第二十二話 全てが、美しい思い出に――
レットは、恐る恐る目を開ける。
最初に映った光景は――――――――
――――部屋の明かりの下、派手なポージングと共に中身が飛び出た円錐形の紙容器を構えているクリアの姿だった。
「――――――――へ?」
レットの口から間抜けな声が零れ出る。
「「サプラーイズ!!」」
レットの周囲で、複数の声が重なる。
気が付けば、自分を囲むようにチームメンバーが立っていた。
居間の隅には、どこか居心地の悪そうに立っているケッコとロック。
その前に立っているテツヲとネコニャン。
レットの真正面に居るクリア。
その両隣に立っている、タナカとワサビ。
そして、レットのすぐ右横に立っているデモン。
全員がクリアと同じように、円錐形の紙容器――パーティ用のクラッカーを構えている。
最後に、これは嫌がらせ目的だろうか?
レットの左側に立っているベルシーは、直接クラッカーの中身をレットの顔面にぶちまけた挙句――地面に落ちた紙テープまで拾って頭に浴びせ続けていた。
居間には、これから何か催しでもあるのだろうか?
やや高めの長テーブルが置かれていた。
天井に何かが掛けられていることに気づいて、レットは顔を上げる。
自分の顔に掛かった紙テープの隙間から、横断幕が見えた。
『 HAPPY BIRTHDAY 』
「レットさん。お誕生日、おめでとうございます」
「おめでとうごさいますにゃ~!」
「おめでとうございますー」
「おめでとう少年♪」
「おめでとう――レット………………」
「おめでとう。やで」
「このまま一瞬で100年くらい歳とって、さっさと死ね馬鹿ボケ」
拍手と祝福の言葉、左側から飛んでくる紙テープと罵倒に囲まれながら、しばらくの間レットは茫然としていたが――しばらくしてその身体がわなわなと震え始めた。
「もう……もおおおおおおおおおおおおおおおお! 何でこんなタイミングで、突然こんなことををををを!?!?!?!?!?!? 誰が企画したんですかこれ!? オレ、びっくりしたんですよォ!!」
先程まで自分自身を取り巻いていた恐怖と驚きと緊張。
そこから解放されたと同時に、驚かされたことに憤慨してレットは思わず涙ぐむ。
「話を最初に持ちかけたのは俺だよ。サプライズなんだから突然なのは当たり前だし、ビックリしたなら大成功だな! もしかして――誕生日を間違っていたか?」
クリアが不安そうな表情でレットを見つめてくる。
(――デモンが居るから、ここじゃ泣きたくても泣けないし取り乱せないし! この人は――もう! もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! クリアさんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!)
内心で憤っている間にも、左側から紙テープがレットの頭に対してシャワーの様に浴びせられ続けている。
レットはその紙テープを払いのけつつ、零れそうな涙を咄嗟に拭った。
「い――いや、今日が誕生日です……オレ自身が、すっかり忘れちゃってました。でも、一体どうしてこの日が誕生日だって――あ」
そこまで言って、ワグザスでのクリアとのやり取りが自然と思い返される。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『〔キャラクターの【プロフィール画面】って、名前とか自分が所属する国とか自分の――――キャラクターの誕生日とかが載っているアレですよね?〕』
『〔そうだ。“キャラクターの誕生日”だ。現実の情報に合致しているかもしれないと思ってな――待てよ? レット、お前はキャラクターのプロフィール画面の情報は変えてないよな?〕』
『〔な、何ですか急に? ちょっと前にフォルゲンスでクリアさんに見せた時があったじゃないですか。その時から何一つ変えてませんよ〕』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「お前のことだ。現実の誕生日の情報を、まさにそのままキャラクタープロフィールに反映させているに違いないと思って片手間に俺が企画したんだよ」
「うぐぐ……そ、その通りですけどォ……」
そこまで言って、レットは直接クリアに囁く。
「〔デモンや皆に何かあって全員いなくなっちゃったんじゃないかって、オレ――本気で心配したんですよ!?〕」
その言葉を聞いて、クリアはキョトンとした表情でレットを見つめる。
「〔最近色々あって、お前も疲れているだろうし多少の息抜きは必要だと思ってやったんだ――が…………すまない。まさか、そこまで驚かれるとは思わなかった〕」
クリアの反応を見て、レットはそれまで置かれていた環境を自省する。
(う……オレの方が、どうかしてたのかも。普通に考えればいきなりメンバーの全員が、何の前触れもなく居なくなるわけがないんだし……。生活リズムが乱れて、相当余裕無くなってたんだなオレ……)
「レットさん自身が誕生日を忘れていて、都合が良かったですにゃ!」
「サプライズ――――大成功………………」
「良かったですねデモンさん。私達全員で、誕生日パーティの準備をした甲斐があったというものです」
喜んでいるメンバーたちを見て、レットの中で燻っていたはずの怒りの感情はみるみる失せていく。
「〔はぁ……すみませんクリアさん。オレ、精神的にちょっと参っていたんだと思います。最近ちゃんとした時間に眠れていなくて――必要以上に心配しすぎだったのかも〕」
「〔どうやら、俺が思っていた以上にお前に無理が祟っているみたいだな。ま――今日はとにかく楽しめ! そして多少無理にでも、今日は早めにぐっすり寝ることだな!〕」
「レット――こっち……」
デモンに腕を引っ張られて、居間の中央を囲むように置かれているテーブルの一つに案内される。
テーブルの周りに椅子は置かれておらず、背の低い種族を選んだプレイヤー用だろうか? 機械式のテーブルは、高さを調節できるようになっていた。
「それじゃあ。ワサビさんとタナカさん。料理の準備をお願いしていいかな」
「わかりましたー」
クリアの指示で、ワサビとタナカがテーブルの上にアイテムインベントリーに入っている料理を取り出して並べ始める。
「私も――料理……運ぶの手伝う………………」
「そ、そうですね。運ぶ“だけ”ならお任せできそうです。デモンさんにも、お手伝いをお願いしましょう」
タナカから料理を受け取って、デモンが手伝いを始める。
「うわ……すっげェ……」
「驚いて貰って嬉しいですー。少し前からこっそり、準備してたんですよー」
ワサビがレットの真後ろを通り過ぎながらそう言いつつ、料理を置くために別のテーブルに離れていく。
真横に居るベルシーの、残響が出る程の巨大な舌打ちが鳴った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『どうしたのさベルシー。いつもイライラしているけど、今日は“いつもよりいつもイライラ”しているような……』
『二言三言余計だっつーの! ……まあ、イライラしているのは事実だけどな。ワサビちゃんの料理を、今日は貰えなかったんだよ』
『そんな――ご飯貰えなくて拗ねてるネコじゃあるまいし』
『……うるせえな。オレからすれば死活問題なんだっつーの。ワサビちゃんにはいつも料理のスキルで作ってもらった“愛ある余り物”を色々もらってるんだけどよ。"何か準備をしないといけない"っつーんで今料理を作る余裕がねえんだとさ』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
(あ~~“そういうこと”だったんだ! 全然気づかなかった!)
納得と同時にベルシーがレットの耳元で直接囁いてくる。
「(言っておくがな、“劣徒”……オレがここに居る理由は、ワサビちゃんの本気の料理が食えるからだ。テメエの誕生日を誰が好き好んで祝ってやるかってんだ)」
「(ベルシーがオレを祝ってくれていないのはわかってるよ。信用しているから心配しないでよ)」
「(……オイ! それはオレを貶しているのか褒めてるのか、どっちなんだよ!?)」
「(うーん。この場合は――“両方”かな?)」
「はぁーい! ジャンジャン置いて行って! 私は専ら“食べる専”なんでよろしくね♪」
ベルシーの真横に立っていたケッコがベルシーの前のテーブルの高さを、自らの身長に合わせて思い切り“下げた”。
テーブルに肘をついていたベルシーが、バランスを崩して地面に前のめりに倒れ込む。
「オイデブ! ちょっとはペースを考えろや! 開幕オレの前の皿に手を伸ばそうとするんじゃねえよ!」
『この料理は最高ですにゃ! 特に、この海老が塩味効いていて旨いですにゃ!』
『む――妙ですね……。私海老を使った料理を作った記憶は無いのですが……』
『ダッハッハッハ! 細かいことは気にしない気にしない! ほ~らネコニャンさん“練り物”もあるみたいだし、ガンガン食べてくださいよ!』
『クリアさんー。食後には“お紅茶”もありますよー』
『おおっと、ワサビさん。いつもありがとう』
『…………オレンジに、すっごく良く合うお紅茶なんですよー』
気が付けばメンバー達が料理を食べ始め、各所で談話が始まっている。
料理を頬張るケッコに抵抗するかのようにベルシーがテーブルを元の高さに戻した。
「――ま、祝いはせずとも“劣徒”に同情はしてやるよ。冷静に考えて見ろよ? こんな年度の変わり際に子どもを産んでるってことは、コイツの両親はきっと子どもの将来をきちんと考えていないロクデナシに違いないぜ! 周囲の同世代に置いて行かれる『早生まれ』ってヤツだな!」
「……違うよ。学年は一年遅れになるように両親が届け出を出してくれているんだ。オレ小学校の頃からずっとそうなんだよ。今は“早生まれか遅生まれか選べる制度がある”んだよ」
「――んだよそりゃあ! オレがガキの頃は、そんな制度はなかったぞ!」
『あ、ネコニャンさん。ピザ食べてるんですね?』
『ほうひゃ(そうにゃ)。ひへんひひっへほふへほは、ははははいひゃ(事前に言っておくけど、渡さないにゃ)!』
『実はそのピザ。チーズが凄い伸びるんですよ。ちょっと貸してみてください――ホラ!』
『おーこのピザは、はひはひふほいひゃ(確かに凄いにゃ)! のびるーのびるー』
距離を取ったクリアがネコニャンから奪い取ったピザを口に放り込み――
「で――今のレットの話なんだけどな」
――真顔になっているネコニャンに目もくれず。レット達の話に割り込んできた。
「ベルシーが知らないのも仕方ないだろうな。その制度は俺たちが学校に通っていた、まさにその頃新しく決まったものだからな。“レットと俺達は世代が違う”ってことだよ」
「べぼぶびびぼべ~(でも不思議よね〜)」
「ほとんど何言ってんのかわかんねーよデブ! 口の中の物全部食べてから物言えや! つーか、よく見たらもうオレの前に置いてあった料理がほとんどねえじゃねえか!」
ベルシーの指摘を受けて、膨らんでいたケッコの口が一瞬にして萎み胴体が横に広がる。
しかしどこに消化されたのか、一瞬にしてケッコの体型が元に戻った。
「でも不思議よね~。息子の誕生日なのに、どうして少年のご両親は旅行に行っているの?」
「毎年親族一同集まって全員でお祝いしてくれるんですけど、今年は法事が多くって日程が合わない人が多かったみたいなんですよ。だから誕生日は別の機会ってことになって、オレの両親は旅行の予定を入れることにしたんです」
レットの言葉に、ベルシーが厭らしい笑みを浮かべる。
「なるほどなあ。つまり、お前の家族は出来の悪い息子の誕生日より夫婦の旅行が優先ってことだな!」
「ちょっと――言い方って物があるでしょ!」
ケッコがげんなりした表情で、ベルシーのテーブルから最後に残った料理を片腕で乱暴に掠め取った。
「オイ――“食い方”ってもんがあるだろうがよ!」
「でも実際、それだけ良いご両親なら旅行先で誕生日祝われてもおかしくないと思うのだけれど。少年は旅行によく連れていかれないで済んだわね」
「いや~そもそも“夫婦の結婚記念日の旅行”なんで。仕方ないからオレの誕生日は後から祝おうってことになって。二人とも、当日旅行なんて辞めてちゃんと今日この日に家族で祝うべきじゃないかって言ってくれたんですけどォ……」
やや赤面しながら、レットは話を続ける。
「えっと――『二人に旅行を楽しんでもらうのがオレにとってプレゼントだって』。オレ……そう言ったんです。そしたら…………誕生日は延期になって、別の機会に親族一同集まろうってことになって、二人とも納得してくれたっていうか……『オレももう子どもじゃないから』って言ったらすんなり聞いてくれました」
「何よ何よ~! いい家族じゃない♪ やっぱり少年のご家庭って円満なのね♪」
テーブルの対面にいたクリアが納得したように頷いた。
「―――やはりな。詳しい事情は知らなかったが、誕生日を企画した俺も“レットの家庭はそんな感じになっているんだろうな”っていう大体の予想はついてた」
「オイ。こんな恵まれた奴の誕生日なんて、そもそも祝う必要なかったんじゃねえのか? ――冷やかしに来て正解だったぜ」
ベルシーが苛立った様子で再びレットの耳元で囁く。
「(……気を付けた方がいいぜ“劣徒”。こんなご時世だ。いつか“何も持ってねえ人間”に恨まれかねねえぞ。せいぜい、気を付けるこったな)」
「(“何も持ってねえ人間”って、どういう意味さ?)」
「(それをお前がわかってねえからこそ、オレがわざわざ気を付けろって言ってやってんだよ。――このままじゃテメエ、いつか刺されて死ぬぜ?)」
呟くだけ呟いて、ベルシーはレットから離れていく。
(悪口言うのは勝手だけど、勝手に人の死に方まで決めないで欲しいな……)
ベルシーの言葉の意味が理解できず、首を傾げながらレットが目の前のテーブルに置かれていた料理を口に運んだ。
「「あ――――うんまい!」」
「この料理は、タナカさんとワサビさんが用意してくれたのよね? 美味しい料理が作れるってそれだけで素晴らしいわ~♪」
話を振られて、近くのテーブルに料理を置いていたタナカが足を止めて気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「喜んでいただけて幸いです。ゲームシステム上では私は素人ですから、あくまで“美味しい”だけですけどね」
「オレびっくりしたよォ! タナカさんは料理が上手なんだね」
「自分の母に、美味しい料理を食べてもらいたくてずっと練習していたんですよ。仕事を定年した後は料理屋でも開こうか――と、考えていた時期がありまして……」
(う、うーん。この人は本当によく出来た人だなあ……)
「良いじゃない! お店が出来たら食べに行きたいわ♪ ――開店するなら、ライス大盛りは無料でお願いね! いっそバイトで雇ってくれても良いのよ!? 今のバイト、そろそろクビになりそうだし♪」
『太すぎて誰もお前のクビなんて切れねえだろうがな』
――とベルシーがケッコに対して大きな声で悪態をつく。
「つーか、デブ。どうみても賄い料理目的でバイト希望してやがるだろ。オイ、タナカ。コイツを雇うのは絶対にやめとけよ。バイトの身分で、ライス大盛りを要求されかねえ」
「そのとおり! 要は、今の私の“脂肪動機はライス大盛り”ってことよね!」
ケッコが笑いながら自分の小さな腹部を片手で叩いて、ベルシーはため息を漏らした。
「……美味いジョークのつもりかよ?」
「あ、あくまで“考えていた時期があっただけ”ですので実際にお店を開くわけでは――――ケッコさんのご期待には、添えそうにありません」
苦笑しながら目を逸らしているタナカの肩を、デモンがつついた。
「タナカ――渡された料理……全部置いた……」
「お手伝いありがとうございます。とても助かりました。デモンさんも、沢山食べていってくださいね」
デモンはこくりと頷いて、じっとある一点を見つめる。
その視線の先にあったのは、ケッコの小さな背中だった。
デモンが自分から近づいて、ケッコに話しかけようとした瞬間――
「……さて――私は他のテーブルも荒らしに行こうかしら?」
そう呟いて、ケッコは大きな皿を抱えたまま足早に別のテーブルに歩いていく。
「レット――私……皆と話せるようになったけど……あの人だけは、まだ一度も顔を――合わせてくれないの」
「……………………………………」
「でも――当たり前の話。本来なら皆に嫌われていても仕方ない。私は、皆に迷惑をかけているから……」
「ち、違うよデモン。あの人は――」
『だから、なんでお前はオレの真横に来るんだよ! 料理を食うためにオレが“避難した意味”がねーじゃねえか!』
『別にいいんじゃない? こういう祝いの場にそぐわない者同士、徹底的に争いましょうよ♪』
「――多分。何か、事情があるんだよ。だってあの人は、そんな理由でデモンを嫌うような人じゃないから」
「励ましてくれて……ありがとう。レットは――優しい」
デモンがレットの真横に立つ。
テーブルの上の料理を見つめて、その表情がさらに曇った。
「私も今日……プレゼントとして誕生日のケーキ……試しに少し作ってみた。でも、結局上手くいかなくて――諦めた。……ごめんなさい」
「そ、そんな――勿体無いよ! 別に失敗したってオレは――――――気にしないし、作ってくれたならちゃんと食べてみたいな!」
「(その件なのですが――)」
気が付けばレットの真後ろに居たタナカが小声で囁く。
「(デモンさんが試しに作った分のケーキは、ベルシーさんがワサビさんの作った物だと“勘違いして味見をして”しまいまして……。どうやらベルシーさんの反応が著しく芳しくなかったようで、デモンさんはケーキを作ることそのものを中止してしまったようです……)」
『っかしいぜ。ようやくワサビちゃんの作ってくれた料理にありつけたのに、何を食べても全く味がしねえぞ! オレの味覚は――、一体どこに行っちまったんだアアアアアアアァ!?』
『さぁ? どこに行ったのかしらね~。ある意味で、これって自業自得よね~♪』
「もしもまたケーキを作ったら、うまくいかなくても……レットは食べてくれる?」
「だ……だ……大丈夫だよ! ちゃ――ちゃんと食べるって!」
「ありがとう。レットへのプレゼントは……別にちゃんと――考えておくから。待っていてほしい」
「う、うーん。誕生日のプレゼント――かぁ」
(もしかして、他の人も何かオレにプレゼントを用意してくれていたりするのかな? パーティを開いてくれるだけでもう充分なんだけど……)
気にはなったものの、こんな状況でパーティまで開いてもらっている身である。
自分から聞くのも野暮だろうと、レットは気にしないフリをしようとした――その矢先にベルシーが再び近づいてくる。
「残念だったな“劣徒”! 聞いた話じゃ、この催し自体が急場だっつーんでほとんどの連中が今は何も用意できてねえんだとよ。せいぜいプレゼントを貰いそびれないように、がめつく強請るこったな!」
「別に期待なんかしていないって! いちいち嫌な突っかかり方しないでよォ……」
料理を一口頬張っていたデモンが、無表情のまま料理を咀嚼しつつじっとベルシーを見つめてから片手を差し出す。
「にぃ……誕生日プレゼント――――――――頂戴」
「――――――っかしいだろうがよ! お前が欲しいのかよ! 他人の誕生日でテメエのプレゼントを要求すんな! せめて自分の誕生日まで待てや!」
「待っていたら――私に何かくれる?」
「やらねえよ! なんでオレがお前にプレゼント渡さなきゃいけねえんだよ! つーか、お前は自分の誕生日知ってるのかよ!?」
「……わからない。設定だと……1月1日。でも――多分違う」
「――そうかよ。つまりテメエの誕生日は、テメエがゲームの中に居る限り一生わからねえし永遠にやってこねえってこったな。プレゼントが欲しけりゃ、さっさと此処からいなくなれや。要は『どう転んでもテメエにプレゼントなんて渡さねー』ってこった」
ベルシーを諌めようとレットが声を上げる前に――
「残念……貰えないなら――代わりに……私がにぃに……プレゼントあげる」
――デモンが無表情で呟いて、インベントリーを弄り始める。
「あぁ? 貰えないから渡すって、どういう思考回路だよ?」
「はい――にぃに……プレゼント」
デモンが差し出したアイテムは、かつてベルシーが強奪してクリアに奪われた“ぬいぐるみ”だった。
「PKに奪われて……怒っていたから――にぃに新しいの、“買った”の」
レットの耳に、咽こむ音が聞こえる。
料理を喉に詰まらせて咽ていたのは、いつの間にか対面に戻ってきていたクリアだった。
「フン! ………………貰っておいてやるよ」
ベルシーはデモンの手からぬいぐるみを乱暴に奪って、瞬く間に自身のインベントリーに仕舞う。
(って、すんなり貰うのかよ!?)
「……オイ餓鬼。一応聞いておいてやるが。お前は何が欲しいんだ?」
「――――――――歌」
「はぁ?」
「……私に“歌を教えて欲しい”。私……ゲームの中で流れる歌しか知らない――歌えないから」
「“知らない”って……んな馬鹿な話があるかよ。歌なら、例えば――」
ベルシーは周囲を一瞥する。
「――そうだな。『ハッピーバースデーの歌』くらいは流石に知っているだろ? 物は試しだ。今ここで劣徒に対して歌ってやりゃいい」
「………………だから――それがわからないの。……覚えてない」
「――オイオイ。あれが歌えないってお前――――――――――――ひょっとして誕生日祝われたことねえのか?」
「ベルシー。言葉に気をつけろ。今は笑えない冗談は言うな。それに……その――何だ」
クリアが声量を落としてベルシーに顔を近づけてきた。
「(――今日ここで歌の話題を出すのは無しだと皆で取り決めをしたはずだろ!?)」
緊張した面持ちは、何かを警戒しているようだった。
果たして、その面持ちに一体どのような理由が隠されているのか?
二人のやり取りを見ていたレットは首を傾げたが――
「ちょこっと残念ですー。本当は今日、私も自由に踊ったり歌ったりしたかったんですけれどー」
いつのまにかクリアの背後に立っていたワサビの一言で、居間全体が突如静まり返った。
一部のメンバーに、形容しがたい緊張感が走っていることにレットは気づく。
ベルシーが虚空を見つめて、思考を巡らせているかのように舌を舐めた。
ケッコの目つきが、殺気立ったものに変わる。
ネコニャンの目が、まるで自分自身に哲学じみた問いかけをし続けたかのように一瞬で光を失い。
テツヲが無表情のままごくりと唾をのみ込む。
クリアの手が震えて持っていたスプーンから料理が零れ落ち、その顔を冷や汗がだらだらと流れ始め――突如言い訳をするかのように早口で捲くし立てた。
「まままままあ、なんだ! “歌や踊りがとっても苦手な人も居る”からそこはしょうがないよな。なあベルシー?」
「そそそそうだぜワサビちゃん。そういうヤツにさ、“無理に踊ってもらったり、歌わせるのは色々酷”だろ!?」
ワサビは頬に人差し指を当てて思案し――
「――あ! それなら、私がデモンさんに後で“個人的に”とっておきのお歌と、ついでに踊りを披露しましょー!」
――満面の笑みでそう言い放った。
「ワ――ワサビさん。悪いけど、彼女は時間の余裕が無いんだ。多分『精神的に聞く余裕も無い』というか……。他のメンバーも皆、忙しいし――あ、そうだ! ネコニャンさんがワサビさんの歌と踊り、後で見てみたいらしいってさ!」
「――――――え゛っ゛!」
クリアから急に話を振られて、遠くのテーブルからネコニャンの悲鳴のような驚きの声を上げる。
メンバー達の視線がネコニャンに注がれる。
ネコニャンはしばらくの間目を泳がせた後、キョトンとした表情のデモンを見つめる。
それから、液状化するかのように項垂れてから死んだ目をして呟いた。
「タ………………タノシミデスニャ。ワサビサンノウタトオドリハ、スバラシイデスカラニャ」
(どんだけ嫌なんだよ!? 片言すぎるだろォ!!)
「……ワサビ。料理が足りんくなったで。追加してもらって。ええか?」
「わかりましたー」
静寂が破られメンバー達の歓談が再開される。
テツヲの注文を受けてワサビがレットの居たテーブルから離れていき、クリアがそれに追従する。
ベルシーは、去り際の際に振り返ったクリアと目配せすると、大きなため息をついた。
(ものすごく警戒されているけど……もしかしてワサビさんは『歌と踊りが想像以上に下手』なのかな?)
レットが思案しているところに、横から袖を引っ張られた。
「レット――それ……食べる?」
「ははぁ。さては――気に入ったんだね?」
デモンが頷く前に、レットは手元に置いてあった皿をデモンに差し出した。
「本当に、デモンは食いしん坊だなあ」
「とっても不思議なの……どれだけ食べても――お腹いっぱいにならない……」
そのデモンの言葉に返事を返す前に、真横からの視線を感じてレットは顔を上げる。
レットと目が合ったロックは、即座に顔を逸らした。
離れたテーブルの会話がレットの耳に聞こえてくる。
『いつまで。ボーっとしとる。ロックも。食えや』
『……私のような一介の部外者に、そのような権限があるとでも?』
『気にせんで。ええ。お前もずいぶん長くおるやろ。名実共に。チームのメンバーや』
『その通りだ。付きっ切りで協力してくれているアンタには感謝している。リーダーや俺だけじゃない。チームの皆が――な』
『……私が“協力”――ですか』
(“チームの皆が感謝している”……か。なんやかんやで、GMのロクゴー――“ロックさん”が可能な範囲で情報をくれて、運営との間に立ってくれているからなんとかなってるんだもんな……。ちょっと話しかけづらいけど、後できちんとお礼を言っておかなきゃ。多分きっと、もうすぐ全部終わるんだ……。お年寄り達と同じように、デモンが現実に帰る時が近づいてる)
料理を食べ続けているデモンを見つめながら、レットはとある日の城下町での会話を思い返した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『“全部解決したとき”のこと?』
包み焼を食べ終わってからデモンが呟いた一言をレットは反芻する。
『そう――本音を言うと……とっても怖い。この世界から出る時に――私が……私の周囲が、どうなっているのか……わからない。これからどうなっていくのかも、わからない……。わかることは一つだけ――レットとは………………きっとお別れになる。我儘だけど………………レットとは、ずっと一緒に居たい。何もわからないのが、とっても怖い』
『確かに、お別れするのはとっても寂しい。だけど、それは多分喜ぶべきことなんだと思うよ。オレにはさ。これから先、デモンに良い出来事が――起きるような気がするんだよね!』
その時レットには、いい加減なことを言っている自覚があった。
(デモンだけじゃない。明日のことなんて、自分の未来なんて――誰にもわからない。オレにだって――)
自分自身がこれからどうなるかなどわかりはしない。
自分が生きている周りの世界がどう変わっていくかも、何もわからない。
これからどう生きていけばいいのかも、レットはよくわからなくなりつつあった
(本当は――本当は、皆不安なんじゃないかな?)
『レットは……凄い。明るい笑顔でいつも私を励ましてくれる。どうして――そんなに真っすぐ…………私に優しくしてくれるの?』
レットは息苦しさを感じる。
その場しのぎに近しい言い訳のような自分の励ましをデモンに肯定されて、レットは答えに詰まった。
『……う、うーん。そうだなあ。オレの周りに居る人が、なんやかんや優しいから――かも』
『多分。私は……レットと逆。きっといつも……周りには“優しくない人”しか―いなかったんだと思う。だから――――やっぱり信じられない』
『信じられないって、いったい何が?』
『“人……そのもの”。ねえ、レット。世の中に居る人達は――――悪い人と善い人。どっちが多くて正しい? ……どっちが、人の本当の姿だと思う?』
『それはもちろん――』
レットの中で、ゲームの中で今まで出会った人々のありとあらゆる記憶が思い起こされる。
『――今のオレにはよく……わからないや』
その時のレットにはデモンに対して“いい加減なことを言えない苦しさ”があった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。
宴は終わり、メンバー達はぞろぞろと外に出始めた。
「うぃ~。ヒック!」
「……ネコニャンさん。俺は前に言いましたよね? ゲームの中で酒が飲めないからと言って――、『ログアウトして一気飲みしてから戻ってくるのは、危ないから辞めてください』って!」
「爺っちゃんも婆っちゃんもいなくなって、これが飲まんでやってられるかってんですかにゃ! 全員、チームの家から出ましたかにゃ? これから皆で、自分の行きつけの“宴会出来る屋台”に行って二次会スタートですにゃ! ――む! レットさんは何をやっているんですにゃ?」
「――え? いや……皆が家の前でワイワイやってるの面白いから――写真を一枚撮っておこうかなって思って」
ネコニャンがフラフラとカメラを構えたレットに歩み寄る。
「ほぉ~! “あんてーく”で立派な写真機ですにゃ? 折角だし、皆で集合写真でも撮りましょうにゃ!」
「写真ですか、し、しかし私は……」
「私も二次会ごとパスかな~。このまま馬車で出かけて曇り空の下、夜風に当たるつもりだったし♪」
「そんなん言わんで~折角だし、タナカさんも映りますにゃ! ケッコさんは馬車に乗ったままでいいから! ほらほら、皆家の前に並んでくださいにゃ!!」
猫の――否、“鶴の一声”。
賛否を取るまでも無くメンバーが談笑しながら思い思いに並び始める。
「ほむ。面白そうやな。ロック。俺の横に。こいや」
「しかし――」
「いいから。こいや」
「――面白ェ。中央はオレだな。写真写りのテクニックを見せてやるよ」
「……何言ってるのよ。どきなさい。ホラ、少年が真ん中に来なさいな!」
「え? オレェ!?」
「レットの誕生日なんだから、真ん中なのは当たり前だろ?」
そう言いながら笑みを浮かべるクリアに背中を押されて、レットは写真機の前に立った。
(――なんか、ちょっと照れるな)
「俺は背が高いし、端の方に移動しよう。ワサビさんは真ん中の方がいいんじゃないか?」
「私はここが良いですー」
「あ……そうだ! どうせ撮るなら――クリアさん。家の横に置いてある“あれ”。ここに持ってこれませんか?」
「なるほど――わかった。さて、そうなると撮影者は――」
「………………では、最初は私が撮りましょう。レットさん。写真機を貸していただけますか?」
レットから写真機を受け取ったタナカが、並んだメンバーの前に立つ。
「おいコラ、ベルシー。中指を立てるな!」
「わあったよ! おいデブ。馬の尻尾が邪魔なんだよ除けろ!」
「わかってるわよ! 酔ってるネコニャンさんが左右にふらついてるけど大丈夫?」
「うい~ヒィック!!」
「ちょ、ちょっとデモン。そんなにしがみ付くと写真にちゃんと映らないよ?」
「……ピース」
喧騒の最中――
「それでは、皆さん。準備はよろしいでしょうか? はい――チーズ……」
――時間が止まったかのように、強い光がレットの視界を覆う。
「おいおい。オレが言うのも何だけどよお。タイミングズレすぎて、ブレてるヤツいるんじゃねえの?」
「……もう一枚撮るんだからどっちでも良いじゃない。タナカさん替わって。今度は私が撮るわ」
ケッコがタナカに駆け寄る。
タナカは写真機を見つめたまま、訝し気な表情で呟いた。
「……む。これは――フィルムが、切れてしまったようですが……」
「あ、あれ? おっかしいな。まだ何枚か、残りがあったと思うんだけどォ……。弱ったなあ。その写真機“凄く特殊”みたいでフィルムが高いから今オレ予備を持ってないんですよ……」
「“前の持ち主は凝り性だった”んだろうな。……仕方ない。今日はここで一旦解散にしよう。時間的に余裕がある希望者のみ、二次会にゴーだ」
「わかりました。それでは、私は一旦ログアウトさせていただきます。予定されているデモンさんの就寝時間にはきちんと戻りますので」
「ええぇ~残念ですにゃ。タナカさんとは、並んでお酒を飲みたかったんですけどにゃ……」
そしてその後、ネコニャンの案内でレット含む一部のチームメンバー達は別の区画の住宅街で営業されている屋台に向かうこととなったが――
(ビックリしたなあ。まさかプレイヤーが経営する“和風料理の屋台”があるだなんて……。こんなふうにゲームを遊んでいる人も居るんだな……)
「ヘイらっしゃい! なんにしましょう!」
「てんしゅ~。このお料理、四つくださいにゃ……」
「……お客さん。二つで充分ですよ!」
「いや四つですにゃ。二と二で四つですにゃ……」
「二つで充分ですよ!」
「じゃあ“うどん”をつけてくださいにゃ……」
(ネコニャンさん、相当酔いが回ってるな……)
「ここの支払いは。俺に。任せろや。お前ら。好きなだけ飲んで。食え」
「もしも食事が余ったら――……私が全部食べる。任せて………………」
「オイ……ちょっと待てよ。何でネコカスの行きつけの店が“ここ”なんだよ。ここはオレのお気に入りの屋台じゃねえか!」
「似たもの同士ですにゃ……“ナウナヤングにバカウケ”ですからにゃ……」
「うるッせえ! オレはこの店では落ち着いた雰囲気で飯食うのが好きなんだよ! 他に客がいねえからって、絶対に騒ぐんじゃねえぞお前ら!」
「えー、それでは一番騒いでいるベルシーの真横で――一番手Clear・All。ネコニャンさんの物真似やりまーす!」
「オイコラ! 下らねえことやってんじゃねえ!」
――彼らは、ひたすら泥酔するネコニャンを中心に馬鹿騒ぎを繰り返すのであった。
そうしてメンバー達がチームの家に戻ってくるころには、日付が変わりつつあった。
デモンが眠りについたことを確認して、レットは一人外に出る。
家の中から、メンバー達の喧嘩騒ぎのような談笑が聞こえてくる。
軒先を囲っている木製のフェンスに寄りかかって、レットは大きく深呼吸した。
「……たまのたまには、こういうのも良いだろう?」
レットが振り返る。
クリアが家から漏れてくる明かりを背にして、立っていた。
「飯食って馬鹿騒ぎして――気持ちを落ち着かせて、ぐっすり寝るっていうのもさ」
「そうですね。ここの所、オレ――ずっと張り詰めてばかりだったから、助かりました」
再びレットが前を向く。
未だに、夜空は曇っている。
星空は見えず、月明りも差し込んでいなかった。
「……今日オレがぐっすり眠れるかは――わからないけど」
クリアは黙ってレットに歩み寄り、真横に並んでフェンスに両肘を乗せた。
「あ……そうだ! ――クリアさんは、オレに何かプレゼントとか用意してくれたりするんですか?」
「お前なあ……俺がプレゼントを用意するような人間に見えるか?」
「見えるけど――用意してくれない方が嬉しいかも!」
レットの言葉を受けて、クリアは軽く笑う。
「“厚い信頼”だな。間違ってはいない。俺は素性もはっきりしないような。よくわからない迷惑な流浪者だからな」
「ずっと一緒に居ると、本当にその言葉通りだってよくわかります。でも、オレはなんやかんやちゃ~んと信じてますけどね!」
「――レット。冗談は抜きにして、お前は俺を本当に信頼できるのか?」
レットは顔を上げる。
隣で外の闇を見つめるクリアの表情は真剣そのものだった。
「信用はしてません。でも――信頼はしてます」
「――そうか。じゃあ、一つ話をさせてくれ。俺は、ここでお前に話しておきたいことがある」
大きく息を吐いて、クリアはしばらくの間沈黙していた。
「〔――“アリス”についての話だ〕」
それは、少年が頭の中でも思い出さないようにしていた――口に出すことすらしようとしていなかった名前だった。
かつての記憶が急激に鮮明になっていく。
「それはその――どういう意味ですか?」
「〔あの娘に関してなんだが……もう心配は要らなくなった。彼女は、現実世界で元気にしているよ。危ない時期もあったみたいだが何とか乗り越えたようで、今は両親から距離を置いて一人で生活している。これは、誓って嘘じゃない〕」
「ど、どうしてクリアさんがそんなことを――もしかして――」
レットは自分自身の気づきと共に、忘れかけていた記憶の断片が思い返されるのを感じる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それは、例えば大陸を移動したときの、船の上での記憶――
『さぁ~て、船の上は街中と同じように常時パッシブだし、追われる心配も無くなったわけだし。俺はフルダイブリニューアルして初の船旅を――――甲板で昼寝しながら過ごすかな。昨日は“やりたいこと”があって、あんまり寝れなかったんでな』
去っていく彼の後ろ姿。
『とにかく気をつけた方がいいんですにゃ。“寝不足”ってことは、裏でなんか“とんでもないこと企んでいる”んじゃないですかにゃ』
そして、彼について言及する彼の仲間。
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デモンの事件を彼に初めて相談しようとした時も――
彼は、合成キットの上に腰掛けた状態でうつらうつらしていた。
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城下町で――
『“俺からの任務”頼んだぞレット!』
レットの肩を叩いて、歩き去る彼はその時も大きな欠伸をしていた。
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雪山で――
『俺はリアルでも色々やることがあってな。いずれにせよログアウトしても、寝ないつもりだから問題はないさ』
(そういえばクリアさんはたまに欠伸やら昼寝やら、うたた寝をしていたような……。クリアさんが眠そうにしているの、デモンの事件があってから――だったっけ? 最近色々ありすぎて、いつかだったか覚えていないや……)
『確かに、クリアさんは普段からあまり寝てないように見えますけどォ。いつも寝ないで、具体的には何をやってるんです?』
『……あーもう………………わかったよ。よくわかった!』
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思い返される全ての記憶がレットの中で糸の様に繋がっていく。
最後に思い返すのは、自分自身が落ち込んで雨の中を茫然自失になったあの日のやり取りだった。
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『レット……あんまり落ち込むなよ。今は“お前に何も言えない”。だけどな、そのうち知ることになる。お前がやってきたことは無駄じゃなかったんだって――お前の行動は間違いなく誰かを救っている』
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「クリアさん……“ずっと調べていた”んですか、ずっと…………」
「ああ、そうだ。といっても探偵を雇ったわけじゃないぞ? あくまで俺のできる範囲での俺なりの“サプライズ”だ! 骨の折れる調査だったが、たまのたまにはこういうのも良い。今日は――気持ちを落ち着かせて、ぐっすり“眠れる”」
クリアは実に、可笑しそうに笑う。
それに釣られるかのように――
「………………良かった……本当に良かった……オレ……ずっと気がかりだったんです。あの娘がどうなったのかなんてわからなくって……。だからずっと怖くって――。でも、無事だって知れて……本当に安心できて…………」
――レットは嗚咽交じりに涙を流した。
「……クリアさん。本当に、ありぐむむむむ――」
クリアが左手で乱暴にレットの口を塞ぐ。
衝撃でレットの両目から涙が零れてクリアの手を濡らした。
レットは驚いた表情でクリアを見つめる。
先程までそこにあった笑みは消えていた。
「……よく聞けレット。お前は、俺に感謝しちゃ駄目なんだ。俺は悪い人間だ。“彼女のプライベートを時間をかけて、私的に調べた”。やっていること自体はかつて彼女を追い詰めた連中と同じなんだ。だからな――これは“俺が勝手にやったこと”なんだ。こんなヤバいことを、“お前の為にやった”だなんて――俺は、口が裂けても言わないつもりだ。俺は、お前に感謝されちゃいけないんだよ」
「でも……それじゃあ……いくらなんでも……」
「代わりと言っては何だけど――」
再び、クリアは意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「――俺が“悪いことをした”ってことは黙っておいてくれよ」
「そんな――オレはクリアさんが悪い人だなんて……もう到底思えません」
「――それはどうだろうな? さて――レット。俺は今まで一体何の話をしていたんだっけ? もう、全部忘れた。“安否確認の過程で入ってきた個人情報”とかも、全部ぜ~んぶ破棄して忘れちまった。もう二度と思い出すことはない。……だけど、お前は違うよな。ずっと、気がかりだった」
クリアは視線を落とし、涙でぐしゃぐしゃになっているレットの首元のスカーフを見つめる。
「……よかったな。お前のその首につけている装備品が、“呪い”にならなくて――。お前を苦しめて雁字搦めにする"呪い"にならなくてよかった。――――“思い出”になって、本当によかった」
レットはもう何も言えなかった。
感極まって、声にならない嗚咽を上げることしかできない。
「そういえば、誕生日っていうものはな――」
気を遣っているのだろうか。
くしゃくしゃになったレットの顔を見ないように、クリアは顔を背けて外の闇を見つめる。
「――祝われる本人に対して、『この世に生まれてきてくれてありがとう』っていう、“感謝の意味”もあるらしいぞ? レット、お前に言い忘れていたことだが――」
クリアはレットの肩を軽く叩いてから、背を向けてチームの家の玄関ドアに向かって歩いていく。
「――“誕生日おめでとう”」
レットの背後で、玄関ドアの閉まる音が聞こえた。
少年は振り返ることなく、軒先を囲っている木製のフェンスに背を預けてからゆっくりと座り込む。
それから、しばらくの間――、一人でずっと泣いていた。
【ワサビの踊り。ワサビの歌】
よほどセンスがないのか、精神を蝕むのか、無印の頃から暗に封印されている一種の概念。
ワサビはチームメンバーの中で誰とも仲良く出来ているようだが、誰しも何らかの欠点はあるようだ。
尚、自由に踊るからそうなるのであってエモートで踊ったり歌ったりすると無害化するらしい。
しかし、隙あらば自分で踊りたがり歌いたがるのでメンバーからは警戒されている。
以下は、無印の頃に当時のメンバーがワサビの踊りと歌に遭遇した結果抱いた感想である。
散々な言いようだが、つまりあのワサビに対してそう言わざるを得ないくらい酷いものなのだろう。
『味覚で例えると究極の苦み』
『不気味の谷を越えた不気味の大渓谷』
『好意的な人物から見ても、到底容認できない致命的欠点』
『減点にして尚、汚点』
『鼻どころか、目や脳からも抜けない刺激』
『超法規的措置による強制死刑執行』
『ニューヨークのど真ん中に落ちてきた巨大なイカの如き恐怖』
『プレイヤーの活動リソースたる精神力を削る究極的概念兵器』
『精神汚染』
『悪夢発生装置』
『人為的超常現象』
『ハルマゲドン誘発儀式』
『超心性爆発』
『一人ビックバン』
『ルドヴィコ療法の方がマシ』
『世界上所有的邪恶』
世の中には、知ってはならない真実がある。
【クリアの物真似:「電車が大遅延した結果仕事を休むことができた二日酔いのネコニャンニャン」】
クリアのチーム内での持ちネタである。とても短いが、きちんと全文メモとしてクリアは残しているようだ。
『はんきゅうでんてつー ねこにゃんにゃん
はんきゅうでんせつー ねこにゃんにゃん
はんぶんおやすみーねこにゃんにゃん 嗚呼(なぜかここだけ漢字表記)~ねこねこねこにゃんにゃん』
ネコニャンは、迎え酒をしていた上にこれをリアルタイムで聞いていたのはクリアだけだった。
なので、物真似だがクリア以外誰にも元ネタがわからない。(酔っ払っていたため、本人にも身に覚えがない)
しかし、雰囲気がそれっぽいのでこの日チーム内では結構ウケらしい。
【ハイダニア住宅街の屋台】
ベルシーやネコニャンの行きつけの屋台。
どこかしら人情味を感じる不思議なデザイン。
フォルゲンスで活動していた、とあるチームのかつての団欒の場を参考にしたのだという。
この屋台の店主は【そのチームのリスペクトをして店を始めた】ということを当事者に気づかれるのが当時は気恥ずかしかったらしく。
その結果、ハイダニアにこっそり店を建てることになった。
屋台が人気になった折に、そのチームに改めて挨拶をする予定だったそうだが。
店が人気になったこの時には既に、そのチームの団欒の場は消えて無くなってしまっていたという。
「ここは、とても良い店だね。こんな明るくて落ち着けるお店を、私も経営できたら良いのだが」
【この日撮られたチームメンバーの写真】
Daaku・Retto(レット:中央左)
照れながらもどこか勝ち気な表情でVサインをしている。
Tanaka makoto(タナカ:撮影者)
この写真には写っていない。
My princess(デモン:中央右)
無表情でレットの腕にしがみついている。
Bershe・iyanglun(ベルシー:右1)
茶化す目的か、カメラの方を向いて舌を出している。
Nekonyannyan(ネコニャン:右2)
未練がましく赤いちゃんちゃんこを重ね着して地面に座り込んでいる。たとえるなら――十二単衣を無理やり着せられてブーたれている野良ネコといったところだろうか? 酔っぱらってフラフラしていたのか、顔がブレていて写真に映っていない。
Kekko(ケッコ:左1)
この後乗る予定だった馬車の座席に座った状態でピースしている。角度が悪く、立ち上がった馬の長い尻尾が顔を隠してしまっていて写真に映っていない。
Tetsuwo goddess(テツヲ:左2)
不動のまま無表情でカメラを見ている。
Rock(ロック:左端)
テツヲの脇に立っている。表情の機微は読めないが、カメラから目を反らすように下を向いている。
Clear・All(クリア:右端)
『レットの提案で置かれた右端のオブジェクト』に左手をかけながら右人差し指をカメラに突き付けている。ゴーグルをかけて、カメラに目線を合わせずに笑いながら中央に居るレットを見ている。
Honwasabi(ワサビ:クリアの背後)
いつもの満面の笑みではなく、どこか穏やかな笑顔で自身の前に立っているクリアを見つめている。
大砲(右端)
レットの提案でクリアが設置したオブジェクト。
カメラの方に向けられている。