第十話 金策
フォルゲンス共和国の最南端、【フォルゲンス港】。
港と聞くと海を連想するかもしれないが、隣接しているのは海ではなく四国を結ぶ巨大な湖【フルーミア湖】である。
海空両用の飛空艇による交通の入り口でもあり、他国からの輸出輸入も盛んで、フォルゲンス共和国から主に木材を輸出し、食材を輸入している。
そこでまさに偶然出会ってしまい、そのまま語り合っている露出度の高い二人。
「い、言っている言葉の意味がよくわかりませんにゃ。大ピンチってどういうことですかにゃ?」
一人は布面積の少ない煌びやかな格好のキャット――
「はい。今、オレはかつて無いほどの大ピンチで、危機的な状況に陥っているわけです! 実はオレ――」
もう一人の人間族の少年は、新しく購入したフェイスガードタイプのヘルメットに――
「お金――ゴールドがなくて、無一文なんです!」
他の部分は装備無し、白いブリーフ一丁だった。
「し、知らんがにゃ……」
「まず、どういう経緯でこうなってしまったのかを説明させてください」
「えぇ……めんどくさいですにゃ。あ、そうだ。自分、釣りしますにゃ!」
無視の流れを決め込み、釣り糸を垂らすネコニャン。
露出度の高かった装備品が、全て釣り人用の装備に切り替わり、短パン一丁の男――レットの存在だけが港の真ん中でより強調される。
「釣り、楽しいですか?」
「ええ、楽しいですにゃ。よかったらレットさんも――」
「そう――――そして、あれは数分前の出来事でした!」
「いや……レットさん。その話の持って行き方は、ちょっと強引すぎませんかにゃ……」
あきれた表情のネコニャンは、ため息をつきながらも、左の猫耳を少しだけレットの方に向けた。
「クリアさんに新しい装備を手に入れる方法を聞いたところ『適当に何か売っぱらえ!』と言われたんです。なので、勇気を出して装備品の全てをNPCの店で売り払ったんですよ! んで新しい装備をその場で買おうとしたら頭につける装備品しか買えなかったんです!」
ネコニャンはそのレットの話を聞いて耳と、尻尾と、持っている釣り竿と、その姿勢全体がだらりと垂れ下がった。
「もう何から言及すれば良いのかさっぱりなんですけどにゃあ。『何か適当に売っぱらえ!』っていうアドバイス自体が適当すぎますにゃ。この世界では基本的にNPCが取り扱う武器、防具はプレイヤーによる合成を促すために、“初心者向けの装備を除けばほとんどが割高”なんですにゃ。そんな店で、武器と防具の取引をしているのもおかしいし、売値と買値を把握しないで商売のやり取りするのも正気じゃ無いと思うんですけどにゃ……」
ネコニャンが釣り竿を引き上げると――青い色のクラゲが釣れた。
「はい、反省しています。なのでお金持ちのネコニャンさんに――」
「む。お金の稼ぎ方を教わりに来たんですかにゃ? それなら釣りが――」
「いえ、もう面倒なので“お金ください”と、直接お願いしに来ました」
「そんなん駄目に決まってますにゃ!」
「………………………………………………」
「………………………………………………」
ネコニャンが再び釣り竿を引き上げる――ボロボロの革靴が釣れた。
「「くださいくださいくださいくださいくださいくださいくださいいいいいいいいいいひぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいぇぇぇぇぇぇええええええええええええ」」
レットはその格好のまま仰向けに寝転がり、ヘルメットを軸にずりずりと音を立ててコンパスのように回転を始める。
「“うるせえ!“ わかったわかった! あげますから、あげますから静かにしなさいにゃ!」
余りの大音量に、一瞬その“猫口調”が崩れるネコニャン。
釣り竿をしまってから、ごそごそと気だるそうにゴールドの詰まった革袋を取り出す。
レットの視線が革袋に釘付けになる。
それを片手で掲げてネコニャンは叫んだ。
「――――あーげたにゃ!」
レットに対して、わずかに冷たい風が吹きつける。
最南端とはいえ、港に吹く風は寒く感じられたような気がした。
「――すみません、オレが悪かったです。だからもう“そういうの”本当に勘弁してください」
レットは立ち上がってあっさりネコニャンに頭を下げた。
「渾身のギャグなのに……その反応はキツいですにゃ……」
結局、レットはネコニャンから一般的なお金稼ぎの方法を簡単に教わる。
具体的には合成のスキルレベルを上げたり、合成に必要な素材アイテムを集める。
NPCからクエストを受注する、等である。
尚、レットの答えは――
「なんか自分には全部向いてなさそうですね。なんか他に無いんです? 楽なお金稼ぎ!」
――これであった。
ネコニャンの批難の視線を受けて、レットは弁解した。
「あ、いや! そんな大金が欲しい訳じゃあ無いんですよ! 格好いい装備品を一式着れるだけのお金があればそれで満足なんですって!」
「はぁぁ……全く最近の若い人達は沢山お金を稼ごうという気概がないんですかにゃ? いや、まあここ数十年……現実世界は不況だからですかにゃあ……。ゲームでもお金稼ぎやりたがらないで、逆に現実のお金を注ぎ込んで破滅するような人ばっかりなんですよにゃあ……。世代なのかにゃあ……う゛う゛ーん」
レットの言葉を聞いて、ぶつぶつと呟くネコニャン。
「――とにかく、試しに釣りでもしてみればいいんじゃあないですかにゃ? やってみるとそんなにしんどくにゃいですにゃ」
「わかりました。このゲームの釣りってどんな感じなんです?」
「現実の釣りとほぼ変わらないですにゃ。違いがあるとすればどこでも魚がヒットする確率が現実より高めになっているってことくらいですかにゃ。潮の流れも一応影響したりしますにゃ。【釣り新聞】、要チェックですにゃ。むっ……岩の下に針が引っかかって――これは根がかりしたにゃ……」
竿を撓らせるように振り回して根がかりを外そうとするネコニャン。
「とりあえずやってみますよ。一回ネコニャンさんの竿をオレに貸してください!」
「いや、これはちょっと初心者が握るには危険すぎる竿な気がしますにゃ……。釣りの技術を鍛えないと――それに、手持無沙汰だから釣りをしていただけで。そもそもここはあんまり良い釣り場じゃないんですにゃ」
「何言ってるんですか! 竿なら毎日自分のを握っているんだから、任せてくださいよ!」
「ちょちょちょちょ! 初心者用の竿を貸すから色々な意味で落ち着いてくださいにゃ! まずきちんと装備をして――」
ネコニャンが持っている釣り竿を、横から強く握るレット。
釣り竿に付いている“如何にも”なスイッチを押してしまう。
機械式のリールが起動し、凄まじい速度で回転――ネコニャンが反射的に両手を離し、竿をがっちり握っていたレットの身体が引っ張られ――湖に吸い込まれるように消えていく。
そして、数秒経ってから――
「グエーーーーッ!! エハッエハッ!」
――レットは釣り竿と共に、湖面に浮上した。
「落ち着いてって言ったじゃあないですかにゃ! 釣りの素人がこんなパワーのある釣り竿使っても身体の方がひっぱられますにゃ! ――あ、浮いてきたってことは、根がかりが取れてるんですかにゃ? よかった、よーかった~」
激しく咳き込みながらも、梯子を伝って波止場に上がるレット。
「し、死ぬかと思った……」
「別に、水中に長時間沈むことになっても苦しくなったりはしませんにゃ。水中にもぐり続けているとHPが減っていくから、泳ぎが苦手な人は要注意ですけどにゃ」
「いや、ていうか。パワーおかしくないですか!? こんな釣り竿現実にありませんよ!」
「ある程度【釣りスキル】があるプレイヤーならちゃんと扱えますにゃ。そういえば、これより凄いパワーの釣り竿、前にクリアさんの誕生日にプレゼントしてあげたことがありましたにゃ……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ほぉ~。クリアさんも、釣りとか始めてたんですかにゃ?」
「始めてたもなにも昔から自分、“釣り”は大好きじゃないですか!」
「へぇえ~。そうでしたかにゃ? たしか、今度誕生日でしたよにゃ! 丁度よかったですにゃ。この釣り竿、プレゼントしますにゃ。自分の自信作なんですにゃ。今度一緒に釣りに行きましょうにゃ!」
「え? “釣り竿”……? およ!? こりゃあ凄まじいパワーのリールが使われているんですね……ナハハハハハハ! 折角だしもらっておこうかな? ハハハハハハ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「へ~、それでクリアさんと釣りに行ったんです?」
「あげた釣り竿…………“バラバラに分解”してしまったんだそうですにゃ。もう自分、あの人には金輪際、何もプレゼントしませんにゃ!」
(……それ、そもそもクリアさんの“釣り”の意味が違ったんじゃあ無いか……?)
『悲しいにゃあ……』と項垂れるネコニャンを前に少しだけ同情するレットであった。
その後、ネコニャンは用事ができたということでその場を離れることとなった。
別れ際に“今度一緒に釣りしましょうにゃ”と言われはしたものの、レットはそこまで乗り気では無かった。
(それにしても、ネコニャンさん。釣り場としていまいちなら、なんであそこでいきなり釣りを始めたんだろう。……もしかして、釣り仲間が欲しかったのか?)
レットはネコニャンが釣りあげたボロボロの革靴を譲ってもらっていた。
何も装備しないよりはマシだと判断して、ひとまずそれを装備する。
(くそお、裸足は避けれたものの……このまま国の中を闊歩するのはなあ……というか、革靴を履いたら全体的な変態度が、逆に上がってきているような気がする……)
リアリティのあるVRMMOにおいて、不審な格好をするというのは予想以上に恥ずかしいものなのだと、レットは深く後悔した。
『あ、そうそう。クリアさんにお金稼ぎの方法を聞いても無駄ですにゃ。宵越しの金は持たないらしくて、貯めてもゲーム内のプレイヤー同士のギャンブルで全部擦っちゃうらしいんですにゃ。お金がなさ過ぎてその場しのぎにレアな武器とかNPCの店で売っちゃうらしいし~。利率低いのに勿体ないですにゃ』
別れ際にネコニャンに言われた言葉を思い出し途方に暮れるレット。
頼みの綱のクリアも今回は――というよりクリアのアドバイスを聞いた結果が今なので、役に立っていないどころか足を引っ張っている有様だった。
「クックック……貴公、少し良いかな?」
(なんだこの渋い声!?)
声を掛けられてレットが振り替えると、一人の男が腕を組んで壁に寄り掛かっていた。
男のスタイルはとても良く、背も非常に高い。
頭に被せられた羽のついた硬質の帽子に、茶色いグローブ、厚くて頑丈そうな革製の古いトレンチコート、肩には、耐久性に優れたクロークが掛けられている。
それは完全なお洒落装備というよりは身嗜みを損なわぬように整えられた戦闘用の装束といったような印象を受けた。
ピエロのようなお面が張り付いているためどのような顔をしているのかはわからないが、帽子には耳を入れるスペースとして使われる二つの突起がついており、毛艶のある黒色のスマートな尻尾が生えていることから、どうやらキャットのようである。
太股の外側には巨大なホルスター、そこに骨董品のような長銃が差し込まれていた。
そして、“名前の表示は無かった”。
レットは異様な雰囲気を醸し出す謎の人物に気圧される。
「ええと……その、何でしょうか?」
「……吾輩の名はLuxe。“Mr.レット”。貴公の轟く自己紹介は先日、聞かせてもらったよ」
「あ……ありがとうございます!」
「それで、貴公はかの、白き妖精《Clear・All》に見初められた男と聞くが、それは――事実かね?」
「はい、一応あの人はオレのフレンドです。――一応」
(変だな。意味不明な言葉で話しているはずなのに何を話しているのかはっきりわかる……)
後日レットが知ることになるが、これは単語を別の単語に置き換えて相手に意味だけを伝えるVRMMOの“ プレイヤー登録辞書機能”という物。
設定をしておくだけで小難しい単語を連発しても相手にきちんと意味が通るというもので、RPが捗るためか、ごく一部のプレイヤーからは好評だった。
男――リュクスはレットの容姿を、下から上まで舐めるように見つめる。
「成る程。吾輩は白き妖精《Clear・All》の知人でな。貴公が淡い幸せ《お金》に困っていると、ここまで聞こえてきたので――。どうだろうか、吾輩の同好の士《仕事仲間》にならないか? フッフッフッフ」
「本当ですか!? その仕事って儲かるんですかね?」
怪しい出で立ちではあったが、クリアの知り合いと言うことで警戒を解き、レットはリュクスの話に飛びつく。
「アア――心配は要らないさ。――その手で掴み取るのだ。貴公の真の安心《幸せ》を……ハハハハハ……。吾輩に付いてきたまえよ……」
そう言ってから振り返って、リュクスは路地裏に消えていく。
(すご〜く怪しい雰囲気がするけど……ゲームなんだから、犯罪に巻き込まれたりするわけでもないだろうし。ちょっとだけついて行ってみるか)
【商魂逞しいプレイヤー達】
プレイヤーには独自に販売する目的で国々を渡り大量の物品を送り届ける転売屋が存在している。
また、合成スキルを高めた職人同士で集まり、僻地で行商を行う者達も居る。
商売を成功させて、富豪と呼ばれるようになったプレイヤーの中には戦闘能力が一切ない者もおり、そのようなプレイヤーは、ゴールドで戦闘に長けた傭兵プレイヤーを雇う傾向にある。
戦わずとも大富豪になれるという事実は、まさにこのゲームのプレイの自由度と懐の深さを表現しているともいえる。
「最強クラスの武器を作ることに成功したが……市場価値が高すぎて誰も買い取ってくれないな」
「まあ、このゲームのお金持ちって意外と戦闘してなかったりしますからね。もう、自分で使ったら良いんじゃないですか?」
【魚釣り】
多くの人々にとっては興味がわかないものであるが、一部に熱狂的なマニアが存在するゲーム内コンテンツ。
このゲームの釣りは現実とは違って、魚の遺伝子淘汰が起きない設定になっている故かスレる(※魚が警戒心を持つ)ようなことがほとんど無い――が、伝説の怪魚クラスになると現実の釣り人でもゲンナリしてしまう程の難易度であるとされ、きちんとした魚に対する知識と技量が問われる。
竿は複雑なカーボン製の物から、シンプルで原始的な木製の物まで多岐に渡る。
餌は疑似餌、生餌、ルアー、妖精族等。
地味に設定を弄ることでゴカイ等のグネグネする生餌を疑似餌として認識することができるので女性でも安心であり、初心者のお金稼ぎにももってこいであると言われている。
魚が腐ることは無いがきちんと鮮度があるため、釣りたての魚の美味しさに目覚め、料理のスキルを上げて一日中釣り竿を垂らす者が後を絶たない。
世界中を回るアクティブな釣り人達に配慮してか、釣りプレイヤー達のコミュニティで作られる釣り新聞は全国で統一されている。
「ああ、ま~たグラスパッファーだよ!!」