対して、事前に問いかけていたはずだったのだが……」
レットは――目の前の存在――E・Vに、最初に遭遇した時の光景が思い返した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『……君は雪山で――あの“二人組”との楽しい時間を過ごせたかな?』
『あ…………………………あの“二人組”を送ったのは……その――アンタなのか?』
自分の言葉に気を付けながら、レットは背後の人物におずおずと問いかける。
『いや、あれはただの偶然だよ。君たちとあの二人が出会うのはある意味で予想外の出来事だった。――だからこそ、これから作る『ゲーム』の役に立つ』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
(そん――な――)
「全部……全部わかっていたことだったんだ」
レットは呆然として、砂浜に膝をつく。
「あの二人が『ゲーム』に関係していたって――本当は……最初から答えが出ていたんだ……なのに――オレが勘違いしてクリアさんに情報を伝えていたんだ……。雪山の“二人組”の意味を……勘違いして……初めて出会った黒幕の言葉を――余すことなくクリアさんに伝えきれていなかったから……」
今まで、レットが絶望の淵にいた時は状況が違った。
彼は一人ではなかった。常に同伴者が居た。
どんなに怯えていてどんなに混乱していても、その隣にはいつも“タナカ”が居てくれていた。
どんなにレットが精神的に追い詰められていてもタナカは冷静さを欠くことなく簡潔に、しかし情報を拾い漏らすことなくクリアに――チームメンバーに正確に伝達していた。
「オレのミスだ! ――すみませんクリアさん……。オレがあの時、コイツの言葉を――全て余すことなく伝えることができていたら……今頃こんなことにはならなかったかもしれないのに……」
「いいや、そんな失敗は――些細なことだ」
そのフォローをしたのは、クリアではなくE・V自身だった。
「嘘をついていないとはいえ……『私』も――些か意地が悪かった。そして、向こうの“主人公”と違って、『ゲーム』の相手を予想できたところで……あれだけ圧倒的な強さでは――そこに居る”クリア君”もろくに対処できなかったに違いない。待てよ――そうかそうか」
自分の言葉に自分で納得して、E・Vがレット達に提案をする。
「いいだろう。そこは『私』の失態であり――明らかな不備だからな。君たちにはきちんと情報を渡そう」
E・Vがゆっくりと歩いて砂浜の波打ち際に移動する。
砂浜を、引いていくさざ波が削っていき――そこに紙片が顔を出した。
「これは、所謂“キャラクターシート”という物だ。君達、TRPGは知らないかな? RPの起源ともいわれているのだが――君のような少年は知らないだろうな。あれは、遥か昔のゲームだからな」
レットが慌てて地面を這うようにE・Vの足元に移動する。
自らの手で濡れた砂浜を掘り返すと、そこには何かが書かれた羊皮紙の束が埋まっていた。
「――兎にも角にも、そこには“全ての経緯”が載っている。“あの二人が何者なのか”。“なぜこの世界に身を投じたのか”。“なぜ入れ替わったのか”。なぜ――“あのような強さを持っているのか”。“『ゲーム』の勝利条件とは何か”……。ひょっとすると――君たちが彼らと戦う上でのヒントになりうるかもしれないな。この情報をもってして『私』が『敵として設定した君たち』に対する“強化調整”としよう。バランス調整に必要なのはプレイヤーに対する適度な負荷だ。楽な道はつまらないからな」
レットの手が震える。
目の前に、デモンを救うための全ての真実がある。
紙束を開こうとした瞬間――
「これは罠だ! レット。一旦落ち着いて考え直せ!」
――クリアの声が響いた。
「冷静になって考えてみろ! 確かに、ソイツがゲームプレイヤーに対する“システム的な制約をいくつか超越している”のは事実だ。しかし、おそらく“万能の存在じゃない”! コイツは戦闘の衝撃で俺達が混乱している間に森から普通に歩いて来た――足跡も地面に残っている! 大前提として、もしもコイツが何でもできるなら――デモンはあの夜俺達に奪取されていない! 雪山で俺達が読んだ手紙だってそうだった! あの時、“他のプレイヤーを経由して手紙を渡す必要は無かった”はずだ! お前と直接やり取りした時も、“システム上で手紙のやり取りをしている”! 何もない場所にアイテムを転送することはできない可能性が高い!」
「それは……確かにそうかもだけど……それじゃあ……砂浜に埋まっていたこの羊皮紙は……」
レットが再び砂だらけになっている紙束を見つめる。
「このタイミングでそんなものが都合よくこの砂浜に埋まっているはずがない! つまり“全部が予定調和による演出”だってことさ! “何でもできる”と思い込ませてお前をスムーズに誘導しているんだ! それだけじゃない! 今までの、すべてが把握された上で“コントロールされている”可能性だってある!」
E・Vがクリアをじっと見つめている。
その揺らめきからは何の感情も読み取れない。
「お前がこのE・Vと初めて出会った時、“その話を完全に記憶できていなかった”ことも! お前に対して“情報を意図的にはぐらかして伝えていた”ことも! 護衛者として“召喚された俺がここで死に体にされる”ことも! “戦闘不能にまで追い込まれない”ことも全部――コントロールされていたとしたら――今、お前が目の前の羊皮紙を拾い上げる事すら“このE・Vという存在の思う壺”になる! もしもコイツの言葉が全て真実なら、この後の展開も……すべてコイツの予定通りになってしまうかもしれない!」
クリアの指摘した事実は、レットも僅かながら予感していたことだった。
いくら何でも、話が出来過ぎている。
話がE・Vの言う通りに、スムーズに進み過ぎている。
しかし――
「――でも、実際に……他に選択肢はないじゃないですか!」
「確かに――そうかもしれないが……俺達は同時に、時間も無いんだぞ! そんな紙束を読むほど悠長なことをしていられるのか!?」
そのクリアの言葉の直後――
「それに関しては――心配要らない。今、昏睡している彼女だが、あれは“君達をまさにコントロールするために行ったこと”だ。多少時間がかかっても、彼女がすぐに死ぬことはない。君達がゲームに敗れ去ったり、逃げたり隠れたりしない限り、彼女が死ぬことは絶対にないとここに保障し、約束しよう。『私』は『ゲーム』で嘘はつかない」
“その言葉を待っていた”とばかりに、間髪入れずにE・Vが話を続ける。
空間が、蜃気楼のように不気味に歪む。
「同時に――【君達が逃げたり隠れたり、敗れ去れば彼女は確実に死ぬとも保障する】。君たちがどうするべきか――改めて考えてみると良い」
E・Vはそれ以上、何も言わなかった。
“言う必要が無いと言わんばかりに”ただぼんやりと揺らめいていた。
『お前たちに選択肢なんてものは無い』
その黒幕の意図を組んだクリアが悪態をついて、地面を見つめる。
レットがタナカを見つめるも――タナカは黙って首を横に振るだけだった。
(他に選択肢はない……。読むしかない。ここに全ての情報が載っている。でも――)
レットには、恐怖があった。
握る羊皮紙の束が緊張したレットの握力によって僅かに歪んだ。
(いやな予感がする――これを読み終わった時、オレはどうなってしまうんだ……)
しかし、それでも――意を決してレットは紙束を開いた。
目についた情報が、反射的に口から零れる。
「プレイヤー名Tovu……またの名を【Angel】? これって一体――」
『Angel』
あるはずのない“二つ目のプレイヤー名”を聞いて、地面を向いていたクリアが鉄砲で撃たれたかのように起き上がる。
地面を這って、レットの真横に移動して羊皮紙を覗き込む。
「そんな……………………嘘だ……嘘だ…………………………」
普通ではない反応に、タナカが逆側から羊皮紙を恐る恐る覗き込む。
「【Angel】……………………間違いない……」
悲痛な面持ちでクリアが呟く。
「――俺がかつて現実で応援していた――……RoValで最も好きだった“プロのゲームプレイヤー”だ……………………………………」